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愛媛県の旧記事
私は2005年から主に四国内の鉱山跡を訪ねています。2017年12月22日までの記事です。地元の方と知り合えたり、新しい発見があったりでとても充実しています。一緒に行きたい方はメールして下さい。
お問い合わせは、 fe26-co27-ni28-cu29-zn30@ymail.plala.or.jp (事務局)までどうぞ!



2017年12月22日(金) 記事NO.94
佐々連のキースラーガーを磨いてみた M53
川底から見つけた褐色のキースラーガーをどうしようか悩みました。そのままでも迫力満点ですが、やっぱりキラキラ光る面が見たいもの。そこで、一部を切断してその表面だけを磨きました。すると、厚さ10cmの鉱脈が現れてその下に磁鉄鉱を含む緑色片岩が見られました。日光に当てるとキラキラエフェクトが半端ないです。狙い以上の良品でした。
それにしてもかなり緻密で重量がある標本です。まだ3つくらいは同じ程度の短冊が得られるでしょう。しかし、これ以上に分けてしまうとインパクトがなくなるので止めました。内部はまったく錆びておらず、良き拾いものだったと思います。今後もまた周辺の谷川やズリを探してみることにします。
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30cmの大型標本
2019年ミネラルズ展示標本



2017年12月16日(土) 記事NO.93の1
赤石の山頂の石 その1 M51
赤石クロム鉱山のある赤石山系は関川の源でもあり、様々な鉱物を包含する山体です。山頂部はごつごつした岩山で足下が悪く、危険な箇所を何とか乗り越えて尾根伝いに歩きます。銅山川から登る場合は標高差1,100mの急斜面を進むことになり、少なくとも片道4時間かかります。自身の体力を考えてその難易度の高さゆえに敬遠してきました。
山頂部の岩体はエクロジャイトの塊です。緑色の母岩に赤色の円い粒子が映えてとてもきれいです。八巻山から権現山までのルートには、様々な種類のエクロジャイトが見られるそうです。私はそこまで登れないので、下流の瀬場や床鍋、保土野などの谷川で採取してきました。しかし、今回は石仲間のK様が山頂に登り石を持ち帰ってくれました。感謝感激です!
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東赤石山と権現山のエクロ

2017年12月16日(土) 記事NO.93の2
赤石の山頂の石 その2 M52
K様から山頂の画像を見せてもらいました。すると、まったく予想もしなかった光景が見られました。・・・足下が一面に紫色なのです。関川なら足下には柘榴石がごろごろしています。香川の金山鉱山なら長石が風化した真砂土だし、高知の幡多なら砂鉄の黒い層が至る所に見られます。しかし、この産地ではクロムを含む緑泥岩すなわち菫泥石(きんでいせき)の露頭があったのです。
実物を見せてもらいました。本当にきれいな紫色で、緑色のクロム透輝石を含んでいます。どこやらの業者がネット販売している石にそっくりでした。慣用名の愛媛閃石を探しに来て、ついでにこれらをとっていったようです。おかげで謎が1つ解けました。感謝感激です。
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黒い粒子はクロム鉄鉱



2017年12月02日(土) 記事NO.92の1
佐々連の黄鉄鉱 その1
あわ~ストーンの若い友人が行って来て、関川で知り合った新宮のご婦人から是非行った方が良いと言われたので、そこへ行って来ました。法皇トンネルをくぐってダム湖まで下り、赤い橋を左折して集落まで移動したら、川に沿って登ると巨大なダムが見えます。廃棄した石などを捨ててあるロックフィルダムです。鉱山の敷地内に入らずその下流で石を探しました。
誰かが歩いた跡をそのまま辿ると川原に降り立てます。伊予石という緑色片岩が多く、川原全体がくすんだ緑色に見えます。まずはカニ採りの熊みたいに、手前の大きめの石を豪快にひっくり返しました。・・・何も目立つ鉱物はありません。次々に石をめくって見ました。やっぱりありません。重い物は底に溜まるという格言を元に、探す位置をいろいろと変えてみました。
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川幅はそうそう広くない

2017年12月02日(土) 記事NO.92の2
佐々連の黄鉄鉱 その2 M50
同行していたK様が何か見つけました。丸い玉になった黄銅鉱でした(砂金の大粒か・・・と思ったのはナイショです。)。その後も金色が次々見つかりましたが、全てフールズゴールドばかりでした。
キースラーガーや黄鉄鉱を積み上げてみました。まずまずの重量で品位は数%くらいでしょう。緑色片岩中に結晶が散らばっている物ばかりでなく、鉱脈となって走っている物もありました。両方の産状パターンを1個ずつ採取しました。帰る時刻が差し迫ってきたとき、少し下流で大きめの母岩付きキースラーガーが見つかりました。品位もかなり高そうです。表面はすっかり赤茶けていますが、含同硫化鉄鉱の重量感は十分です。これは持ち帰って切断してみます。見学もできたので成果はまずまずでした。
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曹長石や苦灰石、チタン石など



2017年11月16日(木) 記事NO.91
崖の上のテンプル
紅葉を求めて3ケタナンバーの国道や2ケタの県道を往来しました。最近はちょっと写真にも凝り出したので、きれいな風景を見ると車を停めてしばらく見ています。旧い型のカメラしかなく撮影に苦労します。中古でも良いからそれなりの性能を持ったデジカメが欲しいです。
山中はどこへ行っても赤や黄色の織りなす錦で、とてもきれいです。日頃は石採りや鉱山跡巡りで下ばかり見ていますが、たまには上を見るのも良いものでした。ついでに栗とか柿とかエビヅルとか、腹に溜まる実入りの良い物ならもっとベターです。そう言えば今年のマツタケは豊作でした。土瓶蒸しや茶碗蒸しが美味かったです。
帰りに地元の野菜を買いました。今夜はもみじ鍋です。
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1日2便しかバスが通らない



2017年11月15日(水) 記事NO.90
新宮村の秋
山城町から伊予川(銅山川)を遡りました。土讃線の橋梁下をくぐり抜け、ラフティングや温泉の前をすり抜けて西へ西へと進みます。山城中学校に続く橋の構造を見学し、大月や瀬貝の淵を観察しながら面白い物はないか探していきます。道が急に狭くなり対向するのも困難になってきます。するとようやく県境の標識が見えるのです。
砂金取りはここからです。川を見るとあちこちに岩盤が露出しており、その割れ目の中に砂金が溜まっています。この川は四国有数の砂金を産出する地帯なのです。通常は1ミリにも満たない粉のような糠金(ぬかきん)ばかりですが、たまに数ミリの中粒や大粒が出たり、10g以上の重量を持つ金塊が見つかります。
これらの砂金は、金としての価値より標本としての価値が高いのは言うまでもありません。しかし、そうだからと言って金以外の標本に価値がないとか低いとかのような言動や行動は慎むべきだと思います。私にとってどの標本も価値ある大切な物だからです。
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紅葉に包まれた金藤橋

砂金のシーズンはこれから

皆さん頑張りましょう!



2017年09月03日(日) 記事NO.89の1
加茂川の岩石 その1
愛媛県の河川のうち、鉱物採集に向いている川の1つを遡りました。道幅が狭いので車をガードレールギリギリに停め、そこからリュックを背負って川を渡ります。最近ちょっと増水しているので、足元が濡れるのは想定内です。滑りやすいのでそこだけは注意します。
階段を降りて行くと早速巨岩のお出迎えです。こんな大きな岩がどうやって山の上から動いてきたのか、考えるだけでもすごい話です。かつては、そうした岩からルチルの大型結晶やエクロジャイトっぽい柘榴石などをはぎ取りました。
今日は自転車で来られている年配の方がいないようです。地元の方によれば最近は全く姿を見ていないとのこと。もう引退されたのでしょうか。
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分岐点から川をさかのぼっていく

2017年09月03日(日) 記事NO.89の2
加茂川の岩石 その2
川の中ほどにある飛び石を越えて対岸に渡りました。大きな岩ばかりでなくその陰に隠れている小石や、川中のそれらしき石をたんねんに見ていきました。そのときの注意点として必ず焦点を合わせるのが大事です。なかなか石が見つからないという人は、はやる気持ちに負けて目に入る石をきちんと見ていない場合が多いです。100個の石をじっくり見て、1個見つかれば良しとしましょう。ボウズのときは仕方ないです。
アユが遡上していました。川の水温が高いので支流の方に逃げてきたようです。その横でキラッと光ったのはアンチモンでしょうか?それとも月並みに水晶かな?大きな結晶は見られませんが、そこそこの物なら今もあります。体力があるうちは続けようと思います。
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岩で滑って片足が濡れた・・・

2017年09月03日(日) 記事NO.89の3
加茂川の岩石 その3 M49
・・・というわけで、今回のお持ち帰りは次のとおりでした。
銀色の輝安鉱の塊り、同じく柱状結晶、米水晶、鉄石英、黄安華、金紅石、柘榴石、かんらん石、蛇紋岩、紅簾石結晶、透緑閃石、チタン石結晶、そしてマル秘の鉱物です。
マル秘の次に良かったのがアクチノライトでした。この鉱物は関川や銅山川の方が多いのですが、ここでも少なからず見つかります。黄緑~青緑の柱状結晶で、鉄分を含むと黒くなったり黄色くなったりします。成分が異なると紫や白色になることもあります。今回の採集品は結晶が太くてしっかりと延びている物でした。すでに数はいくつかありますが、これほどの物は持っていなかったので拾い上げました。
なお、画像の物ではありませんが、加茂川のアクチノライトが欲しい方は差し上げるのでメールしてください。
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産地情報は氏名住所TELが必須



2017年08月12日(土) 記事NO.88
キースラーガーを磨きました! M48
千町鉱山のキースラーガーは変わっています。他の鉱山では銀色の硫化鉄鉱が主ですが、ここは黒い磁鉄鉱中に硫化鉄鉱の鉱脈が走るというものです。黒地に銀色が映えるので上手く割れれば儲けものです。
さて、この鉱石をカッターで切ることにしました。直径20cmの丸い刃で鉱石に触れると、「キュイーン、カクッ」という感じで刃が止まってしまいました。全体がほぼ四酸化三鉄なので、刃が金属にくっついて離れにくくなったようです。結局、1個目は失敗、2個目は何とか切れたが鉱脈がない、3個目でまずまずの物が得られました。
断層にあるキースラーガーはその面が擦れてツルツルになることがあります。この鉱石を鏡肌(かがみはだ)と言います。自然に磨かれた逸品です。探してみてください。
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照りのある硫化鉄の鉱脈



2017年07月24日(月) 記事NO.87
ザクロの入ったかんらん石 M47
関川ではありふれた鉱物である柘榴石。しかし、どのような母岩に含まれているか、どのような鉱物を伴っているか、どのような産状かでレア度が異なります。ある程度は地元で経験しないと難しいですが、関心を持って採集しているとだんだんわかってきます。
同じくありふれた鉱物であるかんらん石。それに柘榴石を伴うタイプはかなり珍しいとされています。クロム鉄鉱の黒い細粒や繊維状の石綿みたいな物が多く、紫や藤色の菫泥石(クロムを含む緑泥石)や蛇紋岩に近いタイプなどがあります。採集するにも見た目の好みがあるので何とも言えませんが、やはり珍しいタイプの石は好かれるようです。
当日の成果はそれ1つだけでしたが満足しています。
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白い脈の部分に柘榴石がある



2017年07月23日(日) 記事NO.86
柘榴石を含む点紋曹長石角閃石片岩 M46
長いタイトルになりました。関川でよく見られる岩石・鉱物として、柘榴石・角閃石・曹長石・かんらん石などが挙げられます。そのうち、角閃石片岩中に柘榴石だけまたは曹長石だけを含む石はよく見つかります。ところが、柘榴石と曹長石を同時に含む石となるとかなり少ないです。経験則から言えば、柘榴石だけに狙いを絞って探したとして100個に1個くらいでしょうか。でも一般的に、ここにやって来て柘榴石だけを探すことはなく結局は様々な鉱物を探すので、300個くらい拾ってみて1個あるかなってところです。一方で、もっとレアな組み合わせとしてかんらん石に柘榴石が含まれている石があります。先日やっとそれを見つけることができました。探すにしても先に本物を見ておかないとわからないですね。 イメージ

白い曹長石と赤い柘榴石



2017年07月16日(日) 記事NO.85
朝靄にかすむ四国山地
暑苦しくて眠れず、ついに根を上げて起きてしまいました。時刻は午前2時半です。草木も眠る丑三つ時は幽霊が活動しやすい時間帯です(笑)。でも生きている私も活動を始めました。思い立ったら吉日で、簡単な荷物を用意して車を出しました。行き先は愛媛県某所。目的は石採りです。
通い慣れたとはいえ、今でもまた新しい発見がある場所です。レアな鉱物やまだ所有していない鉱物も魅力的だが、私が狙うのは同じ鉱物の様々なバリエーションです。ネットの画像や図鑑・写真集にもなく、誰も予想し得なかった石を見つけたいです。すでにいくつか発見して公開している物もあります。思いも寄らない物を見つけるのが、私にとって石採りの醍醐味なのです。皆さんもいかがですか?
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まだちょっと薄暗い川原



2017年07月10日(月) 記事NO.84
夏休みの宿題が近づく M45
関川へ行って来ました。夏が近づいて草がかなり伸びています。また湿気が多くて汗が吹き出ても乾きません。石採りにはあまり向かない季節がやってこようとしています。
さて、柘榴石を探しました。以前はすぐに大量に見つかっていたのですが、多くの人が来るようになってすっかり減ってきました。それでも庭石に向いている大きな岩はたくさん残っています。減っているのは手で握れるお手頃サイズの石です。これらを標本箱に入れるにはハンマーで割って整形しなければなりません。手間が1つ増えました。
今年の夏休みの宿題は何でしょうか?親が考えるのはおかしいですが、子どもと楽しみながら何かできればうれしいです。レパートリーは豊富にあるので、ちょっとしたアドバイスならメールにて
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ちょっとレアな黄色い柘榴石



2017年07月03日(月) 記事NO.83
加工された柘榴石 M44
先日、関川の川原でツルツルの石を拾いました。黒い角閃石の母岩に赤色の粒子が見られる物です。違和感ありまくりで、底面を平らに削ってから全体を磨いていました。つまり誰かが作った加工品ということです。
発見場所は浦山川との合流点で、最も多くの人が訪れるポイントです。広い川原を散策して石を拾って車のところまで持ってきます。そこでふるいにかけて良い物は持ち帰り、そうでない物は捨てていきます。そうした人工のズリ(?)ができていたりするのです。自分より目利きの人たちが一度は拾った石ですから、私たちのような者にとって宝の山です。石が積み重なった小山をじっくり調べてみるのも面白いです。
これに見覚えのある方、もったいないので拾わせていただきました。机上でウェイトとして使わせてもらいます。よろしければ何か御礼に差し上げます。
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とても丁寧に磨かれていた



2017年06月09日(金) 記事NO.82
加茂川の輝安鉱 M43
市ノ川谷から流れてくる丸野川は加茂川に合流します。その合流点から本流を見ると、西岸の川底に石が堆積してまるでズリのようです。足下が濡れるのも構わず渡河して中州に上がったり、突き出ている石の表面を丹念に見るのです。
アンチモンが含まれている石にはいくつか特徴があります。私はまだまだ素人に毛が生えたくらいですが、ある程度はわかります。そういった石を割っていくと輝安鉱の柱状結晶が見つかるのです。
今回もそうやって小一時間歩いて見つけました。他にもスレた水晶や関川とは異なる柘榴石、透緑閃石や磁鉄鉱などが見つかりました。かなり少なくなりましたが、それでもまだ私たちを楽しませてくれます。
これを欲しい人はメールにて。
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米水晶を伴う銀白色の輝安鉱



2017年05月28日(日) 記事NO.81の1
古き銅山を訪ねて その1
もう何度目になるでしょうか?またまた銅山川に行って来ました。伊予川の別名がある延長55kmの河川で、その流域に別子銅山の余慶・筏津・積善鉱床があります。昭和46年を最後に閉山しましたが、銅が枯渇した訳ではなく採算が取れなくなったからです。また、かなり大きいズリがいくつか残っており、その一部が川に落ち込んでいます。そのためか、丸くなったキースラーガーやスラグ「銅山石」が拾えるのです。
三島川之江ICで降りて、法皇トンネルを抜ければ1時間くらいで到着します。途中に展望台や金砂湖などの名所もあり、お手軽なドライブ気分で走りました。赤い橋を越えれば信号がありません。スピードの出し過ぎに注意しましょう。
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ズリのすぐ下流の川原

2017年05月28日(日) 記事NO.81の2
古き銅山を訪ねて その2
川沿いに走ること50分。ようやく上流部に入りました。ここからは支流を覗いたり本流に降りたりしながら、採集できそうなポイントを探します。まず、筏津山荘があった広場周辺を見ました。
このような記事を書くものだからここも広く知れ渡るようになり、大勢の人が押し寄せているようです。今日も年配のハイカーらしき人や県外から来たというご夫婦、どこかの学校の集団がいました。両手を見ればキースラーガーを抱えています。ここへ来た記念に拾ったのでしょう。あるいは研究用や教材に用いるのかもしれません。
誰かが独占して販売したりするのではなく、誰でもそれを拾って楽しめるようになることが大事だと思います。
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銅山稼働時古いの橋桁

2017年05月28日(日) 記事NO.81の3
古き銅山を訪ねて その3 M42
情報公開は諸刃の剣です。同じ情報を不特定多数に公開する訳ですから、いかがわしい連中を呼び込むことにもなります。実際に信用していた人物に幻の鉱山跡を教えてしまったため、産地が荒らされてしまいました。以前から私を知っている人にはおわかりかと思いますが、私が産地を教える人を制限するようになったのはこのときからです。
石採りを楽しみたい人も潜在的にたくさんいて、夏休み前になると毎年数件は採集会の依頼が来ます。時間があれば場所を案内しています。独占する気はないので、そうした人向けに公開を続けたいと思います。ただし、お名前・自宅住所・TEL・理由を明確にお知らせください。なお、これらの情報は私だけが管理して余人には見せません。万一のとき責任の所在をはっきりさせるのと、私を信用して下さるかどうかの試金石です。
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今のところ破壊を免れている
割れば器物損壊となる石碑



2017年02月28日(日) 記事NO.80
磨いたエクロジャイト M41’
早速ですが、エクロジャイトを切断して馴染みの石屋さんで磨いてもらいました。2個のうちどちらを切ろうか迷いましたが、上手くいけば画像のようにバタフライが羽根を広げたように見えるので、こちらにしました。
外観が良くても石の中身までは切るまでわかりません。毎回のるかそるかのギャンブルです。今回はまあまあでした。オンファス輝石が少なく、柘榴石の赤い部分が大半を占めていました。粒も小さくて見栄えはしません。でも、ご覧のように2つ並べると面白いので、そこはプラスです。
まだ庭先にいくつか切断したい標本が転がっています。費用がかかるので一度には無理ですが、少しずつ磨いていって面白い標本を作っていきたいと思います。なお、これは間もなく県内某所にて公開されます。
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親指を立てているようにも見える
2019年ミネラルズ展示標本



2017年02月27日(月) 記事NO.79
関川のエクロジャイト M41
見慣れたはずの石でもちょっとしたことでわからなくなる。そういった経験のある人も多いでしょう。例えば、最近まで流水に浸かっていたのに川が干上がって現れた石には、表面に白っぽい泥とか石こうなどが付着して、見た目は全くタダの石になっているものがあります。
関川のエクロジャイトは上流の東赤石山から流れてきた石がほとんどですが、先のように白くなってしまうと見分けが付かなくなります。割った後の新鮮な面ばかり覚えていると、汚れたり風化したらわからないです。
川原でお会いしたK様のおかげで、ようやく2個の石を拾えました。後日、片方は切断して面を磨いて見やすくしようと思います。他にもマンガン方解石や二酸化マンガン鉱もありました。
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全体的に赤い母岩



2016年09月25日(日) 記事NO.78
500円玉大の白雲母 M40
鉱物探しに行けばどこにでも見られる物の1つが「白雲母」です。特にキースラーガーやざくろ石などの産地ではよく目にします。細かいペラペラの薄い結晶がキラキラして、目に付きやすいので思わず拾ってしまいます。しかし、他に大した物は含まれていないので邪魔者扱いされることもあるのです。
一方で、これのまともな標本を持っている人は意外と少ないかもしれません。ありふれた物であるがゆえに、これを目的で探す人がいないからです。魅力的な標本とは、①結晶が大きいこと、②見た目の形状が美しいこと、③共に産する鉱物があることなどです。このうち②と③はクリアーできましたが、①がなかなかでした。ようやく別子山ふるさと館に展示されている石と同等の物が見つかりました。うれしかったです。
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はがれずに残っていた結晶



