ヘッダーイメージ 本文へジャンプ
九州・沖縄地方の旅行記
私は2005年から主に四国内の鉱山跡を訪ねています。地元の方と知り合えたり、新しい発見があったりでとても充実しています。一緒に行きたい方はメールして下さい。
お問い合わせは、 fe26-co27-ni28-cu29-zn30@ymail.plala.or.jp (事務局)までどうぞ!
鉱山訪問や鉱物・化石採集など、石に関する記事はタイトルの色を変えています。


2023年8月24日(木)
さつまメシ食べ歩き

 鹿児島市街地に来ています。ちょっと忘れ物を取りに来ました。3年前と同じ場所ですが、季節が変わると思いがけない発見があるものです。真夏の暑い日々でした。


 初日の夕食は、さつま黒豚カツカレーでした。ここの定番メニューです。ちなみに、お昼はさつま揚げでした。


 次の日は、さつま豚骨ラーメンでした。もちろんライス付きです。大盛です。がっつりいかせてもらいました!


 その次は、トッピー(トビウオ)の唐揚げでした。屋久島で食して以来だったので食べてみました。味は屋久島の本場方が美味かったですが、頭の先から尾びれ胸びれの先まで完食しました!今度は屋久島へ現地集合かな?


 最後はちょっと悩みましたが、チキン南蛮にしました。これも美味かった!こうして地元の食生活を満喫しました。










2023年8月23日(水)
再び鹿児島市より(6)

 鹿児島市街地に来ています。ちょっと忘れ物を取りに来ました。3年前と同じ場所ですが、季節が変わると思いがけない発見があるものです。真夏の暑い日々でした。


 市内でも有名な繁華街「天文館」に来ています。ちょっと飲み屋が多すぎるのが玉に瑕ですが、お土産物屋が軒を連ねる中で小さい図書館や博物館がありました。・・・閉まっていたけど。


 足元には様々な天体がありました。お気に入りは琴座のリング星雲M57です。これらを見ているだけでも退屈しません。通りの真ん中にベンチがあります。夜中には片づけられるそうです。


 ホテルはこの近くでした。夜遅くまでにぎわっていました。本当にここが本土最南端であることが信じられないくらいでした。 










2023年8月22日(火)
再び鹿児島市より(5)

 鹿児島市街地に来ています。ちょっと忘れ物を取りに来ました。3年前と同じ場所ですが、季節が変わると思いがけない発見があるものです。真夏の暑い日々でした。


 復元された御楼門から敷地に入ってみました。館内は博物館になっていて、ここで知己と待ち合わせをしていました。いろいろと情報交換して、お互いに満足できたようです。










2023年8月21日(月)
再び鹿児島市より(4)

 鹿児島市街地に来ています。ちょっと忘れ物を取りに来ました。3年前と同じ場所ですが、季節が変わると思いがけない発見があるものです。真夏の暑い日々でした。


 黎明館(れいめいかん)のお濠です。島津家の居城だった鹿児島(鶴丸)城の本丸跡です。蓮の緑に覆われて、とても涼し気できれいです。その中に薄桃色のハスの花が咲いていて、その色彩にしばし目を奪われました。空の青さとの対比も素晴らしいです。


 ここでしばし撮影タイム。待ち合わせの時間まで、心行くまま風景を撮り続けました。もっと良いカメラが欲しいけれど高くて買えない(涙)。もっといろいろな場所を回りたいけれど、気力体力だけではどうにもなりません。


 ここは長期戦に備えて計画だけはしておこうと思います。石採りツアーは20パターンほど出来上がっています。










2023年8月20日(日)
再び鹿児島市より(3)

 鹿児島市街地に来ています。ちょっと忘れ物を取りに来ました。3年前と同じ場所ですが、季節が変わると思いがけない発見があるものです。真夏の暑い日々でした。


 城山直下の銅像を巡っています。西郷隆盛や島津家のお偉いさんたちです。照国神社の鳥居は大きいです。足元の堀には錦鯉がゆったりと泳いでいました。


 これを見た読者からコメントがありました。島津家のこととか西南戦争のことは書かないのか?・・・おっしゃるとおり、明治維新とかこの時代のことには興味があまりないのです。内容を見れば、私が何に興味があって何に関心がないのか、よくわかるみたいです。


 ただ初めて来た場所はそれなりに感動するし、来てよかったと思っています。もう二度と来ることはないって思っていても、こうして何度か機会が与えられるので、その好意を無にしないように楽しんでいるのです。


 ちなみに、和服の人が島津久光公で、洋服の人が島津斉彬公で二人は兄弟の関係で、洋服の方がお兄ちゃんです。弟は明治になっても断髪せず帯刀していました。西郷隆盛とはめっちゃ仲が悪かった。隆盛が奄美大島に遠島されたのも久光の言でした。


 基本的に古い時代ものは好きです。時を隔てて今もなお残る建物や遺物とか、後世に残し伝えていきたいと思う。私が今取り組んでいるように、鉱山跡や鉱物・化石産地を記録していきます。 










2023年8月19日(土)
再び鹿児島市より(2)

 鹿児島市街地に来ています。ちょっと忘れ物を取りに来ました。3年前と同じ場所ですが、季節が変わると思いがけない発見があるものです。真夏の暑い日々でした。


 展望所からズームで周囲を見渡しました。桜島はとても迫力があります。海峡で隔てられているとしても、灰とかが降ってくるのですからかなり近い感じがします。そういえば知人が鹿屋市にいますが、同じようなことを言っていました。


 桜島から視線を外して、鹿児島市の南部を見ました。先日行った谷山や坂之上の方です。地図上では城山辺りから北へ2km、南へ15kmくらい市街地が続いています。


 また北へ視線を向けると、桜島北西部の藤野崎を通して錦江湾対岸の隼人や国分が見えます。再び南へ向けると神瀬や沖小島(おこがしま)が見えます。桜島が大噴火したとき、一時的な避難場所になった島です。


 フェリーが戻ってきました。今回は島に渡れなかったけれど、次があればまた来たいです。大隅石をゲットしたい!


 後日、別ルートで鹿児島に来た人たちは桜島へ行けたそうです。溶岩展望台や埋没鳥居を見てきたと・・・。大隅石はよくわからなかったようなので、また今度は一緒に行こうとなりました。ついでに金山とかスズ石も面白そうですね。










2023年8月18日(金)
再び鹿児島市より(1)

 鹿児島市街地に来ています。ちょっと忘れ物を取りに来ました。3年前と同じ場所ですが、季節が変わると思いがけない発見があるものです。真夏の暑い日々でした。

 城山にいます。ホテルからなら徒歩1時間かかります。しかし、そこまでしたくないので安直にタクシーで行きました。こっちは5分でした。


 標高は107mと徳島市の眉山(292m)より低いですが、温帯と亜熱帯の植物が混在して見られます。また、西南戦争の激戦地だったので、その遺物も多く残っています。


 駐車場に着くと、私服警官っぽい人やどこかの警備員みたいな人が大勢いて何だか物々しい雰囲気です。事件でもあったのでしょうか?・・・逆でした。VIPの貴人が来られるそうで、そのため周囲を警戒しているだけでした。
・・・ええ?このお巡りさん、そんなこと一般ピープルに教えていいの?


 すったもんだのあげく、ようやく展望所にやって来ました。まず、石碑がありました。今日の貴人のお身内の方が詠まれた句が刻まれていました。


 今は朝の8時頃なので、錦江湾から吹く風が涼しいです。遠くに桜島が朝日に輝いていました。手前には鹿児島の市街地が見えています。九州南部で最大の人口密集地ですから、ビルや家屋も密集しています。次は夜景を楽しみたいです。


 しばらく風景を楽しんだ後、遊歩道に沿って歩くことにしました。途中にも石碑がたくさんあります。また、防空壕のような穴がいくつも開いていました。コンクリで塗り固められています。さすがに歴史と文化の町です。










2023年8月8日(火)
受験の神様(2)

 鹿児島からの帰り道で大宰府に立ち寄りました。身内に受験生がいるのと、同行者にも受験生がいたためです。急にルート変更になったので慌てましたが、何とか無事にたどりつけました。

 本殿は改修工事をしていました。だから・・・、庇があまりなく強い日光が照りつけます。再び門までもどってその陰に入りました。でっかい提灯ですね。まるで雷門です。

 そう言えば、さっき本殿で合格祈願のお祓いをしていました。神主さんが祝詞を挙げていました。皆さん神妙な顔をしてしっかりと拝んでいました。狛犬たちも暑い中でご苦労様です。

 門前町まで帰ろうとすると、にわかに空が曇ってきました。足早に駅まで戻りました。もちろん途中でしっかりお土産をゲットしながらですけど。飛梅(とびうめ?)の梅干しとか、必勝ハチマキとか・・・。

 同行者のうち、高校生たちが先に帰ってきていました。本殿に行ってきたかと尋ねると、何とまあさっきまでのんびりと昼食を取っていたとのこと。受験のお守りを買いに来たのではなかったのか!

 さっさと行ってこい!!私の剣幕に驚いたのか、びっくりして皆が駆け出しました。念のため、折りたたみ傘を持たせました。

 とうとう空の上でゴロゴロと音がし始めました。そして、ついに夕立が降り出しました。見る間に雨脚が強くなり、門前町を歩いていた人々も駅の屋根の下に逃げ込んできました。

 さっき走っていった連中は大丈夫だろうか。帰りのバス停で列に並びながら心配していると、15分くらいして戻ってきました。当然のことながら、衣服はびしょびしょ。透けてなくてよかったと思えるくらいに・・・。

 博多駅まで戻ってすぐにロッカーからスーツケースを取り出し、着替えを出してトイレへ向かわせました。旅の最後で風邪などひかれては困ります。タオルがないとのことで、私のタオルを人数分渡してやりました。

 こうして無事に徳島まで帰ってきました。その後体調が悪くなることもなく、元気にやっているようです。夏の日の思い出でした。










2023年8月7日(月)
受験の神様(1)

 鹿児島からの帰り道で大宰府に立ち寄りました。身内に受験生がいるのと、同行者にも受験生がいたためです。急にルート変更になったので慌てましたが、何とか無事にたどりつけました。

 白紙(894年)に返す遣唐使で有名な(?)菅原道真公を、御祭神として祭っている天満宮の総本山だそうです。天神様なんですね。学問の神様でもあります。

 この日は大混雑でした。博多駅からバスに乗るだけで1時間待ちの行列。自動車道もちょっと混んでいて、大宰府駅も渋滞していました。ここでちょっと自由行動の時間を取り、私は早速お参りに行ってきました。

 鳥居をいくつもくぐり、赤い大きな門を越えるとそこが境内です。ここへ来るのも中学生のとき以来かな?近くを通ることは何度もあったけれど、特に用事がなかったから来ませんでした。本当に久しぶりです。

 吊られた風鈴からかわいらしい音が聞こえてきます。本日の気温は32℃だそうで、汗ばむ身体になんとなく涼やかな風が吹いてきたみたいです。手で触って確かめている人もいました。

 麒麟(きりん)のブロンズ像がありました。前に来たときの記憶にはありません。この世に聖人が現れるとき、この姿を顕現させるという伝説の聖獣です。それよりも〇ビールを飲みたいと考える私は、一般ピープルなんでしょうね(笑)。

 










2023年8月6日(日)
都井岬の神社

 再び遠出をしました。宮崎県のほぼ南端に位置する都井岬です。ここには岬馬と呼ばれている野生の馬がいます。○十年前に行った与那国島の野生馬が良かったので、今回はここを訪れてみました。


 灯台からの帰り道で気まぐれに立ち寄りました。道はきちんと整備され、手すりの参道までありました。社は小さくてちょっと古かったけれど・・・。鳥居にミンミンゼミが止まってうるさかったです。


 野生のソテツの北限地だそうで、たくさん生えて群落を形成していました。上から見ると丸く放射状に葉が伸びていてきれいです。周囲の小山一面に生えていました。


 ソテツには毒があるということですが、戦時中には食料にしたこともあったそうです。太い茎にはでんぷんが含まれているので、茎を粉砕して水に何度も晒してでんぷんをとるのだそうです。


 そんな時代を迎えたくありませんが、ないとは言い切れないでしょう。それをさせないために今を生きる我々が何をなすべきか考えないといけません。そういった思いとともにこの地を去りました。










2023年8月5日(土)
都井岬の灯台

 再び遠出をしました。宮崎県のほぼ南端に位置する都井岬です。ここには岬馬と呼ばれている野生の馬がいます。○十年前に行った与那国島の野生馬が良かったので、今回はここを訪れてみました。


 地図に載っている都井岬灯台です。こんな最果ての地まで来る物好きのため、グッズがそろえてありました。その前に東大に上ります。


 小高い岬の突端にそれはありました。周囲に集落や民家はなく完全に孤立した場所です。だからこそ、夜間に航行している船舶にとって重要なのです。展望台から見ると、海岸にそって隠れた岩礁に白波が立っています。


 灯台の周りにも馬のフンが落ちていました。1頭も見えないのにここまで来ているようです。空はあいにくと灰色のままでしたが、雨はあがったようで過ごしやすかったです。


 風もあまり強くなく、湿気がちょっと多かったくらい。でも台風とか来たら強風に見舞われて大変でしょうね。夏から秋にかけては注意が必要でしょう。


 よかバスの停留所兼ターミナルです。1日に2便しかありません。こんな端っこまでバスが出ていることにちょっと感動しました。黄色いカンナの花が印象的でした。










2023年8月4日(金)
都井岬の岬馬(3)

 再び遠出をしました。宮崎県のほぼ南端に位置する都井岬です。ここには岬馬と呼ばれている野生の馬がいます。○十年前に行った与那国島の野生馬が良かったので、今回はここを訪れてみました。


 標高200mくらいまで登ってみました。さっきの群れが下の方に見えます。まだ寝ている馬もいます。丘にぽつんと1本だけ生えている木が印象的です。


 いつの間にか海が見える高さまで上がっていました。見慣れぬものがやってきたためか、馬たちは盛んに尾を振って警戒しています。しかし、こちらが何もしないことがわかると、まるで何もいないかのように振舞っていました。


 日南海岸の入り江や岬が続いています。それを背景に馬たちがゆったりしています。あいにくの曇天で風がかなり強かったですが、馬たちは何も心配がないかのように今日も過ごしていました。ちょっとウマやらしい、・・・うらやましい限りでした。










2023年8月3日(木)
都井岬の岬馬(2)

 再び遠出をしました。宮崎県のほぼ南端に位置する都井岬です。ここには岬馬と呼ばれている野生の馬がいます。○十年前に行った与那国島の野生馬が良かったので、今回はここを訪れてみました。

 少し後戻りしてみました。さっき見た丘の上の馬たちが気になったからです。道端に駐車して、まずは道沿いに歩いてみました。黒い点々たちはさらに上の方へ移動していました。手前の木立にウマく隠れて写真を撮りにくいです。行きつ戻りつして、ようやくまともに撮れる場所を見つけました。

 岬の大部分は背の低い草が生い茂る草原です。そこに馬がいればよく目立ちます。数頭から十頭ほどの群れに分かれていました。開いていた小道から丘の上に上がると、ちょうど目線と同じ高さに馬がいました。

 皆が一斉に草を食べています。ここの草には海から運ばれてきた塩分が含まれているので、馬の成長に欠かせないミネラル分が豊富なのです。一方で、一般の馬より小さくて繁殖力も弱いため保護が欠かせません。

 食べながら群れが移動しています。だんだんと高い所へ向かっています。ふと気が付くと1頭が倒れていました。どうしたのか見ていると、尻尾を振ってだらんとして寛いでいます。・・・寝てるんだ。

 野生動物では考えられないことです。そんなことをしてたら足腰が弱くなって、簡単に敵に捕まってしまうでしょう。保護しなければならないが完全な野生には戻せない 。ジレンマですね。でものんびりとしている光景を見れば心が癒されます。










2023年8月2日(水)
都井岬の岬馬(1)

 再び遠出をしました。宮崎県のほぼ南端に位置する都井岬です。ここには岬馬と呼ばれている野生の馬がいます。○十年前に行った与那国島の野生馬が良かったので、今回はここを訪れてみました。

 都井(とい)岬を地図上で見れば、宮崎県の海岸線からピョンと突き出ているのがわかります。小さい半島ですが存在感があります。周辺は小さい集落が点在していて、風力発電の風車がたくさん立っています。

 国道から外れて岬に向けて走ると、だんだん風が強くなってきました。まもなく林を抜けるとそこは吹きっさらしの海岸部です。協力金として500円を支払っていよいよ入場です。

 ゲートから1km進むと、緑の丘に黒い点々が見えました。早速の登場です。しかし、かなり高い所にいるので望遠にしないとよくわかりません。彼らは後回しにして、先に道に近いところにいる馬を探しました。

