2008.01.06.

 

使徒行伝講解説教 第109

 

――16:19-40によって――

 

 

 パウロとシラスはキリストから遣わされた使いであるが、神の支配が全く及んでいないかのように思われる境遇に置かれた。しかし、神の支配が全く及んでいないと見るのは正しくない。すぐ前の所で見たように、悪霊もパウロの叱責によって直ちに立ち去ったではないか。占いの霊に憑かれている奴隷女も、「この人たちは、いと高き神の僕である」と触れ廻っている。神の僕がここに来ているということの意味は何か。それは悪霊には解釈できていない。衝撃を受け、うろたえるだけである。さらに、ピリピで使徒たちが神の保護なしで、迫害のもとに置かれたのでもないことを容易に読み取ることが出来る。さらに、今日学ぶところで、使徒たちは投獄されるという惨憺たる目に遭うのであるが、獄の中で勝利を味わうのである。

 それにしても、神の僕たちがこの世の官憲によって逮捕され、裁判なしで鞭打たれ、投獄されている。地上の法律でさえ禁じている不当なことは、まして神の宜しとしておられない不正である。ということは、神の宜しとされないことの支配する所に、神の僕たちが送り込まれることが現実としてあるということだ。その現実を醒めた目で見ていなければならない。

 この事情を考察して見ると、奴隷である占い女を所有している主人が、奴隷から得る利益がなくなったことで憤り、二人を捕らえて役人に引き渡す。つまり、損害を与えられたと訴える。また、21節に書かれていることだが、使徒たちが「我々ローマ人が採用も実行もしてはならない風習を宣伝した」と訴える。それに群衆が同調する。使徒たちが異なる風習を持ち込んで社会を騒がせた、と言う。一見、彼らの慣例になっている秩序が掻き乱されたので、それを修復しようとしたように思われる。

 しかし、「我々ローマ人は」と言っているそのローマ人の間には、彼らの誇りとする法律があって、法律に従って事を処理しなければならないと定めていた。それをピリピの市民と官憲は無視して、あるいは忘れて、衝動的に振る舞っている。彼らのしているのは、利益を失ったことに対する腹いせに過ぎない。これに対しては、翌日になってから、パウロが37節で穏やかに言っているが、ローマ人である我々を裁判に掛けないで刑罰に処したことへの異議申し立てがなされる。

 裁判を開くとは、人間の利害・得失による判断をすることでなく、したがって復讐心による報復とは全く逆であって、失われた正義の回復である。そのような裁判においては、訴えられる人の言い分を良く聞く必要がある。一方的な告発によって断罪をしないということが裁判の要点である。パウロが裁判抜きで罰したのはいけない、と言ったのはそのことである。――これは、ピリピにおける伝道について我々が学ぶべき要点ではない。福音以前の問題だと言っても良い。しかし、福音以前の問題でも、福音の仕え人はこれを視野のうちに捉えていなければならない。神が旧約の律法において繰り返し公平な裁判を命じておられたことを忘れては、福音の宣教に支障がある。

 もう一つ、福音以前と呼ばれることに触れて置く。この町を現実に支配している権力は怠慢かつ杜撰な不正の勢力であって、正当な権力ではないから、それに当然反抗すべきではないのか。また使徒は先に見たように、悪霊の支配を打破する力を行使した僕であるから、このピリピの町で官憲の職務怠慢という悪も征伐して、神こそ統べ治めたもうことの証しを立てることが期待されるのではないか。

 そうではない。使徒たちには福音宣教の絶大な力が委ねられていたし、その力は「地上で解くことは天でも解き、地上で繋ぐことは天でも繋ぐ」ほどのものであるが、使徒にはこの地を統治する力が委ねられていたのではない。それとは全く別の力である。この地には長官がいて、それが権限を持っていた。