2016年09月24日(土) 記事NO.77
市ノ川の輝安鉱 M39
全国的に有名になった市ノ川鉱山ですが、ほんの10年くらい前までは訪れる人も少なく地元の団体の草刈り場でした。それが、輝安鉱に付着した新鉱物の発見や産業遺産の見直しなどで脚光を浴び、水晶の割れ目に走る結晶の美しさに見ほれて、多くの人がやってくるようになりました。
普段は閑散とした集落が点在するだけですが、休日にもなると県外ナンバーが目に付き、川原で石をひっくり返している人を見かけます。賑やかになることはたまには良いかもしれません。しかし、地元の方の生活を乱すような行為は慎まねばなりません。無理な行動は差し控えています。
数打ちゃ当たる方式で、何度も現地を訪ねるとそれなりの成果があります。小さいけれど柱状の結晶や輝安鉱の塊が見つかりました。うれしかったです。また、アンチモンを含む他の鉱物も見つかりました。こちらは運任せです。
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輝安鉱の結晶が多数走る母岩
これは2010年採集品



2016年09月18日(日) 記事NO.76
稲干しに秋の気配
思い立ったら吉日という訳で、急に予定を立ててあちこちに出没しています(笑)。朝たまたま早く起きられたから、今日は天気が良さそうだから、車にガソリンが満タンだから・・・、など理由は様々ですが、気力が充実しているのは良いことです。
・・・ということで、徳島から2時間かけて銅山川にまた来ました。本当に急だったから誰も誘えなかったので久しぶりの一人旅でした。石を探しましたが余り大した物はありませんでした。せいぜいエクロジャイトかキースラーガーかガーネットか・・・というくらいです。夏の間に多くの人が来ていたみたいです。でもそのうち台風や雪解け水などの大水で石が流され、また新しい石との出会いがあるでしょう。
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今年もきれいに干されていた稲



2016年09月15日(木) 記事NO.75の1
放射性鉱物の鉱山跡(3) その1
猛烈な風雨が去った翌朝、浅瀬がかき回されて新しい石でも打ちあげられていないかと思い立ち、急きょこの地を訪れました。徳島でも西の方に位置するので、そこからの移動ならお手のものです。休憩をはさみながら2時間ほどで現地に着きました。
事前に調べてあったとおり、砂浜は干潮のピークを迎えていました。大潮ではないため潮の引きは今一でしたが、それでもかなり沖まで褐色の砂浜が見えました。馬刀潟の港湾もすっかり潮が引いて、漁船はその船底をすっかりさらけ出しています。あと3時間は経たないと漁に出られません。すでに昨夜のうちに仕事してきたので、今はのんびりと休んでいるでしょう。私の方は、これからが一仕事なのですが・・・。
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丸くなるように船が停まっている

2016年09月15日(木) 記事NO.75の2
放射性鉱物の鉱山跡(3) その2
「ふるさとこみち」の案内がある小さなスペースに駐車しました。すでに車やバイクが数台停まっていました。目的は私と同じでしょうか。・・・いや、釣りでした。沖に向かって投げ釣りをしているようです。互いに挨拶して邪魔にならないよう遠回りに歩きました。
鉱山跡の近くで浜に降りました。かつてはそこで選鉱されていたそうで、今でもときたまごくまれに当時の鉱石が見つかります。地元の方の話では、赤い石を探して割ると良いそうです。そう言えば、話を伺った地権者のご自宅には赤い巨大な石英が鎮座していました。割ったら何か出てきそうですが、それは心の中だけにしまい込んで御礼を言って立ち去りました。せっかく築き上げた信頼関係を失いたくないからです。
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ここから海岸沿いに500m

2016年09月15日(木) 記事NO.75の3
放射性鉱物の鉱山跡(3) その3
天気は回復していましたが、まだ少し風が強かったです。浜には様々な物が打ち上げられていました。ブランド物のバッグや青い犬の置物、ソフトボール、割れたガラス製のブイなど、このままビーチコーミングに切り替えようかと思ったくらいです。
そうしたなかで、ピンク色の長石を見つけました。放射能によるハローが出ていないかチェックしましたが、よくわかりませんでした。放射線が強いとき結晶の一部が破壊されて赤くなったり、虫歯のように穴が開いたりします。それを目当てに探しているのですが、閉山後60年近く経っているのできわめて難しいです。愛媛県在住の知人はここに10回も通って、やっと波方石をゲットしました。執念の賜物で、すごいの一言に尽きます。
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クラゲは拾う気がしないなぁ~



2016年08月25日(木) 記事NO.74の1
銅山川の支流巡り その1
8月ももう終わりです。暑い時期には活動を自粛しています。しかし、石採りに行きたい気持ちが芽をもたげてきて、気分が乗ったので愛媛県まで出向きました。関川・国領川・加茂川など誰でも気安く石採りができる場所がありますが、いつもどこへ行こうか迷います。そこで、古風ですが秘技「鉛筆転がし」で銅山川に決めました(笑)。
別子山ふるさと館にて待ち合わせて、そこから次の場所へ向かいました。急に決まったので朝からドタバタして、準備も不十分なままでした。特に肝心な飲料水の確保ができていません。困っていると、いつものY様がよく冷えた缶コーヒーとコーラをご馳走してくれました。それらを一息に飲んで活動開始です。耳元で開始を告げるラッパが鳴り響いたように感じました(笑)。
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山頂から1kmくらいの川原

2016年08月25日(木) 記事NO.74の2
銅山川の支流巡り その2 M37
駐車するときは、地元車両の邪魔にならないように気を付けます。さすがに何台にもなるとスペースが困るので、誰かの車に分乗して台数を減らしたりします。出入り禁止になっては楽しみがなくなるので、後から来る人のためにもルールやマナーを守りましょう。
最初に決めたポイントで川原に下りました。ゆるくカーブしている場所で、内側は流速が遅くなるため多くの岩石が堆積しています。まず、目立つのが「銅山石」という鉱滓です。鉱滓(スラグ)からなるズリから流されてきた物が、角が取れて全体的に丸みを帯びたものです。人工物だから鉱物ではないのですが、表面に針鉄鉱か鱗鉄鉱が生成して虹色になったり、緑色のクジャク石がべっとり付いていたり、もっとすごいのが見られたりします。また、ガスが抜けた穴が開いているので形が面白く、それだけでも充分楽しめるのです。
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壁に塗り込められた○○閃石

2016年08月25日(木) 記事NO.74の3
銅山川の支流巡り その3
本流にはキースラーガーがたくさん落ちていました。上流の余慶鉱床や筏津鉱床のズリから流れてきたのでしょう。見た目は銅山石とよく似ていますが、内部はキラキラした硫化鉄鉱からなり、ひときわ濃い金色の黄銅鉱が散りばめられています。断面を見れば、角閃石か何かの黒い鉱物が模様を作っています。これにもいろいろと呼び名があり、蕎麦皮(ソバカワ)とか蓬生(ヨモギ)とか白地(シロジ)とか、当時働いていた坑夫からニックネームのように呼ばれていました。
汗がたらたらと落ちてきました。タオルを頭に巻き、首にもかけて汗を拭きます。しかし、拭けども吹けどもふけども止まりません。一仕事(?)終わる頃にはシャツびっしょりになっていました。
(注)拭けども=汗をタオルでぬぐうこと
   吹けども=メガネについた汗を息で吹き飛ばすこと
   ふけども=両者の合わせ技?!
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コンクリの支流には石がない

全部洗い流されたみたい

2016年08月25日(木) 記事NO.74の4
銅山川の支流巡り その4 M38
いくつかの支流に入りました。一番若いK様が先陣を切って岩へずり(岩伝いに進むこと)しています。谷川や沢の場所によって、降りるのが物理的に難しかったり時間的に難しかったりします。特に後者は、そこに見えているのに迂回しなければ行けないので、時刻を見て活動時間を計算に入れて決めます。こういうとき空を飛んで行けたらなあ・・・と思います。
太陽が雲から顔を出し、下からの照り返しもキツくなりました。木陰がほとんどないため干からびてしまいそうです。500mくらい沢を登ったところで、今日の活動を終了しました。本日見つけたのは、角閃石・緑簾石・紅簾石・ルチル・ゆう簾石・チタン石・藍晶石・オンファス輝石・ざくろ石・リーベック閃石・透緑閃石・かんらん石・白雲母・クロム雲母・黄鉄鉱・黄銅鉱・磁鉄鉱・斑銅鉱・赤鉄鉱・クロム鉄鉱などでした。なお、そのうち持ちかえったのは6つでした。まずまずです。
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ざくろ石と角閃石の鉱脈

普通に見られる組み合わせ



2016年08月23日(火) 記事NO.73の1
石鎚山途中まで登山を終えて その1
成就社で昼食をとった後、私たちは帰途につきました。リフトで斜面を下りながらキレンゲショウマを見たり、向こうに見える峰々とその雲の頂きなどを眺めました。運航時刻に余裕があったので、またしばらく山頂駅にて休憩です。お土産を物色しましたが、これと言って目新しい物はありませんでした。欲しい物がなく残念でした。
さて、早めに降りたのはこれから温泉に行くためです。毎年のように温泉への旅に出ていましたが、昨冬は行かれませんでした。そこで、家族からの要望もあり、山登りの後でどこかに立ち寄ることにしました。最初は下谷駅の集落にある温泉を考えていました。しかし、雰囲気が何となく○○だったので、家族が良い顔をせず道を下ることにしました。
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水とマンガンをたたえる黒瀬ダム

2016年08月23日(火) 記事NO.73の2
石鎚山途中まで登山を終えて その2
国道に戻り、そのまま東へ向いて走りました。途中にいろいろな温泉や銭湯の看板がありましたが、何となくずるずると新居浜まで来てしまいました。ここまで来たらあそこしかないよね。マイントピア別子の鉱泉です。すでに何度か入浴しに来ていますが、何か様子が変わっていました。
以前はかなり大きな内湯があって、橋が架かっていたり足踏み用の石が埋め込まれていたりで面白かったです。ところが、いつの間にかスペースが狭くなって橋も足踏みもありません。代わりにキッズコーナーが充実して、子ども連れの家族が大勢訪れていました。風呂が小さくなったことはちょっと残念ですが、人集めには成功していて何よりです。
純粋な気持ちで、地域の産業遺産として後世に残していって欲しいです。
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別子の旧水力発電所

2016年08月23日(火) 記事NO.73の3
石鎚山途中まで登山を終えて その3
私が一番好きなことは、風呂上がりに林の中や草原を歩くことです。湯上がりで火照った身体に涼風が当たって、何とも心地よい気分になります。ただし、歩きすぎると眠りたくなるので困ります(笑)。
旅先では余り食事には頓着しません。時間がもったいないため、昼抜きも日常茶飯事で飲食店に入ることもありません。車を運転しながらパンをかじることもしょっちゅうです。また、運転=休憩も兼ねていたりします。遠く県外へ遠征したときは尚更で、SAでもトイレを済ませれば即出発。お土産を買う暇もないので、同行者にはちょっと不評かもしれません(ごめんなさい。)。帰りのときは立ち寄りますけど・・・。
さて、今から自宅まで○時間です。気をつけて帰ります。
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海面下まで続く大斜坑



2016年08月22日(月) 記事NO.72の1
石鎚山途中まで登山(3) その1
リフトを降りると、やっと石鎚山が見える展望所に着きました。久しぶりの景観に会えると思ったら、やっぱり雲に隠れて見えません。標高1982mの天狗岳やちょっと低い弥山は白いガスに閉ざされていました。
仕方なく山道を歩いて神社へ向かいました。リフトから15分くらいです。尾根伝いに進むと途中で道が3つに分かれています。右へ進むとまた展望台があるそうなのでそちらへ行きました。行ってみて・・・唖然!何もない草むらに有料の望遠鏡が1つ、所在なさそうに立っているだけです。しかも、望遠鏡の前にはすっかり大きくなった木々が生えています。これでは石鎚山どころか遠くを見ることができません。昔はここにも何らかの施設があったのでしょう。私の記憶には残っていませんが・・・。
その後、ぬかるんだ山道をゆっくり歩いて神社の境内に入りました。龍の口から湧き水が流れ出していました。カエデが色づき始めていました。
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丸まって眠る看板ネコ
神社の土産物店にて

2016年08月22日(月) 記事NO.72の2
石鎚山途中まで登山(3) その2
成就社の境内は思ったより広くて、宿泊施設や土産物屋などが隣接していました。この日はちょうど地元の人たちが護摩たきしていて、料理店も繁盛しているようでした。私たちもお参りを済ませた後、うどんタイムを取りました。店の人は無愛想でしたが、値段のわりに量的にまあまあで味もまあまあ良かったです。気温が低かった(標高は約1400m)ので、温かいものを食べて落ち着きました。
ある土産物屋にネコがいました。眠っていました。子どもたちが触りまくっていたので起きるかと思ったら、耳をピクッと動かすだけでそのまま我関せずの状態でした。雨の日のネコはとことん眠い。モフモフした感触が気持ちよかったです。
触らせ賃として、石鎚山の地図と本を買いました。記念品であると同時に今後の資料にするためです。次に来ることはないかもしれませんが・・・。
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雲に隠れた瓶ヶ森山頂

2016年08月22日(月) 記事NO.72の3
石鎚山途中まで登山(3) その3
境内の西端に神門があります。それをくぐって7km歩くと山頂の奥の院です。いきなり標高差300mくらい下ってから、一気に900mくらいを登るのです。その無駄な落差に体力を使わされます。また、途中で鎖場を体験するために太い鎖を小さなピークに架けてあります。初めて来たとき、間違ってその鎖を登ってしまいました。上まで行っても何もありません。ただ山頂が見えるだけです。案内看板を見ればわかりますが、登山道の途中に一の鎖、二の鎖、三の鎖があります。高低差はそれぞれ30~60mくらいで、後から造られた迂回コースをショートカットできます。これが意外と体力勝負になります。特に握力が必要で、上に登るにつれて指先や膝がこわばってくるのです。また、登山客が多いときにモタモタしていると下から怒鳴られることもあります。ムッとする人もいるでしょうが、上がなかなか進まないと下の者も体力を消耗するのです。だから、怒鳴るのは別としても下の人たちが苛立つのも当然だと思います。
体力に自信がない人は、絶対に無理して鎖場(特に三の鎖)を登らないようにしましょう。鎖を登りたい気持ちはわかりますが、他の人への心遣いが大事です。
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帰りも高低差900mを下りる

下谷駅がうっすらと見える



2016年08月21日(日) 記事NO.71の1
石鎚山途中まで登山(2) その1
西条ICで下りて、いつもの加茂川へ向かいました。そこは愛媛県内でも有数の鉱物産地です。ネットでも紹介されているので、多くの石好きたちが集まって来ます。ほとんどの人がきちんとマナーを守って活動しているので、何回行っても楽しめます。もっとも採集できる物が少なくなってきたのは仕方ないですが・・・。
さて、加茂川から寒風山トンネルの方へ曲がりました。が、すぐに右折してダム湖の横を通り県道の最奥を目指しました。目的地は石鎚山ロープウェイ駅です。石鎚山は四国山地の山々に囲まれているため、平地から直接に車で横付けできません。そのため、まずは石鎚登山をはばむかのような周囲の山を乗り越える必要があります。そのための労力と時間を省くため、この手段を取ることにしました。ちなみに、まともにその山を越えようとすれば宿泊が必要です。
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しっとりと濡れた木々の中を歩く

2016年08月21日(日) 記事NO.71の2
石鎚山途中まで登山(2) その2
道の行き止まりの1km手前に集落があります。石鎚神社の門前町のようなところです。有料駐車場(高い!)に車を止め、装備を下ろして各自で点検です。ここで忘れ物をすると絶対に取りに行けないからです。汗をかくのか雨が降るのかわからないので、着替え一式を入れました。
そこから乗り場まで移動しました。駐車場のすぐ前かと思ったら、少し参道を登ります。急な道を曲がりくねりながら進むと、古びた土産物屋が並んでいました。しかし、どの店も閉まっています。シーズンが終わりかけて登山客が閑散としているためでしょうか。それとももう店をやっていないのでしょうか。色あせたテントが印象的でした。
チケット(高い!)を買って乗り込みました。お客は私たちと神社に手紙を届ける郵便屋さんだけでした。今日はあいにくの空模様で、山頂や瀬戸内海を見るのは難しそうです。
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石鎚神社の鳥居とお社

2016年08月21日(日) 記事NO.71の3
石鎚山途中まで登山(2) その3
山頂駅まで15分くらいでした。途中は霧の中で全く何も見えません。でも高度が上がるにつれて耳がキーンとして、気圧が下がったことがわかりました。山頂駅は雲の中でした。まとわりつく空気がしっとりと濡れていて、そのうち水滴がしたたりそうです。そこで少し休憩しておにぎりをほお張り、地図を確認して歩き出しました。
キャンプ場やカブトムシ園などがありました。また、アメダスが設置されていました。石鎚山の雨量とか気温とかはここで測定しているようです。10分ほどでリフト乗り場に到着。体力的に歩くこともできましたが、お年寄りもいるので乗ることにしました。・・・揺れます、とても揺れます!怖いくらいです。足の下には転落防止用のネットが張られていますが、高さは5m以上ありました。後ろの子どもたちにも声をかけ、絶対に揺らさずしっかりと腕をイスの支柱に絡ませるようにしました。
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神門を抜けると石鎚山へと続く



2016年08月20日(土) 記事NO.70の1
石鎚山途中まで登山(1) その1
夏休みももうすぐ終わりになる頃、家族でまとまってどこにも出掛けていないことに気付きました。なぜか物入りが多くて懐具合が寂しく、また貧乏暇なしの言葉通りに時間もありませんでした。そこで、何とか休みを取って家族サービスをしようかと思い立ちました。
子どもたちを呼んでどこへ行きたいかと尋ねると、・・・やっぱりTDLとかUSJとか英文字3つの単語ばかり・・・。夏季講習やら修学旅行やらで、そんなもんあるかい!って怒っても仕方ないですが、ない袖は振れないとはこのことです。
最後に簡単な質問で、海に行きたいか、山に行きたいか。この二択の回答を求めると、「やま」という返事が返ってきました。鉱山(ヤマ)ではないようですが、こうして取りあえず山登りが決定しました。
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霧の中のロープウェイ

2016年08月20日(土) 記事NO.70の2
石鎚山途中まで登山(1) その2
若いときはよく山に登っていましたが、ここ2年ほどご無沙汰しています。山に行けばまず山頂を目指していたのですが、このところ意識が変わって緑の中で森林浴をするようになりました。フィトンチッドに満たされた大気の中を歩くのがとても気持ち良いです。特に風呂上りに心地よい風に吹かれると、それだけで身体能力が向上したかのように思われます。
さて、次は行先を決めます。眉山や高越山、剣山はすでに登っており、子どもたちは別の山がよいそうです。そこで、愛媛県の高山に的を絞って考えました。確実に山頂へ行くなら、スーパー林道の瓶ヶ森などが良いでしょう。しかし、林道の状況がよくわからないので冒険はできません。そこで、山頂まで行くという考えを捨てて、行ける所までということで、行先を石鎚山に決めました。
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リフトに乗って高度をかせぐ

2016年08月20日(土) 記事NO.70の3
石鎚山途中まで登山(1) その3
石鎚山への登山ルートは主に2つあります。松山市から久万高原町を経て、面河渓谷から土小屋を起点として歩くコースと、西条市から石鎚神社を起点とするコースです。どちらも山頂まで約7kmあり、日帰りするなら朝一で登り始めなければなりません。
その点については、最初から山頂を目指していないので気が楽です。どこか途中の適当なポイントまで行ってそこから引き返す予定です。徳島県から近いのは後者なので、西条から神社に行くことにしました。
まず、子どもたちにリュックと着替え、タオル、飲料と弁当、おやつ、帽子とカサなどを用意させました。身体がまだ小さいのでそうたくさん持たせられません。一部の荷物は私が運び上げることにしました。次にルートの再確認です。交通規制のかかっている場所もなく大丈夫なようです。
こうして、当日を迎えました。
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瀬戸内海は雲海に隠れていた



