2008.07.06.
使徒行伝講解説教 第121回
――19:13-20によって――
今日学ぶところでは、ユダヤ人の「まじない師」の物語りが、重要でもないのに、かなり詳しく述べられていて、我々に戸惑いを感じさせる。たしかに、キリストの福音、救い、またキリストの教会にとって殆ど意味のないことが長々と書かれている。けれども、ルカが長々と述べているからには無視も出来ない。そして、記されたところに従って読んで行くと、大事なことではないが、大事なことの周辺事情が見えて来る。 ユダヤ人の「まじない師」、それが「遍歴」していた。こういうことは珍しくなかっただろうと我々は感じ取る。「まじない師」とここで訳されている言葉は、聖書ではこの意味ではここだけにしか出て来ないのであるが、事柄としては有り触れたことであった。我々に聞き慣れた言い方では、「悪霊を追い出す人」である。イエス・キリスト御自身が「悪霊を追い出す」ことをしておられた。これは彼が使命としておられた業の一つであり、さらに弟子たちにも行なうよう命じておられた業である。この「悪霊を追い出す」ことが、13節の「まじない」なのである。 聖書ではここにしか出て来ない言葉だが、後のキリスト教会の歴史においては、この言葉は、教会で実際に頻繁に使われたのである。また悪霊祓いはユダヤ教でも行われたし、ギリシャ、ローマ、またオリエントの諸宗教でも重要視されていた。古代のどの宗教においても、特に民間宗教では、宗教的な力をもって悪霊を祓う業が施されていた。後で、19節には魔術を行なっていた者らが、魔術を棄て、魔術の書物を焼き捨てる場面が描かれるが、悪霊祓いと魔術が同じように扱われている。しかし、魔術と悪霊祓いとは別のものと見るべきであろう。 キリスト教ではそれをイエスの御名によって行なう聖なる儀式とし行なったが、他の宗教のすることは魔術、あるいはまじないであると割り切る。それは、教会の中では通用するとしても、教会のすることがソックリ悪魔的な魔術にすり替えられてしまうかも知れない。ここはシッカリ見ておかなければ危険である。 ユダヤ人で悪霊祓いの術を行なう者らが、遍歴してエペソに来ていた。主イエスも町々村々を「遍歴」しておられたのであって、一定の場所において務めを果たすのとは違うという意味である。遍歴ということが一定の場所において務めを遂行しないという非難すべきこととして言われる場合はあるが、つねに問題だと見るには及ばない。 主イエスの時代、この「悪霊を追い出す」業を施す人たちがガリラヤやユダで遍歴していたことを福音書は伝えている。例えば、マルコ伝9章8節以下に、こう書かれている。「ヨハネがイエスに言った、『先生、私たちについて来ない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人は私たちについて来なかったので止めさせました』」。主が悪霊を追い出された実際例を我々は福音書で見ているが、悪霊に向かって「悪霊よ、この人から出て行け」と大喝されたのである。 悪霊に憑かれているとは、今日「精神の病」とされていることである。病気であるから医者が医術によって治療をすることに今ではなっているが、その治療で治る場合はあるが、実際には治せなくて、症状を薬で抑えるに過ぎない場合が多い。そして一方、病む人はますます増え、病気を説明する理論は進んで行くが、病気の予防は理論では出来ない。現代人の常識では、「悪霊祓い」は無知な時代に横行した迷信的な「まじない」に過ぎないが、人類の現状は昔と比べて幸福になってはいない。 この問題を今これ以上議論しても信仰の益にならない。我々は主イエスに見習うべきであって、主が理論で説明するのでなく、実際に行なっておられたことに倣い、悪霊的なものから人間を解放するためには、私には何が出来るかを考える。 今引いたマルコ伝の記事をもう少し続けて読んで置こう。「イエスは言われた、『止めさせないが良い。誰でも私の名で力ある業を行いながら、すぐその後で私を謗ることは出来ない。私に反対しない者は私たちの味方である』」。――主イエスはそのように御自身の名で力ある業を行う者がキリストの弟子に従わないことを寛大に扱っておられた。あるいは、そのような業をキリスト教会の事業系列の中に入れることはされなかったと言うべきである。 ただし、彼らと一線を画しておられる点を見落としてはならない。マタイ伝12章22節以下の言葉はこのことを明らかにしている。主が悪霊に憑かれている者を癒しておられた時、パリサイ派は主イエスを悪しざまに非難して、「この人が悪霊を追い出しているのは、全く悪霊の首ベルゼブルによるのだ」と言った。主はそれに答えて言われる。「もし私がベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなた方の仲間は誰によって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなた方を裁く者になるであろう」。 ユダヤの宗教で悪霊祓いがどのように行なわれていたかを見ると、当時ラビたちはこのような行事を遠ざけていた。律法がこれを禁じていると解釈していたからで、その解釈は正しい。「占いをする者、卜者、易者、魔法使い、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない」と申命記18章10節に記される。同じような言葉はレビ記にもしばしば読むことが出来る。何よりもハッキリしているのは申命記18章の続きで、神はモーセのような預言者を送って、御言葉を聞かせると約束したもう。 神は言い表わし得ない御力によって御自身を顕したもう。そういうことはあるのだが、それよりもむしろ、御言葉をもって語り掛けたもうのが通常の手段である。神を信じる信仰は、御言葉を聞いて従う信仰である。従って、信仰は神に対し言葉をもって応答する。神は信ずる者の言葉を求めたもう。それが聖書の宗教の中心的な部分である。 