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愛媛県の旅行記
私は2005年から主に四国内の鉱山跡を訪ねています。地元の方と知り合えたり、新しい発見があったりでとても充実しています。一緒に行きたい方はメールして下さい。
お問い合わせは、 fe26-co27-ni28-cu29-zn30@ymail.plala.or.jp (事務局)までどうぞ!
鉱山訪問や鉱物・化石採集など、石に関する記事はタイトルの色を変えています。


2024年7月14日(日)
カブトガニがいた海岸

 何の因果か、また今治市に来ています。丸野川に立ち寄った帰りでしたが、なぜか徳島とは120度方向が違っています。

 北向きに走っていたとき、縦長の看板がありました。カブトガニが来る海岸とか書いていました。そこで、ちょっと立ち寄ってみることにしました。

 カブトガニは硬い甲羅で覆われた節足動物で、カニよりもクモに近いと言われています。甲殻類ではなく鋏角類です。大きさは45~85cmくらいで、産卵や脱皮のために遠浅の波が穏やかな砂浜を好むそうです。

 この砂浜にはそうした環境が残っていました。しかし、地元に人に尋ねてもカブトガニを見たことがないそうです。干潮の時間だったので、何か遺物でもないかと思ってビーチコーミングとしゃれ込みました。

 褐色の岩場に沿って砂浜を進みました。だんだん補足狭くなってきましたが、まだまだ向こうまで行けるようです。岩肌には小さな巻貝がびっしりと付いて、満潮時にはそこまで海面が上がってくるのがわかります。海喰洞のような大きな穴もありました。

 更に進むと、小さな石片にもっと小さな水晶が見られました。不透明で頭がはっきりしないタイプです。しかし、瀬戸内海の地質は領家帯に属すので、灰色や黒色の水晶をときどき産出します。

 かつて四国硅石鉱山があった孤島では50cmの大物が出たそうですが、この辺り一帯ではせいぜい数cmくらいでしょう。それでも山間部に行けば少し大きいものが見つかったりします。

 漂着物は余り見つかりませんでした。広い砂浜には木々や海藻などがありますが、このように細い砂浜では取り立てて拾えるようなものはありません。しかし、小型のクジラまたはイルカと思われる背骨の一部がありました。

 これはお土産として持って帰り、私よりもっと熱心なコマーに差し上げました。てっきり持っているかと思ったら、今まで縁がなくてなかったそうで、とても喜んでくれました。















2024年7月7日(日)
医王湿原の植物

 今治市に来ています。友人のお誘いで、ドライバー兼睡眠防止用の覚醒者です。加茂川に立ち寄った帰りでしたが、なぜか徳島とは120度方向が違っています。

 地球高温化(決して温暖化などというレベルではないと思う。)の影響で、国内各地の湿原が干上がってきていると聞きました。徳島でも旧池田町の黒沢(くろぞう)湿原があります。白いサギソウで有名ですが、近年は乾燥化して水面が見られない範囲もあります。貴重な生態系が失われそうで心配です。

 今治市の海岸に近い場所にも湿原がありました。以前からあることは知っていたのですが、訪れるのは初めてです。すでに遊歩道も完備されて歩きやすいですが、一方で近くに適切な駐車場がなく、少しはみ出した路駐になってしまいました。

 花の季節ではないのか、ほとんど何も咲いていませんでした。ネジバナを何本か見かけたくらいです。サギソウもあるらしいですが、確認できませんでした。ランの仲間や食虫植物もあるそうです。

 日差しが強くなってきました。これ以上は暑くてまいりそうです。速足でくるっと一周して帰途に就きました。











2024年2月22日(木)
せきがわあかつきあめ

 旧土居町役場の暁雨館(ぎょううかん)に来ています。今年は雪が降らず、早くも季節の変わり目を迎えて天候が不安定です。だから、晴れている間に行動します。

 東赤石山の山頂にエクロジャイトの露頭があります。また、赤石クロム鉱山跡があり、それらからざくろ石やかんらん石などの岩石・鉱物が流れてきます。それが関川(せきがわ)です。

 館にはそうした鉱物が一堂に展示されていました。素人にもたいへんわかりやすくて親しみ深い内容です。初心者入門編みたいな冊子もいただきました。ありがとうございました。

 川原に出て鉱物採集とシャレ込みます。遠目から見れば灰色の石ばかりでまったくわかりません。しかし、川原に降りてじっくりと眺めると様々なことがわかってきます。

 ここでもっとも有名なざくろ石はたくさんあります。どこかの道の駅で売っていましたが、ここで拾った方が断然お得です。そのざくろ(柘榴)石にも種類があって、共産鉱物を含めるとバリエーションが豊富です。

 鉄とアルミのアルマンディン、マンガンとアルミのスペサルティン、カルシウムと鉄のアンドラダイト、マグネシウムとアルミのパイロープ、カルシウムとクロムのウバロバイトなどが見つかっています。粒子の色もレッド・ピンク・オレンジ・グリーンなどあり、まれに青みがかったものや黄色いものもあります。

 かんらん石は「橄欖」のとおり、オリーブの実から名づけられています。色はくすんだ緑から黄緑や深緑、薄い青紫などもあります。風化すると黄色く黄土色になり、クロム鉄鉱が多いと黒くなります。菫泥石(きんでいせき)という変わり種もあります。

 エクロジャイトを展示していました。愛媛県の岩石に指定されています。他でも説明していますが、ざくろ石とオンファス輝石からなる岩石で、「榴輝岩(りゅうきがん)」とも言われます。地下のマントルから高速で噴出してきた石で、地上の石にはない特徴があります。

 これにもいくつかのタイプがあります。石英質・藍閃石質・かんらん石質など、珍しいものにバロア閃石質があります。国内では5ヵ所くらいで見つかっていますが、産地としていつでも採れるのはここしかありません。

 関川に珍しく水が流れていました。ほとんど枯れて伏流水になっているときが多いです。昔子どもと来たとき、子どもを抱いて中州に渡る途中で転んだのを思い出しました。辛うじて子どもは濡れませんでした。私はずぶ濡れでした・・・。

 鴻嶋(こうしま)石もありました。エクロと同じ東赤石山から流れてくる硬質の石です。ほとんどが薄い緑色ですが、たまに桃色の筋が走っています。形状が面白くてよく水石にされています。

 この産地もたくさんの人が石採りに来ています。工事していたときはもうこれで採れなくなると思っていました。しかし、さすがに鉱物の宝庫だけあって今日も楽しませてくれました。

















2023年12月24日(日)
藍晶石の鉱脈を探して(2)

 マイントピアは休館でした。仕方なくさらに上流へ移動しました。残土の中に眠っているカイヤナイトを探すためです。藍晶石は組成がアルミのケイ酸塩です。簡単な物質なのに産地がかなり少ない。ここは最も有力な場所です。

 足が濡れました!水は浅いのに川幅があって、飛び越えようとしたのですが、沈・・・してしまいました。そう言えば以前にも似たようなことがあったような。高越山のエクロジャイト事件(?)だったかな。

 それはさておき、靴の中が水でグショグショになったので、靴を脱いでコンクリの上で乾かしているところです。この冷たい水によくぞ飛び込んだものです。石採りに熱中するとそれくらい平気になります。

 他の皆は枯れた川原で採集中です。そちらではあまり成果がなかったようです。工事をしていたから、せっかくの石が埋もれてしまいました。

 ついに鉱脈を見つけました。藍晶石は水でぬらすとわかりやすいですが、この鉱脈は乾いていてもよくわかります。表面には薄く泥がついていますが、青色の透き通ったような脈が延びています。

 推定重量は50kgを超えるため、持ち上げることはできません。ここでお馴染みの大ハンマーの登場です。2.7kgの鉄槌で、割れ目に沿って思い切りたたきました。

 鉱脈と平行に何度もたたいて、少しずつ岩を削っていきます。途中で何度か手が痛くなりましたが、その度に休憩しながら慎重に割っていきました。

 2時間かけて、ようやく6つくらいのブロックに分けられました。元の長さより少し短くなりましたが、25cm以上は続いています。立体的に見れば脈というより層状に広がっています。

 帰りは何処へも立ち寄らず、まっすぐに自宅へ戻りました。じっくりと見ればレアな濃紺の結晶があるので、これは超お買い得品でした(笑)。自分へのクリスマスプレゼントです。残りのパーツも他の人に配りました。子どもが喜んでいたそうです。











2023年12月23日(土)
藍晶石の鉱脈を探して(1)

 マイントピアは休館でした。仕方なくさらに上流へ移動しました。残土の中に眠っているカイヤナイトを探すためです。藍晶石は組成がアルミのケイ酸塩です。簡単な物質なのに産地がかなり少ない。ここは最も有力な場所です。