2016年07月05日(火) 記事NO.69
鮎釣り師と石採り屋
梅雨の晴れ間に加茂川へ行きました。目的は輝安鉱(きあんこう)というアンチモン鉱物です。上流の鉱山跡のズリから流された石が、ここの川原でたまっていたりするのです。埋もれていることが多いのでめったに見つかりませんが、それだけ価値があるということです。
川の流れに近いところでそれなりの物を見つけました。表面に銀色の鉱脈が走っています。水に濡れると黒っぽい灰色になってしまうので要注意です。米水晶の晶洞内で柱状結晶している物もありました。人気のあるタイプです。他にも大きめの柘榴石透緑閃石などがありました。
ふと気配を感じて後ろを振り返ると、いつの間にか鮎釣りをしていた人がボードに乗っていました。ポイントを幅広く探るために移動がかかせませんが、その手段として浮力のある板に乗って川を下るのです。面白いやり方があると思いしばらく見ていました。そう言えば、スイカのような甘い臭いもしていました。
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やや渇水で広がった石の川原
皆で探す範囲を分け合った



2016年02月29日(月) 記事NO.68の1
放射性鉱物の鉱山跡(2) その1
再び白岩鉱山を訪れました。前回は風化した黒雲母を採集したのみで、目的の鉱物はまったく採れませんでした。そこで、今回はまたおなじみのM様とK様と一緒にリベンジです。
運良く現地は引き潮でした。浜辺が広くなり、砂地で休憩してパンでもかじれそうです。また、地権者の方にも了解を得ていたので中にも入れました。ズリには、灰色の石英とクリーム色の長石がくっついている石ばかり転がっていました。途切れ途切れに黒雲母が見つかりますが、全体として余り変化がありません。すぐに飽きてしまって、青い海をぼんやり眺めました。アワビやトコブシを狙った漁師さんが素潜りでそれらを捕っていました。
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豊かな漁場は地元の宝

2016年02月29日(月) 記事NO.68の2
放射性鉱物の鉱山跡(2) その2
気を取り直してまた活動を再開します。いつの間にか引き潮がピークを迎えて、浜辺は今までになく広がっていました。緑や褐色の海藻が岩にこびりつき、その間に小さな甲殻類が飛び跳ねています。また、小さな巻き貝も多数いて石のくぼみに身を伏せていました。
酸化されたような真っ赤な石を割ってみました。黄色や褐色の酸化物みたいです。石英の結晶化したものを見つけましたが、水晶と言えるかどうかギリギリのラインでした。大きくペラペラした黒雲母がありましたが、M様が持って帰りました。ピンクの長石は余り見当たりませんでした。むしろ緑っぽいものがあったのですが、何か海藻の仲間でも付いているのでしょう。ここでも特に得るものはありませんでした。
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遠くに見えるは大三島

2016年02月29日(月) 記事NO.68の3
放射性鉱物の鉱山跡(2) その3 M36
さて、次は地元の人にそれとなく教えられた場所へ行きました。変種ジルコンの波方石は見た目が「ネズミの糞」だそうです。現代っ子たちではハムスターでも飼ってない限りわからないでしょう。数ミリの黒くてオリーブの実のような楕円形だそうです。やや両端が尖っていたりします。
足下の石を気にしながら歩いていると、ちょっと黒い石が目にとまりました。手にとって見ると紡錘状の黒い結晶が点在しています。波方石?それともフェルグソン石でしょうか?ガイガーカウンターを近づけるとはっきりと放射線量が上がりました。何らかの放射性鉱物には違いありません。こうして種の同定はできていないものの、現地で採掘していた鉱物をゲットできました。あきらめずに何度も現地で探したのが功を奏しました。
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黒雲母を含む灰色石英



2016年02月15日(月) 記事NO.67の1
愛媛県西部の海岸線(5) その1
愛媛県最南部の半島と岬、砂浜を巡りました。いや目的は研究のため砂浜での砂採りですが、どうせ海岸線の細い道を走るだけなので、必然的に岬巡りになってしまうのです。宿毛街道(56号線)を南下し、御荘町から県道34号線に入りました。この辺りも岸辺から急にドン深になっているため、養殖のための生け簀がいくつも浮かんでいます。大月町のように鯛でも飼育しているのでしょうか。
桜はまだまだですが、硬い蕾が膨らみつつあるようです。海側はほとんど崖で木々の背が高いため海が見えづらいです。この日は前日と打って変わって風も少なく穏やかな天候でした。私は暑かったので上着を脱いでTシャツ一枚で過ごしました。とても2月とは思えません。
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高茂岬には先客がいた

2016年02月15日(月) 記事NO.67の2
愛媛県西部の海岸線(5) その2
木が生えていない場所は赤茶色の土が露出し、地面が丸裸になっていました。蛇紋岩(じゃもんがん)なのでしょうか?超塩基性の石で、四国南部の海岸線や内陸のクロム鉱山群でよく見られます。滑りやすくて踏みつけるとキンキンという音がします。そこに生える植物に影響を与えやすく、しばしば変種や新種が見つかるそうです。
すぐ沖には鹿島が浮かんでいて、この海峡を鹿島の瀬戸というそうです。島には甌穴や海水浴場もあり、夏にはキャンプする人もいます。無人島というわけでもないのである程度の物資はそろうみたいです。
半島をぐるっと回ったところにある福浦小学校まえで砂を採取しました。ほとんど貝殻ばかりでしたが、やや褐色の細かな粒子でした。
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岬の先は風が吹きっさらし

2016年02月15日(月) 記事NO.67の3
愛媛県西部の海岸線(5) その3
そろそろ帰る時刻が近づきました。最後に宇和海展望タワーの近くにある展示館に立ち寄りました。ここには海底から引き上げられた紫電改が展示されていました。詳しくは知りませんが、昔の戦闘機(零戦)の1つで当時としては優れた飛行能力があったそうです。機体は錆びたりしていましたが、きちんと塗装までされて格好良くなっています。お土産として赤と黒の耳かきを買いました。小物ですがちょうどよい買い物です。
さて、これから約300kmの道のりを帰ります。自宅まで6時間くらいでしょうか。基本的に四国内はどこでも日帰りするので驚くことはありません。行きたい場所があれば時間を取ってどこにでも出没するつもりです。気力と体力が持つまで頑張ります!!
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やっぱり格好良いと思ってしまう



2016年02月14日(日) 記事NO.66の1
愛媛県西部の海岸線(4) その1
次にやって来たのが由良半島です。愛媛県南部にあり、豊後水道に向かって細く突き出ているのがそれです。全長は20kmくらいで、幅はもっとも短いところが0mで、全体的にまるで釣り針のように見えます。途中に船越運河があって半島が途切れているからです。
国道56号線から柿の浦で県道に入りました。半島の北側を海岸線に沿って延びるルートです。点在する砂浜は他の地域と違って赤褐色でした。砂鉄が多ければ黒っぽく、逆に少なければ白っぽくまたは灰色になりますが、変わった色合いでした。小さな砂浜に朽ちかけた小屋が建っていました。漁網やブイが残っていましたが、フジツボだらけでうち捨てられているようでした。物寂しい光景でした。
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入り江から見た半島の先端部

2016年02月14日(日) 記事NO.66の2
愛媛県西部の海岸線(4) その2
極細い半島をさらに2つに割って、宇和島市と愛南町の境界線が走っています。県道318号線も市に入ったり町に入ったりと、標識がころころ変わるので面白いです。船越運河で再び県道292号線と合流して、さらに西へと向かいます。運河に架かる橋はかなり高度があって、下の海際には釣り人の姿が見えました。何を狙っているのでしょうか。
半島の尾根のような部分に県道があるので、見晴らしがとてもよく遠くの島影も見えます。惜しむらくは天気がパッとしないこと。日が差せば青い海と緑の島のコントラストがきれかったと思います。「釣り針」の曲がり角辺りから道は徐々に下向きになり、海水面と同レベルまで下りていきました。朝起きたら目の前が海ってどんな感じなのでしょうね。
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半島側から見た四国本土

2016年02月14日(日) 記事NO.66の3
愛媛県西部の海岸線(4) その3
カモメの鳴き声がすぐ近くに聞こえます。漁船が帰ってきたようです。海の際まで山が迫り、ウナギの寝床のような平地に住宅や倉庫が密集しています。半島の付け根から小一時間でようやく半島の突端部周辺に到着しました。車で来られるのはここまでです。人が歩ける小道なら山の方に延びており、ここから2kmくらいで半島の本当の最先端まで行けます。
釣りセンターに駐車して堤防を横切り、その向こうに広がる砂浜に降り立ちました。砂とサンゴや貝殻を少し採取してしばし対岸を眺めました。向こうまで直線距離で12kmはあります。ちょっと買い物するだけでも大仕事で、病院とか役所に行くのも遠いです。しかし、車の騒音や排気ガスとは無縁です。どちらの生活がよいのでしょう。
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最奥の集落にある釣りセンター



2016年02月13日(土) 記事NO.65の1
伊達家の居城を訪ねて その1
城はどこでも目立つのでその地方のランドマークになりやすいです。ということで、宇和島でもしっかり城跡を見てきました。ここは愛媛県南部の中心地で、予讃線の終点であり予土線の起点でもあります。
ここに着いたのは夜でした。急遽宿屋を探して泊まることにしました。実は私の車には咄嗟のことに対応できるように、2~3泊分の着替えを常備しているのです。・・・つまり想定内でした。ふと城山を見るとライトアップされていました。見に行きたかったですが、明日からのこともあります。ホテル内で遅い夕食をとり、この日は休息をとりました。
窓から見る宇和島市街は暗かったです。ここも人口が減っているようです。日本の地方都市ではどこでもそうなのでしょうか。
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城山山頂へ続く幅広い石段

2016年02月13日(土) 記事NO.65の2
伊達家の居城を訪ねて その2
翌朝早くに駆けつけ3杯の大盛り飯を平らげ、その腹ごなしに城へ登りました。武家屋敷のような門をくぐり案内に従って石段を上がります。昔の技術だからか石段はちょっとデコボコして登りにくいです。また、途中には古井戸や建造物の跡などもありました。山頂にあるから水は貴重品だったとのことです。
城山中腹の林を抜けると急に視界が開け、大きな石垣が見えてきました。何百年も経つのにしっかりと組まれています。安定感はありそうでした。山頂まで登り切るとそこは平坦な広場になっていました。そこに3階建ての天守閣がありました。もっと大きな物を想像していたのですが、こぢんまりとしているのに拍子抜けです。10万石だからこれくらいの規模が妥当なのでしょう。しかし、この規模の藩が江戸まで参勤交代するのはとても大変だったでしょう。何だか気の毒に思いました。
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宇和島城の天守閣

2016年02月13日(土) 記事NO.65の3
伊達家の居城を訪ねて その3
城山から四方を見渡すことができます。北と東側は市街地が山と接しています。そして、南と西側は海と接しています。宇和島港はまあまあ大きな港で、九州への玄関口や物資の輸送、漁港としての機能も兼ね備えています。大きな倉庫やクレーンなどが立ち並んでいました。また、あわただしく船が往来していました。
宇和海に九島(くしま)という島が浮かんでいます。ここにも戸島と同様に小学校があります。愛媛県内には今でもいくつかの離島に小学校があり、中学校まである島も存在します。さすがに高校に進学すれば下宿や寮生活になりますが、それまでは毎朝船で本土に渡り通学するのです。もちろん船が欠航すれば欠席です。学生生活はちょっと大変なようです。
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南西部に広がる宇和島港



2016年02月12日(金) 記事NO.64の1
愛媛県西部の海岸線(3) その1
さっきからラジオ電波が入ってきています。少し雑音が多くて聞き取りにくいですが、大分の自動車道とか何とか・・・言っています。そう言えばここは豊後水道を挟んで九州の真向かいになるのですね。間に障害物もないのでここまで聞こえるのでしょう。
赤い灯台のある運河を渡って蒋渕に入りました。ほぼ海抜ゼロ地帯で海沿いに道が通っています。蒋渕小学校前を通過し集落南部に到達しました。ここからは道が徐々に細くなり、ついに私の車の幅スレスレになりました。通れないことはないですが、買ったばかりの新車を擦りそうです。郵便局前までたどり着きそこで断念しました。なお、この先には海沿いに1kmで落の鼻、山の方に曲がってトンネルをくぐると半島最端の漁港があります。
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豊後水道に4ヶ所ある運河の1つ
細木運河

2016年02月12日(金) 記事NO.64の2
愛媛県西部の海岸線(3) その2
後戻りして細木運河の小さな砂浜で作業し、軽く昼食をとりました。この日はかなりの強風で袋に入ったアンパンが飛ばされそうです。ちなみに自分だけでドライブするときは食堂に寄りません。時間がもったいないし、食費ももったいないからです。車を走らせながらパンをかじることもあります。また、そのパンも昨日夜遅くに2割引などを買ってきた物です。急ぎのときはそれで充分なのです。
運河から西へ2kmばかりに矢ヶ浜という小さな漁港があります。真向かいに「ぶぶしの瀬戸」という海峡を挟んで、集落のある戸島(としま)が浮かんでいます。コーヒーショップがあるとのことでしたが、ちょっとわかりませんでした。もっとも時間がないので立ち寄れなかったでしょうが・・・。
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電波塔のある大小島

2016年02月12日(金) 記事NO.64の3
愛媛県西部の海岸線(3) その3
三浦半島突端を後にして県道346号線を走り、途中から37号線に入って行きとは別の道を進みました。海沿いの道を移動すること1時間半で南楽園が見えました。今から30年前に行ったことがあります。ここにも初春の花がいろいろ咲いていました。観光客はまばらでシーズンはこれからのようです。
国道56号線を南下して御荘町の室手海水浴場を目指しました。交通量はそう多くはなく走りやすい道のりでした。くねくねと曲がる細道を下りていくと海岸です。しかし、狭くてやや急深そうで肝心の砂がまったくありませんでした。石をとるなの看板があったので何も手を付けず、トイレ休憩だけ済ませて再び車に乗り込みました。
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石ころだけの浜と沖に小島が3つ



2016年02月11日(木) 記事NO.63の1
愛媛県西部の海岸線(2) その1
豊後水道に面した愛媛県西部の海は、その離島の多さから多島海とも言われます。島の回りには浅くて起伏に富んだ海底が連なり、海底から湧き上がる潮流と河口からもたらされるミネラルを栄養にプランクトンが育ち、それを餌とする魚介類が多く集まる豊かな漁場なのです。
前回に引き続き、今度は宇和島から南の海岸線を走ってみることにしました。宇和島には数回来たことがありますが、何れも仕事関係で市内のビルに缶詰されているだけでした。広い範囲を見て回るのはこれが初めてになります。今日はどれだけの発見とどれだけの人々と繋がることができるでしょうか。それこそが旅の醍醐味であり、最大の目的だと思っています。
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沖の小島に堤防を設けて養殖

2016年02月11日(木) 記事NO.63の2
愛媛県西部の海岸線(2) その2
宇和島から三浦半島に入りました。愛媛県下では高縄・佐田に次いで3番目ですが、地図上ではそう大きくはありません。しかし、市内から先端の蒋渕(こもぶち)まで40kmくらいあり、狭いながらも曲がりくねった細道がずっと続いています。地元の方には失礼かもしれませんが、まるで秘境に赴くような心持ちでした。
三浦小学校前で飲み物を購入し、遊子(ゆす)の集落に入りました。難読地名ではないでしょうが、案内標識を見ても読み方に苦労します。半島中央の尾根に当たる部分に県道346号線が通っています。そこから海岸に向けていくつもの脇道が伸び、集落や漁港を繋いでいます。この道が文字通り生命線となるのです。あちこちが大切に補修されていました。
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水が浦の段々畑で地元の名所

2016年02月11日(木) 記事NO.63の3
愛媛県西部の海岸線(2) その3
あちこち余所見して寄り道しました。平地が少ないので急斜面に階段状の畑を造り、自家用の野菜や換金用の花などを栽培しています。白や黄色の水仙が咲き梅の花も見られます。地元の軽トラが収穫した作物を運んでいました。どこかに農協か市場があるのでしょう。
走ること1時間半でようやく半島の先端部が見えてきました。道から海面まで高低差がかなりあります。おかげで見晴らしが良くて、これで天気が良ければ最高でしょう。湾内には多数の養殖筏が浮かんでいました。どんな魚が飼われているのでしょう。もちろん漁船の基地にもなっていて、15分くらい眺めている間に2隻ほど出漁していきました。海の幸も食したいところですが目的は別です。それでは活動開始です。
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半島先端で最大の蒋渕集落



2015年12月10日(木) 記事NO.62の1
高縄石の高縄山 その1
高縄半島の中央にそびえる高縄山。標高986mはこの半島の最高峰・・・ではありませんが、今治・北条・松山・西条の各都市から見えます。かなり昔のことですが、この近くに住んでいたとき一度も登ったことがありませんでした。自分の家に近い観光地なんか、意外となかなか訪ねたりしません。いつでも行けるって思っているうちに、いつの間にやら疎遠になってしまうのはよくあることです。
と脱線が多くなりましたが、思い立ったが吉日ってことで山頂までドライブしました。いくつもの用事を抱えており、その中には現地を訪問して△を探せっていうのもありました。他者からの依頼もあり、仕事疲れの寝不足の顔つきで車を走らせました。
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山頂に立つ電波塔

2015年12月10日(木) 記事NO.62の2
高縄石の高縄山 その2
鈍川温泉の辺りから国道317号線を南下し、九川口という所で折れて山を目指します。道は川沿いに進みますが、高度が上がってくるといつしか流れが絶えて山の尾根のような道に出ます。途中で沸石やクリストバル石の産地を探しながら、少しずつ山頂に近づいて行きました。読者の皆さんには期待外れで申し訳ないですが、産地は今一つよくわからなかったです。泥だらけの石ばかりでした。
さて、ついに谷川の源流にたどり着き、分水嶺も越えて山頂近辺になりました。木製ベンチなどがあって小さな公園です。北へと下る山道がいくつか見えました。狭くなったコンクリ舗装道をぐるっと回ると、ついに山頂直下の駐車スペースに着きました。
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遠くに見えるは石鎚山か

2015年12月10日(木) 記事NO.62の3
高縄石の高縄山 その3
電波塔に併設している展望台に上りました。
うわぁ~、すごい!360度絶景のパノラマです。北に今治市街やしまなみ海道、東に燧灘、西に豊後水道、南に石鎚山から続く連山。障害物もなく数十km先まで見渡せるようです。国道やダム湖、小高い丘や林、市街地の家屋の並びなど、まるで手に取るようにわかります。
しばらく風景を堪能した後、高縄寺を目指しました。山頂より少し低い所にありました。山門前の広場に駐車して境内に入りました。掛かっていたポスターによればもみじ祭があるようです。でも時間がなかったので、周辺をいろいろと探索してみました。山道を少し(本当に少しか?)下りました。道の曲がった所が掘られていました。ここが例の場所でしょうか?
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北条市街と浮いている鹿島

2015年12月10日(木) 記事NO.62の4
高縄石の高縄山 その4
立岩の方に向けて道を下りました。途中で何カ所か石英や長石が発達している場所があります。しかし、ほとんど土砂に埋もれている状態でわかりにくいです。そこでも放射性鉱物が見つかっていたそうで、土の上に顔を出している石を中心に見ていきました。しかしながら、特にこれといった物はありませんでした。
県道17号線に入り、再び国道317号線からまた県道に入って国道196号線を目指しました。山火事で丸焼けになった山が見えました。当時は大変だったそうです。こうしてこの日は朝から晩まで外出して、晩飯を外で食べる羽目になりました。洗い物をしなくてよいのは楽です。しかし、毎回これをすると財布の中身がピンチです。次はいつ行けるでしょう。
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高縄寺の境内は閑散としていた



2015年12月09日(水) 記事NO.61の1
放射性鉱物の鉱山跡(1) その1
放射能と聞くと「怖い!」っていうイメージがあります。きちんと用法を遵守し保管に気をつければ大丈夫ですが、それでも子どもが知らないうちに近づいたり、使い方を誤ったりするかもしれません。だから、できれば最初から持っていない方が良いのです。
しかし、収集家の気持ちとしては怖い物見たさにちょっとくらいは持っておきたいもの。そこで、数種類ほど放射線の強くない鉱物を所有しています。どれもこれも他人からいただいた物ばかりですが、今では絶産品になっているのもありうれしいかぎりです。でも自分で野外から採集した物はありません。そこで今回は産地から直接採集してみたいと思い、再び高縄半島を訪れました。
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波方石(ハガタいし)の採掘跡

