五旬節の朝に起こった奇跡的な出来事について、我々の関心が向かうことは当然である。人々は物音に驚いて何が起こったかを知るために駆け集まった。そして、ガリラヤ人が外国の言葉で神の御業を語るのに触れて非常に驚いた。しかし、それに続いて使徒たちが語った説教がさほど重要でないと思うならば、その人の聖書理解はかなり貧しい状態に陥っていると言わねばならない。ペテロがここで11人と共に立ち上がって語ったのは、人々を驚かせた事件の内容そのものの説明である。この説明を聞いてこそ、驚きは信仰になる。もし、その説明を聞かなかったなら、驚きや感動はやがて薄れて、消えて行く。
五旬節の出来事による驚きは、確かに、一過性のものではなかった。この出来事は、嘗てあったけれども過ぎ去った、という類のものではない。これは最終的な事態であって、この出来事はこの五旬節に始まり、過ぎ行かないで、古いものと入れ替わった新しい事態として留まっているものである。五旬節の出来事をそのような出来事として、すなわち自分自身にとって今、現実となっていることとして捉えるか。そして、あの時に始まった新しい現実の中に自分は生きているのだと確認し、証ししているか。それとも、あの時大いなる出来事が起こったことは受け入れ、思い出として語り伝えることはするが、その出来事が今なお続いていると言われても、困ってしまうというようなことか。事実が続いていて欲しいけれども、確信になっていない、としか答えられないことなのか。――この開きは大きい。
その開きの大きさは、分からなくても良いのだ、そのうちに分かるようになる、と慰めてくれる人がいる。その慰めは善意のものであると思われるかも知れない。少なくとも本人は善意で語っているつもりである。しかし、気休めは慰めにはならない。信仰に入るためには越えなければならない一線がある。今日はどうしてもその線にぶつかり、それを何としても越えなければならない。
福音書に記されているイエス・キリストのお言葉、この大部分を、素晴らしい教えであると思わない人は先ずいないであろう。信じない人でも感銘を受けるほどである。感銘を受けて聞き続けているならば、その素晴らしさはいよいよ良く分かって来る。――こうなると、決断をして、イエス・キリストを私の主として受け入れ、この方について行くことと、確信はないけれども感動しまた尊敬して、彼について行くことの開きは余り分からないかも知れない。
ところが、福音書から使徒行伝に目を転じると、信じてキリストを私の主として受け入れることと、信じていないで、ただ、信仰に近い雰囲気を味わい、昔あった出来事を学んでいるというのとの違いの大きさを、見ないではおられなくなって来るのである。それだけに、信仰とは何か、信仰に入るために越えなければならない一線とは何かを熟考しなければならなくなる。
ペテロはこの日の説教を結ぶに当たって、40節に記された言葉であるが、「この曲がった時代から救われよ」と呼び掛けた。この時代と訣別しなければならない時が来ていると言う。そして、その日、仲間に加わった者が3000人ほどいたということである。3000人という人数に驚く人がいてもおかしくはない。イエス・キリストが5000人にパンをお分けになった奇跡をあげれば、この方がもっと規模として大きいかも知れない。だが、その時は信じた者が5000人いたというのではなかった。ひもじいから、主が差し出したもうたパンを一人残らず受け取った。信じた者だけがパンを受け取ることが出来る、と言われたのではない。しかし、五旬節には3000人が悔い改め、信じてバプテスマを受けたのである。
けれども、結局、人数に重点があると考えてはならない。人数はここでさほど大きい意味を持つとは思われない。もっとも、人数が多かったからこそ、この日起こったことが我々のような真理に疎い者にも分かるようになっているので、やはり人数の多いことには意味があったと認めるべきであろう。けれども、大事なことは、「この曲がった時代から救われよ」との呼び掛けと、それへの応答があったことである。今日も、「この曲がった時代から救われよ」との呼び掛けが聞かれる。そして、その呼び声に応じる人は少ない。では、人が少なければ意味はないのか。そんなことはない。極々少数であっても、悔い改める一人の者のために、天では御使いの大軍が喜ぶのである。
この日集まった人の中には、ナザレ人イエスの名を聞いたことのない人はいなかったらしいが、それ以上には何の知識もない人が殆どであったと思われる。その人たちが信仰の決断をし、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けた。イエス・キリストの名によってバプテスマを受けるとは、己れを捨て、己れに仕えることを止め、キリストに従って行くために己れの人生を転換させたこと、新しい人として生き始めたことである。
さて、14節から学んで行こう。「そこで、ペテロが11人の者とともに立ち上がり、声を上げて人々に語り掛けた」。