 訪れた回数はもう数えきれないけれど、鉱物の種類を多く狙うなら関川、輝安鉱や水晶なら加茂川、エクロジャイトなら銅山川、そして藍晶石なら国領川です。そのときの気分によって行先を分けています。

 という訳で、国領川の上流部に来ています。ここはいつも何か工事をしているというイメージがあります。休みだったので危険性はなく、リュックを担いで川底に降りていきました。

 ユンボにより、今まで埋まっていた巨岩が掘り返されています。これこそ狙い目です。1個ずつ丹念に見ていくと、やはりありました。青い柱状結晶や一面に細かい結晶をまぶしている石。変成してソーダ雲母に変化している石、そして、鉱脈が走っている石など。

 しかし、どれもこれも重すぎます。持ち上げるどころか、せいぜい端の方をずらして転がすのが精一杯。もちろんハンマーで割ろうとしたのですが、1kg程度のハンマーでは歯が立ちません。思い切りたたいてみても跳ね返されるばかり。途方に暮れてしまいました。

 そこで、何とか運べるくらいの石がないか探しました。・・・すぐに見つかりました。含まれている結晶がきれいでバランスも良く、胸に抱えてやれば何とか道まで運べそうです。15分もかけてやっとトランクに置きました。

 全体的に白っぽく、所々に藍晶石の細かい塊が見られます。日に当たるとキラキラして見栄えが良かったです。こういうタイプもあるのだな・・・と、様々なバリエーションを楽しみました。

 参加の皆さま、お疲れさまでした。次の機会にもぜひどうぞ!











2023年11月26日(日)
関川にざくろ石が復活!

 川底の大規模な工事によって何も採れなくなった。そう判断してしばらくここを訪れることはありませんでした。前回は初夏に一度来ましたが、白っぽく泥まみれになった川原を見て意気消沈していました。それから半年余りが経って、こっちの近くに出張する機会があり、そのすき間時間に様子を見ることにしました。

 いつの間にか護岸工事がなされて、コンクリの擁壁ができていました。川原へ降りやすくなりました。また白っぽさがなくなり、石の判別ができるようになっています。これなら鉱物採集も可能です!

 ざくろ石が大量にありました。歩くたびにそれを踏んでいる感じです。他にも曹長石や角閃石、橄欖石などお馴染みの石たちが顔をのぞかせています。当に復活です。

 何と金紅石まで見つかりました。二酸化チタンの結晶で、ルチルとも言います。赤紫色の光沢がある柱状結晶または塊状で、あらゆる石に含まれています。一方で、絶対量があまり多くなく採れないことが多いのですが、今日は3つも見つけました。

 暖冬とは言っても山頂部は寒いようです。雨が雪に変わることもよくあります。北西風が強くなってきました。年の瀬まで後一月です。








2023年4月20日(木)
新緑の市ノ川に再来

 2ヶ月前に比べて、一段と緑が濃くなっていました。かつては世界最大のアンチモン鉱山として一世を風靡した市之川。今は静かな時間だけが流れています。

 事務所があった対岸の山は目にまぶしい緑に覆われ、近寄れなくなった千荷坑も緑に囲まれています。植物たちの生への息吹が感じられます。何だかとても心地よいです。

 下の川原で輝安鉱を探しました。ここで最後に活動したのはもう十年ぶりですから、鉱物は何も残っていません。川底に硫化鉄鉱のさびが見られた程度です。キースラーガーみたいな感じです。

 公民館が老朽化して危ないので、展示品などを博物館に移転させるそうです。この場所にあっての展示なのに・・・と思いますが、災害に遭うよりはマシでしょう。この光景をいつまで見られるか。もの悲しいけれど仕方ないです。せめてその日までは何度も来てみようと思います。








2023年2月11日(土)
市ノ川公民館に入場

 かつては世界最大のアンチモン鉱山として一世を風靡した市之川。今は時代の流れとともにここも限界集落となり、賑わいや活気が減っていきます。それでも所々に当時の面影を残したままで、地域住民の憩いの場として、カラオケ大会やゲートボール場になるようです。

 旧市ノ川小中学校跡を利用したのが公民館です。普段は余り開いていないですが、今日はたまたま開いていたので案内して頂きました。玄関から入ると、職員室や図書室の札が目に入りました。廊下には当時の写真や市ノ川の年表が貼られています。昔の小学校にタイムスリップしたかのようです。

 教室は資料室になっていました。鉱区の概要や坑道の全体図など、大変興味深いものでした。一部は門外不出として写真が撮れません。当たり障りのない物だけ載せています。

 次に、鉱石を見せて頂きました。重量のありそうなアンチモンの鉱石や、輝安鉱の大きな結晶などがありました。また、アンチモンを取った残りかすを固めたブロックもありました。なかなか面白いです。

 この建物も老朽化が進み、管理が難しくなるので、近いうちに博物館に吸収されるようです。とても残念ですが、これも時代の流れです。せめてこれらの貴重な資料が散逸せず、後世まできちんと保存されることを願って止みません。
 管理人の皆さん、本日はありがとうございました。














2023年1月21日(土)
国領川とマイントピア

 国領川上流の鹿森ダムのさらに上流部へ。トンネルをいくつも過ぎると・・・たまに雪国になったりします。今日はそうではなく少し雨が降っていました。道路脇もすっかり水浸しです。

 本来雨天時には石採りをしません。石の表面の見た目が、乾いているときと濡れているときでは全く異なり、鉱物を見つけにくくなるからです。しかし、ここの主要鉱物である「藍晶石」は別です。

 以前にも書きましたが、水に濡れるとこの鉱物の青色が映えて見つけやすくなるのです。かつての露頭を破壊してできたズリが残っているので、そこから少しずつ川に流れ出しているのです。

 カイヤナイトの産地はここだけではありません。浦山川の上流の伊予鉱山直下とか、銅山川の支流とかでも見つかっています。それでも最大の産地はここですから、やはりまず目が向いてしまうのです。

 工事中で入られなかったので、道の駅へ移動しました。屋根や壁が補修され、まるで生まれ変わったような発電所は、見た目が清々しくサッパリしていました。山の中腹に残るコンクリの壁は大斜坑です。雨の中でもやっていました。

 帰りは国領大橋から振り返ります。辛うじてエントツ山の煙突が見えます。結局大した物は拾えず仕舞いでした。次はタケノコの時期になりそうです。














2022年10月2日(日)
銅山川あちこち(4)

 久しぶりに銅山川流域を回りました。

  銅山川の本流です。各支流から様々な鉱物が流れてきているので、狙い所でもあります。一方で、石の密集度が薄くなっているため見つかりにくいという指摘もあります。

 地元のバスに挨拶して、ここに降りました。底が抜けそうで怖いトイレがあります。夏場にはバーベキューを楽しむ一家もいて、なかなかに賑やかな場所です。でも、脚の折れた椅子とか捨てていかないように・・・。

 チタン鉄鉱が見つかりました。私はここに来るとよく見つけます。地味な鉱物に好かれる体質(?)のようです。今日のはひとまずキープ君のレベルでした。

 ルチルを探しましたが見つかりませんでした。カイヤナイトもなしです。大した物がなかったので、行きがけの駄賃とばかりに柘榴石を拾いました。単結晶ではありませんが、六角形に粒子の形が残っていました。直径は5cmもありました。大きさだけなら最大級です。

 秋も深まってきました。これからが石採りのシーズンです。褌を締め直してかかりましょう。











2022年9月25日(日)
銅山川あちこち(3)

 久しぶりに銅山川流域を回りました。

 人が入らなくなったので山が荒れてきました。草木が伸びて進入が難しくなり、足元がごろごろして歩きにくい。一人だったら諦めて帰ってしまうところですが、何人かいれば強気になって(?)押せ押せムードで勢い付けます。

 この支流もそうでした。背丈くらいもある薮漕ぎ(やぶこぎ)して、急な斜面を半ば滑り落ちるように進み、目を突きそうな枝葉の中をかき分けて、やっと目的地です。

 まず、眼前の川原を散策しました。とは言っても、木々が生えて狭いです。これはと思う石をひっくり返して、裏面や側面もしっかり見ます。柘榴石や橄欖石が多いです。他に特筆すべき物はありませんでした。

 次に、薮をかき分けて上流を目指しました。進むにつれて薮が酷なり(いや濃くなり)、ついにはナタでもないと進めなくなりました。今日はこれでジエンドです。

 10年前はこれほどの薮ではなあったです。それがこんなになるなんて・・・。自然回復と言えば好ましいですが、今後ここを研究する人がいれば難儀するでしょう。それでも割り跡があったので、誰かが来ています。






2022年9月24日(土)
銅山川あちこち(2)

 久しぶりに銅山川流域を回りました。

 ここは銅山川の支流の1つです。これらの記事を参考にして、県外からも多くの人が来ているようです。まあゆっくりしていって下さい。

 真新しい発見は少なくなりましたが、いくつかお持ち帰りがありました。手頃な大きさの柘榴石は展示品にちょうど良いです。初めて見る人にとってわかりやすい標本でした。白雲母(モスコバイト)の自形結晶もありました。この谷ではそれが見つかります。角閃石の種類も多いです。

 めっきり少なくなった・・・というかまったく見つからなくなったのが藍晶石(カイヤナイト)。10年前はいくつか目にしてましたが、最近では見かけない。金紅石(ルチル)もありません。探し方を変えた方が良いのかな?