2015年12月09日(水) 記事NO.61の2
放射性鉱物の鉱山跡(1) その2
波方駅から北へ車で10分。ここは馬刀潟(まてがた)の集落です。今は稼働していませんが、大型のクレーンが目印です。海の干満の差が激しく3m以上はあります。これは大事な調査なので、しっかり干潮時刻を記憶してそれに合わせました。
それに先だって地元の方に挨拶して、現地の様子を尋ねました。ちょうど地権者の方にお目にかかれて、当時の様子など詳しく教えていただきました。庭先にはそこから採ってきた石英がありました。採石が終わって十年くらいまではそのような石英が拾えたそうです。しかし、波に洗われて徐々に小さく少なくなり、今では本当に小さい物しか落ちていません。
さて、干潮もピークに達したようです。これからが本番です。
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潮が引いた浜辺で石を探す

2015年12月09日(水) 記事NO.61の3
放射性鉱物の鉱山跡(1) その3 M35
集落の近くで浜辺に降りて海岸線に沿って歩きました。ペグマタイトから分離した山土からなります。大きな粒子のはんれい岩が見られました。また、石英や長石、金色になった黒雲母なども散見できます。
お目当ては波方石という変種ジルコン、トロゴム石、褐簾石、フェルグソン石、イットロくさび石などです。何れも弱い放射線を持ちますが、大量にまとめて保管しなければ健康を害することはありません。ネズミの糞のような黒い石らしいです。探し回りましたが、それらしい物はほとんどありませんでした。
代わりにきれいな石英や長石を拾いました。放射線を帯びていたため灰色や赤色をしています。いくつか拾って本日は納竿しました。
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浜で拾った長石の大きな塊



2015年12月08日(火) 記事NO.60の1
高縄半島を訪ねて その1
愛媛県中予北部に位置するのが高縄半島です。根元に当たる旧小松市から北上して半島を反時計回りすると、丹原町・玉川町・今治市・波方町・大西町・菊間町・北条市までを含みます。中予の1/3以上を占める大きな地域です。
ここの地質帯にはペグマタイトを含む場所が点在し、水晶やそれに付随する鉱物などの産地があります。鉱物種はそう多くありませんが、関川や国領川などと異なる石を産出するのです。これは是非行ってみたいと思っていましたが、今回踏ん切りを付けて現地を訪れました。
・・・まずは、観光です。石も目的ですが、せっかく来たのだから見たい物や行きたい場所もあります。先にそちらを済ませることにしました。
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朝の来島海峡に船一艘

2015年12月08日(火) 記事NO.60の2
高縄半島を訪ねて その2
地元の方々と待ち合わせをするために、波方駅を目指しました。波止浜でもよかったのですが、駅前ロータリーではタクシーの邪魔だと思ってそこにしました。周囲は田んぼだけでした。待つこと10分くらいで合流しました。
まずは、半島北端の大角鼻(おおすみのはな)を目指しました。駅を出て県道38号線を北上し、海岸線に出るとそのまま道沿いです。青い海を横目に166号線を少し走ると海岸の方への分かれ道があり、それを1.5km進めば大きい駐車場というか広場がありました。車を降りて丘の方へ向かって歩きます。展望台があるからです。ただし、手前の木々が邪魔して眺望は今ひとつでした。
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船のスクリューのモニュメント

2015年12月08日(火) 記事NO.60の3
高縄半島を訪ねて その3
小さな漁船が浮かんでいました。その沖合を大型の船が行き来しています。今日は風がなく穏やかな小春日和です。約束も忘れてしばらくポケッと眺めていました。
展望台を降りて浜の方へ移動しました。車で来ていた人がいたので、そこまで入れるとは知りませんでした。ただし、かなり細い道なので難しいです。砂浜ではなく赤茶けた岩盤が広がる浜でした。海峡を流れる潮流が激しいため、たくさんの漂流物が見られました。ブイや浮き代わりの発泡スチロール、ほふく枝から伸びた竹の根、内部が空洞化した太い枝などが目立ちます。航路を示す標識がありました。隠れた岩礁地帯で船が座礁しやすいそうです。
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赤い灯台と白い漁船

2015年12月08日(火) 記事NO.60の4
高縄半島を訪ねて その4
昔はここに番屋があって往来する船を監視していました。上から見るとかなり潮流が速いことがわかります。しかも隠れた岩礁が多く、船の往来に危険が伴います。どれだけ多くの船がここで遭難したのでしょう。
来島大橋を架ける計画が持ち上がったとき、この潮流の速さを克服し船の往来を妨げない方策が必要でした。橋の基部をしっかり造っても、その下の岩盤が浸食されればどうしようもありません。難工事の末、ようやく繋がった「しまなみ海道」に拍手です。
大角鼻の北に連なった島々が見えます。島と島の間から白い橋がのぞいています。そちらは西瀬戸自動車道ではありません。安芸灘とびしま街道です。あと少しで大三島と繋がります。今から楽しみです。
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200m先まで岩盤が顔を出す



2015年12月07日(月) 記事NO.59の1
半島の精錬所を訪ねて その1
佐田岬半島には大小30を超える鉱山があったそうです。例えば、四国鉱山誌には数多くの鉱山が掲載されているし、その本に挟み込まれている四国全図には未掲載の場所まであります。ほとんどが小規模な家族経営的なものばかりで、当時どれだけ儲けることができたかわかりません。戦時中に始まり戦後まもなく止まった場所が多いです。
古老から聞いた話では、物資不足で鉄とか銅とかが貴重品になったので、キースラーガーや万巻を掘ると良い稼ぎになったようです。そのため自宅の裏山とか近所の人の所有地に鉱業権を設定し、自分のところの家族や親戚、少数の従業員とともに鉱山経営に乗り出しました。ところが、戦争が終わるとそれらが不要となり、経営が急激に悪化して閉山が相次ぐようになりました。
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精錬所への細道は通勤路

2015年12月07日(月) 記事NO.59の2
半島の精錬所を訪ねて その2
どこへ行っても地元の方から情報収集しています。こちらからきちんと名乗ってそれから用件を伝えます。すると、最初は胡散臭そうに私を見ていた方とも徐々に打ち解けて、鉱山関係の貴重な情報を教えてくれます。皆さんも試してみましょう。真摯な態度で臨みましょう。
この日はちょっと寒かったので、戸外に出ている人が見当たりませんでした。しばらく集落内をウロウロしても誰にも会えません。これはどこかの家を直接訪ねなければと思っていたら、私の目の前を釣り竿を持った人が自転車で横切りました。これぞ天の助けとばかりにその方を呼び止めてお話を伺いました(ありがとうございました!)。鉱山の場所を尋ねましたが、そちらはよくわからないとのこと。しかし、昔の精錬所が残っているので興味があればそこへ行ってみては・・・とアドバイスをもらいました。
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岬の山中にレンガの炉が残る

2015年12月07日(月) 記事NO.59の3
半島の精錬所を訪ねて その3
車で10分くらいのところにあり、そこに駐車して徒歩で500mだそうです。・・・ところが、その道のりがくせ者でした。細くてアップダウンが激しく、平坦ではなくて斜めに傾いていたり、足下が滑りやすそうな石段だったりとか、とにかく歩きにくいこと歩きにくいこと。探しながら行くので30分もかかってしまいました。
広場があってレンガ造りの炉が残っていて、廃棄された機械や小屋がけの跡などもありました。特にカラミがたくさん落ちていました。カラミとは鉱滓(スラグ)のことで、鉱石を融かして銅を取り出した残りカスです。まん丸いボウリングの球のような物体が転がっていました。帰りの道中を思うとゲンナリしましたが、重量級をいくつか持って帰りました。疲れたけれど冒険は楽しかったです。歳がいくつになってもやめられませんね。
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海岸線に放棄された大量のカラミ



2015年12月06日(日) 記事NO.58の1
佐田岬半島を訪ねて(1) その1
房総半島の根元からフォッサマグナ・近畿・四国を経て九州南部まで延びる中央構造線(MTL)。国内最大の断層で地上にも少なからず影響を与えています。
例えば、地図を広げると和歌山の紀ノ川と徳島の吉野川はこの断層に沿って流れています。徳島平野におけるメディアンラインは鳴門市大麻町辺りではJR鳴門線のすぐ北側、讃岐山脈と平野部が重なる境界の数十cmほど盛り上がった地形の直下を走っているそうです。池田町昼間では護岸工事で埋もれてしまいましたが、地上にまでMTLの一部が露出していました。
一方で、四国において徳島と同じくMTLが走る愛媛では、砥部町の衝上(つきあげ)断層が知られています。川の中に断層が見えるので観察しやすく名所となっています。
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再稼働前の伊方原子力発電所

2015年12月06日(日) 記事NO.58の2
佐田岬半島を訪ねて(1) その2
このように直接見える場所もありますが、大部分は地中奥深くにありそれが地上に与えたわずかな痕跡から通っている場所を判断します。その顕著な例の1つが八幡浜市から西北西へと延びる佐田岬半島です。
別名を三崎半島ともいい根元から突端部まで東西40kmくらいあり、四国の最西端が佐田岬なのです。一方で、半島の幅は最大でも南北3kmくらいで最小では400mくらいです。つまり東西に細長い半島で、高空から見ればかなり目立つ地形です。MTLはこの半島の北側の沖合を通っていると考えられています。
この半島には砂浜がほとんどありません。海から直接山脈が突き出て並んでいるような地形です。山上を遮る物が何もないので常に強風が吹いています。そのため数十基に及ぶ風車が並んでいます。
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原発近くの山上にある風力発電所

2015年12月06日(日) 記事NO.58の3
佐田岬半島を訪ねて(1) その3
風力を電気エネルギーに変えて利用する。数十戸の家庭の電力を賄えるそうです。また、太陽光発電の施設も見られました。そして、最大のエネルギーを生み出すのが伊方原発です。原子力はCO2を作らずに高エネルギーを発生させます。そのため、放射能漏れさえ心配なければ地球高温化に対抗できるかもしれません。・・・放射能漏れさえなければです。それが最大の問題です。
原発は安全管理のため広大な敷地や海水面を所有しています。安全というならその海水面で捕れた魚を食べてもよいでしょう。意外と身が引き締まって美味しいかもしれません。原発を止めた後、高熱を発し続ける燃料を冷却するためかなりの電力を必要とします。つまり、原発停止は電気の無駄遣いなのです。どうしてこのような施設を造ったのですか?
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大松集落近くの灯台

2015年12月06日(日) 記事NO.58の4
佐田岬半島を訪ねて(1) その4
風が強い日でした。半島北側の海辺に立つと風で髪の毛がぐるぐるに巻かれるような感じでした。・・・髪が長ければ・・・です。海上には白波が立ち小型の船舶が波に洗われていました。
半島を横断して南側に行くと風も波も少し穏やかになりました。ぽかぽかと冬の日差しが照りつけてきます。八幡浜から北海岸に沿って西進して、三崎町付近で南海岸へと移動して、伊方町の各集落を巡りました。途中でガソリンを補給したとき、店の人からいろいろと鉱山のことも伺いました。また、次の課題ができました。
今日は2つの鉱山跡と1つの精錬所跡を回りました。まずまずの成果だったと思います。今後も気力体力時の運を澪方にして続けていきたいです。
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阿弥陀池の湖面に日が映える



2015年12月02日(水) 記事NO.57の1
愛媛県西部の海岸線(1) その1
徳島県の海岸線から見えるのは「朝日」ですが、愛媛県から見えるのは「夕日」です。と言うことは、互いに四国の端なのでその間の距離が長い・・・、つまりそこへ行くまでに時間がかかります。自動車道のおかげで大分楽になりましたが、それでも八幡浜まで3時間半は見ておきたい。宇和島なら4時間半、南宇和なら5時間くらいかかるでしょう。
それでも理由があれば何とかなるものです。ドライブとか旅行とか石拾いとか、未だかつて行ったことがない場所や見たこともない風景などに心惹かれます。また、情報を得るためには地元の人にお話を伺わねばなりません。そこに新しい出会いもあるわけです。それが私にとっての旅の醍醐味になっているのです。
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八幡浜市真網代のねずみ島

2015年12月02日(水) 記事NO.57の2
愛媛県西部の海岸線(1) その2
まず、松山を素通りして大洲に入り夜昼トンネルをくぐって八幡浜に入りました。八幡浜駅付近で国道197号線から378号線に入り、そのまま海岸線に沿って南下しました。今回の目的も砂浜での砂の採取です。そのような場所がないか探しながら車を進めました。
ところが、八幡浜から宇和島にかけて海岸線は切り立った崖や道なき道の先にありました。物理的にも時間的にも砂の採取が難しいことこの上なしです。仕方ないのでわざわざ遠回りをして、細い道のすぐ下の海岸に少しでも砂があればそれを採取しました。また、他にも気になる場所があれば画像に残したり地元の人に尋ねたりしました。心地よい緊張感に満たされていました。
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南から高島・小高島・ミツクリ島

2015年12月02日(水) 記事NO.57の3
愛媛県西部の海岸線(1) その3
西部の海岸線はとても入り組んでいて、まるでリアス式海岸です。細長くて小さい半島がいくつも延びていて、それがグルッと取り囲んだ入り江がたくさんあります。また、小さな島もたくさんありました。
ねずみ島は本土との間に砂州が発達して、干潮になれば歩いて渡れそうです。黒い砂鉄層が見られましたが、含有量は少なそうです。岡蕪島と沖蕪島は頃時鼻のちょっと北にある離島です。無人島のようです。その南にある少し大きな巴理島(パリ島?)も同様でした。高島・小高島・ミツクリ島の3つの島が並ぶ光景はけっこう見応えがありました。高島からこちらへまっすぐに堤防が延び、真横にも延びているのでまるで人工島です。比較的高い山もがあって狭い湾の中では存在感がありました。
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名称不明だが長さ80mくらい

2015年12月02日(水) 記事NO.57の4
愛媛県西部の海岸線(1) その4
八幡浜から続く川名津・小網代・穴井集落の沖では「鯛の養殖」が盛んです。今回は訪問しませんでしたが、鯛引という地名もあります。また、三瓶漁港や蔵貫浦・下泊集落沖では「ハマチの養殖」が行われていました。上の画像の高島などに囲まれた内海に面しています。大きな囲いの中でたくさんの魚が育っているのでしょう。何となく生臭い感じがしてきました。
大崎鼻を回って明浜町に入ると、急に養殖している物が変わります。何と「真珠」です。田之浜・高山・本浦・渡江・大浦などの集落沖には、定置網のようなブイ付きの網が広げられていました。アコヤガイだと思いますが、きれいな真珠ができるのでしょう。生物由来の物体ですが、私は鉱物と同じように集めています。
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紅葉している木々もある



2015年11月30日(月) 記事NO.56の1
大楽寺の大銀杏 その1
今治市内をドライブしていると、向こうの方の黄色いものが目に飛び込んできました。それは真っ黄色に色づいた大きなイチョウの樹でした。満開と言うべきかちょうどベストなタイミングです。背景が深緑色の山だったので余計に目立ったのです。急ぎの用事でしたが思わず車を停めてしまいました。
山門へと通じる石段に「大楽寺」とありました。・・・う~ん、これは絶対にあやかりたいですね。仕事にせよ、家族サービスにせよ、石採りにせよ、鉱山巡りにせよ、大きく楽がしたい気持ちは皆さんにもわかっていただけると思います。ネーミングにすっかりはまってしまって、石段を登っていきました。もちろんデジカメをしっかり持って・・・。
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山門の赤と銀杏が対比している

2015年11月30日(月) 記事NO.56の2
大楽寺の大銀杏 その2
イチョウは漢字で「銀杏」とか「公孫樹」とか書きます。前者は「ぎんなん」とも読みイチョウの実のことです。実は私はこの銀杏が好きなのです。茶碗蒸しには必ず入れてもらうし、ミックスナッツを購入するときもなるべく銀杏入りを選びます。そう一度にたくさん食べられるものではありませんが、あの食感と味覚がなぜか合うのです。
ちなみに種子ではなく果肉の臭いには耐えられません。拾った後は水につけて果肉をふやかし、使い捨てのビニール手袋で丹念にそぎ取り種子を取り出します。そしてしばらく乾燥させて臭いがなくなってから、フライパンで煎ったり小鍋で茹でたりするのです。ちょっとしたスナック感覚で手軽に食べられます。もっとも最近ではそんな手間暇をかけなくなってしまいましたが・・・。
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何でもムササビが出るそうな

2015年11月30日(月) 記事NO.56の3
大楽寺の大銀杏 その3
境内も黄色い落葉で覆われていました。樹下の本殿の屋根にも積もっていました。また、山門の横や手水鉢の辺りに真っ赤なカエデがありました。赤と黄色が対比してきれかったです。ふと気がついて銀杏を探しましたが、まったく落ちていませんでした。するとこの大樹は雄株なのでしょう。正直ちょっと残念でした。
地元の方が登ってきました。曇っていますが今日はそう寒くもないので、境内や集落内をゆっくり散策するようです。適当な場所に腰掛けてのんびりするのも良いでしょう。・・・って私はのんびりできません。用事があることをやっと思い出しました。早くしないと潮が満ちてきます。何カットか写真を撮って急いで車に戻りました。
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ベンチがたくさん置かれている



2015年11月22日(日) 記事NO.55の1
加茂川の紅葉狩り(2) その1
加茂川両岸の紅葉が色づいてきました。天気は曇りでまだそう寒くはありません。あるグループに同行して総勢12名でここへ来ました。・・・ちなみに案内役は私です。博物館関係とか学校関係とかなら自分から進んでその仕事を買って出ます。
加茂川の水は少なめで、西岸から川の中央3分の2まで川原が広がっていました。手頃な大きさの石がたくさん転がっています。最も目にするのが角閃石で黒や緑や茶色など様々なパターンがありました。ざくろ石は関川と違って少ないですが、それでもたまにあります。また、黒い泥岩中には貝化石が含まれます。和泉層群と三波川帯が接している地域ならではの光景です。
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赤黄緑などちょっと幻想的な錦

2015年11月22日(日) 記事NO.55の2
加茂川の紅葉狩り(2) その2 M34
市ノ川礫岩を見つけました。これに輝安鉱が含まれる可能性は1割くらいで、さらに鉱脈や結晶ともなればぐっと確率が下がります。そこで、私は特に割ろうとせずに同行者にそれを知らせました。すると、2人来られて石を掘り出しハンマーでトン・カンされていました。
しばらくして私を呼ぶ2人の声がしました。行ってみると、直径25cmくらいの丸い石が真っ二つに割れ、その中に20cm近い鉱脈が数本走っています。初めて空気に触れた新鮮な結晶で、まったく錆びていないため青みを帯びていました。売買されているような一級品ではありませんが、私らのような素人にとっては貴重な標本です。2人とも少し興奮して顔が赤くなっていました。なお、私は資格を消失しているので取り分なしです。
さて、どこで採れたか詳しく知りたい方はメールしてください。
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鋭い青色が光る鉱脈中の結晶



2015年11月21日(土) 記事NO.54の1
加茂川の紅葉狩り(1) その1
西条市を流れる加茂川は、春は桜の花見、夏は鮎釣りや芋煮会、秋は紅葉の鑑賞と季節感に富んでいます。そして、冬は私たち石採りの隠れたメッカとなっています。流域には千町鉱山・新居鉱山・基安鉱山などキースラーガー系があり、極めつけはアンチモンの市ノ川鉱山があることです。私が初めてそこを訪れたのは8年前でした。誰も場所を教えてくれないので逆に奮起して、地元に強行して野良仕事をしていた方に話を伺ったりしてついに見つけました。
その方は、すっかり白くなってしまったけれど大きな輝安鉱結晶を大事に持たれていました。人気があり売買すればとても高価なようです。しかし、私たちは産地荒廃を加速する現金採集には興味を失ったので、自分の力で地権者に了解を得ながら採集活動することを心がけています。
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千荷坑へと続くイチョウ並木