説教者が立ち上がることはユダヤの会堂では見られないことであった。説教者は座って、会衆が立ったのである。主イエスも座って説教された。ペテロたちが立ち上がった理由について、十分な説明にはならないが、彼らは異例のことが起こったと考えていたと理解して良いであろう。
ペテロが一人で一気に語ったことは確かである。しかし、11人が一緒に立ち上がったことを見落としてはならない。つまり、これはペテロをスポークスマンとして12人の一団が語ったということである。この11人の中には、つい先頃加えられたマッテヤも含まれていた。12という数については1章でも何度か注意を促されて来たことである。彼らは12という数の意味することがらの大事さを初めのうちは気付かず、しばらく経ってから知ったので、人数を揃え、この数が損なわれないようにした。
彼らが一緒に聖書研究をしていたということも、我々は読み取らずにおられなかった。ずば抜けて指導力を持つペテロがいて、他の使徒たちがついて行ったということではなかった。12人が同じ賜物を持っていたと見る必要はなく、賜物は異なるが主は一つであり、御霊は一つである、とIコリント12章にあるとおりである。多様性があっても一つの体であった。体の肢に優劣はない。
12人が一緒に立ち上がったのは、彼らが一致していたこと。一致して使徒の務めを開始したこと。したがって、彼らの間には優劣の格差や序列がなかったことを表わす。
この場所がエルサレムの神殿の一角であったらしいことは以前言ったが、どこであったかは確定的には言えない。それで、12使徒が立って、その前に3000人以上の会衆がいる場面を思い描くことは容易ではない。その人たちが洗礼を受けたのであるから、使徒12人で手分けをして洗礼を執行したのは当然であると思われるが、どういう具合であったかは、誰もが納得してくれるようには説明できない。だから、細部に立ち入って説明を求めることは省略しよう。大事なのは情景ではなく、ここで語られた言葉である。
「ユダヤの人たち、並びにエルサレムに住む全ての方々、どうか、この事を知っていただきたい。私の言うことに耳を傾けて頂きたい」。
ペテロは集まった人々に呼び掛ける。それは「ユダヤの人」と「エルサレムに住む人」への呼び掛けであった。ということはユダヤの田舎から祭りのために上京した人と、エルサレムに住んでいた人との二種類という意味であろうか。それはチョット違うのではないか。
場面の意味が違うのである。先に見たところでは、5節に「天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人が来て住んでいた」と言われた。世界中から来ていたようである。さらに、9節以下には、その人たちの出て来た地方が列挙されていた。ユダヤとエルサレムに住んでいた人もいるが、海外にいたユダヤ人もこの場面では重要であった。すなわち、それらの人たちは、世界の国々から来たので、使徒たちが御霊に満たされて語る言葉が、他国で通じる言葉であることを証言することが出来た。
ペテロが14節で語り出したのは、外国の言葉ではなかったと見るほかない。ユダヤの人々の言葉であった。4節に書かれた「他国の言葉」の続きではない。ペテロが今呼び掛けている相手は、この呼び掛けの言語の分かる人、ユダヤ人たちである。だが、11節に「ユダヤ人と改宗者」と書かれていたように、ユダヤ人でない人も或る程度いたと思われるが、その人はどうか。14節以下では改宗者がいたらしいことが読み取れないではないか、と言われるのである。
しかし、混乱を起こすことはないであろう。ディアスポラのユダヤ人、さらには異邦人からの改宗者がいたという事実は、五旬節の出来事が将来に向けて開かれていることを示したものであった。キリスト教は世界宗教になっている。ところが、ペテロのこの日の説教はユダヤ人に向けて語られたものという意味を持っている。すなわち、ユダヤ人はキリストの来るのを待つ民であった。実際、ユダヤの信仰を真に守る者は、ユダヤ人キリスト者となり、その人たちはいつまでもユダヤ人であることを守り続ける必要はなくなった。彼らは神の約束のもとにあるという点では先祖の信仰を受け継ぐのであるが、それ以外の点ではユダヤ人というよりは世界市民になった。その激動の時代が使徒行伝の時代である。
そのように状況が変わって行くのであるが、先ず、約束があって、それが成就したということの確認から始めなければならない。だから、世界に開かれた目を一時閉じて、彼らはユダヤ人に返って、約束の成就の確認をしなければならない。――それでは、改宗者のことはどうなるのか。改宗者が消え失せたのではない。彼らはユダヤ人の一員としてそこにいた。
改宗した異邦人は、旧約の歴史の中で決して珍しいものではなかったことを思い出して置こう。例えば、モアブの女ルツはユダ族の男に嫁し、夫の死後、姑とともにベツレヘムに帰り、ダビデの先祖になった。彼らは律法を守る民になっている。旧約の時代には、異邦人はまずユダヤの民に加えられなければならなかった。具体的に言うならば、先ず割礼の民の中に加えられた。このことは15章で明らかになるが、五旬節以後にはなくなったのである。
「どうか、この事を知って頂きたい」。「この事」とは何か。一言で言えば約束が成就していることである。約束の時代は終わって、終わりの時が来たのである。