 うました!・・・いや、いました!
 道にまでわざわざ降りてきていました。こちらには関心がないようで、明後日の方向をぼんやりと見ています。車を降りて近づいても逃げようとしません。こちらをちらりと見ますが、あまり関心がないようです。

 堂々と前から近づきました。後ろから近づくと後ろ足で蹴られるかもしれないからです。シャッター音が響きますが気にした様子もありません。撮るなら勝手に撮っておけ。そんな感じでした。

 さらに道を進むと、ビジターセンターがありました。駐車場横の広場には南国のソテツが生えていて、そこには20頭ほどの馬がいました。親子連れが多くて、仲良く水を飲んでいます。彼らの間を歩き回りましたが、人慣れしているのか特に気にしていません。しかし、よく見れば盛んに耳をピクピク動かしているので、少しは気にしているようでした。

 走り回ることなく、動作はゆったりしてくつろいでいます。危害を加えるものはなく保護されているから安心しているのでしょう。この時間は私以外誰もいなくて、余計にそう感じているのだと思います。

 広場の下の方に、廃屋となったホテルと小さめの灯台がありました。昭和の時代には観光旅行客が多かったそうですが、今は訪れる者も少なくなっています。それでも秘境を求めて、一定数の物好きな連中(私を含めて)がこうして来ているわけです。










2023年8月1日(火)
鹿児島市内散策(3)

 鹿児島市内に戻ってきました。ほっと一息です。志布志から遠かった。120kmくらいでしょうか・・・。今日もまた近場をブラブラです。

 鹿児島港に来ています。桜島に渡るつもりでした。ところが、画像のように桜島が噴火・・・しているように雲がかかっています。風が強く天候が良くないので、ここの展望室から眺めています。

 望遠で見ると、3年前に行った桜島の展望所が見えました。そのときは湯の平から南岳の噴火口や荒々しい峰が確認できました。今日はすっかり雲の中です。

 水族館に来ています。ここでは錦江湾の生物たちを見ることができます。ちょうどジンベイザメがお食事中でした(笑)。可愛らしい目と大きな口をしっかり開けて、水面にまかれたエサをしっかり吸い込んでいます。巨体の割にエサは小さいものだという、そのギャップに思わず笑みがこぼれました。

 リュウグウノツカイの液浸標本です。体長3mにもなる深海魚です。人気があるようで、最近ではあちこちの水族館で展示されるようになりました。私も沼津深海水族館や札幌円山動物園のイベントで見たことがあります。頭部のとさかのような飾りがカッコいいです。

 ここの目玉は錦江湾で見つかったハオリムシです。チューブワームとも呼ばれていて、最初は太平洋の深海の噴気孔で見つかりました。白い管の中に赤い本体が入っていて、酸素ではなく硫化水素を用いて呼吸しています。

 生物が地球に誕生したとき、大気中や海水中には酸素がなく代わりに硫化水素で呼吸してエネルギーを作り出していたと考えられています。つまりこの生物は太古から生き残ってきたのです。

 それが錦江湾というすぐ間近に棲息していたのですから驚きです。パンフをじっくり読んで何枚も写真を撮ってしまいました。素晴らしいです。

 ここではもう一つ、私的な発見がありました。淡水系の水槽に岩が置かれていましたが、表面が異様に赤いのです。これはおそらくタンスイベニマダラでしょう。

 淡水に棲息する紅藻類で、直接日光が当たらず、水質の良い沢で見られます。準絶滅危惧種でありながら、これの棲息地の調査や研究が進んでいません。鹿児島県ではまだ未発見のはずです。

 水族館側も知らなかったようで、私の所属と専門を名乗り、ことの次第を伝えました。誰かがこの研究をして、その成果が発表されることを期待しています。










2023年7月31日(月)
鹿児島市内散策(2)

 鹿児島市内に戻ってきました。ほっと一息です。志布志から遠かった。120kmくらいでしょうか・・・。今日も近場をブラブラです。


 谷山に来ています。路面電車の終点の1つです。今日は一日乗車券を持っているので最強です(笑)。特に当てもなく放浪しているといつの間にかここまで来ていました。


 駅前にはたくさん駐輪していました。この辺りは閑静な住宅地です。旧暦で祝うのか、七夕飾りがあちこちで揺れていました。


 適当に歩いていると、「波之平(なみのひら)」発祥の地と書かれていました。日本刀の流派の1つです。示現流など剣道のような刀の使い方ではなく、刀剣そのものを作る刀工の流派です。


 刀工の流派には五家伝といって、大和伝・相州伝・美濃伝・山城伝・備前伝の5つがあります。波之平はそれらのどれでもなく、この薩摩の地で独自に進化し隆盛を極めた流派です。


 薩摩半島には砂鉄産地が数多くあります。また、種子島にも鉄浜海岸があります。つまり鉄の供給地であったわけです。そういった背景があったからこそ、この地で発展してきたのでしょう。


 ちょっと見にはわからない小さい石碑でしたが、ここには地元の歴史が詰まっていました。阿波の海部刀の研究も続けています。










2023年7月30日(日)
鹿児島市内散策(1)

 鹿児島市内に戻ってきました。ほっと一息です。志布志から遠かった。120kmくらいでしょうか・・・。今日は近場をブラブラです。


 甲突川(こうつきがわ)沿いの加治屋町を歩いています。武家屋敷みたいな門構えや塾に使われた古民家など、見所が満載でした。こんな広い庭で鍛錬をしていたのでしょうか。


 甲突川歴史ロード維新ふるさとの道というそうです。二つ屋の武家屋敷を見てきました。


 河口の方を見れば、黒々とした桜島がどっしりと構えていました。しばらく噴火していないとのことです。この滞在中にそれが起こるでしょうか。


 ・・・結局、幸いなことにありませんでした。しかし、ずっと雲に覆われていました。南岳の火口も見られずじまいです。


 後日、秋の大会で訪れた同僚は初日に火山灰の洗礼を受けました。車が灰色になってしまったとぼやいていました。でも事前にペットボトルに水を入れておくように入れ知恵しておいたので、フロントガラスにそれをかけて難を逃れたようです。帰ってきてお礼を言われました。良かった!








2023年7月29日(土)
夏井海岸の砂鉄

 鹿児島県東部です。宮崎県との県境の町「志布志」の海岸にやって来ました。これも仕事の一環です。めったに来ることがない場所ではどのような発見や出会いがあるでしょうか。

 さて、本来の目的は砂鉄の採取です。すでに薩摩半島の海岸線では、ほとんどの場所で採集済みです。でも大隅半島ではまだだったので、今回の行程に組み込みました。

 国道220号線並びに448号線から、海岸部へ下りていきました。大隅夏井駅より少し西寄りです。住宅が点在してアップダウンが激しい小道です。何カ所か回りましたが、やっと砂浜に黒い筋が見られる小浜を見つけました。

 浜には黒い石がいくつも転がっていました。剥離した火砕流堆積物です。また、白いのは軽石でした。質はいまいちなので風呂用に持って帰りませんでした♪

 波打ち際にて砂鉄が層をなしていました。これはどこでもよく見かける光景です。層の厚そうな部分にシャベルをさして、砂鉄を含んだ砂を袋に入れていきました。鹿児島の砂鉄はきれいです。分析用なので一袋もあれば充分です。

 なお、志布志観光協会から志布志市教育委員会に一報を入れていただき、採集の許可を頂きました。感謝いたします。






2023年7月28日(金)
夏井海岸の火砕流

 鹿児島県東部です。宮崎県との県境の町「志布志」の海岸にやって来ました。これも仕事の一環です。めったに来ることがない場所ではどのような発見や出会いがあるでしょうか。

 ここの海岸には火砕流の堆積物があると聞いてきました。火砕流とは火山から噴出されるガスとチリが混じった物で、500~1000℃の高温のまま流れ下ってきます。時速も100km近いので逃げることができません。

 余談になりますが、かつて雲仙普賢岳が活動していた時期に現地を訪れ、その火砕流を目撃しています。突然サイレンが鳴り響き、ハッとして山の方を見るとこちらに火砕流が押し寄せて来ました。幸いなことに私の居場所まで届かず、軽くなったガスが上空へ舞い上がっていったので九死に一生を得ました。

 それはさておき、細かな粒子が堆積しているようで、ガスが抜けた孔も見られます。表面は硬そうですが、ガリガリとこすると粉のようになりました。波に洗われている部分はポッカリと穴が開いて浸食されていました。

 こんな所にまで火山堆積物が見られるとは、さすがに火の国だけあります。火山活動で作られた大地!恩恵と災害をもたらす二面性がありますが、そうしたなかで生活を営んできた先人たちに敬意を表します。






2023年7月27日(木)
しぶし散策(4)

 鹿児島県東部です。宮崎県との県境の町「志布志」にやって来ました。めったに来ることがない場所ではどのような発見や出会いがあるでしょうか。そして、田舎のレトロな光景を目にしました。昭和40年代頃でしょうか。

 丘の上に登ってみました。いや丘というより高原にいる感じです。海岸段丘とでもいうのでしょうか。高原側にも街があり、多くの人が住んでいます。ベッドタウン的な雰囲気ですが、スーパーや娯楽施設もある普通の街です。

 下の海岸線の街は政治経済の中心で、上の高原から毎日働きに出てくるようです。駅も下にあり、昔からの交通の要所です。しかし、自動車道は上の住宅地よりまだ少し北側を通っています。

 海岸には松原が広がっていました。防砂林でしょう。港が発達していて、漁業だけでなくフェリーの発着場にもなっています。長い防波堤では釣り客も見られました。

 四国からはとても遠くて、狙って行かないと立ち寄ることもなかったでしょう。でもここでも様々な出会いや思い出ができました。








2023年7月26日(水)
しぶし散策(3)

 鹿児島県東部です。宮崎県との県境の町「志布志」にやって来ました。めったに来ることがない場所ではどのような発見や出会いがあるでしょうか。そして、田舎のレトロな光景を目にしました。昭和40年代頃でしょうか。

 湧き水が出ていました。近所だけでなく遠方からも汲みに来るそうです。周りは古そうな家並みが続いていました。縁側や格子戸など、これぞ本来の日本の民家って感じです。

 路地に入るとネコとカラスがいました。尻尾の短いブチの家猫です。昭和の頃の背格好をしたおばさんが出てくるような光景でした。サザエさんの時代でしょうか。

 小さな茶屋に立ち寄りました。「志布志茶」で一服させてもらいました。少し気温が低くて歩き回った後だったので、ほっと一息つけました。お茶が美味しかった。思わずたくさん買ってしまいました。








2023年7月25日(火)
しぶし散策(2)

 鹿児島県東部です。宮崎県との県境の町「志布志」にやって来ました。めったに来ることがない場所ではどのような発見や出会いがあるでしょうか。

 次は、志布志町内の散策です。南国風の庭園があるということで見に行きました。駐車場まで完備されているので本格的です。志布志麓庭園と言って、3つある武家庭園です。

 平山庭園に入りました。築山枯山水風で江戸時代初期に造られました。古いお寺の境内みたいです。

 普通の民家のような門に案内板と幟が立っていました。低木が刈り込まれて丸くなっています。苔が生えていて地面がモザイク状になっている。やっぱり人が歩くところだから仕方ないかも。

 裏山にはかつて城が建っていました。三カ所くらいあったそうです。山頂に登って市内を眺めてみようと思いましたが、草木が繁茂しているため眺望は良くないとのこと。湿気が多くてじめっとしているので止めました。

 平日だったので、近くの製材工場からのこぎりの音が聞こえました。この辺りは亜熱帯に近い気候でもあるため、果たしてどのような材木を切り出しているのでしょうか。亜熱帯だから四国とはまた違った物があるでしょう。








2023年7月24日(月)
しぶし散策(1)

 鹿児島県東部です。宮崎県との県境の町「志布志」にやって来ました。めったに来ることがない場所ではどのような発見や出会いがあるでしょうか。

 まずは、志布志市志布志町志布志2丁目28の志布志駅から出発です。失礼ながら初めてこの住所地を知ったとき、本当にこんなところが存在するのか疑問でした。それからずっと気になっていたので、今日はここまで来られて良かったです。

 静かな海沿いの町って感じです。海岸線に町並みが続いています。北側は小高い丘で、住宅地と田畑が混在しています。ここまで来るのは遠かった!正直なところ、行先を別の場所に変えようかと思ったくらいでした。

 志布志鉄道記念公園に蒸気機関車を展示していました。駅からそのまま線路を延長して500mくらいのところです1987年にこのターミナル駅が廃止となり、その機関区が公園になったものです。子どもの頃に、こんなSLに乗ったことがあるようなのですが覚えていません。

 雨がぽつりぽつりと降ってきました。今日はずっとこんな天気らしいです。梅雨は終わったはずなのに・・・。気分はどんよりしていますが、まだ見ぬ新しい発見に期待します。それが旅の醍醐味なのです。








2020年3月16日(月)
桜島からの帰り道


 桜島と大隅半島がくっついた位置に、こんもりと盛り上がった山がありました。標高325mで早崎と書いてありましたが、それって地名でしょうか。火山灰や軽石からなるため崩れやすいそうです。急角度の斜面が特徴的で遠くからでも視認できます。つくづく火の山って摩訶不思議だなって思います。地名から消えているけど、咲花平(さっかびら)もここです。
 西側の海を見れば、ブーメランみたいな形状の神瀬があります。灯台が立っていてこの辺りは浅瀬になっています。三方から囲まれた磯でもいろいろな海産物が採れるようです。ミネラル豊富な桜島によって育まれた海なのでしょうね。
 帰りは料金を先払いして乗り込みました。こうすれば料金所は桜島側だけですむので合理的です。島で滞在中には噴火しませんでしたが、速やかに移動できて見るべき物は見られた、採れる物は採られたと思います。
 次に来られるのはいつの日か。青い錦江湾を眺めながら、次の予定について考えました。






2020年3月15日(日)
ネコとさくらじまだいこん


 展望台にネコがいました。民家のある集落から遠く離れたこの場所で、いったいどうやって生活しているのでしょうか。人を見ても逃げないけれど、触ろうとすると面倒くさそうにプイッと横を向いたりします。野良猫だろうが少しは人慣れしている。そんな雰囲気でした。多くの観光客が撮っていました。どこかのブログやインスタに上げられていることでしょう。
 北岳の北側でダイコン畑を見つけました。普通のダイコンとは葉っぱが異なり、根っこの部分も大きそうです。これ全部が桜島大根でした。土から引き抜いたときの形状は「カブ」と同じ。けれども味はやっぱりダイコンです。私が食べ慣れている徳島産のダイコンに比べると、少し軟らかくてだし汁が染み込みやすい。短時間で煮込める。デカイから切りにくい。まあとにかく面白いネタを提供できました。
 価格は1300~1800円とダイコンにしてはやっぱり高価。抜いてから1日経つと表面が少ししなびてきます。迷いましたが、1日経った1500円の物を買いました。次は宅配です。葉っぱを切れば安くなるけれど、それもネタだから切らずに一緒に送りました。何やかやで結局5000円の出費です。
 後日、半分をお裾分けして残りを鍋にしました。ほっこりとして食べ応えがありました。また、一部を酢の物にしてご飯と一緒にポリポリ食べました。葉っぱの使い道がなかったのが残念です。でも世界一の大きさという面白い物を食すことができて満足でした。世界最小という桜島小ミカンも味わいました。キンカンよりちょっとだけ大きそうでした。最小じゃないかもしれませんが最大もそろっているので、これで宜しとしましょう。






2020年3月14日(土)
桜島西斜面を臨む


 3回目の訪問です。途中でイノシシに出くわして当たりそうになりヒヤヒヤものでした。沢崩れの下部に丸い円柱状の物体があります。砂防ダムのようなものでしょうか。見た感じはまるで秘密基地です。そこら辺の岩山がスッと開いて、ウルトラホーク1号でも飛び出して来そうです。つまり、なんとなく非現実的なイメージを帯びているってことです。
 さて、この崩れ方は○十年前より酷くなっていました。当たり前でしょうが、かなり土石流が発生しているような印象を受けます。富士山の大沢崩れみたいに、いつかは山体そのものが上から崩れるかもしれません。景観を損ねるようですが、こればっかりはヒトが太刀打ちできませんそれにしてもあのように山に近い所まで、よく物資を運び上げられたなって思います。年間50回以上爆発している山のふもとで工事するのは危険でしょう。従事者に対してただ感服するのみです。
 桜島で最も高いのが北岳の北峯1117mで、他にも1109mの峰があります。中岳が1060m、南岳が1040mです。私のホームベースの1つである徳島の高越山は最高峰が1143mで、実は桜島とほとんど同じだったのです。これはなかなか面白い発見でした。高越山を見る度に桜島を思い出しそうです。
 中岳の峰は周囲より突出していて、一見すると最も高いように見えます。岩肌がゴツゴツしているのがわかり、近寄ると岩が崩れて落ちてきそうです。南岳は山頂部が平らに見え、まるで鋭利な刃物でスパっと切ったかのようです。しかし、その向こう側には噴火口という地獄のかまどが開いています。北岳は古い火口壁が崩れて一部が残ったみたいな感じです。熔岩と火山灰や軽石からなる山体です。ということは、土石流が発生しやすいと言えます。
 周辺道路で多くの待避壕や砂防堤を目にしました。私たちのような観光客にとっては素晴らしい眺めで事足りますが、ここに住まわれている人にとっては毎日の生活に欠かせないものなのでしょう。