2015年11月21日(土) 記事NO.54の2
加茂川の紅葉狩り(1) その2 M33
一方で、何かの縁で知り合った人と石や情報交換も積極的に行っています。売買は止めても収集は止めません。また、時には気が合った個人や機関へ無償で上げることもあります。理科の普及活動に役立つなら惜しんでなんていられません。ただし、内容を精査してから決めます。
輝安鉱の大型結晶の川流れ品を「ぽち」というそうです。でも地元の人も知らなかったので本当かどうかわかりません。長さよりも厚みのある結晶が谷川に流れて擦れ、丸みを帯びて最終的に輝安鉱だけの玉になった物です。長時間水につかっていると黒くなります。他にも白目(しろめ)とか様々な呼び名があります。古代では銀のようだけど銀ではない物と言われていました。そういったことを調べるのも面白いです。
そう言えば、さっき水晶中の輝安鉱結晶を探しに来た人がいました。ネットで見て自分も欲しくなって探しに来たそうです。袖すり合うも多生の縁。せっかく話をしたので情報を上げようとしましたが、ちょっと目を離した間にどこかへ行ってしまいました。無事にゲットできたのかちょっと気になりました。これを読んで心当たりのある方はメールしてください。
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ぽちのようでぽちじゃない、残念



2015年11月20日(金) 記事NO.53
黄昏時の大洲城跡
愛媛への県外出張が長引いて、ただいまの時刻は午後5時半です。ラッシュのど真ん中です。車がいっぱいです。動けません・・・(ハァ~)。
年に数回、多ければ20回くらい県外に出張します。朝4時とか5時に自宅を出て帰りは夜の7時や8時。場合によって夜11時着もあり、次の日も仕事なら睡眠時間がほとんどナシってことも。まるでブラックみたいですが(いやそうかもしれませんが)、少しはストレス発散したいものです。
日が沈み夕暮れから夕闇になる時間帯は対象がわかりにくくなるため、事故などの危険性が増します。逢魔が時(おうまがどき)といって、「魔物」に遭いやすいので注意が必要です。しかし、私はこの時間帯が好きなのです。余分な色がなくなり、黒いシルエットが浮かんで物体の輪郭がはっきりしてきます。対象物の姿形をくっきりと映し出すには、余計な物をはずしてその内面を見る必要があります。
人も同じ。地位とか肩書きとか、そういうものをすべてはずして見てみれば、その人物の本性が見えてきます。この世は驚くことばかりなり。
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肱川の土手沿いに立つお城
国道56号線からすぐにある



2015年11月12日(木) 記事NO.52の1
中山七里を越えて その1
西明石山から笹ヶ峰にかけて連なる山脈が分水嶺となり、西進する銅山川と北上する国領川に分かれています。どちらの河川も鉱物の宝庫で、それをつなぐのは1本の道。県道6号線と47号線です。銅山川沿いに走っているのが6号線で途中から川を渡って南下します。そして、そこから47号線が連続して始まるのでどこで区切られているのかわかりません。
さて、これら2つの産地を同じ日に回るのは無謀でしょうか?時間の取り方とか狙う石とかによって返事が変わるでしょうが、今日は同行者の希望もあり一気に走ってみました。天候はまあまあで、川の様子もそれなりにマシなよう。身体と車のコンディションも大丈夫のようです。銅山川の方から走ってみました。
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標高のある分水嶺の峰々

2015年11月12日(木) 記事NO.52の2
中山七里を越えて その2
午前中は保土野や瀬場谷で石拾いをして、別子山ふるさと館で昼食です。定食が切れたらしいのでカレーうどんを頼みました。汗をかいたのでちょっと辛い物が食べたかったのです。塩分と辛み成分は違いますが気分の問題で、バテ気味だった身体に活を入れる儀式(?)でもあるわけです。何はともあれ、少しだけ回復できた老骨の身にむち打って(これはウソ!)、車に乗り込みました。
積善・筏津・余慶を横目にして別子山の支所前を通ると、道はだんだん狭くなります。別子銅山の遺構を巡る登山の出発点には、数台の車が止まっていました。四国だけでなく関西圏や中国地方からも来ていました。別子ダムの西岸を進んでしばらく行くと峠道の最高点に達し、さらに大永山トンネルを抜けると下りになります。
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ダムに下る道はコンクリになった

2015年11月12日(木) 記事NO.52の3
中山七里を越えて その3
そこからはずっと急なカーブを下るだけです。スピードが出やすいので要注意。油断しているとタイヤがキュルキュルと鳴ります。まるで何とかDの世界です。ふるさと館を出て小一時間、マイントピアまで後2kmくらいで車を止め谷川へ下りていきました。
思ったより水量があり対岸には渡れませんでした。どうしても欲しい石があれば泳いででも行きますが、今日はそこまでの気分ではないです。そう言えば私の「池ぽちゃ体験」って全部ルチルがらみですね。神様のおかげかもしれません。
本日の成果は、ルチル、500円玉サイズの白雲母、エクロジャイト、ざくろ石、藍晶石、大きな角閃石の塊り、キースラーガーなどでした。
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3つのトンネルが連続する



2015年10月31日(土) 記事NO.51の1
太山寺の亜炭 その1
私が今のところ把握している四国の炭鉱は30カ所余り。そのうち実際に行ったのが半数くらいです。雑誌や図鑑ばかりでなく、四国の各市町村の役場にお願いして、市町村の歴史の中から鉱山跡に関することをコピーさせてもらったことも度々です。また、ネットから得られる情報も頼りにしています。「あわ~ストーンⅡ」開設に関わった若い友人がその道のプロ(?)で、断片的なデータをつなぎ合わせて真実を見抜く・・・って格好良すぎですね。
さて、前置きが長くなりましたが今回は余り情報がありません。そこでいつものように行き当たりばったりで現地に直接乗り込みました。松山ICから車で30分くらいです。最短コースの環状線を走りましたが、いつも混雑していてそれだけ時間がかかるのです。
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四国52番札所「太山寺」

2015年10月31日(土) 記事NO.51の2
太山寺の亜炭 その2
参道をゆっくり走り駐車場に停めてから山門をくぐります。本堂のある境内を素通りし(もちろんお賽銭は上げます。)、裏山に続く細い山道に入りました。お遍路さんの接待をされている方の話では、山道沿いの大岩のそばに坑口があるとのことでした。
この一帯は亜炭層が分布し、有機物に富んだ褐色の土が見られます。戦中から戦後にかけて掘られたそうです。坑口は2カ所らしいですが、崖のそばにあるとかでちょっと危険です。・・・しかし、結局わかりませんでした。それらしいのは見つけたのですが、はっきりと断定できません。
山道は三津浜まで続いていて、昔は船に乗る人がこの峠道を歩いて往来していました。ぼぉ~と響く汽笛が聞こえると青い海はもう目の前です。ちょっと残念な結果となりましたが、またの機会に期待します。
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峠の分かれ道は風情がある



2015年10月25日(日) 記事NO.50の1
道の駅ひろた その1
そう行きたいわけでもなく、それでも行っておかないといけないし、何か用事のついでがあれば立ち寄ろう・・・と思っている場所がいくつかあります。この「ひろた」もそうです。ここには広田鉱山というキースラーガーを採掘していた跡が残っています。私の研究テーマの1つですが、ついつい行かずにさぼっていました。それがようやく叶ったのです。
内子から国道379号線に入り後は道なりです。しばらくすると分かれ道になり谷川に沿って北上すると、山間に小さい施設が見えました。小腹が空いたのでので五平餅を買い食いし、お茶を飲んで気分を切り替えます。谷川に木製の橋が架かり、その向こうにコンクリ製の支柱が立っています。それが鉱山跡でした。
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駐車場はまあまあ広い

2015年10月25日(日) 記事NO.50の2
道の駅ひろた その2
丸太で土止めした段差を歩いて登りました。聞くところによれば、この丸太に悪さをする連中がいるとのこと。私たち来訪者のために地元の方が設置してくれているので、皆さんもきれいに使って協力しましょう。
支柱の上方に坑口があって、そこから掘り出した鉱石を搬出していました。鉱石が落ちていないか探しましたが何にもありません。土の中に埋もれているかもしれないけれど、そこまでして探す気もなく入手できませんでした。事務所跡やホッパーなど遺構が少しだけ残っていました。
ここから北上すると砥部町です。キースラーガーやマンガン、アンチモンや陶石などの鉱山跡が点在します。次回はそれらを目的に訪ねようと思いました。
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谷川のほとりに咲く秋桜



2015年10月24日(土) 記事NO.49の1
四国の西の玄関口 その1
かつての小松島港、今は徳島港が東の玄関口なら、西は八幡浜港でしょう。もっとも佐田岬の方へ40kmほど行けば三崎港がありますが、大型のフェリーが接岸するできるのはここだけです。八幡浜は周りを山に囲まれた港湾都市で、夜昼トンネルで大洲や松山、宇和島と接続しています。また、JRも通っているので交通は至便です。
しかし、徳島からは遠いです。自動車道から国道に下りて240kmくらい。3時間はかかるのです。フェリーに乗るにはその1時間前に到着しておくのは常識だから、朝6時半の便に間に合うには夜中の丑三つ時出発!体力が要ります。九州へ行くときは中国回りで高速を使う方が良いかもしれません。
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別府と航路で結ぶ「えひめ丸」

2015年10月24日(土) 記事NO.49の2
四国の西の玄関口 その2
道の駅でフェアをやっていました。海産物が豊富で様々な魚介類が販売されています。ホタテかヒオウギガイかわかりませんが、美味しそうな貝もありました。茹でたり蒸したり焼いたりすればさぞかし美味いことでしょう。おっと、よだれが出てきそうになりました(笑)。
九州だけでなく離島への航路もここから出ています。南東へ10kmくらいの「大島」もその1つです。地質的に珍しいものがあるそうで、道の駅北側のポートから出ていました。日に数便しかないので行くときは注意しましょう。港すぐの沖合の「佐島」にも住宅があるそうですが、そこへは漁船などを使うとのことです。離島の生活とはどのようなものなのでしょうか。今までにいろいろな所を訪ね回っていますが興味は尽きません。
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港の隣の「みなっと」



2015年10月23日(金) 記事NO.48
夢永海水浴場の緑色片岩
伊予灘に面した国道378号線(夕やけ小やけライン)を走りました。海岸線のほとんどは急なドン深で波打ち際まで下りられる場所がありません。喜多灘と長浜、そして八幡浜にほど近い海水浴場だけでした。研究用として砂の採取が目的でしたが、事前調査だけでは無理でやはりそこへ行ってみないとわからないってことです。
保内町に入ってすぐに国道から離れました。地図上で小さな海水浴場を確認していたからです。下り坂を進むと本当に小さくて狭い浜がありました。ちょっとした入り江で水深がありそうです。果たして海水浴に適しているかは別として、足下を見れば灰緑の岩石ばかり。三波川帯がここまで続いているのでしょう。徳島で言う「青石」ばかりの浜でした。なお、肝心な砂は浜の隅の方で確保しました。
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砂と言うより砂利の浜でした



2015年10月22日(木) 記事NO.47の1
肱川の跳ね橋 その1
出張の合間の休憩時間に長浜新大橋を渡りました。別にサボっているわけじゃなくこれからヒ・ル・メ・シなんです。この日は天気が悪くて冷たい大粒の雨が断続的に降っていました。まだまだ暖かいといっても少しずつ季節が冬モードになっていくようです。
さて、なかなか食堂が見つからず見つけたところはなぜか休業中。ようやく道の駅でうどんとじゃこ天にかぶりつきました。帰りにまた新大橋を渡ろうとしたが、気が変わって赤い跳ね橋を見に行きました。
橋から見て北岸には商店街、南岸には市街地があります。道がやや狭くて対向するとき困りましたが、まだ時間があるのでゆっくり観察しました。近いうちにお祭りがあるようで神社に幟が立っていました。
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国の重要文化財「長浜大橋」

2015年10月22日(木) 記事NO.47の2
肱川の跳ね橋 その2
立て看によれば、昭和10年8月に竣工され現存する国内最古の開閉橋だそうです。中央部の18m分が跳ね上げ式になって船を通過させることができます。また、交通量はそう多くありませんが地元の生活道路として利用されています。観光名所でもあるためタクシーが数台渡っていきました。他にも見どころがあるのでしょうか。
この橋は芸術家にも人気があり、絵画や写真などで目にします。愛媛県のある画家が好んで描いていて、それを購入して親類の新築祝いに送ったことがあります。今でも玄関の白壁に掛けてくれています。新緑の中でこの赤橋はとても目立つのです。だから、モチーフには最適なのだと思います。私なら天気が良ければ釣り糸でも垂れたいところです。
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車二台が何とか対向できるかな



2015年09月27日(日) 記事NO.46の1
糸山公園地先 その1
しまなみ海道をくぐって旧今治市の北の果てを目指しました。今治城から車で15分。来島海峡を見渡せる展望台に到着。眼前に来島第三大橋が向こうまで伸びて、海峡には大小の船が往来しています。
さっき今治城天守閣から見ていたタグボートが、今やっと大橋の下をくぐりました。すると今度は反対方向からタンカーがやって来ました。狭くて潮流も激しく複雑な地形なのに昔から交通の要所となっています。見ているだけでも飽きない光景がしばらく続きました。
大橋の先にあるのが馬島で集落や漁港があります。また、民宿もあるようです。それ以外に北側の小島など2つの島にも住まわれている人がいます。展望台から見れば、島の堤防に沿って家屋が並んでいるのがわかります。どのような生活をされているのか興味があります。
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糸山公園の先の行き止まり

2015年09月27日(日) 記事NO.46の2
糸山公園地先 その2
公園から700m先は行き止まり。そう表示が出ていました。ということはそこは四国の端っこです!端っこ大好きな私としては逃せません。早速行ってみました。道は思ったよりきれいで最後まで舗装されていました。しかし、生活道路ではないため(民家がなく、小型の漁船を管理する程度しか使われない。)掃除されておらず、落ち葉がいっぱい溜まっていました。海が見える場所でUターンして駐車しました。そこから側溝を伝って2m下の砂浜に下りました。
砂はやや褐色の花崗岩起源のもので、石英や長石からなります。浜の端の垂直な岩盤には石英脈が走り、一部は結晶化していました。水晶を探しましたがこれといった物はなく、ペグマタイトを確認しましたが大したことはなかったです。なお、地質は領家帯に属します。
納沙布岬・与那国島・波照間島・宗谷岬に富士山を加えると、それらは日本の東西南北そして上の端っこです。徳島県の蒲生田岬・愛媛県の佐田岬・高知県の足摺岬・香川県の竹居観音崎石鎚山を加えると、それらは四国の東西南北そして上の端っこです。ただし、後者には離島を加えていないので異論はあるでしょう。今のところの成果はここまでです。
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波止浜港入口にある島の神社

2015年09月27日(日) 記事NO.46の3
糸山公園地先 その3
地先から再び後戻りして波止浜港のゲートを通ることにしました。造船所がひしめき合う区画内に細い路地のような道が延びています。その先に船が通るとき跳ね上げる橋のような道が続いていました。地元の生活道路になっていて意外とたくさん車が通ります。しかし、細いため対向できずしばらく待つことになりました。数分ほど待ってやっと通れました。
造船業界はまだ曇りです。でも技術者は必要だしその後継者の育成も重要です。教え子の現場ではいつも怒号が飛び交っていました。
・・・いやいや別にケンカしていたり労使紛争している訳ではありません。造る船が巨大であり機械が動けば騒音となるため、互いに大声で叫ばないと相手に聞こえないのです。また、上司だろうと船主だろうと関係なく「どいてください。」じゃなく「どけ!」と命令口調で言います。大声で丁寧語なんかしゃべれません。口が悪くなるのは職業病だと笑っていました。高校生のときは○○○だったやつが、久しぶりに会うととてもたくましくなっていました。
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ドック入りする貨物船



2015年09月26日(土) 記事NO.45の1
瀬戸の島々の石の切り出し その1
私の古い知り合いに村上さんという人がいます。3系統あるという村上水軍のうちの1つの当主の次男坊でした。あれっ、ぎりぎり直系でなくなっちゃったね・・・などと失礼な言葉をかわせるくらい仲良かったのですが、今はちょっと音信不通の状態。共通の友人に問い合わせればわかるでしょうが、何となくそうせずにこのこの年までずるずる来てしまっています。
村上水軍は当時の瀬戸内海の水運業に深い関係があり、輸送の傍らで他国の船を襲ったり、時の権力者と結びついて時代の変革に一役買いました。そのようなことを日本史の授業等で習っています。それを知る一族の人から直接話を聞けるのでとても興奮しました。
夏季には砦があった島巡りツアーが開催されています。来年こそ参加したいです。
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天守閣から見た大島

2015年09月26日(土) 記事NO.45の2
瀬戸の島々の石の切り出し その2
大阪城や今治城などの石垣には、瀬戸内海に浮かぶ島々の石切場から運び出された石が使われています。木目細かい花崗岩でしっかりしており、加工もしやすいとのことです。今治市街の至る所にもそれらが使われていました。大島石と呼ばれています。
これらの一部は先の村上水軍などによって運ばれたと思われます。ではその運搬方法はどのようなものだったのでしょう。船に乗せたのか、それとも木を組んで造った筏に載せたのか。私は石をロープで縛り水中に下ろして運んだのではないかと思います。その方が安定性があるし、水の浮力により石の重量が軽減されるからです。
正解は資料館に保管されているでしょう。また、そろそろ彼に会ってそういった話も聞きたいと思います。昔を懐かしみながら現地を後にしました。
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湯ノ浦のモニュメントも大島石



2015年09月25日(金) 記事NO.44の1
今治城とB級グルメ その1
石採りのついでに地元を観光したりします。見る・食べる・買う・・・と言えば雑誌のる○ぶみたいですが、私の場合は主に見るが主体です。有名な地形や景勝地、建造物や石碑など、地学系や歴史系の事象が好きです。
今治は松山道からかなり離れているためほとんど足を踏み入れることがありません。今回は砂採りや石の産地を巡るついででした。伊予小松から分岐して道の駅がある湯ノ浦まで車で15分、それから国道196号線に下りて市街地を目指します。しまなみ街道とはまだリンクしていないので今治ICまでは一般道を進むしかありません。時間によって混雑するため30分くらいかかります。道が3車線になってくると周囲の建物が多くなります。飲食店が目立つようになり、ちょうど昼食時だったので「見る」から「食べる」へと変更しました。
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城の大手門前にある巨岩

2015年09月25日(金) 記事NO.44の2
今治城とB級グルメ その2
参加者11名車3台の大所帯でここに来ました。庶民向けの大衆食堂を検索してすぐにバイパス沿いに見つけました。何を食うのかというともちろん地元でしか食べられないB級グルメで、目的は「目玉焼き丼」です。実は家でもときどき作って食べてたりします。でもここ本場のそれはいかなるものか興味があったので、早速頼んでみました。
ふわっと柔らかそうな温かい半熟目玉焼きが白飯にのっています。箸で黄身の部分を少しつぶしてご飯と絡ませ、肉と一緒に口へ運ぶのです。うん、うまい!・・・あっという間に完食してしまいました。仲間たちを見回すと完食までまだまだ時間がかかる様子でした。そこでもう一杯おかわりして腹を満たしました。
石採りのときはパンでも買って済ますのがいつもセオリーです。でも今日は久しぶりのまともな食事に満足しました。
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今治城の天守閣

2015年09月25日(金) 記事NO.44の3
今治城とB級グルメ その3
ゆるキャラの○リィさんが目立ってくると、ついに市街地に入ったことを実感します。そこで、次は「買う」に変更して土産物屋に入りました。○リィさんのふんとか怪しげなお菓子や○きゃんのサイフなど、家族向けの物をいくつか買いました。
さて、やっと今治城の話です。・・・天気も良く見晴らしが良かったです。しまなみ海道や市街地、高縄半島の山々がよく見えました。・・・残っていた感想はこれだけです。他の印象が強すぎましたね(笑)。
この後は半島をぐるっと回り、波方町・大西町・菊間町・北条市の順に海岸線を走ります。帰りは松山からになりそうです。高速がなかった時代は車で少なくとも5時間かかりましたが、今は2時間で行けます。帰りの車の中ではそういった昔の話で盛り上がりました。
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天守閣から見た楢原山



2015年09月24日(木) 記事NO.43の1
燧灘の砂浜を巡るはず その1
燧灘(ひうちなだ)は瀬戸内海の一部で、四国の北海岸に面している海です。四国を思い浮かべてもらうと、香川の丸亀辺りからと愛媛の高縄半島までの凹型地形に挟まれたように見えます。寒川海水浴場・関川河口・垣生海水浴場・高須海水浴場・唐子浜など(ほとんど海水浴場ばっかり)、薄い灰色の砂浜が続いています。
関川の砂はもっと黒かったけれど、思ったほど砂鉄が含まれていませんでした。ざくろ石の破片が多かったけれど。そう言えば、県立博物館では来年4月に石の展示をするそうです。子どもにも楽しめる企画なので今から楽しみです。
さて、人工の浜があるのでその場所は省いて、極力大きめの自然の浜を探しました。そのため海水浴場ばかりが候補になるのは仕方ないです。
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誰もいない砂浜が続く

