中山昌樹訳・カルヴィン「基督教綱要」にかじりついていた日々のこと  


渡 辺 信 夫 

 
 キリスト教文書センターが出している「本のひろば」という雑誌があります。それの8月号の「出会い・本・人」のページに書いた文章を送ります。遺書のつもりで書いたものではありませんが、8月を迎えると、暑さの中で57年前の敗戦のことを思い起こします。その日を迎えるために書いた文章ではないかと自分にも思われて来るので、8・15の挨拶としてお読み下されば幸いです。なお、今年の8・15に私は世界カルヴァン学会出席のためにアメリカに行っています。

 あの頃、若者は自分の人生が程なく終わると予感していた。日本は敗北につぐ敗北、前線の補充要員としての学徒の出陣が近い。その状況に甘んじて受苦し、異議申し立てをしない意気地なさ、生き延びるよりも死を観念してしまう思索の短絡を、後世から厳しく指弾されるだろう。ともかく、彼らは残された日の間に、生きるに値する生を生きたかどうかを確かめたくて懸命に読書した。私もその一人であった。
 教会は答えてくれない。死ぬ前に己れの信仰を得心の行くものにしたくて神学書を読み漁っていた私は、ついにカルヴァンの「基督教綱要」に取りつく。一九四三年五月から半年かけて一心に読んだ。読み終えて、身に付いた理解は余りなかった。消化不良である。文字を追うだけで、書物の「こころ」を読み取れなかった。せき立てられる気持ちで無理な早読みをしたからである。もう一度読めばわかると思ったが、入隊の日が迫る。「もし生きて帰れたら――と私は思った――もう一度読もう」。
 一年後、いよいよ前線に赴く準備の帰郷。士官だから書物の持ち込みは自由で、綱要を持って行くことも考えて見たが、みすみす海に沈めるには忍びない。それに、環境の整わない所で実りなき読書を自らに課する無駄を悟っていたから、他の本を選んで鞄に詰めた。
 八ヶ月して無条件降伏。乗っていた海防鑑は他の生き残った小艦艇と一纏めにドックに詰め込まれ、引き渡しの準備を終えて、私は海軍を去った。体はボロボロ。まさに「尾羽打ち枯らした」心境で復員したが、胸中は空白でなかった。「綱要を読む」という課題が、闇の中の小さい蝋燭のように灯っていた。
 最初の綱要通読が失敗に終わったのは全く私の条件不備による。だが、この失敗をいま感謝をもって思い返す。わからなかったからこそ再度アタック出来たのだ。自らの貧しさを思い知らされたから、読む力を鍛えた。勿論、初見で引き込まれ、そのまま繰り返し読みを深めることになれば申し分ない。しかし、わからなかったことはそれに劣らぬ意義をもつ摂理である。むしろ、わからないからこそ読み直すのが凡人の読書道ではないか。
 思い返せば、あの時わからなかったから事件にならなかったが、もし私にわかったら、最後の章の最後の節の内容だけでも治安維持法違反になったし、教会のあの沈黙の中で憤死したのではないか。
 では、今はどうなのか………。




  

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