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四国外の旧記事
私は2005年から主に四国内の鉱山跡を訪ねています。2018年01月26日までの記事です。地元の方と知り合えたり、新しい発見があったりでとても充実しています。一緒に行きたい方はメールして下さい。
お問い合わせは、 fe26-co27-ni28-cu29-zn30@ymail.plala.or.jp (事務局)までどうぞ!


(今までに行った都道府県)一度行った場所は忘れません!
北海道・青森・岩手・福島・新潟・富山・石川・福井・栃木・埼玉・茨城・東京・神奈川・
静岡・山梨・長野・岐阜・愛知・三重・滋賀・奈良・京都・大阪・兵庫・岡山・広島・鳥取・
島根・山口・福岡・大分・佐賀・長崎・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄・(あと四国四県)
タイトルにM番号が付いているものは鉱物や岩石です。



2018年01月26日(金) 記事NO148の1
し銅山の鉱物 その1 M36
橋を渡って銅山へ行きました。四国とは異なる産状に驚きの連続でした。所変われば品変わるとはよく言ったものです。
平日の高速料金は高く付きますが、急に休みが取れたので四の五の言っているヒマはありません。やる気と時間があれば、朝早くても出かけることにしています。フットワークの軽さとノリの良さがうちの売りなのです。
日が昇る前にはすでに別の島へ渡っていました。そこからアドバイスと地図を頼りに銅山を探します。くねくね道のその先に山の神がありました。そして、つぶれた坑口がありました。ズリはかなり古いようで、開けた場所にあるけれど何となくジメジメしています。落ちていた石に触れてみました。すると、指がぴたっとくっつくような感じです。何しろこれには砒素が含まれているから・・・。
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黒いのは硫砒鉄鉱

2018年01月26日(金) 記事NO148の2
し銅山の鉱物 その2 M37
ちょっと海を渡っただけなのに、こうも地質が異なるとは不思議です。慣れない産地では、それがどの鉱物なのかわかりにくいです。こういうときは地元の方に教わって目を肥やすのが一番です。
でも石よりも産地情報よりも得がたいのが『信用』です!人と人が付き合うとき、まずお互いに信用できる相手かどうか見極めようとします。うわべだけ見るのではなく、その行動ややりとりするメールの文章からもその人柄がわかります。私たちは幸いにして互いに信用できる友人に恵まれました。石よりも大切なものです。
胸襟を開いて私たちと会話できる人を、門戸を広げて待っています。最初は警戒しても構わないので、焦らず少しずつ仲良しになりましょう。まずはメールをお待ちしています。
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黄色いのはビューダン石



2018年01月21日(日) 記事NO147の1
瀬戸田の鉱物(1) その1 M34
瀬戸内海に浮かぶ広島県生口島には、銅やモリブデンを採掘していた鉱山や採石場がありました。今は業者の管理地となり、露頭が埋没して採集不可になりましたが、それまでは多くの珍しい鉱物の産地でした。
石を片付けていると、箱の中から数年前に採集した鉱物が出てきました。主に銅を主成分とする鉱物で瀬戸田産の石でした。自然銅・輝銅鉱・デュルレ鉱・コベリン・斑銅鉱・黄銅鉱などです。他にも鉄やスズなどの金属も見られました。採算が取れるほどの量はなかったように思います。しかし、鉱物標本としては価値があるでしょう。丘全体が緑色をしており、鉱物種が多いことからまるで日本のツメブ鉱山です。しかし、何度も言いますが今は侵入禁止となっているので、盗掘してフェアやマーケットで売らないで下さい。
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孔雀石の被膜とスズ石

2018年01月21日(日) 記事NO147の2
瀬戸田の鉱物(1) その2 M35
みかん畑の上の方に瀬戸田鉱山の跡地が残っています。地元出身のY様と友人のM様、会社の同僚のA様とF様と過去に訪れました。
ズリはありましたが、赤茶けた急斜面に石はほとんどありません。孔雀石の緑色ばかりで、結晶化した水晶がチラホラ見られました。それでもせっかく来たのでそれぞれ散って鉱物探しを始めました。黒っぽい緑泥石の鉱脈やマンガン重石などがありました。
私は情報にあった坑口を見に行きましたが、ブッシュのため近寄れません。どうしたものか考えていると、斜面の下から声がしました。「とったどぉ~!」・・・という感じで少しエキサイトしています。見れば二次鉱物の藍銅鉱(アズライト)です。昔はよく見つかったそうで、あずらの森ならぬあずらの畑だったようです。
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黒っぽくなっているが青みが残る



2018年01月04日(木) 記事NO146
モロッコのアメジスト M33
あちこち行って遊びほうけ過ぎじゃない?・・・てなことを言われたので今年はしばらく忍の一文字で我慢します。それでもって物置場を片付けました。中を占領しているのは、・・・たくさんの石です。
標本の数はいくつになっているか。もう覚えていません。千のオーダーは軽く突破していますが、鉱物の種類の方は数百といったところでしょうか。置き場にも困るこの頃です。
個人的に見た目が派手すぎず落ち着きのある物が好みです。例えばアメジストの場合、きらきらの赤紫色よりも淡い藤色の方が落ち着きます。画面の石はその1つで、白いカルサイトがまるで白い藤の花のように見えます。絶妙のバランスでお気に入りの1つです。
なお、今日は1月4日で「石の日」でした。
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12年前に関東での購入品



2017年10月04日(水) 記事NO145の1
秋の高原二重奏(4) その1
わざわざ二つめにやって来たのは、この地に温泉があるからです。美作三湯の1つ、湯原温泉から近いため日帰り温泉がいくつかあります。また、三朝温泉にも近いため弱い放射線を持ったラドン温泉があります。
風呂好きな子どもたちのために温泉へ行きました。何だかお年寄りみたいですが、こればかりは強い希望だったので仕方ありません。しかし、私は入浴しません。帰りが眠たくなるからです。本来は一泊しても良かったのですが、テストが近いのでそうも行きませんでした。
待ち時間に山ブドウジュースと絞りたてミルクを飲みました。パンフには葡萄の収穫体験や乳搾りなどがあります。でも内容をよく見ると、こちらがお金を払って作業を手伝わされることがわかりました。何かおかしくない?
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高原に点在する別荘地

2017年10月04日(水) 記事NO145の2
秋の高原二重奏(4) その2
鬼女台(きめんだい)という展望所へ行きました。県道から分かれてすぐにくるりっとまわった峰の上にあります。ここの面白いところは両県の県境にあること。峰に上がる30秒間に岡山から鳥取へ、さらに再び岡山に入ります。降りるときはこの逆です。
小さな売店でヒラタケを売っていました。どこかの山で採ってきたみたいでうまそうです。しば栗もありました。味は良いのですが、小さいからむきにくいのが難点です。また、途中で野生の山葡萄を見かけました。
道の駅でお土産をあさりました。いろいろと悩んで結局カマンベルチーズとち餅を食べました。仏頂面の店員が印象的でした。ある意味で客慣れしているからかな?
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展望所からの蒜山高原

2017年10月04日(水) 記事NO145の3
秋の高原二重奏(4) その3
蒜山三座というのは、高原の北側の上・中・下蒜山のことです。大山から見て東南に位置し、1000m級の山が連なっています。だから気温が平地より6度以上低く、湯上がりがさっぱりしている・・・とは子どもの言い分です(笑)。
帰りに北房(ほくぼ)に立ち寄りました。コスモスの花園があるからです。北房ICを降りてすぐの場所にありました。赤系の花々が咲き乱れていました。普段なら立ち寄ることもない集落です。
こうして1日で600kmを超えたドライブが終わりました。高松にも立ち寄っていろいろしました。16時間かかりました。いつまでやれるかわかりませんが、またどこかへ行きます。
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1haはあるコスモスの群生



2017年10月03日(火) 記事NO144の1
秋の高原二重奏(3) その1
ハーイ、ちょっとここらでコーヒーブレイクです。
私が大山に来たのはこれが初めてではありません。今から○十年前の学生時代に一度訪れています。そのときはまだ鉱物にはほとんど関心がなく、他人が採取していても「なんだそれ?」みたいな感じでした。もっとまじめに活動しておけば良かったかなって思います。
江尾(えび)駅で電車を降りました。小さな商店街で弁当とパンを買いました。そのとき、同じサークル仲間が丸ごとのキュウリとマヨネーズを買って、それをかけてバリバリ食べていたのを思い出しました。その店はもう閉じていました。時の流れは容赦なく、過去を過ぎ去りしものにしてしまいます。残像すら残っていませんでした。
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大山への拠点となる江尾

2017年10月03日(火) 記事NO144の2
秋の高原二重奏(3) その2
鍵掛峠の展望所はこじんまりとしていました。しかし、車がいっぱいで駐車するのも一苦労。秋の行楽シーズンならこんなものでしょう。
以前は鏡ヶ成(かがみがなる)に宿泊して、夜通し天体や流星を追いかけていました。興味の対象が宇宙から地下へと変わりましたが、まだまだ現役です。骨董品的な屈折赤道儀も健在で、今でも月のクレーターくらいは見ています。昔の理科好き小僧は今もまだ続いているのです。
さて、ここから移動します。目的地は県境の向こうの蒜山(ひるぜん)高原。江尾から車で30分くらいです。川と高原の標高差があるため、連続ヘアピンカーブがあって一気に高さを稼ぎます。その間にもいくつか見どころがありそうですが、時間がないので次の機会にしました。
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車の上にカマキリが・・・

2017年10月03日(火) 記事NO144の3
秋の高原二重奏(3) その3
金色の田んぼが広がっていました。稲刈りが行われる直前はまるで海のようで、大山からの吹き下ろしにより金のさざ波が立っています。丸太を組んで刈った稲わらを干していました。私の実家が農家だった頃、同じような農作業を手伝わされました。確か11月だったと思います。今は稲の品種改良が進み、10月までにこの作業を終えることができます。気になるのは地球高温化。温暖化じゃなく・・・。成長期のある時期に気温が高くなると稲に花が咲かず、ゆえに苗を植える時期が7月までズレ混むという。早まるのじゃなく・・・。品種のさらなる改良が急がれます。
途中でシーズンならではの渋滞があり、少し遅れましたがほぼ予定通りです。二つめの高原です。
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こんな道草こそ旅の醍醐味♪



2017年10月02日(月) 記事NO143の1
秋の高原二重奏(2) その1
リフト近くに山羊がいました。エサやり100円のかごがその側に・・・。中身は規格外のピーマン1個だけ。でもおいしそうに食べていました。かごが5つ空になっていたので、10分後に通りかかると山羊はもう寝ていました。腹がいっぱいになったようです。
私たちも自分たちの腹を満たすため、牧場に移動しました。ステーキは内容の割りに高いので断念して、ハンバーグとミルクたっぷりのスパを食べました。遠くに牛の群れが見えましたが小さすぎてわかりません。肉牛ではないでしょう。だから高いのかな?お土産を物色しましたが、ピンとくるものがなかったので後にします。さて、次はどこへ行こうか。パンフを見ながら行き当たりばったりです。とりあえず鍵掛峠へ向かいます。
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鍵掛(かぎかけ)峠から大山を見る

2017年10月02日(月) 記事NO143の2
秋の高原二重奏(2) その2
地図を見ると大山をグルッと周回する環状道路がありました。最高点は標高900mとまずまずです。車酔いしやすい者がいるため薬をなめさせてから出発しました。
広葉樹林の中を走ると気持ち良いです。途中でツーリングのバイクや自転車と何度もすれ違いました。まだ完全に秋になっておらず、木々の葉はやっと黄色くなってきた程度。それでも緑一色だった林に彩りを添え始めています。ドングリも少し落ちているようです。動物たちの姿は見えません。でもどこかから私たちを見ていることでしょう。
途中にいくつか休憩所や見どころがありました。それらはちょっと時間がないのでパスして、事前に決めた場所を目指しました。
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二の沢の崩落地

2017年10月02日(月) 記事NO143の3
秋の高原二重奏(2) その3
木々の間から見晴らしが良くなったと思ったら、そこは土石流発生地点でした。富士山の大沢崩れのように山肌が削られて流されてきています。やや赤っぽい灰色の安山岩がごろごろしていました。山の方を見ると、山頂を覆っていた雲が晴れて少しずつ岩山が見えています。背の低い灌木や草が生えていますが、崖の高い所などには何も生えていません。そこも黄色くなって秋らしくなっていました。
いくつかの峰からなる山頂は見るからにごつごつして登りにくそうです。剣山や石鎚山のように鎖場でもあるのでしょうか。また、火山岩中にはいろいろな鉱物が含まれます。それらを研究しても面白そうです。地元のお子さんの課題研究にどうですか?
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土砂が流れた跡が残っている



2017年10月01日(日) 記事NO142の1
秋の高原二重奏(1) その1
月日が経つのは早いもので、とうとう神無月になってしまいました。季節は秋が深まって来つつあるってところです。何となく遠くに出かけたい。そんな気分になってどこへ行こうか思案しました。
日帰りなら片道300kmくらいが限度です。四国内は全域が日帰りコースです。そこで、近畿か中国地方に行くことにしました。たまたま家族が技能資格の継続のため他県で講習を受けることになり、ドライバー兼世話係として連れて行くことになりました。何だか早くも疲れそうです・・・。
目的地は全国で唯一の神在月がある県・・・ではなく、その隣の山陰です。神様たちにお会いできるかどうかわかりませんが、現地を荒らさないように気を付けます。
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冬はスキーのリフトになる

2017年10月01日(日) 記事NO142の2
秋の高原二重奏(1) その2
溝口ICで降りて東へ6km。標高200~500mの桝水(ますみず)高原です。中国地方の最高峰である大山(だいせん)の西に広がり、なだらかな斜面が続いています。真正面には大山の大きな山岳が連なり、上部のごつごつした岩肌の灰色と下部の雑木や草原の緑色とのツートンカラーになっています。
まずは天空のリフトというカップルお勧め(らしい)ものに乗りました。最近はどこにでもある恋人たちの聖地の1つで、標高900mの展望所まで5分くらいです。シーズンにはスキーヤーで賑わうそうです。ソフトクリームは値段が付いていなかったけれど500円もしました。子どもたちは大喜びですが、私のサイフは徐々に悲鳴を上げ始めていました(笑)。
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一面にススキの原が広がる

2017年10月01日(日) 記事NO142の3
秋の高原二重奏(1) その3
展望所にやって来ました。大山の中腹から見る景色はなかなかです。山頂から見られたらもっとすごいと思います。足元から海岸に向けて高原が広がり、皆生温泉街から湯気の立つのが見えます。時間的に朝風呂かな?温泉から境港まで緩やかなカーブを描く海岸線が見えます。丸くなってまるでクレーターのようです。鬼太郎までここから1時間です。
山道が横切っていますがここから山頂には登れません。ほとんどの人は北壁から標高差1200mを歩くのです。体力があるうちに登っておきたいです。足下に安山岩が落ちていました。香川県の火山(ひやま)と同じ石です。そう言えばここは火山だった。最近ではあまり言われなくなったけれど火山帯が通っていましたね。温泉もそのおかげでしょうか?
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ナナカマドの赤い実がなる



2017年06月16日(水) 記事NO141
国際結婚!スェーデン王国
知人のお子さんが結婚されました。お相手は・・・、何とスェーデンの方だそうです。北欧のスカンジナビア半島東部を占め、日本より国土が広い自然豊かな王国です。
ここで有名なものはいくつかありますが、ノーベル賞もその1つです。徳島県の青色LED製作者もその1人です。いろいろとゴタゴタしましたが、受賞についてはその価値は当然あると思います。お土産にノーベルミュージアムのキーホルダーとメダルチョコを頂きました。ちょっとビターが効いていました。
スウェーデン群島に近いイッテルビーで、イッテルビウムYbなどの希元素が見つかっています。そこへ行ってみたいです。
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トレイ付きでいただきました!



2017年06月02日(金)記事NO.140
青い鉱物 M32
読者の方々より見せてくれと言われたので、採取してきた青い石を公開します。この鉱山跡にはいくつかの鉱床があって、そのうちこれが見られるのは限られているそうです。案内がなければわからなかったと思います。親切な友人がいるのはとてもありがたいことです。
ズリの山頂近くを掘ってみると、青鉛鉱が次々に出てきます。最初は申し訳程度しか付いていない石ばかりでしたが、根気よく掘っていくとだんだんと品位の高い石が見つかります。褐色にヤケた感じの脈石表面に青い被膜がびっしりと付着しています。夢中になってそれらを拾い集めました。しかし、ふと我に返るとそんなにたくさんは要りません。荷物にもなるし、ましてや販売するなどの行為はしないので、半分以上は置いていきました。また、後の人たちが楽しめることでしょう。
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この石は袋に入れて持ち帰った



2017年05月22日(月)記事NO.139の1
四国の外の鉱山(7) その1
適当な広場に駐車しました。そこで県外から来ているハイカーの方と挨拶を交わし、私たちは山道を目指しました。田園が途切れるといよいよ最初の急坂です。「心臓破りの坂」って呼ばれていますが、足下はしっかりしていても確かに急角度で上がっています。これは苦労しそうです。
間もなくしっとりと濡れた黒土に変わりました。伐採した灌木が道を塞ぎ、クマザサが繁茂して歩きにくいです。山道は細くて滑りやすく、片側は谷筋に面していて危なっかしいです。体力のない私たちに合わせて何度か休みを取ってくれました。感謝です!小一時間で分岐点までたどり着きました。ここで大休止です。頭から枯れ葉や枯れ枝を被っているので、それらを取り払い虫除けと制汗剤をまき散らしました。
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山上にあった坑口の跡

2017年05月22日(月)記事NO.139の2
四国の外の鉱山(7) その2
尾根を1つ越えて一度沢まで降りました。Y様とM様の話では、このまま尾根沿いに行くと迷いやすく、別の尾根に出てしまうからだそうです。湿地帯に出ました。踏んづけると足下がずぶずぶと沈みます。体重をできるだけ乗せないように跳躍しながらその場所を切り抜けました。
最後の難所にさしかかりました。斜度50の石の斜面が立ちふさがりました。土の部分が多いので足がかりになる場所が限られています。わずかに生えている草や枝に捕まりながら、一歩一歩着実に登っていきました。高知県の下川鉱山より登りにくかったかもしれません。力を抜くとズルッとすべってしまい、3歩進んで2歩下がるの繰り返しでした。
こうしてようやくズリの頂上に着きました。
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沼地に残る索道の機械

2017年05月22日(月)記事NO.139の3
四国の外の鉱山(7) その3
5月とはいえ気温が上昇して暑いです。ボトルを凍らせて持参しましたが、氷が融けきっておらず水の確保に苦労する羽目になりました。本末転倒でした。直射日光に当てて融かそうとしましたが、結局最後まで完全には飲料になりませんでした。
ズリを少し掘りました。すると、青くて細い鉱脈が走っています。「青鉛鉱」です。四国ではなかなかお目にかかれない鉱物があっさり見つかりました。白い繊維状は「異極鉱」で、水色は「カレドニア石」だそうです。これらの自己採集は初めてだったのでとても興奮しました。他にも黄銅鉱やブロシャン銅鉱、黄鉄鉱や閃亜鉛鉱など、それなりの金属鉱物が採集できました。Y様とM様に感謝です。また、車を出してくれたM様にもお世話になりました。なお、Y様を通じて地元の方には了解を得ています。
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ズリもズリの空気も熱かった



2017年05月21日(日)記事NO.138の1
田舎の国道を走る その1
いつもの方々からお誘いがあって、現在中国地方の国道を走っています。ここまでたどり着くには、高速近くの広場に集合して瀬戸大橋から一気に岡山に入ります。皆ばらばらの町に住んでいるので、待ち合わせ場所と時刻を念入りに選定しています。本日は朝の5時集合となりました。
眠たい目を擦りながら私は助手席にいます。M様の車に同乗させてもらっているのです。久しぶりの席なので、M様には申し訳ないけれど車窓からの風景を楽しませてもらいます。瀬戸大橋からは塩飽(しわく)島がよく見えます。白い土塀など古い家並みがあるそうで、一度行ってみたいと思います。また、手島や岩黒島にも行きたいです。何となく離れ島って秘境っぽくて冒険心をかき立てられます。
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目的地の高い山が見えてきた

2017年05月21日(日)記事NO.138の2
田舎の国道を走る その2
途中のSAで2回休憩した後、ようやく国道に降りました。鉄道と川に沿って道が続き、鮎釣りのポイントが表示されています。年魚と言われて6月から漁の解禁です。私は友釣りなんかやったことがないのですが、同行しているK様はその道のプロらしい?今週末にはスイカのような臭いがする鮎をゆっくり釣るそうです。
鉄橋の下をくぐり抜けるとき、道が2つに分かれていました。橋桁との間隔が狭いのでやむなく分けたようです。おかげで、かなり道が複雑になっていました。上を通っているのは何線でしょうか。ローカルな雰囲気が漂います。鈍行列車に乗って田舎の路線をのんびり回るのも楽しいです。今度は列車に乗って来てみよう。
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廃線のレールとカキツバタ

2017年05月21日(日)記事NO.138の3
田舎の国道を走る その3
アユが釣れる大きな川がだんだん細くなって、いくつかの水路に分かれ始めました。平野部も少なくなり、周りには高い山や低い丘が目に付きます。集落の近くまで森林が接してきました。まるで、海岸の風景から山間部へとジョブチェンジです(笑)。
この辺りの集落は、国道や鉄道に沿って細く長くそして点在しています。今はほとんど使われていませんが、「銀山」の地名もあったようです。本当に銀が採れたらしいですが、今はまったく跡形もないそうでちょっと残念でした。
さて、無事に合流できました。これから山頂を目指します。体力には自信が・・・ないので前途は不安です。
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棚田には水が張られていた



2017年05月11日(木)記事NO.137の1
大阪八百八橋 その1
八百万(やおよろず)の神様とか、大江戸八百八町とか、日本人は「八」が好きです。末広がりをイメージさせる文字の形が好まれて、物の数が多い印象を与えるときによく使われます。しかし、八より大きい「九」はどうして使われないのでしょうか?四苦八苦とか、七転八倒とか、数字が八で止まっているみたいです。
梅田で自由行動になりました。バスから降りた乗客たちが次々と市街地に消えていきます。鉄道を利用する人は駅の中に吸い込まれていきました。私もその一人です。ホームに上がるとジャストタイミングで列車が来ました。これから3つめの駅まで移動します。バスの乗客と偶然会いました。お互いにニヤッと笑ってスルーしました。
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川が多く、橋も多い