2020年3月13日(金)
桜島北岳の山道を巡る


 電子国土の地図をよく利用しています。桜島北岳の北麓から山へ向けて延びる道があります。標高のある所では650mに達するので、もしそこから眺望を望めるなら見晴らしがよいのではないかと思いました。南にそびえる北岳に向かう道を探し出し、白浜町辺りから曲がって進んでみました。
 最初は舗装道でしたが、標高300mくらいになるとダートに変わりました。平坦な道でしたが徐々に凹凸してきて、枝葉や石ころが進路の邪魔をします。また、両端が迫ってきてついには車を擦りそうになりました。仕方なくその道は断念し、別の迂回路へ移動しました。しばらく道に迷って行きつ戻りつしました。思ったより眺望がよくなく、ナビだけでは自分の位置がよくわかりませんでした。緯度経度はわかっても、自分がどのような景観の中にいるかまではグーグルでも難しいです。それこそドローンであらゆる角度から見ないとね。それでも何とか標高280mの権現神社をランドマークにして、自分の立ち位置が把握できました。
 350m付近を東西に走る道があります。途中で数ヶ所の沢を越えるので、そこなら林が切れているから海が見えるかもしれません。平日だったので工事車両が止まっていました。ときどき道を閉鎖するそうですが、今回は開いていてラッキーでした。橋の上から錦江湾の北側が見えました。対岸は加治木や隼人のようです。もやっていましたが、望遠で見ると海岸線に沿って並ぶ家屋が見えました。
 北岳の山頂部が少し見えました。そこまで登れば素晴らしい眺望を楽しめるでしょう。また、海に浮かぶ離島にも興味があり、新生代化石を産出する島もあります。また、数年~十年後に来てみたいです。






2020年3月12日(木)
火山灰に埋没した鳥居


 途中で迷ったりいろいろ寄り道したりしました。観光バスでは味わえない旅の醍醐味です。そして、ここでも思いがけない出会いがありました。
 桜島の名所の1つがこの埋没した鳥居です。前回はここの樹木の葉っぱに積もった火山灰をうっかり落とし、灰まみれになってしまったという私にとって曰く付きの場所です。グラウンドと資料館の狭い間にそれがありました。看板がなければ見過ごしてしまいそうです。大噴火の火山灰によって柱の部分がすっかり埋もれていました。ものすごさがよくわかります。
 しばらく見ていると黒神中学校から生徒が出てきました。頭にはヘルメットをしっかり着用しています。ここまで噴石が飛んできたことがあるそうで、登下校には義務付けられているとのことです。彼の顔をどこかで見たことがありました。記憶を掘り起こしていくと、確かTVの番組で掃除の校内アナウンスをしていた人物です。この中学校では毎朝のように鳥居の掃除をしています。防災に関する番組だったと思うのですが、徳島にいるときにたまたまそれを見ていました。だからわかったのです。
 思い切って話しかけてみました。私は彼よりずっと年上ですが、誰に対してもきちんと敬語で話しかけております。帰り間際にヘンなおっさんに声かけられて返答もぎこちなかったですが、すぐに慣れてきてバスの時刻までいろいろ話しができました。さっきの情報も彼が教えてくれたものです。ありがとうございました。
 桜島が噴火しました。噴石は届きませんが、噴煙が北西風にたなびいて火山灰が降ってきます。わずか5分くらいで煙が海峡を越え大隅半島に達しました。見る間に車が灰色になっていきます。窓の灰がまるで粉雪のようです。・・・という感じになるのでしょうね。本当に噴火したらの話ですが・・・。






2020年3月11日(水)
桜島南岳の土石流


 ぽっかり開いた南岳の火口がよく見えます。うっすらと白い煙が上がっています。噴出した火山灰が火口の周りに積もって、筋のような細かい沢がたくさんできています。向こう側は切り立った崖のようで、見えないこちら側も同様でしょう。ドローンでもあれば覗いてみたいです。
 ここは火口から4kmほど離れています。しかし、ここまで火山灰や噴石が流れてきます。例えば、大雨の後の土石流です。周回道路を走っていると、護岸工事をした沢谷や水路が目に付きました。土石流が発生したとき、速やかにそれを外海に流すための流路を確保しています。これは土砂災害を防ぐための鉄則です。流れの勢いを弱めるため何かにぶつけ、それを水路に導いて流していく。それを考えればどこかの川で計画していた可動堰なんて愚の骨頂なのでしょうね。
 ここにも避難所がありました。展望所よりしっかりした造りです。ただし、ちょっと低い場所にあったので土砂が少し入り込んでいました。万一に備えて、避難場所の位置を確認しながら進みました。
 さて、この日は東北大震災発生から9年目です。破壊された堤防や失った町並み、政府と東電の失態による原発の爆発など、日本という国が沈没する瀬戸際まで行ったことは記憶に新しいです。否、まだ終わっておりません。ニュースには出ないけれど、放射線が強いエリアで今も頑張っている人々がいるのです。
 あの日、私は徳島市の勝浦川河口近くにいました。そのとき津波警報が発令されたので、すぐに予約をキャンセルして車で逃げ出しました。震源地が東北という遠方であっても、チリ津波のように押し寄せてくることも想定したからです。私がバイパスを走っているうちにだんだんと車が混んできました。僅か5分後のことです。後から知ったのですが、30分後には身動きできないほどのラッシュになりました。そんなときに津波が来れば一溜まりもありません。
 ちなみに関東の知り合いがたまたま現場に出くわして、生徒と共に車でスーパーの屋上に避難して助かったという話も後から聞きました。その後、競技場が遺体安置所になったそうです。とっさの判断が求められることを学びました。








2020年3月10日(火)
昭和溶岩流の展望所


 桜島を反時計回りに進んでいるところです。アクティブな南岳(標高1070m)に近い有吉熔岩展望所に来ました。広い駐車場にさっき開いたらしい土産物店、休憩所などがあります。ここでは昭和熔岩を間近で見ることができます。舗装された遊歩道が整備され、きれいな階段もあって歩きやすいです。
 タオルとカメラを持って出発しました。ややカーブした道沿いには冷え固まった熔岩の石壁が続いています。一部には恐竜や猛禽類みたいなオブジェもありました。ゴツゴツした感じがたまりません!触れてみましたがやっぱり石だけあってとても硬そう。素手ではとても割れません。小石がないか探しましたが見当たりません。大きな岩にくっついていました。
 最高峰と思われる場所に来ました。南岳に近くてさえぎる物もないので、見晴らしがとても素晴らしいです。噴火して大量の熔岩が流出し、その一部がここにあった村を焼いて埋めてしまいました。そう考えると大変恐ろしくなります。今は一面が背の低い林になり熔岩は隠されています。でも地下深くではまだ余熱を持った熔岩がふつふつとしていることでしょう。500mくらいボーリングしたら何が噴き出てくるでしょうか(マグマじゃないよ!)。地下水脈さえあれば温泉が湧き放題かもしれません。
 遊歩道の途中にトンネルがありました。いざというときの避難所です。ただし壁が薄くて長さもないため、どこまで効果があるのかわかりません。いちかばちかサッサと逃げた方が良いかも・・・です。知り合いの写真家が桜島の火山雷を撮影しました。素晴らしいできばえでニュースの挿絵にもなりました。この辺りから撮ったそうですが、噴石が飛んできて驚いたそうです。私が滞在している間は噴火しませんでした。予定が大幅に変わるので助かりました。






2020年3月9日(月)
降り積もった火山灰


 「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」という、林芙美子の句碑が古里公園にありました。周回道路から少しだけ上がった場所です。いつの間にか立派に整備されていて、女人像の向こうに桜島がしっかり見えます。記念撮影にはバッチリでした。
 さて、目的はそれではなく足下にありました。火山灰です。花粉はまだそんなに飛んでいないのに、鼻や目の調子がおかしいです。ということは、その原因は火山灰にあると思われます。以前に桜島観光バスでもらった物は灰色でした。ところが、そこらじゅうに積もっているのは真っ黒です。濡れているからかもしれませんが、何となく違和感がありました。石段や坂道が滑りやすくなっていました。ズルッといって尻餅をつきそうになりました。しばらく古里公園を歩き回りました。
 周回道路から山側へ、分岐点から桜島の方へ走ってみました。ところがすぐに通行止めになっています。最近の桜島の活動が活発なので、危険回避のため近寄らないようにしています。それでも少し奥に集落があればそこまでなら進めます。やや広い場所に駐車して少し歩いてみました。
 桜島の方から谷がこちらへ延びてきていました。両岸の樹木が少しくすんだ色合いになっています。よく見ると葉に積もっているのは火山灰でした。灰色をしています。やっぱり乾くと灰色になるようです。枯れ始めている枝もありました。光合成ができなくなるためそうなります。数日前に噴火したときのが積もったのでしょう。
 少し喉がごろごろしてきました。火山灰の吸い過ぎのようです。コロナじゃないしね。天候も回復してきたので、次の産地に向かいましょう。






2020年3月8日(日)
朝焼けの桜島


 鹿児島と言えば桜島って言うくらい、とてもメジャーな観光地です。この日を指折り数えて待ち望んでいました。幸いなことに天気は晴れで、霧島のような寒風は吹いていません。どのような発見があるでしょうか。期待感でワクワクです。
 桜島港へ移動して車ごと海峡を渡ろうと思いました。ところが、港がいくつもあってかなりややこしい。ナビもどうしてか役立たず。港に到着したのは先の便がちょうど出る頃でした。
 今日の桜島航路の海は穏やかでした。朝日の向こうに大きな島影が見えます。久しぶりの桜島です!山頂には白く雲がたなびいていました。噴煙ではないようです。影に隠れて対岸の様子はよくわかりません。途中で他の船とすれ違いました。後からわかったのですが、連絡船どうしは互いに右の方へ回り込んで進んでいました。
 途中でいくつか島影が見えました。かなり遠くに見えたのは沖小島(おこが)でしょう。海面から浮き上がっていました。かつて桜島が大噴火したとき、海岸の住民たちが舟で一時的に避難した場所です。その後、再び舟をこぎ出して対岸の鹿児島市に渡ったそうです。噴石が降るなかで必死の思いでたどり着いたことでしょう。
 桜島に近づくと漁に出る漁船が多くなりました。錦江湾は豊かな海で、毎日のように新鮮な魚介類が水揚げされます。それも食してみたいですね。行きたいところや買いたいものがたくさんあります。優先順位を付けてできるだけやってみようと思いました。何しろ徳島から直線距離500km、高速を使うと900kmもあるのですから・・・。
 袴腰の桜島港に着きました。細い通路をゆっくり進んで、ガクンという揺れと共に上陸です。車がちょっと大きかったので料金がかかりましたが、馬力があるので坂道でもスイスイと登れます。まずは、湯之平の展望台を目指しました。桜島航路がよく見えました。






2020年3月7日(土)
神之川の浜砂鉄

 吹上浜の北部にある河川です。黎明館から入手した資料によれば、この川の左岸に砂鉄が多いそうです。どこから流れてくるかまではわかりませんが、とにかく砂浜を見に行きました。
 この日も北西風が強かったです。海に向かって立つと、顔が風に押されて息苦しくなるほどでした。雲間から日が差し込んできて少しだけ穏やかになりました。ここにも釣り人がいました。常連さんらしくて、いつもの場所に陣取っているようです。こちらを一瞥しましたが、私が釣り竿を持っていないので特に気にならないようでした。ちなみに、持っていたのはスコップとビニール袋です。
 砂浜は黒っぽかったです。吹上浜公園よりも砂鉄が多そうでした。白い粒子は透明感があり水晶の破片みたい。熱帯魚の水槽の底に敷くと映えるかもしれません。ここにも軽石が流れ着いていました。どこの火山からやって来たのでしょうか?興味深いです。
 吹上浜は日本では長い砂浜の1つです。他に青森の下北半島とか千葉の九十九里浜、石川の能登半島などがあります。まだ行ったことがないので、機会をつくってチャレンジしたいです。なお、きれいな砂鉄がたくさん採れました。




2020年3月6日(金)
鹿児島中央駅の夜


 いろいろ回ってやっと鹿児島市内に帰ってきました。ホテルの部屋から繁華街の灯りが見えます。中央駅の観覧車もイルミネーションがきれいです。お土産を買いに行ってみることにしました。
 駅前はバスや路面電車の軌道が交差して、何だかごちゃごちゃしています。進行方向はまっすぐなのに道はカーブしているような、わかりにくい進入路もあって複雑でした。駅前で工事をしているので余計に・・・です。でも慣れたらどおってことないかも。
 観覧車の下はショッピング街になっていて、夜遅くにも関わらずそこそこ人がいました。個人用に手頃なサイズをいくつかと、自宅と親戚用に大きめの物を買いました。さすがに一人で乗る勇気はなかったので、観覧車は断念しました。次があれば乗ってみたいです。
 空から細かな何かが降ってきました。桜島の火山灰のようです。この季節は北西風がほとんどで市内には余り降らないですが、それでもたまに南東風が吹いてくるとおこぼれが飛んできます。くしゃみが少しひどくなりました。やっぱり夏には来られないね。また冬の温泉も良いかも。




2020年3月5日(木)
大隅石を探して

 鹿児島県で見つかった世界初の新鉱物「大隅石」を探しに行きました。実は私自身で新鉱物を採りに行くのは初めてです。それまでは友人知人にお願いして、物々交換で入手していました。その方が産地に行かずに済むし、確実に手に入るからです。その一方で、自分で採ったという充実感は味わえません。だから、今回は良い機会だと思ったのです。
 予想される場所の特定には時間がかかりました。しかし、何とか信頼できる情報を得て決行しました。河口近くの海岸に降りました。ゴツゴツした熔岩ばかりでした。孔が開いているのは軽石です。大小たくさん流れ着いていました。ギラッと光沢があるのは何かの結晶でしょう。目についた石をじっくりと見ていきました。
 100個くらい見てかなり疲れてきたとき、数ミリくらいの結晶が見つかりました。青っぽいような黒いような結晶です。ネットで確認するとどうやらアタリのようです。その後2個見つけて納竿しました。否1個は石が海藻だらけで汚かったので棄てましたが・・・何か?産地をつぶす気はないからね。
 次は、山口や岐阜の苦土大隅石が狙いです。行くかどうかはわかりませんが・・・。




2020年3月4日(水)
知覧武家屋敷の庭園


 薩摩半島内陸の知覧にやって来ました。和風だけど何となく南国風味の武家屋敷があります。ここも○十年ぶりですが、観光バスでなくレンタカーなので動きやすかったです。まず、集落東端の無料駐車場に停めました。後から知ったのですが、西側の方が良かったみたいです。
 それはさておき、メインストリート的な道を歩きました。幅は車2台が何とか対向できるくらい。遠くにチラホラと散策している人が見えます。開いている門から少しのぞいてみました。門のすぐ内側に壁があります。プライバシーを守るためとか、敵襲に備えてなどのためです。これは沖縄の竹富島で見た民家と同様です。また、無料で拝観できる古民家があり、間取りや家具などを見学しました。
 受付で料金を支払い、今度は庭園の見学です。穴ぼこだらけの熔岩をつくばいにしてあったり、庭木と奇岩をうまく配列させてバランスの良い庭園を造っています。障子のガラス戸越しに見れば、とても趣のある眺めでしょう。主な屋敷が7つあり、そのどれもが個性的でした。夏の暑い盛りには縁側に寝そべって、ダラ~ンとしたいものです。
 遅咲きの梅や早咲きの桜っぽい花、それと桜島小ミカンもありました。キンカンより少し大きいですが、小さいのは間違いないです。私だったら皮ごと食べてしまいそうです。喫茶もありましたが、他にも行きたい所があるので寄りませんでした
 地図に載っていた知覧城趾にも行きました。少し小高い丘の上のようだったので見に行きましたが、樹木に覆われて見晴らしはまったくききません。武家屋敷群を上から見たかったのですが、ちょっと残念でした。ドローンでもあれば可能でしょうが・・・。この辺りの道はわかりにくいです。二重カーブや行き止まりが多かったので、ドライブには要注意です。






2020年3月3日(火)
イッシー池田湖


 烏帽子岳の南を走る県道から、池田湖全体を眺めることができます。ここも○十年ぶりで、そのときからイッシーと仲良しです(笑)。池田湖はでっかいカルデラ湖で、最深部は233mもあります。周囲にはいくつか集落があり、周りを散歩する人もたくさんいます。そして、その誰かが湖面から突き出る背中みたいな黒い物体を目撃し、ネス湖のネッシーにちなんで「イッシー」と名付けられたのです。
 当時はUFOと並んでUMAも大人気でした。北海道の屈斜路湖のクッシーもいましたね。見に行きましたよ。氷付けの湖面ばかりでしたが・・・。古代の水棲恐竜の生き残りとかなんとかで、一大ブームになっていました。本物のシーラカンスが発見されたり、生きて泳いでいる画像が公開されたりして、ブームに拍車をかけました。・・・そっちも沼津まで見に行きました。
 今はブームも去って静かな湖面が広がっています。人口も減って寂れてきた感があります。あのときは観光バス内からの車窓だけでしたが、こうして車から降りてじっくりと眺めてみるといろいろ思うことがあります。ブイが浮かんでいたので、あの辺りにイッシーが泳いできてさざ波でも立たないかな?新潟の立浪池みたいな4mの巨大魚が正体かな?・・・妄想しているとすっかり日が暮れてきました。
 ここに立ち寄ったのは休憩を兼ねた荷物整理です。あちこちで採取した岩石や砂などを袋詰めして、さらに段ボール箱に仕分けていきます。大量にあったので1時間以上もかかりました。ふと気が付くと、南側に開聞岳の影が見えました。なんかずっとそればかり見ているような気がします。また、対岸には集落の灯りが見えました。湖にも映っていました。そろそろ次の宿屋へ行く時刻です。遅くなったので夕食はコンビニで済まそうかな?






