2008.06.08.
使徒行伝講解説教 第119回
――19:1-7によって――
パウロはエペソに来た。それは奥地を経由してであった、と1節に書かれている。これはルカの筆である。この経路については、先に18章23節で触れて置いたが、アンテオケを出てから先ず、すでにキリスト者となっている人たちを励ました。すなわち、すでにキリストの教会として建てられている群れが、「使徒」という特別にカリスマを持った器がいなくても、その地から選ばれた通常の指導者としての長老の指導を受けて、一層キリストの教会としての使命を遂行できるように励ますためであった。ここに「奥地」と訳されているのはエペソから言えば北方、トルコ半島の中央部にある高地のことである。そこをただ通り抜けたのでなく、福音を語りつつ通ったのであろう。 パウロがエペソに来た時に、アポロはコリントに着いていた。この時点でパウロはアポロについて何も知らない。コリントにおけるアポロの働きについて、パウロはIコリント3章6節で「私は植え、アポロは水注いだ」と言う。すでに植えられたものに、続いて水注ぐ働きが行われていた。 では、エペソにおいては、アポロが植え、パウロが水を注いだのであるか。そのように見る人は多いが、それは違う。使徒であるパウロと、使徒職を持たない伝道者のアポロを区別するのはいけないと言う人があろう。その判断は一面では正しい。パウロもアポロも主が召して用いたもう器であるという点で同じである。つまり、人間としての格付けの違いを考えてはならない。 しかし、その働きの違いに無頓着であってはならない。パウロとアポロを比較して違いを論じることの危険を警告したIコリント3章で、パウロは教会はキリストという土台の上にしか建たないが、その土台の上に如何に建てるかで違いが現われて来るから、注意しなければならない、と警告する。一見同じように建てられているが、試みの日に焼け落ちる教会があり、焼けないで残る教会もある。 この比較が、パウロかアポロかという人物比較を論じることを戒める言葉の続きに出てくるが、だからといって、アポロの建てた建物が、かの日には焼け失せると暗示していると取るべきではないであろう。 それでも、堅固に建て上げられた教会と、そうでない教会とが違うという事実を我々は経験的に知っている。キリスト教会と名乗っている点では同じでも、かなり違うという事実がある。これは譬えて言えば、土台の上に藁を用いて建てるか、堅固な建築材料を用いて建てるかの違いである。だが、その譬えは何を指すのか。教理がシッカリと教えられるかどうかの違いが示されていると解釈され、それは正しいが、教理がシッカリ教えられていても、主の日が来る前に、後を継ぐ世代が育たないために衰亡する教会もある。すでに人々の目に曝されているように、建ったけれども崩れた教会があり、続かなかった教会がある。そと目には華やかに活動しているかのようであるが、集まって来る人を良く見れば、絶えず入れ替わっている群れもある。これでは天国の門の鍵を委ねられている教会ではない。 パウロのエペソ伝道で今朝我々が学ぶのは、教会の建て方の違いではなく、その違いを手がかりとした教会の核心部、その生命に関わる事柄である。 パウロの来る前、アポロは巧みな弁舌と熱情をもって帰依する人々、弟子をかない多く集めていた。そこに群れが出来ていたことは確かである。7節に「その人たちがみんなで12人だった」と言うが、それが信者全員であったのか。主立った者でも12人いたということなのか。我々には判断がつかない。「ある弟子たちに出会った」というのも、どういう機会なのか分からない。弟子と称するその人たちの方から近づいたのか。パウロの方から尋ねだしたのか。この人たちはユダヤ人の会堂にパウロが行った時に名乗り出て、自分たちはすでに弟子なのだと言ったのかどうか。「聖霊なるものについて聞いたこともない」と言うのは、聖書についてかつて教えられたことのない異邦人であったからか。それも断定出来ない。 「ある弟子たちに出会って、『あなた方は信仰に入った時に聖霊を受けたのか』と尋ねたところ、『いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません』と答えた」。 聖霊について聞いたことがないとは、アポロがそれを教理として教えなかったことを意味するのは確かである。だが、旧約聖書の中に聖霊という言葉は何回も出て来る。教えとしては語らなかったとしても、聖霊という言葉が含まれている箇所が読まれなかったと言い切るのは無理である。 彼らは聞いたのであろう。しかし、心に残らなかった。つまり、ここが大切なのだと注意を喚起されながら教えられたのでなく、アポロの雄弁によって話しの全体はなめらかに受け入れられ、心地よく聞いたが、何を教え込まれたかについてはハッキリしたものは心に残っていないということであろう。我々もよく気をつけたい。心地よい話し、ほのぼのと暖まる話し、分かり易い解説、それが有害だということではないであろう。が、救いの言葉が心に入り込んでいなければならない。一つの語が心に留まるなら、それは根を生やし働きを始める。 そのような救いの言葉を集めたものが、しばらく後の時代、信条、信仰告白と呼ばれるようになる文言で、これが教えられ、信者はこれの一語も軽んじることなく咀嚼した。そういう形で「聖霊」という名が刻み込まれなかった。アポロの流暢な説教では「聖霊」という言葉が残らなかったということである。 人々のこの答えはパウロにとって驚きであった。「『では、誰の名によってバプテスマを受けたのか』と彼が聞くと、彼らは『ヨハネの名によるバプテスマを受けました』と答えた」。 弟子であると言っていながら、聖霊について聞いたこともない人がいることは考えられないことであった。