2017年05月11日(木)記事NO.137の2
大阪八百八橋 その2
石の売買にはまったく関わっていませんが、ショップがどんな石を売っているのかについては関心があります。特に四国の産地や禁止区域の鉱物など、どうやって入手したのか大いに興味をそそられます。ヒマだったのでそうした店を数軒回ってみました。
ある店は閉店していました。近所に聞けばもう数年前から行方知れずになっているとのこと。いきなり密度の濃いケースに遭遇しました!次は開いていました。標本屋というよりパワーストーン屋だったので、国内産の石はほとんどありません。ここはスルーです。3つめは本当に標本店でした。引き出しや箱に国産品が所狭しと置かれています。どう入手したのか尋ねたかったのですが、目当ての物が見られたので止めました。
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屋内のグライダー

2017年05月11日(木)記事NO.137の3
大阪八百八橋 その3
やはりあったか・・・。予想していたとはいえ、本当に見つけてしまうとため息しか出ません。友人が呼び始めた造語「ストーンロンダリング」の現状を目の当たりにして、ちょっと暗い雰囲気になりました。
さて、夕食は焼き肉です。帽子のように盛り上がっている鉄板で焼くと、余分な油が流れ落ちてさっぱりした食感になります。ご飯は焼きおにぎりだけですが、他にたくさんあるのでここぞとばかりにパクつきました。乗客たちとワイワイ騒いでいるのが楽しかったです。
明石大橋を渡る頃には辺りが真っ暗でした。遠目に北淡のランドマークが見えます。この橋ができてとても便利になりましたが、遠くから荒らしに来る者が増えました。その功罪については別の機会に・・・。
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オフィス街にバラ一輪



2017年05月10日(水)記事NO.136の1
万国博覧会の跡地 その1
エキスポに行きました。早すぎたのでまだ観覧車は回っていませんでした。中国自動車道の吹田ICで降りるとすぐ見えます。ICを出ると道が交差して複雑になっています。ICからすぐ左折して丘の上に上がり陸橋を渡って立体駐車場に入るルートや、少し行ってから右折してシティをぐるっと1周して広い場所に停めるルートなどがあります。いつ来てもわかりにくいです。
オープン前で店はその準備に追われていました。GとZが戦うモニュメントにも人気がありません。私たちだけ貸し切りの状態でした。休日には大変混み合うのでたまには善いでしょう。ただし、あまり見どころがないのが難点です。もっと興味を持ってもらえる施設はできないのかな?
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10時になってようやく動き出した

2017年05月10日(水)記事NO.136の2
万国博覧会の跡地 その2
3番目に乗りました。高いところから周囲を見渡すのは気持ちよいです。鳥の目からつまり鳥瞰図は地形を読むのに適しています。そろそろ鉱山巡りをリスタートさせましょう。
真下に中国道が見えました。すぐ近くのJCTから左右に車が分かれて行きます。並行してモノレールが延びています。ついさっきも駅に入っていったばかりです。
そう言えば、県庁所在地で電車が走っていないのは徳島県と沖縄県だけです。土讃線の影響で県西部の池田の方には通っているのですが、徳島にないのは何か悔しいです。沖縄にJRも私鉄もありません。モノレールだけ運行しています。
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太陽の塔で、公園は休みだった

2017年05月10日(水)記事NO.136の3
万国博覧会の跡地 その3
間もなく頂上に到達しました。さすが100mを超えるだけあって素晴らしい展望です。遠くに北摂の山々と郊外のマンション群が見えました。四国ではお目にかかれない光景です。また、東側には大阪と滋賀を屏風のように分ける伊吹山もよく見えました。南側には高層ビル群です。ハルカスだけちょっと離れた場所に突き出ていました。西側には六甲山の山々がそびえていました。面白かったです。
昼食には早かったのですが、せっかくなので中華と韓国料理と洋風のちゃんぽんをしました。腹がふくれたので眠たくなりました。しかし、まだ今日は始まったばかりです。帰れるのは夜の9時以降になります。行動は自由ですが、最初と途中と最後だけ時間が決まっているのです。
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六甲山からも見えた大阪の中心部



2017年05月06日(土)記事NO.135の1
ろっこうの牧場(2) その1
南側のゆるやかな斜面にヒツジ小屋がありました。内部をのぞくとたくさんのヒツジがいました。ほとんど隙間なく立っていてまるでどこかのラッシュアワーです。横たわる三日月・・・と揶揄されるヒツジの目は何だか眠たそうです。朝食の干し草にもほとんど手を付けていない様子でした。なお、半数以上が毛刈りされていました。
牧羊犬やウサギ小屋などを見て次のエリアに行こうとしました。すると、後ろの方から「めぇ~MEぇ~メェ~」と声がしました。振り返るとヒツジの群れが迫っていました。いつもこの時刻にヒツジを小屋から出すそうです。今日はいつもより早く開場したためこの光景を目にできました。とてもラッキーでした!
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カントリー調の牛小屋

2017年05月06日(土)記事NO.135の2
ろっこうの牧場(2) その2
私たちの足下を次々と群れが横切っていきます。丸っこいフンを落としていくのには閉口しますが、間近で見るのは面白いです。車道の上に陸橋があり、そこをヒツジたちが渡って草原に移動しました。脇道にそれて柵の横棒が背中に引っかかって泣き叫ぶヒツジもいました。誰かみたいなあわてんぼうです。
しばらくそこでぼんやり見ていました。長閑です。時間がゆっくり経っていくかのようでした。小道を進んで牛小屋に行きました。品種は知らないけれど乳牛が何頭もいました。さっき食べたクリームの元はこれだったかもしれません。子牛がいたので触らせてもらいました。小学生の頃以来の体験です。
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遅咲きの桜とサイロ

2017年05月06日(土)記事NO.135の3
ろっこうの牧場(2) その3
牛の次は馬です。馬の次は鹿でなくてよかったです。
世界中のいろいろな地方のヒツジがいました。毛のフサフサ感や角の長さ・カーブなどが異なります。アヒルや子ブタには触れませんでした。豚ってけっこうきれい好きです。インフルは大丈夫かな?
最後はもちろんお買い物です。久しぶりにブルーチーズと地ビールを購入しました。前者は愛媛の松山で飲んで以来です。青カビが勝負のブロシャン銅鉱に似ているな、いや高越の鉄分が多い緑閃石だろう、いやいや多田の青鉛鉱の緑青混じりじゃないか。・・・何とでも言える内容を肴に会話が弾みました。こういう楽しみがあるからこそ石採りは止められません。ルールやマナーを守り、相手を決して裏切らないことが大事です。
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蹄の蹄鉄を磨いている



2017年05月05日(金)記事NO.134の1
ろっこうの牧場(1) その1
GWも中盤にさしかかりました。家族からの「どっか連れてけコール」が日増しに激しくなっていきます(笑)。でも近場はほとんど行っているし、行きたい場所もほとんどない。泊付きは高いので今回はパス。結局だらだらとネット検索していました。
・・・間もなく朝食タイムです。行き先の方向としては関西方面で、この後すぐ出かけて車があまり混まない場所を見繕いました。淡路では近すぎるけれど大阪では遠すぎる。テーマパークはしばらく飽きた。初めての場所が良い。何か買い物がしたい。夕方には帰っておきたい。エトセトラ、エトセトラ。次々と家族からの要望が上がってきます。そこで、六甲山周辺の施設に的を絞ってやっと見つけたのがここでした。
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ヒツジ小屋で押し合いへし合い

2017年05月05日(金)記事NO.134の2
ろっこうの牧場(1) その2
徳島から車で2時間半。ある意味で別世界にやって来ました。初めてのICで降りて、初めての裏六甲を走って、昨年の夏に来た場所の近くを通りました。でも今回は用事がないのでそこはスルーします。
つづら折りのようなくねくね道を走ること30分。途中に湧き水がありました。いわゆる六甲の美味しい水でしょう。ポリタンクなど用意していなかったので、今回は断念しました。
標高600mの山の上なのに普通に町があります。コンビニや小学校まであります。下界は100万都市だから当たり前かもしれませんが、徳島で言えばまるで眉山の山頂にこれらの町があるのと同じです。何だか不思議な気分でした。
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山道を疾走するヒツジの群れ

2017年05月05日(金)記事NO.134の3
ろっこうの牧場(1) その3
初めての十字路を曲がって少し西へ進むと、獣の臭いがしてきました。どうやら牛と馬とヒツジのようです。道はゆるやかな下りで少しくねくねしています。駐車場の入口に車が何台も停まっていました。道の反対側だったので、少し進んでからUターンしてそれらの後に並びました。
予定時刻より早く開門するようです。私たちは10台目くらいでした。直射日光を避け木陰に駐車しました。まず見学は・・・後にしてソフトクリームからです。店が開き始めたのですぐに買えました。市販品よりやや濃厚な感じがします。まあ当然でしょう。私としてはもっとたくさん食べたかったのですが・・・。他にもフランクフルトとタコ焼きを頼みました。こっちはバリバリの市販品でした。
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山の斜面で草を食む



2017年04月05日(水)記事NO.133の1
ととろに会おう(2) その1
館内の画像はほとんどありません。もちろん撮影禁止だからです。でもその様子をここに書くことには問題ないでしょう。
入館時刻20分前にはすでに行列ができていました。私は基本的に行列が嫌いですが、仕方なくどっしり構えて待つことにしました。・・・が、10分も並ばないうちに入っていました。お客が多かったので繰り上げたのだと思います。
内部はまるで迷路でした。3歩進んで2歩下がるみたいに、曲がり道や後戻りなどわざとそうしているかのようです。壁にはアートが並び、映画のワンシーンの再現もありました。本棚には本が、書斎にはペンやインクがあり、執筆風景も再現されていました。
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麦わら帽子のオムレツ

2017年04月05日(水)記事NO.133の2
ととろに会おう(2) その2
また並んで昼食を取り、館外のベンチで休憩しました。もう気分は・・・グロッキー気味です。内容の濃い日程を消化するのは本当に疲れます。
朝からバスにJR乗り換えに、コインロッカーの探索など次々と難題が降りかかってきました。特に大型のスーツケースを預けるために、それが収容できるロッカーが必要でした。重量20kgを超えるケース2個を両手に持ち、その上にリュックサックを背負って階段を上り下りします。2本の足で160kg超を支えるのは、後で膝がガクガクしています。やっとの思いでそれを見つけました。
他にも、東京に不慣れな家族を迷わずに連れ回すのも疲れました。まるで添乗員になった気分です。ツアコンに転職しようかな?
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カフェラテも人気みたい

2017年04月05日(水)記事NO.133の3
ととろに会おう(2) その3
そろそろ帰る時刻です。これから羽田まで移動します。本当は少し時間的余裕があったのですが、さっき預けた荷物を持って家族全員を引き連れて、17時からの恐怖のラッシュアワーを乗り切る自信はありません。辛うじて10分前に東京駅から山手線に乗り換え、浜松町からモノレールで飛行場に向かいました。
手荷物を預ける前にお土産の最終チェックです。不足するより余る方がマシなので名品を買いあさりました。名前の売れている方がもらった側もうれしいので、定番の物が多かったです。離陸直後は夜景を見ながらでしたがすぐに雲の中に入り、後は半分寝かかりながらぼんやりしていました。さて、何か思い出に残ったことは・・・?
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かなり太めのととろ



2017年04月04日(火)記事NO.132の1
ととろに会おう(1) その1
前の月の10日、一斉売り出し日に年休を取りました。何しろ10時の開始時刻からたった10分で完売するシロモノです。どうせ余っても買い取ってくれないので、こういうときこそ休んでしまう方がいくらかマシでしょう。おかげで無事に人数分のチケットが取れました。・・・約3週間前の話です。そして今ようやくその近くまで来ています。
都心部は都会ですが、郊外に出れば自然も多くのんびりしています。しかし、人口はかなり多いのでひっきりなしに車が通ります。何カ所か工事現場がありました。人や車の往来があったので道が狭く感じられました。
ここまで都心から電車で40分です。マンションが多いのはベッドタウンだからでしょうか。
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桜がぼちぼち咲き出していた

2017年04月04日(火)記事NO.132の2
ととろに会おう(1) その2
バスも通っていますが、あえて徒歩で向かうことにしました。小さな小川沿いに並木道が続いて散歩にはもってこいです。歩こう・歩こう・私は元気~などと歌えば雰囲気に合うみたいです。
後900m、残り700m、そして300m。いつの間にか森林公園の横を歩いていました。太くて大きな木々の間に広場があって、そこには市民が大勢居座っています。日差しや気温がちょうど良いので、ピクニックとしゃれ込んでいます。・・・しかし、今日って平日なんですけど。仕事は大丈夫なのでしょうか。まあ私が言うのもアレですが、彼らも年休を消化しているのかもしれません。楽しむときは思いっきり楽しむのがストレスフリーへの道筋です。のんびり行きましょう。
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窓辺から顔を覗かせる黒猫

2017年04月04日(火)記事NO.132の3
ととろに会おう(1) その3
間もなく林をバックに変な形の家が見えました。黄色に緑に赤茶色・・・、円い窓や四角いドア、鉄柵に囲まれた螺旋階段など、見れば見るほどおかしな建物です。地面を深く掘り下げて、地下1階のはずが地上1階になってたりします。とても不思議な空間が広がり、でもそれが面白い。ハチャメチャになりそうで何とか首の皮一枚で繋がっているって感じ。まるで北欧のバーレルセルとタメを張っているみたいで、ここに和風のワンダーランドができ上がっているのです。確かに存在しているのだけれど何と言って表現して良いやらわからない。でも怖くはない。むしろ善き隣人であり、お馴染みの存在たちである。大人になった私には見えないかもしれないが、子どもたちにはまだ見えているようです。 イメージ

形状記憶ハイセラミックス合金製



2017年04月03日(月)記事NO.131の1
一夜明けて その1
ついさっき帰って来たばかりです。11時から22時までほとんど歩きっぱなし、立ちっぱなしで膝がガクガクしています。ダイエットにはちょうど良いかもしれません。でも、大資本による賃金の回収は拒否りたいところです。現実社会とのギャップがわかりすぎて困ります。
閉園後も最後の写真を撮るのに忙しく、部屋に帰ったのは30分も経ってからでした。荷物はフロントに預けっぱなしだったので、まずはそれの回収と移動です。今更ながらに知ったのですが、部屋はかなりの上階層でした。見どころのない海側でなく夜景の見える陸側でした。これはちょっとラッキーでした。エキストラを入れたベッドで、窓際がすっかりマットレスに敷き詰められています。ボヨ~ンとした反発が面白いです。
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着陸したUFOのようなスペマン

2017年04月03日(月)記事NO.131の2
一夜明けて その2
皆お疲れのようで夕べはいびきと寝言の洪水でした。ベッドが大きかったので寝返りを打っても落ちることはありませんでした。途中で何度か目を覚ましました。遮光している分厚いカーテンをめくると、町の灯りがさっきより少なくなっています。不夜城といっても完全なそれではないようです。
疲れは取れませんが、慣れとは恐ろしいものでいつもの時刻に起床しました。家族はまだ眠っています。レースのカーテンだけにして朝の日光を部屋に取り入れました。部屋から見える地平線ならぬ水平線がほんのりと赤くなっています。そこで初めて気がつきました。この部屋はほぼ真東を向いていたんだということに・・・。今日も天気が良さそうです。後2時間後に朝食の予定です。
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昨夜の出来事は幻か

2017年04月03日(月)記事NO.131の3
一夜明けて その3
大規模空間で朝食です。早く来たつもりでしたが会場は混雑していてしばらく待ちました。家族たちはその間にウインドーショッピングです。ディスプレイされている期間限定商品の品定めをしていました。このキーワードには弱そうです。
朝からがっつりいくと眠気が襲ってきます。いつもより少なめにして、それでも家族よりはずっと多くのエネルギーを摂取しました。私は他人の3倍の量を3倍の速さで食べます。だから、終わるときは同じなのです。
ダイレクトショッピングに移行した家族と別れ、先に部屋へ戻りました。この後は大量のお土産をいかにしてスーツケースに押し込むか、空間認識力が問われる収納ゲームが開催されます(笑)。
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廊下から見下ろせる朝食会場



2017年04月02日(日)記事NO.130の1
よく行くね~TDL(3) その1
ぱっぱらぱっぱパッパラパラパラ、ぱらぱらぱらぱらパラララ。ぱーぱぱパパパ、ぱらぱぱらぱパッパパ・・・。お馴染みのリズムで夜のパレードが始まりました。城の向こうから大きなエレクトリック山車が次々と登場します。私たちがいる位置から山車の後方に城が浮かんで見えます。
おまけに月まで浮かんでいました。月齢は10日過ぎだと思います。ウサギの耳または蟹のハサミがよく見えました。春の大三角形もわかります。牛飼い座のアークトゥルス、乙女座のスピカ、獅子座のレグルスまたはデネボラがよく見えました。また、春の大曲線をたどって北斗七星へ、そして北極星(ポラリス)もわかりました。やはり私たちがいるのは城から見て北側なのは間違いないようです。
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ネバーランドの帆船

2017年04月02日(日)記事NO.130の2
よく行くね~TDL(3) その2
家族をそこに座らせて私は別行動を取りました。座る場所が狭かったのと、自由に動けた方が良い写真を撮れると思ったからです。園内の半分以上の人が道路沿いに座っていました。食事をしながらあるいはアトラに乗りながら見るという手もありますが、今一よく見えないので却下です。
ふとアーケード街の方を見ました。オレンジ色の暖かそうな灯りが目に入ります。今頃そこは帰りのお客との戦場になっているでしょう。その後ろは真っ暗な闇。灯火が明るい分だけその陰がよりいっそう濃くなっています。そこにいる人は見えません。私たちは見ようともしません。でも確かにそこにいるのです。それはまた明日の自分たちかもしれないのです。にぎやかな祭りの会場から離れた場所で何が起こっているのでしょうか。
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地上にもお月さんがいた

2017年04月02日(日)記事NO.130の3
よく行くね~TDL(3) その3
パレードが終わると恒例の打ち上げ花火です。城に投影した画像とレーザー光が辺りにワンダーランドを創り上げます。ここは立ち見席です。皆が目の前のイベントに酔いしれて、じっとそれを見つめていました。
確かにきれいです。初めて見る人はカルチャーショックを受けるでしょう。米国に亡命した人は最初にここへ連れて行かれるという話を聞きました。良いところでもアリ、悪いところでもアルと思います。
月が少し西へ傾きました。そろそろ私たちも店じまいです。土産物屋が店じまいする前に買いあさらないといけません。家族が周囲にここへ来ることをしゃべってしまったので、何もナシという訳にはいきません。本当にカネを落とさせるシステムがよくできていますね。
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まわる回るネズミの花火



2017年04月01日(土)記事NO.129の1
よく行くね~TDL(2) その1
そういえば4月ってイースターだったのですね。キリスト教圏内のイベントなんてすっかり忘れていました。羽田からのバスが取れなかったので、久しぶりに電車を乗り継ぎしました。モノレールの天王州アイルからりんかい線に乗り換え、更にJR新木場から舞浜まで50分くらいでした。
まず、ホテルに荷物を置いてゲートをくぐります。ここまでの所要時間は40分。ホテルが近くても意外と時間がかかるのです。朝の第1便で来ても結局11時頃になってしまうので、これが日帰りを選ばなかった理由なのです。やや混雑しているアーケード街を通り、子供が選んだアトラクションの列に並びました。一方で、全員のパスを回収して次の予約を取りに回りました。
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たまご・タマゴ・玉子・卵・・・

2017年04月01日(土)記事NO.129の2
よく行くね~TDL(2) その2
どうにかアトラを1つクリアしてすぐに昼食です。これは事前に予約していたので、スムーズに食べられました。ただ、バイキングは良いのですが野菜が少なく果物は皆無の状態です。値段はまあまあ高くて、普通の外食ではまずこんなところへ来ません。どうして他人はこういうところが好きなんでしょうか。
昼のパレードは泡付きでした。アトラに並んでいたので木立の陰から見ていました。あの山車は何馬力なのか。最高速度は時速何kmだろうか。回転半径は何mかな。・・・まったくパレードとは関係ないことばかり考えて、待ち時間をつぶしていました。この世でもっとも消化しにくいのは時間であるとよく言ったものです。
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もう夕方になっていました

2017年04月01日(土)記事NO.129の3
よく行くね~TDL(2) その3
昼食からわずか3時間後に夕食でした。なかなか予約が取れなかったのです。腹が減っていないので安くてすむと思いたいです。ホテルに帰ってカップ麺でもすすれば良いですから・・・。
家族全員が乗られそうにないアトラを私だけ敬遠して、しばらく外で待っていました。スマホでも眺めながら時間をつぶしました。本当に便利なツールです。
その後、アーケードで少しお土産を物色して場所取りに行きました。この段階ではまだ何も買っていません。移動の邪魔になるからです。シンデレラ城(そのまま入力すると、この言葉が出てくるのに驚きます。)から見て左前方、つまり北側の道沿いにシートを敷いて座りました。
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おじさんと擬人化ネズミの像



2017年03月31日(金)記事NO.128の1
よく行くね~TDL(1) その1
子供の作文が一等賞になり表彰されました。そのとき賞状と共に航空券と入場券を頂いたので、本日その有効活用をすることになりました。東京まで日帰りも可能ですが疲れるので、奮発してホテルを予約し間もなく飛行機が飛び立ちます。
私が子供の頃は飛行機に容易に乗れず、小学校のときに一度だけ大阪から徳島までプロペラ機で帰りました。フライト時間は25分。小鳴門橋もよく見えました。まだ東亜国内航空とか南西航空とかが頑張っていた時代です。それに対して、今のご時世なら簡単に飛行機に乗れてしまうんですね。スカイマークが撤退してJALとANAだけになりましたが、便数だけは多いのでとても便利です。
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晴れた日にJAL第1便で出発

