2008.06.01.

 

使徒行伝講解説教 第118

 

――18:25-28によって――

 

 

 エペソにおける本格的な伝道は、我々の知る限りでは、アポロに始まる。ただし、我々に知られていない部分があると考えて置いた方が、全体を素直に捉えることがし易いのではないかと思う。タルソ出身の使徒パウロがアポロの来る直前に短時間、エペソのシナゴーグを訪ねている。説教をしたのではないが、何人かのユダヤ教徒がパウロの携えている福音に積極的な反応を示した。パウロ自身もこの地で福音を語る必要を感じていたが、先ずエルサレムに行かねばならないので、その日のうちに出港した。エペソのユダヤ人たちは、世界に散らされたユダヤ人仲間のネットワークを通じて、噂としてであるが、キリストの福音の広がり始めていることを聞いていたかも知れない。続いて、アクラとプリスキラというユダヤ人が、ローマとコリントを経て、この町に住むようになり、彼らは説教者ではないが、コリントで始まっている神の御業について、何かを語っていたに違いない。間もなく、アレキサンデリヤ生まれのアポロが来て説教を始めた。

 それ以上のことは我々には分かっていないし、分からないことを探っても多分得るところはないが、今名前の挙がった人たちのこれまでの動きを辿って見ても、世界的な広がりが背景として浮かび上がるのを感じる。アポロのこれまでの足跡については、すでに見たように、ごく僅かのことしか分かっていないが、分かっていない部分があるということの大切さを我々は感じ始めている。

 分かっていない事情が他にも多い。例えば、931節に「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方に亙って平安を保ち、基礎が固まり、主を畏れ、聖霊に励まされて歩み、次第に信徒の数を増して行った」とあるが、ガリラヤの教会の初めについて使徒行伝は何も語っていない。また例えば、9章の初めにはサウロがダマスコの信者を迫害しに行って、却って回心を経験し、ダマスコの教会の指導者アナニヤに導かれて伝道者の業を始めるくだりがあるが、ダマスコの教会の始まりについての記録はない。ローマの伝道についても、アレキサンデリヤの伝道についても分かっていない。――そのように、我々に知られていない事がいろいろある。エペソに関しても分からないところは多い。その部分は主の御手のもとに委ねて置く。

 今日は25節を学ぼう。「この人は主の道に通じており、また霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり、教えたりしていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」。

 「主の道」という言い方のついて、使徒行伝では何度か見て来た。次の節にも「神の道」という似た言葉が出て来る。「道」という言葉は人や車の行き来する道路という意味で普段の生活の中でも広く使われている。また、これを比喩として用いて、踏み外してはならない原理という意味でも広く使われ、特に旧約聖書ではしばしば用いられている。しかし、使徒行伝には使徒行伝独特の「道」という呼び方があるように感じられる。説明の必要はないが、キリストの教えを実際に生きる生活、それを要約したもの、教え易く纏めたもの、それを当時のキリスト者の間で「道」と呼んでいたのではないかと想像される。「我々の信仰」というふうに呼んでも良いわけだが、それよりもっと簡単に、身近に、かつ具体的に表わすために、「この道」と呼べば、お互いの間では通じる。そういうものを諸教会で、あるいは使徒や伝道者の間で、それぞれ銘々に纏める趨勢にあったのではないか。

 アポロが「主の道はこうなのだ」と手短に、分かり易く、かつ覚えやすい形で説いて、これが比較的短時日の間に広まったというふうに考えれば、実情はさらに髣髴とするのではないか。

 「霊に燃えて」という言い方は、教会外の人には恐らく通じない。それでも、分からないながらに何かあると感じさせ、圧倒される力がある、そういうものの表現である。聞く人に聖霊を如実に示すということではなかったと思う。というのは、19章に入ってから明らかになるように、アポロは聖霊については教えていないからである。つまり、聖霊についての教理を持っていなかった。しかし、聖書に精通した人であるから、神の御霊を無視するということはない。

 「彼はイエスのことを詳しく語ったり教えたりした」というのは、語るとともに教えたことを意味する。ここでいう「教える」は、初歩の人に口移しに教える教え方である。――「ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」。この「知らなかった」はそれしか受けていなかったという意味であろう。つまりキリストのバプテスマを受けていなかった。したがって、バプテスマについてはヨハネのそれだけしか教えなかった。このことの内容については19章に入ったところで詳しく見ることが出来る。

 少し聖書本文を離れることになるかも知れないが、アポロという伝道者の成立地盤について考えて見ることにしたい。我々は使徒行伝を記述に沿って学んで来たから、ヨハネのバプテスマしか知らず、したがって聖霊について教えることが出来ない伝道者がいたとは理解出来ないと感じる。つまり、使徒行伝をその書かれた順序で学んで来れば、五旬節の聖霊降臨から教会とその伝道が始まると理解するのは当然である。それはエルサレム教会における事実であり・確認である。エルサレム教会、またそこから遣わされた伝道者によって生まれた諸教会では、こういう確認事項を持っていた。

 しかし、それとやや違う理解を持つ系統の教会があったことを認めないわけには行かない。すなわち、バプテスマのヨハネが「来たるべきお方が来られた」と示唆した段階で、その言わんとした意味を汲み取って、来たりたもうたキリストの群れとしての自覚をもって成立し、伝道活動を始めたグループがあったらしいのである。そこにはイエス・キリストの任命による使徒はいないし、五旬節当日の聖霊降臨の事実体験はない。

 それでも、マルコ伝の冒頭に、「イエス・キリストの福音の初め、………バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていた」と記されているように、ヨハネがバプテスマを始めたその時、イエス・キリストの福音の初めがあったのである。何故なら、イエス・キリストの福音も「罪の赦しを得させる悔い改め」の教えに他ならなかったからである。