 石仲間の情報では、この先の林道が通行止めになっています。特に用事はないけれど、だんだんと人が山に入っていかないようになりました。道も荒れ放題です。




2022年9月20日(火)
銅山川あちこち(1)

 久しぶりに銅山川流域を回りました。

 まずは、定番の筏津坑前です。かつてここには、筏津山荘という宿泊施設がありました。食堂も兼ねていて、炭焼きのかき混ぜ棒で飲んだコーヒーが忘れられません。そのときに、瀬場谷のエクロジャイト石碑の破片を頂きました。

 今は建物が取り壊されて、ただの駐車場になっています。坑口は残されていますが、今はもう入られません。ここに展示していたかご電車も、マイントピア別子へ移動しています。上流の対岸にズリが残っているので、そこや余慶坑のズリから鉱石が崩れ落ち、川に流されてここまで辿り着くのです。

 キースラーガーやカラミが落ちています。外観は似ているので区別しづらいですが、割って内部を見ればわかります。銀白色の細かい粒子が集まっていれば前者、煤けているみたいに真っ黒なら後者です。

 カラミとは鉱滓またはスラグの別称です。鉱石を溶融して銅だけを取り出して、その残りカスがそれです(銅を取り出す行工程はもっと複雑ですが・・・。)。小さな孔が開いていて、ガスが抜けた跡だとわかります。適当に丸まった物はウェイトやペン立てにします。

 これら以外の鉱物となるとちょっと少ないですね。銅山採掘に由来する黄鉄鉱や黄銅鉱も見られますが、柘榴(ざくろ)石・透緑閃石(アクチノライト)・紅簾(こうれん)片岩・蛇紋(じゃもん)岩・橄欖(かんらん)石くらいです。

 川原に降りたって少し下流に、カラミの廃棄場所があります。辺り一面に融けたカラミがへばりついていました。昔の橋桁が残っています。






2021年11月7日(日)
とびしま海道を行く(2)

 とびしま海道は、広島県呉市の本土から7つの橋と6つの島を渡って岡村島まで続いている全長20kmくらいの道です。それを今回は岡村島に上陸して逆進しようと思い立ちました。

 ちなみに呉市側から進むと、次のようになります。安芸灘大橋 ⇒ 下蒲苅島(しもかまがりじま) ⇒ 蒲刈大橋 ⇒ 上蒲刈島(かみかまがりじま) ⇒ 豊島大橋 ⇒ 豊島(とよしま) ⇒ 豊浜大橋 ⇒ 大崎下島(おおさきしもじま)そして岡村島です。海に島が飛び石のように点在しているから、付けられたこのネーミングに頷けます。

 岡村島から広島県へ、つまり大崎下島へ行くには3つの橋を越える必要があります。その最初の橋が「岡村大橋」です。白いアーチ状の橋で、馬刀潟からも見えます。初めて見たときは位置関係もわからなかったので、しまなみ海道の1つと思っていました。

 閑話休題、岡村島の東側には小大下島・大下島などを経て、しまなみ海道が通っている大三島があります。しかし、そこまでの間に橋がありません。

 地図を見ると、大下島と大三島の間には2つの小島があり、これを辿って架橋すれば通れます。また、岡村島と小大下島の間の小大下瀬戸も狭いところで200mだから何とかなるでしょう。ところが、大下瀬戸が他より広くて少なくとも1200mはあります。輸送などの需要が低迷しているなかで、あと4つの橋を架けるにはリスクが大きいです。できれば開通して欲しいと思いますが・・・。

 港から海岸線を車で5分。橋を見渡せるポイントに来ました。大崎下島や小島などに挟まれて、入り江や水路が入り組んでいます。この小さい海峡を○○の瀬戸と呼んでいますが、これらには名称がないようです。

 橋の上に行ってみました。南北に延びる瀬戸が静かに青く光っています。海面までかなり高さがあって、さっきまでいた海沿いの道が見えました。実はこの橋、愛媛県と広島県の県境になっています。だから、知らないうちに広島県側に入っていたのです。


 では、この続きは中国地方の旅行記に引き継ぎます。皆様、どうぞそちらをご覧下さい。











2021年11月6日(土)
とびしま海道を行く(1)

 岡村島に上陸しました。よく知らなかったのですが、この島も今治市で愛媛県なのです。早速ですが、展望台に上がってみました。

 展望台への道に難儀しました。最後のヘアピンがヘアピン過ぎて、急な坂に加えてコンクリの路面に赤土がまかれて、タイヤのグリップがなくなって登れない。ハンドルを切り返しても両側は石垣だったり、車を擦るのを前提にしないと動きませんでした。

 途方に暮れていると、地元の方の助け船が入って何とか駐車できました。小さな庭園を管理されており、そこから西側隣の大崎下島がよく見えました。展望台からさっき入港した岡村港の集落を見下ろせました。また、東側隣に小大下島や大下島が見えました。今回の便は岡村島直通でしたが、昼頃の便では両方の島に接岸します。次回があれば上陸してみたいです。

 展望台から戻ってくると、極早生(ごくわせ)という品種の小さい蜜柑をくれました。最も早くに出回るミカンで、急な斜面に何十本も植えられています。しかし、寄る年波に勝てず少しずつ規模を縮小しているそうです。橋が架かるまではここも孤島でした。今は広島県側から物資が運ばれるようになりました。それでもガソリンや灯油などは今治から輸送しています。

 ここからも瀬戸内海が広く見えます。来島海峡や長磯の灯台もわかりました。馬刀潟も何とかわかります。ここは海を挟んだ対岸なのです。ようやく実感が湧いてきました。

 それではぼちぼち出発しましょう。とびしま海道の突端から本州へ向かいます。








2021年11月1日(月)
来島海峡を越えて(4)

 高縄半島の北端をぐるっと回り込むように進んでいきます。間もなく高縄半島の最北端を越えようとしています。


 大角鼻には江戸時代に番屋があり、通行する船を取り締まっていました。四国本土から突き出た岬は、地形的にそれをするのに都合が良かったのでしょう。今は公園になっています。馬刀潟(まてがた)の集落へ行く途中で何度か立ち寄り、ここから北側の島々を眺めていました。今日は逆に海側から眺められるとは、感無量です。


 大角鼻の西側海上に、全長300mの「長磯」があります。ここも海の難所です。標高は最大7mということですが、ちょうど今は満潮のせいかそんなに高くありませんでした。赤い灯台が印象的でした。


 干潮時によく行く馬刀潟が見えました。天に向けて高く延ばされたクレーンが印象的です。いつもなら向こうからこっちの海上を見ていたのに、逆から見るなんて不思議な感じでした。


 さて、小一時間が過ぎてフェリーはようやく島に到着です。岡村島が間近に迫ってきます。今日も一日、素晴らしい出会いがありますように・・・。











2021年10月31日(日)
来島海峡を越えて(3)

 通り過ぎてから来島海峡を振り返りました。第三大橋をシルエットになっています。ふと橋の上を見ると人影がちらほらしています。目をこらしてじっと見ると自転車の姿もあります。サイクリングの解禁時刻になったようです。向こうからは、この船の遠ざかっていく様がよく見えることでしょう。


 大島側の第二大橋や第一大橋も日陰に入っています。また、知らぬ間に小さな船団が航路の外で漁をしていました。急流の来島海峡でもまれた魚介類だから、しっかり運動して身が引き締まっています。最大8ノットにもなり、マダイ・メバル・カサゴ・キス・アイナメ・サヨリ・アコウ・サバ・カレイ・タチウオ・ハギなどが捕れます。


 フェリーの右舷に「小島」からせり出してくるビワ首が、左舷には来島海峡の名の由来になる「来島」が迫ってきました。その間は600mしかなく、「来島瀬戸」と呼ばれています。小島側には急に水深が浅くなる「間ノ瀬」があり、緑の灯台が建てられています。潮流が当たって白い波しぶきが立っています。確かにこれは海の難所です。


 来島瀬戸を抜けてから、再び大橋を見ました。海面が日を反射してキラキラ輝いています。夏でもないのに日焼けしそうでした。














2021年10月30日(土)
来島海峡を越えて(2)