2017年03月31日(金)記事NO.128の2
よく行くね~TDL(1) その2
いつものように紀伊半島南部の海岸線上空を飛んでいます。半島中央の山脈にはまだ雪が残り、気温の低い盆地には霧がかかっています。ぼんやりと見えるのは春霞でしょうか。
それにしてもこうも何度も何度も東京へ行くことになるとは思いませんでした。個人的にはそこへ行く理由がないからです。仕事や家族サービスなら割り切れますが、自発的に行きたい場所ではありません。もっとも今回は作文を頑張った子供へのご褒美なので、その価値は充分あります。
機体が揺れ始めました。晴天乱気流でも発生しているのでしょうか。しっかりシートベルトを付けるように注意して、しばらく転寝することにしました。朝が早かったもので・・・。
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高度8kmを順調に飛行中

2017年03月31日(金)記事NO.128の3
よく行くね~TDL(1) その3
ほんの10分足らずで機内アナウンスです。北側に真っ白な富士山が見えました。富士見という地名は各地にありますが、実際に富士山が見えるのは南西は紀伊半島、訪島は福島辺りまでです。平地や海上からはその距離が短く、峠とか山頂とか高所からの眺めとなるそうです。四国から見えないのは残念ですが、今のうちにしっかり見ておこうと思います。
今度は富士山に登ってみたいです。新5合目までは車で行けるので、差し引き1300mくらいを登るだけ。しかし、急勾配であり火山灰が積もって歩きにくいし、直射日光と地面からの照り返しもあり落石にも注意です。子供やお年寄りは充分気をつけてもらわないと・・・。あと水分補給や高山病にも注意です。
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噴火する前には行っておこう



2017年02月07日(火)記事NO.127の1
伊豆のジオパークのお菓子 その1
静岡には余り行ったことがありません。掛川に5回、久能山に1回、富士山に2回、沼津に1回、登呂遺跡に1回だけです。・・・ゴメンナサイ、けっこう行っております。しかし、沼津から南へつまり伊豆半島部はまだ未知の領域です。1989年の手石海丘海底噴火の際に機会があったのですが、都合が付かずに現地訪問を断念しました。
昔の上司が久しぶりに職場を訪ねてきました。話を伺うと、定年後は時間をもてあまして日本全国津々浦々を回っているそうです。そうしたなかで、伊豆半島まで足を伸ばして温泉や観光地を楽しんできました。相当楽しいことをいろいろ体験しているみたいです。ジオパークのパンフをもらったので見ていると、おもむろにカバンから何か取り出しました。
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賞味期限は切れているけれど・・・

2017年02月07日(火)記事NO.127の2
伊豆のジオパークのお菓子 その2
一見するとそれは岩石でした。枕状熔岩・スコリア・凝灰岩など、何れも火山性の石ばかりです。しかし、持ってみるととても軽い。実はこれらは全てクッキーなのでした。
つぶつぶ感を出したり、結晶が延びている方向を表したり、少しジャリジャリさせてみたり、見た目だけでなく感触もそれなりでした。ジオパークの広告は数多いですが、お菓子から訴えてくるやり方には新鮮さが感じられました。
次は実際に行ってみるべきでしょう。徳島からなら車で8時間くらいでしょうか。沼津や富士山には行っているので、そのときと装備も似たようなものだと思います。計画を練りましょう。
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高越の藍閃片岩と同じ枕状熔岩



2017年01月22日(日)記事NO.126
地下の断層を調べる
淡路島北淡町の野島断層に来ています。1997年1月17日5時46分に阪神大震災が起きてから早21年。当時の爪痕はほとんど見られませんが、町を歩くと真新しい感じの家並みに気がつきます。屋根瓦が落ちたり柱や梁が折れたりして、結局建て直すしかありませんでした。そういった地域が随所に見られます。ちょっと複雑な心境になりました。
断層の近くでボーリング調査が行われていました。地下1500mよりもっと深く掘削するそうです。実はこれが2回目で、前回は岩盤に突き当たってそれより先に進めなかったのです。また、サンプリングするときにもいくつか予想外のことがあって困難を極めたとのことです。過去の活動を調べて地震が発生する時期を予想するためにやっています。地震が起こらないようにするのは無理ですが、時期がわかれば早急に対策できます。・・・でもやっぱり起こって欲しくはないですね。
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現在、1800mまで到達したらしい



2017年01月15日(日)記事NO.125の1
進入禁止ただし2年先まで その1
有名な鉱物の産地へ行きました。いつものように車中では今日の運勢やこれから行く場所の話、先日行った旅の話や美味いものなどで盛り上がりました。本日も楽しくなりそうです。まさかそれに水を差すような出来事があるとは思わずに・・・。
いつもの場所に駐車していつものように荷物を担ぎ、いつものように歩いて現地へ向かいました。ところが、行く手を阻んできたトゲだらけの草原が消滅しています。変わって一面が褐色の地面むき出しの更地になっているではありませんか。これはいったいどうしたことでしょう。
よく見れば丘の麓にパワーショベルが数台停まり、杭とロープが張り巡らされています。誰もいなかったので話を聞くこともできず、私たちはしばらくそこに立ち尽くしました。
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行きやすくなったが・・・?

2017年01月15日(日)記事NO.125の2
進入禁止ただし2年先まで その2
工事をしている人がいました。私たちの代表として、ここの地権者と顔なじみのY様が話を伺いました。すると、ここを何かの物置場にするため急に整地することになったそうです。ダンプが来てここの土をどこかへ捨てに行きました。これはまるで高越キースラーガー鉱山跡で起こったことと同じです。捨てられる土砂の中には貴重な鉱物が多く見られます。意気揚々と来たのに、私たちの目前で恐れ多いことが現実に起こっていました。
粘り強い交渉の末、今回だけでこれが最後という約束の下、パワーショベルの届かない場所への入場を許可して頂きました。ところが、緩やかな斜面がほとんど削られて急角度の崖しか残っていません。登れない重量級の者はやむなく下の方で青や緑の石を探しました。
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身軽な人しか上がれなかった

2017年01月15日(日)記事NO.125の3
進入禁止ただし2年先まで その3
悪いことは重なるもので、急に腹が痛くなりました。仕方がないので車の所へ帰って、そこから10分ほど先にある道の駅まで走りました。ついでにお土産も物色して戻ってみると、丘の上に仲間たちの姿がありません。探してみると道まで降りてきて石を観察していました。
予定より早いので尋ねてみると、現場主任から出て行くように求められたそうです。最初は許可したけれど、落石などで負傷されたとき工事関係者の責任になるからです。確かにこちらの不注意で自身が負傷するのは自己責任ですが、第三者から見れば工事現場の監督不行届になりかねません。もっともなことだと思いました。そこで、工事が終わるまでの期間はここに立ち入らないようにしました。ただし、2年先までですが・・・。
その後、立ち入れない期間が平成38年までであることがわかりました産。・・・これはもう絶産といっても良いくらいです。残念です。
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道の駅から海を眺める



2017年01月14日(土)記事NO.124の1
四国の外の鉱山(6) その1
天気は曇り。気温はそこそこ冷えて、風は穏やか。ガソリンは満タンで、食料もばっちし。久しぶりの四国の外の鉱山です。
ハローズで待ち合わせしてちょっとトイレ休憩。もちろん追加の飲料を買い込みます。そこから国道を走ること20分。カーナビでは目的地周辺の表示です。しかし、道が入り組んでいてわかりません。アップダウンも激しいため高いところから見渡して位置を確認できない。でも同行者がよく知っていたのでそれから間もなく到着しました。
今度は駐車スペースの問題発生です。道が細いためきちんと置かないと通行の妨げになります。お墓の前は不謹慎だし、池の傍は崩れそう。結局100mほど離れた脇道に停めました。
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さらに細い道を歩く

2017年01月14日(土)記事NO.124の2
四国の外の鉱山(6) その2
小さいズリでした。広さは学校の裏庭くらい。ここより奥にもあるそうですが、もっと小さく何も採れないようです。ズリの東側の林の中に坑口が開いていました。ほとんど崩れていますが、加背は上下左右に2mくらい。やや前屈みになって進めたと思います。奥行きはわかりません。入れないから・・・。黄色い鉱物が含まれていました。
他にも坑口や鉱山の遺構がないか見渡しましたが、ちょっと離れた所に山神社があるくらい。何しろここは800年以上前に掘られた由緒正しき場所だからです。1500年前から掘られた水井水銀鉱山ほどではないですが、ここも相当に古い鉱山跡でした。こういう所に来るとワクワクします。思わず800年前の時代を想像していました。
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坑口から南向きに延びる

2017年01月14日(土)記事NO.124の3
四国の外の鉱山(6) その3 M31
ズリの土に含まれている成分は銅が多く硫黄やヒ素もありました。見られる鉱物は、ビューダン石や洋紅石、硫砒鉄鉱やブロシャン銅鉱などです。黒いシミのような硫砒鉄鉱はよく見られます。ただし、母岩が風化していて新鮮な結晶は余りありません。先行者によってかなり割られていました。緑色をしている皮膜状の鉱物はブロシャン銅鉱です。孔雀石(銅の炭酸塩)かと思ったらこれは硫酸塩だと指摘されました。
ビューダン石を含む石の表面に白い糸のような結晶が見られました。案内してくれた方の話ではミメット鉱だそうです。ミメット鉱と言えば、私が所有している海外の鉱物にあります。南アフリカのツメブ鉱山産の黄色い結晶です。所変われば何とやらで、その様相は全く違っていました。これでは地元をよく知っている人でなければわかりませんね。
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質の低い鉱物が転がっている

2017年01月14日(土)記事NO.124の4
四国の外の鉱山(6) その4
ヒ素が含まれている鉱物は四国ではほとんど目にすることがありません。せいぜい愛媛県西条市細倉や徳島市白竜のサーサス石くらいです。なお、残念なことに前者は某団体による乱獲でほぼ枯渇し、後者は地権者の願いもむなしく業者やマニアの手によって大量にとられました。一部の業者は事情がわかって販売や買い取りを取りやめたようですが、未だに悪びれず堂々としている厚顔な店もあります。
さて、昼食のパンを食べる前にきれいに手を洗いましょう。何しろヒ素に触れたのですから、間違って体内に入ると大変です。ちょっと勿体なかったですが、ほとんど水だけのミネラルウォーターで洗いました。そして、途中でお土産を買って帰路に就きました。また来たいです。
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立派な山神社



2017年01月04日(水)記事NO.123の1
ラストクリスマス その1
昼食と夕食の間が短かったので、余り腹が減っていませんでした。せっかくバイキングを予約していたのに、・・・元が取れません。メニューは定番通りで、パンとチャーハン、ウインナーに生ハム、ポテトにリング、ハンバーグにフライ、サラダとケーキ、コーヒーと紅茶などなど。それと薄く切ったステーキっぽい物とかありました。これでまた諭吉が消えていくのは何とも言いがたいです。フルーツが全くありませんでした。値段が高い割りには普通のホテルよりも劣っています。入場料をどんどん値上げして強気の姿勢を崩さないそうですが、いつまで持つでしょうか?私はもういいかなって思います。今回はスポンサーが付いてしまって、車を出すだけで良いと言われたのでやむナシなのでした(笑)。 イメージ

点灯前の暗い広場

2017年01月04日(水)記事NO.123の2
ラストクリスマス その2
ネットで特別料金を支払って、会場に入るチケットを購入しました。大人気だったようでコンビニでもなかなか買えなかったようです。もちろん今回の代金はスポンサー持ちです。
最初は売り切れと言われて私は内心ほっとしました。行かなくて済むからです。翌日職場へ行って、同僚に「正月にUSJに行かされるところだったけど、チケットが取れないので行かずによかったよ。」って。
ところが、その日帰宅するととんでもないことが起こっていました。家族が別ルートからちゃっかり仕入れていたのです。玄関から入ると喜色満面として「チケット買えたよ。」って。・・・こうして正月の行事予定が詰まってしまったのでした(笑)。
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雪降る中での家族愛

2017年01月04日(水)記事NO.123の3
ラストクリスマス その3
車だけって言われても、ガソリン代に高速料金、運転手としての労働など割に合いませんね。世の中のお父さん方も同じような思いをされているかもしれません。私以外の家族だけで行かせることも考えました。しかし、不慣れなドライバーでは何が起こるかわかりません。また、園内での行動力においても方向音痴が2人もいる状況では前途多難です。
そうこうしているうちに当日がやって来ました。開場1時間前から並ぶため、朝の4時に家族を起こします。・・・誰も起きません。無理矢理布団をはがすと文句を言われる始末です(哀)。それでも心を鬼にしてたたき起こしました。着替えと防寒具、軽い食事と酔い止め薬、現金の入ったサイフとカードなどなど、車に積める物は全部詰め込んで出発です(笑)。
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宗教画にチェンジ

2017年01月04日(水)記事NO.123の4
ラストクリスマス その4
当初はナビを参考にして運転していましたが、京橋PAに立ち寄る必要ができたのでルート変更しました。正法寺ICで降りて一般道を2km走ると目的地付近です。このルートは初めてだったので少し緊張しました。
ダイレクトインを購入していたので、直接正門前に並びます。GWより人手が少なくかなり前の方でした。1時間くらいして開場となり一斉に人が流れ込みます。私たちもそれに巻き込まれるように移動して、見たり食べたり飲んだり買わされたり(?)しました。
そして、ようやく早い夕食が終わると最後のイベントに参加するための列並びです。パレードが過ぎ去った後の通りの一角にゲートがあり、チケットを見せてそこへ入りました。
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天からの御使いが顕現した

2017年01月04日(水)記事NO.123の5
ラストクリスマス その5
映像を投影する装置の反対側には、スクリーン代わりの平たい板のような建物が続いていました。開演30分前になるとそこを通る人も制限され、柵で囲われた範囲にギャラリーがぎっしりです。
時刻は17時半を回りました。辺りはすっかり暗くなっています。ふと気が付くと、周辺の建物には灯りがついていたのに、ここだけついていません。そして、待つこと5分。鐘のような合図とともに前の建物に一斉に映像が現れました。続いて巨大なクリスマスツリーも点灯し、虹色の灯りが周りを照らし出しました。
朝から待つこと10時間。ついにショーの始まりです。前回とちがって今回の最後のクリスマスはどんな展開になるのでしょうか。
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レインボークリスマスツリー

2017年01月04日(水)記事NO.123の6
ラストクリスマス その6
テーマは家族愛でした。両親が出会ったときの記念品を子供が壊してしまって、天使にお願いしてそれを直してもらい、親子の絆がよりいっそう深まるといった内容でした。・・・コメントはナシです。
光と音のイベントは20分くらい続きました。圧巻は天使のつるしあげ・・・じゃなく天使の飛翔です。屋根の上に現れた10人くらいのうち、約半数がフライトしました。飛んでいるというよりフワッと浮いている感じが強くて、白い衣装と相まってまるで幽霊のようでした。それにしても1人当たり50kgはあるでしょうから、余程強いワイヤーで吊されているのでしょうね。
さて、身も蓋もない話ばかりですが、花火がきれかったです。赤いのはストロンチウム、黄色いのはナトリウム、緑は銅の炎色反応でしょうか。
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何色も一斉に打ち上げられる

2017年01月04日(水)記事NO.123の7
ラストクリスマス その7
こうしてやっと終わりました。新年を迎えているのにクリスマスなんて違和感ありまくりでしたが、それでも楽しく見られました。もう来年というか今年の12月には行われないそうで、本当にこれが最後です。
とは言っても、お客さんのニーズに合わせてとか要望が多かったとか言って、またイベントをする可能性もあります。もうけることを考えれば、何があってもおかしくないのです。期間限定車だったはずのF40が、最後の販売と称して何度も造られて一般大衆車並の台数になったみたいなものです。
さあこれで当分の間は行かなくて済みそうです。行くのならまだ行ったことがない場所にしたいです。走れるうちにどんどん進出しようと思います。
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1月のメリークリスマス



2017年01月03日(火)記事NO.122の1
アトラとイベント その1
英国の魔法エリアから出て園内を歩きました。この日は暖かかったので薄着で助かります。それでもサメやティラノサウルスの所は水がかかるのでNG。妖怪ウォンテッドみたいな催しは子供だましだし、結局入場した4Dではしばらく寝ていました。気がついたら終わっていたみたいな感じ。
昼食は10時半です。そうでもしないと店が満杯になってしまいます。カントリー風の肉と魚とポテトとコーン。これは前回と同じ定番です。そしてバタービアーも。口元に白い泡を付けてサンタになっていました。もっとたくさん食べたかったですが、腹八分目くらいにしておきます。代わりにポップコーンをかじって空腹をごまかすのです。次の夕食は15時半の予定。やっぱりちょっと早いけれど仕方ないです。
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15周年記念パレード!

2017年01月03日(火)記事NO.122の2
アトラとイベント その2
タイムスリップした人造人間の会社を訪ね、面白いトークを聞いていました。こんな薄暗くて狭い部屋に大勢入れられて、まるで自分たちが家畜になったようです。飼われているのは今も同じでしょうが・・・。それにしてもタカ派の首相とか大統領は大丈夫でしょうか?核戦争とか起きなければ良いのですが、とてもとても心配です。
次は火事の現場へ急行です。やはり狭い倉庫に案内されて火と水の共演を見ました。制御されているとは言え、少しでも間違えば大惨事です。炎の熱気がここまで伝わってきました。外に出るとちょうどイベントをしていました。サンタがやってくるそうです。でもよく考えるともう新年を迎えています。クリスマスも年中行事になっているのでしょうか。
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白い泡をまき散らしながら進む

2017年01月03日(火)記事NO.122の3
アトラとイベント その3
パレードが続きます。台車にはいろいろなキャラが乗っていて、思い思いのパフォーマンスを披露してくれます。昼間に見るのは初めてだったので、道端でゆっくり眺めていました。
これのおかげで、アトラクションの時間待ちが緩和されました。さっきまで110分だったのが80分まで早まりました。あわててクモ男の怪奇の館に並びました。同じことを考えていた人は多いようで、私たちが並んでからもう5分後には100分まで戻りました。ギリギリでナントカ次の予定に間に合いそうです。
結果・・・、酔いました。くるくる回ったり上下に前後に車が動いて、吐き気がするくらいでした。夕食後にすぐ動くものではないですね。
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ネコちゃんはいつもいっしょ



2017年01月02日(月)記事NO.121の1
朝から魔法使い その1
ぽんぽぽぽ~ん、ぽ~ぽ~、ぽんぽぽんぽ~ぽ~ぽ~ぉ~♪
古びた(ように見せかけた)店の暗がりの中で、まるで悪い魔法使いのような妖しいことが行われていました。杖は自らが持ち主を選ぶ・・・とか、どこぞのファンタジーか中二病かと思われます。でもそれに関わっているのがうちの子供なので、決してけなしている訳ではありません。
このアトラクションに参加したのがほぼ大人ばかりだったので、子供の特権をもらって杖に選ばれたのです。樺の木でできているそうで、本当の店に置いてある金属製の物とは異なります。特注品だそうで、価格は2本で諭吉が吹っ飛びます。プレミアムに弱いのでもちろん買いました。子供たちはホクホク顔で、親たちはシブシブ顔でした。
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オリヴァンダーの店

2017年01月02日(月)記事NO.121の2
朝から魔法使い その2
新しい杖が手に入ったので早速魔法を試します。店の真向かいにクリスマスツリーがありました。まだ準備ができていなかったせいか、並んだのは私たちだけでした。つまり1番です。気分良く並んで待っていました。
時間が来て呪文を唱えました。変化ありません。もう一度呪文をかけました。やっぱり何もナシです。少しその場で練習してから最後にもう一度呪文をかけました。すると、ツリーの魔女が動き出しました。くるくると回転しています。成功でした!(なんて言うかなぁ~)
2人目もあっさり成功しました。おまけで2回させてもらいました。杖の先端部のセンサーとうまく連動できれば面白い効果が現れます。魔女っ子たちの出来上がりでした。
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アローフモーラ!

