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徳島県北部の旅行記
私は2005年から主に四国内の鉱山跡を訪ねています。地元の方と知り合えたり、新しい発見があったりでとても充実しています。一緒に行きたい方はメールして下さい。
お問い合わせは、 fe26-co27-ni28-cu29-zn30@ymail.plala.or.jp (事務局)までどうぞ!
鉱山訪問や鉱物・化石採集など、石に関する記事はタイトルの色を変えています。


2024年1月5日(金)
石の日に石採り(2)

 朝早くにナビが言ってました。今日は苺の日です・・・。オランダイチゴのことかキイチゴのことか、それともヘビイチゴなのか。苺にしても苺大福とか苺ミルクか、それとも苺パフェなのか。でもそれを口実にして出かけることはできませんでした。

 さて、昨日の割跡をもう一度丹念にチェックします。・・・ありました。やっぱり見逃していましたね。手のひらサイズもあるデッカイやつです。ただし、本体は抜け落ちていて、くぼみだけがしっかり残っているタイプです。これは岩盤が硬いので掘り出すのは無理です。

 別の場所でもありました。こちらは半分だけ露出していました。周辺の石を少しずつ割っていきます。元々もろかったので、ハンマーが当たる振動でひび割れました。でも仕方ないのでそのまま続けます。

 小一時間経過しても取り出すことができません。化石の半分が含まれる岩がとても硬く、それを掘り返すだけでも重労働です。雨がちょっと強くなってきたので、この辺りであきらめて出ている分だけを回収しました。・・・次に来たときはもうないでしょう。

 昨日採取されたアンモより年代が少し新しいですが、大きさはそこそこありまずまずの成果でした。ノストセラス科のディディモセラスかプラビトセラスと思われます。






2024年1月4日(木)
石の日に石採り(1)

 朝早くにナビが言ってました。今日は石の日です・・・。岩石のことか鉱物のことか、それとも化石なのか。石にしても鑑賞石とか水石か、それとも標本なのか。でもそれを口実にして出かけることはできました。

 今日からしばらく雨というので、傘さして出向ける場所にしました。海岸地帯は湿気が多く長居をするには不向きですが、この時期なら虫もいないので過ごしやすいです。

 ビーチには、漂着したごみがたくさんあります。庭の装飾品に使えそうなブイや貝殻などを拾いました。しかし、あまりオードブルに手を出すわけにはいきません。ほどほどにして現地へ移動しました。

 この海岸は砂岩層と泥岩層が交互に入り乱れて、室戸岬のようにタービダイト(砂岩泥岩互層)が発達しています。その砂岩層の方に古代アマモと呼ばれていた生痕化石が多く見られます。

 生痕化石とは、生物が海底を這ったり穴をあけたりして生活していた跡の化石です。生物の体そのものではありませんが、当時の生活の様子を知ることができます。その這った跡がジュゴンが食べているアマモの葉っぱに似ていることから、そう呼ばれていました。

 ここにはそういった跡がたくさん残っています。無理に割ったりせずに、形が良くて採りやすい(はずれやすい)物だけにしました。






2023年5月18日(木)
を求めて」を求めて

 葉書をもらっていたので、博物館のイベントを見に行きました。水井鉱山近くの遺跡の話でした。もちろん興味は水銀朱のことです。

 宮ノ前遺跡の発掘で、縄文時代に朱の工房があったと明らかになりました。今から4500年前です。それまでは2000年くらい前の弥生時代だったので、一気に古代へと時間が遡りました。

 陳列している発掘品には赤い顔料が付着しています。半分くらいが水銀朱で、他はベンガラでした。うちの子の上が岡山のベンガラを、下がこの水銀朱を研究していました。これも何かの縁ですね。

 こうしたイベントを通して、もっと郷土史を知ってもらって、それが地元への愛着や活性化につながってほしいです。






2023年5月8日(月)
イベントでした!

 川田川で石採りイベントでした。博物館などが開催する場合は愛媛の関川が多いですが、徳島市から120kmもあり、おいそれと行ける場所ではありません。それに対して、ここは35kmくらいでかなり近い。行きやすいのも魅力の一つです。

 梅雨の前に、夏草が繁茂する前に、ちょうどこの時期が最適なのです。運良く川原が丸見えになっていたので、石が見やすくてグッドでした。また、川原に降りやすいのも良かですたい。

 私も川原に降りてみました。キースラーガーやスラグが落ちていました。土を少し掘ってみると、紅簾石や藍閃石、緑泥石や柘榴石などがありました。名物の金紅石も小さいものなら見つかりました。

 けっこう盛り上がってたくさんゲットできたようです。こんなふうにみんなで楽しめるイベントが続いてほしいです。






2023年4月19日(水)
高越の炭焼き

 今日もついでに露頭(じゃないけど大きな塊)を見に行きました。淡い緑色が少しずつ苔生して濃い緑色に変わっていきます。まるで接触交代作用のよう。

 山中を適当にうろついていると、昭和時代の遺物に遭遇します。民家の跡や神社の跡、当時使われていた茶碗やとっくり、石臼や水瓶などが転がっています。

 今回は竈の跡を見つけました。火口は40×20cmで、竈のサイズは直径2m。おそらく炭焼き小屋だったと思います。地元の町史や村史にはその記述がありました。

 ちょっとだけ陽の当たる谷川では、赤い淡水紅斑が光っていました。朱のような色合いです。人知れずここに生息しています。






2023年4月18日(火)
眉山の尾根登り

 今日もついでに露頭を見に行きました。薄い赤紫色が少しずつ苔生して緑色に変わっていきます。まるで深山にいるかのよう。

 自然に風化して表面が滑らかになっています。さざ波のような隆起とくぼみはまるで流れる川のよう。見ているだけで十分きれいと思います。

 こちらの露頭は三角の山みたい。そちらはどっしりとした大型船かな。山肌から露頭が列をなして、頭を突き出しています。大海原を泳ぐ首長竜のよう。

 人が歩かなくなった参道は、少しずつ原初の状態に戻っています。歩いている人も高齢者が多く、昔を知るものとしてはちょっと寂しい。○十年も経ってからここに来たので、気分はまるで浦島太郎のよう。

 最後に鶴になって飛んでいく・・・なんてことはないでしょうが、そうなるまではずっと見守っていくつもりです。






2023年2月2日(木)
十七番札所井戸寺


 仕事の待ち合わせ時間に、昼食を兼ねて訪れました。別にここで食事ができるわけでなく、保存食をかじりながら周回しただけです。ちょっとそこまで・・・って感じ。

 寺と言えば奥深い山の杉木立とか、里山の田園地帯にぽつんとあるイメージが強いです。町中にこのような場所があるとは思ってなかったです。四方が見渡せる平野部に、突然仏閣が造られたような・・・。

 境内は掃除が行き届いていました。誰でも入られるように門が開かれています。地域の拠点になっているのかな。






2023年1月27日(金)
再び眉山の雪

 眉山南斜面の黒川神社が見えます。徒歩でしか行かれない中腹の社です。夜になるとぽつんと明かりが灯ります。寂しいようなほっと落ち着くような、何とも言えない気持ちになります。

 文化の森も雪景色です。今夜のライトアップはより幻想的になるでしょう。雪が融けなければ・・・。

 因みに、徳島マンガン鉱山はこの近くです。黒い二酸化マンガンの鉱石を、白い雪が覆っていることでしょう。博物館にも現物が2個しかなく、私たちが所有している物を含めてたった5標本しかありません。




2023年1月26日(木)
博物館ライトアップ


 夜にこのようなことをしているとは知りませんでした。

 日暮れ間近の寒空の下で、幻想的な光が踊っています。赤から緑、そして青から紫へと静かに変化していきます。

 人生いろいろと活動していると、思いも掛けない光景が見られます。






2023年1月3日(火)
猫神様、お願いっす!

 今年は新年の挨拶と受験が重なりました。合格祈願を兼ねての初詣です。徳島県内で有名な場所は、阿南のお松権現、山川の学駅、そして徳島の王子神社です。合格祈願の受験者が後を絶たず、神社は活気づいていました。

 猫神さんで知られる王子神社は、徳島県立博物館のすぐ近くに隣接しています。この辺りが整備されて「文化の森」と称される前から、ここに神社があります。それまでは細い道しかなく、通行に少し難がありました。神社のすぐ下に駐車場を確保して、ようやく来られやすくなったと思った矢先に工事が始まったそうです。

 この神社は毎年バージョンアップしています。黒猫の幟を初めて見ました。さざれ石のしめ縄も新しく取り替えられ、新年を祝っています。特別に建てられた板には絵馬がぎっしり掛けられています。それだけ参拝者が多いのと、神様頼みする人が多いのでしょう。気休めにしかならなくてもお参りだけはしておきたいのが本音です。

 昨年のナシ推は落ちちゃいました。倍率は4倍(実質は7倍だった!)ので悔しい気持ちは少しだけ・・・。でもその後、次の共通テストで惨敗を喫して、志望校を変更することも考えました。
 しかし、うちの家訓?は「背水の陣・下剋上・出たとこ勝負」。合格率ほぼゼロ%で、親も担任も学年主任も無理と思っていたアリ推に挑みました。

 結果は・・・なんと「合格!」。とても信じられなかった。冷静に考えても落ちる要素しかなかった。入学手続きをして、学生部から完了の返事をもらって、ようやくキツネにだまされていないことがわかりました。
 そう言えばこの神社はお稲荷さんじゃないよな。お猫様でした。






2022年12月28日(水)
眉山の嶺登り

 何だかんだと言いながら、冬空の元での眉山に登りました。ついでにいろいろとドライブもしてきました。ヒヤッとする場面もありました。

 朝方は少しだけ降雪があったのですが、すぐに消えてしまいました。身を切るように冷たかった北西風も少し落ち着いてきたみたいです。高いところから徳島市街地を眺めました。交通もきちんと動いています。

 眉山にはいくつもの登山ルートがあります。今日は人通りの多い正規ルートをたどりました。しっかり踏み固められて迷うことはありません。年末のこの忙しい時期にも関わらず、何組もの登山客とすれ違いました。

 所々に案内板がありますが、自発的に枝や石を使って方角を示す道標を作っています。私もそれを見かけると、補修したり情報を追加したりしています。ここでは皆がお互い様なのです。

 道を外れると途端に歩きにくくなります。昔の旧道は手入れされることもなく、だんだんと崩れるのに任せています。沢には珍しくまともに水が流れていました。干上がることが多いのに、どうやら上流で十分な降水があったようです。

 今日の成果は特になしでした。確かに何か採れたらうれしいですが、そう毎回うまくいくはずがありません。この山は県民の憩いの場です。手軽な山歩きを楽しむための場所だと思います。気が早いですが、退職したら毎日ここに来ようと思っています。・・・まだ大分先の話ですよ(笑)。








2022年12月16日(土)
高越の柘榴はまだある

 高越山から流れ出る川田川に来ました。最近では余りめぼしいものが見つからず、ボウズになることもしばしばです。でもここは私たちのホームグラウンドですから、気が向けばまたこの川原に立っています。もちろん山の斜面や谷川にも立ちます

 草の多い野原の切れた場所から、石ころが顔をのぞかせている場所を探しました。柘榴石・紅簾石・角閃石・藍閃石・緑簾石・黝簾(ゆうれん)石・緑泥石・白雲母・曹長石などが目につきました。でもそれらはすでに採集済みなので、よほど良い物でないと拾いません。

 そうしたなかで、粒子が大きい柘榴石や金紅石、透緑閃石は積極的に拾います。前者はこの産地では2cmを超える物が珍しく、後者はそれ自体がほとんど見つからないからです。お目にかかれるのは数年に一度という頻度です。

 2年前に見つけている柘榴石がまだ残っていました。一見するとそう見えないからでしょう。粒子は大きくないものの、赤みの強い鉱脈が石英中に走っています。この産地では余り見ることのないタイプでした。推定重量は50kgを超えるでしょう。おいそれと運べないですよ。

 吉野川本流との合流点まで行っていた仲間たちが帰ってきました。どうやら大した物はなかったようです。石の表面が泥で汚れて白っぽくなっています。これでは何が何だかわかりません。

 12月になってようやく紅葉です。秋の訪れが遅く春の訪れが早くなる。つまり冬が短いってことですね。このシーズンに新しい発見があるでしょうか?