パウロにとっては驚きであるが、こんなことも知らないのか、という憤激でも蔑視でもない。殆ど別世界の消息を聞くような感じであった。パウロをこれまで育てて来た教会は、教会として生まれてまだ日が浅いとはいえ、キリストの来臨また聖霊降臨以来の歴史を持っている。キリストは「私が私の教会を建てる」と言われた。教会を御自身が建てて行かれるための下働きを選び、彼らに聖霊を授けたもうた。このようにして建て上げられて行く教会が、「陰府の門もこれに打ち勝つことの出来ない」教会として、歴史を切り開いて来た。 ところが、こういうものとして把握している教会以外に弟子と称する者がいる。それを知って心が乱れたと言っては、言い過ぎであろうが、一瞬まごついた。主イエスがヨハネ伝10章16節で「私にはまた、この囲いにいない他の羊がいる。私は彼らをも導かねばならない。彼らも私の声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、一人の牧者となるであろう」と言われた言葉をパウロが知っていたかどうかは分からないが、ここにある真理が問題を解決するであろうということは分かっていた。唯一の牧者、唯一の主という観点からヨハネのバプテスマという問題は解決する。 4節、「そこで、パウロが言った、『ヨハネは悔い改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分の後に来る方、すなわち、イエスを信ずるように、人々に勧めたのである』」。 パウロのこの言葉について、解説はもう要らない。前回マルコの福音書にあるヨハネの証言を引いたが、それはこの主旨を十分示している。それはイエスの使徒たちの中で解釈されて、書かれたヨハネの言葉で、解釈が入っている、と異論を唱える人がいるが意味はない。使徒伝承を持つ集団の外にもヨハネの弟子がいて、それをアポロは継承していた。 「人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた」。 パウロが彼らにバプテスマを受けよと命じたのではない。彼らの方から求めたのである。バプテスマを受け直したということであろうか。そして洗礼を受けていながら、聖霊を受けていない者は、このように洗礼を受け直さねばならないという前例となったのか。そうではない。 ナザレのイエスの弟子になった人の多くは、先にはヨハネの弟子であって、したがってヨハネのバプテスマを受けていた。その人たちがイエスの弟子になった時、バプテスマを受け直したのか。そういう記録はないし、そういうことがあったと考える余地はない。すなわち、ヨハネの弟子であった者でも「イエスはキリストである」と告白するなら、その時からキリストの民である。つまり、ヨハネのバプテスマを受けた人は、キリスト者となって後、そのバプテスマはキリストの名によるバプテスマとして有効である。なぜなら、ヨハネのバプテスマは、単なる水の洗いや禊ぎ、また新しく生きる決意表明ではなく、罪の赦しに与らせる悔い改めのバプテスマであったからである。キリストの教会は後になってからであるが、「罪の赦しを得させる唯一のバプテスマを信ず」と告白する。バプテスマは唯一で、したがって只一回しかないという理解が固まって来たのは後年になってからであるが、只一回とは、救いの基礎がただ一度のキリストの死であるというヘブル書の教え、また既に据えられた土台の他には誰も教会の基いを据えることは出来ないというコリント前書3章11節の教えの象徴なのである。 パウロがアポロによる洗礼を信用せず、エペソにおいて洗礼のやり直しをした、というふうに考えている人が少なからずいるようである。したがって、今でも洗礼のやり直しをして貰いたいとの願いを持つ人がいる。そういう願いは大真面目であっても、混乱を起こすばかりである。バプテスマの有効性は「キリストと共に」という内的かつ霊的な事実の中にあるのであって、象徴の中にあるのではない。 「そして、パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに降り、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。その人たちはみんなで12人ほどであった」。 ここに見られる現象は、聖霊の実として顕著なものである。我々が先ず思い起こすのは、五旬節の日にこれが起こったこと。第二に思い起こすのは、使徒行伝4章で読んだところであるが、ペテロとヨハネがイエスの名による宣教活動のゆえに逮捕され、拘束され、裁判を受け、釈放されて仲間の所に帰って来て、報告したのち、「主よ、今、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そして、御手を伸ばして癒しをなし、聖なる僕イエスの名によって、徴しと奇跡とを行なわせて下さい」と祈った時、そこにいる一同に聖霊が降ったことである。これらの場合、聖霊は実としての徴しを伴っていた。 受けた聖霊そのものと、聖霊の働きと、聖霊の結ばせる実と、聖霊の実が示す徴しは、結び合った一連のものであるが、同一ではない。同じもののうように扱うことはあるとしても、区別することが大切である。聖霊の働きはキリストを我々に証しし、キリストと我々とを結び付け一体化し、我々がキリストによって生きるようにし、力を与え、キリストを告白させ、証し人とならせ、世に派遣することである。 確かに、聖霊を受けたなら、受けた、受けたと言うだけでなく、その実を示さなければならない。その実を示す表れとして、使徒行伝によく出て来るのは、異言や奇跡である。パウロ自身におけるその表れについては、11節で見る通りであるが、エペソの弟子たちの間でも御霊の表れが見られたのである。 |