エルサレム教会で会議が招集されて、討論があった後、ペテロは発言して、みんながそれを認めて議論は収まった。そのように我々は理解する。そういう理解に対して、いや、13節以下にヤコブの発言があるので、ヤコブこそ最終決定を下す事実上の実力者であったのだと見る人がいる。ヤコブのことは暫く先で取り上げるが、ヤコブがペテロよりも権威を持っていたという解釈は受け入れ難い。
五旬節の前、また五旬節以後に見て来たように、ペテロは12使徒の筆頭であり、最古参、最年長者として弟子団を指導して来た。彼は主イエスと最も長い期間交わりを持ち、主の信任を頂いていた。主イエスが世を去られて後、12人が心を一つにして主の御旨を行なったのであるが、その全体の意見をペテロが纏めた。つまり、ペテロの指導はキリストご自身のご意向が何であるかを示すものであった。だから、会議の纏めとして言われたペテロの発言を、我々はキリストの言葉と同じ権威というのではないが、教会の意見を纏めた見解として聞くのである。
その纏めの初めの部分を前回見た。ペテロは自分は先ず選ばれて異邦人の召しのことに関与したと言った。「神は初めの頃に、諸君の中から私をお選びになった」。今回学ぶことになっているのはその続きである。新しいことが始まったというよりは、事態が進展しており、教会はその進展を認めて来たではないか、と言う。そして、事態の進展とは、単に信ずる者の数が増えることや、それが国際的な広がりを続けていることだけでなく、事の中心点としあるのは、聖霊が降るという出来事であると指摘する。そして、その聖霊の降臨が広がって来たのである。
8節から11節で学ぶのはこれある。「人の心をご存じである神は、聖霊を我々に賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対して証しをなし、また、その信仰によって彼らの心を潔め、我々と彼らとの間に何の分け隔てもなさらなかった。しかるに、諸君は何故、今我々の先祖も我々自身も、負いきれなかった軛をあの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのか。確かに、主イエスの恵みによって、我々は救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。
ペテロのこの演説は聞く者を五旬節の朝に何が起こったかに立ち返らせる。ユダヤ人だけでなく異邦人にも、福音を語らせる力が与えられたという福音の国際化に注目するだけではいけない。根本は聖霊が与えられたことである。それについては、「誰でも渇く者は、私の所に来て飲むが良い。私を信じる者は、聖書に書いて在る通り、その腹から活ける水が川となって流れ出るであろう」という主の言葉を解き明かして、ヨハネ伝7章39節で、「これはイエスを信じる人々が受けようとしている御霊を指して言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ降っていなかったのである」と記されることは重要である。
イエスを信じる者こそが御霊を受けるのである。そのことはイエス・キリストの死と復活によって信仰が確定的なものになり、その時に、信じる者が御霊を受けるという出来事が伴う。福音書に記述されている人の子イエスは、まだ栄光を受けておられず、彼を信じて随いて行く人たちも、まだ御霊を受けていない。キリストの死と復活と昇天の後に、五旬節当日、聖霊が降るという画期的なことが起こった。
聖霊を受ける人の輪がユダヤ人から異邦人へと広がって行くことは、勿論小さい出来事ではない。しかし、大事なのは、広がりではなく、イエスの御名による聖霊の授与が、約束でなく成就として始まることである。キリストの教えと力ある御業に信服して、彼の後に随いて行く人はすでにいた。その群れは或る意味でキリスト教会であると言って良い。しかし、本格的には、御霊が降って、命に満ちた教会となったのである。
五旬節の日に起こった重要事は、人が沢山集まったことでも、多数の人々が洗礼を受けたことでも、活発な活動が始まったことでもなく、約束の聖霊が下ったことである。これは主イエスもかねて語っておられたし、オリブ山から去って行こうとされた時にも、最後の言葉として告げたもうたことである。
さらに見なければならないのは、聖霊の降臨は、あの時だけの事で、そこからキリスト教会が行動を起こし、年々この日を思い起こして励まし合う、というものではないということである。聖霊の降臨はこの日から始まり、終わりまで、持続しているということである。聖霊が降ったというお話しが完結したと受け取ってはならない。
4章31節にも五旬節と同じような出来事が書かれていた。「彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」。五旬節の後に教会に加わる者が増加して行くが、彼らは先に御霊を受けた人々と一緒になって活動し、先の人に同化して行ったというのではなく、続く人たちには続く聖霊降臨があった。それは山火事が燃え広がって行くような現象ではなく、一人一人が新しい人間となって再生するという人格的な出来事として起こった。
8章17節では、サマリヤ人の上に聖霊が降ったことが記されていた。9章31節には、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地において、教会は聖霊に満たされて歩んだと書かれていた。信奉者の輪が大きくなって行ったという程度の捉え方では、一つの社会的な出来事を見ているだけのことである。
10章では、カイザリヤにおいて百卒長コルネリオを初めとする異邦人に、聖霊が降ったことが記された。画期的な現象ではあるが、事の本質は聖霊の降臨である。ペテロはヨッパからカイザリヤに伝道に出掛けたのであるが、ヨッパの教会員が何人か随いて行った。その人たちは異邦人に聖霊が降るのを見て驚いたのであるが、その事実を認め、10章47節にあるように、「この人たちが私たちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを授けるのを、誰が拒み得ようか」と神を讃美せずにはおられなかった。
