ペテロたちが心を合わせてヨエル書の聖書研究をし、読み取った重点は「終わりの日」における「御霊の降臨」という出来事である。その降臨の事実が今しがたあったと彼らは確認した。それならば、今は終わりの時である、と宣言しなければならない。
この「終わりの時」という問題が使徒たちにとって、ズッと重要関心事の一つであったことはすでに見た通りである。以前からそのことに関心があって、議論も交わされていた。終わりの時は近いのではないかとの予感もあった。また時代がそのような終末の期待と不安に揺れ動いている時代であった。
終わりの時への待望は、旧約の書のもとで養われていた民の間で、ごく少しずつではあるが深められていた。すなわち、彼らは聖書の民であって、聖書を学び続け、掘り下げていたからである。終わりの日の期待は、古くからのものであるが、約束のメシヤの来臨への期待と結び付いて把握されるようになり、その理解は次第に深まった。
使徒たちがかつてバプテスマのヨハネの弟子となったこと、そのヨハネの示唆に従ってナザレのイエスの弟子に転籍し、イエスに従う者となったことは、彼ら自身の内面に予感があったからであるが、その予感について詳しく論じることは要らない。
つまり、我々は今の時、同時代の人々の時代意識や、予感や、欲求について、無関心ではあり得ないが、そこに深入りしても真の救いはないということを知っているからである。我々に鋭い時代感覚があることは、人々を指導するに有益であるかも知れない。けれども、人心を巧みに誘導する指導者が、偽りの預言者であった実例が少なくないから、時代の持つ気分というものに対しては、極力醒めた目で見る必要があると我々は心得ているのである。
ナザレのイエスの弟子となった人たちには、初めから予感と期待があった。一例として、主イエスの活動の始まる直前のことであるが、ヨハネ伝1章45節によると、ピリポは友人のナタナエルと出会った時に言った、「私たちはモーセが律法の中に記しており、預言者たちが記していた人、ヨセフの子、ナザレのイエスに今出会った」。――このピリポの言葉は殆ど決定的な確信を持つ証言である。モーセと預言者によって予め証しされていたメシヤ、キリスト、それがナザレのイエスという人として来ておられるのに出会った、と告白したのである。
すでにその時、十分な意味でのキリスト告白がなされたと言っても良いであろう。また、この告白にピリポの持って生まれた感性による直感や彼自身の洞察が籠められていることは否定できないが、彼をここまで導いた「見えざる御手の導き」を我々は確信している。そして、彼のこの告白は、言葉としては文句なしに正しかったのであるが、謂わば「答えが合っている」というだけであって、この告白によって、ピリポたちは生きることも出来、死ぬことも出来る、そのような命ある言葉であったわけではない。彼らはなお長年にわたって教えられ、訓練され、試みを経なければならなかったのは、我々の良く知るとおりである。
イエスは神の子、キリストであるという確認は、主が弟子たちを訓練のためにピリポ・カイザリヤに行かれた時のペテロの告白として示された。これはペテロ個人のものというよりは、弟子一同のものであると我々は知っている。それだけ分かっていたけれども、弟子たちの実際の言動には相応しくない数々の欠陥があった。それは主イエスが捕らえられた夜のうちに、ペテロが3度まで「その人のことは知らない」と言って、主を否んだことに表されている。これはペテロの脱落とか挫折と言うよりは、弟子全体の弱さを表したものである。
ペテロはそののち三日目まで地獄に落ちるような絶望と苦しみの経験を経て信仰に立ち直る。このこともペテロ個人の人生行路の一齣と見るよりは、他の弟子に大なり小なり共通な問題の代表的な現われであると受け取る方が良いと我々は考えている。ペテロを立ち上がらせたのは、復活のイエス・キリストとの出会いであると理解されている場合が多い。もちろん、それで良いのではあるが、一幅の活人画を見て、そこを通れば何もかもが落着するというふうに理解してはならない。大事なことは主の苦難の確認という極めて重い経過であった。
主イエスは生前、イザヤ書53章を引用してであると思われるが、キリストが大いなる苦しみを受けて、三日目に甦る、ということを教えておられた。キリストがキリストであられる証拠として、力ある業と奇跡と徴しがあるということは以前から知られていたし、通俗的理解ではあるが人々は大体これで納得した。これは、このあと22節でも触れられることである。これらの徴しによって、この人はメシヤであろうと判断することは多くの人に見られたことである。けれども、徴しを見たから信じるという信仰では、真の信仰としての確かさはない。