2015年09月24日(木) 記事NO.43の2
燧灘の砂浜を巡るはず その2
今治市街にほど近い唐子浜まで来ると、砂の色がやや褐色になっていました。花崗岩が風化してできたもののようで、石英や長石、黒雲母などが見られました。また、一部に小さな水晶も見られました。よく見るとうっすらと色が付いて黒水晶とまでいかなくても煙水晶のようです。・・・この後持って帰るつもりでしたが、どこへ置いたか忘れて見失いました(涙)。
孫兵衛作という地域には石屋がいくつかあり、古い採石場もあります。その1つで残土から水晶が数多く見つかり話題になりました。それを知ったマニアが次々と押しかけましたが、最初の頃にほとんど採り尽くされてしまったようです。ところで、その場所って他人の所有地のはずです。入った人はきちんと許可をもらったのでしょうか?また、ネットで売っている物は誰かが無断で採集した物かもしれません。君子危うきに近寄らず。
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道の駅の近くにも採石場が点在



2015年09月23日(水) 記事NO.42の1
加茂川河口の水辺 その1
東予の石採り三大河川(・・・個人的に勝手に命名)とは、東側から関川・国領川・加茂川です。石の種類はいずれ劣らず、河川ごとに採れやすい採れにくいの特徴もあり、どこへ行っても楽しめます。県内在住の知人は1ヶ月ごとに河川を行き来して、お眼鏡にかなう石をゲットしています。
黒瀬ダムからの流水と市ノ川谷が合流する辺りはもう加茂川下流です。水量がかなり増えて川原いっぱいに広がることも稀ではありません。そこで今回はいつもの場所ではなく、少し河口に近い場所を探検しました。土手を進むとすぐに水深が深くなり、露出した川原の面積がぐっと狭くなります。また、岸辺にはアシやススキなどが生い茂るようになり、肝心の石が見つけにくくなりました。
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加茂川大橋の下を流れる河川水

2015年09月23日(水) 記事NO.42の2
加茂川河口の水辺 その2
川原を構成する粒子がいつしか小さな礫(れき)から砂粒へ、そしてもっと細かな泥質へと変化していました。砂を採るために川原へ下りていきましたが、足下がぬかるんでなかなか下りられません。まるで泥の干潟のようです。カニやトビハゼがうろうろして、古い船着き場の棒杭には巻き貝やフジツボがぎっしりでした。
大橋をくぐるともう川原はありませんでした。一面が水です。しかし、何としても砂の採取をしなければなりません。ちょうどお年寄りの方が散歩されていたので尋ねてみると、やはり川原はないが堤防の隅に少しだけなら残っているかもしれないとのこと。ダメ元で行ってみると小さな浜を見つけてかろうじてゲットしました!
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加茂川西岸の昔の船着き場跡



2015年07月20日(月) 記事NO.41の1
夏休みの宿題に備えて その1 M30
台風一過でも天気はあまりよくありません。水無川は大水になっているでしょう。しかし、それでも行かねばならないこともあるのです。私は重要な使命を帯びているのですから。とてもとても大事なことです。それは・・・、夏休みの宿題です。世の中の小学生・中学生の保護者にとって、試練の季節を迎えました(笑)。
我が家では、理科の課題で困ったときは「石」です。化石でもできますが、うちの子の興味と知識のレベルから考えれば岩石や鉱物が主になります。次に場所選びです。徳島県内でもいくつかポイントがありますが、30種類以上集めるのはちょっと難しい。そこで、必然的に目を向けるのが四国最大の鉱物メッカ「関川」です。
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この菫泥石は、箱には大きすぎた

2015年07月20日(月) 記事NO.41の2
夏休みの宿題に備えて その2 M31
台風の中心に近かったせいか、予想通り水量が10割増しでした(つまり普段の2倍くらいでした。)。いつも歩いていたところが水深50cm。子どもを抱きかかえても渡れません。それどころか流れに足を取られて溺れる可能性もあります。仕方なく両岸の浅い場所で石探しをしました。
乾いている石と濡れている石とでは、表面の質感がまったく異なります。これは石探しの大きなマイナス要因です。普段見慣れていたはずの石がまったく別物になってしまうからです。子どももちょっと戸惑っている様子ですが、無頓着に見た目が好みの石を次々拾っていました。しかし、それだけでは種類が集まらないので、見た目だけでも異なる石をたくさん集めさせました。自分の宿題ですからね。当然ですよ。
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やや桃色のザクロ石で庭先にある

2015年07月20日(月) 記事NO.41の3
夏休みの宿題に備えて その3 M32
ここからが私の宿題です。子どもが拾ってきた大量の石を鑑定するのです。何でもかんでも見た目が違う石を・・・と言ったら、プラ製の大型箱ケース3つに山盛りでした。2時間足らずでそのような感じなので、さすがに関川はすごいです。でも感心ばかりしていられません。仕事量が多そうです。
結果として、思ったほどの種類は確保できませんでした。川原の中心部へたどり着けなかったのが災いしているのでしょう。仕方なくその後も8月3日に来訪、さらに11日にも再来訪してようやく石がそろいました。手伝いは必要最低限にと思いますが、車を出さないと行けない場所もあるからそれは仕方ないでしょう。後は無事に宿題が完成できるかどうかです。
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石英と角閃石の間に4cmルチル



2015年07月06日(月) 記事NO.40の1
夏の伊予川(2) その1 M27
伊予川(銅山川)中流には、北側の山々から谷川が下りてきています。西から小足・日浦・大野・瀬場・床鍋・保土野・肉渕・芋野谷などで、特に瀬場を含めた4つの谷では鉱物採集が楽しめます。
瀬場にはエクロジャイトの石碑があり、その石もこの谷で発見された物です。今でも伊予川との合流点付近にエクロの巨岩が鎮座(ちょっと大げさですが・・・。)して、表面の風化面さえ見分けられればハンマーの一撃で入手できます。他にも金紅石(ルチル)・ザクロ石・透緑閃石(アクチノライト)・角閃石や本流のキースラーガーなどが採れます。
島根や愛媛などの大学がこの辺りを調査していて、様々な岩石や鉱物が見つかっています。見栄えのしない石もありますが、標本としての価値はすべて同格だと思います。なお、当時の筏津山荘でもらったパンフが資料の山に埋もれてしまいました。片付けたいですが、室温30℃には勝てませんでした。
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見栄えのしない○○輝石
(名前忘れました!)

2015年07月06日(月) 記事NO.40の2
夏の伊予川(2) その2 M28
黄鉄鉱・黄銅鉱・磁鉄鉱・赤鉄鉱・チタン鉄鉱などの金属鉱物は、石英・緑泥石(紅簾石や藍閃石はちょっと少ない。)などの石片を含む岩に含まれています。鉱物の前二者は金色で、他は黒っぽい外観です。別子鉱山時代に採掘され川に流された脈石もあるでしょうが、この辺りで産出する変成岩にも含まれています。
水晶・緑簾石・蛇紋岩・カンラン石なども見られます。ただし、エピドートにしては色が薄いのでゆうれん石かもしれません。蛇紋岩などの巨岩がよく落ちています(落ちていると言えるかどうかは疑問?)。推定重量は100トンを超えそうです。それらが普通に転がっているのを見れば、この産地はまだまだ奥が深いと思います。
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リヒター閃石と白雲母

2015年07月06日(月) 記事NO.40の3
夏の伊予川(2) その3 M29
国内でも珍しい(種類ばかりでなく見た目や大きさなどを含めて)鉱物の産地がここに集中しています。例えば、保土野のルビーと呼ばれた赤紫色コランダム、青色柱状結晶の藍晶石、マントル由来物質のエクロジャイトなどです。また、この記事を元に訪れた方々から他にも様々な物が見つかったとメールがありました。見つけられて満足されたそうで何よりです。
銅山川本流でもよく見つかります。お勧めは成(なる)自然公園やその付近の流れが弱い場所です。ただし、成の駐車場には止められないので、上の国道にジャマにならないよう路駐して降りて来てください。この記事を見てから3日以内が勝負です。先に採られてボウズになっても責任は持ちません(笑)。
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角閃石を含むカイヤナイト



2015年07月04日(土) 記事NO.39の1
夏の伊予川(1) その1
天気予報が晴れでも、山の天気は変わりやすいので注意が必要です。最近は平地でも天気が急変することがあり、予報も今一つあてになりません。雨の予報でも1日中晴れていたり、晴天のはずがいきなり夕立のような強い雨が降り道路が冠水したりするのです。特に、徳島市や吉野川市など線路の高架下の道は排水が難しいので、雨水が溜まって道が閉鎖されるときもあるのです。
山中で人家から徒歩15分以上離れる場所に行くとき、必ず水筒とカサとタオルを持参します。晴れが続くときは水分補給と汗を拭くためで、急な雨のときはカサが必需品となるからです。皆さんも忘れないようにしてください。
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川原は日光を遮るものなし

2015年07月04日(土) 記事NO.39の2
夏の伊予川(1) その2 M25
伊予川とは銅山川の別称です。徳島県側から見たときそう呼ぶのです。山城町で吉野川本流と合流し、池田湖を経て紀伊水道に流れ出します。そして、この川は四国有数のザクロ石の産地にもなっています。
源流にある東赤石山などはエクロジャイトなどザクロ石を含む岩石からなります。川の北側の山々から流れ出る谷川はそれらの宝庫です。赤やピンク、オレンジや緑、黄色や青味がかった物が粒状や脈状に含まれています。母岩の違いによって石の種類がとても多くなっています。
すべての種類のザクロ石入り岩石を揃えるのは難しいでしょう。私もやっと30種類を超えたところです。まだまだこれからですが、頑張って集めてみようと思います。
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脈状ザクロ石のエクロジャイト

2015年07月04日(土) 記事NO.39の3
夏の伊予川(1) その3 M26
ザクロ石以外にも多くの鉱物や岩石を産出します。以前に山城町で大型のザクロ石を含む角閃片岩を拾ったY様によると、たまたま居合わせた近所の方から○千円で売ってくれと言われたそうです。と言うことは、見た目でも素晴らしい物があるのでしょう。
ザクロ石の次に多いのが角閃石で、黒色や緑色または褐色などの柱状結晶からなります。赤い粒子と黒い結晶がよいコントラストになっています。また、同じ鉱物でも産地によって異なる場合があるのは常識ですが、行けば行くほど新しい発見があるので楽しいです。
この夏も無理をしない程度に楽しく訪問します。新しい出会いに期待を込めて・・・。
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濡れたようなアメ色のチタン石



2015年06月21日(日) 記事NO.38の1
加茂川の鉱物たち(2) その1 M22
別のサイトでも情報がアップされたためか、2日目の休日に訪れたときの成果は今一つでした。そう言えば、以前に銅山川の情報が掲載されたときもその後2か月はさっぱりだったので、やはりこれをチェックしている人がいるようです。ただし、川原で楽しむためであれば別に問題ありません。が、地権者のいる地域への無断侵入や採集はお断りです。
褐色の角閃石系の石や黄白色のチタン石が目につきます。丸い白点が付いた石灰岩や緑色の結晶を含んだカンラン石もありました。同じような黄褐色で結晶が見られるのは苦灰石(ドロマイト)です。他の鉱物と共存していました。希塩酸を加えると、石灰岩ほどではないですが発泡します。関川や国領川と同じ鉱物ですが、見つかる頻度がそれらより多く結晶も大きめのように思われます。
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ほぼドロマイトだけの塊り

2015年06月21日(日) 記事NO.38の2
加茂川の鉱物たち(2) その2 M23
緑色の蛇紋岩も見つかりやすく、他の産地より緑色の石が多いような気がします。一方で、青紫色や赤紫色の紅簾石が少なく、結晶も細かい物が多いです。ルチルを最初に見つけてから3年が経ちましたが、その後もときどき見つけたりして、今では関川産より標本数が多くなってしまいました。
4月に私の後輩になってしまったK様も1個拾っていますが、長さが5cmクラスの立派な結晶です。拾った場所は、・・・・・・・です。行くたびにそこを散策するのですが2個目は見つかりません。一方で、M様は太さ1cmで長さ3cmの物を、新規会員のK様と古株会員(ごめんなさい!)のH様は1cmくらいの物をゲットしました。それにしても、私の周りにはルチルの所有者が多いです。四国を代表する鉱物ですからそれも大事でしょう。
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緑色片岩中の丸い磁鉄鉱

2015年06月21日(日) 記事NO.38の3
加茂川の鉱物たち(2) その3 M24
丸い粒子の磁鉄鉱がありました。クロム鉄鉱かと思ったのですが、磁力がかなり強かったのでそう判断しました。大きさは数ミリしかありませんが、高知県白滝鉱山や徳島県高越鉱山よりも緻密で磁力も強いように思われました。緑色の母岩に丸い水滴のような結晶が含まれている感じです。特に狙っていた訳ではありませんが、面白い物が採集できました。
白い母岩に赤いザクロ石と黒い角閃石が散りばめられていました。他の産地では見たことのないパターンの石です。両者が共存していることはよくありますが、大概は角閃石が塊りになっていたりザクロ石が細かくなっていたりして、見栄えの良い物はありませんでした。ちょっとうれしかったです。その後、もう1個小さな物を拾うことができました。
これでしばらくはこの川とも見納めです。
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磨けば飾り石になると思う



2015年06月20日(土) 記事NO.37の1
加茂川の鉱物たち(1) その1 M19
今年の6月は仕事が多くて、休日がたった2日しかありません。まるでどこかのブラック企業みたい(笑)ですが、私しかできない仕事なのでやむを得ないでしょう。その代わり夏季休業をしっかりいただくつもりなので、これをご覧の管理職の方々はよろしくお願いします。
さて、その貴重な休日の1日目を使っていつもとは違う場所へ赴きました。愛媛県西条市の加茂川は石鎚山系を源流として黒瀬ダムを経由し、また伊予富士などを支流として市内中央をくねっと曲がるように流れています。流域面積や距離は大したことありませんが、赤石山系の西端部であり、関川や国領川と同様の鉱物を産出します。ただし、種類や数はさほど多くありません。その代り他とはバリエーションの異なる鉱物どうしを含んでいたりします。とても楽しみです。
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アンチモンと水晶

2015年06月20日(土) 記事NO.37の2
加茂川の鉱物たち(1) その2 M20
加茂川流域には数多くの鉱山がありました。源流の基安鉱山、中流域の新居鉱山や千町鉱山、支流の市ノ川鉱山や細倉鉱山など、キースラーガー・アンチモン・マンガンなどを主とする鉱山跡が残っています。ということは、それだけ鉱物の種類が比較的多いということです。
下流域の芋煮会が行われる辺りは流れが穏やかになり、石が堆積して拾い河原ができています。そうした場所がポイントです。駐車場も完備されているので置き放題・拾い放題です(?)。
探し始めて15分後、同行していたM様が輝安鉱を見つけました。薄汚れた石英質の母岩に灰色の鉱物が付着しています。割ってみると細い柱状結晶がたくさん含まれていました。また、表面には細かくて透明感のある米水晶がびっしりくっついていました。
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風化したカンラン石と玉髄

2015年06月20日(土) 記事NO.37の3
加茂川の鉱物たち(1) その3 M21
市ノ川からも鉱物が流れてきているようです。そこで、100mほど上流へ足を延ばしました。結晶がしゅう曲した透緑閃石(アクチノライト)やちょっと色の変わった変種らしき物が落ちています。角閃石・緑泥石・緑簾石・紅簾石など定番の石もあります。やはり関川とは少し趣がことなるようです。
赤褐色のザクロ石を含んだ緑色の石が見つかりました。ザクロ石は研磨剤に使われるくらい硬いので、風化に強く母岩が削られても粒子だけが残ります。石の表面に粒子が浮かび上がって、もう少しで取れそうになっています。このタイプの石は、東赤石山や権現山を中心とする地域に分布しています。しかし、ごくわずかだけ西部にも産出するらしいのでそこから流されてきたかもしれません。
私の先輩のY様がもっと良い物を拾っていました。その後、何度も探してみましたが今のところその2個しか見つかっていません。皆さんも探してみましょう。
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エクロジャイトだったらいいな

Y氏がもっと良い物を見つけた



2015年06月13日(土) 記事NO.36の1
関川の河口を訪ねて その1
関川(せきがわ)は愛媛県東部の河川で、地図上では延長10kmちょっとの短い川です。標高1000mを超える山から流れ出るため傾斜が急で、山体を構成する岩石を一気にふもとまで押し流してくれます。ゆえに、わざわざ高い山に登らなくても多くの種類の鉱物を拾えるので、四国最大の鉱物産地となっています。
河口には大きな干潟が形成され、貝やカニ、小魚や海藻など多くの生き物が生息しています。それらをエサにしている渡り鳥も多く見られます。また、潮干狩りする市民の姿もありました。海風に向かうとムッとするくらい磯の香りがします。アオサとかの磯臭さや魚介類の生臭さを感じます。
いつもの採集場所から車を走らせて5分。すぐに河口が見えてきます。かなり広そうで干潮時には沖まで500mは続いているでしょう。遠くに数人の人影が見えました。海際まで探検に行った冒険者がいるようです(笑)。
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干潮時に広がる広大な干潟

2015年06月13日(土) 記事NO.36の2
関川の河口を訪ねて その2 M18
河川が自然に対して行う作用は浸食・運搬・堆積です。小学生でも習う事柄ですが、その運搬の際に岩石の角が取れて丸くなり柘榴石やチタンを含む砂鉄が分離していきます。そうして河口に堆積してできるのが漂砂鉱床です。
河口の砂1kg当たりに30~50gの砂鉄が含まれていました。もちろんチタンも多く含まれています。また、細かく砕けた柘榴石もかなり含まれていました。前者は金属の原料として、後者は研磨剤として利用されました。
私も干潟に降りて散策しました。フジツボがカキびっしり付いた柘榴石や角閃石などが転がっています。他にもチタン石やカンラン石など様々な鉱物が見られました。今度はフジツボ付きルチルを探したいです(笑)。
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しゅう曲した柘榴石の鉱脈



2015年04月28日(火) 記事NO.35の1
春がすみとマンネリズム その1
化石や鉱物の採集は主に河川で行っていますが、主なところはほとんど歩きました。石友たちとの採集会はとても刺激になるのですが、最近ちょっとマンネリ化してきたような感があります。・・・とは言ってもダラケるわけではなくその場所に行けば目を皿のようにして目的の石を探します。
その傍らで周りの風景や地元の方々との話も大事な目的です。私はどちらかと言えば人見知りするタイプでしたが、興味関心のあることなら誰にでも尋ねられます。第一町人や村人が見つからなければ、図々しくご自宅を訪ねることも毎度です。もちろん断られることもたまにありますが、ほとんどは話を伺うことができています。その秘訣は聞き上手であることと自然体で接することです。何か心にヤマシイことがあれば相手にわかってしまうので、そういったものを取り込まないよう常に離れて見ています。自分とつながりのある人にとって正しいと思える行動をとっているのです。
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海霧にかすむ川之江市街

2015年04月28日(火) 記事NO.35の2
春がすみとマンネリズム その2
もう1つは他者や事例に対して謙虚であることです。例えば、話を伺うにしても相手の都合を聞いてから始めるし、質問内容にウソ偽りなく率直に尋ねます。進入禁止ならそこで話を終了して諦めます。それを見越していくつか行先を決めておくのも重要です。
さて、今回はいつもの銅山川へ行きました。目的は今自分たちが持っている石よりももっとグレードの高い石の採集です。レア鉱物などは無理でしょうが、ありふれた鉱物でも良い物が見つかります。これこそが最良品でそれ以上はないだろうと思っていても、それを凌駕する標本が出てくることが度々ありました。だからこそ、石採りは止められないのです。
今日もいろいろと収穫がありました。友人からもおこぼれを分けて頂きました。また、地元の方からもいろいろと興味深い話が聞けました。これこそが活動の醍醐味だと思っています。
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川霧にかすむ銅山川のダム湖