 この長官が正しい統治を行なっていなかったが、その誤りを正す力を使徒が主から受けていたのではない。このことについては先に少し触れたように、パウロは異議申し立てをした。これは大事なことである。39節にあるように、長官は誤りを認めて、自ら獄を訪れて謝罪しなければならない。だが、パウロたちはローマ市民の権利として異議申し立てをしたのであって、長官を監督する職権を持っていたというふうに理解しない方が良い。そして、当然の権利として、法律によって保護されねばならないと執拗に主張することはしなかった。鞭打たれて、打たれたまま耐え忍んで、賠償請求はしなかったのである。

 それでは、このような誤った処置を受けたことについては、その非を認めさせただけでとどめ、それ以上の追求をしない、ということが定義になるのか。――ここでは、これ以上のことは述べられていないから、考えなくて良い。

 見方によっては、ピリピ伝道は、殆ど実を結ばぬうちに市外に退去させられて、挫折に終わったではないか、と言われるが、敗北ではない。ピリピを退去する前に、投獄されたその夜のうちに、ピリピの獄吏の一家が洗礼を受けた。ピリピに教会が建てられたという記事はどこにも読むことは出来ないのであるが、パウロがそう長くない日の後にピリピに宛てての手紙を書いた時には、ここにはすでに、監督たち、執事たちのいる教会があった。監督たちと言うのは、ピリピ地区に監督を立てて指導されている群れが複数出来ているという意味である。だから、伝道は大躍進している。

 そこで、19節に戻って、もう少し細かく見て行こう。

 占いの霊が出て行ったことと、その奴隷の主人たちが怒りだしたことの間には幾らか時間が経過したと見なければならない。すなわち、占い女は憑き物が落ちて、占いの能力を失う。だから、占いの仕事が出来なくなる。この女のしていたことは、所謂民間宗教の宗教現象であるが、人々が占いの料金を払うことは経済的行為であって、奴隷の主人または他の奴隷が料金の管理をしていた。それほどの大がかりな占いの企業が営まれていたと考えた方が分かりやすい。利益がなくなったことは企業の主人にとっては大問題であった。だから、彼らはパウロたちを捕らえて、役人に引き渡すために広場に引きずって行った。そこまで一日とか半日あるいはそれ以上の時間が経っていた。

 したがって、その期間、伝道活動は進んでいた。人々は使徒によってどういうことが行なわれているかを見た。人々が理解したとは思われないが、関心は持った。そして観察されていた。それは20節に書かれていることであるが、「この人たちはユダヤ人であって、我々の町を掻き廻し、ローマ人が採用も、実行もしてはならない風習を宣伝している」と訴えたのである。

 ユダヤ教の活動については余り知られていないが、この民族に対する悪意はあったようである。ピリピにはまだシナゴーグがないから、ユダヤ人の存在は大きいとは言えない。また、当時のシナゴーグの活動では、異邦人への改宗の働きかけが積極的ではなかった。異邦人に対する伝道はキリスト教が始めたと言った方が適切である。

 パウロ、シラス、ルカ、テモテ、恐らくこの4人がチームを組んで、それぞれ精一杯の活動していた。だから、目立ったのである。この段階では初日に入信したルデヤとその家族だけが信者で、あとユダヤ人の婦人が幾らか求道者であったという程度であったと思うが、使徒の一行の熱心な活動によって目を開きつつあった人が何人かいたに違いない。占い女の感化を受けた人もいたのだから、この女性が悪霊から解放された事件でキリストの教えに心を惹かれた人はいたかも知れない。

 伝道活動が町の平安を乱すものであったと言われた事情については良く分からないが、好意的に見ていない人々がそのようにしか感じなかったことは、その通りであったと言うほかない。市民はマケドニヤ人と新しく来た入植民であろうが、もともとのローマ人は少なかったであろう。それだけに却って、ローマ人だという意識があって、ローマの風習を誇り、ローマ風の秩序を乱すユダヤ人よ、という目で見ていた。パウロとシラスがローマ市民であることは言っていないのだから、そうだと知らなかったのは無理もないが、自分たちはローマ市民であるとの意識が勝ちすぎていたようだ。