キリストがキリストであることの確かな証拠になるのは、十字架の苦難である。人間の想像も理解も絶する非常な苦しみである。聖書はキリストの苦難を予め語っているのであるから、彼に従う者は主の十字架を見詰め、実際に苦難を受けたもうという事実を認め、その確認をしなければならない。弟子たちにとって主の苦難の確認という一関門を通ることが不可欠であった。これはまた「十字架の躓き」という言葉で表されることもあるが、信仰が躓いてしまうほどの危機を経験するのであった。主の苦難とは、普通「十字架の苦しみ」と呼ばれる歴史的事実として捉えられなければならないだけでなく、従い行く者も十字架を負うのである。主を信じる者自身における苦しみをそれに相即させる理解がなければ把握出来ない。すなわち、主は「人もし我に従い来たらんと思わば、己れを捨て、己が十字架を負いて我にしたがえ」と言われたからである。
こうしてイエスの御受難がハッキリ捉えられたので、これほどまでに我々の救いのために苦しみたもうた彼こそがキリストである、との確認が弟子団の中では確立した。これは、言い換えれば、約束されていた苦難のキリストの到来が現実としてあったということである。
こういうことがあったから、使徒行伝1章6節で見たように、使徒たちは今や確信をもって、御国の復興の時が来たはずだと主に確かめた。しかし、主は、もうその時と見て宜しい、とは言われなかったのである。まだ、待たねばならなかった。
しかし、五旬節の朝、聖霊が降った。新しい言葉が語られるようになった。ここまでに何度も「確定的」ではないかと思われることがあったが、いつも「未だ」だと言われた。だが、今度こそ終わりの時であると確信された。それは、これまでなかったほどの確固とした確信である。そのことを告げ報せなければならない。そこでペテロと一同は立ち上がった。――本当らしく思われることと、本当のこととは違うのである。本当のことは御霊によって成り立つ。
ところで、ペテロはこう言った、「神がこう仰せになる。終わりの時には、私の霊を全ての人に注ごう」。しかし、旧約のヨエル書は言う、「その後、私は我が霊を全ての肉なる者に注ぐ」。その後と言っているのを、終わりの時と言い換えるのは行き過ぎではないのか。
ヨエル書は神の裁きとしての蝗の大発生の禍いの到来を語り、今からでも悔い改めて主に立ち返れと命じ、次にユダとエルサレムに繁栄が戻って来ると預言された。その預言の後に来るのが、2章28節の「その後、私は我が霊を全ての肉なる者に注ぐ」という預言である。それなら、この繁栄の回復を終わりの日のこととして語ったと取っても良いのではないか、と言われるであろう。
ところが、ヨエル書は3章に入ると、ユダとエルサレムに禍いを齎らした諸国民に対する報復がなされると言う。とても終わりの時とは言えない。この裁きの後で最後的な回復が来る。
ペテロたちの聖書研究は、ヨエル書の3章以下はなかったかのように無視しているのではないか、と言われるかも知れない。それに対して弁明することは今は要らないと思うが、全ての肉なる者に神御自身の霊が注がれること、これと、主の名を呼ぶ者の救いの時の初めであると読み取ったこと、ここに終わりがあると信じたのは何ら読み違いではない。
神の霊が人にも与えられるとの約束は、神と人との一致であって、決して稀なことではなかった。特に顕著なものとして、民数記11章24節以下にこういうことが記されている。「この時モーセは出て、主の言葉を民に告げ、民の長老たち70人を集めて、幕屋の周囲に立たせた。主は雲のうちにあって下り、モーセと語られ、モーセの上にある霊をその70人の長老たちにも分け与えられた。その霊が彼らの上に留まった時、彼らは預言した。ただし、その後は重ねて預言しなかった」。
この事件は一つの象徴的な出来事であるが、これの続きとしてのもう一つの事件も重要な示唆に富んでいる。すなわち、この時、70人の長老が主の幕屋に集まったけれども、なお2人の長老が幕屋に行かず、宿営のうちに留まっていた。そして、70人が預言した時、この2人も別のところで預言した。これを見て、モーセの忠実な従者であったヨシュアは、これを分派行動であると見て、憂え、また憤って、やめさせようとした。それをモーセは差し止めて、「主の民がみな預言者となり、主がその霊を彼らに与えられることは望ましいのだ」と言った。
モーセは神の霊を常時受けていたから、神の意向を正しく伝えることが出来たが、他の人には出来なかった。しかし。他の人にもそれが出来ることは望ましいということが、一時的な聖霊降臨という徴しによって示されていた。これは、来たるべき時には主の民全てに聖霊が下ることを象徴的に示したものである。しかも、来たるべき日に与えられる御霊は一時的なものではない。モーセの受けている神の霊に70人の長老も与り、さらにもう2名にも与えられたが、もっと多くの者に与えられる日が来ることの前触れであることがモーセ自身によって語られた。