2020年3月2日(月)
枚聞神社の赤鳥居


 開聞岳の北側の鏡池に行く途中に、赤い鳥居が目立つ神社がありました。「ひらきき」神社というそうです。小学生がランドセルを背負って下校中でした。開門小学校の児童たちでしょう。その子たちが前を通ると、神社の赤さが映えてきます。思わず車を停めて境内に入ってみました。
 薩摩一の宮だそうで、交通・航海の安全や漁業の神様です。鳥居だけでなく御殿や灯籠も赤く塗られていました。まるで「朱」みたいです。樹齢数百年の大木がどっしりと根を下ろし、その奥に本殿がこれまたどっしりと建っていました。さすがは島津家の神社です。記念に何か買って帰ろうと思いましたが、そちらはこれといって目を引く物もなく、ちょっと休憩しただけで後にしました。





2020年3月1日(日)
やっぱり西郷どん


 しのつく雨の中、気温は少し高くて本当に暖冬だなって思います。葉に積もった火山灰が流れ落ちて、木々が少しずつ緑を取り戻していきます。こんな日は好んで外出したくないですが、旅先でのせっかくの機会なので大きめのカサさして歩いてみました。
 中央駅から北へ2kmに城山があります。ここには多くの歴史的遺物やそれを伝える石碑や施設があります。鶴丸城跡にある黎明館もその1つです。歩道を歩くと側溝がきれいに整備されていて、鯉がゆったり泳いでいました。そして、間もなく石垣が目に入ります。お堀の水はほとんどなく枯れた蓮が目立ちます。正面は工事中だったので西門から入りました。
 幕末の展示がいっぱいでした。教科書に出てくるような人の経歴とか遺品とか。他にも昔の鹿児島を知るようなディオラマとか、奄美の暮らしを伝えるコーナーもありました。詳しく見ていくと、美談として語られている出来事、例えば薩摩と奄美の関係についても光と闇の部分があることがわかりました。砂鉄について知りたかったので、予てから世話になっている知人に話を伺いました。なかなか貴重な情報が聞けました。
 次に、県立博物館と分館がある宝山ホールへ行きました。黎明館よりこじんまりとしていますが、桜島のことや鉱物・化石が充実していました。特に新鉱物の「大隅石」や「原田石」、大型の金鉱石などが展示されていました。なお、原田石は高知県のマンガン鉱山でも見つかっています。
 がっつり食べたかったので、黒豚のトンカツにしました。熱々をソースと辛子を添えて食べるのが最高です。かむと油がしみ出して白飯をかっこむともう止まらない。ご飯も4回ほどおかわりしました。2kgのカレーライスを9分で、100個の餃子を19分で、ファミリーアイスを10分で、うどん20玉を15分で、2kgのお好み焼きを焼くのを含めて45分で、・・・ということも普通にやっていたので、これくらいは楽勝です。さあ次はラーメンをがっつりいこう。






2020年2月25日(火)
霧島温泉の噴気


 温泉からの帰り道にて、しばしば蒸気で前が見えなくなりました。温泉の泉源から噴出する蒸気が大量にもれて、道にまで流れてくるからです。
 明礬温泉の泉源は谷川沿いにあります。上からのぞき込むと蒸気の晴れ間から泥のような湯が湧き上がっていました。別府の坊主地獄のようです。硫黄臭いのは硫化水素です。泉源近くの石にはうす黄色い膜が付着していました。硫黄です。ひょっとすると恐山みたいに砒素を含んだ雄黄かもしれません。セレン・・・は含まれてないかな?金属製の支柱はぼろぼろになっていました。コンクリも崩れかけです。
 さらに下山していくと、林田・硫黄谷・湯ノ谷・丸尾などの温泉街が連なっています。そこからも猛烈な勢いで蒸気が立ち上っていました。鹿児島空港まで来ると茶畑が広がっていました。知覧と異なって面白かったのは、風車の羽根が緑茶色だったことです。お茶だけに考案者の茶目っ気がわかるような気がしました(笑)。
 立ち寄ったGSで教えてもらった牧園の郵便局へ行きました。ここまでで採取したサンプルを学校へ郵送するためです。二度と来ることはないかもしれないので、岩石や砂などをできるだけ集めていました。徳島から持参した段ボール箱だけでは足りず、追加分を購入しました。岩石等は新聞紙で包み、砂は厚めの袋で二重にして箱に詰めました。
 さて、ここからが問題です。2つめまではOKでしたが、3つめが重量オーバーでした。秤に乗せても表示が出ない。つまりかなり超過していることになります。砂を少しずつ減らしても変化なく、丸ごと一袋出してようやく限度内になりました。4つめもダメ!5つめは何とかOK!・・・こうして結局8箱に分けて送り出しました。何と総重量200kg超?!梱包までに2時間半を要しました。相手して下さった郵便局員の方、本当にありがとうございました。






2020年2月24日(月)
新燃岳の熔岩

 韓国岳の南東4kmに新燃岳(しんもえだけ)があります。最も近い温泉施設から2kmもありません。そして、この火山も現在アクティブ状態です。それまでは登山客が普通に登坂していた山で、中級くらいのコースでした。ところが、数日くらいの火山性微動とともに噴火が始まり、熔岩が火口を越えて流出しました。
 県道から黒々とした熔岩が見えました。表面は冷えて固まっているが、水蒸気が立ち上っているので内部はまだ熱を持っているようです。ステゴザウルスの背びれみたいに、ゴツゴツした熔岩でした。粘性が高いので山の斜面で止まったようです。また、火口の東側からも熔岩が出てきていました。盛り上がっているので溶岩ドームみたいです。私との距離は1kmちょっとでしょうか。今にも噴火しそうでとても不気味でした。
 先の九州一周のとき、雲仙普賢岳に立ち寄りました。そのときはまだ何も起こりませんでしたが、その数ヶ月後の雨の日に火砕流が発生しました。地震学者や救出に向かった警官を含めて40名以上が犠牲になり、家屋や田畑が火山灰に埋まってしまいました。後日、再び現地を訪ねました。ちょうど十番目のドームが形成されていて、木々の生えた山々に混じって灰色のはげ山はとても目立ちました。まるでジオラマのようで、怪獣映画の特撮現場でした。そのときでした。突然サイレンが鳴り響き、思わず山の方を見るとドームが崩れていました。そして、こちらに向いてやってくる灰色の煙。私を含めて周辺の人の顔色が変わりました。火砕流発生です。500~1000℃の熱風が有毒ガスとともに押し寄せて来ます。巻き込まれると一溜まりもありません。窒息か気道火傷(やけど)になるからです。そのとき思ったのは逃げることではなく、火砕流に向かって撮影したカメラをどうやって守るかでした。私の身体でうまく包めば、後日誰かが回収して現像してくれるのではないか。今から思えば笑い話ですが、危機迫る状況でそんなことばかり考えていました。さて、私は無事でした。どうやら全部が崩れたのでなく、勢いが弱かったみたいでここまで届かなかったです。こうして九死に一生を得ました。
 そんなことを思い出しながら、道端に停車してしばらく眺めていました。少し足下が揺れたような気がしました。火山性微動かな?後日、活動が活発になってきたというニュースが飛び込んできました。ドームの周囲は不毛の地になっていて、何だか月面とかどこかの惑星の表面みたいです。銀色の宇宙船とか似合いそう。早く沈静化してくれることを願います。








2020年2月23日(日)
硫黄山の噴火


 大浪池を後にして、えびのミュージアムセンターまでやって来ました。ここで道は三叉路になるけれど、小林の方へ向かう県道は不通でした。途中の硫黄山が猛烈な噴気を放出し、道の一部が崩壊しているからです。映像でしか見たことがありませんが、道のほぼ真横というか真下から大量の蒸気や火山性ガスを出しているのです。熔岩流出こそありませんが、これもれっきとした噴火です。そんなところで火山活動に遭遇したら、命がいくつあっても足りません。
 センターには広い駐車場がありますが、10台くらいしか停まっていません。今日も寒くて見どころもなく、交通の便も良くないからでしょうか。ここから韓国岳を眺めると、火口が大きく割れていてまるで2つの山みたいです。朝日に照らされると、凍っている白い部分と岩肌むき出しの灰色の部分、そして影になった部分の対比がまずまずです。その北側に噴気がよく見えました。
 小高い丘の向こうに白い蒸気が上がっています。今も活動が衰えていないようで、時折ものすごい量の蒸気がボワッと出ています。山川の地熱発電所みたいでした。二酸化硫黄や硫化水素も発生しているようで、風向きが変わると少し刺激臭や腐卵臭が漂います。これらの気体は無色透明なので、発生しても臭いをかがないとわかりません。ただ水蒸気と共に噴出するから、白い蒸気を見ていれば大体の噴出量を推測できます。
 センターでいろいろパンフをもらいました。ハザードマップもありました。霧島山系は活動期に入っているため、いつどこで噴火が起こるかわかりません。韓国岳や大浪池のカルデラも例外ではなく、常に注意を払う必要があります。ふと県道を見ると、通行止めの柵を開けて緊急車両(サイレンなし)が硫黄山へ向かいました。近くまで寄って目視で観測するのでしょう。危険と隣り合わせで大変です。少なくとも私たちは自分のことは自分でして、彼らの負担を少なくする義務があると思います。当然、危険地帯に勝手に入ってインスタするような人は論外です。






2020年2月22日(土)
寒風の大浪池


 大浪池(おおなみいけ)のビューポイントに到着しました。木製の遊歩道が整備されていました。これも以前になかったものです。林間から広場に出ると、・・・メチャクチャ寒風が吹き付けてくる!かなり強くて油断すると荷物が飛ばされそうです。体熱が急速に奪われていき、手の感覚がなくなっていくのがわかります。・・・とここでリスタート。体温が元に戻っていきました。奮え産熱により熱が発生したからです。カイロの代わりにサポーターを巻くだけで十分です。
 池の水面はやや薄青い感じでした。空が曇っているためです。クマザサのような下草と灌木が生い茂っていました。ほとんど枯れていたけれど。池の周りはきれいに丸くてすり鉢状になっています。陽が当たりやすい西壁は地肌がむき出しで、陽の当たりにくい東壁には残雪がありました。このように観察している間もビュービューと吹き付けられていました。
 対岸にそびえるのが韓国岳(からくにだけ)です。大きな火口を持ち、南の火口壁が最高峰(標高1700m)です。ちなみに大浪池火口壁は1300mくらいです。西側を進むと池の対岸に達し、そこから直登すれば1時間くらいで登頂できます。今日は凍っているので無理でしょうが・・・。霧氷が見えるし、足下の霜柱はでっかいし、水溜まりは凍っているし、やっぱり無理でしょう。そう言えば氷も鉱物らしいです。すぐ融けるから保存は難しいけれど、南極の氷の単結晶とか日本の探検隊が持ち帰っています。
 ゴツゴツした熔岩ばかりでした。その熔岩の上に登って池を見下ろしてみました。さっきより丸さがよくわかりました。風で飛ばされそうになりながらも何枚か撮りました。帰りはあっさり降りられました。いくつかのグループがまだ登ってきました。へばりかけたカップルからあとどれくらいか尋ねられたので、もう5分くらいと返答するとうれしそうに気合いを入れ直していました。ちょっとお役に立てて何よりです。






2020年2月21日(金)
大浪池への登山道


 まさかこんなに遠いとは?まさかこんなに疲れるとは?まさかこんな状況になるとは?後悔先立たず・・・という言葉を身にしみて味わっているところです。
 人生初めての長期旅行、その一環で九州一周を計画し、日豊線と鹿児島本線をメインに動きました。○十年前の2月上旬でした。当時はバスを乗り継いでこのバス停で降りて、そこから余り整備されていない登山道を歩きました。石ころだらけのアップダウンの道を、小さなリュックを担いで行けるところまで行こうと思っていました。そう、計画したと言っても細かなところまではノープランだったのです。荷物は霧島神社の民宿に置いてきたしね。そのときは大した時間もかからずに登れたような気がしています。それどころか韓国岳にも登ってパノラマを楽しみ、西側の道を降りて現在のミュージアムセンターからバスで帰ったから。そんなふうに簡単に思っていました。今回も・・・。
 待避壕の横の登山道から登りました。すでに数台の車が停まっていて、先行者がいるようでちょっと安心しました。気温は一桁以下で、風がある分だけ体感温度はもっと低そうです。それでも歩けば暑くなってくるので、途中で脱ぎやすい服を着ました。食料と飲料、余備の着替えとタオル、カメラなどを持って行きます。少し歩くとすぐに息切れがしてきました。標高はそう高くないのでただの運動不足でしょう。最初はやや薄暗い林の中でしたが、上に進むにつれて間が空いて明るくなってきました。足下の熔岩を利用して石段やタイルを貼っていました。昔に比べると歩きやすくなっているんでしょうね。途中で何本か木が切られていました。年輪からすると前回の訪問時には立っていた樹木のようです。何となく以前の知り合いがいなくなったように感じました。
 歩き出して1時間くらい。ようやく林間に山頂部が見えてきました。最初は北西に進みましたが、そのうち南東向きから北東へ続いていました。日が照ってきたので、天候は持ち直しそうでした。






2020年2月20日(木)
赤茶けた春日鉱山

 4つめの金山は枕崎市の西部にありました。番屋山の風力発電所を間近に見上げる小高い丘の上に、赤茶けた山肌と古そうな施設があり、「春日鉱山」の文字が読めます。岩戸ほど大きくはないため、近くに駐車してぐるりと周りを歩いてみました。
 ここも稼働を止めていますが、赤石と同様に従業員がいます。社有地ですから部外者は立ち入り禁止です。そこで、その敷地から外れた山道とか斜面とかを探してみました。思ったとおり個数は少ないものの、廃棄された石が道に落ちていました。
 表面は赤茶けて汚らしいです。持ってみると重くてたても硬そう。手持ちの小ハンマーではなかなか歯が立たない。何とか割ってみると、硫化鉄鉱のような金属鉱物が含まれていました。さすがに金とかは出てこないでしょうが、しょぼい鉱物なら採取できそうです。そう言えば十年前に物々交換して入手したルソン銅鉱もここが産地でした。小さな孔が開いていて、そこに様々な鉱物を含んでいたりします。
 でも労力の割に合わないです。珍しい鉱物が普通に採れるなら未だしも、この硬い石を橋から割ってみても硫化鉄鉱くらいなら面白くないでしょう。こうして薩摩の金山巡りは、ここに来たという実績作りで終わりました。




2020年2月19日(水)
枕崎市街と岩戸金山

 街に入る前に全体が見渡せる高台にいました。開聞岳から車で50分くらい。海岸線をずっと西進すればたどり着けます。市街地は南を海に、他の三方を山に囲まれていました。ようやくカツオ節の街にやって来ました。海産物市場もあってそちらも回りたかったけど、まず駅前に行きました。小さな商店街があってそれなりにきれいな街でした。人通りが少なくガランとした感じでした。まるで愛媛の宇和島のような雰囲気でした。
 東側にあるのが岩戸山です。ここも金山として今も稼働中です。高台から赤茶けた山肌が見えました。採掘現場でしょう。正門に通じる道の看板には、毎日2回発破をかけるので危険だと書かれていました。その時刻まで待ってみると、確かにバーンという音が聞こえました。ここももちろん侵入禁止ですが、無断で入ってくる者に苦労しているみたいです。
 養豚場と茶畑がありました。最初はこの施設を金山と間違っていましたが、独特の臭いがするのでわかりました。国道から急な上りですが、逆から行けばダウンヒルさながらに走れます。思わず3回も走ってしまいました。なお、ここからも遠くに開聞岳が見えました。