 石の整理できたら手元に残す分と誰かに上げる分に分けます。そのときは連絡するので、欲しい皆さん手を上げて下さいね。  








2022年11月18日(金)
一宇の土釜(どがま)

 剣山から貞光に抜ける途中にあります。小さな観光名所なので、そのまま過ぎてしまう人もいますが勿体ない。寄り道しました。

 ここには大きなポットホールがあります。川底の窪みに小石が入ると、流水により石が孔の中で転がされ岩を削ります。そうして何百年もかけて自然の造形が作られたのです。

 水は青くて透き通り、川底がよく見えます。実際はもう少し暗いですが、たまたま日が差し込んできたので見えました。底ばかりでなく周囲の側面も穿っているようで、岩のトンネルがありました。形状が面白いです。

 私たちが見ていると、気を引かれた人が次々と訪れました。もう少しここも有名だったらと思いました。老舗のうどん屋が店を閉めていました。何とも言えない寂寥感が漂っていました。






2022年11月17日(木)
剣山見ノ越(3)

 太郎笈(タロウギュウ)北麓の、標高1450m付近です。季節柄かなり紅葉して、山頂付近はすでに終わっていました。リフトがまだ稼働しています。

 遠くに標高1894mの三嶺(さんれい、みうね)が見えます。タロウギュウより低いですが、標高差1000mを登らないと行けないので、もっとも疲れる山です。名頃ダムから登ります。

 こうして今年の紅葉狩りは終わりました。来年はもっと調べてから、もっときれいな時期に行きたいです。また皆さん、石採り以外も行きましょう。






2022年11月16日(水)
剣山見ノ越(2)

 太郎笈(タロウギュウ)北麓の、標高1450m付近です。季節柄かなり紅葉して、山頂付近はすでに終わっていました。リフトがまだ稼働しています。

 一宇へと戻る道沿いも紅葉していました。斜面が彩られて美しいです。しばらく見ほれていました。

 皆考えることは同じで、私たちのビューポイントにはひっきりなしに誰かが訪れました。天気が良かったので、県外ナンバーも多かった。コロナ禍で自宅に閉じこもるより、パァーっと戸外に出て新鮮な空気を吸う方がマシでしょう。お仲間が多くてうれしいです。






2022年11月15日(火)
剣山見ノ越(1)

 太郎笈(タロウギュウ)北麓の、標高1450m付近です。季節柄かなり紅葉して、山頂付近はすでに終わっていました。リフトがまだ稼働しています。

 緑の一里塚から見ています。ここは剣山系を見渡せる絶好の場所です。標高1955mのタロウギュウと、1930mの次郎笈(ジロウギュウ)が隣り合わせです。

 北斜面がよく見えます。こんもりと茂った峰の間に沢があります。そこからも別ルートで登山できます。

 タロウギュウの山頂に建つのは雲海荘です。ここに宿泊したことはありませんが、この裏にあるヒュッテには1回だけあります。夏の夜の剣山はひんやりしていて、ホタルが何匹か舞っていました。

 森林限界なのか、山頂付近はクマザサの群落です。登山客が多くなって踏み荒らされるため、尾瀬や霧島のように遊歩道を造っています。歩きやすいけれど、間近に見られないため、ちょっとビミョウかな?

 ここは平家の馬場の呼ばれて、かつては平家の落ち武者たちがここで乗馬の練習をしたという伝説があります。「ツルギ」という名ですが、山頂は意外に平坦なのです。尖っているのは石鎚山だから、「イシヅチ」と名を交換したらすっきりするかも?

 ジロウギュウもクマザサで覆われています。ここにはタロウギュウから尾根沿いに行くか,南側の高の瀬峡から登るルートがあります。こっちも面白いですよ。






2022年11月14日(月)
奥祖谷の二重かずら橋(4)

 剣山の北西側に位置する東祖谷にあります。観光客がよく行くのが西祖谷のかずら橋ですが、鄙びた感じがなくなってきたのでちょっと・・・。西祖谷から30kmもありますが、こちらが私の好みです。

 野猿(やえん)はまだ故障中でした。最後に載ったのはもうかなり前です。自分でロープを引くことで川の向こうに行ける。それがなかなか面白かったです。こっちの方が怖いですよ。

 女橋を渡ります。ぶっとい丸太を支柱にして、これまた太いかずらを巻き付けています。今日ではこのかずらを集めるのに苦労しています。山に入る人が年々高齢化して、人手が足らないのです。徳島県人として、何とかこのまま保存して欲しいです。

 無事に渡り終えると、再び坂道を登ります。途中で不思議な光景に出くわしましたが、そこはスルーしましょう。こんな山の中ですから、下界にはないことも起こるのです。






2022年11月13日(日)
奥祖谷の二重かずら橋(3)

 剣山の北西側に位置する東祖谷にあります。観光客がよく行くのが西祖谷のかずら橋ですが、鄙びた感じがなくなってきたのでちょっと・・・。西祖谷から30kmもありますが、こちらが私の好みです。

 支流に小さな滝がありました。落差はあまり大きくないですが、きれいに円形状に枯れ葉が溜まっています。面白いです。このような支流がいくつもあって、本流と合流します。夏場でも水が涸れずに済みます。

 小さな秋を見つけました。茶色い枯れ葉の上に真っ赤なカエデが落ちていました。こういうきれいな紅葉を集めてきて、乾燥させてからラミネートすると、本の栞(しおり)や付箋紙の代わりになります。実際に数枚作って使っています。今度のイベントでしようかな?

 緑のすっくと立つ杉の手前で、花火がぱちぱち言っています。その赤さと黄色が相まって、まるで火花を散らしているようです。青空もきれいで、何カットも撮ってしまいました。






2022年11月12日(土)
奥祖谷の二重かずら橋(2)

 剣山の北西側に位置する東祖谷にあります。観光客がよく行くのが西祖谷のかずら橋ですが、鄙びた感じがなくなってきたのでちょっと・・・。西祖谷から30kmもありますが、こちらが私の好みです。

 男橋から女橋が見えます。2つ合わせて夫婦(ふうふ?めおと?)橋とも言われます。ここから見るのも様になります。帰りに渡りましょう。

 橋を渡って下の川原に降りました。手すりの部分にホースをグルグル巻きにしていましたが、別に封鎖している訳ではないですよね?先に何人も降りていたので、私たちも注意して降りました。

 かずら橋を下から見上げると、まぶしいほどの青空に暗く橋桁が見えます。まるで梯子(はしご)みたい・・・と誰かがツイートしました。さっきはあの空間にいたんだね。不思議な気分です。

 祖谷川の川面に葉っぱがたくさん流れていました。どれも薄黄色の葉です。このまま流れていくと、西祖谷のかずら橋にたどり着くでしょう。水も青くてきれいでした。






2022年11月11日(金)
奥祖谷の二重かずら橋(1)

 剣山の北西側に位置する東祖谷にあります。観光客がよく行くのが西祖谷のかずら橋ですが、鄙びた感じがなくなってきたのでちょっと・・・。西祖谷から30kmもありますが、こちらが私の好みです。

 相変わらずよく揺れます。このスリル・・・と言いたいところですが、何度か渡っていると慣れてしまって・・・。それでも足元の板と板の間から見える水面はちょっと怖いです。板を踏み外してすき間に脚を突っ込みそうなのと、体重で板が割れそうなのとで(笑)。

 ここも紅葉がちょうど見頃です。赤いのはあまりなくて、薄黄色から淡黄緑色が多い。まるで橋が黄色く染まっているようでした。では、しばらくこの橋の揺れ心地を堪能しましょう。






2022年11月5日(土)
晩秋の風物詩・・・海苔養殖


 うちの写真班が好んで撮る被写体です。この朝日に照らされた川面や舟影に魅力を感じるそうです。

 これを見るとそろそろ冬だなって思います。吉野川橋から新吉野川橋を越えて、その向こうまで定置網が延びていました。これから来年の春までの4ヶ月間、ここでじっくりと海苔が育つでしょう。


2022年11月4日(金)
たぬきまつり


 毎年恒例の行事です。マチ遊びも兼ねています。県内の市町村のブースが軒を連ね、物産や情報を開いています。もちろん様々なイベントも目白押しで、藍場浜公園が活気づいていました。

 ふとボートの音が聞こえました。ひょうたん島クルーズのようです。徳島市は水郷の街で、多くの川や水路が延びています。そこを船で往来するのです。この時期はちょっと肌寒いですが、それでも多くの人が乗っていました。

 私はアツアツの大判焼きを食べています。さっきまで疲れていたのに、温かい物を腹に入れるとホッとします。今日はもう少し仕事がありますが、これなら何とか持ちこたえられるでしょう。

 阿波のタヌキと言えば、狸合戦で有名な津田の六右衛門や金長(きんちょう)がいます。ほんの100年前、○滅の刃の時代にも身近なところにタヌキがいました。数百歳のタヌキはざらにいて、身体が亡くなっても霊体としてこの世に残っているそうです。

 私のひいばあさんが幼少の頃、吉野川で荷揚げをしていた人夫のマネをして、夜中にタヌキが似たような音を立てていたそうです。灯りが見えたのでたぶん(狐火じゃなく)狸火だったと、真顔で言われたことを覚えています。

 今は懐かしき、明治・大正・昭和です。






2022年9月14日(水)
高越の嶺登り(2)

 何だかんだと言いながら、秋晴れの高越山に登りました。ついでにいろいろとドライブもしてきました。ヒヤッとする場面もありました。

 高いところから徳島平野を眺めました。手前からぐるっとカーブして、吉野川本流に注ぐのが川田川です。工事中と草むらが広がっているため、鉱物採集には不向きです。ここに通い詰めてもう18年・・・感慨深いものがあります。

 珍しくまともに水が流れていました。干上がることが多いのに、どうやら上流で十分な降水があったようです。この川は旧美郷村方面から流れてきて、ふいご温泉の辺りで奥野井谷川と合流します。その谷川の上流にあったのが高越鉱山でした。

 一方で、美郷村の東山谷のさらに奥に東山鉱山がありました。阿波の三大銅山(五大銅山ともいう。)の1つで、別名「太郎銅山」とも呼ばれていました。江戸時代には、藍や木材と共に阿波藩の貴重な現金収入源でした。2つの銅山の下流に当たるので、様々な岩石や鉱物が見つかりました。

 今は広い川原を残すだけです。かつての勢いはありません。一日中探し回っても特筆する物は見つかりません。愛媛県の関川と同様に、ここもだんだんと忘れ去られた産地になっていくようです。

 今は集めた標本の整理に追われています。と言っても、ゆっくりとしていますが、、、。高越山系の鉱物が最も多いですね。数えていませんが、1000のオーダーになることは間違いないです。

 整理できたら手元に残す分と誰かに上げる分に分けます。そのときは連絡するので、欲しい皆さん手を上げて下さいね。  








2022年9月13日(火)
高越の嶺登り(1)

 何だかんだと言いながら、秋晴れの高越山に登りました。ついでにいろいろとドライブもしてきました。ヒヤッとする場面もありました。

 まずは、いつものF氏にご挨拶しました。御年85歳でまだまだ矍鑠としていてお元気です。お茶をよばれながら、最近のニュースや一族内の出来事、こちらの近況などについて語り合いました。

 話題は尽きず、時刻は正午になりつつあります。せっかくだからメシを食っていけ・・・と言われそうだったので、少し早いけれど固辞して退散しました。いつも甘えるのはどうかと思ったので・・・(笑)。 

 しかし、帰りに甘柿と無花果をもらいました。甘柿の品種は富有(ふゆう)で、地元民は「ふうゆう」と呼んでいます。金持ちとかの意味があるとか・・・。全体的に丸っこい実で橙黄色から橙赤色です。

 イチジクは子どもの頃によく食べました。西アジア原産のクワ科の植物だそうで、柘榴や葡萄と並んで世界的に古くから食べられていた果実です。思わず4つも食べてしまいました。

 西の峰に上がりました。狛犬たちはまだ元気そうです。そこから道沿いに山を越えて、美郷村へ下ろうと思いました。ところが、途中から道が荒れてきました。ダートではなく一応は舗装していますが、端の方がひび割れたり側溝が埋まったりしていました。

 山小屋まで辿り着きましたが、そこから先の道に段差ができています。何とか通り抜けましたが、急なヘアピンからダートになっていました。ここからなら国道まで3kmくらいでしょう。しかし、先が読めないのでやむなく断念して、元の道を引き返しました。

 帰りはまた困難でした。さっき無理矢理通った場所でタイヤがスリップして、もう少しで落ちるところでした。何とか擦ったりせずに通り抜けて、やっと帰途に就きました。チタン鉄鉱はまた今度です。








2022年8月18日(木)
ドラゴンフライ イン ザダーク

 風呂上がりにホッと一息ついているとき、網戸に何かへばりついていました。黒くて不気味な影です。手元の殺虫剤を引き寄せ、イチニノサンで噴射・・・する直前でした。
 あっ、これトンボだ!外側に見事に止まっています。暗いので種類は不明ですが、大きさから見てシオカラトンボっぽい。近くの用水路か水田から迷い込んできたのでしょう。その後、少なくても1時間以上そこにいて朝には消えていました。


2022年4月17日(日)
高越の沢登り(2)

 久しぶりに高越山に登りました。ついでに石採りと山菜採りと写真撮りをしました。面白かったです。

 遠くに川田川が見えました。いつものホームベースでは、工事のためすっかり採れなくなってしまいました。私が15年かけて集めた標本は100個以上になりますが、もう二度と採れないものもあります。とても残念ですが、それも時の流れというものかもしれません。

 昔の山道が残っていました。かなり崩落して今では訪れる人もいません。山上の集落からふもとの学校まで、毎日小学生が往来していたそうです。今から70年以上前のことで、その当時行き来していた現在の御年85歳の当人から伺いました。

 なかなか面白いです。こういう話を聞いて卒論とか書いてくれたらよいのに・・・。

 谷川はさらに急流になりました。とは言え、ほとんど水はないから濡れる心配はありません。水晶や金紅石を探しましたが見つかりません。高越山全体として、採集できる石が減っているように思われます。