ヨエルが全ての肉なる者にとの預言はそことで言われたことを示したものであり、五旬節に200名ばかりの人がみな聖霊を受けて外国の言葉を語ったという事件はその預言の成就であった。
モーセの上にある霊が70人の長老たちに、一時的に、象徴的に、限られた人だけに与えられたということは、やがて、限定なしに、象徴ではなく現実として与えられるということを暗示したものである。あの時、謂わば雛形をひととき見せるだけに留まったのは、モーセにはこれ以上のことをなす力がなかったからである。しかし、キリストが父なる神から御霊を受けて、これを全て信ずる者に分かちたもうときには、制限はないのである、ということを我々は十分読み取っている。
これが「終わり」と言われる事態の実質なのである。何千年あるいは何万年のスケジュールが決まっていて、あるいは書き込みの余白が残っていて、その終わりまで行けば、書き入れることもなくなって終わりになる、という捉え方は実質を殆ど持たない。人はまた数々の抱負を持っていて、あれもやりたい、これもやりたい、と若いうちは言っていたが、それが一つ一つなくなって、何も残らない状態になると、これが終わりだと諦める。
しかし、「終わり」とは、することがなくなったから終わるのではなく、初めであり終わりである方が「終わりである」と宣言なさることなのだ。何もなくなったと言うのは、人の考えの中にある終わりであるが、神の宣言される終わりは、一切の成就である。全ての人に神の霊が注がれることが終わりの実質である。
「そして、あなた方の息子・娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」。
息子と娘とは区別されない。モーセの時には長老だけが御霊に与った。だが今度は、若いからと言って低い地位に置かれ、若い者は黙っておれと言われることもなくなる。「若者は幻を見、老人は夢を見る」というが、夢と幻を区別する必要はない。すなわち、夢も幻も神がそれをもって御自身の意向を伝えたもう手段なのだ。預言と言っても同じである。
「男女の僕たちにも私の霊を注ぐ」と言われる。これは神が「私の僕」と呼びたもう人々のことであって、つまり信仰者のことである。ただし、「老人も若者も」と言われた先の言い方を受けて、奴隷の身分にある者も主人や王侯も無差別に、という意味を読み取っても支障はないであろう。
今でも、教会の中にさえ、差別があるではないか、という異論があるかと思う。このことについて釈明をすることは要らない。御霊のあるところ差別はないようにしなければならないのである。
19節、「また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地に徴しを、すなわち、血と火と立ちこめた煙とを見せるであろう」。これは旧約の言葉をかなり違った取り方をしている。ヨエル書に「煙の柱」すなわち「火の柱」と言われているところが「立ちこめる煙」と言われる。火の柱は出エジプトの民を神御自身が先導したもうたことを表わす徴しであった。立ちこめる煙は禍いを象徴するもののように受け取られる。だが、禍いということも重要である。
IIテモテ3章の初めに、「しかし、このことは知って置かねばならない。終わりの時には、苦難の時代が来る」と記されていることを思い起こさなければならない。これは使徒行伝の後の時代になって強調されたのでなく、イエス・キリストもマルコ伝13章などでしっかり教えておられたことである。
そして、その禍いの続きとして、「主の大いなる輝かしい日が来る前に、日は闇に、月は血に変わるであろう」と言われる。日中に太陽が消えて闇になるのである。月が血の色に不気味に変わる。禍いの徴しの典型である。
「その時、主の名を呼び求める者は皆救われる」。ヨエル書では文章がもう少し続くが、ペテロの説教はここで切っている。切り捨ててはならない重要な語句であるが、それは別に学べば良い。引用としてはこれで十分と思われたからであろう。すなわち、主の名を呼び求めるとは、心に信じ口で告白するということと、信仰によって救われることを重ねたのと同じである。主の名を呼び求めるとは、「イエス・キリストは主なり」と唱えることである。そのことが確かに五旬節に始まったのである。
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