2020年2月18日(火)
赤石鉱山と茶畑

 金鉱を採掘していた鉱山で、今は稼働していないが残務処理やその他で働いている人がいます。正門はしっかり施錠され監視カメラまであるとか。正面にバス停があるので間違えることはありません。褐色のズリみたいなのが見えますが、有刺鉄線が張られてあったりして侵入は難しそう。それはともかく社用地だから、外部の者は立ち入り禁止で当たり前でしょう。最近も誰か無断侵入したらしくて、ネットでここから出た硫黄などが売買されていました。ズリをひっくり返しても金なんか出てこないのに・・・。
 周辺は知覧茶の産地で、見渡す限りずっと茶畑が続いています。きれいに刈り込まれているので、最近お茶の葉を摘んだのでしょう。小さな風車も回っています。遅霜を防ぐため畑の上の空気を攪拌するのです。まっすぐに道が延びて見晴らしが良かったです。
 さて、あといくつか鉱山とか鉱物産地を回ってみましょう。果たしてどういう場所なのか、初めて行くときは期待と不安でいっぱいです。しかし、これらを積み重ねることで後に貴重な体験となるのです。なお、この鉱山は「あけし」と読みます。




2020年2月10日(月)
串木野の川原の水晶

 串木野鉱山を見に行きました。とは言っても工場は見学できないし、酒の醸造工場に行っても昔の坑道跡が酒蔵になっているだけです。この鉱山は4つほどの支山からなっていたので、山道が続いている荒川周辺に的を絞ってみました。
 地元の方の話によれば、水晶が採れるとのことでした。とは言え、範囲が広いため場所の特定は困難です。そこで、山中の探索をあきらめ川筋に沿って探すことにしました。適当な川原に降りて白い石、つまり石英を探しました。上流部にはそれがほとんどありませんでした。しかし、だんだん下流へ移動していくと、それらしい石が少しずつ増えていきました。
 河口近くまで来ると、積み上げて小山ができるくらいの量が見つかりました。まず、外観は清越鉱山や尾小屋鉱山の金鉱石に似ています。白地に褐色の筋が走り、細かな水晶が見て取れます。
 夕暮れが近かったので、いくつかめぼしい物を割ってみました。すき間に水晶がありました。紫色じゃなくて緑色をしています。照りは今一つで、水晶(クォーツ)というより沸石(ゼオライト)みたいです。形もいびつなので変形水晶ということにしておきましょう。




2020年2月9日(日)
ロケット発射!


 長崎の鼻の突端に灯台があります。この周辺は岩場だらけで海の難所でもあるからです。余り高さがないですが、下から見上げるとスックとまっすぐに立っていました。まるで発射を待つロケットのようです。そして、ここまで来た理由の1つもそれです。
 ソテツが生い茂っています。野生のソテツの北限地の1つがここです。遊歩道の周辺に密集して生えていました。北東を見ると先日までいた竹山が見えました。砂蒸し風呂のある場所です。海上に島が突き出ています。「俣川州(またごし)」という標高44mの山です。その周辺もソテツの自生地になっています。亜熱帯の植物が間近で見られるのは貴重です。
 さて、そろそろ時刻になりました。リュックを降ろし、カメラを望遠レンズに切り替えて待機します。本日のイベント「ロケット打ち上げ」が始まるのです。様々なトラブルにより延期となっていたロケットが、種子島宇宙センターより打ち上げられるという情報を知ったのは数日前でした。センターにはまだ行ったことはありませんが、○十年前に種子島で宿泊したことはあります。そのときから、一度はロケットを見てみたいと思っています。それを知って日程を調整し、この日を迎えました。
 長崎の鼻からセンターまで直線で100kmあり、ちょうど佐多岬の突端の延長線上になります。高度50~100kmくらいで東の方へ機首を向けるとすれば、仰角30度くらいが狙い目かと思われます。ところが、雲がかかっているためカメラに納めるどころか目視も厳しい状況でした。打ち上げ予定の10時34分になりました。あいにくリアルタイムでの情報は入らないので、ひたすら計算した方向を撮り続けるしかありません。
 10時39分くらいだったでしょうか。見ていた方向のやや上の雲間からギラッと白く輝きました。ほんの一瞬でしたが、他の人も視認したようで見間違いではないようです。残念ながら写真は撮れませんでしたが、土産物屋の人からおめでとうと言われました。思わずタップリお土産を買ってしまったのはナイショです(笑)。






2020年2月8日(土)
長崎の鼻で砂拾い

 最南端の「長崎の鼻」に来ました。実に○十年ぶりです。前回は観光バスで周り、ここで「ザボン」を買って送った記憶があります。その頃にフラワーパークはあったのか、そっちは記憶ナシです。
 できるだけ近い駐車場に停めて、コンクリの道を歩いて下りました。赤い鳥居があります。お参りを適当に済ませて(ここはね!)、更に先へと向かいました。地元の人が言ったとおり、岩場になっていました。たまたま引き潮だったのか、沖の方まで岩が現れています。岩は滑りそうで危ないですが、何人も降りて歩いていました。また、磯釣りをしている人もいて楽しそうでした。
 西には相変わらず開聞岳が見えます。海の上にぽっかり浮かんでいるようで、とても風景にマッチしています。砂浜が黒いのは砂鉄でしょう。開聞岳の熔岩が波に浸食されて風化され、細かな粒子になったと言われています。
 浜まで降りて砂を手に取ると、黒い粒子に混じって黄色またはくすんだ緑色の透明な粒子が見られます。それが宝石質の「かんらん石」、すなわち「ペリドット」です。とても小さくてほとんどが1ミリ以下ですが、希に3ミリ以上の大玉に当たることも。ただし、ちまちま採るので小瓶一杯にするのにかなり時間がかかります。
 砂鉄は熔岩から分離した物で、おそらくクロム鉄鉱からなると思われます。磁石を近づけるとかなりの量がくっつきました。真っ黒と言うより少し緑がかっているように見えます。また、透明なガラス質の粒子は水晶でしょう。他にも軽石や火山岩などが含まれていました。こうして、思わぬところで鉱物採集となりました。






2020年2月7日(金)
吹上浜公園の浜砂鉄

 薩摩半島の西海岸は「吹上浜」と言われ、南北30kmにわたり砂浜が続いています。九州自然歩道や自転車道が整備され自転車でずっと往来できますが、今回はずっと車の移動でした。でも効率を考えて、南部の吹上浜海浜公園ではなく中部の吹上浜公園にしました。
 砂防のための松原をくぐり抜けると、視界が一気に広がりました。邪魔物がないので北西風がとてもきついです。火山灰じゃなくて砂がバンバン飛んできました。先客が数人くらい居ました。はるばる京都から投げ釣りに来た人もおりました。砂地であるためそこを好む魚が釣れるそうです。それにしてもかなり遠くから来ている。・・・砂鉄採取のために来ている自分も他人のことは言えないか?
 低い砂丘を越えると浅い海が現れました。砂には所々に黒い筋が見えます。手ですくってパラパラ落とすと、その粒子がキラキラ光ります。頴娃や前之浜の物とよく似ていました。海藻や貝殻も散らばっています。軽石が見られるのはさすが九州だと思いました。
 南北を見やると、遠目に連なる山々が見えました。北には誰もいない砂浜がずっと続いています。南には遠くを歩いている人がいましたが、何をしているかわかりません。そして、真っ正面には釣り人が3人です。白波が立つ海に針を投げ込んでいます。釣果はどうでしょうか。
 ここは夕日のスポットです。しかし、それを見に来たカップルがここで失踪しています。不審な人物や船を見ていないか、啓発看板が立ててありました。ちょうどこの時期、沖の島に某国の秘密基地があったことがわかっています。人気のないところは油断も隙もありません。行かれる人は十分気を付けてください。行方不明の方々が早く戻られることをお祈りします。






2020年2月6日(木)
頴娃の浜砂鉄

 なかなか読み方が覚えられなかった場所です。頴娃と書いて「えい」と読みます。開聞岳のすぐ西側にあり、風がとても強い地域です。高台から西へ延びる海岸線を見ると、かなり黒くなっていました。砂鉄です。
 鹿児島県立博物館の学芸員さんの話では、こういった砂鉄産地がいくつかあるそうです。砂鉄や製鉄のことを詳しく書いた資料もいただきました。それによると、薩摩半島東部に3ヶ所、南部に2ヶ所、西部に3ヶ所に産地があります。これらは主なものであり、更にその周辺にもいくつかあったようです。
 国道から外れて集落に向かいました。ところが、道路工事中で道が閉鎖されています。回り道の指示がありましたが、これが・・・ものすごくわかりにくい。何度か堂々巡りを繰り返してやっと砂浜に到着です。キラキラと黒く光る砂鉄がわかりました。水に濡れていなくてもよく光ります。山川や喜入より多そうでした。
 逆光の開聞岳が黒く見えます。どこから見ても円錐状でとても整った形です。ここにずっと住んでいる方々は、毎日この風景を見ている訳です。私たちが吉野川とか剣山を見て生活しているようなものですね。




2020年2月5日(水)
鹿児島南部の駅3つ


 早朝から昼までにいくつかJRの駅を回りました。鹿児島から南へ延びるのは、「指宿枕崎線」です。単線で1両だけの電車、否「ディーゼル機関車」が走っています。全国的に電化されて消えつつある汽車ですが、このような風景にはやっぱりこっちが似合います。
 小さな温泉旅館を出て、指宿駅前に行ってみました。人はほとんど見かけませんが、それでもタクシーが数台停まっていました。朝一で温泉に来る客がいるのでしょうか。有名な温泉ですが、その窓口に当たるこの駅は、思ったより少し小さくて落ち着いた感じでした。
 次は、事前に調べていた西大山駅です。国内最南端の駅で、確かに緯度で言えばもっとも南に位置します。看板に沿って田畑の真ん中を走る農道を突っ切りました。踏切を越えて南へ曲がるとそこが駅前でした。すでに数台の車が停まっていました。
 間もなくカンカンという踏切の音が聞こえ始めました。皆がカメラの準備をしています。やがて開聞岳の方から白い車体が現れました。黒い山体と黄色い菜の花がマッチしてきれいです。その間からやって来た汽車はホームに静かに停車しました。・・・降りる人は誰もいません。また、乗る人もいませんでした。そして、再び汽車は静かに発車しました。
 終着駅の枕崎駅は、そのとおりの雰囲気を醸し出していました。小さなバスターミナルとタクシー乗り場があり、薩摩半島南部の中心都市でもあります。カツオのオブジェや時計台のような駅舎も印象的です。入場券を持っていないのでホームには入らず、改札口からカメラだけ突き出して撮影しました。鹿児島中央駅のように車止めがありました。また、バックミラーには私の姿が映っていました。
 ふと撮り鉄の友人を思い出しました。彼から写真集をもらっていたので、帰郷してからまた見てみましょう。楽しみです。






2020年2月4日(火)
山川地熱発電所を見学


 ここにあるのを知りませんでした。最初は温泉施設かなって思っていましたから・・・。でも大がかりな設備を見てもしやと思い、そして看板を確認して見学に行きました。
 畑の真ん中にありました。県道ではなく農道みたいな細い道を走り、案内矢印のとおりに進んで駐車しました。施設内では九電の担当の方が説明してくれました。時間がなくてショートコースでしたが、発電機やタービンなども見せてもらいました。
 熱源はこの近くの竹山の地下数kmにあるそうです。パイプを500mも降ろして、そこから高温水蒸気と熱水を採取しています。得られた水蒸気でタービンを回し、それで発電機を回して電気を発生させているのです。風力発電同様に自然のエネルギーを利用しているため、CO2も排出されず環境への影響が少ないと言えます。
 ただし、熱水にはカルシウムやマグネシウムが含まれ、炭酸塩や硫酸塩が付着してパイプが根詰まりします。また、金属にとって劣悪な環境なので、早く腐食するのも問題です。コスト的にはどの発電方法が良いか、私にはわかりません。でも身近に使えるエネルギー源があるなら、それを利用することは重要だと思いました。・・・ところで、熱源ってマグマだまりじゃないよね。




2020年2月3日(月)
山川の砂蒸し

 指宿市街を横目に南下して、途中で西へ方向転換。さらに国道226号線から南下すると山川です。徳島県で山川と言えば高越山のことですが、ここの山川は切り立った断崖と海との境界でした。
 まず、前方にむっくりと起き上がったような岩山が見えてきました。標高202mの「竹山」です。ソテツの自生地でもあり、特別天然記念物に指定されています。近くに寄るとほぼ垂直に立っていて、海側は赤茶けた断崖絶壁でした。鳥とかコウモリが巣作りでもしていそうです。山頂に神社があるとかで、登れば見晴らしが良さそうです。その手前の白煙を出している施設は発電所のようです。
 この辺りは浜児ヶ水とか岡児ヶ水とかいう地名が付いています。「ちよがみず」と呼ぶそうで、それぞれが小さな集落を形成しています。街中を突っ切って県道に出ると、一面が緑の畑になっていました。冬季でも十分な日射量があるし、気候も温暖なのでいろいろと野菜や果実を栽培しています。また、岬の突端に近くフラワーパークがあり、きれいな花が咲き乱れていました。さすがは南国です。
 指宿から離れたこの海岸に砂蒸し風呂がありました。盛んに湯気が立っていて、高温の熱水が上昇してきているようです。残念ながらこれに入浴する間もなく、テトラポットの向こうに広がる砂浜に下りました。ここに降りられる道は1本しかありません。地図もわかりにくく何度も往復してようやく見つけると、車で急角度で降りていくきつい道でした。
 駐車して浜の方へ歩きました。先まで道はあるけれど車は無理でした。ポットから飛び降りるようにして浜にたどり着きました。砂は余り黒くありません。砂鉄の含有量は少なそうです。それでもおそらく二度と来られない場所なので、袋一杯に詰め込みました。
 ふと西を見ると開聞岳が少し近くに見えました。この辺りのランドマーク的な存在です。山影がとてもきれいでした。






2020年2月2日(日)
喜入の浜砂鉄

 レンタカーで薩摩半島東岸を南下します。天候が回復して晴れてきました。道の駅がある喜入(きいれ)には石油備蓄基地がありました。道理で同じ石油メーカーのGSばかりだと納得しました。物色したけれど特に欲しい物はありません。裏は砂浜ではなく運河でした。
 さらに移動すると、北限マングローブがありました。H28年に降雪があり、一時は枯れてしまいました。マングローブに白い雪が積もるというあり得ない取り合わせに、当時のニュースでもガンガン言っていました。今はかなり復活してきて、林と呼称するのは無理でも茂みくらいにはなっています。それにしても自然の営みにはすごいものがあります。
 対岸の大隅半島では桜島が噴火していました。南だけから噴煙が立ち上り、北西風にあおられて南へ大きくたなびいています。時間があればそこへも行ってみたいです。
 前之浜駅から国道を挟んだビーチに、黒い筋のような物が幾本も走っていました。どうやら砂鉄のようです。細かな黒い粒子で、光に当てるとやや青みがかることがあります。純度が高そうなので少し多めに採取しました。分離が楽しみです。




2020年2月1日(土)
久しぶりの鹿児島到着!