 さて、石の代わりに思いがけないものがありました。オスジカの頭骨です。立派な角が残っていました。今日はこれだけを拾って帰りました。

 皆さんに紹介します。これがうちのエリアスくんです。

 小袋に一杯、ワラビを採ってきました。これを1Lの水に入れて、さらに大さじ3杯の小麦粉と小さじ1杯の塩を入れます。15分くらい沸かした状態でアク取りすると、すっかり茹で上がって食べられるようになります。小麦粉がアクを吸収してくれるそうで、従来のような方法より簡単です。

 山菜うどんにして食べました。なかなか美味いです。これぞ春の醍醐味です。 








2022年4月16日(土)
高越の沢登り(1)

 久しぶりに高越山に登りました。ついでに石採りと山菜採りと写真撮りをしました。面白かったです。

 数えていないけれど、おそらく100回以上は来ています。今日も春の陽気に誘われて、ふと思い立ってここに来ました。気温は20℃くらいあるでしょう。春というより初夏ですね。背中に当たる日射が少し痛いです。

 マムシグサが咲いていました。本来は珍しい部類に入りますが、山ばかり行っているせいかよく見ます。しかし、ここの土壌や気候にマッチしていないと成長しないし、毎年花を咲かせたりしません。「やはり野に置け蓮華草」という言葉があるそうですが、山野草はその場所にあるがままの方がきれいでしょう。

 サワガニがひょっこり顔を覗かせました。かなり大きい個体です。ハサミを振り上げて少し威嚇すると、サッと岩に下に引っ込んでしまいました。水がきれいだから生活できるのでしょう。まだまだ県内には多くの自然が残されています。

 同行のK様が巨岩の写真を撮っていました。大水のとき、こんな大岩が転がってくるのです。自然の力はすごいものです。それにしても庭石には大きすぎるものばかりでした。








2022年4月5日(火)
丈六寺の桜


 うちの写真班が好んで撮る被写体です。この鄙びた感じの山門や満開になった山桜に魅力を感じるそうです。

 勝浦や上勝の石炭・化石を採りに行くとき、この傍を通り過ぎています。一度も来たことがなかったけれど、春の陽気に誘われて訪ねました。山門・・・といっても街中というか川沿いの寺ですが、こんもりと咲く桜が見頃でした。

 門から境内を覗くと、まるで切り取られた絵画のように桜が見られました。お堀や卒塔婆などがあり、風情たっぷりでした。ちょっとした散歩には最適です。






2022年3月13日(日)
県立博物館の資料展2

 久しぶりにリニューアルされた博物館に家族連れで行きました。ついでに先日採取した鉱物も持って行きました。私の寄贈品が3つほど常設展示されているので、お役に立ってうれしかったです。

 日本全国の辰砂(しんしゃ)が展示されています。奈良水銀鉱山群と並んで、本県の水井水銀鉱山の朱石(あかいし)がありました。縄文時代後期から、辰砂を原料に古代朱が精製され、祈祷や埋葬に使われました。最古の鉱山跡であり、工房跡でもあります。宮ノ前遺跡の発掘で、4500年前~3500年前の地層から、千個を超える大量の辰砂が見つかりました。

 海部刀は、県南の旧海部町辺りで造られていた刀剣です。戦国時代末期には関ヶ原の戦いでも使用され、やや厚めの刃で切れ味は抜群でした。これの原料はたたら製鉄法により作られた玉鋼(たまはがね)ですが、その玉鋼のとなった砂鉄はどこから来たのか。諸説があり、今もっとも有力な仮設が奥出雲地方です。しかし、それに異を唱える調査結果があります。・・・誰か調査の続きをしないかなぁ・・・。

 阿波の伝統芸能の1つ、人形浄瑠璃です。これは寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)という出し物で、大変縁起が良い舞だと知られています。実は私の身内がこれに関わっており、それで興味を持つようになりました。

 他にもたくさんの展示と解説がありました。もっといろいろなイベントをして欲しいです。








2022年3月12日(土)
県立博物館の資料展1

 久しぶりにリニューアルされた博物館に家族連れで行きました。ついでに先日採取した鉱物も持って行きました。私の寄贈品が3つほど常設展示されているので、お役に立ってうれしかったです。

 以前と配置がガラッと変わっていました。受付入り口のところで、高越のエクロジャイトなどがお出迎えです。この岩石は地下50kmのマントル上部からやって来たもので、1億年前に形成されたそうです。柘榴石とオンファス輝石という鉱物を含みます。国内では極狭い地域でしか見ることができない大変貴重な石です。

 勝浦町のボーンヘッドから採取された恐竜の化石が並んでいます。平成6年にイグアノドンの歯が見つかり、当時は四国初の快挙でした。その後、ティタノサウルスの歯が平成28年に発見され、令和2年に大規模な調査がなされて、恐竜の化石を大量に含む地層(ボーンヘッド)が見つかりました。恐竜以外の爬虫類の化石も多数見つかり、化石ブームが到来しました。

 さて、博物館の床が何やら変わっています。モチーフは、徳島県人なら誰でもわかる「藍染め」です。最近は学校でも藍染め体験する授業が行われており、伝統文化の継承に努めています。インディゴブルーはきれいです。私の家の庭にも藍が生えていて、発酵して蒅(すくも)にしなくても生藍(なまあい)の状態でも十分染色できます。

 銅鐸や銅矛も展示されていました。こちらには余り興味はありませんが、1つくらい発掘してみたいものです。表面の紋様の意味とか産地には少し関心があります。








2022年1月31日(月)
強風と霙の大川原高原


 にわかに天候が悪化しました。西から黒い雲が押し寄せ、北西風が強くなってきました。このタイミングで外出するのは酷です。少し様子を見ることにしました。

 大川原高原の風車がグルグル回っています。遠目にもその様子がよくわかります。ちょうどアジサイ広場の辺りから雲が立ち上って、屋根にはパラパラという音がします。雨かと思ったらそれだけでなく白い物も混じっていました。

 雪というよりあられみたい。このような荒天では雹が降るかもしれません。外気温は見る見るうちに低下し、気圧も下がっているようです。外出する直前で良かった(ほっ。)。

 雲のすき間からかすかに日光が差し込んできました。光のカーテンのようで幻想的です。誰かが「チンダル現象」だと叫んでいました。空気という分散媒に、水滴または氷の微粒子という分散質が拡散されている。エアロゾルの状態です。

 コロイドの知識が役に立ちました。収まってきたので、今から仕事に出かけます。




2022年1月21日(金)
奥野井谷川に降りる

 川田川の支流の一つである奥野井谷川は、高越山中腹を源として名越公園辺りで合流しています。谷川に沿って道を辿るとかつての高越鉱山の鉱区に入り、周辺の林の中に坑道跡が残っています。ズリがまだ残っていると、そこでキースラーガーなどが採取できます。また、変成岩からなる山々から様々な鉱物が見つかっています。

 いつもの仲間でトンネル直下の谷川に降りてみました。道から谷底まで高低差が25mあり、斜度60度という急斜面を下ります。これって普通は斜面と呼ばず崖って言うよな・・・とはM様の談です。そこで、今回は反対側の緩やかな斜面(こっちは斜面で正解!)から降りました。

 何度も大水が出て谷底がめくれ上がっていました。自然堤防ができています。その上に荷物を置いて身軽になって石探しをしました。まず、谷底はとても冷えるぅ~・・・。寒いぃ~・・・。谷底だけに底冷えとはこのことです。石の裏に霜柱が立っていて凍り付いていました。

 川原の石はうっすらと白く、石こうがちょっと沈殿しているみたいです。また、ズリや索道跡から転げ落ちた鉱石もあります。もっとも表面が錆びてジクジクしていて、余り良い状態ではないです。

 下流で見られる鉱物のほとんどが見つかりました。なかったのはルチルとエクロジャイトくらいでした。否、ない訳ではなく見つけられなかっただけです。この場所でも二ケタ単位で見つけているし、そのうちの2つは県立博物館に寄贈しています。代わりにチタン石やチタン鉄鉱がありました。

 上流だけあって結晶が実にシャープです。ゆう簾石(ゾイサイト)の結晶だけからなる塊もありました。黄鉄鉱や磁鉄鉱は小さめです。久しぶりにこの場所を堪能しました。








2022年1月10日(月)
バナナチョコ

 帰省していた子どもが作ってくれました。何やらのお祝いだそうです。・・・という訳でもなさそう(笑)。
 毎朝の日課として、体温OK、体調OK、食欲OK、・・・と確認します。検査にも引っかかることなく無事に動けています。ありがたいことです。
 チョコが甘くまったりしていて、ちょっと食べただけで満腹感を味わえました。やっぱりバナナとの相性が良いですね。ごちそうさまでした。


2022年1月9日(日)
眉山の鉱物2級品

 その産地の特級品や博物館クラスの標本を見つけるのはとても難しい。過去の文献とか資料とかあるいは他者から聞いて情報を収集し、後は根気よく丹念に探ししかないですが、さらに運にも左右されます。ハードルが高い!

 私の場合、最初から狙っていくとまったく採れない。むしろ、ボウズでも良いから自然の中で雰囲気を楽しむ方がアタリやすいと感じています。でもそんな煩悩はなかなか消えてくれませんが・・・。

 今回は眉山に何度も登ってたまたま見つけた鉱物です。表面が風化していたり結晶が歪であったりと、今一見た目がパッとしない標本です。しかし、これだけ数が揃ってくると標本セットとして価値が出てくるように思います。

 上の画像は石英と緑色片岩の母岩からなり、いくつかの黒い満礬柘榴石を含みます。その中で一際一際目立つのが淡い赤褐色の柱状結晶、すなわち金紅石(ルチル)です。結晶形・色合い・条線・産出状況などを鑑みて、そう判断しました。鉱物としてはありふれていますが、産地としては☆8つレベルです。

 中の画像は紅簾石片岩中の紅簾石結晶です。濃い赤紫色の細い柱状結晶が多数含まれています。また、淡い青色でほとんど透明に近い柱状結晶は藍閃石です。こちらも☆5つと☆6つです。

 下の画像は石英中のチタン鉄鉱です。灰黒色板状結晶が連なり、やや重量感があります。結晶は小さくて少し風化しています。雨水の染み込んだ土中に長い間埋もれていたからかもしれません。これは☆7つです。

 チタン鉄鉱はルチルほど注目されなかったので、現存する標本の数はずっと少ないです。でも私は、ルチルよりチタン鉄鉱の方を見つけられるようになりました。ちなみに、ルチルの標本は意外に多くの研究機関や博物館に収蔵されています。そのため、市場に出回ることはめったにありません。そもそもコレクターがなかなか手放さないし・・・。








2021年12月19日(日)
久宗のズリと川田川

 久宗坑のあった工場の近くに、大きな小山(?)があります。台地か丘のように天辺はなだらかで、見晴らしもそこそこあります。そこが久宗のズリでした。

 低品位のキースラーガーや黄鉄鉱など、それらの母岩となる藍閃石片岩や紅簾石片岩など、そうした石が土の間からはみ出していました。しかし、長い年月が経ってすっかり風化し、標本として採取できる物はありません。錆びて汚くなったぼろぼろの母岩から、辛うじてコベリンを採取できました。

 高越大橋から川田川を見下ろせば、何もなかった川原にびっしりと草が生えていました。寒くなってもまだ枯れず、石採りには不向きです。護岸工事をしたときにどこからか種が侵入してきたのでしょう。採取が困難になりました。

 上流部にはまだ水を湛えています。それもまた採取を困難にしています。この産地は久しく私たちのホームグラウンドでしたが、ちょっと困ったことになっています。以前のように草が生えにくい状態に戻ってくれないか、切に願っているところです。






2021年12月18日(土)
高越山の石採りに初雪

 昨夜から天候が悪化していたので、急きょ予定を取りやめて高越山へ行って来ました。ところが、山へ向かうにつれて雪が降ってきて北西風が強さを増して来ました。ようやく川田川の土手に着いたものの、空から冷たい白いものが落ちてきて、頭がすっかり冷たくなりました。

 山の方を見ると白くなっていて、雪が降っているのがわかります。それがだんだんとこちらに近づいて、とうとう白い吹雪に囲まれてしまいました。

 それでもめげずに石採りに精を出して、足元を丹念に見ていきました。紅簾石や緑簾石、藍閃石やゆう簾石、透緑閃石や緑泥石の結晶、黄鉄鉱や黄銅鉱、柘榴石や曹長石、白雲母や苦灰石などの定番が見られ、小さいながらも金紅石・チタン石・チタン鉄鉱のチタン鉱物三羽がらすもありました。しかし、大きさや美しさなどは今一で持って帰りませんでした。

 帰ろうとした最後に、チタン石をまあまあ含んだ母岩を見つけました。大ハンマーで引っぱたくこと15分で、石の内側から新鮮な結晶が顔を覗かせました。黄色というより薄い黄緑色で厚みがあります。「くさび石」の別名のように、藍閃石の母岩にはまり込んでいました。

 今日の収穫はこれだけです。しかし、仲間と分け合って楽しい一時を過ごせました。その後、2年ぶりに近くのトンカツ屋に行ってジャンボトンカツとメシ3杯を食らい、大満足で引き上げてきました。帰りはちょっと眠たかったです。






2021年12月2日(木)
おまけの月齢28

 次の朝も早起きです。昨日よりさらに細くなった月が浮かんでいました。かなり空が明るくなってきましたが、まだ月の丸さがわかります。空が澄んでいるからでしょうか。
 後2日で新月です。再び月が太り始めます。私はダイエットに取り組んでやせ始めています。現状を満月とすると、せめて十三夜くらいにはなりたいです(笑)。