2017年01月02日(月)記事NO.121の3
朝から魔法使い その3
次は雪を被った大屋根の建物の時計を回します。これは今一うまくいきませんでした。その次は煙突です。呪文をかけると煙と炎が吹き出しました。本当に魔法のようです。今度は裏路地へ行って雪を降らせました。この頃になると魔法使いの人口が増えてきて、アトラクションの行列ができています。最後の風吹き魔法の使用ではちょっと待つことになりました。
この区画は一度出ると次はなかなか入られません。お土産を一気に買いました。ナントカ味のナントカビーンズとカエルチョコレートで、また諭吉がふっとびました。風吹き魔法のせいでしょうか。カエルには有名な魔法使いや魔女のカードが付いているそうです。ランダムだから中身はわかりません。ピピッと来た物を選ぶと、子供が最も欲しがっていた校長(ダンブルドア)でした。これこそ魔法だったかもしれません。
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ホグワーツ寮生の4人



2016年12月29日(木)記事NO.120の1
雨の越前岬(2) その1
メノウを売っていた店がありました。しかし、加工品ばかりだったので話を伺ってみると、地元の産地から掘り出した物を数年間寝かせて色を付けるそうです。濃い赤色とかはそうやって色合いが増していくと言われました。興味深い話でした。
雨が本格的に降り出しました。これでは帰りの高速道路では速度が出せません。観光よりも真っ先に体力温存を考えました。次は水族館です。車で5分走った集落の中に青いイルカマークが見えました。屋島くらいの小さな施設です。工事中で通路がくねくねしていましたが、まずダイオウイカが続いてリュウグウノツカイの液浸標本がありました。前者は北海道で見ましたが、後者は初めてです。越前海岸に漂着した個体で、体長は3mくらいありそうです。また、小さい個体もありました。
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色素が抜けているのが残念

2016年12月29日(木)記事NO.120の2
雨の越前岬(2) その2
次の部屋にはエチゼンクラゲなど、ジェリーフィッシュがふわふわしていました。ウツボやセミエビ、マツカサウオなど珍しい生物もいます。ただ規模はかなり小さいですけど・・・。お馴染みとなったオウムガイものんびりと浮いていました。
11時を回ったので昼食です。ソースカツ丼という福井県民に大人気というものを食べました。味はまあまあ。目玉焼き丼とどっこいくらいでしょうか。フィッシュカツ丼よりはマシかもしれませんが・・・。
その後、恐竜映画を私以外が見て、イルカショーを全員で見て、私以外がお土産を買って、全員で帰路に就くことになりました。大雨になってきました。これでは何時着になるかわからなくなりました。
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2頭のだけの小さいショー

2016年12月29日(木)記事NO.120の3
雨の越前岬(2) その3
帰宅してからネットを見ていると、どこかの水族館でペンギンが年始のお参りをしていました。さっきいた場所だと気付きました。登場するのはオオサマペンギン(キングペンギン)約10羽です。世界で2番目に大きなペンギンで、海中をまるで飛ぶように泳ぎます。なお、フリッパーチョップは強烈でまともに食らうと骨にひびが入ることもあるそうです。
さて、屋根の下でしばらく待っているとペンギンたちが宿舎から出てきました。よちよちと白線内を歩いてきます。柵で囲われた赤い鳥居の前で少しお辞儀したかと思うと、境内に入ってきました。全員が入ると社に向けて挨拶です。頭を下げて目をつむって、本当に何かお祈りをしているようでした。そう言えば来年は酉年です。良いことがありますように。
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新年もこの様子を見せてくれる



2016年12月28日(水)記事NO.119の1
雨の越前岬(1) その1
福井県の観光地へ初上陸です。1人をのぞいて・・・。
朝食前に一風呂。そして朝食後に最後の一風呂。4回も温泉に浸かって山代を後にしました。目指すは片山津温泉・・・の先にある東尋坊です。兵庫の玄武洞や島根の日御碕のように、柱状節理が発達しています。六角柱の構造体がぎっしり生えているような感じです。地学には興味があるので(石をやっているから当たり前か・・・。)、観察するのを楽しみにしていました。
ところが、雨が降り出し風が吹き出した上に、家族は興味がないという悪循環に陥り、それを見ることはできませんでした。とりあえずタワーに登って周囲の地形や風景を見てみることにしました。
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古くなったタワーに登る

2016年12月28日(水)記事NO.119の2
雨の越前岬(1) その2
まず、南に九頭竜川の河口が見えました。風力発電の風車が何基か回っています。その向こうに見えるのは部子山でしょうか。勝山や越前大野の方角です。永平寺もそちらにあります。次に東の方を見ました。あれは昨日も見た大日山でしょうか。朝焼けがまだ黄色く光っていました。
ふと海を見ると遊覧船が走っていました。やや波が高いものの運行されているようです。でも酔いそうなので止めました。北には雄島が見えました。望遠鏡で見ると人が歩いているようです。しかし、窓ガラスに雨粒がくっつき始めています。寒さは大したことはないですが、濡れるのはNGです。しばらくそのまま暖を取っていました。子供たちは興味を失ったのか、GOGOばかりです。果たして水属性が現れるでしょうか。
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雄島と半島の先端

2016年12月28日(水)記事NO.119の3
雨の越前岬(1) その3
タワーから岬の突端まで土産物屋が林立していました。お土産は・・・もちろんカニです。本当はここから海岸線に沿って30kmほど下った越前海岸の方が安いのです。しかし、時間がないので仕方なくここで買うことにしました。
店内に入ると生きたカニのいる水槽がありました。元気に動いていて、中には脱走しようとかごから逃げ出す個体もいます。茹でる前のカニは薄い茶色で、黒い豆粒のようなカニビルのタマゴが付いています。これがたくさん付いている個体は比較的長生きしていて、味も良いそうです。寄生虫だけど茹でてしまえばまったく問題ないからね。
結局、茹でていないカニ足を3軒分6kgほど購入しました。諭吉が2枚消えましたが、それでも徳島の市場で買うよりは安かったです。
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カニのあぶくのようにカネが消えた



2016年12月27日(火)記事NO.118の1
カニと温泉卓球 その1
冬至を過ぎたばかりで夜が早くやって来ます。北西風が強くなる頃、私たちは今夜のお宿山代温泉を目指しました。途中の小松では自衛隊機が訓練していました。轟音と共にイーグルらしき戦闘機が飛行機雲と共に消えていきました。片山津ICを降りるとナビに任せて近くまで進みます。そして、最後は自分の地図の知識でホテルへ向かいます。
柴山潟から流れ出す新堀川に夕闇が迫っていました。水鳥が群れをなしてねぐらへ帰って行きます。手前が鞍掛山でその向こうに見えるのが大日山でしょう。山頂部が真っ白な雪に覆われていました。温泉街に入るとすっかり暗くなっていました。ナビは気にせず、裏山へのルートを自分で判断して上ります。約5分で目的地に到着しました。積雪がなくて幸いでした。
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夕日が反射して赤くなっている

2016年12月27日(火)記事NO.118の2
カニと温泉卓球 その2
まずは早速一風呂浴びました。硫酸ナトリウムを含む温泉の効能は・・・忘れましたが、平日だったのと時間が早かったので混んでいませんでした。目的の1つは早々と達成し、次は2つめのカニ足食い放題です。大皿にこれでもかってくらい盛りつけられています。食前酒をあおって、メインディッシュに取りかかりました。
誰かがカニを食べているときは静かになると言っていました。あれは本当ですね。皆無言になっています。聞こえるのはポキッとかガリッとかズルッとかいう音ばかり。二の腕みたいな部分の端から2cmくらいの所を折って、そのままゆっくり引っ張るとカニの身が出てきます。慣れると簡単ですぐに食べられます。爪の部分は硬いので、ほとんど私が歯で割って食べてしまいました。こうして90分間、腹が真ん丸くなるまで続きました。
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冷めているけど味は良かった

2016年12月27日(火)記事NO.118の3
カニと温泉卓球 その3
部屋に帰るとちょっと休憩してからまた温泉です。さっきよりは人がいましたが、それでも湯ったりとくつろげました。他の家族も風呂に行ってしまったようです。ロビーの土産物を物色して部屋へ帰ろうとしました。
すると、ゲームコーナーでピンポンの音がしました。のぞいてみると、子供たちがやっていました。経験はないはずですがそれなりに様になっています。途中から母が参戦して世代対決の様相を呈してきました。バレーボールのエースアタッカーだった母は、昔取った杵柄とばかりに孫たちを翻弄します。熱戦が繰り広げられ、1時間もそこで運動しました。
部屋は最も広い20畳でした。しかも別室付きです。子供たちは自分たちだけで寝たいそうです。布団を移動させ暖房をセットして就寝しました。その後、こっそりともう1回風呂に行ったのはナイショです。
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どこかの映画のワンシーン?



2016年12月26日(月)記事NO.117の1
初めてそして久しぶりの金沢(2) その1
再び青空が見えました。避難所代わりになった兼六園を出て、道を挟んだ真向かいの金沢城に入ります。国道の上の橋を渡り正門から入場します。加賀百万石のお城はとても大きいです。こんなにも巨大な自宅を抱えていたお殿さんはどのような気分だったのでしょう。
城内にも堀がありました。石垣もしっかり詰まっていて這い上るのは難しそうです。戦を想定して造られたそうですが、結局使用されることはありませんでした。良いことです。
緊急時の備品とか災害時の避難施設とか、そういうものの準備は怠りなくするのは当然ですが、それが無駄になって欲しい=災害などが起こらないことを最も望みます。車にも積んでいますけど、何か・・・。
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城郭への通用門

2016年12月26日(月)記事NO.117の2
初めてそして久しぶりの金沢(2) その2
靴を脱いで城内に入りました。ちょっと暖房が効いて暖かいです。ものすごく急な階段を上がりました。子供たちが怖がってなかなか上がろうとしません。上がるときも降りるときも私が下側に立って支えになることで、ようやく最上階までたどり着きました。
兼六園と同様に城下町がよく見えました。古い家並みが所々にあります。さぞかしお宝も多いことでしょう。古いということはそれだけで価値があります。何百年もの時を旅してきたのですから・・・。
今日は親子孫の三代がそろい踏みです。我が家に祀るべき祖先はありません。今ここから開祖として歴史が始まります。初代の名に恥じないように頑張ります!
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100m以上続く城郭の内部

2016年12月26日(月)記事NO.117の3
初めてそして久しぶりの金沢(2) その3
観光の後、女性軍はお買い物タイムに入りました。私は子供と暇つぶしに入りました。金箔と金粉の町だけあって、どこを向いてもキンキラキンです。金粉入りのお茶やコーヒー、飴や煎餅、クッキーや饅頭など、これでもかってくらい金だらけでした。
金1gは一辺4ミリ角くらいの立方体です。これの板をプレス機にかけて平たく伸ばし、この操作を何度も行った後、最後は職人が人力でたたいてあの薄い金箔に仕上げます。名刺サイズで500円くらいです。材料費つまり金の価値は実質0.1円くらいなので、実に5000倍に跳ね上がっています。作業費にすごく使っていますね。金だからと言って単体その物が高いとは限りません。普通のクリームは300円ですが、金箔を貼ると600円です。ぼったくりくりみたいです。
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金箔を貼ったソフトクリーム



2016年12月25日(日)記事NO.116の1
初めてそして久しぶりの金沢(1) その1
思い立ったら吉日。クリスマスから年末までの短期間、温泉ホテルの宿泊がちょっと安くなります。そこで、今まで行ったことがない場所へと家族サービスを決行しました。
目指すは徳島より500km。車で5時間の北陸の小京都金沢です。徳島自動車道から淡路を経て山陽から中国自動車道へ。名神から京滋バイパスを経て再び名神に戻り、米原を過ぎて北陸自動車道に入りました。途中の西宮名塩・賤ヶ岳・尼御前SAで休憩しました。名塩は何度も来ているのでトイレだけ、賤ヶ岳は余呉湖の近くなのでコーヒーブレイク、そして尼御前では昼食を取りました。すぐ裏側は荒波が打ち寄せる日本海でした。天気が良かったので今日の運転は楽でした。
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義経一行にまつわる悲しい話

2016年12月25日(日)記事NO.116の2
初めてそして久しぶりの金沢(1) その2
金沢西ICを降りてからしばらくかかりました。物産館が空いていたので駐車して、まずは兼六園を回りました。家族の半数が初めての地で、残りは数回目になります。とは言ってもかなり昔のことで、しかも観光バスに乗って回ったので記憶が曖昧です。急な坂を登って北東の入口から入場しました。
最初に目に入るのは、雪の重みで枝が折れるのを防ぐ吊り紐です。正式名称は知りませんが、支柱を立ててこのような三角の円すい状にひもでくくるのは独特の趣があります。尼御前でも同じようにしていたので、とても効率が良いのでしょう。真ん中の池を中心にゆっくりと回りました。大きな銅像や昔のお殿様が植えた松の大木とか、梅林の舟形休憩所とか、古い水源や噴水などもありました。
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高台から見た大池

2016年12月25日(日)記事NO.116の3
初めてそして久しぶりの金沢(1) その3
半周してちょっと休憩です。私だけならいろいろな場所を見たくて歩き回るのですが、子供や年寄りもいるのでそうはいきません。池の畔の店で腰を下ろし、お茶と団子を食べました。黒い鯉に混じって金色と赤色が泳いでいました。
にわかに空が曇ってぱらぱらと雨が降ってきました。カサは車に置いてきたのでどうしようか思案していると、晴れ着などを展示している古い建物がありました。そこに入って雨宿りです。昔のお姫さんの一張羅とか、かんざしなどの小物が飾ってありました。お殿さんへの謁見の間とか、着替える小部屋とか、寝所やトイレなどもありました。暗くて何だか肩の凝りそうな場所でした。広すぎるのも落ち着かないものです。
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土産物屋の通りを歩く



2016年07月19日(火)記事NO.115の1
六甲山の昼下がり その1
神戸でヒマしています。街中の観光スポットはたくさんありますが、どれもピンときません。そこで、神戸市の北側の山に何か名所がないかと思い、スマホで調べてみました。山中には有馬温泉とかいろいろあります。しかし、過去に数回行っているし、そこまで行くには時間が足りません。そこで、ロープウェイやケーブルカーなどを利用して、神戸市が見下ろせる場所へ行くことにしました。
間違って神戸大学前でバスを降りました(ありゃっ)。気を取り直してそこからケーブルカーの駅まで徒歩30分です。山の斜面に造られたこの大学は緑の木々に囲まれて、木陰で涼めばとても気持ちいいです。その一方で、移動にはアップダウンを伴うのでけっこう疲れます。
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山上駅でのケーブルカー

2016年07月19日(火)記事NO.115の2
六甲山の昼下がり その2
構内を抜けると今度は一般道を歩きます。横殴りの西日が容赦なく顔の左半分を焼きます。タオルを頭にかぶりましたが、それを通過した紫外線によって刺すような痛みがありました。しばらくして木陰が見つかったときはホッとしました。
住宅街の山側に駅がありました。団地など建物が込んでいて、坂の下から見たのでは全くわかりません。バス停があり、数台のタクシーが停まっていました。コーラを一気飲みして水分補給しました。そして、いよいよケーブルカーで移動します。高低差は493m、10分くらいの旅です。
まずは、いきなりトンネルをくぐります。ガタゴトと振動しながら二両の客車が登っていきます。斜度は20度くらいでしょうか。砂防堤を横目に小さな沢沿いに進んでいきました。
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油こぶしの向こうに市街地

2016年07月19日(火)記事NO.115の3
六甲山の昼下がり その3
途中で下り列車とすれ違いました。トンネルが多く、6つくらいあったでしょうか。六甲山は意外に急な山なのです。しかし、それだけに山頂付近は見晴らしが良く、夜になれば百万ドルの夜景が見られます。
まず、さっき登ってきた方向を眺めました。ポートピアや神戸駅などが見えます。また、そのまま海の向こうへ目をやると遠くに紀伊半島へと繋がっているのがわかります。少し東へ目をやると、芦屋や西宮、さらに大阪市街地までよく見えました。大阪と奈良を分ける生駒山系が南北に走っています。
ふと足下を見ると、ミヤマカラスアゲハが吸水していました。このチョウは深山にしかいないのですが、ここで見られるということはそれだけ自然が豊かな証拠です。
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あべのハルカスなど高層ビル群

2016年07月19日(火)記事NO.115の4
六甲山の昼下がり その4
猛烈に暑かったので、ここでしばらく佇んでいました。二本目のコーラを飲みながら、山上駅のショップを物色しました。パンフにはいくつかのハイキングコースやお勧めの観光コース、スポットなどが表示されています。植物園に行きたかったのですが、ちょっと距離があるので断念しました。フルーツランドも次回へ持ち越しです。
帰りもまたケーブルを利用しました。駅前までのバスもありますが、久しぶりだったので乗りたかったのです。再び住宅街の駅まで戻り、また徒歩で神戸大学を経てバス停へ行きました。いつの間にか、他の人たちも集まっていました。これから3時間かけて帰ります。すっかり日帰りコースとなった神戸行き。今度も何度訪れることでしょうか。
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西には明石と淡路が見える



2016年07月18日(月)記事NO.114の1
佐用町のスプリング8 その1
兵庫県佐用町では水晶が採れます。実際に現地へ行ったことはないのですが、交流している地元の方からいくつかいただきました。ありがとうございます。柱が長いものはなく、短くて先の尖ったイガグリ状の結晶です。しかし、光をよく反射・屈折するので、クラスター全体がきらきら光ってきれいです。また、紫水晶もあります。
このような物をどうやって見つけてくるのでしょうか。私の場合は、まず文献を調べます。特に地元で発刊された郷土史などが面白いです。そこで当たりを付けてから、地元に直接行って話を聞いて回ります。お年寄りが多くて話が長くなってしまいますが、それはそれで楽しいです。そして、ようやくヒントがもらえたり解答が得られたりするのです。
でも、今日は水晶が目的ではありませんでした。
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レーザーと加速器の全体像

2016年07月18日(月)記事NO.114の2
佐用町のスプリング8 その2
播磨科学公園都市で一般見学会があり、たまたま時間があったので行って来ました。徳島県中部から播磨新宮ICまで2時間半。自動車道を下りれば10分で現地到着です。
正門をくぐると広大な敷地内にポツポツと施設がありました。その中で目を引くのが、直線状建造物のX線自由電子レーザー(SACLA)と、円環状建造物の蓄積リングです。前者は700m、後者は1周1.5km(直径は400m)もの大きさがあります。SACLA(さくら)は自由電子を加速・収束し、短波長のX線レーザーを発生させます。波長の短さでは世界一だそうです。リングでは利用するエネルギーごとに様々な実験や確認がおこなわれています。赤外線からガンマ線まで、様々な電磁波を使っているのです。
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さくらからリングへレーザー放出

2016年07月18日(月)記事NO.114の3
佐用町のスプリング8 その3
スプリング8の8とは、最大出力時の電子が持つエネルギーの大きさから名付けられたそうです。8GeV(ギガエレクトロンボルト)、すなわち80億eVです。どれだけすごいのか、私も今ひとつピンときませんが、とにかく世界最高水準であることは間違いありません。以前に政府が予算の仕分けをしたとき、この施設を見たある議員が世界一でなく世界二ではいけないのかと言って予算を削減しようとしました。そこを踏ん張って何とか予算が付いたとのことです。なお、芸能人をCMに使うのはNGでしょう。
さくらの内部を見学させてもらいました。さくらは数百mの距離を使ってレーザーを収束させ、小さな標的に当てられるようにします。箱形の様々な器械が並んでいて、どれがレーザーなのかわかりません。開いている扉から見えるパイプ内を通っていくそうです。
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三原栗山を取り囲む蓄積リング

2016年07月18日(月)記事NO.114の4
佐用町のスプリング8 その4
リングの内部も見せてもらいました。監視人が見張る中で、厳重な扉をくぐると・・・そこは別世界でした(本当?)。リングだけあってゆるやかにカーブしているのがわかります。天井の近くで光っているのが、加速された電子が走るチューブです。ここでは同時に最大で62の実験を行えます。
例えば、毒カレー事件のヒ素を特定したのもこの装置です。また、ハヤブサが採取した小惑星イトカワの粒子を分析したのもこれです。多くの企業や大学が思い思いの研究に取り組んでいました。
一般人でも審査が通ればここを利用できます。料金は1時間6万円だそうです。なお、大量の電力を消費するためお盆や年末年始は休みです。一般家庭に電気を送るためだそうです。また、リング内は長いので自転車で移動していました。まるで青函トンネルの保安員みたいです。
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リング内にも器械がぎっしり



2016年07月01日(金)記事NO.113の1
四国の外の鉱山(5) その1
有名な山宝(さんぽう)鉱山へも行きました。実は私は、正式にはこれが初めての訪問です。しかし、他のサイトの画像を何度も見たり実際に訪ねた人から充分話を聞いており、そこで採れた岩石や鉱物をもらっているので今更ながらという感じがします。
道端に駐車してから彼らとちょっと離れて川沿いを歩くと、地元の方が散歩されていました。鉱山のことを尋ねると道と同じ水準に坑道があったそうです。石採りについても、たくさん人が入っているので気をつけてと言われただけでした。そこで、改めて細くなった山道を上へ上へと登りました。かなり勾配が急で少し歩いただけで息が切れます。足下の土が湿っていてずるずる滑ります。歩きにくくて難儀しました。若い人以外は全員そろって体力不足を嘆きました。
つづら折りを数回曲がったところでズリに上がりました。まずは落ちている石の確認です。枯れ葉の下に無数の石が積み重なっていました。
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急斜面のズリ
本当にずるずると落ちそうになる

2016年07月01日(金)記事NO.113の2
四国の外の鉱山(5) その2 M30
白いのは石英かと思いきや大理石のようです。結晶質石灰岩のことで、塩酸をかければ発泡して溶けるので一発で正体がわかります。ピンクの長石を含む花崗岩もあります。その他にも粒子が大きな深成岩か変成岩かわからない火成岩がありました。
一方で、重量感のある黒い石は磁鉄鉱です。四国では見たことがない産状で、磁鉄鉱の塊の中に六角形のような結晶を含んでいます。中国地方の他の産地ではどうなのでしょうか。緑色の鉱脈は緑簾石です。黒地にうまく緑のラインが入るときれいです。自分用に2個、友人に2個、博物館用に2個拾いました。そんなにたくさん要りません。置いていても死蔵するだけなら勿体ないからです。後日、博物館に寄贈しました。これで何個目でしょうか。因みに、収蔵品カタログの2千番台の半数以上は自分の元標本だと自負しています。
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とりあえず磁鉄鉱を集める

2016年07月01日(金)記事NO.113の3
四国の外の鉱山(5) その3
年若いK様はズリの上の方へ行ったはずでした。ところが、ふとズリの下を見るとK様らしき人が一心不乱に石を割っています。いつの間に下に降りたのか、行動が早いなあと驚きながら声をかけました。「もうそろそろ帰るよ!」相手からちょっと戸惑ったような返事がありましたが、それはスルーして先に道まで降りました。
しばらくするとようやくK様が降りてきました。あれっ?そう言えば服装が違うような・・・。道から目をこらしてズリを見上げると、そこにさっき声かけした人がいます。・・・ありゃりゃ、別人でした。たまたま香川県から同じ目的で来たグループのようです。その節は間違えまして大変失礼しました。
川からアユの臭いがしてきます。もうすぐ季節は夏本番です。
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峠から見た高梁市街地



2016年06月30日(木)記事NO.112の1
四国の外の鉱山(4) その1
山陽にお住まいのY様より鉱山跡をいくつか教えていただきました。その際、そこへ入場して石を採集しても地元とトラブルが起きない場所を選定してもらいました。ありがとうございます。
そのうち1ヶ所は訪問できたのですが、それ以外は時間がなくそのままになっていました。そこで、いつも同行してくれる人に場所を教えて先行偵察をお願いしました(笑)。その結果、行った先で無事にトラブルなく採集できたので、今回彼らの案内で現地を訪れました。
1つめの鉱山跡はくねくねと曲がる細い道を走った先にありました。林間を過ぎると急に視界が開け、赤褐色の不毛な大地が広がっているような光景が飛び込んできました。
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緩やかに下る小さな沢

2016年06月30日(木)記事NO.112の2
四国の外の鉱山(4) その2 M29
直射日光と地面の照り返しで暑いです。目に周りがピリピリしていました。さて、この辺りは脈石を捨てたズリとスラグ廃棄場が混在しているようです。土中の褐色は鉄分でしょう。銅山ではほとんどの鉱石に高濃度の鉄を含むため、このような産状になったものと思います。
鉄や銅の鉱物がいくつか見つかりました。さすがに同じ種類の鉱物でも島(四国と本州)が異なれば見た目が違います。高越山や関川で鍛えた心眼(?)もここでは通用しませんね(笑)。四国では余り産出しない鉱物がありました。まず、硫砒鉄鉱が見つかりました。イオウとヒ素を含みます。後者は石見銀山ねずみ取りで知られている有毒物質です。子どもの手が届かない場所に保存すべきでしょう。しかし、大量に誤飲しなければ問題ないので恐れすぎる必要はありません。
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ある鉱物の鉱脈の露頭
画像は左右30cm