聖霊降臨という形では書かれていないが、シリヤのアンテオケで始まった異邦人伝道は、バルナバとサウロを聖霊によって海外伝道に遣わした。そして、この伝道者の行く所では、御言葉が語られ、聖霊が降った。これらの出来事は、全て五旬節に始まった出来事の継続である。それは流行現象ではない。一種の流行に過ぎない現象に過ぎなくて、一時的に信仰が燃えたが、また冷えてしまった場合がある。しかし、信仰が生涯貫かれ、次の代にもその次の代にも受け継がれて行く。御言葉には命があるからである。
それらのことを振り返って、8節-9節でペテロは「人の心をご存じである神は、聖霊を我々に賜わったと同様に、彼らにも賜って、彼らに対して証しをなし、また、その信仰によって彼らの心を潔め、我々と彼らとの間に、何の分け隔てもなさらなかった」と言う。これは、信じて聖霊を受ける一人一人の間に、格差がないこと、連続していることの確認である。
違いがないことと関連して、先ず、「人の心を知りたもう神の業」ということが上げられる。言い換えるならば、神は偏り見たまわず、上べを見たまわない。その人が持つ資質も、先祖から教えられて守って来た生活様式も、家柄も、これまで積み上げて来た実績も、考慮に入れたまわない。
では、心がキレイであるか、あるいは汚れているかとか、心が気高いか、あるいは卑しいかというような判断をされたということか。そうでもない、清い心がしばらくの間に汚れた心になることがあることは我々にも分かっている。
では、神は人の心をどのように見たもうのか。それが今後どうなって行くかを予見しておられるということなのか。――そういう観察が出来るかも知れないが、今はそこまで立ち入らないで、単純に考えた方が良いであろう。つまり、その心を占めているのが、ご自身に対する絶対の信頼であるかどうかを知られたという意味であると捉えれば良いであろう。
先祖代々の宗教に養われて来たユダヤ人であれ、つい最近、神の言葉を聞き始めた異邦人であれ、心に神の言葉を受け入れたならば、神は分け隔てをされないで、聖霊を与えたもう。そして、聖霊が与えられたならば、そのことと結び付く徴しは、割礼とか、誓約とかいう儀式でなく、キリストの名によるバプテスマである。
ここまでで、ペテロの言うべき主要点はほぼ語り尽くされたと思う。残っているのは、これまでの救いの歴史の中心線を外れた誤りに対する叱責である。それが10節に書かれている。
「しかるに、諸君はなぜなぜ、今、我々の先祖も、我々自身も、負いきれなかった軛をあの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのか」。
ペテロはどの見解の人にとっても聞くべき言葉を語って来たが、ここでは一方の側に対してハッキリ譴責し、詰問する。ペテロ自身が攻撃に曝されていると見てよいであろう。
今般の論争と関連があると思われるやり取りが、エルサレムの教会の中で起こったことを思い起こす。それは11章に記されていたが、ペテロがカイザリヤ伝道の後エルサレムに帰った時、「割礼を重んじる者たち」が彼を咎めて「あなたは割礼のない人たちのところに行って、食事を共にしたということだが」と言った。
この時はペテロがキチンと説明したし、異邦人の上に御霊が降ったという事実の前に、この人たちは異議申し立てを止めて、むしろ、「それでは、神は、異邦人にも命に至る悔い改めをお与えになったのだ」と言って神を讃美するのみであった。この時はこの時で片付いたのであるが、ペテロを咎めたグループの人は、十分に事柄を理解していなかったため問題が再燃したと言うことも出来よう。
彼らは「割礼を重んじる人」と11章2節には書かれていた。これは15章の初めで、エルサレムからアンテオケに下って来たある人たちが「モーセの慣例に従って割礼を受けなければ救われない」と言って、異邦人の入信者を悩ませたことが書かれていたその人たちと同類である。そして、15章5節で「パリサイ派から信仰に入った人」と書かれている人たちと大体重なる。このグループと結び付きがあると思われるのが、ヤコブであるが、それは13節で触れる。
ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルベでパウロとバルナバの伝道を妨害したユダヤ人はユダヤ主義者であって、キリスト者ではないからエルサレム教会と関係していたとは考えられないが、傾向として似た所があることは否定出来ない。
ペテロは、「なぜ神を試みるのか」と強い調子で彼らを戒めている。初めから厳しい譴責を与えたのではないが、ことを曖昧にするのでなく、結論は厳しい。神を試みることは弁明の余地なく直ちに止めなければならない。
では、どうして神を試みることになるのか。それは、負いきれない軛を人々に、いや、人々にだけでなく自分自身にも負わせているからであると捉えられる。だが、負い切れない軛を負わせるとはどういうことであるか。
イエス・キリストは「全て重荷を負う者は私のもとに来い」といわれた。「私の負わせる重荷は負いやすい」とも言われた。それはご自身が解放者、救い主であられることを知らせておられることと同じである。
救われることを願う人は、救われるために何をなすべきかを追求する。それはユダヤ人でなくても精一杯真剣に道を求める人には共通する。ユダヤ人の場合律法を行えという先祖から守って来た神の命令がある。だから、律法を果たそうとするのは当然である。
ところが律法を行うことによって神の御旨に適う者になることが出来るか。簡単に出来たと思い込む人もいる。その人は満足し、得意になり、有頂天になって律法を完遂しない人を攻める。しかし、律法を行なうとは神が満足したもうほどに完璧に果たすことである。それが出来ているかいないかは、その人の良心が知っている。良心は決して善く出来たと言わないのに、自分を偽って自己満足するのである。
人は神に対して何かを果たすというのではない。神は恵みをもって救いたもう。人の心を知りたもう神の恵みに委ねるほかないのである。それはキリストによって明らかにされた救いの道である。それに従わないこと、それが神を試みることである。すなわち、これが出来るはずだ。出来なければ、神が悪いのだと、神に責任を帰し、神を試みることになる。こういうことは禁じられたのである。
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