 パウロとシラスは長官たちの手に渡され、長官は取り調べもしないまま、法廷も開かず、彼らを公衆の面前で裸にして鞭打ち、獄屋に入れた。こういうことは奴隷身分の者にはするが、市民に対してしてはならない扱いである。

 なお、パウロとシラスがローマ市民権を持っているという主張には、ユダヤ人の中の少数の特権階級であることを誇る嫌らしさがあるのではないかと感じる人がいるかも知れない。すなわち、そんなことは黙っていて、市民権がなくて人権を無視されている人の仲間として忍従出来ないのか。その疑問は当然ではあるが、ここでは庶民に対して言っているのでなく、町の長官に対して窘めるために言ったのである。発言権のある者が、発言権のない人たちの分も主張した、と解釈したい。

 夜に入る。これからが大事な時である。獄屋に入れられた時から、二人は祈りかつ讃美を歌った。それが夜半にまで続いていた。これが彼らの活動であった。彼らは神讃美を続けた。彼らが囚われからの解放を願い続け、その熱意を神が遂に聞き上げたもうたと取って良いと思うが、むしろ、囚われたままで讃美を止めなかったことを先ず見なければならない。

 パウロは後年テモテへの第二の手紙の29節で、「この福音のために私は悪者のように苦しめられ、ついに鎖に繋がれるに至った。しかし、神の言葉は繋がれてはいない」と言った。この言葉は長い経験の中で悟ったと言うよりは、ピリピにおいてすでに体得していた事実である。

 この讃美を囚人たちが聞いていたということも重要である。恐らく、それは雑居房であった。他の囚人と分けて、別の部屋に入れられたということではない。投獄されたから伝道が出来なくなったというのではない。投獄されたから獄内にまで神の言葉を届けることが出来たということをここに見なければならない。御言葉は如何なる所にも鳴り響く。だから、獄中にまで届いて当然なのであるが、獄外から大音響で福音を中に送り込むのでなくて、語る者自身が獄中の人になることによって声が届くという意味こそが重要だと思う。

 囚人たちがそれを聞いてどうしたかは書かれていないから、彼らが獄中で御言葉を聞いて悔い改めたと考えなければならないとは言わない。しかし、囚人たちが地震によって解放されたが、一斉に逃亡することにならなかったと考えられる。すなわち、彼らは投獄されたことと、囚人として扱われる苦しみをなげいていたのであるが、ここに来たからこそ御言葉を聞くことが出来たのだと思い当たったのではないか。そう考えると、逃亡する気になれなかったのである。

 獄吏は囚人が皆逃げ出したため、責任を問われるから、いっそのこと自害しようとした。しかし、「死んではいけない」という声が響いた。これは「新しく生きよ」という呼び掛けに結び付くものとして我々にも響くのである。獄吏はこの呼び掛けに答えねばならない。

 「先生方、私は救われるために何をすべきでしょうか」。彼に対する伝道は、「信じなさい、信じなさい、洗礼を受けなさい」という説得や押しつけではなかった。渇いた者が水を吸い込むように、獄吏は救いの言葉を吸い込もうとしたのである。それが「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われる」と言う答えを呼び起こすのであった。

 「求めよ、そうすれば与えられる」と主は約束された。これは主が言われたから真実なのであって、何も持たない人に求めても得られない。もしくは騙し事を宛てがわれる。パウロたちは騙し事を与えたのでなく、キリストを伝えた。獄吏はそれを全く素直に受け入れた。

 獄吏はスグに家族を連れて来て、信ずることに決めたイエス・キリストのことを聞いた。ここでも、渇いた人が水を吸い入れるように受け入れたのである。

 これは受け入れる素直さの見本として見習うべきだと言う人があろう。しかし、単なる素直さ、単なる受け入れ易さ、あるいは信じ易さは命を得させるものではない。ここに聖霊の働きがあったからこそ信仰を受け入れたのである。


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