2021年12月1日(水)
月齢27・・・逆三日月


 早起きしました。・・・いつものことです。朝から炊事・洗濯・掃除など、しなければいけないことが山積みだからです。もちろん山とかに出かけるときもありますが、その場合はもっと早いです。四国内なら室戸から足摺、佐田岬や大三島まででも走って行きます。

 窓から月が見えました。早朝に東の空に見える月齢27の月です。夕方に西の空に見える三日月と比べて、反対側が欠けています。地球の影に入る月食ではなく、こちらは正規の(?)満ち欠けによるものです。

 まだ暗いうちに月をよく見ると、影になっている部分がうっすらと見えます。月が丸くなっている様子がわかります。古代の人は目も良かったから、月が隠れてもそこにあることがわかっていたでしょう。

 地平線のすぐ下まで太陽が昇ってきて、空が青くなってきました。冬の寒空にポツンと取り残されている感じです。

 月の丸さはもうわかりません。さっきまでの暗闇ではよく見えたのに、明るくなってくると見えなくなるなんて。ひょっとすると、影は闇の中でこそよく見えるのではないか。

 さて、一人で盛り上がっていますが、そろそろ洗濯が終わる頃です。物干しに行きますか・・・。








2021年11月24日(水)
徳島市の夜景と月食(4)


 19日は月食でした。ついでとばかりに徳島市の夜景を見に来ました。昼間はよく来るけれど夜は久しぶりです。

 眉山の東側に広がる徳島市の夜景を十分見ました。中央広場から北西方向を見ると、藍住町を結ぶ四国三郎橋が見えました。ちょうどラッシュ時だったので、車の列がそのまま光の列になって連なっています。見ている分にはきれいです。

 さて、そろそろ引き上げです。あのラッシュの中に混じって、自分も光の一点にならなければなりません。身体も冷えてきたので眉山を下りました。

 途中で月を見るとまだ欠けていました。ウサギの耳の部分です。完全に戻るまでに後30分くらい、それまでに自宅へたどり着けるでしょうか?勝負の行方はまたの機会に・・・。






2021年11月21日(日)
徳島市の夜景と月食(3)


 19日は月食でした。ついでとばかりに徳島市の夜景を見に来ました。昼間はよく来るけれど夜は久しぶりです。

 しばらく撮影を続けると、だんだん飽きてきて操作も粗っぽくなりました。そこで、場所を変えて周囲を見回すことにしました。電波塔がライトアップされていました。地味なクリスマスイルミみたいです。それだったら、パゴダの塔もしたら良いのにと思いました。

 別の展望台にも何人かいました。カメラやスマホ、望遠鏡を担いで持ってきている人もいました。カップルはともかく、小さい子どもを連れたグループまでいました。お子さんが覚えてくれていると良いですね。

 月食もピークを過ぎて、下の方から元に戻ろうとしています。ここに居るのも後わずか・・・。






2021年11月20日(土)
徳島市の夜景と月食(2)


 19日は月食でした。ついでとばかりに徳島市の夜景を見に来ました。昼間はよく来るけれど夜は久しぶりです。

 ついに6時近くになりました。月の南東部を残してほとんどが地球の影に入ります。広角で撮ると月が点にしか見えません。それでもしっかりと画像に写るのですから、最近のデジカメはすごい性能です(昔と比べて・・・。)。

 掩蔽率98%・・・、MAXです。赤茶けた月が見えます。周囲の人たちは、皆が無言でこの瞬間を待っていました。何十人もいるのに、まるで時が止まったかのようにシーンとしています。そう言えば、金環食を見たときも同じように静まりかえっていましたね。

 モチをつくウサギが地球の影に入りました。月の北半球の模様がウサギの上半身、特に耳などに見え、南半球が下半身とその前に置かれた臼に見えるのです。

 西洋では、ウサギの耳の部分がカニのハサミに見えるそうです。確かにそうだ。でも片方が大きいから、これは「シオマネキ」だろうね。吉野川河口にもいる小さなカニで、雌の気を引くためにハサミを振っています。その様子が、あたかも潮が満ちるのを招いているように見えるため、「潮招き」と呼ばれています。

 そう言えば、月は地球の潮の干満にもっとも影響を与えています。月にいるカニはやっぱりシオマネキだったのでしょう(笑)。

 完全に夜になりました。夜空の天体ショーはまだまだ続きます。1200ミリ望遠で撮った月がきれいです。もうしばらく堪能しましょう。








2021年11月19日(金)
徳島市の夜景と月食(1)


 今夜は月食でした。ついでとばかりに徳島市の夜景を見に来ました。昼間はよく来るけれど夜は久しぶりです。

 標高290mの眉山の東山頂から見る徳島市の夜景はなかなかきれいで、六甲山から見るのとまた違った趣があります。徳島駅のすぐ向こうにかつて徳島城があった城山、その奥の吉野川に架かるのがしらさぎ大橋です。その上空に今日の主役の「月」がぽっかり浮かんでいました。

 今日はほとんど皆既となる部分月食です。と言っても、最大で98%も欠けるため皆既月食のような見た目も味わえるでしょう。それも楽しみです。

 新町川の河口には県庁やかちどき橋が見え、その周辺にはヨットなどが多数停泊していて、ケンチョピアと呼ばれています。そこのイルミネーションもきれいです。まだ完全に夜になっていないため、周辺は薄暗いくらいでした。

 再び吉野川に目を戻すと、吉野川橋や吉野川大橋にも車の縦列が見えました。時刻は5時半くらいで、月は北側から半分以上が欠けていました。

 北西風が少し寒いですが、しばらく展望台に居座ることにしました。三脚がないためカメラを固定できないから、それの代わりになる物を探しました。ようやく恋人たちのカギの近くに適当な場所を見つけて、そこに荷物を置いて陣取りました。

 さて、月食と夜景を楽しみましょう!








2021年10月17日(日)
川原は草ボウボウ(2)

 高越山にまた来ました。久しぶりに全員集合です!
 上流の奥井野谷から吉野川本流まで、川田川を見ていきました。もう夏でもないのに夏草が生い茂り、なかなか降り口が見つかりません。ようやくいつもの中流口に駐車して、目に入る範囲で石探しをしました。
 いつもはグラウンドが10個以上も入る広大な川原ですが、今日はせいぜい1個分くらいでした。草の生えていない場所での実施です。最近まで水が流れていたようで、石の表面には白い石こうらしき物が付いていました。
 成果はさっぱりでした。金紅石4個、エクロジャイト2個、含柘榴石紅簾石1個、チタン石3個、孔雀石2個、透緑閃石1個、二酸化マンガン鉱2個、キースラーガー7個、ゆう簾石と藍閃石・白雲母・角閃石・柘榴石・黄鉄鉱・磁鉄鉱などが多数・・・くらいでした。班銅鉱とチタン鉄鉱は見つかりませんでした。
 これらはどれも持ち帰っていません。どれも持っているから、余分な石は採らないことにしています。一方で、新鮮な空気を吸いながら適度な運動ができました。おかげで、その夜はぐっすり眠ることができました。なかなか健康的な生活だと自画自賛します。
 次に来られるのは草が枯れてからです。そのときこそ、目を見張るような逸品を見つけたいです。








2021年10月16日(土)
川原は草ボウボウ(1)

 高越山に来ました。
 まず、久宗大切坑の排水口を見に来ました。高越鉱山は大別して、本坑・久宗坑・川田山坑・大越坑に分かれ、そのうち最も集落に近かったのがここです。今は完全に塞がれていますが、コンクリを固めた場所からも当時の様子を窺い知れます。以前は赤茶色の濁った水が出ていましたが、今日はかなり薄くなっていました。
 坑口の対面に目をやると、こんもりと高くなった丘がります。久宗坑から出たズリです。周囲300mくらいで、探してみると細かい黄鉄鉱などがあります。私もここでコベリンを拾いました。トカゲの鱗みたいなのって図鑑に書いていましたが、本当にその通りでした。
 今年の川原には異変が起きていました。例年なら石ころだらけの川底ですが、背の高い雑草がびっしりと生えていたのです。こんなこと、この15年間でなかったことです。おそらく護岸工事をして、ついでに川底もサルベージして草が生えやすくなったのでしょう。しかし、これは石採りには最悪のシチュエーションです。
 久しぶりの石採りに期待したのですが、上昇する前に意気が途中で墜落してしまいました。ヤレヤレ峠です。








2021年8月28日(土)
シャインマスカット!

 誕生日のケーキを・・・お裾分けしてもらいました。これでもかってくらいに、つやつやした黄緑色の粒が載せられていました。7号ってデカイな。
 切り分けるのが難しくて時間がかかりました。でも味の方はサイコ-!!みずみずしいブドウと生クリームの調和が取れていて、それだけならいくらでも食べられそうです。太るのを気にしなければですが・・・。
 そう言えばこれってどこかのザクロ石に似ている?後で標本箱を確認しよう。


2021年7月31日(土)
六十六番札所雲辺寺(3)

 ロープウェイからの参道を進むと、道の両側に多数の石像がありました。五百羅漢像です。本当に500体もあるか知りませんが、この中に自分とそっくりの石像があるそうです。見たいような見たくないような、そんな雰囲気にさせてくれました。
 木立の間からのぞくと、大勢の人がワイワイやっているみたいです。表情も豊かでまるですぐにでも動き出しそう・・・。それはそれで怖いですが、そんな気分になります。こんなところに夜に来たらさぞかし怖いでしょう。やってみたい気もしますが、17時以降の夜間は入場禁止です。
 涅槃像がありました。お釈迦様でしょうか。のんびり寝転がっておられますが、今日の直射日光は熱すぎます。焦げたりしないかちょっと心配になりました。一方、日陰の石像たちは涼しそうです。背景にアジサイを構えて、ほっと一息ついているみたいでした。
 なお、ロープウェイは香川県になりますが、五百羅漢像は徳島県です。ちょうど県境が境内を走っているため、面白いことになっています。今度はロープウェイから来てみたいです。








2021年7月30日(金)
六十六番札所雲辺寺(2)

 山頂に毘沙門天が立っていました。展望台にもなっていて、遠くまで一望できそうです。ちょっとした高台で内部はグルグル回る通路だったため、途中で本当に目が回りそうになりました(笑)。
 見晴らしが素晴らしいです!北西には観音寺の市街地や豊浜町、そしてその向こうに青い瀬戸内海が広がっています。観音寺沖合にある伊吹島の集落まで見えます。目を西に向けると愛媛県の川之江や三島、その先に新居浜も見えます。さらに、西日本最高峰の石鎚山もどっしりと鎮座していました。
 南東には祖谷渓の山々が見えました。国見山や中津山です。そう言えば誰かがそこで水晶を採取したそうです。目を東に向けると、「分け入っても分け入っても青い山」が広がっていました。かなり奥の少し高いのは剣山のタロウギュウでしょう。その横に三嶺(みうね)も見えました。
 雲辺寺山の上空は航路になっていて、多くの飛行機が飛んでいるからか筋状の雲がたくさん見られました。真夏とはいえ、上空には寒気が入ってきているようです。今またスーッと白い筋が走りました。見ていて飽きない光景です。
 像の西側には高原がありました。余り広くないですが、ブランコやベンチなどのんびりできます。景色が良いため多くの人が訪れていました。白や黄色の花が咲いて夏真っ盛りです。








2021年7月29日(木)
六十六番札所雲辺寺(1)

 八十八ヶ所巡りで最も高所にある雲辺寺に来ました。アクセスは香川県側からのロープウェイが一般的ですが、徳島県側からなら車で来られます。池田のダム湖を渡ってすぐに脇の県道に入ると、30分くらいで着きました。
 駐車場が狭くて道の端に停めるみたいな感じでした。そこから500mの参道を歩きます。お遍路さんも歩いていました。詰め所で駐車料金を払うと。家内安全の割り箸をくれました。帰ったら玄関に飾りましょう。山門の仁王像を横目に、境内に入ってマニ車を回しました。これはチベットなどで見られ、お経を唱える代わりにこの車を回すものです。
 事務所の方でおみくじを引きました。私が狙うのはいつでも「大凶」です。ものすごくレアで、過去2回しか引いたことがありません。今の時代では最初から入れてないかもしれません。これを引くことで自分への戒めになり、今後において注意できるから逆に便利なのです。
 「おたのみなす」にたくさんの願い事が貼られていました。穴をくぐって向こうの茄子に腰掛けると願いが叶うそうです。何だか楽しそうです。他にも夫婦杉とか大きな古木がたくさん見られました。まるで天狗でも出てきそうです。
 初めて来ましたが、天気も良く気温も平野より5℃くらい低いため過ごしやすかったです。








2021年7月6日(火)
梅雨の晴れ間の高越山

 長かった梅雨がようやく晴れました。午後から日が差してきたので、ふらっと川田川へ行ってみました。高越山から流れ出る奥野井谷と、美郷から流れる本流が合流してかなりの流量になっています。この川がこれだけの水量を見せるのは珍しいです。しかし、それと同時に川底に眠っていたお宝が目覚めるときでもあります。
 河川工事のため採集が難しくなり、だんだんと足が遠ざかっていく産地です。それでも年に数回はここを訪れ、ボウズに終わっても適度に運動できるのでちょっとした散歩にはもってこいです。先の増水でトラック道路が寸断されていました。この川は長雨の度に流路が変わり、まったく先が読めません。橋を架けてもすぐに流され、台風が来るともうお手上げなのです。それでも地元の人やミネラルハンターたちが立ち寄ります。
 気温32℃、湿度80%以上で、風が全くありません。コンディションは良くなく長居できないでしょう。いつもなら2時間かけるところを、1時間で終わらせることにしました。まず、小さなチタン鉄鉱が石英に含まれていました。灰黒色板状結晶は地味ですが、私にとってみれば目に入りやすいです。これはそのまま置いてきました。エクロジャイトもあったので、誰でもどうぞ。
 次に、鉄電気石・金紅石・紅簾石の結晶がありました。前者は中者より見つけにくく、手頃な大きさなので即ゲットです。後者は鉛筆に近い太さの真っ赤な柱状結晶で、眉山産よりも明るいです。他に水晶のヌケガラや磁鉄鉱結晶、灰簾石、マンガン鉱物などが見つかりました。意外に多かったです。
 川原の草木が伸び始めました。数日のうちに草ボウボウになるでしょう。そうなると草が枯れる秋まで入れなくなります。しばらくは様子見かな。








2021年6月28日(月)
紅簾石の穴はこれか!