 徳島からJRで7時間かけて、鹿児島までやって来ました。実に○十年ぶりの地です(毎回こんなこと言ってる気がする・・・)。乗車した九州新幹線「みずほ」とか、終着駅の鹿児島中央とか、初めてのことも多かったです。あえて自由席の1号車に乗り、駅についてすぐ前を見れば線路が切れている。本当にここが終点だなって感じられます。
 今回は大きく3つの目的がありました。先進校の視察、研究のための採取、科学祭りのための採取です。予定を消化するため滞在が長丁場になりそうで、うちで一番大きなスーツケースを用意しました。着替えとタオルを十分準備して、非常用持ち出し金も動員して、物資と金銭をかき集めました。
 まずは、今夜の宿舎です。駅から少し離れた温泉宿を確保しました。料金の安さも魅力ですが、快適さもある程度必要です。そこを上手く妥協して立地条件もカバーできる場所でした。夕食は頼んでいなかったので、近くの繁華街に出かけました。有名な天文館のアーケードは明るくて清潔感がありました。天気が良くないせいか人通りが少なく、外では雨脚が強まっています。やや寒かったので、薩摩風とんこつラーメンを大盛りで食べ、ついでにチャーハンも注文してやっと一息つきました。
 この日は早めに温泉に入って休みました。明日からの英気を養わねば・・・。




2019年10月29日(火)
本土航路は石垣空港から


 長かった小旅行(?)もようやく終わりです。これから寒冷前線を追いかけて日本列島まで戻ります。夕食はご当地バーガーでした。余り食べ過ぎると眠たくなってしまうので・・・。
 行きの翼はウサギでしたが、帰りはヤマネコです。クイナを見られなかったのが心残りです。離陸して空高く舞い上がると、西日が一際光っていました。雲のじゅうたんの上を飛行機が静かに飛んでいきます。日が暮れてくると雲が濃い青紫色になり、雲間から赤い光が飛んできます。あいにくカメラは頭上のロッカーに入れていたので画像を撮れませんでした。でもとてもきれかったです。
 2時間のフライトで関西空港に着きました。外は予想通りの大雨です。風も強くてこれは荷物を入れるのに手こずりそう。半分濡れながらも、何とか荷物と人を車に押し込めました。連絡橋も横殴りの雨で視界が悪いです。前の車のランプを頼りに車線に沿って走りました。ごうごう吹雪くような音の中で恐る恐る走り続けます。ようやく神戸に入ったところで天候が持ち直しました。
 3ヶ月も経たないうちに、まさか沖縄へ2回も行くとは思いませんでした。でも久しぶりの西表島には感慨深いものがありました。次があれば波照間か与那国、それとも尖閣諸島かな?!ふっふっふっ。




2019年10月28日(月)
宮良川のカヌー授業


 この日は平日でした。学校のある日です。しかし、久しぶりの休暇ですから、仕事はそっちのけでいろいろと体験しました。さて、沖縄本島や西表島のマングローブを見てきましたが、ここ石垣島のはまだでした。そこで、地形図に案内があった場所へ見に行きました。
 橋のたもとから川まで降りられました。褐色の泥からなる岸辺と川の水面が同レベルにあります。気根が突き出ていて、その間をトビハゼやカニ、ヤドカリなどが忙しそうに動き回っていました。カヤックが停留していました。しばらくすると、河口から何艘ものカヤックが遡って来ました。コーチの指導の下で、訓練というか体験をしています。観光客なのかそれとも地元の学生の課外授業なのか、よくわかりませんが楽しそうでした。私もやってみたいです。
 河口から流れ出た泥はミネラルを含んでおり、プランクトンの栄養素になります。豊潤の海なんていうキャッチフレーズが頭に浮かび、今夜のご飯は海産物に決定しました!




2019年10月27日(日)
展望台から石垣島を見渡す


 観光バスでは行かれない場所に行くには、やっぱりレンタカーが一番です。しかし、免許証は必須としてETCカードも必要だったりするわけで、それを忘れると大変なことになります。先の沖縄旅行では、空港の搭乗口ゲートに入場してから気が付きました。出発30分前です。あわてて保安員に事情を説明し、一度外に出させてもらいました。幸いなことに空港駐車場に停めていたので、10分で戻ることができました。もし空港外の安い駐車場に停めていたら間に合わなかったかもしれません。冷や汗ものでした。
 さて、石垣市南部の市街地から島内中央の山岳部へ移動しました。到着時に飛行機の窓から見えた山々です。これらを中心にぐるりと国道が走り、緑の田畑が広がっています。水田もありますが、サトウキビやパイナップルなどが多いようです。枯れたススキのように見えるのがサトウキビで、手に取れば太い竹のようで、中には白い繊維が詰まっています。それに白くて甘い汁が含まれていて、煮詰めれば砂糖になるわけです。道端の店でかぶりついてみました。シャクシャクしています。歯で押しつぶすと薄くて甘いものが出てきます。少しかんでから繊維は道端にぺっ・・・。ディスポーザーが分解してくれるから、少しくらいなら大丈夫です。
 ジャングルが一面に広がっています。四国なら杉とか檜とか落葉低木とかの雑木林ですが、ここはさすがに亜熱帯だけあって見慣れない草木が多いです。カンムリワシも生息していて、ダム湖のポイントで時折見られるとのことです。遠くに離島が見えます。竹富島なんか意外に近かったのですね。黒島らしき島影も見え、海のグラデーションがきれいです。旅の終わりでようやくこのような景色に出会えました。






2019年10月26日(土)
やいま村の踊り


 石垣島西海岸の丘の上に、いつの間にか娯楽・体験施設ができていました。昔の家屋を移転して、一堂に見学できるようになっています。観光バスが来るとお客が増えて動きにくいので、朝一番でさっさとやって来ました。
 一通り園内を見て回り、展望所からも眺めてみました。遠くに西表島や竹富島、小浜島などが見えました。ちょうど干潮だったので、遠浅の海岸線は沖の方まで褐色の海底でした。潮干狩り・・・はできそうにないですが、岸から波打ち際まで500mくらいは歩けそうでした。
 定刻になったので、地元の団体の方が踊りを見せてくれました。見物客全員に拍子木のようなひもの付いた木片が渡され、それをカチカチ言わせて音頭をとります。最初に来た私たちは最前列でそれを見ました。酒か何か入った一升瓶を頭に立てたり、バランスをとって寝かしたり、様々なパフォーマンスを披露してくれました。三味線や太鼓、室内の飾りや置物にも関心を持ちました。
 帰りに、アズキ入りかき氷をもらいました。ちょっと寒かったので、全部は食べられませんでした。鍾乳洞よりはマシですが。




2019年10月25日(金)
離島航路は石垣港から


 石垣島から各離島へ移動するには、石垣港近くを拠点にするのが便利です。前に来たときは、上の画像に見える高いホテルに泊まっていました。石垣の中心街にも近いので、食事や買い物も助かります。そして、大雨が降ってきたときもすぐに待避できます。結局、この旅行ではずっと雨に祟られてしまいました。はぁ~。
 仕方なく今日は部屋でごろごろしていました。無理に外へ行くつもりはありません。少し疲れも出てきたことで、貴重な時間を使って二度寝しました。朝食後に睡魔に襲われ、そのままベッドにバタンキュー。いつの間にか、いびきをかきながら寝ていました。ハッとして目を覚ますとお昼前!思ったより寝込んでしまったようです。昼食を食べに階下に降りていきました。
 レンタカーで島内巡りしました。と言っても近場だけですが・・・。鍾乳洞みたいなのがあると聞いて行ってみました。くねくねした道の先にそれがありました。しかし、受付もおらずクーポン券をどうしてよいかわかりません。ウエルカムドリンクがあると書いていましたが、それもわからない。せめて来園した客にわかるように掲示でもすべきだと思いました。
 鍾乳洞らしき場所に行きました。階段を降りていくと、宗教色が満載の異質な空間がありました。本当にここだったのか。鍾乳洞って2つあるのかな?少し中に入ってみました。何というか、確かに鍾乳洞だけど誰一人従業員がいないし、朝から誰も見ていないのが気に掛かります。アナウンスもないしね。怪しさ満載だったので、早々に引き上げました。
 外はすっかり晴れていました。空はまだ白っぽいですが、海はかなり青さを取り戻しています。コーストガードの白い船がよく目立ちます。ここは辺境の地で隣国との国境線ならぬEEZが近いです。尖閣諸島も近いし、僅かながらも緊張感が漂っていました。現実に戻ってきた感じです。






2019年10月24日(木)
水牛車で由布島から


 島の反対側つまり東側の砂浜に出ました。マンタのオブジェがお出迎えです。砂はやや黄色みを帯びた白い粒で、少しだけ有孔虫が含まれています。小浜島がよく見えました。私はまだその島には上陸したことがありません。いかにもリゾートっていうのはちょっと敬遠しています。
 さて、そろそろ戻る時刻になりました。大量のお土産を抱えてゲートに行くと、西表に戻る人たちであふれていました。大半はバスツアーの客でした。私たちは個人だったので、先に水牛車に乗りました。帰りは音楽もナシで静かに揺られていました。名残を惜しむかのように、たまたま最後尾に乗っていました。ふと島の方を見ると、水牛車が対向している場面がありました。余り見られない光景というので、カメラに納めました。
 次に、さっきのツアー客を乗せた水牛車が一斉にこちらへ渡り始めました。十台くらいが一気に押し寄せてくるのはすごい眺めです。別に競争している訳じゃないのでのんびりしています。島をバックにして何カットか撮りました。こうして久しぶりの由布島観光を終えました。あっ!パパイヤの畑がどうなったか聞くのを忘れていました。やや青臭いサラダの味をみたかったのに。今度があればやってみよう。




2019年10月23日(水)
由布島の学校跡


 島へは水牛車のまま砂浜に乗り上げて、ゲートを通って入りました。まず、大きなガジュマルの木が現れました。キジムナーでも出てきそうです。ひょっとするとどこかから私たちを見ているかもしれません。水木しげるの影響かな?次に、水牛の碑がありました。別に水牛たちのお墓ではなく、そのままの意味だそうです。碑の手前にある石はシャコ貝の化石でした。
 島内を自由に散策しました。小さな島ですが、全体を回ろうとするとかなり時間がかかります。道が迷路のように入り組んで、木立が視界を妨げるため案内板がなければ迷ってしまうでしょう。島の中央やや北に「由布島小中学校跡」がありました。正門と公民館みたいな古い建物しかありませんでしたが、このような所にも学校があったのですね。しみじみと昔を感じながら、しばらくそこに立っていました。
 近くに展望台がありました。登ってみたけれど周辺の樹木の方が高いため、眺望はほとんどありません。園内を俯瞰しようとしても余り見渡せないのがちょっと残念でした。お土産屋があったので、ちんすこうや水牛のキーホルダーなどを買いました。ここだけ限定品・・・などと言われると、消費者心理がくすぐられてついつい買ってしまいますね。




2019年10月22日(火)
水牛車で由布島へ


 少し天候が回復したので、島に渡ることにしました。ここでも水牛車が活躍しています。西表島と遠浅の海峡を挟んで東側に位置するのが、小さな由布島(ゆぶじま)です。長径700m、周囲3kmくらいで、標高もかなり低いです。島全体が植物園みたいな感じで、何十年もかけてこのような環境を創り上げてきたそうです。
 駐車場で待っていると係から案内があり、先頭の水牛車に乗り込みました。船頭さん(船頭じゃないけど・・・)と水牛には互いに相性があり、一人には同じ一頭が対応しています。相棒みたいなものでしょうか。どちらかが体調不良になると仕事も休みだそうです。
 さて、砂の上をゴトゴトと進み始めました。やがてチャプチャプという音に変わると、足下は海水です。深さはせいぜい数十cmで、歩いてでも渡ることができます。距離が目算で400mあり、実際にはちょっとしんどいかもしれません。曇天だったので水面も灰色でしたが、日が差してくると淡い青色になります。海峡の真ん中に来ると周囲は水ばかり。まるで船に揺られているようでした。10分くらいで対岸に着きました。もう少し乗っていたくて名残惜しいですが、思い切って飛び降りました。ミナミトビハゼがびっくりしていました。




2019年10月21日(月)
イリオモテヤマネコ


 イリオモテヤマネコを見に行きました。と言っても、飼育している個体ではなく剥製です。イエネコ程度の大きさで、爪を完全に隠しきれないムカシネコの仲間とか聞きました。西表野生生物保護センターには、数体の剥製や他の動植物標本、わかりやすい地図と解説などがありました。平日にも関わらず、何人かの観覧者が熱心に見ていました。
 前に来たときこの施設はなかったのですが、レンタカーで走っているとちょうどこの辺りでネコが飛び出してきました。黒っぽい虎毛のようなネコで、見た目はイリオモテヤマネコそっくりです。急停車してカメラを持ってすぐに降りようとしました。ところが、面白いことにそのネコが私の眼前であくびしたのです。はっ?えっとこれってヤマネコじゃなくてイエネコなの?結局、写真は撮らずにそのまま数分間ご対面して別れました。
 ピナイサーラの滝が遠くに見えます。橋のたもとにヤマネコの像がありました。うまく滝と重なるようになっていました。両側は海と汽水域のワンドみたいで、当に水に挟まれた一本橋です。駐車スペースもあるので休憩にもってこいでした。と言っても、雨が降ってるのですが・・・。こんな日はヤマネコたちはどうしてるのだろうな?少しもの思いにふけりました。




2019年10月20日(日)
西表の星砂の浜へ


 西表島北部に位置するこのビーチでは、竹富島と同様に星砂が混じっています。主に4つの突起を持つ有孔虫が多く、6つの太陽の砂も見られます。ペンションに駐車して浜への小道を降りていきました。
 台風の影響で強風が吹いていましたが、天候は少しずつ持ち直しているようです。外洋の波は荒く白波が立っています。でもこの内海は穏やかで、シュノーケリングをしている人もいました。海は徐々に青さを取り戻し、泳ぐ魚やサンゴが見えそうです。砂浜にはサンゴの欠片や小さな貝殻、海藻やビーチグラスもありました。そんななかに魚まで打ち上げられていました。ちょっと気の毒でした。
 星砂の採取は禁じられていませんが、地元感情では余り採って欲しくないようです。すでに竹富島で少量採取しているので、ここでは持ち帰るのを止めました。どこかの島人のようにもったいぶった言い方しないで、素直に止めてって言ってくれたらしないのにね。砂鉄はなさそうでした。徳島の田井ノ浜みたいでした。
 展望レストランで昼食です。ソーキそばやシイラの刺身などが出ました。シイラは銀色の大型魚で、ハワイではマヒマヒとも呼ばれます。以前は軽く焼いた物を食しましたが、今回は生だったので初体験の味でした。その後お土産コーナーで物色し、いくつか購入しました。二度とここへ来ることはないかもしれないので・・・。
 






2019年10月19日(土)
浦内川と白浜港


 西表島三大河川の1つの浦内川に来ました。(他の2つは仲間川とクイラ川だと勝手に思っている。)目的は定番のマリュウドの滝までのクルーズした。が、天候悪化と時間が勿体ないのでパス。宇多良炭鉱もスルー。そのまま橋の上からマングローブの観察です。モチーフとして「水際の樹木」を好み、それにぴったりだからです。
 まず、その生態が異様です。酸素の少ない湿地帯に分布し、塩分を含む汽水域にあるというのも驚きです。枝から気根をぶらさげたり、根から上に突き出して酸素を取り込んでいる。タコノキのように根を張りだして強風にひたすら耐える。そして、じわ~と川の浅瀬に侵出していく。何と我慢強く粘り強い植物なのであろうか!
 ・・・と、一人で盛り上がっても仕方ないですね。冷めた目で見られそうで怖いです(笑)。とにかく一面が緑のマングローブに覆われた河川や湖沼など見れば、目と心が洗われるようです。しばらく見ていても飽きないです。そこに鳥とか魚、ヤマネコなんかが来てくれるともっと素晴らしい。
 展望台を降り、西表島周回道路の終点に向かいました。いつの間にできたのかトンネルをくぐると、そこは行き止まりの白浜港でした。この先に道は続いていません。平地が乏しく集落もないため、計画も頓挫したようです。しかし、ここから船で10分かかる船浮集落があります。人口50名くらいで黒真珠養殖をしています。行きたかったですが、時間が足らずにこれも残念。海峡を通して対岸を眺めただけに終わりました。
 帰りは再び港までです。同じ道を帰るのでちょっと面白くないかも・・・と思っていたら、まだまだ見どころや興味が湧くところがたくさんありました。制限速度が40kmで、竹富島の高速道路(?)と同じでした。道端に野鳥が止まっていたり、見慣れない花が咲いていたり、西表どら猫がいたり、あやしそうな雰囲気の店が開いていたり・・・。それらは次の機会に持ち越しです。






2019年10月18日(金)
西表島の仲間川クルーズ


 八重山に台風が近づいているため、雨が強くなってきました。石垣港から第二便で西表島に渡り、そのままクルーズ船に乗り継ぎです。最前列に陣取りましたが、雨よけのシートが張られて視界は今一です。今もポツリポツリと雨だれが降ってきました。
 思ったより広い河口から、上流に向けて川を遡ります。両岸にはマングローブの林が広がり、南の島のリゾート気分をかき立てられます。晴れていればですけど・・・。あいにくと水鳥の姿はなく、「オヒルギ」や「メヒルギ」の立木が連なっているばかりで、少し寂しく感じました。他にも「ヤエヤマヒルギ」とか「マヤプシキ」もあるそうです。まったく区別できないけれど・・・。
 ラッキーなこともありました。本来この時刻の船は仲間川をぐるっと往復だけして終わりなのですが、川岸に上陸することができました。サキシマスオウの木がある場所です。薄い板状の根を持つこの樹木は大変貴重で、記念物としても保護されています。私が見た○十年前はもっと薄暗いジャングルの中でしたが、今回はきれいなウッドデッキが整備されて歩きやすくなっていました。その根で強風から自身を支えるそうで、確かにその間に潜り込めば風よけになりそうです。足下のぬかるみを気にしなければですが・・・。
 私は一番にここへ来て、しばらく周辺を観察していました。動物の足跡や落とし物の確認です。過去にはヤマネコが出没した例もあり、ちょっとだけ期待しました。薄暗い方が野生動物が活動しやすいのですが、如何せん天候がよくなさ過ぎました。こんな日は空きっ腹を抱えて巣穴にこもる方がベターなのかもしれません。ヤマネコだけでなく上位種(と私は思っている)の「ヤマピカリャ」も同様でしょう。他の人が船に戻りだしたので、私も後ろ髪を引かれる思い(?)でここを後にしました。
 帰りの復路では多くの船とすれ違いました。マヤプシキを見に行くツアーもあるようです。次回があるかどうかわかりませんが、今度はじっくり観察してみたいと思います。雨がちょっとだけ小康状態になっています。青空がちょっと見えました。少し期待してもよいのかな?