2015年04月18日(土) 記事NO.34
大きな塊の白雲母 M17
白雲母もありふれた鉱物ですが、これも意外とまともな物は見つけにくいです。関川では柘榴石や角閃石などを含んでいる一般的な石に小さい鱗片状の結晶が付いています。そのように見つけるのは簡単なのです。しかし、大きさやきれいさ、結晶のわかりやすさなど条件が整っている物はそうありません。
ある川で雲母の塊を見つけました。結晶の大きさは500円玉より少し小さく、あまり摩耗していないため光沢があります。不純物も少なくほとんど全体がそれの塊で、サイズは20cmくらいです。川原の中間くらいで腰を下ろしたとき、何気に見やったとき目に入りました。
狙って採れるものではありませんが、詰まるところ根気と運みたいです。これはまた今度の展示会用に保存しておきます。
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敷き紙は、以前に石を送って
もらったときの大阪新聞



2015年04月17日(金) 記事NO.33
太い鉱脈の緑簾石 M16
関川や銅山川で探してみても意外に採集できない石です。もちろん小さかったりごく少量だったり結晶が良くなかったり、いろいろと不都合はあるのですが、そこそこまとまって結晶が走っている物は少ないです。ただし、エピドートとゾイサイトの区別は今一なので間違っているかもしれません。緑色がある程度濃ければ前者、黄色っぽいとか薄ければ後者としています。
共存する鉱物は石英や藍閃石などで、母岩中に散在していたり塊になっていたり鉱脈が走っていたりします。大きな塊を見つけるのは難しいです。鉄とカルシウムを含んでいて、カルシウムCaが同じアルカリ土類金属のストロンチウムSrに置き換わるとストロンチオ緑簾石となります。それは穴内鉱山鳳ノ森坑で発見されました。緑・・・と名が付いているのに赤色をしています。
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敷き紙は、以前に石を送って
もらったときの奈良新聞



2015年04月16日(木) 記事NO.32
赤石のエクロジャイト(2) M15
鉱山跡を訪ねたり鉱物を採集したり、そうした石巡りを始めてからもう10年になろうとしています。瑠輝石、すなわちエクロジャイトという言葉を知ってからもそれくらいの年数が経ちます。当時はまったく実物がわからなく間違った情報をもとに探したり、かなり無駄な時間を費やしました。しかし、ようやく本体を入手してじっくりと目に焼き付け、そうしてやっと自然の谷間などで見つけられるようになりました。
その後、エクロには様々なバリエーションがあることを知りました。特に柘榴石や共存する鉱物の種類により、見た目がかなり異なります。この画像の柘榴石は黒いけれど結晶形がよく透明感もあります。私たちより前に来た人が割っていた残り物から失敬してきました。エクロは硬くて割りにくいのでときどきこうした他力本願で拾っています。
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苦灰石の脈中の柘榴石



2015年04月09日(木) 記事NO.31の1
小春日和の加茂川 その1
いよ西条ICを下りて15分くらい走ると、まあまあ幅の広い川が流れていました。愛媛県北部有数の河川「加茂川」です。春には土手に植えられている桜並木がきれいで、県下有数の花見場所になっています。また、夏には芋煮会も開かれます。
川原はごろごろとした大きめの石が転がっており、河口まで数kmしかないのにまるで大河の中流域のように思えます。源流は伊予富士などの石鎚山系北側にあり、途中に基安や新居などのキースラーガー鉱山があります。また、三波川帯に属するので様々な変成岩が見られ、関川や国領川に次いで私たちを楽しませてくれます。さらに、一部が和泉層群とも接しているため多少の貝化石を産出しています。黒い泥岩があればそれを見てください。
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雪解け水により増水していた

2015年04月09日(木) 記事NO.31の2
小春日和の加茂川 その2
芋煮会の会場となる広場にはたくさんの車が止まっていました。ほとんどが愛媛ナンバーでしたが、県外ナンバーも何台か見られました。どうやら石採りしているみたいです。近所の方が庭石に使う形の良い物を拾っていました。また、水石や変わった形の石など盆栽用の石もありました。
閑話休題、盆栽の石に這わせるコケは墓地の墓石や石碑に付着している深緑色の物がよいです。きめ細かな赤土を湿らせてから石に貼りつけ、それに少なめのコケを植えこみます。後は毎日霧吹きで濡らしてやれば1か月くらいで定着します。ちなみに、某アンチモン鉱山の地元では盆栽の石に輝安鉱が使われていました。慌ててそれをやめて頂いて、懇願してそれをいただきました。風化してほとんど白くなっていましたが、大きさだけは貴重な標本となりました。なお、市ノ川とは関係ありませんよ。念のため。
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広々とした河原は歩きがいがある

2015年04月09日(木) 記事NO.31の3
小春日和の加茂川 その3 M14
この日は3時間くらい滞在しました。まず目に付いたのがドロマイト・角閃石・曹長石・緑色片岩・紅簾片岩などで、柘榴石もときどき目に入ります。また、小さな水晶や金紅石、アクチノライトや緑簾石もありました。黒瀬川帯でもあるのか蛇紋岩やカンラン石も見かけられ、川流れの輝安鉱もありました。
ここまで来れば松山まであと50kmです。自動車道ができてから本当に近くなりました。おかげでアタックできる範囲が広がり、料金とガソリンをケチらなければどこにでも行けます。モチベーションが保持できる限り、時間があれば外へ出かけようと思います。まだ見ぬ場所に対して期待と不安、そして好奇心が湧いてくるのです。
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どこから来たのか、大きな石灰岩



2015年04月08日(水) 記事NO.30
細野のマンガン
国道194号線からから県道12号線に入ると黒瀬ダムがあります。この道は石鎚登山ロープウェイにつながり、比較的簡単に成就社までは行けます。しかし、そこからが大変で山頂の天狗岳(標高1982m)まで登山道を7km歩くことになります。しかも最初はずっと下りばかりで、最後の2kmになって急な坂道となり鎖場を伝って行かなければなりません。私はもうこりごりです。
さて、県道途中の河口・細野の河原にはマンガンの採掘跡があり、黒い石が転がっています。稀にサーサス石などのレア鉱物も見られ、四国では白竜鉱山と双璧をなします。白竜鉱山は最初から侵入・採掘禁止なので、現在流通しているほとんどの標本は無許可で持ち出された物と思われます。また、この事実は山を所有されている地権者様が断言しており、堂々と販売されている現状に心を痛めておられます。
それに対して細野は川原にあるため、単なる石拾いであれば特に問題ないかと思います。マンガン鉱山には面白い鉱物があるものです。
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まだ雪を頂く西日本最高峰



2015年03月28日(土) 記事NO.29の1
市ノ川のアンチモン鉱山 その1
西条市の加茂川中流、いや下流に近いところにに市ノ川谷があります。国道から川沿いに折れ曲がって土手を伝い、桜並木の間をぬって走ります。住宅地を抜けるとすぐ道が細くなってダンプと対向できなくなる。そのまま自動車道の上を通って3回ほどカーブを曲がると、上下二又の道に出くわします。案内看板に沿って下道を行けば山を登るコースとなり、橋を渡って5分も進むと見えてきました。市ノ川小・中学校の跡地です。
この日はあいにく事務所が休みだったので資料等は見せていただけませんでしたが、玄関周辺にごろごろと石が置いてありました。水晶を含んでいる物もあって、雑巾の物干し場になっています。多分ここの職員か熱心な地元のマニアが置いていったのでしょう。ちょっと不用心な気もしますが、持って帰ろうとする人などいないのでしょうね。安心しました。
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坑道付近は進入禁止となった

2015年03月28日(土) 記事NO.29の2
市ノ川のアンチモン鉱山 その2
以前は狭いグラウンドをシートで覆っていましたが、今日はすっかりはがされて本来の赤茶けた土が見えています。轍の後がたくさんあったので、今でも市ノ川参りする人がいるのでしょう。私たちもグラウンドの隅っこに駐車しました。
今日の目的は久しぶりの鉱山の現状把握と鉱物採集です。まず、千荷坑の周りが立入禁止になっていました。足元が崩れやすいからだそうです。川は増水していて渡れませんでした。雪解け水が多くなっているからでしょう。2004年の台風16号出水時にここに架かっていた橋が流され、それ以降は架けられることもなくそのままです。対岸には事務所跡やいくつかの坑口、山中のズリなどが残っていますが、足元がススキ野原で地面が見えにくいです。
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市ノ川礫岩が転がっていた

2015年03月28日(土) 記事NO.29の3
市ノ川のアンチモン鉱山 その3
鉱山跡地をしばらく堪能してから、少し上流へ行ってみました。いろいろと探してみましたが、鉱物はこれまでのようです。納竿して帰途につきました。
この辺りの集落は市ノ川とか白目とかよばれています。明治時代は鉱山が盛況で人口も多かったでしょうが、今では小さな集落がぽつぽつあるだけです。家も数軒だけで子どもの数が激減しています。学校が休校をへて閉校したのも当然の成り行きだったかもしれません。後者の裏に残っているブランコなどの遊具が使われることはもうないでしょう。
道がきれいになって交通が便利になると住民が引っ越ししてしまうそうです。一方で、それを利用して集落外の者が気軽に足をのばせるという利点もあります。どちらが良いか悪いかなんて言えません。
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上流から見た校舎



2015年03月27日(金) 記事NO.28
分厚いチタン鉄鉱 M16
関川をはじめとするいくつかの産地で拾っています。組成式FeTiO3で表され弱い磁性があります。見た目は黒灰色で光沢があり、板状結晶が集合して大きな塊になっていたりします。また、重量感がありチタンを含むため、チタン石や金紅石と共に産する場合もあります。
先日友人と釣行していたおりに河原で拾いました。釣りと言っても相手は魚ではなく石ですが・・・。母岩の大きさは25cm四方で表面積の4分の1に鉱物が広がっています。横から見た鉱脈の厚さは最大2cm強でずっしりと重いです。
川を渡るとき少し躊躇しました。自分だけなら石から石へ飛び移れますが、石を持っていると計算が狂ってときどき池ポチャするからです。申し訳ないけれど友人に手伝ってもらいました。ありがとうございました。
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大岩と大岩の間から見つかった
徳島県立博物館へ寄贈済み!



2015年03月18日(水) 記事NO.27
川原の真っ黒な鉄電気石(ショール) M15
鉄電気石も三波川帯でよく見られます。ホウ素を含み、石英中に柱状または繊維状の結晶が走ります。今までに採集している場所は高越山・眉山・銅山川・関川などですが、今回新しい産地が加わりました。
一般に含有量は少なめで、白または半透明な母岩に鉱脈が数本走るだけです。ピンポン玉くらいの体積のこれを得るために、一抱えもある岩を割ったこともありました(なお、割った後の破片は全て石の下に落としておきました。)。
今回の標本は比較的含有量の多いものです。二酸化マンガンかと思いましたが、オキシドールで発泡せず、結晶系が一致したのでそのように同定しました。風呂に入れたら肩こりが治るそうですが、そこまでの量はありません。
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太い鉱脈が走る大型標本
徳島県立博物館へ寄贈済み!



2015年03月17日(火) 記事NO.26
谷間の赤い緑簾石(レッドエピドート) M14
緑簾石(りょくれんせき)は鉄やカルシウムを含む鉱物で、四国の三波川帯では普通に見られます。柱状または繊維状の結晶が石英や藍閃石中に含まれ、細い棒のようになったり塊りになったりします。色は濃い緑から黄緑または灰緑ですが、色が薄いものはゆう簾石と間違えそうです。
さて、この「みどりすだれいし」は必ずしも緑色とは限りません。赤色または赤紫色を呈するものもあります。鉄の含有量が多いとそうなるようです。石に関して駆け出しの頃は金紅石(ルチル)と間違えて採集し、後から現地まで捨てに行ったことがありました。
しかし、この色合いのこの鉱物は意外と珍しかったのです。川原で探しても見つかるのは緑色ばかり。ルチルの方が見つけやすいくらいです。ようやく愛媛県のある谷川で、それなりに塊りになっている結晶群を見つけました。大半が石英に埋もれていますが、久しぶりに見る大型標本でした。
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石英と○石の境界にできやすい



2015年03月03日(火) 記事NO.25
基安鉱山の鉱滓
加茂川の最上流部にあるキースラーガー鉱山。桂・黒滝と本鉱床からなる大きな銅山で、事務所だけでなく鉱山住宅なども完備して1つの集落ができていました。本鉱床は伊予富士の直下しあり、塞がれた坑口や集落跡などが残っています。
私自身はあまり奥まで行ったことはないですが、読者のK様やY様のおかげで周辺の情報を得ることができました。感謝しております。なお、国道からズリが見えるので方向だけは間違えずに行けます。キースラーガーは重いので斜面の下の方でよく見かけます。もっとも大したものは残っていませんが・・・。
現地もそろそろ雪が融けてきた頃でしょう。記事NO.4も参考にしてください。
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本鉱床での採集品と川流れ品



2015年03月02日(月) 記事NO.24
宝石名はアメジスト M13
久万の千本峠は高温石英のメッカです。畑から採るときは地権者に了解を得なければなりませんが、遍路道の道端や川原では少しくらいなら誰でも採集できます。標高が高いところは透明な結晶で小さめ、低いところは不透明で大きめの結晶です。
国内の産地は意外と多いですが、ここの物は透明度が高くしかも薄っすらと紫がかっているのが特徴です。サイズは1ミリ未満から1cm以上まで、無色透明な物からかなり紫の濃い物まであります。個人的には薄めの藤色をしている石が好みです。
結晶は八面体をしています。きれいな物を選り分けて、ボンドでタイピンやサンゴに貼りつけると実用品やオブジェができます。スコップ1杯の赤土に50個以上の結晶が含まれます。土の中からピンセットを使って宝探しをするのも楽しいです。記事NO.19も参考にしてください。
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黄水晶(シトリン)もある



2015年03月01日(日) 記事NO.23
宝石名はガーネット M12
関川の柘榴石は、そのほとんどが鉄-アルミ系かマンガン-アルミ系で、赤褐色の粒子が多いです。しかし、母岩のパターンによっては透明感のある結晶が見られ、そのカラーも赤味の強いものやピンクっぽいものなど様々です。
赤石山系から流れてくるので、エクロジャイトに含まれていることもあります。こちらの粒子は小さいですが、かなりきれいな結晶です。母岩を割ってうまく取り出せればリングの石として使えそうです。
母岩が硬いのできれいな状態の粒子を得るのは難しいです。しかし、柘榴石100個に1個くらいはそうした粒子が入っています。数をそろえて忍耐強く割っていけばお眼鏡にかなう物が作れるかもしれません。
なお、この産地には他の種類の宝石もあります。不純物がなければですけど・・・。
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ちょっと珍しい赤紫色の結晶
子どもの友達にあげちゃった!



2015年02月28日(土) 記事NO.22
宝石名はカイヤナイト M11
組成は単純なケイ酸アルミニウムですが、その青さに惹かれてしまう鉱物が「藍晶石」です。海外のヒマラヤなどでキレイな透明結晶を産出して、それを輸入している業者もいます。一方で、国産の石は愛媛県などのごく一部から採れます。
国領川の鹿森ダム周辺がもっとも有名で、今でも県内外からこの産地を訪れる人が絶えません。しかし、そこ以外にも少し離れたいくつかの産地があるのです。例えば、銅山川とか関川とか浦山川です。
赤石山系の南側や西側では色の薄い結晶の大きめの物が見つかります。北側では結晶は小さいが透明感がかなり高い物があります。そこは地形的にちょっと危険な場所です。しかし、欲しい物には目がない人々がそこを目指すのです。産地情報を伏せといて・・・と言われたので、公開はここまでです。
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細いけれど宝石質の結晶



2015年01月31日(土) 記事NO.21
3年物のコンニャクイモ
山の斜面とか水はけが良くなくて土も肥えていない耕地では、蕎麦や野菜をつくっている家庭が多いです。鉱山跡巡りの合間にそうしたお宅にお邪魔することがあります。庭先に立ってよもやま話するなかで、集落の歴史や文化など面白い内容に出くわします。
こんにゃくはコンニャクイモから作られます。詳しいことは他のネットを見ればわかりますが、芋を植えて1年目は、花が咲く前に掘り出して一冬倉庫で寝かせます。そして再び植えた2年目に収穫した芋がこんにゃくになるのです。ゆえに、どの芋も2年物となります。
なかには手違いで花を咲かせてしまったり、余分に年越しさせてしまったときもあるそうです。この店ではそうした芋を飾っていました。普通の芋と比べてその大きさにはインパクトがありました。
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2年物の2倍の大きさだった



2015年01月28日(水) 記事NO.20の1
赤土から水晶を探そう その1
久万町(今の久万高原町)の畑からもらってきた赤土。昔の採集分と今回新しく調達した物を混合しています。
大昔に石鎚山が火山活動していた時期に発生した火砕流。その火砕流が堆積して生じた凝灰岩。凝灰岩が熱いうち(具体的には573℃以上)にケイ酸が結晶化すると、八面体に近い高温石英が形成されます。ベータ水晶ともいわれ、産地は国内あちこちにあります。しかし、ほとんどは結晶が不完全だったり不透明で白く濁っていたり。そうしたなか、ここの産地では透明度が高くやや紫がかった淡いアメジーが採れます。
これを子どもでも簡単に土中から採集できるようにするには、下ごしらえが必要になります。以下に手順を示します。
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赤土を広げて乾燥させる

2015年01月28日(水) 記事NO.20の2
赤土から水晶を探そう その2
1.赤土から不要な小石や草の根などを取りのぞく
2.水を加えてかき混ぜながら、土のかたまりをつぶしていく
3.傾斜法で炭化した植物など不要な物を洗い流す
4.3を数回繰り返す
5.土の粒子が充分細かくなれば、水を切って天日で乾燥させる
6.目が大きめのふるいにかけて、網に引っかかる大きい物を取りのぞく

だいたいこのような感じで、高温石英を含む赤土を処理していきます。1.~6.まで1週間くらいかかります。手間暇かければお客さんが喜んでくれます。乾燥させるだけでも採集できますが、初心者ではかなり見つけにくいです。
ちなみにこれを使った某イベントには、約200名の参加がありました。子どもたちが、目をキラキラさせて一心不乱に探していました。
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手でこねて土のかたまりをつぶす



2015年01月25日(日) 記事NO.19
国道494号線
愛媛県の国道11号線と33号線を結ぶ国道を初めて走ってみました。ダム湖までは二車線だったのが、そこを過ぎると道が急に細くなってきて民家もなくなりました。重苦しく垂れこめた雲が眼前を流れるようになり、標高も上がってついに黒森峠に到着です。駐車スペースがあり、アジサイやカエデなどを植えていました。
ここから下りです。くねくねした道をたどると夏目漱石の句碑があります。「瀑(たき)五段 一段ごとの もみぢかな」
案内図によればこの辺りに滝があるそうです。途中まで歩きましたが、天候不順なため今日は止めました。なお、この近くで水晶が採れたとのことです。
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峠の看板がもやって見づらかった



2015年01月23日(金) 記事NO.18
大きな単結晶は見つけにくい M10
柘榴石は水晶と並んでポピュラーな鉱物です。とは言え、どこでも採れるわけでなくある程度場所は限られます。関川や銅山川は柘榴石の産地として有名ですが、たいがいは細粒か脈状に含まれます。結晶形は二十面体など球に近い粒子で、それが母岩の表面から飛び出していたりします。柘榴石は硬いので、川流れしたときの摩耗にも耐えられるからです。
1個の粒子としての単結晶はよく見つかります。しかし、センチ単位になるとかなり見つけにくくなります。関川の石を割って柘榴石を取り出すというイベントをしましたが、硬くて割りにくくて粒子が小さかったので今一つ。その代りに透明感がある粒子を中心にそろえたので、ゲストの評価はまずまずでした。
なお、私が今までに見たことがある単結晶サイズは、関川と国領川で5cm、銅山川で4cm、その他の地域で2cmくらいでした。
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5cmだが単結晶ではなく多結晶



2015年01月21日(水) 記事NO.17
案山子で村おこし
悪天候のなか、農業公園アグリピア周辺の地域にたくさんの人や動物が見られました。地元の有志が中心になって制作した芸術品です。道沿いの田んぼに、ふくろう・消防団・サッカー・鬼など面白い格好をした像が次々現れました。ちょうどこの日はイベントが開催されていて、私もそれにお呼ばれしていたところです。
鉱山めぐりをしていると、どうしても山間の集落を回ることになります。人口が減って若い働き手がいなくなり学校が閉鎖されていく事実。しかし、そうとばかり言ってられないとあちこちの集落は頑張っています。あの手この手を使い、頭を働かせて知恵を絞り、人を呼び込んで地元を活性化させる。そうした取り組みが続いています。私たちも及ばずながら力になりたいと思います。
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牛を使って田んぼを耕す案山子