律法が魔術的な業を禁じていることは明確であるが、律法によって禁じられているこれらの業がどういうものを指すかについて、解釈は様々ある。たしかに、古き時代のイスラエル宗教の中には、こういう傾向は稀薄であった。悪霊祓いはベルゼブルの名とともに入って来たとも考えられるのである。しかし、神の御名によって厳命すれば、悪霊が去って行くことはあり得ると人々は昔から考えたであろう。こういうことをやってみようとする人も少なくなかったであろう。 ユダヤ教の中でこの「まじない」が次第に否定出来ない力を持つようになる。ソロモンがこれを始めたという言い伝えもある。確かめる方法はないが、多くの人はそう信じたようである。無知な民衆の中にこのまじないを有り難がり、これに依り頼む人が多くなった。それは無知の故にまじないの偽りを見抜けなかったのだと割り切ることが出来るかも知れない。だが、ユダヤ人の祭司長スケワの7人の息子がこの業をしていた。祭司長の一家が宗教的に堕落して迷信の虜となったということはあり得たかも知れない。しかし、イエス・キリストがその名によって悪霊を追い出すことを命じたもうたのはどういうことか。それを無視することは出来ない。 詳しく解説するほどのことではないと思うが、当時、こういう宗教的行為があったのである。正式の儀式ではないが、排斥出来ないと見られていた。祭司長スケワの7人の息子がこういうことをエペソに来て行なっていたということではないであろう。祭司長の一家からこういうことをする人が出たという話しが、ユダヤ人の間で知られていたという事情であろう。それは「霊的」と言われる物に縋りたいという人間の弱さから来る迷信として片付けてよいかも知れないが、知的な説明ではどうにもならない問題に取り巻かれていた民衆の求めに答える一つの解答であったと言えなくはない。 注意しなければならないのは、キリスト教内部にも、こういう方向に進もうとする路線があった。今日のプロテスタント教会にそういう傾向が潜んでいるとは思われないが、かつての教会で、悪霊を追い出す儀式をしていたことは事実である。そういう風習の名残を残しているキリスト教はまだ多い。すなわち、信者にする時、先ず悪霊を払い落とさせ、その後にバプテスマを施すというやり方を取っていた教会が事実あった。カトリック教会の中に「悪魔祓い」という儀式と、それを執行する「祓魔師」という職務があった。しかし、初期のエペソ伝道で、教会周辺にこういうことはあったが、教会ではそういう要素は破棄して行った。 さて、13節から16節までに書かれているのは、ユダヤ人のまじない師たちと悪霊との間のやり取りであって、使徒の働きではない。パウロの名によって悪霊祓いをしようと試みた者らが失敗して、却ってヒドイ目に遭い、それが人々の間で評判になったというだけの話しである。この出来事を詳しく解説しても笑い話に終わるだけである。ただ、彼らが真似をしたのであるから、パウロもしたことらしい。そしてこのことの結果、エペソに住む全てのユダヤ人とギリシャ人に知れ渡り、みんなが恐怖に襲われ、主イエスの名が崇められた。 18節もその結果である。「また、信者になった者が大勢来て、自分の行為を打ち明けて告白した」。この人たちは信者になっていたけれども、まじないの業を秘かに行なっていた。その隠された面がこの事件で明るみに出た。――それは、どういう事態であったのか。幾つかのケースがあったと考えられる。或る異邦人はクリスチャンになったけれども、公けには教会の行事に参加しつつ、秘かに、もと信じていた異教の神々の名を呼んで願いを捧げたり、誓いを立てたり、異教的風習を棄てきれなかったに違いない。すなわち、大量の回心者が生まれた時には珍しいことでないが、表向きクリスチャンになっても、内面が真の悔い改めには至らず、御言葉によって変えられて行くまでには、なかなか時間が掛かる。 さらに言うならば、パウロは後に20章20節21節で、「あなた方の益になることは、公衆の前でも、また家々でも、全て余すところなく話して聞かせ、また教え、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とを、強く勧めて来たのである」と語ったこととの関連を考えなければならない。すなわち、パウロは救いの益となる言葉を、公けにも家々でも語り、単にそれを聞かせるだけでなく、身に着けさせ、内面に浸透させるように努力していたが、彼がそういう努力をしたというだけでなく、主の御手が働いて、人々の心のうちを掘り下げて、心のうちに隠されたことが潔められるようにされたのである。 人々が告白したというのは個別的にかも知れないし、連れ立って来たのかも知れない。一人一人自分の内面に降って行ったのである。 19節に記されることも、それ自体としては何ら重要でない。魔術師と悪霊祓いが似たものであったかどうか分からない。魔術は今日の世界ではマヤカシと同じようなものと見られているが、昔は学者と極めて近いものと見られていたかも知れない。使徒行伝13章で読んだクプロのパポスにいた魔術師エルマは総督の顧問をしていた。 彼らの学識がどれほどのものであるかは別として、彼らは書物を持っていた。それらの書物を体裁を飾るためにただ並べていただけか、実際に読んで、その指示にしたがって術を行なったのかどうか、議論をしても意味はない。彼らはとにかく、その書物を焼き捨てた。これはこれらの書物が意味のない物であることを人前に明らかにするためであった。 エペソの魔術師が全員、魔術を破棄したのではなく、そのうちの多くが書物を焼き捨てたというだけである。焼き捨てた人は真の知恵を学ぶように転向したということであろう。この出来事はエペソにおける回心者の多かったことを示す一つの挿話であって、詳しく論じる必要はない。 「主の言葉がますます盛んに広まり、また力を増し加えて行った」。6章の7節にも同じような言葉が記されていた。一つのケジメをつけたところである。主の言葉以外の力は全て退いたのである。 |