 今治港を出て20分。ようやく来島海峡大橋までやって来ました。これから橋の下をくぐるので何となくワクワクしています。フェリーの従業員や地元の方ならばありふれた光景でしょうが、初めての者にとってはなかなか見られません。船首に陣取って被写体を待ち構えました。


 第三大橋が迫ってきました。岡村島へ向かうときは、やはり四国本土寄りのコースを取るようです。ちなみに、各大橋のデータは次のようになっています。

 ①来島海峡第一大橋
  全長960m、スパン600m
 ②来島海峡第二大橋
  全長1515m、スパン1020m
 ③来島海峡第三大橋
  全長1570m、スパン1030m

 第二大橋と第三大橋はほとんど長さが同じです。しかし、第二の方にはすぐ近くに島があるけれど、第三にはないために海峡が余計に広く感じられます。何というか細い道路にワイヤーをピンと張って、ちょっと頼りなさそうな感じです。さて間もなく下をくぐります。


 ここからはパラパラマンガみたいにお楽しみください。










































































 ついに橋の真下を通り抜けました。このように広い海峡を、たった1本の道路で結んでいます。よく耐えられるなと感心しました。青い空を灰色の太い直線がぶった切っているみたいです。































 今治側の橋桁が白く明るく光っています。一方で、大島側は黒く暗く沈んでいます。朝日の照りつけによる対比が面白いです。さて、まだまだ船旅は続きます。





























2021年10月29日(金)
来島海峡を越えて(1)

 今治港を出ました。ここからは休憩時間・・・ではなく、最も忙しい時間となります。船が海の上にいる間に多くのものを見るためです。


 すでに今治港は遠く小さくなっていました。さて、このフェリーはどの橋の下を通るのか。電子国土では来島海峡第二大橋を通っているが、関前航路の地図では来島海峡第三大橋になっています。一番海が狭い来島海峡第一大橋ではないことは確かです。ちなみに、今治の北東に位置する大島側から順に第一・第二・第三となります。


 前方に第三大橋が見えてきました。3つの大橋のうちで最も長いです。橋の下はかなりの急流で、岩礁などの障害物はほとんどありません。このまま進めばそこを通過することになります。


 自動車道の向こう側に、大きな紅白のクレーンが林立していました。波止浜の造船所のようです。高さは150mにもなるそうで、巨大な貨物船を吊り上げることができます。こうして見れば、味気ないはずの人工物もオブジェのように見栄えがします。


 目を反対側に向けると、第二と第一大橋が見えました。左が中渡島、右が武志島ですが、どちらも橋の手前にあります。一見すると橋が島に架かっているようですが、橋桁が立っている訳ではありません。


 今治港を出るときに四阪島が見えていましたが、海峡に近づくにつれて小島や岩礁が多くなりました。望遠で見ると、まるで島が浮き上がっているように見えます。灯台があるので、おそらく竜神島でしょう。一周100mもない小島です。来島の急流にもまれて、それでも今まで存続しているのだから大したものです。


 そう言えば、以前に北海道のオホーツク海の小島が消滅したという話がありました。その結果、日本の領海が少し狭まってよその国が勝手に日本近海に押し寄せています。公海だから余り文句は言えないところ。津軽海峡なんか、中国やロシアの艦船が通りまくりです。


 それに対して、瀬戸内海はどこもかしこも島ダラケなので、公海はどこにもなくそれらの艦船が勝手に通行できる海はありません。でももしいくつかの島が削れてなくなって、津軽と同じように通られると怖いですね。


 船の後ろから今治の方を振り返りました。もう港は見えません。太陽と海の青さだけならまるで真夏のようです。今日も暑くなると聞きました。10月末なのに信じられませんね。でも世の中信じられないことがいろいろ起きています。それらが人類にとって幸福をもたらすものであればと願います。

















2021年10月28日(木)
今治港から出港(2)

 待ち望んでいた渡し船(フェリーともいう。)がやっと来港しました。今治市営の関前(せきぜん)航路です。積善ならば別子銅山の鉱床の1つだったな・・・などと関係ないことを思っているうちに、誘導係から合図が出ました。


 まず、フェリーにはバックで入ります。船が小さいので前部にしか開閉口がないからです。最大16台まで載せられるそうで、今日はその半分の台数とバイクが6台くらいでした。赤いゲートをくぐり、最後に郵便物を含む貨物便が入り、ようやく出港です。


 係留していたロープが外され、タラップが上がって行きます。車やバイクには車止めが施され、揺れても倒れたり動いたりしないようにします。これからあの来島海峡を越えていきます。しまなみ海道を渡ったことは何度もありますが、航路を利用するのは初めてです。どんな光景を目にすることができるのか。期待感にワクワクしてきました。








2021年10月27日(水)
今治港から出港(1)

 今治港にやって来ました。もちろん船に乗るためです。「まてがた」から車で20分かかりました。朝が早かったので余り混んでいなくて助かりました。


 待機場に駐車して、発券所で車検証を見せます。車のサイズを申告するためで、大きいほど料金も高くなります。少人数なら小型車が良いですが、ゆったりしたスペースが必要なためちょっと大きめの車で来ました。その後、屋上の展望台に上がりました。


 今治市街地を見渡せます。南西方向に今治城の天守閣があります。数年前に行ったことがあり、そのときは城郭から港を見下ろしました。あのときと逆になったなと妙に感慨深く感じました。ここから見るのもきれいです。


 東を眺めると遠くに島影が見えます。四阪島のようです。最も大きい島は四つ葉のクローバーのような形状をして、周囲は2kmくらいです。かつて別子銅山が稼働していたとき、ここで鉱石の製錬が行われていました。今は島全体にその跡が残っています。


 何処からか船が帰ってきました。旅客船のようです。こんなに朝早くから移動する人がいるんだ・・・などと自分を棚に上げている自分がいます(笑)。
 ではそろそろ車に戻りましょうか。








2021年10月26日(火)
夜明けの馬刀潟(3)

 すっかり夜が明けました。どうやら水平線上に日が昇ってきたようです。さっきまで真っ暗だった浜も石拾いができるくらいに明るくなりました。干潮を過ぎているので、早くしないと潮が満ちてきます。


 「まてがた」の浜も随分明るくなって、昔のクレーンも見えます。さっきの漁船が戻ってきました。この海岸線に沿って何かの漁をしていたようです。島嶼の多い瀬戸内海は魚介類の宝庫です。その恵みを受けて私たちは生活することができます。


 対岸の島もすっかり明るくなりました。南の海岸線に日が照りつけて、さっきまでの灯火は皆消えたようです。小さな港湾と集落、山頂に上がる峠道もよく見えます。いつの間にか航行していた船がいなくなっていました。でも潮目だけは残っています。


 さっきの橋の下をくぐって多くの漁船が現れました。船尾に白い帆布を掲げて何かの合図をしています。さて、何の漁をするのでしょう。道の駅や海の駅に立ち寄ったら乾物でも購入しようと思います。
 こうして鉱物採集のはずが魚介類の現金採集にチェンジしました。何か良い物を売ってないかな・・・。











2021年10月25日(月)
夜明けの馬刀潟(2)

 ここでは放射性鉱物を採掘していました。「まてがた」の白岩鉱山です。馬の刀の潟と書いてそう読みます。古くて文字が消えそうな看板があります。ジルコニウムを含む鉱物「ジルコン」やイットリウムくさび石、フェルグソン石などを対象に採掘していました。


 これらの鉱物には放射能を持っているタイプがあります。ジルコンをここでは「波方石(ハガタライト)」といい、珍しい石だそうです。見た目は黒くて小さな楕円形で、まるでハムスターの糞みたい。それが石英や長石にくっついているのです。私は8年前に採取した1つしか持っていません。


 沼地のようなため池のような場所がありました。ここが採掘跡です。放射線を測定すると、周囲の4~5倍はありました。確かにここには放射性鉱物があるようです。坑道の崩れかけたのもありますが、その入口では10倍以上も強くてその先は危険です。命と石とでは比較になりません。


 採掘跡前の海岸に降りました。褐色のサラサラした砂浜とゴツゴツした石の浜が混在しています。灰色の石英はやや澄んでいてきれいです。煙水晶ならぬ煙石英と言ったところでしょう。それに白い長石が含まれていて、所々に黒い物質が含まれます。波方石なら良かったのですが、どうやら黒雲母の破片らしいです。


 防波堤が造られる以前は、この砂浜で様々な鉱物採集ができました。坑道から採掘した石を選鉱する場所だったからです。今はもうその面影もありません。私がここで目にしたのは、ジルコン・黒雲母・フェルグソン石・トロゴム石などです。しかし、最近ではそれらは全く見つからず、あるのは石英と長石ばかりになりました。それでも放射性鉱物の存在を示すある種の長石を確認しています。おそらくまだ残っているでしょう。運が良ければ拾えるかも。