2019年10月17日(木)
石垣の夜は更けて


 ホテルから少し歩くと、イベントにばったり出くわしました。小雨交じりの広場で、大勢の人が楽しんでいるようです。しばらく雰囲気を味わった後、居酒屋に入りました。
 季節のメニューというので頼んでみると、オオタニワタリの新芽とアダンの天ぷらが出てきました。一般には食べることがない食材で、私も初めて食します。恐る恐る口に入れてみました。前者は・・・ちょっと表現しづらいです。繊維が多くて咬みちぎれない。ほとんど天ぷらの衣だけの味でした。後者は白くて細い繊維ばかりでしたが、咬みちぎることができました。タケノコをちょっと軟らかくした感じで、生のホワイトアスパラみたい?もちろんアグー豚や石垣牛も食べました。
 食後はアーケード街で土産選びです。そんなに大きい店ではないですが、定番のちんすこうや紅芋シリーズがあります。頼まれていたペンギンの辛い油もゲットしました。帰り道にふと立ち寄った店で面白い物を見つけました。最初は水牛角の細工品に目が行ったのですが、皿に入った石ころに気が付きました。これは確か水牛車乗り場にあった鈴石ではないか。「鈴石(すずいし)」とは内部が空洞になった石で、振るとサラサラ音がします。すでに北海道の名寄産を持っていますが、こんな南の果てまで来て目にできるとは珍しいです。産地情報と共にこれもゲットしました。るん!




2019年10月16日(水)
水牛車に揺られて


 何だか釈然としなかったですが、そこは気分を入れ替えて水牛とご対面です。当時はアジア系の水牛ばかりでしたが、最近ではヨーロッパ系もいるそうです。私を乗せてくれた「まあこ」は亡くなっているでしょうが、その子孫はいるはずです。乗車前に水牛に近づいてみました。びっくりして暴れるかもしれないので、ゆっくりと正面から接近しました。曲がった角がすごいです。頭に赤いハイビスカスを飾り付けて、ちょっとかわいらしい感じです。しかし、この子はオスでした・・・。
 お客が全員乗り込んで出発です。白い砂が掃き清められた路地をゆっくりと進んでいきました。曲がり角では水牛自身の判断で外に大きくカーブして、車をサンゴの塀に当てないよう気配りしていました。とても賢いようです。そう言えば、出発のときも自分で横棒を持ち上げて首にかけていました。ゴトゴトと音を立ててのんびり進みます。私の歩く速さより遅いくらいですが、ちょうど良い。民家をのぞいてシーサー像とか昔の貯水槽とか、私たちにとって非日常の世界を味わうことができました。もっともここにお住まいの方々にとっては日常であります。
 近々大きな祭りがあるとかで、お年寄りが子どもたちに振り付けなどを教えていました。事細かに説明しながらできるまで何度でもやり直しです。スパルタ教育でした。でも伝統の継承は大事なことだし、昔の子どもたち(今はお年寄り)という最高の指導教官がいるので尚更です。2時間くらいしてようやくお墨付きをもらって解放されました。ゲンナリしていたのは気のせいでしょうか。
 島バナナが軒下に掛かっていました。モンキーバナナみたいに小ぶりですが、繊維分が少ないとのこと。ゆえに、ジュースにして飲めるので注文しました。待っている間に狭い庭先をいろいろと散策していました。安里屋ユンタ発祥の地も見ていきました。ここも○十年ぶりでした。その後は、波照間とか与那国へ行くのを優先したから・・・。なお、ジュースは少し酸味がありました。






2019年10月15日(火)
星砂の浜と海底探索


 早速グラスボートに乗り込んで、海中を見に行きました。ところが、思わぬアクシデント発生!・・・揺れるんです。本当にメチャクチャ揺れるんです。事前予約していたから待たずに乗船できたのは良いですが、出港してからすぐに大揺れでした。波が窓から入ってきそうです。何とか下を向くと今度は気分が悪くなり、結局は遠くの水平線を見ていました。もう何をしに来たかわかりません。チラっと見えたのはサンゴと熱帯の魚でした。
 ゲロゲロになりかけてやっと上陸して、次は島内観光です。竹富島は石垣港から船で15分にあり、周囲8km、最高点7mの平坦な島です。昔ながらの家屋が残されており、集落を歩くだけでも楽しいです。まず、島の西側にある有名な「星砂の浜」にやって来ました。看板があって誰でもすぐにわかります。また、バスが何台も停まっているからです。南北500mくらいの砂浜が200人くらいの人で溢れていました。これは余り期待できそうにありません。
 この砂浜の星の砂は元々少ないです。と、○十年前にも同じ話を聞きました。星の砂とは「有孔虫の殻」のことで、突起が4つなら「星」であり、6つなら「太陽」の砂と呼ばれています。今では輸入されたりして、土産物屋で簡単に入手できます。プロではないのでその産地までは区別できません。だから、逆説すればここで採れた砂は産地がわかっているので貴重な訳です。夕暮れが早いので、時間を無駄にせず作業(?)に取りかかりました。
 海岸線と並行して砂浜の中央部に、黒い帯状の物が延びていました。昔のサンゴです。星たちはこのようなゴツゴツした場所に引っかかるそうです。ぬらした手で表面をサッと拭き取り、黒い板にこすりつけると星がくっつきます。1回で数個ほどで、ゼロじゃないけど本当に少ないです。むしろ、白くてきれいなサンゴの欠片の見栄えが良いでしょう。後からホテルで分離しようと思い、ほんの一握りだけ砂を入れて持ち帰ろうとしましたが、ガイドさんから止められました。星がなくなるからだそうです。ハテ?じゃなんで客に採らせるのだろうか?いっそのこと禁止すれば良いのに・・・と思うのは私だけでしょうか?






2019年10月14日(月)
南西諸島へ出発!


 夏休みに沖縄へ行って来たばかりだというのに、降って湧いたように突然の石垣行きが決まりました。旅歴○十年(うち一人旅は十年)の私でも、こんな短期間で飛行機に乗るとは思ってませんでした。さて、航路とホテルの検討に入りまして、関空発の石垣直行便と石垣港に近い所を押さえました。次に、回る場所を考えて効率よくなるように時刻や順番を決めました。最後に、持参する物や現地調達する物をピックアップして詰め込み、これでいつでも行ける状態になりました。
 夜明け前に自宅を出て、出発の2時間前にはパーキングに到着です。施錠する前に必ず免許証とETCカードを確認します。前回はあわや忘れるところで冷や汗をかいたので、今回は3回も確認しました(笑)。荷物を預けてゲートを通るとほっとしました。座席はあいにくと翼の横でした。眺望は望めませんが、翼端には「アマミノクロウサギ」が描かれていました。イラストは3種類あるそうです。これは・・・ちょっと太めのウサギでした。私の腹を見て笑っている人がいました。そこまで大きいのかな?2時間のフライトで石垣空港に到着です。久しぶりの訪問です。




2019年8月13日(火)
沖縄旅行最後の夜


 国際通りからほど近いところに宿を取っていました。洗練された明るいホテルではなく、時代を感じさせる古ぼけた部屋でした。もっともどうせ夜は寝るだけなので、部屋のクーラーと風呂が充実していればOKなのです。小くても大浴場(?)があったので、毎晩そこへ入っていました。少し窓を開けると、通りの賑やかな声や音が聞こえてきそうです。
 国際通りと直行する路地をかなり歩き回りました。すれ違うのも難しいくらいに狭いアーケード街を通り、屋根が壊れて人気のない端の方まで見てきました。人が多いのは中心部だけで、そこから離れると急にお客がいなくなります。また、ストリートが1つ違っただけで人通りがまったく違うのです。お菓子や果物、シーサーなどの小物が置いている店はそれなりですが、ご婦人向けの衣類や日用品などが多い場所は地元の人だけのようです。
 ホテル街の裏は、崩れかけたマンションや瓦が欠けた民家でした。互い違いにベランダが並び、室外機がゴテゴテして壁から落ちそうです。平地が少ないので通りのアップダウンが激しいです。舗装がデコボコで臭気が漂っていました。
 80歳のお年寄りに話しかけられました。身寄りもなく自宅にはクーラーもなく、一人では寂しいので1日のほとんどを市場周辺で過ごすそうです。少しだけ相手になってその人の話を聞いていました。沖縄の光と闇を垣間見たような感じでした。


2019年8月12日(月)
那覇のやちむん通り


 国際通りより少し南に行くと、焼き物の店が並んでいる通りがあります。石畳の道に焼き瓦と漆喰の塀、狭い路地に木とガラス戸の店先など、レトロな雰囲気ありまくりの場所でした。窓から見れば皿や壺などの焼き物が所狭しと並び、奥まった路地の行き止まりにはこぢんまりとした工房がありました。歩くだけでも十分楽しめます。
 小さくても何か気に入る物はないか探しました。しかし、それらしい物は見つかりません。古書を置いている本屋があったので入りました。沖縄のことを書いているようです。・・・、何というか今一つだったので収穫はありませんでした。
 移転した公設市場へ行ってみました。以前はアーケード内にありましたが、そこから少し離れた別棟の建物でした。周囲は他の店やホテル、住宅などがごっちゃまぜになって密集しています。道が迷路のようになって方向がわからなくなりました。しばらく行ったり来たりして、ようやく新店舗にたどり着きました。
 1階が海産物店で2階が食堂という、この配置は以前と変わりません。少し安心しました。歩いた割りに腹が減っていないので、ソーキそばとシークヮーサージュースを食しました。私にとって定番です。豚の角煮のとろけるような食感とそばの温かさ、ジュースの酸味などがマッチしています。階下の店で魚介類の刺身なども考えていましたが、腹具合から断念しました。次は大人数で来たいところです。


2019年8月11日(日)
沖縄最南の喜屋武岬


 沖縄の五大城以外にも見どころがあります。本島の南の海岸線に位置する具志川城趾もその1つです。規模はそう大きくはないものの、崩れかけた石垣や敷地の跡など時代を忍ばせます。兵どもが夢の跡・・・的な感じでした。
 この日は予定がぽっかり空いて、どこへ行こうか迷っていました。ひめゆりの塔や沖縄ワールドはもう行ったし、国際通りも飽きてきてちょっとゴロゴロしていたとき、ふとひらめいたのがここだったのです。
 国道から細い脇道に入り、集落を抜けてサトウキビ畑を横目に進むと案内板がありました。わかりにくいですが何とかそれを頼りに行くと、海岸線にほど近い場所に詳細を記す掲示板がありました。駐車スペースは狭かったですが、そこから砂の道を進んで到着でした。なお、城から下の浜辺に降りられる段もありました。
 さらに1kmくらい離れて喜屋武岬があります。「きゃん」岬と発音するので面白いです。本当の最南は「荒崎」ですが、私的にはここが南の端かなって思います。その後、ショッピングモールを回りました。買いたい物はありませんが、とりあえず行っておかないと話ができません。・・・ということで、今日もイレギュラー満載でしたが無事に終わりました。


2019年8月10日(土)
古宇利島に架かる橋


 沖縄本島中部の東シナ海に浮かぶこうり島に来ました。沖の孤島だったのが、長大な橋が架かって地続きになりました。おかげで連絡船はなくなったようですが、観光船はあるそうです。本島側の駐車場はいつも満杯です。インスタ映えするので、ひっきりなしに車が来るからです。私もアダンの実と一緒に写真を撮りました。
 橋を渡ってまず島内を一周しました。砂浜には海水浴客がたくさんいます。沖縄の人は余りしないとかで、ほとんどが県外の人です。海の家とか忙しそうでした。再び橋まで帰ってきて、今度はタワーに登りました。4人乗りの電動カーに乗って丘を上がります。誰かが落とした500円玉が転がっていました。
 終点から更にタワーの最上階まで上がりました。高さは不明ですが、確かに見晴らしが抜群です。少し斜陽になってきているのにまだ暑い。でも風が吹いてきて少しだけ和らぎました。珍しい貝とかの展示もありました。お土産としてパイナップル製品をいろいろ買いました。
 さて、今から那覇まで帰ります。パイナップルパークとか回れませんでしたが、素晴らしい風景に出会えました。でもこれって地元の人にとれば毎日のことなのですね。どちらが良いのかわかりません。まあ今はとにかく楽しもう。


2019年8月9日(金)
慶佐次のマングローブ林


 東村で売っていたパイナップルに後ろ髪を引かれながら、今度は沖縄の植物を見に行きました。細長い慶佐次(げさし)湾のヒルギ林です。オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギの3種が見られ、特にヤエヤマヒルギの北限になっています。
 到着したのは昼過ぎで、気温が急上昇しているときでした。・・・暑い~。とにかく暑くて、服の上からも焼かれています。水分補給と思いましたが、美ら海へのお迎え時刻が迫っています。仕方なくカメラだけ持って遊歩道に入りました。
 マングローブとは、淡水と海水が混ざる汽水域に広がる林のことで、何種類かの植物からなります。泥が溜まりやすいため干潟になり、酸素不足になりがちです。そこで、この林の木々は呼吸根という根を上から吊したりして対応しています。波の穏やかな広い河口や湾の奥に広がり、独特の生態系をつくっています。トビハゼやシオマネキ、巻き貝などが見られました。
 ヒルギの花が咲いていました。黄色くて小さい物や赤くてやや大きい物があります。それらの間をアオスジアゲハやクロアゲハが飛んでいました。本土のチョウより色合いが鮮やかそうに思ったのは、目の錯覚でしょうか。チョウは自身の「蝶道」という道筋を飛んでいます。しばらく見ていると獣道のように同じコースを辿っているのがわかります。
 泥の上には細長い実が刺さっていて、そこから小さい若木が伸びています。多い塩分と少ない酸素から成長できるので、マングローブとは大したものです。その上、満潮になれば小魚の避難場所になり、生き物のゆりかごと言われるのにも納得できます。
 もっと居たかったですが、タイムアップとなりました。次回はカヌー体験したいです。ここから海岸線に別れを告げて、本島を東西に突っ切ることになりました。途中でほんの僅か時間を割いて、今帰仁城にも寄りました。比較的大きな山上にあり、他のグスク同様に石垣がしっかりしています。中には入らなかったのでそれ以上わかりませんが、次の機会にしたいです。


2019年8月8日(木)
山原の原生林


 沖縄本島の動物と言えばヤンバルクイナでしょう。他の島にも希少種のアマミノクロウサギやイリオモテヤマネコもいますが、私はこれが一押しです。今回ようやく実物を見ました。
 辺戸岬から東海岸の県道に入りました。舗装道ですがやや細くてカーブが多いです。また、枯れ葉などが落ちていて滑りやすくなっています。1時間ほど走って保護センターに着きました。ガイドやネットでの情報が不正確で道に迷いました。まるで間違えやすくしているみたいなので早く改善して欲しいです。
 いよいよヤンバルクイナとの対面です。この個体は2番目で雄だそうです。人慣れしているのかすぐに近寄ってきました。写真を撮ろうとしましたが、接近され過ぎてピントが合わない。追いやるわけにも行かないし、仕方なく少し離れるまで待ちました。自然界では1200羽以上まで回復し、ちょっとだけ安心しました。記念に寄付も兼ねていろいろ買いました。
 帰りは、東村(ひがしそん)まで原生林の間の一本道でした。小さな集落がいくつかあり、地元のお年寄りが集まって何かだべっていました。また、途中の脇道ゲートには門番がいて、米軍の演習場に繋がっていました。山原(やんばる)の中でサバイバル訓練でもしているのでしょうか。ちょっと複雑な心境でした。