「今は朝の9時であるから、この人たちは、あなた方が思っているように、酒に酔っているのではない。そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに他ならないのである」。
朝の9時は祈りの時であったと我々は理解して置きたい。必ずしも朝の祈りが守られたわけではないという説があるから、この説は譲らなければならないかも知れないが、酒に酔うというようなことが起こるはずのない時間である。
「これは預言者ヨエルが預言していたことに他ならない」。酒に酔って、本人もわからぬ言葉を語ったということではなく、預言が成就したのである。
「あなた方は間もなく聖霊によってバプテスマを授けられるであろう」とイエス・キリストは1章5節で予告された。その予告を彼らは信じたが、具体的には何時、どういうふうに実現するかを予想し得なかった。
では、五旬節の朝、大音響とともに驚くべき出来事が起こった時、これこそが主の約束されたこと、聖霊のバプテスマだと直感したのか。そう取っている人が多いし、それでも良いが、もう一つのことを見なければならない。すなわち、これまでには、預言者ヨエルの預言ということは主イエスからもハッキリした形では教えられていなかったのである。この日、ペテロが一同を代表して、これは預言者ヨエルの言葉の成就だと断言した時、使徒たちの間にはこのことについての合意がすでにおおよそ出来ていたに違いない。
どういうふうに彼らが合意していたかと問われると、説明に窮するのであるが、五旬節に先立つある日、あるいは数日に亘って学びが深められていたのではないかと推測されるのだが、ヨエル書の共同研究が行なわれていた。主が先に予告したもうたのは、ヨエルの言うこのことではないか、と使徒たちは論じ合った。それが何日に起こるかということまでは論じなかった。その時が何時であるかを読み取るのは自分たちの分を越えていると思ったからであろう。
それでも、彼らはヨエル書に書かれていることを、言葉として受け入れただけでなく、その事が起こった時のイメージを捉えた。それが、今し方起こった出来事と符合したのである。
では、使徒たちがどういうイメージを描いたのか、と問われると、その説明もまた難しいのであるが、最も大事なところは「終わりの時」という言葉であったと我々は確信をもって主張する。だから、彼らは「終わりの時が始まった」と確認した。
終わりの時が来たのではないかという予感を彼らが持ったことは、1章6節の「主よこの時なのですか」との質問に滲み出ているように思う。約束のメシヤが来られ、そのメシヤが受くべき苦難を全うし、栄光を得て、復活によって栄光を輝かしたもうた。だから、時は満ちたはずであると彼らは考えた。ただし、これは確信ではない。推理である。主は推理でものを言うことを却け、聖霊の下るのを待てと言われた。今度こそ、終わりが来たことの確認が出来た。
ここはもう少し丁寧に論じなければ、使徒たちがヤミクモに預言の言葉と実際に起こった事を結び付けたと取られるかもしれない。彼らは決して出鱈目に預言の成就を論じたのではない。彼らの聖書研究は場当たりの思い付きを当てはめることではなく、主が3年に亘って教えておられた原理によっている。例えば、ルカ伝の復活の記事にあるが、24章26節に「キリストは必ず、これらの苦しみを受けて、その栄光に入るはずではなかったか」と言われたのは原理の一つである。それらの原理は共同の聖書研究によっていよいよハッキリして来るのであった。これらの原理が使徒たちの宣教の骨子になっていることを使徒行伝で学ぶ機会が何度も来るであろう。
ペテロのこの時の説教は整った骨子を備えている。それについては17節以下を学ぶ時にさらに詳しく触れることが出来ると思う。こういう骨子がかつて主イエスから教えられ、一度は殆ど忘れ去られたが、復活の後に学び直され、使徒的宣教の大枠がほぼ出来上がったのである。
これは使徒たちが主の去って行かれた後で構想を練った思想と言うべきではない。また、伝道の経験を積んで、教理の体系を作ったと考えるべきでもない。すでに主が教えておられ、使徒たちは十分悟ることが出来ず、確信をもって捉えることもなかったものであるが、聖書研究を重ねる間に、だんだん見えて来たし、固まり、纏まって来たものである。それが聖霊を受けて一挙に纏まったのである。
五旬節がキリスト教の伝道の始まりであったと言われる。それは偽りではない。ルカ伝24章47節には、「その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、諸々の国民に宣べ伝えられる」と記されるが、そのようにエルサレムが初めであることは確かである。しかし、エルサレムからの始まりだけを見ていては、「この終わりの時」と言われていることが目に入らなくなるであろう。我々は終わりが始まったということを今学んでいる。そして、その終わりの時の中に生きるのである。
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