2021年10月24日(日)
夜明けの馬刀潟(1)

 余り人がやって来ない時間帯を散策しました。ここは高縄半島の先端に近い海岸線にあります。まだ暗いうちに目が覚めてしまったので、思い切って起きて車を走らせました。ここに着いたのが6時前で、空にはまだ月が煌々としていました。写真を撮るとギラッと光りました。


 東の水平線から明るさが見えてきました。だんだん白くなっていく空は朝焼けです。澄んだ空気と波の音以外しない静けさが何とも言えません。自分だけの時間を取り戻したかのように感じられます。


 集落から人影が出てきました。ロープをほどいたり荷物を積み込んだり、どうやら出航の準備をしているようです。見ていると程なくしてエンジン音が聞こえ、ゆっくりと小さい漁船が防波堤の外へ出て行きました。まだ暗い島影と船のコントラストが絶妙です。波の穏やかな入り江に新たな波紋が広がりました。


 対岸の島々もまだ眠っているようです。遠くに町灯りが見えて、そこでも生活の営みが起こっているのがわかります。暖かな光です。アーチ状の橋も見えました。貨物船がゆっくりと通り過ぎて行きました。











2021年10月3日(日)
市ノ川鉱山と加茂川(3)

 余り人がやって来ない場所を散策しました。当たり外れが起こりやすいので、時間に余裕のある人出ないとお勧めしません。この時期は草が多くて石採りには適しません。帰りがけの駄賃でも・・・という軽い気持ちで川原に降りました。

 ・・・ありません。先行者に拾われたというより、元々少なかったというのが正解のようです。灰色の市ノ川礫岩を多く見かけますが、割っても中には鉱物が入っていない。水晶脈のある石を主に見ていきましたが、輝安鉱の鉱脈は見つかりません。小さくてちょっとだけ入っているのはありますが、結晶が密集していたり結晶が太い物とかはないです。

 代わりに、ザクロ石・ゆう簾石・紅簾石・苦灰石・透緑閃石・角閃石・かんらん石・金紅石・水晶・チタン鉄鉱・黄銅鉱などを見つけました。・・・見つけただけで拾いませんでした。鉱物を枯渇させたくないので、余程の良品でないと拾わないことにしています。高い費用(交通費とか)を出して来ているため元を取りたい気持ちはわかりますが、これは趣味であり道楽であるので、対費用を考えるのはヤボですね(笑)。

 きれいな空気と適度な運動、知己とのささやかな交流は何物にも代えがたい。さあ皆さんもゼロ密遊びをしましょう。海や山や川が待っています。








2021年10月2日(土)
市ノ川鉱山と丸野川(2)

 鉱山跡とは異なる道を進んだ先にありました。今日は、メジャーな産地のマイナーな場所を散策します。人気のある場所はそれなりの成果を上げられるでしょうが、人の出入りが激しく、これはと思うような逸品にはお目にかかれません。一方で、マイナーな場所には人が余り来ないので、ひょっとすると大きな成果を上げられます。とは言うものの、完全ボウズに終わることも多いので、一発勝負のバクチみたいです。
 事務所跡から丸野川沿いに下ってみました。堰がある第1地点ではたまに大きい物が見つかります。水に入って探すのでちょっと難儀しますが、長靴があれば大丈夫です。そこから更に下って市ノ川橋まで来ました。第2地点の橋の下には、流れてきた市ノ川礫岩が溜まっています。草が生えていてちょっとわかりづらかったです。そして、第3地点では川がカーブして流れが緩やかになるため、岸辺に石が溜まりやすくなっています。
 市ノ川の鉱物と言えば硫化アンチモンからなる「輝安鉱」ですが、ここは水晶も有名です。今日は不発でしたが、以前にそこそこ大きな結晶を4個も見つけました。他に、輝安鉱が風化して黄色くなった黄安華もよく見られます。灰色の毛のような毛鉱はめったにありませんが、希に大きめの石を割ると大きい空洞内に見つかります。ただし、同じような形状をした輝安鉱もあるので区別するのが難しいです。
 今探しているのが安四面銅鉱です。黒色から褐色でピラミッドのような結晶が特徴です。毎回気を付けて見ていますが、なかなかわかりません。まあこういうのは気長に探すのが大事です。運が良ければ見つかるし、そうでなければそれが運だったということです。いつになったら2つめが見つかるでしょうか・・・。








2021年10月1日(金)
市ノ川鉱山と事務所跡(1)

 加茂川東側の堤防を走ると、市ノ川の昔の集落に入ります。初めて来たとき、本当にそこまで行かれるのか心配でした。今では普通に通っています。
 さて、今日は地元の方々のカラオケ日でした。旧校舎から気持ちよく歌う声が聞こえてきます。ストレス発散もあるでしょうが、幼馴染みどうしの繋がりを大事にしようという気持ちが伝わってきます。昭和55年に閉校してからもう40年になり、その頃巣立った人も中年を過ぎました。ときどきここを訪ねて、昔語りにも花を咲かせているそうです。
 事務所跡はすっかり草ボウボウでした。17年前に橋が流されて向こう岸に渡るのが難しいです。それに足元が悪くて見えないから、穴ぼこや石につまづくと危険です。塞がれていない竪坑もあるとかで、もし行くならばそれなりの装備と慎重さが必要でしょう。私もここ10年くらいは行ってません。
 グラウンドのネットに、「アンチモンの里」とデカデカに表示されています。確かこれは私が最後に事務所跡へ行った後に掲げられた物です。ベンチに座ってひなたぼっこをしていました。向こうから話しかけてきたので、しばらく昔語りを聞いていました。やはりそこかしこの山にズリがあり、今でもアンチモンが見つかるそうです。銀白色の、そして青光りする結晶をまた見つけたいです。








2021年6月13日(日)
恋人の聖地ってどこにでも

 法皇トンネルを抜けるとそこは雪国・・・じゃなく青い瀬戸内海でした(親父ギャグ炸裂!)。でもボキャ貧よりはマシでしょう。
 別子山村から国道319号線を通り、再び下界の川之江に下りてきました。途中に見晴らしの良い展望台があり、ここもいつの間にか恋人の聖地になっているようです。ネットにカギを付けると互いに離れられなくなるとか、これってまるで呪い(笑)?でもそういう時代もあったよね。自身の黒歴史をひもとくと赤面ものなんだけど・・・。
 東方に川之江の製紙工場群が見えます。今朝ここを通ったときに嗅いだ臭いが今も漂ってきています。パルプの製造過程でどうしてもそのような臭いがするとか。住めば慣れるけれど、一部の社員は一山越えた池田町の方に自宅を構えているそうです。高速を使えば15分で着くため、生活環境を考えればそれもアリなんでしょう。
 遠くにいくつか島が見えました。観音寺市の沖に浮かぶ伊吹島のようです。差し渡し2kmくらいの有人島で、小学校もあるそうです。時間があれば離島巡りも復活させたいです。西方には新居浜市、その向こうに西条市があります。夜に来れば夜景がきれいでしょう。ただし、こちらの方に用事はないため当分無理だと思います。
 新鮮な自然の空気を吸って休日を満喫しました。同類もたくさんいて、ここの駐車場もツーリングのバイクや峠の走り屋たちでいっぱいでした。毎日閉じ込められてマスクしているのも疲れます。ときどきはこうしてパア~っとやるのもお勧めですよ。石採りに行きたい人は誘って下さい。








2021年6月12日(土)
銅山川本流での採集

 支流をあきらめて本流を攻めることにしました。狙うのは・・・行き当たりばったりで見た瞬間にビビッときた石です。ここに来るのは4年ぶりで本当に久しぶりです。銅山の下流にも関わらず、水は澄んでいて魚もいます。涼をとるためテントを張ってチェアーを置いて、BBQや昼寝を楽しむグループもいます。ゼロ密遊びに最適でしょう。
 さて、川原を隅からじっくりと見ていきました。柘榴石や蛇紋岩、銅山石などがありますが、まったく食指が動きません。以前に大きな岩に付いたルチルを見つけていましたが、それもどこかに行ってしまいました。先行者が見栄えのする石を積み上げていました。庭石には良いでしょうが、標本としては大きすぎたりすでに採集済みだったりします。ちなみに、銅山石というのはキースラーガーから銅を取り出した後のカスです。ゆえに、人工物であり鉱滓とかスラグと呼ばれる類いです。割ってみると内部は真っ黒で、焼けた硫黄の臭いがします。キースラーガーだったら内部は金色や銀色なのですが・・・。
 ここにも大勢の人が入っているようで、余りめぼしい物はありませんでした。それでも何とか手のひらの半分くらいのチタン鉄鉱と、レアな藍晶石が見つかりました。後者の産地として国領川の鹿森ダムが有名ですが、そこから一山越えた銅山川でもまれに目にします。薄い水色の結晶が白い母岩に含まれていました。
 まあこれだけ宣伝されているから、県外からも来ない方がおかしいですね。私たちも県外人だし・・・。根こそぎ盗るのはNGだけど、自分が楽しむためだけに欲しい物を少し採るのは問題ないと思います。何だかんだと言ってもこういうのは早い者勝ちだから。石に対しても一期一会があるので、ビビッときた石はさっさと手中に収めるべきです。