2016年06月30日(木)記事NO.112の3
四国の外の鉱山(4) その3
コベリンもありました。表面がトカゲの鱗のように青く光っています。岩の表面にへばりつくように含まれていたので、タガネとハンマーで時間をかけて剥がしました。よく見ると周辺に小片が落ちていたので、すでに誰かが採集した後のようです。
その他にも何種類か見つかりました。しかし、目的の1つだった藍銅鉱が見つかりません。赤紫色の粒状または脈状の鉱物です。緑色のクジャク石と組成は似ていますが、見た目がまったく異なります。すると、うち捨てられていたスラグの表面にそれがありました。元々別の銅鉱物だった物が変質してできる二次鉱物なので、銅を含んだスラグにできても不思議はありません。でもこれは自然物と言えるのか、そこが問題です。
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わかる人にはわかる鉱山跡



2016年05月17日(火)記事NO.111の1
春の北海道再び(14) その1
やっと仕事の旅行が終わります。運良く窓際の座席が取れました。これから関空まで2時間の空の旅です。私はこの時間で何をしているかというと、①白昼夢、②カメラ、③飲食、④旅雑誌、⑤うたた寝・・・のどれかです(笑)。選択肢が多いように見えて実際はぼぉ~としていることが多いです。この世で一番消化しにくいのは時間だって誰かが言ってましたが、私には当てはまらないようです。
サブからメイン滑走路に入りました。いよいよ離陸です。ほんの少しの不安と大部分のヤレヤレといった気持ちを綯い交ぜにして滑走を始めました。時速303kmを超えるとドンという音とともに機体が浮かびました。飛行機は空港上空で旋回して機首を南西に合わせ、一路大阪へ向かい始めました。偶然にも窓から空港施設が見えました。すでに準備をしていたカメラで撮影できとてもラッキーでした。
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半円形の空港ターミナル

2016年05月17日(火)記事NO.111の2
春の北海道再び(14) その2
私たちの下は原生林や湿地が続いています。まだほとんど開拓されていない原野のままです。元は人が住んでいたらしき小屋を数多く見ました。ここも都市部に人口が集中して少しずつ過疎化が進んでいるようです。確かに週末や長期休暇をのんびり過ごすには都合が良いでしょう。しかし、ずっとここで生活するとなれば余りに不便です。住んでもらうためには様々なインフラの整備が求められます。
遠くに支笏湖が見えました。死骨(しこつ)に繋がるから名称を変えるべきだと言われたこともあったそうです。かなり昔に支笏湖の氷瀑祭りを見ました。札幌から遠いのでお客が少なかったですが、氷柱のイルミネーションがきれいでした。今は懐かしい思い出です。
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植苗やウトナイ湖の手前辺り

2016年05月17日(火)記事NO.111の3
春の北海道再び(14) その3
飛行機は急には降りられません。VTOL機やオスプレイみたいに垂直離着陸は無理です。ということは、行動を徐々に下げるためかなりの距離を余分に飛ぶ必要があるのです。
札幌から関空へ飛ぶ場合、直接大阪を目指すのではなく大きく迂回します。能登半島を通過した後、そのまま福井から兵庫の上空を縦断します。そして、瀬戸内海に入り徳島や淡路を横切るのです。つまり私たちが地上から見上げていた飛行機は、沖縄方面ばかりでなく北海道方面からの便もあったのです。
いつもは①や⑤に没頭していますが、今回は②に集中しました。雲海を横切る他の飛行機やブロッケン現象らしきもの、滅多に見られない空中からの眺めを撮影できました。また、次があることを期待しています。
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雨雲が押し寄せる徳島平野
蛇行する吉野川河口付近



2016年05月16日(月)記事NO.110の1
春の北海道再び(13) その1
再び千歳空港まで帰ってきました。バスのドライバーとガイドさんにお礼を言って、カウンターに並びました。GW明けの平日でしたが、お客がまあまあいました。さすがは観光大国ならぬ観光大道です。うちの県も頑張らなけりゃ!人口も減っていることだし・・・。
チケットと引き替えに荷物を預けましたが、週発までまだかなり時間があります。そこで、空港内を上から下まで見学しました。最上階の展望台に来ています。十分おきくらいで飛行機が離発着していました。たまに軍用機が飛んでいるみたいです。また、国際空港でもあるので海外からの便も見られました。徳島からは毎年夏だけ定期便が出航しています。今度は真夏に来てみたいです。
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この便に乗ります!

2016年05月16日(月)記事NO.110の2
春の北海道再び(13) その2
最後の最後のお土産をあさっています。買いそびれた甘い物とか塩辛い物とか辛みがある物とか特有の臭いがある物とか、要するに食べ物ばかりです。試食も楽しみの1つで人目を気にせず堂々とつまみました(笑)。
スフレのようなお菓子は口の中でスッと溶けます。甘すぎず軽すぎずで絶妙のバランスです。ケーキのスポンジは濃厚な味わいの中でもくどくなく、後味がサッとなくなります。潔い味でした。昆布の旨味成分を凝縮させたような食品は、ちょっと塩味が効きすぎていました。しかし、それ単独ではなく別の飲料と併せて食すればちょうど良さそうです。
味だけでなく食感も大事だとよく言われます。噛みごたえや歯触り、喉ごしなども重要なファクターなのです。・・・と言っても、私は通ではないし質より量なのでまともに取り合わない方が無難でしょう。
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歴代の飛行機(模型)

2016年05月16日(月)記事NO.110の3
春の北海道再び(13) その3
空前の萌えキャラブームですね。1年と3ヶ月前にはこれありませんでした。詳しいことは全部子どもに教えてもらっています。子どもたちが好きな雪ミクなので、高校生や大学生に混じって異質な(!)私も見に行きました。頼まれていたバッグやお菓子、ファイルやホルダーなど価格もそこそこします。おかげでお土産の重量は増えて、サイフの重量も増えました。つまり万札など紙幣が減って、硬貨など小銭が増えたためそうなったのです。
警察や自衛隊でも萌えキャラが採用されています。ちょっとやり過ぎじゃないかと思いますが、これも日本文化の1つかなとも思います。ただ、これだけ美少女が持てはやされている背景には、成人男性の自信のなさが現れているとの指摘もあります。
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ツインテールも流行っている?



2016年05月15日(日)記事NO.109の1
春の北海道再び(12) その1
ホテルからバスで20分、札幌南部の羊ヶ丘に来ました。いつも感じることですが、札幌では南北が逆になったような違和感があります。つまり、札幌中心街から見て藻岩山が南ではなく北側にあるように思ってしまうのです。なぜだかずっとわかりませんでした。
今回それがちょっとだけわかりました。私は小さい頃、徳島平野の讃岐山脈に近い場所で生活していました。和泉層群が走っていてたまにアンモナイトが採れました。今思えば、もっとアンモナイトをしっかり採集していればとちょっと後悔しています。そのとき、私の生活圏の北側に山があったのです。だから、山があればそっちが北だったわけです。たぶんそうしたインプリンティングが私に対して行われていた可能性があります。
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ボーイズ ビィ アンビシャス

2016年05月15日(日)記事NO.109の2
春の北海道再び(12) その2
比較的なだらかな丘陵が続いています。刈り込まれた緑の草原、牧場が広がり白い斑点が散らばっています。ヒツジの群れです。群という漢字の中にも「羊」が含まれるように、互いに群がりやすい性質があります。
ほ乳類の中では弱い立場にあるヒツジですが、シートン動物記によれば弱さの中の強さというものがあって、リーダーにはしっかりと従い群れのルールを守るそうです。しかし、リーダーがいなくなると急にそわそわし出して群れがばらばらになってしまいます。
まるで、最近の高校生や国会議員みたいです。自分の意志はないのか、それを表そうとは思わないのか。何も考えずただ長いものに巻かれて安心するといった考え方には不安を感じます。
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牧歌的で長閑なのですが・・・

2016年05月15日(日)記事NO.109の3
春の北海道再び(12) その3
クラーク博士が去り際に学生たちに述べたあの言葉の意味は「少年よ!大志を抱け!」と訳されています。一方で、直訳すれば「野望を持て!」という意味にもなります。大志と野望は紙一重なのでしょう。野望を持つのが悪いわけではありません。しかし、上に立つ者が下手な野望を抱いて下の者を道連れにするのは許せません。トップの尻ぬぐいなど真っ平ごめんです!
周囲では和やかな時間が過ぎていました。100%北海道牛乳のソフトクリームを食べたり、草原で寝転んだり(ちょっと態度が悪いぞ!)、最後のお土産を買ったり。全員でジャンプして連写しているメンバーもいました。まるで、空中を駆けているようでした。
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石狩平野のUFO



2016年05月14日(土)記事NO.108の1
春の北海道再び(11) その1
エゾシカやオオカミ、鳥類のいる大型のネット空間など、次々と施設を見て回りました。徳島動物園よりはずっと大きく山上から遠くの景色がよく見えます。ぬいぐるみは昨年買ったばかりなので、今度はファイルケースや栞などちょっと実用的なグッズを選びました。
最も低い位置にある東門は駐車場と隣接しています。アプローチには土産物屋や軽食喫茶があり、昼前から休憩している人がずいぶんいました。お昼を過ぎましたが私はとくに空腹を感じていません。そのままメシ抜きです。旅に出ると気合いが入って睡眠不足にも空腹にも堪えられます。まあ食べたいものがなかったというのが大きな理由です。
勝手にシロクマが水中で遊んでいました。まるで大きなぬいぐるみです。触ってみたいです。
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モフモフしたい毛皮

2016年05月14日(土)記事NO.108の2
春の北海道再び(11) その2
旭山と言えばペンギンパレードです。冬季限定イベントで、雪道をペンギンたちがヒョコヒョコ歩きます。チャンスはあったのですが、今のところまだ見てません。いつか機会はあるでしょうか?
この日のペンギンたちは暑そうでした。チューブ状の通路の上の水中を翼を広げて飛んでいます。空は飛べないけれど水の中は飛べるのです。編隊を組んでまるで滑空しているようでした。青い空間の中で涼しそうでした。
帰りの時刻が迫っていました。そろそろ山上の建物に集合です。私はまたアイスを頬張っていました(笑)。昼飯代わりなので勘弁して下さい。遠くで何か動物の吠え声が聞こえました。
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消火栓の下で日よけをしている

2016年05月14日(土)記事NO.108の3
春の北海道再び(11) その3
3時間かけて再び札幌に戻ってきました。18時を過ぎましたが日没まで時間がありまだまだ明るいです。定番のテレビ塔と大通公園、時計台を見て夕食にしました。
ふと道路標識に目をやりました。案内にはどこまで○kmと書かれています。四国での一般道路はほとんどが数十kmのオーダーで、高知県で見た四万十市まで127kmくらいが最大です。ところが、旭川で見た標識には網走市まで212kmと書かれていました。後日、北海道の人に尋ねるとそれは普通のことであり、四国内をレンタカーで走ったが狭かったそうです。確かに足摺岬まで日帰りしている私にとって、それは納得がいく意見でした。でも疲れが半端ないですけれど・・・。
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これも定番の味噌ラーメン



2016年05月13日(金)記事NO.107の1
春の北海道再び(10) その1
氷の世界から春を通り越して初夏の陽気に覆われています。バスに乗車して20分ほどで旭山動物園に着きました。低い山の傾斜地を利用して造られた動物園で、札幌の円山動物園より広く上野動物園より狭そうです。HPや本の受け売りでは、かつて廃園される寸前までいきましたが新しいアイディアを次々と生み出し、全国でも知名度の高い動物園になったということです。
まずは山上の西門から入場しました。ゲートにはチェーンだけでちょっと殺風景です。園内を回るにはここから階段を下りていくことになります。全員で記念撮影してそれから自由行動に移りました。持って行くのは小銭とタオルとカメラです。ところがうっかりタオルをベンチに忘れました。10分後に戻りましたがどこにもありませんでした。
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アザラシ館から見た園内

2016年05月13日(金)記事NO.107の2
春の北海道再び(10) その2
階段を下りれば東門までの最短コースです。しかし、充分時間があり小さな檻もじっくり見たかったので、蛇行したゆっくりコースを歩きました。小動物や鳥がいました。サル園にはたくさんの類人猿がいて、オランウータンの餌付けが行われました。檻から上へ柱が伸びて、頂上から水平方向へ丸太が延びています。その先に1頭いました。マレー語で「森の人」を意味するオランウータンには褐色の体毛が生え、直接触るとごわごわして汗臭い臭いがします。昔行ったボルネオのバコ国立公園で抱きつかれたときは、本当に暑くて臭くてべっとりしていて困りました。まだ若い個体だったので体重も30kgくらいでしたが、3頭同時にしがみついてきたときは対応できませんでした。 イメージ

エゾヤマザクラとダチョウ

2016年05月13日(金)記事NO.107の3
春の北海道再び(10) その3
暑くなってきたのでソフトクリームを食べました。ミルクたっぷりで美味かったです。ついでにコーラも飲んで水分補給も完了しました。
アザラシのいる建物に入りました。寸胴体型の生物が水中をスッと流れるように泳いでいきます。水の抵抗がまったくないような感じです。私も似たような体型ですが、こちらは抵抗ありまくりで水中移動は難しいです(笑)。気持ちよさそうに泳いでいるので、ちょっとうらやましかったのはナイショです。たぶん皮下脂肪は負けないでしょう。
外のガーデンにはアザラシ全種の説明板がありました。そう言えば徳島県にもときどきアザラシがやって来ます。ナカちゃんとかオオちゃんとかいましたね。またそのうち誰かがやって来るでしょう。
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水族館のように魚もいる



2016年05月12日(木)記事NO.106の1
春の北海道再び(9) その1
砂川から1時間もかからずに旭川市内に入りました。薄雲がかかっていたのにいつの間にか青空が広がり、気温は17℃まで上昇していました。しかし、それは単なる予報に過ぎず、直射日光にさらされた場所での体感気温は夏日のそれでした。暑さにやられそうな私たち南国人(?)は冷えた場所への避難を余儀なくされました。
小高い丘の上に雪の美術館がありました。隣接するユーカラには行ったことがありますがここは初めてです。何でも地下18mに大聖堂があるとかで、館内はとても涼しそうです。チケットを持って玄関を入るといきなり地下への螺旋(らせん)階段です。上から見るととても幻想的な雰囲気がします。皆でゆっくりと下りていきました。
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アナユキの映画で人気上昇中

2016年05月12日(木)記事NO.106の2
春の北海道再び(9) その2
階段を下りきって最下層に到達しました。そこから水平に延びるのが氷の回廊です。廊下の窓の外は巨大な氷柱(つらら)の部屋でした。太さ数cmから数十cmにもなる氷柱が、高さ数mにもなって垂れ下がっています。まるで秋芳洞や龍河洞のようで、見た目は鍾乳洞の氷バージョンでした。ガラスに触るとヒヤッとする冷気が感じられます。部屋の中はマイナス何度くらいでしょう?
私が今までに見た大きな氷柱は、徳島県木沢村の四季美谷で開催された氷柱祭り、新潟県弥彦山山頂の電波塔、北海道支笏湖の氷瀑祭りなどです。そう言えば、最近は自宅で氷柱を見る機会がなくなりました。積もった雪が一度融けて再び凍結することが必要です。つまり隔日で寒気が2回来なければできないのです。
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窓の外は冷凍庫

2016年05月12日(木)記事NO.106の3
春の北海道再び(9) その3
中谷宇吉郎は雪の研究で有名な有名な学者です。特に湿度や温度の違いでどのような雪の結晶ができるのか、毎日冷凍庫の中で実験と観察を重ねたと偉人伝で読みました。その彼が残した雪の結晶のスケッチなどが基になり、今の研究にも引き継がれているそうです。
私が図鑑以外で初めてまともに雪の結晶を見たのは、小学生のときでした。体温を通さない手袋の上に舞い降りてきた風花はまさに六角形!息を止めてしばらく眺めていました。寒い地方に生まれていればこれらの研究をしたかもしれません。
ここの地下でもお土産を買って再び地上へ上がりました。気温(室温)は少しずつ上がってきました。これから後半日堪えられるでしょうか?
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樹状結晶の六花(りっか)



2016年05月11日(水)記事NO.105の1
春の北海道再び(8) その1
次の日、日が昇る頃にはすでに車上の人になっていました。観光バスに乗って○十年ぶりに旭川までドライブです。しかも道端に雪がないのは初めてです。まるで童心に返ったかのように少しはしゃいでいました。
札幌から道央自動車道に上がりました。かつて鉄道ばかり移動手段にしていたので、周囲の景色の変化がとても新鮮です。スマホで位置を検索しながら地学的に名の知れた場所を遠目に眺めました。
三笠市が近づいて来ました。アンモナイトなど化石産地の1つです。札幌からは1時間くらいでちょっと足を伸ばした程度です。今回はチャレンジする機会がないので通り過ぎるだけです。玄能石も採れるようです。この石は化石か鉱物かよくわかりません。喧々がくがく論争しているところもあるようですが、私はどっちでもよいと思っています。
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前から読んでも道央道
後ろから読んでも道央道

2016年05月11日(水)記事NO.105の2
春の北海道再び(8) その2
三笠から少し進むと右手に美唄(びばい)という所があります。明治時代から石炭を採掘していました。本線から分かれてこの谷に鉄道の支線が通され、大小複数の炭鉱がありました。良質の石炭が採れたそうです。手元の石炭標本セットにそのサンプルがあります。
原生林を切り開き飯場や事務所を建て、坑道を掘って毎日多くの坑夫が働いていました。一方で、会社と従業員の間で多くのもめ事がありました。給与面や待遇面で差別されたり、時には脅迫や暴力もあったそうです。
こうした負の歴史を残すことにも意義があります。良い呪い(まじない)に力を与えるには悪いことも知らねばならない。どこかのだれかのセリフです。わかった方には石炭をプレゼントします(笑)。
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美唄の奥へ続く谷川

2016年05月11日(水)記事NO.105の3
春の北海道再び(8) その3
途中の砂川SAで休憩しました。ちょうど店が開いたばかりでお客も私たちだけでした。旅行日程はまだありましたが、今度はいつ時間が取れるかわからないのでここで、ここである程度のお土産を買いました。
家内や職場のことはほっといて、子どもから頼まれた物を探しました。物はすぐに見つかりましたが、タイプが複数あってどれが良いかわかりません。TELしようと思っても今日は平日でしたから、当然学校があるわけで連絡が付かないのです。・・・仕方なく全部買いました。後でゴチャゴチャともめられるのも困ります。思わぬ出費でしたが、旅に出ると懐具合も大きくなって気分も大らかになって、このように思い切った買い物をしてしまいます。何度も来られるところでもないですから・・・。
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砂川の西にそびえるピンネシリ山



2016年05月10日(火)記事NO.104の1
春の北海道再び(7) その1
ロールケーキを頬張りながらちょっと休憩です。本当はコーヒーだけで良かったのですが、ついつい回りに甘い高級菓子があるので手が出てしまいます。道に目をやって往来する人の流れをぼうと眺めていました。
時刻は5時を回りそろそろ移動です。団体の7割はもうしばらくここに残ることになり、バス1台分になった私たちだけが札幌へ向かいました。
自動車道は本当に便利です。移動がとても楽になりました。前回は夜間にこの道を走り、ボォ~と光る夜景を地震の前兆の発光現象と間違えたりしました。
何とかパークを過ぎて自動車道を下り、街中の何とか園に到着です。まだ明るいですが先に夕食をとることにしました。
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明るいときの赤レンガ

2016年05月10日(火)記事NO.104の2
春の北海道再び(7) その2
ここの名物はジンギスカン鍋です。とんがり帽子のような鉄板をが出てくると思っていましたが、ほとんど平鍋のようです。あれっ、いつの間に変わったのでしょうか?そう言えばここ数年は食べたことなかったので、ちょっと戸惑いました。
材料はシンプルで、若い羊の肉ともやしだけでした。それをタレをベースとした汁につけ、煮立たせて出来上がりです。味わいは軽くていくらでも食べられそうでした。実際に鍋を5回おかわりして、ウーロン茶を10杯飲みました。本当はビールが良かったのですが、まだこの後することがあったので我慢しました。他の人も心置きなくたらふく食べられました。そうそう言い忘れていましたが、ここはバイキングでした。
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ここの肉鍋は美味かった!