2014年12月27日(土) 記事NO.16
今年最後の石採り
朝7時半に自宅を出て、ゆっくりと車を走らせて9時半に土居町へ到着しました。まず、支流の浦山川を散策しましたが特に成果なし。曹長石・柘榴石・緑簾石・水晶・透緑閃石(アクチノライト)だけでした。地元の方の話では、昨日も2人ほどここで石採りしていたそうです。先行者がいたのでは仕方ないですね。
本流の関川では、チタン鉄鉱・菫泥石・チタン石や3cmのルチルとアクチノライトのかたまりです。国領川では、紅簾石中の柘榴石・白雲母・クロム雲母・藍晶石(カイヤナイト)・武石(黄鉄鉱)・角閃石、別子本山のキースラーガーとカラミ、そしてアクチノライトでした。加茂川では時間がなかったので、ドロマイト結晶の大きなかたまりと輝安鉱、そしてアクチノライトを採集しました。
同行していた友人のM様も、大きなキースラーガーやカイヤナイト、そしてやっぱりアクチノライトを拾っていました。さすがにアクチノライトの産地だけあります。一部は、博物館行きになりそうです。
それでは皆さん、来年もよろしくお願いします。
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浦山川の中流域に神社がある



2014年12月10日(水) 記事NO.15
国領川の吊り橋
県北で鉱物採集できる川として、関川に次いで石の多いのがこの川です。主な鉱物としてザクロ石・アクチノライト・ルチルなどの他、上流から流れてきたカイヤナイトもあります。ただし、河原に降りられる場所が少なくて意外に難儀します。そのため、ほとんど手つかずの場所もあるようです。
川向うにも住宅があります。しかし、道をかなり迂回しないと行かれないため歩行者用の吊り橋がいくつか架けられています。川面からの高さは5mくらい。細くてよく揺れますが生活には欠かせません。
橋のたもとから降りられる場所がありました。水量がもっと減ってからチャレンジしたいです。
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地元の生活道路となっている



2014年11月21日(金) 記事NO.14の1
石のもみじと木のもみじ その1 M9
昔むかしの遠い昔、私がまだ大学生だった頃、学科の懇親会があってここ面河(おもご)渓谷の少年自然の家に来たことがあります。今もあるかどうか知りませんが、この場所を決めるためレンタカーを借りて下見をして、さらに管理者と交渉して宿泊先を決めました。また、バスを借り上げたり出し物を考えたりと勉強そっちのけでやっていました。
当日は新入生から院生までの学生と、教授から助手までの先生たち総勢150名が参加して、夜通し飲めや歌えやの大騒ぎでした。一升酒の回し飲みや特製コークハイの出番もありました。前者は文字通り、日本酒の入った一升ビンを手でくるくる回しながら一人で一気飲み。後者は、ビールにソースかしょう油を入れて色だけ黒くしている物です。かなり酔っていないと飲めないシロモノでした。
もうこの年になればそのようなバカなマネはできませんね。
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鉄電気石の「もみじ石」

2014年11月21日(金) 記事NO.14の2
石のもみじと木のもみじ その2
二日酔いの翌日は10kmの競歩でした。と言っても誰もやる気ががなく、谷川に沿って景色を眺めながら歩いただけです。サクラやカエデの木を見ながら学友としょうもない話をしながら、延々とただひたすら歩きました。まるで、慣歩(かんぽ)をしているみたいでした。(ちなみに、慣歩とは夕方歩き始めて20km先の海岸で深夜にゲームをして、再び眠い目をこすりながら歩いて日が登るころ学校に着くというイベントです。)
大鳥居が見える場所にバスが駐車していて、たどり着いた者から次々に乗り込みました。4台のバスはほぼ満員。足あげて寝ている者もいるのでとても窮屈でした。
その後、このイベントはなくなりました。時代の流れかなって思いますが、ちょっと寂しいです。
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上流へ徒歩15分にある「鎧岩」



2014年11月19日(水) 記事NO.13
困ったときは関川へ
ヒマが急にできてどこか石採りに行く場所が決まらないとき、いつものように車を西へ走らせます。もうすっかりお馴染みとなった関川まで1時間と少々です。私たちの場合、1日中ヒマならここともう1ヵ所回ります。
関川の採集ポイントは流域全体ですが、コアな場所がいくつかあります。博物館などが催しをするのはいつもアリーナの近くで、参加者のトイレ休憩のためです。しかし、その心配がなければもっと上流に足をのばして幅広い河原の隅々まで石を探せます。河原まで車が降りられる場所が最適です。重い石をすぐに積み込めるからです。もっともそのような重量級を持ち帰ることはありませんが・・・。
60種類以上もの鉱物が確認されているそうですが、同定できた採集品はまだ半分くらいです。まあ気長にボチボチとやっていきます。記事NO.1~3も参考にしてください。
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草が少なくなった河原に秋の風



2014年11月14日(金) 記事NO.12
ルチル!! M8
ある場所でルチルの群晶を見つけました。発見者は同行していた友人のH様です。そのとき私は結晶のきれいな藍晶石やアクチノライトを探していましたが、遠くから呼ぶ声と手招きする姿を見てあわててそこまで行きました。指さす先には・・・絶句。何ということでしょう(って、○フォー○フターみたい。)。大きさ2~3cm程度のメタリックな赤紫色柱状結晶が、長さ約80cmの鉱脈に沿って並んでいます。表面は川流れのため擦れていましたが、この産地でここまで見事なのは見たことありません。・・・しかし、残念ながらこれは採集不可でした。母岩が硬くて大きすぎてハンマーがまったく通用しないからです。ドリルでもあれば多少どうにかなるかもしれませんが、上手に割るには少なくとも10ヶ所に孔を開ける必要があります。結局ハンマーの一撃も入れることなく、自然界の展示物としてここへ来たときに観賞することにしました。これが自然観察の本来のやり方なのでしょうね。 イメージ

ルチルと白いのはアパタイト?
2015年秋、とうとう割られていた
ちょっと残念だけれど仕方ない



2014年11月13日(木) 記事NO.11
エクロジャイト(1) M7
この産地で濃い緑色で赤色透明な小粒のざくろ石を多数含む岩石といえば・・・、やっぱりエクロジャイトでしょう。この石の存在を知ったのは6年ほど前でしたが、当初はこれがそうだって言われても何にもわからなかったです。瀬場谷のエクロ石碑を見学した後、筏津山荘でコーヒーブレイクしているとき、支配人さんのご厚意でエクロの破片をいただきました。それが原点となって、今日の自分がいるような気がします。
東赤石山や権現山、西赤石など産地が異なると、エクロの見た目が変わるように思われます。まだ区別できるほどスキルは上がっておりませんが、異なる場所で数種類の岩石を採集しており、ざくろ石や共生鉱物の産状も異なります。この研究も十分楽しめそうです。
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3億年前に形成された岩石



2014年11月10日(月) 記事NO.10
アルベゾン閃石? M6
珍しい・・・と言っても、その産地に行けば意外と見つかりやすい石があります。アルベゾン閃石もその1つです。正確には「苦土アルベゾン閃石」というそうで、母岩に青緑色の柱状結晶が含まれています。長さは数cmですが、たくさん密集して塊状になるときもあるのです。
初めて探したときは、こんなにあっさりと見つかるとは思いませんでした。その後、目が肥えてきたらしくて河原のあちこちに落ちていることがわかりました。大きめの白雲母が付いているときもあります。もっとも成分分析していないので、たまたまお会いした関西のコレクターの見立てですけど・・・。
他に黒くて光沢のある太めの結晶が見つかりました。どう見ても普通の角閃石や金紅石ではありません。果たしてそれが本当の「アルベゾン閃石」なのでしょうか。ごく少量しか見つからなく、友人と山分けしました。しばらく楽しめそうです。
後日、読者のN様よりこの石は「リヒター閃石」である可能性が高いとのご指摘を受けました。貴重な情報をありがとうございました。
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直径80cmの母岩に結晶多数
同様の物を数個確認済み



2014年11月08日(土) 記事NO.9の1
秋の銅山川紀行(2) その1
富郷ダムから車で20分で、いくつかの鉱物採集ポイントに到着します。銅山川北岸に東赤石山や権現山などの秀峰がそびえ、その山体から鉱物が川まで落ちてくるのです。多くの支流が流れ出し、それに沿って流れてくるのでしょう。足元を丹念に見ていくと思わぬ掘り出し物が見つかったりします。
銅山川は吉野川との合流地点まで延長55kmあり、その全範囲が採集ポイントです。ただし、むやみに採って良いわけではなく地元の人や遊漁権を買って釣りしている人の邪魔はしないでください。お互いに譲り合って楽しく過ごせられるのが一番です。
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見るからに何かありそうな川原

2014年11月08日(土) 記事NO.9の2
秋の銅山川紀行(2) その2
石採り以外に見どころもたくさんあります。例えば、別子銅山4つの鉱床のうち余慶・筏津・積善はこの流域にあります。全て回りましたが、道からすぐ行けるところもあれば細い山道を難儀しながら登る場所もありました。
ゆらぎの森、別子山ふるさと館、エクロジャイトの石碑、南光院、別子ダム・・・、どれも趣があってホッと一息つけます。惜しむらくは、筏津山荘が廃止になったこと。とある一件から営業停止になり、一昨年に建物が取り壊されました。一度は宿泊してみたかったです。SPPを利用して野外研修を計画していましたが、それもできなくなってしまいました。
それでもあきらめずにいつかはやってやろうと思います。
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今は筏津坑が残るだけ



2014年11月07日(金) 記事NO.8の1
秋の銅山川紀行(1) その1
三島川之江ICで降りて国道11号線に出て、少し行ったところで曲がって319号線を進みます。すでに道はかなりの傾斜となり、眼前に翠波高原を抱える山々の峰が連なっています。
途中にドライバーがよく休憩している展望台があり、大変見晴らしの良いことで知られています。特に夜景が素晴らしく、東の川之江から西の新居浜までHWや工場群の灯りがきれいです。冬季はめちゃくちゃ寒いですけど・・・。
国道の最高地点に法皇トンネルがあります。こちらと別子山を結ぶ大動脈で、標高600mくらいにあります。この辺りはよく凍結するので、冬場はなかなか来られません。長さは1663m、幅4.5m、高さ4.7mの一車線で、途中で車同士が対向できるように待避場が設けられています。薄暗くて陰気な感じのトンネルで、いかにも何か出そうです(笑)。
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愛媛の心霊スポットの1つ

2014年11月07日(金) 記事NO.8の2
秋の銅山川紀行(1) その2
トンネルを出ると今度は道が急な下り坂になり、ついついスピードが出てカーブではタイヤがキュルキュルと音を立てます。ハンドルを握る手に汗が流れ、人造ABSを稼働させながら次々とヘヤピンをさばいていきます(良い子の皆さんはマネしないでくださいね。)。
やっと銅山川の水面と同じ高度まで下りられました。ここは金砂湖畔公園です。柳瀬ダムの人造湖である金砂湖が広がっており、赤いトラス橋の平野橋が架かっています。この橋を渡って西へ行けば別子山、東へ行けば新宮へ続くのです。
景色が良いのでちょっと休憩しました。ここまでノンストップで2時間運転していたのでグッドタイミングです。同乗の仲間が熱いコーヒーをくれました。ホッと一息つけました。サンクス!
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カヌーが数隻浮かんでいた

2014年11月07日(金) 記事NO.8の3
秋の銅山川紀行(1) その3
平野橋から上流へ15分ほど進むと、いつしか道は水面から遠ざかりかなり上の方を通るようになります。川からの高度差は100mくらいあるでしょう。間もなく前方に富郷ダムが見えてきます。高さ106m、長さ250mで、人造湖である法皇湖が満々と水をたたえています。
治水のため次々とダムが建設され、2000年に最後のこのダムが完成してようやく開発事業も終了しました。一方、砂金採りにとって上流から流れてくる砂金が減ってきたので、状況はあまりよくないみたいです。比重が大きいためダムの湖底にたまってしまって採集できません。周辺の川を地道に掘削していくつかポイントを見つけているようです。私もそろそろ復活しようかなって思います。
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この日もダムは放水中でした



2014年08月29日(金) 記事NO.7
持って帰られないざくろ石 M5
鉱物を見つけるには実物を見て目を肥やすことだ・・・と友人から言われました。しかし、その実物を見るには現地へ行って探して見つけなければなりません。私にはそういった方面に優れた人がいなかったので、時間をかけてほぼ独学でやってきました。たまに、現地で行きずりの知識人から教えてもらったり、地元の資料館で尋ねたりしてどうにかそこそこの知識は得られたかと思います。もちろんこれで慢心する気はありませんが。
画像は、東赤石山北麓で見つけた鉄礬柘榴石です。一抱えもある巨岩に含まれていて、六角形の形がよくわかります。何度か割ろうと試みましたが余りの硬さに断念しました。その3か月後に現地を訪れましたが、この巨岩が見つかりません。大水で流されて位置が変わったのでしょうか。石は見つけたときに拾っておかないと後悔します。
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粒子径4~5cmくらい



2014年08月29日(金) 記事NO.6
持って帰られるざくろ石 M4
ざくろ石は水晶とともにもっとも多く産出する鉱物です。鉱物採集駆け出しの頃はなかなか目につかなかったのですが、ようやく目が肥えてきたのかあちこちの産地で見つけられるようになりました。
鉱物採集を始めるとき、ネットや図鑑を参考に採るべき鉱物を覚えます。ところが、そういった資料に載っているのは「キレイ過ぎるもの」ばかりで、現地ではまったく参考にならないのです。何故なら、実際に拾える石の大半は結晶が小さくて地味であまりキレイじゃないものばかり。買って損した気分でした。
画像は、東赤石山南麓で拾った鉄礬柘榴石(てつばんざくろいし)です。お手頃サイズの母岩に真っ赤な粒子が含まれています。今は自宅の玄関先に飾っています。
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粒子径3~4cmくらい



2014年08月25日(月) 記事NO.5の1
梅雨明けのイラズ詣で その1
今年の夏はもう終わりですが、大雨や長雨にたたられた日々が続きました。山にも行けず川にも行けず、私や友人たちは臍をかんでじっと耐えていました。そうしたなかで、一寸雨上がりの間隙を突いて関川上流のイラズ(五良津)まで足をのばしました。
ここはネットでもよく散見でき、交通不便ながらも来る人が多いようです。国道11号線から東赤石山登山口の案内看板に従って曲り、集落の間の細い道を走りました。しばらく行くと地元の人以外進入禁止の看板が出ていました。手前の広場で車を置いて歩こうかと思案していると、ちょうど地元の方が軽トラでやって来て、「林業の邪魔をしなければ入っても良いよ。」とのことで進めるだけ進んでみました。
しかし、未舗装の山道は大変ぬかるんでタイヤを轍にとられ、四駆でもない車は運転がしづらいです。結局途中で断念して引き返し、関川で石採りして帰りました。
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五良津橋など橋が5つある

2014年08月25日(月) 記事NO.5の2
梅雨明けのイラズ詣で その2
しばらくして四駆を持っている友人と再チャレンジしました。中島公園を過ぎて500mほど行った杉林の中に、ちょっとした広場がありました。そこに駐車してリュックを担いで歩きました。300mほど行くと山道の真ん中にたくさんの石材が積まれていました。バイクならともかくそこから先に四輪は進めません。カーブミラーやガードレールが残っていました。かつて赤石クロム鉱山が稼働していたとき、ダンプなどが出入りした名残を忍ばせました。
一本道なので迷わず現地に到着しました。徒歩70分くらいです。堰の下に降りて石探しをしました。谷川の幅は20~30mくらいで、沢としては大きいですが関川とは比べ物になりません。友人と二手に分かれて別々の場所をせめることにしました。
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山道から仰ぎ見る東赤石山

2014年08月25日(月) 記事NO.5の3
梅雨明けのイラズ詣で その3
水量がかなりあったので石拾いの範囲は限られていました。しかし、下流に比べると結晶が大きくシャープできれいでした。アクチノライトの結晶の長い物がありました。また、その中にルチルを含んでいました。チタン石の結晶も大きく透明感がありました。大きい石に入っていたので、ちょっと時間をかけて割りました。曹長石の結晶も大きかったですが、こちらは硬くて全く歯が立ちませんでした。
現地で3時間滞在しましたが、あまり見るべき場所もなくて正直なところ手持無沙汰でした。登山客や石のプロたちはここを通り過ぎて、もっと山上を目指しています。鉱山跡かエクロジャイトの露頭にでも行くのでしょう。帰りにアクチノライトを忘れてきました。アッと思いましたが後の祭りなので仕方ないです。縁があればまた会えると思います。
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五良津の最上流部の堰



2014年04月09日(水) 記事NO.4
寒風山トンネルの桜花
あちこちでお花見している様子を見ました。別にのぞき趣味はないですが、この季節に野山を歩くと多くのハイカーやカメラマンを見かけます。
画像は、西条市の加茂川最上流部で咲いていたヤマザクラです。この下に基安(もとやす)というキースラーガー鉱山が昔あって、多くの人が生活していました。学校もあったりして1つの集落をつくっていたそうです。坑口や遺構を見たりズリで鉱石を採集しに訪れる人が今もいます。
なお、トンネルを抜けるとそこは高知県です。南天の星々を観察するには都合がよいので、スカイウォッチャーにも人気のスポットです。私もここでカノープスなどを写真に収めたことがありました。
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鉱山跡に生えるヤマザクラ



2014年04月06日(日) 記事NO.3
最後の休日は石片付け M3
採集会から戻ったら、まず石の整理をします。すでに現地で洗ってきているのできれいに乾いています。大物は庭先において後日受け入れ先を考えるとして、小物はラベルを作って新聞などに包んで保管しています。当初はきちんと標本箱に収納していましたが、箱が種切れたので産地ごとにまとめて袋に入れ、大きな収納ボックスに無造作に突っ込んでいる始末です。
今回の収穫は、大きな透緑閃石(丸ごと40cm)、好みのザクロ石をいくつか、菫泥石、クロム雲母などです。画像は、黄白色の部分がドロマイトでしょう。塩酸をかけたら発泡するのですぐわかります。見た目だけでなく化学薬品や加熱などの実験でも鉱物を特定することができます。ただし、一般の人にとって薬品の入手はちょっと難しいかもしれません。
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関川のドロマイトMgCO3



2014年04月05日(土) 記事NO.2
春の週末はいつも長雨 M2
しばらくどこにも行かれなかったので、久しぶりに愛媛県に遠征しようとしました。ところが、天気予報はあいにくの雨。それでも午後かららしいというのでいつもの場所に行ってみました。
以前に目をつけていた結晶は・・・やっぱりなかったです。誰かのコレクションになったかな?また、別の物はそれを含んでいた母岩そのものがありませんでした。大水で流されたのかもしれません。これから得られる教訓は、「見つけたときに採っておかないと次はない」・・・ということです。でもそうだからといって根こそぎ採るのは感心しません。一番良いものを採って後は残しておくと次の人が楽しめます。
画像は、関川産の金紅石です。なかなか見つけることができなかったので、このときは感無量でした。また、運とはおかしなもので同時に5個も見つけてしまいました。友人たちと博物館で山分けしました。
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関川のルチルTiO2



2014年03月02日(日) 記事NO.1
みんなのホームグラウンド・・・関川 M1
愛媛県だけでなく四国でも最大の鉱物産地と言えば「関川」でしょう。徳島から車で80分、高松から60分、高知から60分、松山から40分あれば手軽に来れる場所です。70種類もの鉱物や岩石が確認されており、四国外からも多くの人が来ています。また、ここはJR利用も可能です。伊予土居駅から北へ1km、関川駅からすぐのところが河原なのです。
画像は、河原に落ちているザクロ石です。同じザクロ石でも母岩や粒子など見た目の違う石が30種類以上あって、それだけを集めるのも面白いでしょう。他にも角閃石やカンラン石がものすごく多くて、ザクロ石と合わせれば河原全体の半分を占めます。まだ未訪の方は一度行ってみてください。
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鉄とアルミの鉄礬柘榴石



○読者の方へ・・・原則として旧市町村で区分けしています。他のコンテへの移動は左記からどうぞ♪なお、欲しい鉱物があれば個人の方でも交換できます。メールにてご連絡ください。学校や博物館など、公的な機関であれば寄贈もできます。鉱山について詳しく知りたい方は、トップページの注意事項をお読みの上でメールしてください。鉱山跡地は危険な場所が多いので、未成年者は自分たちだけで決して行かないでください。
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