2021年5月31日(月)
支流の谷で石探し

 銅山川にはいくつかの支流があります。本命だった谷筋は崩落していて危険だったので、次点として考えていた谷に下りました。
 ここへ来るのは久しぶりでした。もうかれこれ3年くらい来ていませんでした。さぞかし様相が変わっているかと思いきや、見た感じは以前と変わりなく周辺の民家も同じでした。ただ人気が少なく空き家が増えたような気がします。どこもかしこも限界集落ばかりで、仕事と生活の利便性を求めて、体力のある家庭はどんどん流出しているからです。深く考えると思考の袋小路に入ってしまうので、気持ちを切り替えて石採りに専念することにしました。
 ・・・特になかった。持ち帰るほどの物は・・・。オリーブグリーンのかんらん石、藤色の菫泥石(きんでいせき)、ドロマイトの鉱脈と丸いガーネットを含むエクロジャイト、青緑色結晶のリーベック閃石、黄色く脂ぎった感じのチタン石、柘榴石中の金紅石、赤ん坊の頭大もある白雲母、赤紫色のコランダム(ルビー)、黒色のアルベゾン閃石(説明は聞いたが本当にないのか?)、・・・などが見つかれば有頂天になったでしょう。すでに過去の物となったみたいです。
 透明感のある曹長石がありました。まずまずの大きさであり、柘榴石も含むためここまでの駄賃にキープしました。先行して奥まで行ったK様が戻ってきました。特に収穫なしです。思ったより草が生えて石を隠してしまったので、そこから先へは行かなかったとのこと。めぼしい物は拾われているようでした。
 疲れたので大岩の上でごろんとなりました。川のせせらぎが聞こえてきました。私の顔のすぐ上を茶色い羽根のカワトンボが飛んでいます。あくせくと活動しなくても山ではこういう楽しみがあります。ついでに早い昼食を取ってのんびりしました。








2021年5月30日(日)
銅山川の鉱山の遺構

 石仲間のK様とS様を誘って行きました。ここは別子銅山筏津鉱床のあった場所です。位置としては、瀬場より1km上流になります。東赤石山への登山道の出発点で、シーズンにはハイカーの車で賑わいます。この日は誰も駐車しておらず、余裕を持って停められました。
 リュックに簡単な荷物を入れて川原に降ります。最近は暑いので飲料だけは欠かせません。数日前には先客がいたようで足跡や割り跡が残っていました。狙いは別子銅山の有名なキースラーガーと、スピリチュアルなアクチノライトです。
 キースラーガーの語源はドイツ語で、和名では含銅硫化鉄鉱といいます。鉱山稼働時には、坑道ごとに○○鉑(ハク)とか異なる名称で呼ばれていました。ここでは金色の表面に出る黒い模様が何に似ているかによって、ヨモギとかナタネハクとか名付けられていました。また、表面が赤いキースは紅鉑(ベニハク)と呼んでいました。鉄と硫黄からなり、数%の銅を含んでいます。その鉱石を融解して銅だけを取り出した後のカスが河床に残っていました。
 アクチノライトは透緑閃石のことで、赤石山系では有名な鉱物です。透明感のある緑色の柱状または繊維状結晶で、水中に浸すとみずみずしい結晶が露わになります。パワーストーンとしても有名で、意識を集中させ第六感を働かせるとして、受験生必須のアイテムになっています(笑)。関川・国領川・加茂川でも見られますが、全国区になってあちこちから人が来るため見つけられにくくなりました。それでも今日は3個見つけられました。
 ここから南側の山道を20km進むと、高知県大川村の白滝鉱山があります。しかし、何年も前から道が崩れて通行止めです。通行車両が少ないため影響も少ないですが、私たちとしては早く復旧して欲しいところです。ついでに汗見川と結ぶ猿田川沿いの道も通れるようになって欲しいですね。こちらはもう十年以上になるでしょうが。








2021年5月29日(土)
瀬場谷のエクロジャイト

 有名なエクロジャイトの標本、いや石碑と呼んで良いでしょう。ここは旧別子山村の別子銅山資料館前です。コロナのせいで休館していますが、トイレは使用可でした。銅山川沿いにあり、斜め前には公民館や中学校があります。標本に建物が映り込んでいますね。保土野谷を散策するときのベースになるし、私たちはここを待ち合わせ場所にしています。
 エクロの磨いた面を観察してみましょう。透明感のあるガーネットやアパタイト、光沢のあるルチルやパイライトが含まれています。エクロジャイトは、元々マントル上部の物質が変質しないうちに地上に出てきた岩石で、国内では三ヶ所、世界でも二十数ヶ所の狭い地域でしか見つかっていません。そのように大変珍しい岩石なのです。
 瀬場谷へ移動しました。こちらにもエクロの石碑があります。資料館の物と同じ岩塊から取り出した「片割れ」ですが、こちらの方が巨大です。人物が写っている磨かれた面に沿って分離され、よく見ると資料館の物とは上下が逆になります。ほとんど住民がいないこんな所(失礼!)で、20年前に国際エクロジャイト学会が開催されたというのですから驚きです。しかし、地形地質や産出量などから国内ではここほど適した場所はなかったと思います。
 瀬場の橋の下には、赤茶けた岩がごろごろしていました。そのうちいくつかはエクロでしょう。割ってみないとわかりませんが、赤褐色の柘榴石と緑色のオンファス輝石を含んでいるのがそれです。見た目の異なるエクロを何種類も採集していますが、王道はやはり真ん中の画像でしょう。
 今はなき筏津山荘でコーヒーブレイクしたとき、頂いた石片を思い出しました。その石片もこの石碑と同じ岩塊から得た物でした。2つの標本(石碑)を取り出す過程で生じた石片ということです。今も大事にしています。何しろエクロジャイト学会が認めた由緒正しき標本なのですから・・・。








2021年4月6(火)
東北へ旅立つ藍晶石

 新居浜市国領川で採取した藍晶石(カイヤナイト)です。正確には全体的に鉱染状にカイヤナイトを含む結晶片岩です。鹿森ダム上流のズリから流されてきたと思われ、サイズは30cm四方の大型標本です。
 このタイプの石は乾いているとただ白っぽいだけですが、水に濡らすと青さが目立ってきます。結晶はかなりルーズですが、カイヤナイトが濃縮している部分がとても青いです。たまに細長い柱状結晶も見られます。また、柘榴石・角閃石・白雲母などをよく伴います。
 この産地は道路工事の際に露頭が破壊され、その廃棄土砂が道路の下に積み重なっています。これを便宜上「ズリ」と呼んでいます。そこから少しずつ崩れて流されたり、あちこちに散らばっている土砂が河川に洗われたりして、国領川の川原に転がっている訳です。
 他にも頼まれている物がありましたが、今はちょっと入手できないので、代わりに同じ国領川の透緑閃石(アクチノライト)などを同封しました。雪のない四国からようやく雪が消えていく東北へ、春の便りを送ります。





2021年1月23日(土)
加茂川の市ノ川礫岩

 再び、石仲間のK様とY様、S様と西条市の加茂川にやって来ました。国道194号線の寒風山トンネルはまだ通行できるそうで、自宅から2時間くらいで全員集合しました。
 まず、芋煮会場の河川敷にて採集しようとしました。しかし、すでに先客がいて袋にいっぱい石を拾っていました。邪魔しては悪いので、私たちは別の場所へ移動しました。この川で狙うのはもちろん輝安鉱です。支流にあった市ノ川アンチモン鉱山から流れてきたものです。
 市ノ川礫岩(いちのかわれきがん)に鉱脈が含まれ、川原ではこの灰色の石を探します。およそ100個に2~3個くらい、輝安鉱が見られます。表面に灰色の物質がベッタリという感じで付着しています。それを割ると、輝安鉱の新鮮な面が現れます。青光りしてとてもきれいです。なお、水晶ならその5倍くらいは見つかりますが、小さい米水晶ばかりです。
 川原に降りてから20分くらいは何も見つかりませんでした。それでも地道に丹念に石を見ていくと、少しずつ小さい輝安鉱が目に入るようになります。水晶脈をもつ礫岩を割ってみました。同様のもの10個に1個くらい、水晶のすき間(晶洞)に輝安鉱の柱状結晶が見つかります。つまり300個の母岩を吟味して、そのうち10個を割れば1個くらいはゲットできるのです。これは大変そうに思えますが、・・・実際に大変です。焦りは禁物で、じっくりと石を見て下さい。
 現地で2時間滞在しました。成果は、黄銅鉱・アクチノライト・ルチル・かんらん石でした。市ノ川では黄銅鉱や黄鉄鉱も産出しましたが、まともな標本はなかなかありません。ある意味で輝安鉱より珍しいのですが、今回はまずまずの物が拾えました。また、加茂川のルチルも珍しいので迷わず拾いました。
 一方で、輝安鉱が1つもありません。結晶が小さかったので置いてきました。道の駅なら1つ300円くらで売れたでしょうが、商売にするつもりはありません。心ある人に拾われたら幸いです。