2016年05月10日(火)記事NO.104の3
春の北海道再び(7) その3
少しずつ暗くなってきました。それでもまだ空は黒ではなく群青です。これくらいの色合いが好きです。ちなみに、このブログを入力しているPCの立ち上がり画面もこの色です。
気温が少し下がってきました。ほんの1週間前まで大雪が降っていた場所ですから、それなりの対策はしていました。・・・しかし、まったく寒くありません。むしろ暑いくらいです。やっぱりさっきビールを飲んどいた方が良かったとちょうっと後悔しました(笑)。
これから藻岩山へ向かいます。(1)の記事の場所です。その後、9時半頃まで滞在して宿舎に向かいました。天気が良くて素晴らしい夜景が見られました。
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暗くなってからの赤レンガ



2016年05月09日(月)記事NO.103の1
春の北海道再び(6) その1
スーツから染み込んできた水でシャツが濡れていました。さっき飛び込んでいた人たちは完全なヌレネズミです。部屋に戻って軽くふいて着替えてから再出発です。
京極の名水を横目にして、道の駅「あかいがわ」でちょっと休憩。ここにもエゾヤマザクラが咲いていました。また、ドッグランがあって飼い主が愛犬を運動させていす。そう言えばうちのワンこは元気だろうか。
キロロの山々には白銀が光っていました。5月末までスキーができます。しかし、万一病気やケガをしたとき1時間かけて小樽まで行かないと大きな病院がないそうです。くねくねした曲がってばかりの道なので凍結しているときは大変みたいです。
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峠から見た小樽の町並み

2016年05月09日(月)記事NO.103の2
春の北海道再び(6) その2
小樽への最後の行程は下り坂でした。つづら折りのようなカーブの連続で、山のかなり上の方まで住宅があります。ガイドさんの話では、蝦夷地の開拓の初期にここを拠点としたそうです。しかし、産地が多くて居住できる場所が少ないので断念し、石狩平野へ移動して住みだしたのが札幌の始まりでした。
いつもの観光駐車場から、いつものように観光客に混じって歩きました。雪がない時期に来るのは稀なので、何だかとても新鮮です。ガラスやオルゴールなど定番コースを見て、家族から頼まれていた菓子類を購入しました。高校生が七色アイスクリームを食べていました。手には大きな袋を提げているので、ここでほとんどの食べ物を買う気のようです。
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昔のオルゴールらしい

2016年05月09日(月)記事NO.103の3
春の北海道再び(6) その3
石ショップがあったので訪れました。パワーストーン屋さんです。ビスマス結晶とあったので見てみると、ロシアのコラ半島で産出する星葉石でした。他にもラベルがいくつか間違っています。たまたまそこに来たスタッフにそれとなく教えてあげました。どうやら店頭に並べる前にラベルが入れ替わってしまったみたいです。東京の某ショップから卸したそうで、先方の配送がいいかげんだったかもしれません。名のあるショップでもそういうことするんだと思いました。
歩き疲れて昆布茶をすすりました。日高昆布かと思ったら利尻昆布でした。店内には昆布漁に使われる道具が所狭しと並べられていました。店長が使用していたそうです。ちょっとした博物館でした。
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天井には3m以上の昆布(こんぶ)



2016年05月08日(日)記事NO.102の1
春の北海道再び(5) その1
国道から脇道に入りさらに細い道を進んで橋を渡り、ジャガイモ畑と畜舎の間の小道を無理矢理通り、砂利を敷き詰めた広場で降車しました。その前が船着き場、否出発点です。インストラクターがズラッと並んで私たちを待ち受けていました。号車ごとに割り振られた班に合流して簡単なレクチャーと注意を受け、早速ウエットスーツを身につけました。
川辺まで徒歩5分です。さっき通ってきた橋の上から川を見下ろしました。これからそれを下って行くのです。ちょっとだけ武者震いしました。出発点にはたくさんのボートが積み上げられていました。各自がオールを持ち少しだけ練習です。私は一応のボートやカッター訓練を受けているので、まだ気持ちに余裕がありました。この後何が起こるのか、そのときはまったく思いもよりませんでした。
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見た目は穏やかな尻別川

2016年05月08日(日)記事NO.102の2
春の北海道再び(5) その2
ついに出航です。川は雪解け水を含んで冷たく、水量も年間を通じてもっとも多い時期だそうです。最初は全員で調子を合わせて漕いでみました。流れが急で所々に白波が立っています。川底に岩や流木が沈んでいるようです。川の流れの中心から少し岸辺寄りに進んでいきました。
突然インストラクターから指示がありました。漕ぐのを止めて足をボートの内側に引っかけました。落とされないようにするためです。舌をかみそうになるくらいアップダウンがありました。しぶきで濡れながらやっとのことでそこを通過しました。いつしか両岸が断崖絶壁に変わりました。また難所にさしかかったのです。部分的に漕いで障害物を避けたり、他の船と接触しそうになって青ざめるときもありました。もっとも互いに水の掛け合いをして楽しんでもいましたが・・・。
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近くで見れば流れが激しい

2016年05月08日(日)記事NO.102の3
春の北海道再び(5) その3
難所を抜けて流れが比較的ゆるやかになりました。ときどきオールを使うだけで後は川の流れ任せです。南側に羊蹄山が見えました。別のチームがそこまで行っているらしいです。あっと、溶岩のお土産を頼むのを忘れていました。真っ黒な石がごろごろしていたそうです。
私以外の人が川に落ちました。ボートの手すりの上に全員が立ってみたら、足を滑らせて川の中に倒れ込みました。ラッコの体勢になってしばらく浮かんでいました。もちろん救命胴衣を付けているから安心です。冷たいと言っても心臓が止まるほどでなく、むしろのどかな春を満喫しました。5分くらいで全員を収容し、川の旅を終えました。個人的にはもう1時間くらいは楽しみたかったです。名残惜しいですが、次の目的地に移動となりました。
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気がつくとたくさんのボート



2016年05月07日(土)記事NO.101の1
春の北海道再び(4) その1
雨風が窓を揺する一夜が明けました。宿舎前の国道はすっかり濡れています。走る車もほとんどなく、風も収まって静かな朝でした。
いつもと変わらず5時前には目が覚めてしまいました。昨夜は寝付けずちょうど日付が変わる頃に夢の世界へ行けたと思います。睡眠時間が取れていないようですが、二度寝してもすぐに起床なのでこのまま起きることにしました。
今日はイベントをこなしてからすぐに移動です。散らかしていた荷物を片付けていつでも運び出せるようにしました。次に朝風呂です。熱い湯を頭からかぶると眠気が取れてシャキッとします。少し汗ばんでいたので石けんを付けて頭から足先まで入念に洗いました。これから朝飯です。
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雲がかかる独立峰の羊蹄山

2016年05月07日(土)記事NO.101の2
春の北海道再び(4) その2
ウインナー、スクランブルエッグ、レタスとトマトのサラダ、生ハム、ポテトサラダ、ミニハンバーグ、フライドポテト、コーンスープ、きんぴらゴボウなど定番メニューをおかずに、大盛りライスと食パン、味付けパンなどを腹に収めました。他人が見れば胃もたれを起こしそうな内容らしい(?)ですが、私にとってはどこ吹く風。これくらい食えなければ体育会系が廃るというもんです。・・・スポーツは全然ダメですが。
食後にちょっと外に出ました。また風が吹き出していましたが、そう冷たくはありません。今日必要な服の数を計算して、後でバッグに詰めておかなければなりません。まもなくお出かけするからです。今日はどんな体験ができるでしょうか。
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白樺の間から見える青空

2016年05月07日(土)記事NO.101の3
春の北海道再び(4) その3
移動のバスは満席でした。GWは過ぎたのにどこからこれだけの人が湧いてきたのでしょう。・・・多分、自分たちも同じように思われているみたいです。
羊蹄山の東側に沿って進みました。行程は約20kmで30分ほどです。谷川が近くまで迫っている場所には残雪がありました。途中でエゾシカが飛び出してきて、バス中で一斉に歓声があがりました。倶知安を中心とする盆地に入ると景色が一変しました。見渡す限り広大な牧場と畑です。大規模な農場が多くてもうすぐジャガイモを植えるようです。後2ヶ月も経てばこの辺りは白いジャガイモの花に覆われるでしょう。ラベンダーとはまた違った趣があると思います。見てみたいです。
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耕された畑が真っ白になるだろう



2016年05月06日(金)記事NO.100の1
春の北海道再び(3) その1
北海道と言えば広い。広いと言えばやっぱり牧場ですよね。高速道を走っていると海側の平野部の方に、グラウンドがいくつ取れるかわからないくらい広い平坦地が見られます。この辺りに来ると必ずガイドさんが、「左手に見えますのが牧場で、この時間ですと暖かいから馬や牛が出ていますよ~。」なんてアナウンスします。そして、私たち道への不案内者はそっちを見て、馬がいれば「いたぁ~。」と歓声を上げたり、いなければ「あ~あ。」って落胆のため息をつくのです。もっともいたとしても遠くてよくわからなかったり、たまたま反対側の座席だったりして見られなかったりします。結局何度もここを通ってそのうちに見られるかもしれないってことです。そのときが来るのをゆっくり待ちましょう。 イメージ

遠くに馬が5頭いた・・・わからん

2016年05月06日(金)記事NO.100の2
春の北海道再び(3) その2
北海道特産の農作物や食べられる植物も多いですね。留寿都の道の駅でハスカップのミネラルウォーターを買いました。酸味がありちょっとだけ甘みも感じられて飲みやすいです。合う人と会わない人がいるって聞きましたが、私には合うようで、この後の滞在中に5本くらい飲んでしまいました。次は箱買いして送ろうかなって思います。
時間があってヒマだったので、きのこ汁を飲んでいる人がいました。私は今夜のために夜食を物色中です。昆布だしの味わい深いアラレや地衣類の天ぷらなど、手出しをしようかどうか迷うお菓子もありました。ハスカップを飲んで心を落ち着けてから結局パンを買いました。これで夕食後から明日の朝まで何とかもちそうです。
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行者ニンニクの苗があった

2016年05月06日(金)記事NO.100の3
春の北海道再び(3) その3
5月というのに山中至る所に残雪があります。薄汚れていますが、雪だるまを作るに十分すぎるくらいありました。落雪から車を守るために崖に庇を儲けたり、丸い屋根を付けてトンネルみたいにしていました。信号が縦型であったり車道と歩道との境界線に矢印を付けるなど、冬季の豪雪に備えた仕組みがいろいろ見られました。
日没を迎えて辺りは急速に暗くなってきました。気温も急低下しておそらく一ケタになっているでしょう。宿舎から外にで出ると肌がキュッと縮こまって鳥肌の状態です。雨が降ってきました。風も出てきました。明日は晴れるそうですが、気温とか水量とか大丈夫でしょうか。明日の用意をしてちょっと見回って確認して寝床に就きました。
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ルスツのメインストリート



2016年05月05日(木)記事NO.99の1
春の北海道再び(2) その1
この季節に来るのは2度目で、実に○十年ぶりです。寒いのかそれとも意外と暖かいのか、あるいは暑いのかわからないので、寒さ対策にトレーナーをいくつかと汗かき用にTシャツをいくつか余分に入れました。おかげで、1週間の海外旅行用のトランクがけっこう埋まりました。(まさか帰りは頼まれたお土産の買いすぎで、中がパンパンになるとは思わなかった。)
空港から外に出ました。やや曇っていますが、気温は15℃くらいで北海道としては気温が高いです。いつもは道の横に押しのけられた雪を見ながらでしたが、今日はまったく雪がありません。何だか真新しい気分でした。これから数日間の旅が始まります。
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純白でおとなしい北海道犬

2016年05月05日(木)記事NO.99の2
春の北海道再び(2) その2
まずは定番の白老へ行きました。ここの目的は写真を撮ることと、木彫りを買うことです。シラルオイ・・・アブの多い場所という意味らしいですが、実際に虫の多くなる夏場に来てみたいです。7~8月に徳島から千歳への直行便が出てますが、時間と予算の都合で行けてません。いつのことになるでしょう。
コタン内を散策しました。湖にはまったく氷がなく、空の雲を移して鉛色でした。種類はわかりませんが、魚が何匹か跳ねました。虫でも狙ったのでしょうか。季節が変わると同じ場所でもずいぶん違う物です。四国から見ればかなり遅い春です。でもこれから始まる季節を前に自然も活気を取り戻しつつあるようでした。
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1年と3ヶ月前の同じ場所に立つ

2016年05月05日(木)記事NO.99の3
春の北海道再び(2) その3
コタンのすぐ外にあるショップにいます。講師だった時代に来たときは大きな市場のような建物でした。それを老朽化などの理由で一度取り壊し、2年くらいかけて立て直した感じです。最初は小さな個人経営の店が2軒しかありませんでした。今は4軒まで増えました(と言ってもまだ少ない)。1軒目はフクロウの木彫りが多かったです。昔の定番の「サケを咥えたクマ」は脇役になってしまい、ちょっと寂しそうでした。2軒目はクスノキの木くずを売っていました。樟脳(しょうのう)という防虫作用のある成分を放つので、きついですが良い香りがします。3軒目では「青トラ」という北海道特産の石を置いていました。鉱物種がわからず値段がとても高いので買いませんでした。4軒目にはミンクのえり巻きがありました。ルイベをかじった手で触るのは気が引けたので、それを口実に買いませんでした。結局、フクロウの木彫りと樟脳と手鏡を買ってバスに乗り込みました。 イメージ

北海道の桜は色が濃い
蝦夷山桜(エゾヤマザクラ)



2016年05月04日(水)記事NO.98の1
春の北海道再び(1) その1
突然ですが、ここは札幌市の藻岩山です。1年と3か月前にもここへ来ていますが、今日はまったく雪がありません。あのときは寒風吹きすさぶ道を足元まで雪にはまりながら、防寒具に身を包んで決死の覚悟(?)で登りました。ケーブルカーを使って・・・。それが今回はバスで一気にスイ~と中腹の駐車場までスルーパスでした。ものすごく違和感ありまくりです。
バス内は明かりを付けず暗闇でした。林の間から市街地の明かりが漏れてきます。こうした方がよく見えるからです。県道から10分もかからず駐車場に着きました。ここからケーブルで山頂へ移動します。勝手知ったる何とやら・・・で、迷わず駅までやって来ました。なじみ(?)の売店も営業中です。モーリス君もいましたが、ちょっと変化もありました。
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前に来たとき独り身だったような
いつの間にかカップル結成!

2016年05月04日(水)記事NO.98の2
春の北海道再び(1) その2
2両編成のケーブルカーで2分くらい。山頂に着きました。たった1週間前にはここ一面銀世界だったとのこと。今はすっかり褐色と黄土色に戻っています・・・なんて、真っ暗で何にも見えません(笑)。気温は現在12℃で少し風があります。別に寒くはありません。他のお客も上着を脱いだりスカートのままだったりで、大丈夫のようです。
北海道の三大夜景とは、函館山からの函館、天狗山からの小樽、そして藻岩山からの札幌だそうです。他にもしょぼいですが、稚内公園からの稚内とか、天都山からの網走もきれいです。どう見えるかわからないのが、旭山動物園からの旭川でまだ見ていません。帯広や釧路周辺には適当な小高い丘がなく、夜景を見るのは難しそうです。
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意外と明るかったりする

2016年05月04日(水)記事NO.98の3
春の北海道再び(1) その3
ここは恋人の聖地です。・・・身も蓋もない言い方をすれば、最近どこにでもあります。徳島県の木屋平村とか高知県の室戸岬とか。金網にしっかりと鍵が取り付けてありました。ざっと数百個はありそうです。展望台の幸せの鐘をついて、大声で彼氏や彼女の名を叫んでいました。本当にごちそうさまです。まあ知り合いですけれどね。若いっていいね!
展望台中央はうるさいので、南側の端の暗い方へ寄り、静かに聞き耳を立てました。動物たちの声が聞こえないかと思いましたが、残念ながら木立の間を過ぎる風の音ばかりでした。
そろそろ時間です。これから夜食タイムに入ります。軽く済ませるならラーメンかスープカレーでしょうか。味覚の方も楽しみです。
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露出3秒なら手ぶれ気味



2016年05月03日(火)記事NO.97の1
忍者の里(3) その1
帰りの道路がとても混んでいると思ったら、信楽焼(しがらきやき)の焼き物祭りをしていました。私たちも立ち寄ることにして駅の方に曲がり、警備員の指示を待っていると運よく駅に近い場所に駐車できました。
橋を渡って駅前広場へ行くとテントが30張りくらいありました。隙間から顔をのぞかせるのはおなじみ狸の置物です。愛嬌のある表情に傘と徳利のアイテムと、股間から垂れ下がる男のシンボル(!)は必須です。それにしてもその数の多さに圧倒されます。1つのテントに100体はあるでしょうから、タヌキだけでも数千体!小物まで入れるとおそらく10万前後の焼き物がこの場所に集まっているようです。他にも木彫りや金属加工品、地元特産の農産物や郷土料理などもありました。
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信楽駅前は人でいっぱい

2016年05月03日(火)記事NO.97の2
忍者の里(3) その2
ここは甲賀忍者の支配下にありました。猿飛佐助とか霧隠才蔵がいたのでしょうね。伊賀から見て一山越えたくらいしか離れていません。TVの影響なのか伊賀と甲賀はライバル関係だったと思いがちですが、実際には敵同士ばかりでなく共闘していたこともあったようです。こちらの里には今度行くことにします。
駅前でタイムサービスをしていました。高いのか安いのかよくわかりませんが、微妙に異なる表情が気に入り購入しました。玄関に飾る予定です。タヌキの次に多いのがフクロウの置物です。不苦労(ふくろう)の語呂が良いのでとても人気があります。そっちは置き場に困るので断念しました。子どもたちは同じ焼き物でもタコ焼きの方に興味があるようです(笑)。
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駅前のたぬき公衆電話

2016年05月03日(火)記事NO.97の3
忍者の里(3) その3
さっきまでいた伊賀には辰砂焼きがありました。辰砂(しんしゃ)とは硫化水銀の赤色鉱物で、私の研究テーマにもなっています。その辰砂を釉薬として使っているのか、それとも辰砂のように赤いからそう名付けているのかはわかりません。ただし、釜の内部は千度を超えるためまともに考えれば分解するか黒くなってしまうはずです。また調べてみましょう。
黒と言えば炭入りの焼き物がありました。一般的な皿や壺だけでなく動物や手裏剣もありました。そのなかに「ツチノコ」がいました。胴体が短い蛇のような形状でちょっと愛嬌があります。思わず購入しましたが、店主から「一週間の祭りでこれを買っていく人は1人か2人しかいない。」と笑いながら教えられました。・・・どうやら私自身がレアもののようです(笑)。
なお、店主からもう1匹の番(つがい)も買っていかないかと言われました。2つも要らないので、焼き物のツチノコに子どもができたら困ると言って断りました・・・(大笑)。
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ユーモラスな表情のタヌキたち



2016年05月02日(月)記事NO.96の1
忍者の里(2) その1
伊賀上野は周囲を山に囲まれた盆地みたいですが、平地が多く田畑が広いです。つまり農業が発達していた地域なのです。そのため農機具の鎌をよく使っていました。そこから武器として「鎖鎌(くさりがま)」を多用するようになったそうです。
使い方も教えてもらいました。先に分銅が付いた鎖は基本的に回しません。敵と相対したとき、分銅を持ち相手にぶつけてダメージを与えます。アニメのようにグルグル回すのは、相手の刀を奪うときや相手の足に絡ませて動きを封じる場合だそうです。また、鎖は鎌の刃の先端部に付いていて、柄の部分をフリーにして持ちやすくするためのようです。本当によく考えられていると思いました。
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石高の割りに大きな城だった

2016年05月02日(月)記事NO.96の2
忍者の里(2) その2
城に登りました。宇和島よりもずっと大きな平城に驚きました。急な石段を上がって城内に入ると、そこから急階段を2つ上がって最上階です。東西南北どっちを見ても田園と遠くに山が連なっていました。
街を散策しました。すると・・・、あっちには赤、そっちには紺、こっちには桃色がいました。そして、その周囲には水色の忍たまたちが走り回っていました。京都で観光客が扮するにわか舞子のように、ここでは「にわか忍者」があちこちにいるのです。市内各所でレンタルできるので、子どもから大人まで100人くらいはいたと思います。見ているだけでも面白かったです。昼は伊賀牛のハンバーグでした。ライスはもちろん大盛りで更におかわりしました。
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街中がよく見えるランドマーク

2016年05月02日(月)記事NO.96の3
忍者の里(2) その3
手裏剣(しゅりけん)を体験しました。この武器は忍者にとって最終手段だそうで、各自が1~2枚しか持っていません。時代劇のように手のひらに何枚も載せてシュパっと放つことはなく、文字通りに手の裏に忍ばせて突然投げて相手をひるませた隙に逃げるためです。離すタイミングがかなり難しく、オーバースローでは的の上や下に刺さりました。サイドスローやフリスビーのように投げた方が効率よかったです。
お土産にかなり硬いせんべいを買いました。非常食にもなりそうです。それとやっぱり手裏剣は外せませんね。まさか本物はないのでマグネットとプラスチックを購入しました。たぶんもう来ることはないでしょう。少しの思い出とノスタルジーをかみしめながら、この地を後にしました。
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高さ30mもある西側の石垣



2016年05月01日(日)記事NO.95の1
忍者の里(1) その1
服部半蔵とか百道三太夫とか、時代劇や歴史小説に少し関心がある人ならピンとくる名前です。山に囲まれてある程度外界と隔絶した地域には、このような職能を持った人々が現れるようです。最初は外敵から自分たちの集落を守るため個々に対処していましたが、そのうち集落同士が連携して一族となり武術を磨いたり諜報活動を行うようになりました。京の都に近いので常に紛争に巻き込まれやすく、誰に付くかで自分たちの将来が決まるので情報収集に余念がなかったのでしょう。アニメや小説では格好良く書かれていますが、実際は戦国時代を生き残るためになりふり構わず必死であり、もっと地味で実用的な活動をしていたと思います。そうした当時の生活の一部に触れてみました。 イメージ

忍者の頭領の衣装らしい

2016年05月01日(日)記事NO.95の2
忍者の里(1) その2
今年のGWはどこへ行く~?・・・いつものこの言葉から始まりました。飛び石なので宿泊は無理だから、車で行動できるぎりぎりの範囲で・・・。いくつか候補地をつぶしていって、消去法でこの地へ導かれました。徳島から車でゆっくりいって4時間ということで、目的地を近畿の中央部に定めました。ここへ行くルートは2つあります。ナビが示したのは大阪から奈良に入って国道を通るコース。しかし、私は京都から滋賀・三重に入ることにしました。京滋バイパスから新名神を通り信楽ICで降ります。後は国道や県道を20kmほど走れば現地です。ところが、その道は細くて曲がりくねっており対向しにくいためなかなか進めません。家族全員がすっかり車酔いしてしまいました。 イメージ

伊賀忍者屋敷での一コマ

2016年05月01日(日)記事NO.95の3
忍者の里(1) その3
ようやく目的地の城が見えてほっとしました。駐車場に停めて早速出かけようと思いきや助手席がダウンしています。復活までしばらくかかりました。5月に入ったばかりだというのに暑いです(帰宅するまでにすっかり日焼けしてしまいました。)。まずは忍者屋敷から・・・ではなく露店の氷屋です。糖蜜がかけ放題だったので、先に半分くらい食べてからまた店に行って蜜をかけました。青いブルーハワイや赤いイチゴが好みです。境内の木陰で涼みながら汗が引くのを待っていました。
さて、わらぶき屋根の屋敷がありました。昔の農家を移転してきたそうです。物隠しの床や見張りの簾、床の間の階段、気づきにくい脱出口などよく考えられたなと思います。常に臨戦態勢だったのでしょう。
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車の上にも忍びが・・・



2016年03月13日(日)記事NO.94の1
万博の跡地に(1) その1
もう何回目になるかわかりませんが、今日もしっかり家族サービスです~。お買い物ツアー第◇弾として、大阪のとあるショッピングセンターへやって来ました。本当に交通の便がよくなりましたね~(笑)。私が子どもの頃はまだ明石大橋どころか鳴門大橋もなくて、阪神地方へはフェリーで行っていました。徳島市の沖州港から3時間半もかかりました。淡路島の南側をゆっくり北上し、大阪南港までの船旅でした。その後、航路が変更になったり廃止されたりして、その度に移動ルートが変わりました。小松島港から和歌山に出て電車で大阪へ行ったり、JR(当時はまだ国鉄)で高松まで移動し宇高連絡船で岡山に渡り、新幹線で神戸や大阪へ行ったこともありました。連絡船で食べたうどんの味が忘れられません。 イメージ

ポーラーベアーの肌がすべすべ

2016年03月13日(日)記事NO.94の2
万博の跡地に(1) その2
徳島自動車道から淡路鳴門道へ、垂水から山陽道に入りすぐに阪神高速へ、そして中国自動車道に入って吹田市まで。ここまで2時間半くらいでした。開店30分前なのにもうかなりの人が並んでいました。お目当ての商品か催しがあるのでしょう。そういう私たちもしっかり並びました。
ここには動物のシアターがあるのでそれを見に来ました。ゴリラに水をかけられたりとか、高度5000mでの夜明けを体験したりとか、寝そべって深海を探検したりとか、なかなか凝ったつくりでした。イベントの合間に肉食しました。カンガルー、ワニ、サメなど変わった動物ばかりでした。徳島でも売っている肉屋はありますが、そう食べる機会はありません。少々お高いですが、財布のひもを緩めて子どもたちに食べさせました。
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サバンナの動物たちと遊ぶ

2016年03月13日(日)記事NO.94の3
万博の跡地に(1) その3
さて、ここでタイミングを間違ってしまいました。お昼を早めにと思っていたのですが、イベントを消化するのに時間がかかってしまったのです。食堂の予約番号はすでに3ケタだし、フードコーナーはぎっちり満席で場所が取れません。30分待ってようやく2人掛けの関が空いたので、交代で食事しました。今度から昼食は10時半にします。11時では遅いと思います。あるいは14時まで我慢するかです。
その後特にすることのなくなった私と子どもたちは、さっさと駐車場へ引き上げました。世間でも言われているように○の買い物は長いので、それに付き合わされるのは勘弁です。ゲーム機やスマホをいじっていれば1~2時間くらい時間がつぶせます。これもまた時代の移り変わりです。
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飽きるほど見て飽きてしまった



2016年03月07日(月)記事NO.93の1
ビカリアの産地を訪ねて(2) その1
中学や高校の教科書に必ず載っている示準化石の代表です。示準化石が出土すると地層の年代がわかるので、その時代を知る目安となります。一方で、この貝は南方系なので当時の日本近辺は熱帯か亜熱帯気候だったと思われます。また、暖かで穏やかな入り江などに生息し、河口に近い汽水域に棲んでいたと思われます。ということは、これはあくまでも私見ですが、ビカリアは示相化石としての側面も持っていると思います。ちなみに、示相化石はその生物が棲んでいた当時の場所を特定する目安となります。
キバウミニナ科ビカリア属の巻き貝で、殻長は最大で10cmくらい。見つかる物は地圧により少し扁平な形状をしています。
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灰色は砂岩に、褐色は酸化鉄?