 ヨハネの教えだけでは、一時的にユダヤ全土を興奮に巻き込んだけれども、ヨハネ本人がヘロデに捕らえら、殺されて後、運動は消え失せる。ただ、或る者らはヨハネ自身の指図によって、ヨハネの弟子からイエスの弟子に切り替え、その教えを聞き、その後に続く歩みをし、キリストの死と復活を目撃し、聖霊の降臨を経験して、使徒的教会を建て上げた。そういう経過を我々は福音書と使徒行伝によって知っている。しかし、我々の知らないことだが、イエス・キリスト福音の初めだけに触れ、旧約以来の約束の言葉を学んでいるので、約束の成就が始まったことを辛うじて聞いただけであるが、一応、福音のアウトラインを聞いたところで活動を始めたグループがあった。

 そういうことでは一人前のキリスト教でない、と人は言うかも知れない。しかし、旧約の信仰者のことを考えて見よう。彼らは約束のものを受けなかったが、その成就を望みによって捉えた。すなわち、来たるべきお方を、すでに来たお方として信仰と希望によって把握し、ただ待っているだけでなく、信ずる者として歩み始めたのである。彼らはその望みによって神の国の子のうちに加えられた。それらの人と比べれば、ヨハネのバプテスマを受けた人たちは、ずっと近い距離で来たるべきお方の来臨に触れた。

 ただし、来たるべきお方の前触れになる呼び声を聞けば十分であると見てはいけない。人となって我々の間に住み、十字架に架かって贖いをなしとげ、復活され、その御名によって聖霊を遣わしたもう御子キリストまたその事実と出会わねばならない。

 ヨハネ自身「私よりも力のある方が後からお出でになる。私は屈んでその靴の紐を解く値打ちもない。私は水でバプテスマを授けたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」と言っていた。まだキリストが来ておられないならば、その教えを聞けないのは已むを得ないが、キリストが来られた以上は、彼を見、彼を受け入れ、彼の名によって聖霊のバプテスマを受け、彼が記念として定めたもうた礼典を守らねばならない。

 では、アポロのような月足らずの伝道者と、その教えを聞いている人は、キリストの教会から排除されねばならないのか。そうではない。彼はキリストの教会に受け入れられる。そして足りない所は補われる。アポロは素直にその補いを受け入れたのである。アポロの出身教会はアレキサンデリヤではなかろうかと推定されるのであるが、この教会もそういう補いを早い時期に受け入れた。

 このことは系統の違う教会が、教理的にまた教会政治的にエルサレム教会の系列に併合されたことだと言う人があろうが、余り意味がない。むしろ、神の救いの秩序に従って足りないところを補われたのだと受け取るべきである。

 26節に移る。「彼は会堂で大胆に語り始めた。それをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招き入れ、さらに詳しく神の道を解き聞かせた」。

 大事な意味は上に見た通りである。それがどういうふうに実行されたかをキチンと見て置きたい。「始めた」というのは、他の地で教えていて、ここに来て教え始めたとも取れるが、すでにエペソに住んでいたが、公けに語ることはなかった。それがこの時に大胆に語り始めたと取る方が良い。「大胆に語る」ということは最も重要と言うと誤解を起こす恐れがあるが、「大胆に語る」のでない語り方では、福音はただの説明になり、信仰に似てはいても理解に留まる。アポロはユダヤ人の会堂に入って大胆に語り出した。彼は聖霊について教えることは出来なかったが、聖霊によって語ったと見なければならない。語った内容は25節にも言われたところだが、イエスがキリストであるということである。聖書に基づいて解き明かしたことは、24節にあった聖書に精通したということと結び合ったものである。

 プリスキラとアクラはそれを聞いて感銘を受けた。が、一応のことは言われていても、足りないところがあると感じ、助言あるいは補いをした。そしてアポロはその助言を受け入れた。これは説教とその聞き方についての模範例であろう。説教者が大胆に語ったなら、聞く人は幾らかの欠陥をそこに感じても、黙ってしまうということでは本当は良くない。信仰をもって聞く人は、ただ受け身で聞くのでなく、或る意味で協力者として説教の務めがより良く機能するようにする。このようにして諸教会の説教の質が向上するのである。

 「アポロがアカヤに渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、先方の弟子たちに、彼を良く迎えるようにと手紙を書き送った」。

 アカヤとはコリント地方である。コリント教会と個人的に繋がりを持つのはアクラたちであるが、他にもいたらしい。エペソ教会からコリント教会に推薦状が送られた。説教者は行きたい所に行って、自己推薦で説教するのではなく、教会の推薦状を携える。「彼は到着して、すでに恵みによって信者になっていた人たちに、大いに力になった」とあるのはコリント到着後の活動である。シラスとテモテは他の所に移ったのであろうか。移っていなかったとしても、働きは幾らでもあった。それを知っている人たちはアポロにコリント行きを勧めたのではないか。

 コリントにはパウロたちを用いたもうた主の働きによって、「恵みにより信者になった人たち」がいた。恵みによってとは、人間の働きや努力、また生来の傾向によってでなく、恵みによって信仰者となった点を強調する。 

 「彼はイエスがキリストであることを聖書に基づいて示し、公然と、ユダヤ人たちを激しい語調で論破したからである」。

 アポロはプリスキラとアクラの助言によって道を教える教え方を整える以前から、イエスがキリストであると言っていたし、その主張を自分の雄弁や熱情によって達成するのでなく、聖書に基づいて論証し、ユダヤ人は反論できなくて黙らざるを得なかったが、アカヤに移ってますます熟練した伝道者になったのである。

 

 


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