2021年1月22日(金)
国領川の藍晶石

 石仲間のK様と久しぶりの参加となるY様、前回に引き続いて高知のS様たちと一緒に、愛媛県新居浜市の国領川へ行きました。道の駅にて待ち合わせしながら、そこで販売している石を見ていました。別子銅山の鉱石や鉱滓は非売品でした。知っている人なら採りに行けますが、大きい物は置き場所に困りそうです。
 いつもの場所であった鹿森ダムは工事中だったので、やむなく下流の川筋を訪れました。大橋の辺りまで来ると川原がかなり広くなり、観察しやすくなります。それぞれがリュックを担いで川原に降りていきました。
 歩き出して5分後に藍晶石を見つけました。上流のズリから何kmも押し流されてきたと思われます。母岩は全体的に黒っぽくて角閃石のようです。その中に淡い青色の柱状結晶がいくつか見られました。また、柘榴石も含まれており比較的珍しいタイプでした。ただし、結晶の量に対して母岩が大きいため、これは採集せずにそのまま残しました。
 さらに下流へ移動すると、流水のため川原がの範囲が小さくなり枯れ草が多くなりました。思ったほど鉱物が見つからず、予定時間の半分くらいでここから引き上げることにしました。柘榴石や白雲母などが見つかりました。
 上流の方を見ると、別子の山々が白くなっていました。標高1000mを超えるので、山頂部はすっかり根雪になっているようです。向こうの銅山川や白滝鉱山は眠っているのでしょう。春の雪解けが待ち遠しいです。








2020年10月25日(日)
土砂に埋もれた関川

 石仲間のK様と今回が初参加となる高知のS様と一緒に、土居町の関川(せきがわ)に来ました。ここは四国最大の鉱物採集のメッカでした。ところが、昨年から重機が入って川原を埋め立てたため、今では少し縁遠い場所になりつつあります。私たちがここへ来たのは実に500日ぶりくらい。すっかり様変わりしていました。
 アリーナから少し西にある堰の上手の川原は草ボウボウで、地面が見えづらくなっていました。それでも車の出入りはあるようで、地面が固く踏みしめられています。 私も経験がありますが、初心者は焦って一度にたくさんの石を見てしまい、逆に脳の処理能力を超えてしまってパニックになりやすいです。そこで、石採りが初めてというS様には、目移りしないように柘榴石に集中してもらいました。一口に柘榴石と言っても、産状や大きさ、母岩の含有鉱物などが異なり、様々な種類が存在します。つまり、柘榴石だけを集めても標本セットができるくらいあるのです。黒い角閃石や白い曹長石とか石英、その他見かけが様々な石を拾われていました。なお、密にならないように十分注意しています。
 次に、2つの川の合流点へ行きました。川原まで降りられる道がありますが、封鎖されていたので徒歩で進みました。こちらにも柘榴石がたくさん落ちています。S様に成り代わって、その他の鉱物や岩石を探しました。藤色の菫泥石(きんでいせき)や透緑閃石(アクチノライト)の塊、硬くて重い榴輝岩(エクロジャイト)が見つかりました。これらは関川名物の鉱物や岩石です。お土産を渡すことができてほっとしました。なお、アクチノライトについては別にきれいな小片が見つかったので、やや黄色い塊はそのまま置いてきました。
 私たちが滞在している2~3時間で、複数の個人やグループが来ました。自宅の庭石にするため柘榴石を持ち帰ったり、狙いの鉱物を探しに来たりしていました。やはりここはメッカのようです。しかし、現状では以前ほど採集できなくなっています。結局何も採集せずに景色を見て帰りました。産地がまた失われつつあるようで一抹の寂しさを感じました。








2020年5月31日(日)
国領川の石ころ川原

 国領川は新居浜市中心部を流れる河川で、別子銅山を源とします。年を通じて水量はそう多くなく、泥汚れで白っぽくなった石がごろごろしています。平野部から山の裾野に入る境界線、すなわち「エントツ山」からマイントピアに至る中流辺りもよい採集場所でした。
 藍晶石の産地はダムより上流ですが、ダムができる前に中流域にまで流されてきています。今回はそれを狙いました。土手下に駐車して軍手を身につけ、ビニール袋と網のように編んだロープを持って行きます。このロープは以前に高知の室戸岬で拾っていた物で、袋が破れるくらいの重量級の持ち運びに最適です。
 いしころだらけの場所を見つけて川原に降りました。大きな石が無秩序に積み重なり、足を取られて意外と歩きにくいです。何カ所か回ると、あちこちでアクチノライトを見つけました。本場の関川では見つけにくくなりましたが、こちらではまだ多いようです。粘り強く集中力を高める効果があるパワーストーンで、お受験に最適とのことです(本当?)。5つくらい拾いましたが、持って帰るのは2つだけにしました。
 川原で誰かがBBQをしていました。かまどに使われて黒くススけていたのもアクチノでした。たぶん知らなかったんでしょうね。なお、エントツ山から上の川原へ行くときは、路肩の駐車に気を付けましょう。





2020年3月30日(月)
国領川での戦利品

 結局、上流のズリからの採取を断念しましたが、その下流からいくつかめぼしい物をゲットしました。まず、ざくろ石。珍しいとは言えないかもしれませんが、関川よりずっと少ないし粒子がきれいな物は稀です。次に紅簾石。赤紫色の結晶を含んでいました。
 細かい緑色の毛のような結晶に気が付きました。よく見るとその石全体が結晶の塊です。関川や汗見川で見かける透緑閃石(アクチノライト)です。人気があるのでどこの産地でも最近はずっと少なくなりました。本場の関川ですら何回か行かないと見つかりません。鉄分が多いと黒くなるそうですが、これは明るい緑色でした。
 さて、事前に石仲間のM様から情報を得ていました。何でも藍晶石(カイヤナイト)の大型標本が転がっているが、重すぎて持って来られなかったようです。そこで、その石は上げるから何とか車まで運んでね・・・というありがたい話でした(笑)。確かに私は50kg超の石を転がして運んだことがあります。
 もう2週間経つからなくなっているかもしれない。焦燥感に囚われながらも現地へ急ぐとあったあった!教えられた場所にそれが鎮座していました。黒い角閃石の覆われた母岩に、柱状のカイヤナイトが多数含まれています。私なら何とか持ち上げられるくらいだったので、無事に運び終えました。お宝ゲ~ット!!次の展示会でまたお目にかかりましょう。






2020年3月29日(日)
鹿森ダム上流は立ち入り禁止

 国領川に来ました。マイントピア別子という道の駅がある川です。かつては別子銅山のお膝元だった地域ですが、今はそれらの遺構が点在して観光名所にもなっています。
 ここへ来た目的は川原での鉱物採集です。鹿森ダムという大きなダムがあり、その上流では様々な鉱物が見つかるのです。有名な藍晶石をはじめとして、透緑閃石・ざくろ石・紅簾石・金紅石・緑簾石・角閃石・水晶・ソーダ雲母や別子銅山のキースラーガーなど。関川よりは少ないけれど私たちを十分楽しませてくれます。
 ところが、いつもの場所が立ち入り禁止になっていました。ここはよく工事が行われるため、こういったことはよくあります。それでもちょっと困りました。他の場所へ行くにしても時間がなく、せっかく来たのだからあきらめきれない。そこで、友人から教わった場所へ移動しました。
 ダムは十分な量の水を湛えていました。風もなく湖面が鏡のようです。ダムの上から(もちろん立ち入り禁止の鎖の前まで)下流をのぞき込むと、その落差に足が震えます。早明浦ダムほどではないけれど、ものすごく高さがあり下の川原がとても小さく見えます。今は渇水期で石が露出しているため、鉱物を探しやすいです。
 ・・・周りはほとんど切り立った崖ばかり。降りることはきわめて難しいでしょう。仮に降りられて石を見つけたとしても、重量級の石をどうやって車道まで持ち上げるのか。労力に見合うだけの成果があるかも疑問です。誰かするのなら止めませんが、自己責任でやってください。
 移動した先ではそこそこの成果がありました。やっぱり持つべきは友人です。今度は私が貴重な情報を差し上げましょう。開けていない引き出しはまだあります。否、今も追加されていきます。すべてクリアできる日は来るのでしょうか。