2016年03月07日(月)記事NO.93の2
ビカリアの産地を訪ねて(2) その2
ビカリアの内部がケイ酸で置換された物を「○のおさがり」といいます。おさがりとは排泄物のことで、その形状がいかにもウンチに似ていることからその名があります。
白っぽくてやや透明感があるものは月のおさがりです。光に当てると少し透けて見えます。めったに産出しません。一方で、内臓などが残っていたため赤っぽく見えるものは日のおさがりです。こちらはもっとレアでほとんど見かけません。まるで、赤いメノウのようです。
ビカリアではないものの、ここではない某産地で同様の化石を拾っています。わずか200万年くらいでシリカに変わるのがすごいです。確率が低くても探してみる価値はあると思います。
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よく見かける化石「オオカキ」

2016年03月07日(月)記事NO.93の3
ビカリアの産地を訪ねて(2) その3
さて、この辺りの地名を「柿(かき)」といいます。これもミュージアムの受け売りですが、地名の由来は「牡蠣(かき)」の化石が大量に出土するからだそうです。確かにさっきまで掘っていた広場ではたくさんの牡蠣の化石が見つかりました。ところが、一緒に掘っていた皆さんはビカリアやウミニナばかりを狙って、牡蠣(オオカキ)にはまったく目が行っていませんでした。それに気がついて3個ほど立派な化石をキープしました。
ビカリアはなかなか出てきません。他の巻き貝や二枚貝ばかりです。制限時間になる頃にようやく2個見つかりました。見た目は今一つですが、標本としては及第点でしょう。今度は子どもや学校のみんなを連れて来たくなりました。
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方解石化した二枚貝の化石



2016年03月06日(日)記事NO.92の1
ビカリアの産地を訪ねて(1) その1
瀬戸大橋の与島SAで休憩しました。ホットコーヒーとここの名物のメロンパンをほおばりながら、周囲を見回しました。すると、パンフを置いてある棚を見つけました。いつものように高速道路網がが描かれているものを取り、今日の予定を確認しました。
この後に人を送り届けるため早島ICで下り、岡山市街地へ行かねばなりません。しかし、その後には待ち時間という消化に悪い物を食べさせられます。・・要するにヒマなのです。そこで、何か面白そうなイベントはないかパンフから探しました。この時期にタイムリーなのは梅とか水仙くらいです。でも今日はあまり花を見たい気分になりません。そうしたなかで、ちょっと気に掛かる記事を見つけました。
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巨大ビカリアのお出まし

2016年03月06日(日)記事NO.92の2
ビカリアの産地を訪ねて(1) その2
岡山市から国道53号線を走りました。途中の道の駅くめなんで休憩し、地図と照らし合わせて進むべき道を確認しました。1時間ほどで津山に着きました。川向こうの小山に津山城が見えます。2○年前に一度きり行ったことがあります。この時期にはコブシの花が咲いていました。立ち寄ろうかと思いましたが、後で時間があれば・・として先を急ぎました。
市街地を抜けて道は変わらず53号のままです。30分くらい走って分かれ道の県道を曲がり、奈義町に入りました。この町は新生代化石、特にビカリアの産地として有名です。今から200万年前の新生代第三紀の地層が広く分布しており、多くの場所から化石を産出します。多くの化石愛好家が現地を訪れ、毎年のように何らかの発見があるそうです。
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ミュージアム内の地層の展示

2016年03月06日(日)記事NO.92の3
ビカリアの産地を訪ねて(1) その3
ミュージアムの方のお話では、岡山から広島まで続く中国山地の南側に同じ時代の地層が広がっているそうです。田んぼのあぜ道や山の斜面などをよく観察すると白っぽい貝化石が見えます。まるで高知県安田町の唐ノ浜もたいですが、それよりもずっと規模が大きいです。
さて、展示物はあらかた見てしまったのでそろそろ採集活動の時間です。入場料に少し上乗せすると、敷地の広場で化石の採掘体験ができます。ハンマーを貸してくれて持ち帰りの袋までくれます。なお、自分のハンマーの持ち込みは不可だそうです。迎えまでまだ4時間はあります。せっかくなのでゆっくり楽しもうと思いました。広場には大勢の家族連れや若いカップルがいました。それに混じって一人黙々と石を割りました。
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展望台から見た奈義の田園風景



2016年03月05日(土)記事NO.91の1
四国の外の鉱山(3) その1
リンクはしていないものの仲良くさせていただいているサイトがいくつかあります。今回はそうした方々からの情報を元に、四国の外の鉱山跡地や鉱物産地を回ってみました。
岡山県には有名な産地がたくさんあります。キースラーガーなどを採掘していた銅山やレア鉱物を産する標本専用の鉱山など、どこも興味が尽きない産地です。しかし、私たちのような一般人がふらっと立ち寄れるような場所は限られます。後から来て研究や採集する人のためにも地権者とのトラブルは避けねばなりません。そこで、いくつかピックアップした中からキースラーガーが採れる伊田鉱山へ行ってみました。沢や山道を外れなければ注意されないそうで、安心して出かけました。
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鉱山下部の小さいズリ

2016年03月05日(土)記事NO.91の2
四国の外の鉱山(3) その2
高松経由で瀬戸大橋を渡り、岡山市まで2時間くらいです。そこからさらに小一時間を費やして目的地に着きました。事前に言われていたようにみちが少し広がった場所に駐車しました。そこから徒歩5分です。
最初に目に入ったのは崩れた斜面でした。そこはズリではありませんでした。次に、墓地の横の山道を進み水が涸れた細い沢に沿って登りました。それを標高差100m登れば上部のズリがあります。石がごろごろしている沢に入り、足下の石を確認しながらゆっくりと進みました。半分くらい登ったところで、空が大分曇って降雨の可能性がありました。そこまでで採集物はゼロです。運が良ければ青鉛鉱などが見つかるそうですが、まったくわかりませんでした。やむを得ず途中から引き返しました。
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林業用のため池?

2016年03月05日(土)記事NO.91の3
四国の外の鉱山(3) その3 M28
山道の脇に小さなズリがありました。ここには何も残っていないとのことですが、手持ちぶさたなので何かないか探しました。ケイ酸分に富んだ石に鉱脈が走っていました。一部はメノウになっています。うすい金色の粒子は黄鉄鉱でしょう。
土中から鉱石を掘り出せました。ほぼ全体がキースラーガーで、紫色は斑銅鉱と思われます。また、灰色の部分は閃亜鉛鉱とのことです。四国ではあまり採れないので、きれいな部分を割りました。後で分析実験ができそうです。銀白色でうすく紫色に光る結晶がありました。正体がわからないのでとりあえず持ち帰りました。
こうして楽しい一日を過ごすことができました。ありがとうございました!
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閃亜鉛鉱の鉱脈に感激!



2016年02月07日(日)記事NO.90の1
四国の外の鉱山(2) その1 M25
銅が鉱種ではなく別の金属を掘っていた鉱山跡を訪ねました。いやそのはずでした。ところが拾えるのは銅の鉱物ばかりで、釣りでいうところの外道でした。アンラッキーなのかそれともラッキーなのか難しいです。
このように思ってもみない鉱物が見つかることがよくあります。銅山や鉄山でマンガンやクロムを見つけたり、逆にマンガン鉱山でキースラーガーを見つけたり、モリブデンやビスマス、タングステンやコバルトなどが見つかることもあります。また、ありふれた鉱物であってもその産地から極少量しか産出しなければ、それもレアであるわけです。
さて、ここではどのような鉱物との出会いがあるでしょうか。とても楽しみです。
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鉱染状のクリソコラ?

2016年02月07日(日)記事NO.90の2
四国の外の鉱山(2) その2 M26
石英質の硬い石を割りました。すると、ちょうど水平な面が現れて黄銅鉱や斑銅鉱などが散りばめられていました。うまいこと鉱脈に沿って割れたようです。相方にも同じようにきれいな面が現れました。そちらを博物館に寄贈しました。4月のイベントに使ってくれるようです。
別の石には赤褐色の水晶が見られました。サイズは小さめですが、形はよさそうです。ところが、ズリの上から下へ向けて軽く投げたまま行方不明になりました。わざわざ持って下りるのが重かったので手抜きをするとこういう目に遭います。本当に欲しい物ならこういうことはしません。
酸化されて赤くなった斑銅鉱の結晶が見つかりました。意外と珍しい物です。こちらは新聞紙でくるんで慎重に下まで運びました。
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ルーペで見ると星空のよう

2016年02月07日(日)記事NO.90の3
四国の外の鉱山(2) その3 M27
針状のマラカイト(孔雀石)結晶もありました。一般にもこもことした塊状が多いのですが、この産地は特別のようです。また、小さな黒雲母みたいな緑泥石も見られました。水晶の隙間に斑銅鉱や武石(赤く錆びた黄鉄鉱)もありました。変化に富んでとても面白いです。
どれも四国では余り見られない産状です。興味深いです。2時間くらいの予定が次々延びて、結局そこに6時間もいました。久しぶりの石三昧、ものすごく楽しかったです。気の合う人とのんびり採集活動にふけるのは、日常生活に一時の潤いを与えてくれます。今後もこうした付き合いを大事にして、乾いた人生に清涼感あふれる安らぎをもたらしたいと思います。
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やや厚みのある孔雀石の鉱脈



2016年02月06日(土)記事NO.89の1
四国の外の鉱山(1) その1
8年ぶり、岐阜の平岩鉱山以来のまともな(?)鉱山訪問記です。実際にはいくつか行ったことはあるけれど、自分の中で本当に満足するまで活動できた場所はここなのです。場所は伏せておきますが、私の好きな銅や鉄の鉱物が採れます。予てから行ってみたかったので念願が叶ったわけです。案内してくれたY氏とM氏に深く感謝いたします。
早朝5時に淡路鳴門道を出発して海を渡りました。四国は本州から見れば離れ島なので、どこへ行くにも橋を渡るか船に乗るかしなければなりません。これが私たちの活動の制約となり限界となるのです。車に分乗して途中で休憩を2回はさみ、現地まで4時間もかかりました。さて、ここからワクワクどきどきの採集活動が始まるのです。
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ガレ場のようなズリで鉱物を探す

2016年02月06日(土)記事NO.89の2
四国の外の鉱山(1) その2 M23
まずは様子見で、ズリの最下層からゆっくり登りました。すでに何度も来ていて手慣れた感じのYさんやMさんはもう上の方にいます。ここは初めての産地なので、目的とする鉱物を含む石がわかりません。サンプルを見ながら慣れるしかないのです。焦りは禁物と心に言い聞かせてじっくりと丹念に見ていきました。
銅を含むため青い石や緑の石が目に付きます。銅(Ⅱ)イオンによる発色でしょう。しかし、他の金属イオンが含まれていると濃度の関係もあって思いもよらない色を示すことがあります。銅の場合は紫やピンク、赤やオレンジ、褐色や黄土色、黒や黄緑などバリエーションが豊富です。だからこそ、慣れないうちはとても難しいのです。
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意外に多く見つかったコベリン

2016年02月06日(土)記事NO.89の3
四国の外の鉱山(1) その3 M24
コベリン(銅藍)が見つかりました。組成式はCuSで硫化銅(Ⅱ)といいます。ところが、この化合物は本来黒色で化学の教科書にもそう書かれています。なぜ濃い紫色なのかよくわかりません。また、黒い部分は輝銅鉱で組成式はCu2Sと表します。硫化銅(Ⅰ)であり鉄灰色の固体です。コベリンよりレアな鉱物ですが、ほとんどの物に僅かながら含まれていました。
次に、斜開銅鉱(クリノクロア)というヒ素を含む銅の二次鉱物が見つかりました。これの産地は国内でも数ヶ所しかなくコベリンよりレアです。褐色の母岩に青や水色の絵の具を塗りつけたように見えます。また、純度の高い物は濃紺色できらきら光る微粒子や針状の結晶が見られます。
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まあまあたくさん付いている標本



2016年01月24日(日)記事NO.88の1
明石のたこ焼き その1
さらに関係ないけれど、姫路城のイチョウの木にタコが引っかかっていました。タコと言ってもあの食べられる鮹(たこ)じゃなく、糸を引っ張って飛ばす凧(たこ)のことです。しかし、これが次に起こることを暗示していたとは予想していませんでした。
明石焼きは出汁(だし)を付けて食べるタコ焼きです。外はほどほどにカリッとして中はしっとり柔らかい。何度も食べたことがありますが、口の中でころころと転がしながらはむはむします。出汁の味がしてきて口の中がとろとろに。それを惜しみながら飲み込むと、のどごし最高の気分です。キンキンに冷えたビールでも欲しいところですが、仕事があるのでそのステップには進めません。でも一度はやってみたいです。
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自分で焼いて食べよう

2016年01月24日(日)記事NO.88の2
明石のたこ焼き その2
思ったより簡単に焼けました。粉の配合率と水の量、粉の練り方や油のひき方、鉄板の温度などが最適だったのでしょう。自分で焼いた物は美味いです!格別です!あっという間に全部食べてしまいました。・・・物足りないけれど次の用事があるので我慢しました。
鳴門の親戚がよくタコを捕ってくれて送ってくれました。酢だこやたこしゃぶ、そしてもちろんタコ焼きにして食べました。美味かったです。夜の8時頃に岩場へ行くとタコが浅瀬まで来ています。それを銛で引っかけるのです。同じようにしてナマコも捕っていました。漁業権にはかからないので趣味だったようです。でもその人も亡くなって食卓が少し寂しくなりました。今度は自分で捕まえてくることになりそうです。
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タコの干物は味わい深い



2016年01月23日(土)記事NO.87の1
世界遺産はまあ良いか その1
読者のO様から、「城」の写真が多いのだけどご趣味ですかって問い合わせ(?)がありました。ああっ、そう言えば意外にいろいろな場所に行ってますね。本人はまったく自覚がありませんでした。ど~も。
ということで、今回は姫路城へと行って参りました。明石大橋を渡り山陽自動車道から姫路市のICで降り、案内標識に従って町中を5kmくらい進むと見えてきます。何だか町全体が観光名所のような佇まいで、観光バスやタクシーがひっきりなしに出入りしていました。駐車場から徒歩で5分。水堀の上の橋を渡ったところの正門から入りました。敷地内は広大な広場になっていました。学校のグラウンドの5倍はあるでしょうか。多分何かイベントを開くとき、このスペースを使うのでしょう。
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真っ白な白鷺(しらさぎ)城

2016年01月23日(土)記事NO.87の2
世界遺産はまあ良いか その2
関係ないけれど、白鷺って徳島県の県の鳥なんですよね。純白の羽は遠くからでもよく目立つし、田んぼや水路によくいます。ダイサギ・チュウサギ・コサギと、身体の大きさで分類されています。
入場料(高い!)を払って石段をゆっくり登ります。狭くなった門を何度かくぐり、城をぐるっと半周してようやく城内に入ります。上履きに履き替え、狭い回廊をたどりながら上階層へ進みます。窓があっても小さいので中程は暗く、2本の大黒柱に支えられていました。窓にネットをかぶせてあったので、ちょっと外の風景が見づらかったです。また、次々人がやって来るため立ち止まるのが難しく、余り写真が撮れませんでした。仕方ないですけどどうにかなりませんか?1回来ればもういいかな。
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姫路市街が見渡せる

2016年01月23日(土)記事NO.87の3
世界遺産はまあ良いか その3
最上階の展望台・・・なんていうものはありませんでした。じっくり見たかったけれど見るべき物が少なすぎです。急角度の板張り階段や低い天井などが面白かったです。鬼瓦もなかなかのものでした。
お菊さんの井戸がありました。一枚~、二枚~、・・・皿が一枚足らない~っていうアレでしょうか。どうも私の中では、お岩さんやお露さんの話とごちゃ混ぜになっているみたいです。ちょっと観察していたのですが、日本人って井戸を必ずのぞきますよね。それと小銭を落としていきます。お賽銭かご供養のつもりでしょう。それは私もとてもよくわかります。その一方で、この金を回収すれば何か別の用途に役立てられるのにと考えたりします。
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老いも若きも底をのぞき込む



2016年01月17日(日)記事NO.86の1
北淡の震災記念館 その1
1995年、私がまだ20代だったとき、1月17日午前5時46分にそれが起こりました。当初は兵庫県南部地震などと呼称されていた「阪神淡路大震災」です。この日、私は自宅2階で寝転がっていましたが、突然回転するような揺れを感じて布団に潜り込み頭を手で押さえていました。
1~2分くらいの揺れが収まってすぐにTVを点けました。なかなか情報が流れなくて不安になりました。ようやく各地の震度が表示され始めましたが、その中に震度6があることを確認しました。神戸でした。慌ててそこに住む親類に電話しましたがつながりません。何度かけてもツーツーという無情の音だけでした。
点けっぱなしにしていたTVに神戸の映像が流れました。絶句!がれきの山、倒壊したビル、焼き焦がすような炎ともうもうとした黒煙など、信じられない光景が広がっていました。
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断層の上に造られた記念館

2016年01月17日(日)記事NO.86の2
北淡の震災記念館 その2
今でも当時のことをよく覚えています。親類・友人・知人など、徳島県民にとってその地は多くの知り合いが住んでいるところです。そして、連絡も付かずそこへ行って助けたくても行けず、どうしようもない焦燥感に苛まれて悶々とするしかありませんでした。親類の命だけは助かったことを知ったのは3日後でした。また、同時に何人かの知り合いが亡くなったことを知りました。
ある親類は長田区の市場で商売をしていました。地震の直後に火事になり、見る間に延焼していったそうです。私がTVから何とか親類の家を見つけようとしたいたときすでに家は焼け落ち、着の身着のままで数百m先の建物に避難していました。その後探しに来た従兄弟(実の息子)に無事出会って、滋賀県に永住することができました。
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逆断層の野島断層断面

2016年01月17日(日)記事NO.86の3
北淡の震災記念館 その3
発生から2ヶ月後、友人と淡路島へ渡りました。大鳴門橋は地震に耐えられたので通行できました。なお、このとき明石大橋はまだ架橋だけしかできていません。しかも地盤がずれてスパンが1mも延びたため、構造強度の再計算を迫られる状況でした。ケーブルへの負担増加が懸念されますが、今のところは大丈夫のようです。
震源に近くて震度7を記録した北淡町に行きました。所々の屋根がブルーシートに覆われています。また、地面の断層にもかぶせられていました。田んぼのあぜ道がずれています。私が計測したときは水平方向に2.5m、垂直方向に0.8mでした。これらの断層は将来への注意喚起のため保存されると聞きました。・・・それがこれだったのです。
南海地震の周期が過ぎようとしています。起こるのは確実なので災害に備える必要があります。私の家族も非常食やグッズを準備し、避難経路の確認もしています。これをご覧の皆さんも今日の「防災の日」に話し合ってみてはいかがでしょうか。なお、野島断層の調査に行った日付を見ると3月11日でした。奇しくも16年後の2011年の同日、「東北大震災」が発生しました・・・。
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久しぶりに見た田んぼのあぜ道

横ずれが大きかった

将来にこれがずれると怖い



2016年01月11日(月)記事NO.85
日暈(ひがさ)と幻日(げんじつ)
帰りに高速道路を走行中、ふと空に目をやりました(危ないのはちょっと横にのけて・・・)。西に大きく傾いた太陽の光がいつもより輝いており、いくつもの光の筋が見えました。コロイドでいうチンダル現象だと思い、再度目をやるとうっすらと「丸い環」と「光点」が出ています。虹色も確認できました。
丸い環は内暈で、その外側にもっと薄い外暈らしきものがあります。また、太陽の左右に見える光点は幻日のようです。氷の結晶からなる雲がかかったとき、結晶がプリズム代わりとなり光が屈折してできます。地表の気温は冬にしては高い方でしたが、上空には寒気が来ているのでしょう。もっと眺めたかったので近くのPAに駐車しました。
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アークも出ていたかもしれない