 友人から聞いていた露頭の穴を見てきました。眉山の紅簾石の露頭です。なるほど、この露頭をごっそり盗ろうとして断念した跡がこれのようです。
 マンガンの鉱物である紅簾石は紅色の針状結晶で、それが集合すると太い柱状結晶になります。高越山や汗見川などが有名ですが、組成の異なる赤い緑簾石(赤い緑の鉱物って?)が多く、本物は眉山だけにあるとも言われています。徳島の石になってしまったしね。
 他の人からも指摘があったように、この露頭を破壊しなくても周囲によい標本が落ちていました。そちらを拾えば目くじら立てる人もいなくなるでしょう。高越山の露頭と共に、後世に残しておきたい自然物です。


2021年6月18日(金)
雲の中の大川原高原

 眉山の南側を流れる園瀬川の源流は、その1つが佐那河内村の大川原高原にあります。徳島市内より車で40分。標高1019mの旭ヶ丸の東方に広がり、平均950mののどかな山です。ここには牧場と風力発電所があり、比較的訪れやすい観光スポットになっています。
 雨天でしたが、一時的に晴れるのではないかと期待してやって来ました。曇天の中、駐車場には数台が停まっていました。同じような考えを持っている人が他にもいるのでしょう。でも視界はまったくありません。霧の奥からギュンギュンと不気味な音が聞こえてきます。水をくみ上げているような、何かを走らせているような不思議な音です。
 風向きが南東から北西に変わりました。風力は5くらいでちょっと強いです。そのとき、瞬間的に雲が晴れました。その向こうから現れたのが巨大な風車です。さっきからうるさかったのは、ウインドファームの風車群の1つだったんです。ハローが差しているようにブレードが霞んで見えました。
 周囲に目を向けると、アジサイの花がたくさん咲いていました。ほとんどが青色と白色の混じった花で、少しだけ赤紫色も混じっています。まだ七分咲きといったところで、これからが本番だそうです。咲いたばかりの新鮮な色合いがきれいでした。同行者も喜んで写真を撮りまくっていました。風車と一緒に撮りたかったです。
 山頂付近は赤茶けた大地が広がっていました。まるで火星みたいです。赤色のチャートのようです。佐那河内村から神山町にかけて、チャートの色合いが変わる境界があります。ここから数km南に行くと青緑色のチャートが分布しています。白いチャートもあって詳しく調べたら面白いでしょう。地域によって、大正時代に火打ち石として需要があったそうです。これも面白そうですね。








2021年5月21日(金)
雨上がりの眉山

 早朝から出張先に出向く途中、眉山山頂にうっすらと雲がかかっていました。すっくと立った電波塔だけが雲上に顔を出し、何だか不思議な光景でした。もう数時間も運転しているので、早くも草臥れていましたが、少しだけシャッキーンとなったみたいです。
 もっとシャッキーンとするため、コンビニでホットコーヒーを買いました。まだ時間があったので、道端に駐車してカップを開けました。ゆっくり飲んでいると、眠気の残滓が消えていくようです。ふと見ると、緑の苔むした石段が目に付きました。急な石段を登った先は忌部神社の境内です。大きい松ぼっくりが落ちてくる米松かカナダ松があります。クリスマスの時期には、ここで拾って工作する人もいます。
 そう言えば、この辺りは昔の八万村でした。古い金紅石の標本に八萬村と書いてありました。つまり、それは眉山のルチルだった訳です。その場所はもうふさがれて何も採れません。その時代に生きていてその情報を知っていれば、今頃はルチル成金になっていたかもです。それでも頑張って、何とか小銭持ちくらいになれていますが・・・。





2021年5月16日(日)
高越の峰を~♪

 とうとう梅雨入りしました。例年より10日も早いそうで、今日は午後から雨の予定です。ずっと石採りに行ってないのでフラストレーション溜まりまくり・・・。今日行かないと7月まで行かれないだろうと思って決行しました。が、山川町の空は典型的な曇天でパラパラしてきました。そこで、石採りをドライブに切り替えて山の上の方に登っていきました。
 美郷村へと続く峠道はわかりづらく、滅多に通る人はいません。道を塞ぎかけた倒木がそのままになっていて、片付ける人もいないようです。蜘蛛の巣が張っていたので、少なくとも昨日の夕方からは誰も来ていないようです。雲がかかって霧になって周囲が霞んでいました。下界は全く見えません。
 西の峰分教場跡、並びに神社の奥の院跡の様子は変わっていませんでした。また来ました。狛犬たちが所在なさげに佇んでいます。70年前にはこの辺りに家が何軒もあり、林業や炭焼きを生業とする集落がありました。そう言えば、杉林に隠れてわかりにくいですが平坦地がかなり広く、確かに家が建っていたと思われます。今は一軒も残っていなくて訪れる人もいません。
 少し天気が回復してきました。しかし、これは一過性のものでしょう。そこら辺を適当に見ていると、紅簾石片岩が露出していました。よく見ると、赤紫色の結晶や緑色の柘榴石が含まれています。こんな高台で珍しいと思いましたが、よく考えればこの山系一帯がそれなので不思議ではありません。同行していたM様がルチルを拾っていました。また、K様はチタン鉄鉱を見つけました。・・・結局、石採りしてるやん。ボウズは私だけでした(シュン)。








2021年4月19日(月)
小歩危の吊り橋(2)


 赤川橋の下流3kmの国政橋に立ち寄りました。こちらは適当な駐車場がなく、明確な意識がない限り誰も来ないでしょう。ワイヤーが張られており、さっきよりはしっかりしていそうですが、歩いてみるとやっぱり良く揺れます。
 長さ100mで水面から35mあります。川まで降りられるみたいですが、緑色片岩だらけの岸辺です。祖谷よりは北側ですが、同じ秩父帯の属するので同質の石が見られます。時間がないため下に降りるのは止めて、吉野川の景色を満喫しました。
 私たちが帰ろうとすると、県外の中年カップルがやって来ました。こんな観光地でもない所にどうしたんだろうと思っていると、連れのW君が「吊り橋効果を狙ったリア充だ。」って教えてくれました。確かにその効果はありそうです。Tさんは「仲のよろしいことで・・・」と、サクッと言って後は完全スルーでした。中年になるまでに彼らにも良き出会いがあることでしょう。
 国道をのったり帰ると眠たくなりそうなので、池田井川ICから高速に乗りました。思えばこのICから大歩危小歩危まで40分はかかります。もっと近くにICがあれば楽に来られて客も多くなるでしょう。しかし、そうなると秘境のイメージが失われるかもしれません。これはジレンマですね。





2021年4月18日(日)
小歩危の吊り橋(1)


 一応は観光スポットですが、バスなどが駐車できないためスルーされている場所です。地図でもわかりにくく、行きにて場所確認して帰りに立ち寄りました。ここは何がすごいかと言うと、かずら橋よりも高さがあることと吊り橋で揺れるからです。
 赤川橋は長さ109mあり、元々は山林王と呼ばれた故赤川庄八氏が大正10年に架け、その後昭和50年に孫の庄市氏が架け替えた2代目です。水面からの高さが35mくらいあるそうで、木板のすき間から吉野川を見下ろせます。両岸は傾斜が急で川に降りられません。青色の濃さから深さも相当あるようです。
 対岸まで歩きのみです。この日は風が強く橋がよく揺れました。突風が吹いてきて、カメラのキャップや首巻きタオルを飛ばされそうでした。向こう岸には廃車がありました。こんな所によく持ってこられたものです。ひょっとして橋を渡ったのでしょうか。重量1トンに橋が耐えられるのか微妙な感じです。
 対岸に林道があり、今は荒れているが幅は広いので通りやすかったようです。住宅はないため地元の人が自分の山林を見回るだけでしょう。でも桜や紅葉の季節は絶景となります。次はもっと計画して来たいです。





2021年4月17日(土)
西祖谷のかずら橋(2)

 また来ました。これも仕事だから仕方ないです・・・。さて、よくまあこれだけのカズラを山中から持って来られたものです。トン単位のカズラっていったいどれくらい手間暇かけるのでしょうか。保存協会の人も年々高齢化が進んでいるとかで、いつまで架け替えができるのかちょっと不安です。
 橋を渡った後で、下の川原の結晶片岩を見に行きました。緑色の変成岩がごろごろして、緑色岩帯と言うそうです。緯度から見れば木屋平村の野々脇鉱山の真西に位置するため、同様の石が見られます。ひょっとするとキースラーガーも少しは含まれるかもしれません。
 観光客は少ないですが、それでもある程度の人数が歩いていました。また、途中の温泉宿にも県外ナンバーがかなり駐車していたので、休日なら遊びに来ている人もそこそこいるみたいです。野外なら三密になりにくくフレッシュな空気を吸えるので、こういう所は大事にしたいです。
 お昼はもちろん祖谷ソバです。山菜入りを注文しました。・・・2分で終わりました。あっという間に食べてしまい、まだ腹五分目です。これ以上食べると眠たくなるので自重しました。外に出ると川魚の塩焼きや五平餅みたいな団子があります。後ろ髪を引かれる思いでした。
 いつもより気温が高いので、そろそろ藤や桐の花が咲きそうです。どちらも薄紫色をしているので遠目からは判別が付きません。自宅の藤も蕾が膨らんで開花間近です。まるで春と初夏が一緒に来たようです。
 祖谷の集落を歩いてみました。祖谷川両岸の斜面に寄り添うように、住宅や駐車場が続いています。川の崖に支柱を立て、それを足がかりに平地を造って建てた物が多く、道の勾配に沿って傾斜しています。国道沿いには商店や飲食店、そこから上に登って住居が密集しています。ここで毎日生活すると、どのような暮らしぶりになるでしょうか。うちには温泉宿から求人が来ています。








2021年4月12日(月)
本日の成果は・・・(2)

 高越山北麓を源の1つとする川田川。その河床で大規模工事が始まって数ヶ月が経ちました。様々な変成岩が見られた川原には土砂が厚く層をなし、カラフルだった石も土まみれになってほとんど見分けが付きません。ダンプが行ったり来たりして、専用の道まで造られてしまって、ああもうこの産地は終わりかなって思いました。
 辛うじて残る川原に出向いて、仕事の合間にストレス発散です。道の両側に残る石の川原を丹念に探しました。私は基本的に拾い採りで、ハンマーを用いることはほとんどありません。サワガニを探すクマのように、これぞと思った石をひっくり返し、裏側だけでなく側面も見ていきます。柘榴石・曹長石・ゆうレン石・紅レン石・緑レン石・リン灰石・チタン石・透緑閃石・緑泥石・角閃石・白雲母・二酸化マンガン鉱・蛇紋岩・石灰石・苦灰石・キースラーガー・孔雀石・磁鉄鉱・黄鉄鉱・黄銅鉱・班銅鉱・チタン鉄鉱などを確認しましたが、これといってお持ち帰り品はありません。
 時間の経つのが速く感じられ、気が付くと3時間が経過していました。天気が良くて頭から顔まで真っ赤っかです。ようやく瑠輝岩と金紅石を見つけることができました。ルチルは6つほど見つけましたが、センチ超えの結晶だけ拾いました。この日はとても暑くてすっかり日焼けしました。シャワーのお湯が当たると痛かったです。





2021年4月5日(月)
西祖谷のかずら橋(1)