2019年8月7日(水)
沖縄最北の辺戸岬


 レンタカーでひたすら北を目指しました。美ら海も何とかビーチも置いてけぼりです。公共交通機関では行かれない所、今後行かれないだろうと思われる所、そういった場所を徹底的に回ることにしました。
 那覇から3時間。ようやく突端が見えてきました。沖縄本島の北端、「辺戸岬」です。「へど」と読みますが、確かにこの先は青い海が広がるばかりで、陸地としてはもっとも端でしょう。もちろん気候は亜熱帯で、那覇と変わりありませんが、住人が少なく自然豊かな地域です。
 途中では、大宜味(おおぎみ)と国頭(くにがみ)にある道の駅に立ち寄りました。前者はまだ開店前だったので、裏手の滝を見ながらシークヮーサーのジュースを飲みました。そして、後者ではこの地域のパンフや地図などをもらいました。また、アドバイスも頂きました。
 さて、辺戸は断崖絶壁でした。太平洋と東シナ海が交差する荒波が打ち寄せ、白いしぶきと波音がすごいです。しばらく見ていても飽きませんでした。遠くに聖地の山が見えます。最高点まで登れば景色も素晴らしいでしょう。しかし、時間がないことと入場料がいるのでそちらへは行きませんでした。下から見ると切り立った岩山でした。


2019年8月6日(化)
不気味なものたち


 沖縄の心霊スポットです。今は取り壊しの最中で、地元の人によるとようやくなくなるのでホッとしているそうです。
 恐怖体験を求めていろいろな人がやって来て、無許可で不法侵入を繰り返しました。ユーチューやインスタに投稿するため、過剰な演出をする者もいたようです。このような連中が夜中に叫び声を上げるので地元の人が迷惑し、静かにさまよっているのに急に土足で踏み込まれて幽霊も迷惑でしょう。お祓いもしているので成仏してください。
 すっかり水を含んでグチャグチャになった草むらに、ある生き物が生息していました。水たまりを避けて進んでいると、ふと丸っこい物がはっています。タニシみたいなデンデンムシでした。四国では白っぽいクリーム色で円形の殻が一般的ですが、ここでは褐色の紡錘状が多そうです。他にも3種類ほど確認しました。
 周りを見ると・・・あちこちにいます。その数は推定100匹以上!ここはデンデンムシの営巣地だったのか?中には接合しているのもいて、また数が増えると思うとげっそりします。摘まめないこともないけれど、できれば触りたくないのが本音です。デンデンムシに囲まれた気持ちをわかってください。


2019年8月5日(月)
中城の城郭


 那覇から車で30分。中城(なかぐすく)村の中城にやって来ました。この日も天候は悪くて、吹きさらしの山頂広場には横殴り雨が降っていました。しかし、駐車してから天気が一時的に回復し、城内を見て回ることができました。
 世界遺産に登録されたこの建造物は、自然の地形を利用して石垣がぐるっと取り囲んでいます。少し登るので行きだけカートに乗りました。3分くらいで入口に着き、石畳や石段を進むと広い平坦部になりました。何百人も整列できるくらいで、そこで様々な行事が行われたと思います。
 さらに、向こうに見える城趾を目指しました。石段は濡れて滑りやすく、風も強いのでバランスを崩さないよう必死です。上空は鉛色の雲に覆われていますが、周囲は雲が吹き飛ばされてよく見渡せました。太平洋は少しくすんだ青色で、海岸線はかすんで見えました。晴れていればもっと素晴らしいでしょう。
 グスク時代の初期からあるそうで、後の時代に積み上げた石垣があります。木造建造物は残っていませんが、城郭の規模や美しさには定評があります。降車してからアクセスが容易なので、見どころとしては楽しめると思います。井戸もありましたが、危ないので降りられませんでした。


2019年8月4日(日)
沖縄本島は今日も雨だった


 何度目かの沖縄旅行。台風の影響で雨から始まりました。飛行機が飛べるかどうかも危ぶまれましたが、無事に離陸して雲海の上に来ました。夏の日差しはまぶしくて、窓から見えるのは真っ白な雲の峰ばかり。それでも時たま、雲の切れ目より真っ青な海が見えました。
 飛行コースを見ると、奄美大島や徳之島の東側にいるようです。眼下に見えるのは与論島でしょうか。雲がぽっかり浮かんでいて、アイスフロートみたいです。ここも海水浴のメッカですが、レジャーだけが目的でないため今回はパスです。
 ようやく那覇に着きました。やはり雨模様です。カサを持って国際通りの散策に繰り出しました。まず、夕食は石垣牛・・・といきたいところですが、値段の割りに量が少ないので見送り。不通のステーキをガツッと食べて土産物を物色します。「ちんすこう」は定番で、紅芋とかドラゴンフルーツを見て回りました。
 最近では宮古島や石垣島の塩を用いた菓子類が出回っています。私にとって塩とは鉱物の一種であり、「岩塩」には興味ありますが、食品成分として使われているのは何となく食指が動きません。それでも物珍しさに負けていくつか購入しました。これを読んでいる友人たちの手元に行くことでしょう。


2019年8月1日(木)
雨上がりの佐賀城跡


 大きなお堀だけ残っています。内部には県庁や体育館、図書館や記念館など公的な施設がいくつもありました。その周りは遊歩道となって、木々の陰を散歩している人もいます。北東に駐車場があり、そこから各施設にアクセスできます。
 木の間から白い物が見えました。シラサギの幼鳥です。ここも白鷺の巣になっていました。フンが落ちて汚いですが、白い羽根もたくさんあります。きれいな物を数枚だけ拾いました。
 また雨が降ってきました。今年は雨が多いようです。お堀の水面に無数の波紋が広がります。風はほとんどなく静かに落ちています。結局この日は降ったり止んだりの繰り返しでした。
 後日、ニュースを見て驚きました。ほんの数日前まで歩き回っていた佐賀市内がかん水しているのです。見覚えのある大通りや商店街、そして佐賀駅も浅く水に覆われていました。床下浸水くらいでしょうか。
 その後も全国的に水害が多発し、激甚災害と呼ばれました。河川の堤防が決壊し、多くの住宅が被害に遭いました。私の家も堤防のすぐ近くにあります。万一に備えて自宅用のマニュアルを作りました。そして、これを使うことがないようにと祈りました。


2019年7月31日(水)
筑後川の赤い跳ね橋


 バスから見えた跳ね橋です。実際は跳ねているのではなく、橋桁が上がり下がりしています。「筑後川昇開橋」といいます。国指定の重要文化財です。なお、近くの川には別の跳ね橋がありましたが、今は撤去されているそうです。
 さて、この橋の歴史をひもとくと、昭和10年に開業して62年に佐賀線が廃線になりました。解体される予定でしたが、地元の強い要望で残され遊歩道になっています。両岸に駐車場もあって、平日でも時間帯により歩けるそうです。今回は時間がありませんでしたがいつか行ってみたいです。


2019年7月30日(火)
八女市のバスターミナル


 八女茶で有名な地域です。今日の宿舎はここになりました。もっとも近い駅は「羽犬塚(はいぬづか)」ですが、午後10時にはバスがありません。歩けば8kmで2時間くらい。15分待ってタクシーを拾いました。鉄道がないためアクセスが不便です。ちなみに、羽犬塚駅には羽を生やした犬の像があります。豊臣秀吉の逸話に関係しているそうです。マルコキアスか?
 翌朝、早起きして周囲を散策しました。疲れているはずなのに旅先では元気になります(笑)。バスターミナルには始発便の準備が整っていました。6kmほど離れた丘陵地帯には茶畑が広がっています。見に行けませんが、代わりにお茶を買いました。自宅でゆっくり味わいます。


2019年7月29日(月)
くすり博物館の辰砂

 鳥栖にある施設に来ています。さっきは最先端技術ばかり見せられて閉口していたが、今はここのレトロな雰囲気に癒やされています。動物・植物・鉱物からなる様々な薬品が展示されていました。
 その中に真っ赤な粉が入った瓶がありました。まさかと思ってラベルを確認すると、やはり「辰砂」でした。かつてはマーキュロクロムなどの消毒薬に水銀が使われていました。毒ではなく薬だったのです。産地はわかりませんが、おそらく中国産でしょう。四川省に有名な水銀鉱山があるから・・・。私も1つ持っています。ただし、くれた人が購入したのはタイだそうです。
 辰砂は古代朱として知られる赤色顔料です。徳島県の水井鉱山が有名です。それが地元「加茂谷」の村おこしに繋がって欲しいです。


2019年7月28日(日)
さがの夜市とお堀


 福岡と長崎に挟まれた佐賀県。13年前に多久まで仕事に来て以来です。駅前はどちらかと言えば閑散として、うちの県とよく似ています。ビルがあってもそんなに人がいないとか、シャッター街が目に付くとかそんな感じでした。
 いきなり夕立の洗礼を受け、徒歩での移動を止めてタクシーに乗りました。降りるときも大変でしたが、何とか耐えられました。建物に入っていると、小一時間くらいで止みました。日が西に傾いてビルの陰が延びてきて、そろそろ夕食です。
 夜市があるというので行ってみました。歩いて15分くらいのアーケード街でした。・・・何かお客さんが少ないようです。この日は別の場所でイベントがあり、そちらへ流れたみたいです。道端で買い食いしようと思いましたが、ちょっと期待を裏切られたようです。なお、カラオケ大会もありました。
 結局、「久留米ラーメン」を食べました。隣県の名物です。ご当地物のムツゴロウの蒲焼きとかは見つけられませんでした。有明海から離れているので無理だったのでしょう。
 遠くからパレードの音が聞こえてきます。賑やかなのは苦手なので、お堀の側に佇みながら暗くなるのを待ちました。街に灯がともり、人々がそぞろ歩きをしています。その人混みに紛れて宿舎へ戻りました。


2019年7月27日(土)
終着の博多駅

 久しぶりに山陽新幹線に乗りました。車ではちょっと遠くて疲れるからです。初めて乗った頃は「ひかり」と「こだま」しかなく、しばらくして「のぞみ」が現れました。全席指定席なんてものがあったので、困惑したのを覚えています。
 今って時速300kmも出るのですね。200km時代からすればすごいです。場所によっては航空機より速く、バスより快適です。久しぶりに貴重な体験が出来ました。なお、四国から出るときは岡山で乗り継ぎです。瀬戸大橋線も久しぶりでした。渡っているときは、海峡というより大きな河といった感じがします。


2018年6月27日(水)
下関の河豚を食す


 帰りは門司のめかりPAに停まりました。河豚(ふぐ)が買えるのもここが最後です。本当は対岸の下関が本場なのでしょうが、1kmも離れていないのでここでも味わえそうです。と思ってたのですが、料理店に立ち寄らずお土産だけ買うことにしました。
 てっちり用のフグの切り身がありました。皿の模様が透けて見えるくらい薄いです。フグは高いので身を多く見せるためケチっている訳ではなく、身が厚いとかみ切れないのです。美味しそうですが帰っても作れないので、フグの骨せんべいとか乾物をいくつか仕入れてお開きとしました。次回は、フグをメインに来てみたいです。


2018年6月26日(火)
大雨の阿蘇へ


 せっかく旅行しているのに雨が止みません。山間部では大雨のため川が増水しているようです。これではどこにも行けないな。そう思っていると天気が少し持ち直す様子。部屋でぐずぐずせず速攻で出発です。
 熊本ICで降りて阿蘇の外輪山を目指しました。思ったより距離と時間がかかりました。大地震のあった益城(ましき)町を通り、復興されていない道路を避けて、外輪山西側から峠道を走りました。
 道がくねくねしているので酔いそうです。しばらくすると林の中から抜け出して、背の低い草ばかりの高原地帯に入りました。この辺りは牧場が多く、ミルクロードと呼ばれています。あいにく牛の姿はありませんでした。
 兜岩(かぶといわ)の休憩所に来ました。外輪山北西部にあります。小さな店とトイレだけですが、展望台には地震の傷跡が残っていました。一面が緑のカーペットで覆われた中に、黒々と土がえぐれて吹き出したような跡とか、ひび割れた遊歩道とか・・・。
 ここって複式火山の中ですよね。火山の中なのに断層があったなんて、気づけなくても仕方ないです。でも被害に遭われた方はそんなこと言っている場合ではありません。早い復興を願っています。
 大観峰から下界に降りました。急な坂道でブレーキが大変でした。雲が晴れてきたのでこのまま中岳へ向かいました。ところが、スカイラインをしばらく登ると周囲がミルク色になりました。少なくとも10m先から全く見えません。車線を頼りに火山博物館へ行きました。
 やっぱり周囲は真っ白でした。河口付近で火山弾でも拾えるかなと思ったのですが、とてもそんな状況ではありません。帰りに立ち寄った米塚の駐車場でも同様でした。夕方近くになったので、仕方なくこれ以上の探索を断念しました。
 帰りには大崩落地帯を通りました。崖崩れで橋が車ごと流された地点です。今は新しい橋が架けられていますが、細く見えて何だか頼りなさそうです。それだけ被害が大規模だったとも言えます。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。


2018年6月25日(月)
どぜう鍋を食す


 初めて食べたのは5年前に東京の浅草に行ったときです。それ以前も機会はありましたが、何となく敬遠していました。しかし、食してみると意外にうまい!ならば今度は発祥の地で試してみたい。それがこの日の昼食で叶いました。
 6cm前後のドジョウを鍋に入れ、卵を割り込んで煮込んでいます。ネギの風味もマッチして、口の中にするりと入っていきました。ご飯にも合うのでこの料理はアタリでした。
 その間に、水郷の舟が一艘また一艘と出航していきました。帰りはバスの予定です。


2018年6月24日(日)
柳川水郷ゆらり


 水郷の町「柳川」。ようやくここまで来ることができました。地図を見れば、町全体に水路が縦横無尽に走っています。とても把握できませんが、ポピュラーなお任せコースを回ることにしました。
 チケットを購入した後はトイレを必ず済ませます。これはとても大事です(笑)。10分ほどして呼び出しがあり、指定された舟に乗り込みました。この日の天気は良くなく、時折雨が降ってくるので客足は少なかったです。おかげでゆったりできました。
 まず、両岸に柳が並んでいる広い水路を進みます。座ると水面まで50cmくらいしかなく、ややぬるめの水温でした。さらに進むと、水路に面した民家の横にいくつか舟があります。個人の物ですぐに水路に出られるとのこと。何だか楽しそうでちょっとうらやましいです。
 頭を下げなければ通れない石橋を通過すると、水路はずっと狭くなりました。両側や頭上の樹木が覆い被さるようで何となく暗いです。庭の一部に水を張って船着場になっている民家もありました。アジサイの花や石碑、カッパの石像などもありました。一応は舟のルートを覚えようとしました。しかし、もう迷路のようになってしまってわからなくなりました。
 急に頭上から何か落ちてきました。長くてくねくねして泳いでいます。「ヘビだぁ~!」水が濁っているので、魚などは余り見えませんでした。途中で別の舟とすれ違いました。会社によってルートが異なるようです。艪(ろ)で漕ぐのでスピードは出ません。のんびり楽しく行きました。
 中継地点を越えると後半は同じような眺めが続きました。だんだん舟の数が多くなり、岸辺は舟だらけでまるでターミナルです。カンナの赤い花が目立っていました。2つの水路の分岐点に、網で魚を捕る大がかりな漁具がありました。泥鰌でも捕るのでしょうか。鯉のような魚が数匹見られました。
 40分かけてようやく終点に着きました。お寺のような場所で降り、ハイカラな建造物やレトロな門とかを見て回りました。お土産もいろいろ物色して、地元の民芸品などを買い求めました。四国では見ることのできない物でした。


2018年6月23日(土)
久留米の街角


 徳島より車を走らせて7時間半。ようやくここまでたどり着きました。思ったより時間がかかりました。へとへとです・・・。
 途中で5ヶ所のSAやPAに立ち寄り、その地の土産品を入手しました。これも楽しみの一つです。何でこんな所にやって来たかというと、・・・研修のためです。遊びも否定しませんが、7割以上はお勉強です。合間にどこかへ行けないかな?必要な単位が取れないと困るので、もちろんそっちのことをきちんと考えています。
 アーケードで夜市をしていました。夕食は久留米ラーメンでした。意外とさっぱりしていました。


2018年6月22日(金)
関門海峡を越えて


 列車や船でなく初めて車で越えました。門司と下関の間ってこんなに狭かったんですね。小豆島土庄町の93cm海峡には負けるけれど、これだったら徳島平野の吉野川くらいの幅しかないです。浮き輪でも付けたら渡れそうです。
 行きは下関の壇ノ浦PAに停まりました。どこから見ても景色が良いです。橋も1つのオブジェのように存在感があります。どちらかと言えば山育ちの私にとって、海峡の町はとても新鮮なのです。地元の方はどのような生活をされているのか。次回はゆっくり腰を据えて、海産物を堪能したいです。必ず実現させます



2013年11月3日()
○○○○


○読者の方へ・・・原則として旧市町村で区分けしています。他のコンテへの移動は左記からどうぞ♪なお、欲しい鉱物があれば個人の方でも交換できます。メールにてご連絡ください。学校や博物館など、公的な機関であれば寄贈もできます。鉱山について詳しく知りたい方は、トップページの注意事項をお読みの上でメールしてください。鉱山跡地は危険な場所が多いので、未成年者は自分たちだけで決して行かないでください。
フッターイメージ