2020年3月28日(土)
札峠はビューポイント

 相之峰集落のすぐ東に絶好のビューポイントがあります。標高857mの札峠です。知識もなく何の気なしにこの道を通ったとき、急に両方の視界が開けて遠くの山々が見えたので驚きました。何しろ道の両側が急斜面で障害物がなく、完全に吹きさらしの状態だったのです。
 それから次に訪れるまでに丸1年かかりました。徳島から遠いことと周辺に用事がなかったからです。某写真家のように桜の写真を撮るためだけに800kmも走るなんて真似できません。それだけの時間と金を使う価値があるのか。これは個々の考えなので何とも言えません。
 さて、峠の中央にあった小さいスペースに駐車しました。めったに車が通りそうにないですが、それでも万一がありますから(実際にこの後で軽トラと対向しました。)。まずは深呼吸から・・・。早春の空気は気持ち良いです。山菜採りには少し早いですが、春の息吹が感じられます。
 札峠の県道は南東から北西へと延びています。北東には西日本最高峰の石鎚山や堂ヶ森などの石鎚山系、南西にも笠取山など標高1500mクラスが並んでいます。さえぎる物がないため遠くまで見渡すことができるのです。素晴らしい景色をしばらく堪能しました。
 その後は国道494号線に下り、面河ダムを左手に見ながら、桜三里に向けて黒森峠を越えていきました。・・・やっぱり遠かったです。






2019年12月17日(火)
鉱石と砂鉄とマンガンと

 8~6年前に四国の海岸に分布する砂鉄に興味を持ち、延長1200kmの海岸線を訪れて、約80ヶ所からサンプルを採取しました。その中で特に砂鉄の含有量の多い場所を選び出したのですが、その1つがここでした。八幡浜から西へ延びる佐田岬半島鉱山群は別子型キースラーガーで、大小30ヶ所以上もありました。そのためかどうかわかりませんが、この海域には鉄分が多く、海岸に砂鉄が黒い層となって沈殿しています。
 たくさんの風車が回る半島から少し南へ、愛媛の西海岸にて砂鉄を採取しました。黒光りする粒子でもちろん磁石によくくっつきます。母岩も黒い角閃石を主とする物で、その結晶が塊状になっていました。干潮になるとねずみ島への道が繋がり、砂浜と結ばれます。幅50m長さ200mくらいでゆるやかにカーブした道です。しばらく見ているとそこを散歩している人がいました。いつもは海面下に隠れてしまいますが、大潮の時期だけこうして現れるようです。前もって干満時刻を調べておいて良かったです。
 漁船がひっきりなしに行ったり来たりしていました。また、九州からと思われるフェリーも通りかかりました。四国の西の玄関口だけあります。今度は九州へも石拾いに行ってみたいです。




2019年6月19日(水)
関川の川原は暑かった!

 暑かった!本当に暑かった!!
 もう真夏が来たかと思いました。いつもの合流点では工事が行われていて、車で降りることができませんでした。仕方なく第2地点まで移動して駐車し、そこから川原に向かいました。照り返しのおかげで、石が白く光って表面がよくわかりません。雨に濡れるのもわかりにくくてまずいけれど、こういう場合も大変困ります。
 河口から潮の臭いがしてきました。海風が吹いてきているようです。今いるところは5kmくらいなので、ときどきそういうことがあります。赤い柘榴石がたくさんあります。他の鉱物はわかりにくいです。キンキラキンの黄銅鉱がありました。白っぽいのは黄鉄鉱です。桃色っぽいのは班銅鉱かな?
 小さいチタン鉄鉱の結晶とルチルがありました。共存していなくてちょっと残念です。大岩の上に置いてみました。後から来る誰かが持って行くでしょう。エクロジャイトは見当たりません。慣れたらすぐ見つかるのですが、今日は不調でした。
 同行していたのは初心者の方々です。柘榴石に興味があってのことですが、この暑さでへばってしまったみたいです。寒くなってからまた来ようと話がまとまり、明日の仕事に備えて早めに切り上げました。もっと体力があれば良いのに・・・とも思いましたが、年齢相応なので文句言えませんね。


2019年4月20日(土)
千本峠の高温石英

 金魚鉢の底に敷く砂を選り分けていると、六角形の透明結晶が含まれていました。ほどよく形が整った物で、すぐにピンときました。これは高温石英だと・・・。
 高温石英は水晶の一形態で、573℃以上で結晶するとそのような形になるそうです。例えば、火砕流などにより火山灰が降り積もって、それが圧縮されると凝灰岩になります。そのとき、岩の内部が高温のままであれば、この結晶ができる要因を満たすのです。
 ベータ水晶とも言うようですが、詳しいことは余り知りません。ソロバン玉のような・・・と言っても算盤を知らない世代も多いでしょう。ロシア産には赤いベータ水晶もあります。センチ単位でかなり大きいです。
 松山ICで降りて国道33号線を走り、はるばると千本峠までやって来ました。冬季は降雪も多いとか。でも今日は晴れ渡って絶好の採集日和です。周辺調査も兼ねて3ヶ所ほど回りました。なお、千本峠は愛媛と高知を結ぶ四国の道でもあり、四国霊場88ヶ所を回るお遍路さんが通っています。
 1ヶ所目は車を横付けしてすぐでした。白っぽくて細かい土の中に、キラキラした結晶が無数に入っています。大きさは1~2ミリ程度と小さいですが、透明度は高いです。10個ほどを一塊にするとうっすらと紫色に見えました。アメジストなんですね!
 2ヶ所目は少し山登りしました。昨年に枯れたススキ野原で、僅かに見える赤土の中に結晶が見え隠れしています。大きさはさっきより大きめで最大5ミリはありそうです。また紫色も少し濃かったです。また、メノウや玉随の小片もありました。どれも二酸化ケイ素からなるので石英の仲間です。
 3ヶ所目は沢下りでした。崩れた露頭から結晶が見つかります。ただし、土に埋もれているためわかりにくいです。大きさは5ミリを超えてセンチに近い物もありました。不透明で少し紫がかっています。ハリ長石や黒雲母などもありました。凝灰岩も多数転がっており、それらの結晶を含んでいました。メノウは見られませんでした。
 こうして今回の採鉱を無事終えました。なお、金魚は飼っていないので念のため。


2019年2月10日(日)
肱川を遡って

 肱川(ひじかわ)を20kmほど遡って野村町に入りました。この辺りは急峻な山と谷が連なり、ほとんど平野がありません。そのため国道から離れた位置に集落があったりして、ちょっと買い出しに行くだけでも車が必要です。
 ダム湖にはいくつかの橋が架かっています。道はダム湖に沿って延びており、小さな集落を結んでいます。かつてここに豪族が城を建てて支配していました。山頂にその跡が残っています。高台になっているので、四方を見渡すことができました。
 さて、貝吹鉱山で少しだけ黒いマンガンを拾いました。オキシドールをかけると発泡しました。確認しやすい方法です。


2019年2月9日(土)
最北の浅川型キースラーガー

 大洲ICで降りて肱川沿いに数km進むと、田んぼの中に小山が見えてきます。根太山です。「ねだ」じゃなく「ねぶと」と読みます。これは地元の農家の方から教わりました。聞いてみるものですね。
 ここで産出するキースラーガーは変わっています。赤紫色のチャート中に銀白色の硫化鉄鉱脈が走っているのです。このタイプは徳島県の浅川鉱山など四国南部でしか見られません。宍喰鉱山や高知県の上倉鉱山などもこれと同様です。
 別子型キースラーガーは、吉野川沿いから愛媛県の銅山川沿いに分布しています。そのすぐ南側には秩父帯という地質帯が走り、祖谷鉱山や名野川鉱山、子持鉱山などでは異なるタイプのキースラーガーを産出します。個人的にはきれいな含銅硫化鉄鉱だと思います。
 ところが、この鉱山は秩父帯より北側に位置します。本来、浅川型が存在しない場所なのに。だからこそ、ここの成因に興味があり、遠方にも関わらず何度も訪れることになりました。
 鉱山跡までの山道はひどいものです。崩落していて谷川に落ちそうになったり、倒木が多くて枝に擦りながら乗り越えたりくぐったり・・・。そして、到着地点の陰気くさいこと。こんなところでしばらくいると、気が滅入ってどうにかなりそうです。複数の友人とバカ話しながら行った方が良いでしょう。



2013年11月3日()
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