 国道32号線から大歩危峡を渡り、20分くらいで着きます。デッカイ駐車場は今一つ景観にマッチしてないようですが、何十年もすればツタやカズラに覆われてマシになるかもしれません。私たちはあえて少し遠い商店街に駐車しました。かずら橋だけでなく、この集落丸ごとを被写体にしているからです。
 旧道を少し歩くと、閉店した食事処の横に細い脇道がありました。かなりわかりにくいですが、かずら橋への近道です。最初は罅だらけのコンクリでしたが、途中から小石を塗り込めたきれいな石段になっていました。両側は竹林に囲まれてまるで京都の嵐山です。5分くらいで入口に着きました。
 私は高所恐怖症ではありません。かずら橋なんかどれだけ揺れても大丈夫です。足下の木板のすき間から、ずっと下の川面が見えますが、どうってことありません。・・・でも大事を取って、他の人が渡っていくのを見学しました。ちなみに、この祖谷川は剣山の北斜面を源としています。
 風が吹いているからでなく、他にも何人かが同時に渡っているのでよく揺れます。わざと揺らしている人もいて良い迷惑ですが、それなりに恐怖心と好奇心を満喫できたので良しとしましょう。1回だけしか渡れないので、ゆっくりと足元の感触を楽しみながら進んでいました。
 渡りきった所に琵琶の滝があります。平家の落人がときどき自分たちを慰めるため、ここで琵琶を奏でたという逸話が残っています。フ~ンと思いながら、目の前の祖谷そばをすすりました。もちろん大盛りです!
 他にもダンゴやデコマワシ、アメゴの串焼きなどがありました。デコマワシとは、祖谷こんにゃく・豆腐などを串に刺して田楽みたいに焼いたものです。なお、これらの被写体を上手く撮ることと、それを上手く伝授することが今回の仕事でした。本当に仕事ですからね。お間違えないように・・・。








2021年4月4日(日)
大歩危峡の舟下り

 総延長194kmの吉野川は瓶ヶ森の南斜面に端を発し、南北に蛇行しながら東へと流れています。そして、早明浦ダムを経て県境にさしかかる辺りで北へと大きくカーブします。そこは深い谷が切れていて、両岸の往来は急斜面を細々と切り開いた道を通り、また対岸へは命がけで架けた吊り橋を利用するしかありませんでした。この難所を、大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)と言います。
 こちらで仕事があり、その一環で船に乗ってみました。チケットを購入して下に見える船着場まで降ります。30m以上下るとようやく船着場ですが、大洪水のときはもっと上にある地下駐車場まで浸水したそうです。ここの水深が深いためエメラルドグリーンの水面がきれいです。また、両岸から張られたワイヤーにはたくさんの鯉のぼりが泳いでいました。
 いよいよ出航です。2羽のアヒルが出迎えてくれました。水中にはアメゴの姿が見えます。この上流には工場などがないため水質が良さそうです。両岸は結晶片岩の露頭でした。特に「青石」と呼ばれる天然石は緻密で青みがかっており、彫刻や石碑などに利用できます。また、スティルプノメーレンという黒雲母に似た鉱物も見られます。
 岸の岩は流水の浸食により丸みを帯びて、白っぽい表面も滑らかです。所々に砂が堆積しており、川まで水を飲みに来た動物の足跡が残っていました。砂の色は一般的な灰色なので、砂鉄は余り含まれていないようです。水深は5~10mもあり、川底にはポットホールが多数あるため川の流れが複雑です。鷲敷の百合鉱山跡や一宇の釜脇鉱山跡でも見られますが、川を流れてきた石が窪みに入ってそれを削ってできた孔のことです。
 20分の行程を終えて船着場に戻ってきました。しばらく川面をながめているとそろそろ時間です。大歩危峡の西岸には国道32号線が延びていますが、東岸には土讃線が走っています。駐車場からトンネルや鉄橋が見えます。そして、もうすぐ普通列車が通過する時刻です。カメラを構えて3分くらい経ったとき、ゴォ~という音が聞こえてきました。大歩危駅から小歩危駅に向かう列車がトンネルに入ったようです。構図を決めてタイミングを逃さず、たった1回のチャンスに挑みました。











2021年3月29日(月)
本物の場所は・・・

 山全体が結晶片岩の塊だから、どこで採れても不思議はないって言う人もいます。しかし、それだったら目隠しして四方八方を撃ちまくるようなのと同じです。だから、ある程度は的を絞る必要があります。
 過去の文献や言い伝えの調査、地元民への聞き込み等が欠かせません。もっとも詳しく知っている方々はほとんど亡くなりました。他にできることは、現地に赴いて探すことだけです。
 そのうちの1つは、余り使われなくなった参道です。落花した椿が赤くてきれいです。それでは今日も実地研修に行って来ましょう。誰と行こうかな?


2021年3月24日(水)
これこそ本物!

 かなり前に採集していた標本を整理したとき、箱の底から出てきました。ラベルは徳島市眉山産でした。母岩の石英の見た目は緻密で不透明な氷のような体をしているから、ラベルの書き間違いでもないです。
 石英の部分に長さ5ミリ太さ4ミリくらいの柱状結晶が見つかりました。石英の角に含まれています。やや赤みのある黒い結晶で縦軸に条線があり、金属光沢もあります。これこそ○○○でしょう。・・・とは言うけれど、分析してないからなあ。チタンが検出されたら即決まりです。
 採集場所をメモ書きしていたので、信頼できるメル友の皆さんには後日また連絡します。お楽しみに。


2021年3月11日(木)
こっちが本物?

 かなり前に採集していた標本を整理しました。倉庫の奥からゴソゴソと袋を引っ張り出し、それを縁側にひっくり返して虫干しです。すると、何となく汚らしい石ころが出てきました。
 どうしてこんな物を取って置いたのか。庭先に棄てようと思いましたが、念のため表面を細部まで観察しました。すると、石英の部分に長さ5ミリくらいの柱状結晶が見つかりました。やや赤みのある黒い結晶で、縦軸に条線があり、金属光沢もあります。これはおそらく○○○でしょう。採集場所をメモ書きしていたので、メル友の皆さんには後日また連絡します。
 後日、これについて小さな論戦が巻き起こりました。金紅石だという人と、眉山ではありふれた紅簾石だという人もいて、勝負は未来に持ち越されました。成分分析すればわかりますが、ごく小さくて分析するとなくなってしまうためしばらく静観します。


2021年3月6日(土)
眉山の○○○の産地

 この十年の間に多くの会員や読者から、例の産地をどうか教えて欲しいという懇願がありました。彼らを全く信用していない訳ではないですが、ふとした弾みで良からぬ者に知られて荒らされたくなかったため、それを拒んでいました。しかし、そろそろ私の持っている情報を後続に伝えていく時期に入ったと感じました。そこで、今までに何度かメールのやりとりをされた方にはわかるようにこの情報を解禁します。
 上の画像は南部地図の中央になります。ご覧のように枯れ葉や枯れ枝が積もって足下がおぼつかないです。ただし、ここは古い参道になっているため、これだけ荒れていてもまれに人が通ります。奥に行くと道が消えているように見えます。しかし、御燈明があるのでその横をぬけて進みます。ほんの少し行ったところで沢を見ると、中の画像のように杉が倒れています。ここで沢を渡って左の対岸を少し上がったゾーン(上下50m、幅20m)が産地の1つです。比較的白い石英を割ってみて下さい。黒い柱状結晶は角閃石か鉄電気石です。赤いのがその鉱物です。なお、初見は空振りに終わることが多いですが、3回行けば1個見つかるかなといったところです。頑張って探してみて下さい。
 黒い柱状結晶が見られたので拾いました。下の画像ではわかりにくいですが、中央付近にあります(写りが悪くてすみません。)。擦れてしまって条線がわかりません。これはおそらく角閃石か鉄電気石、あるいは棒状になった黄鉄鉱の錆びた物ではないかと思います。さすがに毎度毎度見つかりません。柳の下のドジョウならぬルチルはありませんでした。ルチルでないだろうがギャグでよいから欲しい(笑)と言われたので、その会員が関与している高校に寄贈しました。
 こんなふうに軽いノリで私たちはいろいろとやらかしています(大笑)。あなたも一緒に遊びませんか?








2021年2月28日(日)
本日の成果は・・・(1)

 吉野川の土手を降りると、黄色の絨毯(じゅうたん)が広がっていました。菜の花・・・かと思いきや、これらは芥子菜(からしな)です。茎を洗って小さく切り、少し塩を振りまいて一晩寝かせます。炊きたてホッカホカの白飯に一夜漬けにしたカラシナを乗せて食べると絶品です。鼻にツーンとくる辛みが抜けていく感じがたまらなく、ついついおかわりしてしまいます。土手ならどこにでも生えています。
 高越山では今日も柘榴石の特売日でした。自宅用の庭石を拾いに来ていた地元民と話をしていると、たまたま視線が向いた所に柘榴石が落ちていました。大きさは40×20×20cmで、重量は推定15kgくらい。外観はエクロジャイトがちょっと変性したみたいな感じです。ただし、エクロジャイトかと問われたらそれはちょっと違うだろうと答えるレベルです。でも色合いがきれいで、やや濃い赤色の粒子にうぐいす色の母岩、藍閃石のような紫色の筋を纏っています。磨いてみようかな?
 先日お会いした方に高越山産エクロを差し上げました。知人に見せて説明したいそうです。倉庫や庭周辺に石ころがいっぱいです。自宅のズリを解放して欲しいという要望もあるので、ただ今検討中です。





2021年2月27日(土)
高越山にもそろそろ春が


 降雪や凍結の心配がなくなってきて、雨の降りやすい気候が続いています。この日も晴れたものの今一つさっぱりした天気ではなく、日課の洗濯干しは屋根の下になりました。仕事の合間に抜け出して、高越山へ行って来ました。
 通称「おこぉっつぁん~」と言います。少年自然の家があった時代には、毎朝の集いで親しみを込めてそう呼んでいました。確か平成18年に廃止になり、奥にあったワイルドな遊び道具やシバグリの林も入れなくなりました。大型の屈折赤道儀も取り外されて、県北の施設に移設されました。懐かしい思い出です。
 さて、高越山を見渡せる別の山に登りました。ここにもうすぐ山菜が生えてきます。主にワラビですが、他にゼンマイ・ツクシ・イタドリ・フキノトウなどもあります。また、タラの芽もお勧めです。毎年時間がなくて断念していますが、今年こそはといつも思っています。まるで翌檜(あすなろ)の樹ですね。
 アスナロは檜(ひのき)に似ていますが、材木としての質は劣ります。しかし、明日こそはヒノキになろう、ヒノキと同じくらい認められるようになろうといつも頑張っているのです。小学校時代のお話しを思い出しました。なお、徳島平野を見下ろすと吉野川と支流の川田川がよく見えました。





2021年2月2日(火)
2日の節分は珍しい


 仕事がなくて休みが取りやすくなった。喜ぶべきか悲しむべきか。それでもいつものように毎日が過ぎていく今日この頃です。今日は節分です。
 昼間の明るいうちにスーパーで買い物しました。恵方巻きを何本か買い込み、ついでにちゃっかりビールなんかも・・・。広告をチェックしていた恵方巻きは先に買われていました。ちょっと残念です。
 昔から庭に生えている蝋梅(ロウバイ)が満開でした。この寒い時期に花を咲かせて、私たちの目を楽しませてくれます。緑色の影がサッと通り過ぎました。メジロの群れです。チリッチリッチッチッと、かわいらしい声で鳴いています。速すぎてカメラでは追いつきません。
 晩飯は恵方巻きとうどん。定番の組み合わせです。普通の田舎風やエビフライ巻き、卵焼きの衣を巻いた物など何種類もありました。今年の恵方の南南東を向いて食べました。
 最後のイベントと言えば「豆まき」でしょう。しっかりとお面を被って庭に出ました。家族が豆をぶつけてきます(笑)。お面に豆が当たって硬質の音がしました。至近距離からの直撃弾は痛いです。袖口に引っかかった豆をコッソリ食べて、身を挺して頑張りました。大声を出したので近所迷惑してすみません。
 明日の2月3日は立春です。春の訪れが待ち遠しいです。





2021年1月11日(月)
残り恵比寿に福はある?


 S様から9日の宵い恵比寿に、N様から10日の本恵比寿に行ったとメールがありました。そこで、私は11日の残り恵比寿に行ってみました。ずっと昔、夜中に十日恵比寿に行ったことがありましたが、この数十年ぶりのお参りは昼過ぎでした。
 印象としてはやはり人が少ないです。また、露店の間隔も広く取られて、少し寒々しいすき間が目立ちました。それでも縁起物や守り札などが目に付き、帰路についた人の手には笹や熊手の飾り物がありました。うちは商売はしていないので必要ありませんが、本堂では家内安全を祈願してきました。お賽銭の額は秘密です(笑)。


2021年1月1日(金)
新春の縁起物

 先日採集したエクロジャイトがこうなりました。見たとおり、木と石のオブジェです。どちらも高越山で拾ったものです。
 大水で流されてきた木の根がありました。表皮がはがれて白っぽくなって、表面は磨いたようにつるつるです。根の下側を横向きにすると、鬼の顔(○○の刃?)のような雪の結晶のような感じです。そこに、アクセントとしてエクロジャイトを置いてみました。自己満足ですが、何となく良い趣になりました。
 さて、教え子にエクロを差し上げる約束をしてしまいました。ここに出していない逸品を候補として考えています。ましてや、個人ではなく大学などの公的研究機関宛てなので、多くの人に役立てられるなら気合いも入るというものです。
 寄贈を希望される方はこちらまで。今年も多くの出会いがありますように・・・。


2020年12月31日(木)
年の瀬の買い出し

 毎年恒例の買い出しをしました。今年はコロナのせいもあって、子どもたちは留守番です(というか、誘っても来なかった。)。いつもの中州市場にやって来ました。
 毎年店が少なくなってきて、お客も減ってきています。それでも年の瀬を迎えるため、天ぷらやかまぼこ、季節の野菜や果実、肉や魚などを買い求める人で店内は混み合っています。マスクをしているし、外気がそのまま吹き込んでくるから寒いです。威勢の良い声を聞きながら、私もいろいろ物色していました。
 ついつい財布のひもがゆるくなって、思わぬ散財をしてしまったが、向こうも商売だからお互い持ちつ持たれつでやっています。ここへは、年末という時節の雰囲気を味わいに来ているからです。
 それではこれをご覧の皆様、よいお年をお迎えください。


2020年12月30日(水)
年の瀬の餅つき

 毎年恒例の餅つきをしました。親類もやって来て大勢(といっても数人だけ)で行います。年に1~2回しか使わない機械を点検し、昨日から水に浸けていた餅米を蒸していきます。水加減を調節して加熱し、ほどよく蒸せたらようやく餅つきです。
 回転翼が回る毎に「もち」らしくなっていきます。今年は6升(9kg)をもちにしました。丸餅がメインで4割くらいがあん入りです。「あん」の好きな人が多いからです。5時間かけて250個くらいできました。
 早速の試食は・・・美味でした!やわらかいからそのまま食べられます。あんモチも白モチもうまい!若い連中はぜんざいにしていました。行動力があるなぁ。これで無事に年が越せそうです。


2020年12月29日(火)
巨岩再びの再び!!!

 せっかく道に上げたのに、車に積み込むことができません。再び夕闇が迫っていたので、断腸の思いで巨岩の端だけを割り採り、残りはそのままうっちゃってきました。ここまでが前回の話です。
 M様とK様の力を借りて、再び戦場に舞い戻ってきました。でもやっぱり重すぎて車高まで持ち上げられません。へたすると車に当ててボディが傷つきます。結局また端から割っていきました。ハンマーを何度も振り下ろしても、カチーンと跳ね返されます。さすがに硬い。しかし、交代しながら続けていくとようやくヒビが入り、次の一撃でパカーンと割れました。元の大きさの6割くらいになったので、何とか車に積み込めました。大きな破片はみんなで分けて、縁起物として飾るようです。
 こうして年末のエクロ騒動も無事に終わりました。M様、K様、ありがとうございました。


2020年12月28日(月)
柘榴石の巨岩再び!!

 前回の石採りのとき、見つけたくなかったけれど見つけてしまいました。推定重量100kg超の柘榴(ざくろ)石、いやエクロジャイトと呼んで良いでしょう。同行の方々のお墨付きです。ところが、余りの重量に腰が引けました。周囲の土を掘り返してみたものの、押せども引けどもビクともしない。人力で運ぶのは難しい。夕闇が迫っていたので、この日は断念しました。
 それから何日か経ちました。なかなかあきらめきれない。柘榴石の粒子はミリ単位で大きくはありません。しかし、岩の表面だけでなく全体に分布しており、おそらくどこを割っても同じくらいの粒子が見られるでしょう。見栄えといい大きさといい、展示標本としては一級品以上と思われます。
 満の辞して迎えた休日、気合いを入れて再チャレンジです。まず、石の周りをシャベルで掘っていきました。土中に他の石が多く含まれとても掘りにくいです。30分くらいして、ようやく石の裏面が見えてきました。バールを突っ込んで少しずつ石をずらします。そして、ついに石をひっくり返すことができました。
 裏には草の根がびっしりと付着していました。でもその間から柘榴石の粒子がよく見えます。思ったとおりの良品でした。ここから戦闘本番です。人力(私一人)で石を転がしながら、斜面の下まで運びます。地面はアップダウンが激しく、うっかりすると自分の方へ転がってくることもありました。1時間かけて何とか斜面まで転がしました。
 ここからまた次の始まりです。傾斜のある面を転がすのは無理です。そこで、左右に少しずつズラしながら、一度に数cmずつ擦るように持ち上げていきました。わずかな距離でしたが、手を挟まないように細心の注意を払ってゆっくり動かしました。そして、また1時間かけてやっと道まで引き上げることができました。
 今日はここまでです。






2020年12月26日(土)
工事が入るのはどこも同じ

 川原から水が引いて探しやすくなりました。いつの間にか護岸工事が始まって、川底にまで道が通っていました。私はいつものように土手に駐車しましたが、同行の方々はわざわざここまで降りてきています。アウトドア用ならそうしたいところです。
 さて、思った以上に川原が土で埋められていて、まるで関川みたいです。石の露出はありますが、流水していた場所は白いセッコウで覆われて見づらく、枯れ草も残っていてわかりづらい。しかし、久しぶりにM様が復帰して来られて、石採りの合間には話に花が咲きました。
 目に付いたのは、柘榴石・藍閃石・緑泥石・緑簾石・紅簾石・石英・角閃石・磁鉄鉱・黄銅鉱・黄鉄鉱・キースラーガーやスラグなどでした。名物の金紅石(ルチル)はごく小さな物が数個で、チタン石やチタン鉄鉱もごく小さい物だけです。初心者向けにはちょうど良いかもしれません。もっとも誰かに教えてもらわないとわかりづらいですが・・・。
 山の稜線に白い雪が見えました。それより少し下るとまだ紅葉が頑張っています。今年はいつものより遅めで、まだ彩りを楽しめます。落ちていたクルミは殻だけでした。いつもは声がするキジはいません。工事のため逃げ出したようです。サルは1匹だけ見ました。犬は散歩していました。いぬ(行ぬ)・さる(去る)・きじ(来じ)がそろうと、桃太郎の家来ではなく「お客が来なくなる」そうです。だから、銭湯ではそれらの絵を描かない。まるで、今のご時世みたいです。しばらく浮き世を離れて石採りに勤しみました。
 本日の成果は、展示できそうな燐灰石(アパタイト)、毛のような藍閃石くらいでした。大きな石にくっついた鉱物も採ってきたかったけれど、割れず運べずで断念しました。冬晴れの合間にまた来ます。
 どなたか一緒に行きたい人はいませんか?案内くらいはできますよ。






2020年12月9日(水)
倉庫の片付けは大変!

 今日は休みだったので、石などを保管している倉庫を整理しました。2~3時間で終わるかと思いましたが、何とまあ飲まず食わずの10時間!しかも中身の確認ができなくて、とりあえず見栄え良くきれいに箱が置けた・・・的な感じです(ありゃ、誰かの物まねみたいだね。)。
 存在を忘れていた標本も出てきました。そう言えば持っていたな・・・的な感じです。今度は1つ1つにきちんとラベルを付けていく予定です。
 さて、どなたか石を交換しませんか?


2020年8月10日(月)
涼風の奥野井谷川

 連日猛暑日となった(部分的には)地元には、今も熱い視線が注がれています。0密(ゼロミツ)遊びの一環として、川原で石探しが密かなブームになっているからです。他者と接触しない、人混みを避けるなど3密を防ぐにはちょうど良い遊びでしょう。
 茂みには虫が多いので、長袖長ズボンを着用して防虫スプレーを満遍なくかけます。頭には鉢巻のようにタオルを巻き、首からだらんとタオルを垂らし、軽量リュックにハンマー・新聞紙・タオル・着替え用シャツ・水1Lなどを入れていざ出陣!
 トンネル側から急斜面を降りるのは嫌なので、反対側の通洞坑側から降ります。長雨から半月経っているので流水は少なく、表面も乾いているので石が見やすいです。
 藍閃片岩中にキラッと光るのは、サイコロ状の黄鉄鉱の結晶。1cmを越える大物は少なくなりました。緑色片岩中の濃い赤紫色鉱脈は班銅鉱。桃色になっているときもあります。
 今日の狙いもアパタイト。硬度5の燐灰石の柱状結晶です。白色に近いやや褐色の透明な四角い結晶を探します。この産地ではかなりレアで、谷川を上から下まで探してもなかなか見つかりません。でも地元のF様の情報により何とかゲットできました。サンクスです!





2020年8月6日(木)
どこもかしこも蝉時雨


 仕事の合間の昼休み。昼食を買いに敷地を出ようとしたとき、木立の一区画からものすごいボリュームで聞こえてきました。樹齢数十年の桜樹にびっしりと止まっているのはクマゼミの団体さん。一本の木に少なくとも10匹以上います。他にも木があるのに、なぜかここだけメチャクチャ多い。蜜が美味いのか、臭いが好きなのか、隠れやすいのか?でも私に見つかっている段階でそれはなさそう。腹を膨らましてお尻を振って、シャーシャーシャーとけたたましく鳴いている。
 たぶん梅雨が長かったから、ずっと土中で幼虫のまま我慢してたのだろう。そしてついに晴れたので一斉に飛び出してきたのだろう。暑い中で大変なのはお互い様だけど頑張って欲しい。ただ捕まえる気はないので、木から飛ぶときに汁をまき散らすのは止めて欲しい。
 午後からはアブラゼミの出番だ。ジリジリジリジリという感じで鳴いている。チイチイいうのはニイニイゼミだろう。一番暑苦しく感じるのはやっぱりミンミンゼミだね。ミ~ンミ~ンミ~ン・・・というのは鉄板だな。夕方、陽が陰ってくるとだんだん静かになってくるが、フォフォフォフォ・・・とヒグラシが鳴き出す。こうして蝉の一日が終わる。あっと、自分の仕事も終わるので帰って飲んで風呂入って寝よう。





2020年7月26日(日)
毎年恒例たらいうどん


 この季節には行きます。外での飲食は控えていますが、これだけは別なのです。いつもの店のいつものテーブルで、いつものメニューを注文します。サワガニやジンゾクの素揚げ、普通の釜飯、串刺し焼き鳥、そしてメインのたらいうどん。サワガニの食感はまるでかっぱえびせんのようで、サクッと食べられます。釜飯は茶碗につがずにそのまま釜ごといただきます。量が少ないので、人数分より少し多めに頼んでいます。
 前菜で腹がふくれたところに、ようやくうどんが出てきました。木枠で作ったたらいに太めで硬めのうどんが入っています。ダシはジンゾクでとっています。ゴリのことで、小さいハゼのような魚がこの谷川にたくさんいるのです。この辺りで働いていた労働者が昼飯時にゴリを捕り、それを煮て出ただし汁で麺をゆでたのが始まりとか。
 すっかり腹一杯になり、もう食べられないと思った残りを無理に腹に収める。これもいつものことで、まったく懲りていないことがわかります(笑)。帰りは腹をさすりながらブドウを買い求めて、昔の家を見ながら少しノスタルジックになって昼寝するのが年中行事なのです。
 ところで、まったくうどんの画像がありません。気付いたのは食べた後。食べながら見られる谷川の岩壁は、四角いブロックを積み重ねているみたい。軒下には大きなハチの巣がありました。





2020年5月30日(土)
10年ぶりの野々脇鉱山

 すっかりこの産地を忘れていました。高越山より車で1時間、旧木屋平村にあった鉱山跡です。狭い谷川沿いに坑口があり、谷の両壁はズリでした。閉鎖してからもう70年以上経ち、以前には辛うじて残っていた橋渡しの広場もありません。少しずつ自然に帰っていくようでした。
 谷底に降りて鉱石を探します。褐色の鉄さびが付いていたら、それはキースラーガーです。層状含銅硫化鉄鉱と和訳され、元はドイツ語です。早速いくつか割ってみました。層のすき間から水が染み込み、割れた面はすっかり錆びていました。その代わりに縦割りした断面は灰銀色で、硫化鉄の丸い結晶が無数に含まれています。銅の含有量が多くなると、やや金色で緻密で比重が大きくなります。
 表面が虹色になっている鉱石がありました。おそらく針鉄鉱か鱗鉄鉱が生成しているのでしょう。また、緑色の孔雀石や水色のサービエリ石もありました。結晶片岩中の石英や曹長石などを見ていきましたが、残念ながら班銅鉱はありませんでした。
 一方で、白色または透明な結晶がありました。周囲のズリをよく見れば、鍾乳洞のように垂れ下がった白い塊があります。硫酸カルシウムつまりセッコウです。高知の白滝や下川のように銅が多い場所では、青みがかった白色沈殿が見られます。ここのはほぼ真っ白でしたが、大変もろいので採取できませんでした。なお、キースラーガーはまだ残っていますが、低品位の錆びた物がほとんどで、それ以外に大した鉱物はありません。
 帰りに近くの集落に立ち寄りましたが家屋だけでした。野々脇鉱山で坑夫をしていた掛田さんにお会いしたかったけれど、やはりもう住んでいませんでした。時の流れとは恐ろしい物です。この鉱山の歴史も埋もれていくのでしょうね。せめて記事としてここに残します。






2020年3月21日(土)
高越山の川を散策

 今度は川原を散策しました。東山鉱山や中枝地区の支流と合流して、そこから流れてきた様々な石が堆積していました。大雨の後は出水もありますが、いつもは伏流水として地下に潜っています。乾いた岩石地帯が現れているのです。
 ところが、護岸工事が始まり川底の石が土に埋められていました。洪水よけの竹林も半分が伐採され、灰色の無機的で不毛な光景が広がっています。平日はダンプが往来し、ユンボが土砂を運び入れていました。池田の方まで持って行って棄てるそうです。何ともいたたまれない気持ちになりました。
 高越大橋の上手に徳島や香川のナンバーが駐車していました。これから高越山に登るそうです。この山にはいくつか寺社があり信仰の対象になっているのです。上手くいけば索道から落ちたキースラーガーが見つかります。
 関川産と似たような石が見つかりました。全体的に真っ赤な母岩で、黒光りするシャープな結晶を含んでいます。おそらく満バンざくろ石でしょう。高越では今まで見たことがないタイプだったので、端の方だけ削り取りました。まだ重量は50kgくらいあるでしょう。持ち帰って切断して磨いてみたいですが、持ち上がらないので断念です・・・。




2020年3月20日(金)
高越山の沢を散策

 久しぶりにホームグラウンドへ帰ってきました。高越山は私の鉱物採集の原点とも言える場所で、年に数回は訪れています。鉱物の種類が多くきれいな模様の入った岩石が見つかるので、標本ばかりでなく庭石や鑑賞石としても面白いです。
 山間を穿つ沢に入りエクロジャイトを探しました。世界でも20ヶ所くらいでしか産出しない珍しい石であり、巷ではパワーストーンとしても人気があります。私にはよくわからないですが、鰯の頭も信心からというようなことでしょう。オンファス輝石の緑色とざくろ石の赤褐色があればそれです。薄紫色の藍閃石が残っていることもあり、藍閃石エクロジャイトと称します。
 10年前にはたくさんありましたが、大勢が押しかけてほぼ絶産しました。今は地元の自治会長さんらと共に、車のナンバーをチェックしながら見守っています。こっそりと売りに出されたこともあり、神経を尖らせている毎日です。
 降りてくる途中で、K様がシカの頭骨を見つけました。雄のようで立派な角が2本そろっています。抜け落ちる様子もなくしっかりくっついていました。学校の標本にするためゆずってもらいました。サンクスです!まるでシシガミ様みたいです。




2020年1月20日(月)
ビスマスの融解

 ネットなどで鉱物標本と共によく売られている金属結晶標本。融点が300℃未満なので、金属容器に入れてちょっと加熱するだけで容易に融けます。水銀みたいな液体になると表面に酸化膜が張るので、それをサッと取り除くと鏡のようなピカピカの液面に。そして、クリップを浸けると四角い結晶が付着します。赤や青や金色の遊色がきれいです。
 徳島大学の二次試験に出てたけど、113番元素ニホニウムNhの原料になった元素の1つです。私にとっては、学生時代の最初の実習課題で出された金属です。また、これを含む鉱物はレアものばかり。自然の物を探しに行きたいです。
 どなたか、産地情報を交換してくれませんか?鉱物どうしの交換もOKです。


2020年1月6日(月)
新春の便りを詰めて

 ほんの気まぐれですが、いつもお世話になっている方々に「季節の石セット」をお送りしました。どなたも拙い私にいろいろと教えてくれたり、ときには難問を解いてくれたりします。何よりそれ以上に、程よい距離で付き合うことで何となくホッとさせてくれるのです。ありがたいことです。
 何を入れたら喜んでくれるのか、いつもかなり悩みます。結局、新春を迎えたばかりなので、浅川型キースラーガーや県南の鉱物、九州の砂鉱などをメインにしました。各自の好みに合わせて微妙に中身を変えました。間違えないように頭文字を箱に書くと、H・N・S・Kとなりました。失礼ながら、まるで元素記号だなって思ってしまいました。
 他にどうにもならないことがあれば、先方ならひょっとするとできるかもしれないと期待して、かなりの無理難題をお願いするときもあります。でもそれが本当に無理ならスルーしても全く構いません。ダメ元で頼んでみるだけです。


2019年12月22日(日)
恐竜化石と眉山巡検

 博物館で一日研修しました。日程はおおよそ次のとおりです。
 10時 化学的手法による鉱物の同定
 11時 博物館バックヤード見学
 13時 眉山で野外活動
 まず、希塩酸と過酸化水素水を用いて簡単な同定を行いました。前者は炭酸塩と反応してCO2が発生します。発泡すればすぐにわかります。後者は二酸化マンガンにより分解され、O2が発生します。また、ある鉱山の鉱物をルーペで観察して、レア鉱物を探せ!・・・的なノリで頑張ってみました。
 次の見学では、きわめて貴重な物を見せてくれました。勝浦のボーンヘッドで見つかった肉食恐竜の歯でした。エッジが鋭く尖っており、のこぎりのようなギザギザも見られます。これなら誰が見ても肉食だと思うでしょう。長さ4cmもある立派な刃・・・じゃなくて歯でした。
 午後からは巡検です。パーキングに駐車して、参加者全員で登っていきました。途中で石英を拾って観察し、ルチルやチタン鉄鉱がないか見ました。実物は全員見ているので、今さらわからない・・・なんてことはないんじゃね。さて、私が見つけたのは満バン柘榴石や水晶でした。広場にはカラミが落ちています。ここで鉱石が精錬されていたのは事実のようです。




2019年12月10日(火)
眉山のチタン鉄鉱

 研修の下見のため、眉山の普通は行かない場所を歩いていると、足下に板状の石英が転がっていました。何となく気になって拾い上げ、泥を払ってみると灰黒色板状結晶が少し付いています。今までに他の産地で見てきました。とは言ってもそう多くはありません。
 組成式FeTiO3のチタン鉄鉱でした。金紅石(ルチル)や紅簾石(ピーモンタイト)と同じく、眉山を代表する銘柄標本です。ルチルが有名すぎてその陰に隠れていますが、残存する標本数はルチルより少ないです。私としては3例目ですが、うちの仲間でも採取できたのは2人だけです。何度も探しに行っているけれど少ないです。
 なお、画像の石英上部に付着している泥をぬぐうと、小さな結晶が見つかりました。


2019年5月5日(月)
企画展「ミネラルズ」展示説明会

 4月26日から6月2日の予定で、ミネラルズが開催されました。先の展示会から3年とちょっと。学芸員さんの予想通りでした。
 今回も20個以上の標本を出品させていただきました。お客さんをうならせるような逸品があれば良いのですが、こちらの思惑通りにはいきません。これは素晴らしい物だって自分が思っていても、他の人が見ればそう思わないってのもよくあることだから。
 その一例が眉山のルチルでした。博物館が誇る5.5cmの結晶はドイツからの里帰り品。いつ見ても惚れ惚れとします。それに対して友人の採集品であるルチルの群晶。10個以上の結晶が見られますが、どれも小さくて前者から見劣りします。その辺りの知識を知らない人にとって、おそらく大したことがないように思えたでしょう。
 前者は国内でも最大級の結晶なので、その価値を否定する人はいないでしょう。しかし、後者は見た目だけは貧相でこじんまりしていて目立ちません。めったにない群晶であること、平成の採集品であること、場所が特定されていること。マニアや研究者ならそのすごさがわかるでしょうが、一般向けにはインパクトが弱かったようです。
 別に一般の方々をけなしている訳ではありません。私だって興味が余りない物について、その価値をどれだけ説明してもらっても、ふ~ん・・・くらいで終わるでしょうから。むしろ逆に、こちらの方がお客さんの好みを読み誤ったのでその点に反省しきりでした。
 一方で、高越山の標本セットは好評でした。子どもが数年にわたってコツコツと採集してきた物なので、その課程にも好感が持てました。本人に確認するとまだこれの倍はあるとのこと。30種類以上の鉱物を確認しています。おそらくこれだけ種類がそろっている標本はないでしょう。
 午後から展示物の説明会がありました。記念品の鉱物も頒布されました。これを機会に鉱物に興味を抱く子どもや大人が増えてくれたらうれしいです。
 いっしょに採集してくれませんかというお便りもあります。機会があれば案内するので、どしどしご応募を・・・って。だけど、お名前や連絡先は付けて下さい。また、返信メールが着拒否されるので、設定も変えといて下さい。よろしくです。


2019年4月3日(水)
藍閃石エクロジャイト

 私たちが地元の協力を得て監視対象にしている岩石です。不定期に現場を訪れて、新たな割り跡や採取した形跡がないか調査しています。
 ここのエクロが急に見当たらなくなったのは7年ほど前からです。ひどいときは、大きめの石が2週間に10個単位で消えていました。ネットで売られていたのを見た友人が、別のサイトにそれを投稿すると突然止みました。他人が勝手に売るために採るなんて、盗ると言い換えた方がよくないですか?
 今日の結果は、普段と変わらずでした。このまま平穏無事に過ごせることを期待して止みません。


2019年3月20日(水)
別子型含銅硫化鉄鉱

 山々から雨水が流れ込む谷川は、様々な物の集積地でもあります。土砂や材木、家のゴミなども流れてきます。そして、時間をかければ巨大な鉱石も同様に流されます。
 この日の採集会で、一人だけちょっと離れた場所におりました。最近では大した物も見つからず疎遠になっていました。柳の下の泥鰌(どじょう)がいないか探していると、ふと気が付きました。キンキラキンの鉱石に・・・。大きすぎてわからなかったんです!
 実際には表面が錆びてそこまできれいじゃないけれど、大きさはご覧の通りです。これが上流からここまで押し流されてくるとは、流水の運搬能力は侮り難しです。割らずにしばらく様子を見ることにしました。


2019年1月1日(火)
夜明け前の初詣

 凍えそうな寒さの中で、日の出前にお参りに行きました。何軒かの露店は閉まっていましたが人通りも多く、どこからこれだけの人が集まって来たのかとても賑わっていました。
 ぶっちゃけ今はそう神頼みすることはなく、まあ適当に・・・。願いを聞いて判断なさる神様もそれはもうお忙しいでしょうね。私の分は構わなくて良いので、少しだけ楽になさって下さい。
 それよりも「おみくじ」の結果が重要です。可もなく不可もなく平凡な内容でした。これはこれでかなり楽な結果になりました。細く長い人生もよいものです。


2018年11月15日(木)
沖ノ州のカモメ

 少しずつ朝晩の気温が下がってきました。秋から冬へと気候が変化していくので、どうしても大気が不安定になりやすく今日は雨かもしれません。そんな日に外回りの出張が入り、カサ持って出ようか悩んでいます。
 バスの待ち合わせ場所が港湾だったので、運河沿いに出てみました。するとカモメの大群がやって来ました。推定300羽くらいでしょうか。1羽ずつ数えられないので、10羽を1単位として更に10単位で100羽としてそれが3つ。野鳥の会にいたときのやり方です。またタンチョウを撮りに行きたいです。


2018年8月14日(火)
吉野川の渡しと川中島


 東西に細長い徳島平野を南北に分かつ大河「吉野川」。四国三郎の名でも親しまれ、この川をモチーフとした美術品も数多いです。今回は歴史の面からこの川を下ってみました。なお、これは子どもの宿題の手伝いです・・・(涙)。
 車を出すことだけを条件に暑い川原にやって来ました。池田の渡しです。船底の浅い川船がありました。橋ができる前はここから対岸に渡っていました。多いときは何十隻もいたそうです。大水のときは渡れませんでした。本当に便利になったものです。
 貞光まで移動すると、川の中州にこんもりとした森がありました。標高は20mくらいで、川面から見ればこれは「島」です。ただし、海洋や大きな湖沼では島ですが、川の中では島と呼ばないようです。しいて言えば「川中島」です。
 川中島と言えば、武田と上杉の合戦を思い浮かべます。実際にこの川中島も地元の豪族の砦だったそうです。上陸していませんが、上部は半分ほど平たい地形で小屋もあったみたいです。他にも吉野川中流の「善入寺島」や四国三郎橋南詰の島などがあります。面白い内容だと評価して頂きました。
 このように視線を変えるとまだまだ知らないことがたくさんあります。宿題に悩まされる方は頑張ってください(笑)。


2018年8月12日(日)
素人連の阿波踊り


 今年もこの日がやって参りました。阿波っ子なら必ず踊ったことがある「阿波踊り」です。連というチームを組んで、県内10ヶ所余りの演舞場で踊るのです。徳島市は12~15日、鳴門市は9~11日、阿南市は7月の26~28日、三好市池田町は14~16日と期間を少しズラしています。これならいつでも見に行くことができます。
 伝統ある連以外でも人数がそろえば出場できます。数日間のフルエントリーは体力的に無理でも、1日だけでも踊る阿呆(あほう)になれるのです。・・・そして、どういうルートを辿ってきたのか私の手元に写真撮影の依頼が来ました。
 カメラ歴○十年と言っても最近はほとんど活動していません。今となっては素人に近いです。おそらくプロを雇えば高く付くので、私に白羽の矢が立ったのだと思います(笑)。それはさておき、頼まれたからには否とは言えず報酬はビール数本で引き受けました。いつ飲むのか?もちろん踊り子たちと同じで踊っている間です。理性を失わず、シャッターを切る手が震えないように、アルコールの摂取量をほどほどにしました。
 無事に2回踊ることができてほっとしました。解散後はフリーです。露店で飲み直しと食い直しをし、ほろ酔い加減で奮発してタクシーで帰りました。出迎えた家族は・・・、いつもの微妙な笑顔でした。では風呂に入ってきます。



2013年11月3日()
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○読者の方へ・・・原則として旧市町村で区分けしています。他のコンテへの移動は左記からどうぞ♪
   なお、欲しい鉱物があれば個人の方でも交換できます。メールにてご連絡ください。
   学校や博物館など、公的な機関であれば寄贈もできます。
 鉱山について詳しく知りたい方は、トップページの注意事項をお読みの上でメールしてください。
 また、鉱山跡地は危険な場所が多いので、未成年者は自分たちだけで決して行かないでください。
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