2016年01月10日(日)記事NO.84の1
南京町で買い食い その1
私にとってここは買い食いの街です。それも店の中に入らず、適当な場所に立ち止まってムシャムシャするのです。そうすると何故だか落ち着いて食べることができます。
唐揚げ・餃子・焼売・揚げパン・ごま団子など、あちらこちらの店で売っているので目移りします。味だけはわからないけど、多分どこの店も同じでしょう。結局のところ、大きさと見てくれと値段で決めています。行列ができている店は一応買い食いの候補です。しかし、接客態度がよろしくないときはすぐに離れて別のところへ行きます。どこで買っても大差ないと思うからです。今日も炭水化物と油をたくさん摂取しました。自販機でウーロン茶を買って飲み、脂肪を少しでも分解しておこうと思いました。
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メインストリートは大混雑

2016年01月10日(日)記事NO.84の2
南京町で買い食い その2
中華料理を初めて食べたのはもう○十年前になります。その頃は油を使う量が多くて香草の臭いもきつく、そううまい食べ物とは思いませんでした。今日では日本人好みにアレンジされて、国内どこへ行っても食べられます。それどころか何種類も市販されて、スーパーで買って自宅で食べられるようになりました。隔世の感があります。
かなり食べたと思っていましたが、三宮とか元町を回っているうちにまた小腹が空いてきました。今度はきちんと店に入りましょう。エビチリ・回鍋肉・フカヒレ・麻婆豆腐・天津飯・・・など、コースかと思われるくらい頼んでいました。それと少数だけ、今まで食べたことがない料理を注文しました。・・・味は覚えていません。やっぱり慣れたものがうまいです。
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関帝廟も立ち食いの人だらけ



2016年01月09日(土) 記事NO.83の1
淡路島最北端の地 その1
近くて遠い島と言えば「淡路島」。間に鳴門海峡という海を挟んでいるため、わずか1.3kmしか離れていなくても遠くに感じていました。その後、大鳴門橋が開通し淡路島の産物(特にタマネギ!)が入ってくるようになり、こちらからは島の観光地を気楽に訪れるようになりました。さらに、明石大橋が開通して橋を通して本土と陸続きになり、物流の量が加速度的に増え人の移動も楽になりました。
週末にちょっと気軽に阪神地方へ出かけて、ショッピングや観光などができます。恩恵はそれだけにとどまらず、もっと遠くの日本海や富士山までほんの数時間で行けるようになりました。おかげで、このコンテンツに書く内容がどんどん増えてうれしい悲鳴を上げているところです。
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北淡の道の駅にて

2016年01月09日(土) 記事NO.83の2
淡路島最北端の地 その2
一方で、徳島県の人口が5年間で3万人以上減ったのも事実です。それは逆に橋の弊害なのかもしれません。特に10代から30代までの若年人口の減りが心配です。何度も本土を訪れるとそこの風土に慣れ、そこで生活できる自信みたいなものができます。県外の大学に通ったり仕事を求めて引っ越ししやすくなり、そうして出て行った人の何割かは戻ってこないのです。こればっかりは私のような一個人が心配してもどうしようもないわけで、県が一丸となって取り組まねばならないでしょう。
・・・などと難しいことを考えながら明石のタコを頬張っています(笑)。人がどう移ろうともこの美味しさにはかないません。せめて食文化くらいはしっかり残っていてもらいたいです。
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陸上で橋を支える



2015年10月01日(木) 記事NO.82の1
本州で採れた鉱石(1) その1 M19
私たちの活動はごく一部の例外を除きほとんど四国内ばかりです。とは言っても別に四国でなければいけない訳ではなく、仲間たちは自由に県外へと遠征しています。それでもやはり近場が多くて、京都・奈良・兵庫や岡山・広島県などへ日帰りで行っているみたいです。
私自身の県外産地訪問歴は少なくてせいぜい数カ所にとどまっています。地元の情報が入りにくく採れるかどうかもわからないのであれば、無駄足を踏むのを躊躇して行くのを止めてしまうのです。・・・要するに面倒くさがりなんですね(笑)。
その代わりに県外の信用のおける人と交際して、ときどき互いの産地から採れた石を物々交換しています。こちらにはない面白い物があるのでいつも期待しています。
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尾去沢鉱山産の黄銅鉱

2015年10月01日(木) 記事NO.82の2
本州で採れた鉱石(1) その2 M20
四国内では500種類くらいの鉱物を産出しますが、本州ではもっと多く概算では2,000種類を超えるのではないかと思っています。もっとも私が興味あるのは、金・銀・銅・鉄・亜鉛・鉛・アンチモン・マンガン・クロム・ニッケル・コバルトなど重金属を含む鉱物や鉱石です。特に銅を含む鉱石が好みで有り体に言えば「キースラーガー」のことです。
さて、県外のキースラーガーの入手はそこへ行かない限り難しいです。しかし、頼りになる県外の石友がいればハードルがかなり下がります。おかげでいくつか入手することができました。送ってくれた方に感謝いたします。こちらからも相手が希望する物をいくつか送りました。それっきりになってしまった人もいれば、馬が合って何年もずっと交流している方もいます。
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足尾銅山産の黄銅鉱

2015年10月01日(木) 記事NO.82の3
本州で採れた鉱石(1) その3 M21
おしなべて地元の方々は友好的です。私のような見知らぬ者にもいろいろな話を聞かせてくれます。以前に本州のある鉱山跡へ行ったとき、直前で立ち寄った店のご主人さんや野良仕事中のご年配の方が親切丁寧に教えてくださいました。おかげで間違えずに行かれてそれなりの成果を上げることができました。今でも感謝しています。
ところが、昨今では産地での乱獲や無法行為が後を絶たず、地元の方に尋ねてもさっぱり話をしてくれないなどの事例が報告されています。私の仲間や読者からのメール便でした。無駄足を踏みたくないから多少無理しても石を採りたいという気持ちはわからくもありません。しかし、自分だけは良くても後に続く人たちのことはどうでも良いのでしょうか。気にしているところはそこなのです。
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若松鉱山産のクロム鉱石

2015年10月01日(木) 記事NO.82の4
本州で採れた鉱石(1) その4 M22
さて、雨に濡れた鉱石の虫干しです(実はこれが本題でした。)。容器ごと庭先に置いてあったら、いつの間にか浸水して箱がぼろぼろになっていたのです。破れてしまったラベルも新しく付け直しました。
入手してから何年も入れっぱなしだったので、その存在も忘れていました(石さんたち、ごめんなさい。)。しかし、石を見れば思い出せるようでこれは何年前にAさんから、こっちはBさんからっていうのが頭に浮かんできました。交換する石はだいたい小さい物ばかりですが(そうしないと郵送費がかかる。)、直接会う場合は思い切って大きい物を渡すこともあります。標本箱に入らないこともあるようですが、それなりのハイレベル品をお渡ししています。
何かと交換希望の方はお申し出ください。
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神岡鉱山産の閃亜鉛鉱



2015年09月07日(月) 記事NO.81の1
ついに来た木の葉化石(2) その1
クリ・ブナ・ミズナラ・ウチワカエデ・カツラ・ナツツバキ・オノオレ・リョウブ・ミズメ・シナノキ・イヌブナ・オオモミジ・アズキナシ・シャクナゲ・マンサクなどの葉っぱに、クリのいがなどの実や花とか当時の湖の周りに生えていた樹木だけでもいっぱいです。また、キンギョモなど水生の植物や昆虫・動物などの化石も産出するそうです。
化石を探す体験ができるコーナーがありました。一袋いくらで石を購入してそれを割って化石を探すのです。新聞紙やハンマーも貸してくれます。当たりハズレもありますが、それでもいくつかの化石をゲットできます。過去には昆虫や動物の化石が出てきた人もいたそうです。そうした人はとてもラッキーだったと思います。
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さっきの家族連れの割り跡

2015年09月07日(月) 記事NO.81の2
ついに来た木の葉化石(2) その2
先の人が帰ってしまってお客は私たちだけになってしまいました。こちらの手持ちの時間は充分あるし、逆に館長さんは手持無沙汰になったみたいなので、いろいろとお話を伺うことができました。
例えば、ここの塩原形成層は厚みが140mくらいあるそうです。今見えている部分がわずか20mだから、まだまだ大量の化石が出てくる余地があります。一生かかっても掘りつくせないなあ・・・。また、一般人でも通販で入手できていたが人気の高まりとともに対応しきれなくなり、今では学校や教育機関だけに販売しているとのことです。
徳島県では県立博物館や科学センターと取り引きがあります。つい先日、科学センターの職員がここを訪ねていろいろと調べていったそうです。
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木の葉石の子孫「オオモミジ」

2015年09月07日(月) 記事NO.81の3
ついに来た木の葉化石(2) その3
ついに大粒の雨が降ってきました。狭い山中で豪雨に見舞われるのは願い下げです。車に乗り込んでもと来た道を帰ることにしました。谷川沿いの木々はまだ緑色ですが紅葉の季節はさぞかしきれいでしょう。小さな駐車場が点在していてそれらを見ながら休憩できるようです。30分くらいで山中から高原の平坦部に出ました。
この辺りには牧場がいくつかあります。濃厚なミルクやそれから作られるチーズやクリームなど、食べたいものがめじろ押しです。でもちょっと気になるものがありました。放射線量を示す立て看です。福島原発事故によりこの辺りにも物質が降りました。今はここまで飛んでこないそうですが本当なのでしょうか。・・・それでも美味しそうな物には目がないので、ミルク1本をゴクリと飲み干し、ソフトクリームを舐めながら休憩しました。先のことはわかりません。
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今も厳戒態勢に入っているみたい



2015年09月06日(日) 記事NO.80の1
ついに来た木の葉化石(1) その1
記念すべき記事NO.1で登場した化石の産地へ行きました。宇都宮から車で90分でした。
朝から駅前で名物のギョウザを食べて(ちょっと臭いかもしれない・・・)、腹がふくれたところで店が開きました。予約してあったのでレンタルはスムーズに進み、10分後にはもう国道を走っていました。
駅からICまで10kmもあるのは松山も同じですが、道がわかりにくくて難儀しました。高速に乗りちょっと休憩した後40分で塩原高原に降りました。あとは温泉地に向かって谷川沿いの道を走るだけです。
天気は今一でやや小雨モード。肌寒い風まで吹いてきます。地図を見ながらゆっくり進みようやく目的地付近となりました。
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化石園の外観は・・・まあ普通

2015年09月06日(日) 記事NO.80の2
ついに来た木の葉化石(1) その2
ひなびた温泉街の一角に建物がありました。駐車場は広くて数十台は停められます。しかし、この日は平日でお客は私たちともう一組でした。自販機の横で入館料を払い小さな川をまたいでいる橋を渡ればすぐそこです。赤い鳥居をくぐって正面玄関となりました。
建物の東側に地層が見えました。そこが化石の発掘場所です。山の斜面を少しずつ削り取っているようで、白っぽい砂岩らしきものがたくさん落ちています。石の採取はどの部分からしているのでしょうか。斜面を上から下まで均等に削るのか、それとも掘り返したような跡が残っている地層の下部から採っているのでしょうか。
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露頭の高さは20mくらい

2015年09月06日(日) 記事NO.80の3
ついに来た木の葉化石(1) その3
玄関から中に入りました。期待したとおり、ここで採れた数々の化石が展示されていました。名称のとおりに木の葉化石がたくさんありました。かつては城のお殿様にも献上されたそうです。新生代とはいえゆうに200万年以上の葉っぱが、これほどきれいに保存されているのは自然が生み出した奇跡でしょう。
詳しいことはここのHPでも見てください。きめ細かいシリカの粒子により石に封じ込められた葉っぱたちはすっかり褐色になっていました。しかし、形状だけはきれいに残されていました。葉脈などもそのままです。
他にもいくつか鉱物が展示されていました。東北から関東にかけての産地や鉱山跡からの採取品のようです。
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まるで押し葉のような木の葉石



2015年09月05日(土) 記事NO.79の1
海ほたる その1
行けそうでなかなか行かれない場所の1つが東京湾横断道路です。川崎市からバスが出ていますが滞在時間など考慮するとちょっと使い勝手が悪く、千葉県側からでは移動距離が長すぎます。そこで、旅の最後に奮発してタクシーをチャータして「海ほたる」まで行ってみました。
たまたま空港に止まっていたタクシーは介護用の車でした。黄色い車体でまるでドクターイエローみたいです。これに乗ってもよいか尋ねると健常者でも問題ないとのこと。また料金も一般のタクシーと変わりないので好奇心も手伝ってそれに乗り込みました。
羽田から南下してロータリーを回り、四角にポカッと開いた入口から海底へと降りて行きました。すぐに道は平坦になり水面下20mくらいになります。もちろん外は見えませんが、周囲からひしひしと感じる水圧が少し不気味でした。
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後部座席から見た横断道路
揺れすぎてブレてしまった

2015年09月05日(土) 記事NO.79の2
海ほたる その2
15分くらい走行すると前方に白い光が見えました。ついに出口です。ループがグルッと曲がったり向こうにまっすぐ続いたりと、かなり立体的な構造です。いくつかのカーブを曲がってようやく駐車場に着きました。
タクシーに待ってもらってすぐに階段を駆け上がりました。3階か4階かは知りませんが、周囲を展望できる高さにいろいろなショップがありました。早速立ち寄ったのは西側の展望台です。東京側は海底道路が続いていて船が通りやすくなっています。一面が海原で江戸前のネタが揃いそうです。波打ち際には白いカモメがたくさんいました。行き帰りの漁船からおこぼれをもらうのでしょうか。この日は風が強く天気も曇りだったので海は鉛色でした。
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遠く白いのは道路の空調施設

2015年09月05日(土) 記事NO.79の3
海ほたる その3
一方で、千葉県側は大きな橋でした。よくぞこのような巨大施設を建築できたものだと感心します。橋桁の下を大きなタンカーや貨物船がくぐっていきました。構想から半世紀もしてようやく実現したようです。
体温が奪われるので店内へ移動しました。ソフトクリームから始まりクレープを経て最後はアサリ入りたこ焼き(アサリ焼き?)でした。千葉名産らしいので一応食してみました。・・・味はちょっとビミョウでした。
海ほたるせんべいなどお土産をいくつかゲットして時間です。最後に記念写真を撮ってもらって帰途につきました。夜景が見たかったですが、多分もう来ることはないでしょう。
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巨大な船に乗っているみたい



2015年09月04日(金) 記事NO.78の1
再び日本でもっとも高い場所へ(2) その1
平日とはいえ人が多いです。今日は天気が良くかなり遠くまで見えるからでしょう。空を飛ぶことのできないヒトは、本能的に空へのあこがれを持っているそうです。本当かどうかは知らないけれど、自分ができないことの代償として高いところに登ってしまうのかもしれません。
展望回廊に到着しました。ここにはショップがありません。必要な飲料や食料は予め階下で購入しておきましょう。タワーの高さは武蔵(むさし)なので、ここの高度は頭頂部までの70%くらいです。海抜0mに近い平野部において、人が飛行機なしで来られる場所としては最高でしょう。当に鳥になった気分です。でもずっとこの高さで暮らしたいとは思いません。やはり足が地についていないと本能的に不安なのです。
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回廊の高さ445~450m

2015年09月04日(金) 記事NO.78の2
再び日本でもっとも高い場所へ(2) その2
30分くらい回廊でねばった後、下の展望台まで降りました。そこには喫茶やショップがいくつかあります。ここでしか買えないという限定品は購買意欲をそそりますが、私にとって特に欲しい物ではありません。家族もいろいろと見ていましたが、小さなお菓子を買っただけでした。
さっきよりも地上に近づいたため、道を歩いている人がよく見えます。私たちもさっきまで同じように上から見られていたかもしれません。ということは、1200ミリ超望遠レンズがあれば顔までわかります。このおひざ元に住んでいる人にとって、プライバシーを守ることが必須課題になっているみたいです。マンションの自分の部屋を上空から覗かれるのは誰でも嫌でしょう。
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浅草浅草寺(あさくさせんそうじ)

2015年09月04日(金) 記事NO.78の3
再び日本でもっとも高い場所へ(2) その3
大理石風呂がある都庁や人工火山のシー、何やらヒルズや副都心、そして遠くに富士山など、展望台からできる限りたくさん見つけて回りました。前回は曇っていたのでダメでしたが今回はよく見えます。しばらく高いところに来なくてよいみたいです。
地上に降りてからも家族はお買い物です。ベンチでアイスをなめながら静かに待っていました。水族館があったので暇つぶししようと思いました。ところが料金がちょっと・・・。そういえばもう1つのタワーにもありましたね。ここにはいないはずなのに、ダイオウグソクムシのぬいぐるみを売っていました。うちにもそれが2頭います。ずっと食べなくても体重は変化しません。ふわふわモフモフしていて子どものお気に入りです。
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塔京タワーって本当に塔が多い



2015年09月03日(木) 記事NO.77の1
再び日本でもっとも高い場所へ(1) その1
夢の島(?)を後にして都内へ移動することにしました。ちょっと奮発してタクシーに乗りましたが、首都高をぐるぐる走ると方向がわからなくなりました。そのうち、遠くに高いタワーが見えてきました。否、最初っから見えたはずなのですがまったく知りませんでした。何度も来ているけれど未だこの街には慣れません。
そのうちタクシーの運ちゃんが自分からいろいろと話出しました。タワー近辺は経済的に裕福な方ではなく、こじんまりとした店が多いこと。お客がタワーから離れないので地元に落ちる金は思ったほどでなく、肩透かしを食らっていること。確かニュースで同じようなことを聞いています。気の毒とは思いますが、こちらが買いたいような物がないことも事実です。
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ご当地産のマイハマバーガー

2015年09月03日(木) 記事NO.77の2
再び日本でもっとも高い場所へ(1) その2
朝が早かったので、荷物を預かってくれるところを探すのに手間取りました。たまたま清掃していた方がいて教えてくれたので助かりました。さすがに高さ600mを超えると超えるとなれば、基部もかなり大きな建物になります。とてもじゃないけれど徳島には存在しない、いや存在できない施設です。帰りのバス時刻を確認して建物に入りました。
EVで4階へ移動し、まだ開店していないショップ前を素通りして発券所に行きました。タワーの足元から見上げるとやっぱりすごく高い!先端部が見えません。家族にとって初めての場所ですが私は2回目です。ちょっと新鮮さに欠けますが、再び高額な料金を支払ってEV前に並びました。これから宇宙へ向かうのです(?)。
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本当に宇宙へ向かうような感覚

2015年09月03日(木) 記事NO.77の3
再び日本でもっとも高い場所へ(1) その3
カーボンとかボロンとか新素材を使えば今までにない建造物を造れるそうです。例えば、高さ2kmを超えるビルとか長さ5kmの吊り橋とか、そのような物が造れるなら都市の構造や機能もすっかり変わってしまうでしょう。そのような未来が意外と近くに現れるかもしれません。
さて、この宇宙EVは順調に上昇中です。静止軌道型なら上空3万6千km、低軌道型なら2千kmなので小1時間もあればステーションに着くでしょう。・・・ってことが本当に起これば生活がどう変わるでしょうか。ステーションは地球外の世界への入口です。つまりそのEVに乗るということは宇宙へ行くのと同じなのです。ごく一般人が気楽に宇宙空間へ行けてしまう世の中になれば、果たしてどのような展望が開くでしょうか。
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色とりどりの星・・・じゃなく花火



2015年09月02日(水) 記事NO.76の1
福島を訪ねて(2) その1
喜多方(きたかた)の白壁の街並みやラーメンも捨てがたかったが、時間がないので止めました。代わりに磐梯山SAでラーメンを買い、後日その太めの麺を堪能しました。醤油ベースの味でした。
猪苗代湖から国道や県道を南北に上がったり下がったりして1時間。会津若松駅から南へ5kmのところに会津若松城があります。湖からも駅からも意外と遠くて移動に時間がかかりました。標識に従って進み、城北側のデコボコ広場に駐車して歩きです。
残暑とは言えまだかなり暑く、ここが本当に東北か忘れそうです。ジリジリと照り付ける太陽から何物も逃れられません(笑)。天守閣を目印にそちらへ5分くらいでその直下にたどり着きました。
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会津若松城の本名は「鶴ヶ城」

2015年09月02日(水) 記事NO.76の2
福島を訪ねて(2) その2
城の入口に武士がいました。お年はさることながら立派な身なりです。そして、おもむろにチケットを拝見され備蓄庫から天守閣に入りました。途中の資料には余り目もくれず最上階を目指しました。扇風機が回っていますがちょっと熱風っぽいです。眺めはまた格別でした。ここは盆地なので周囲をぐるっと山に取り囲まれています。西側の奥羽山脈がよく見えました。というか、山脈の中でしたが・・・。
家族にお土産をと思って物色しましたが、特に目を引くものはありません。少しがっかりしました。三春駒(みはるごま)は三春町だしね。お堀を散策しました。暑いのにそこそこ観光客がいます。堀には水がありました。浮草がたくさん浮いていて緑のじゅうたんのようです。涼しげでした。
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緑の濃い石垣とお堀

2015年09月02日(水) 記事NO.76の3
福島を訪ねて(2) その3
白虎隊の戦いで有名な城です。明治政府の官軍と旧会津藩との戦いで、若い命がたくさん奪われました。私から見ればどっちもどっちで、時の権力者たちによって運命をほんろうされた青少年たちがあわれです。今を生きる若者たちが再び権力者どもに利用されるのは避けたいです。
もう1つは、土田晩翠作詞の「荒城の月」です。南側の石垣の傍に歌碑がありました。滝廉太郎作曲でとても有名です。散策しながら思わず1曲歌ってしまいました(笑)。
裏磐梯山の五色沼や安達太良山西方の沼尻硫黄鉱山跡にも行きたかったです。次の予定があるので、再び東北道を爆走して帰ることにしました。
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春高楼の花の宴~♪



2015年09月01日(火) 記事NO.75の1
福島を訪ねて(1) その1
宇都宮から東北道を150kmほど北上して左折、磐越道を走って会津盆地にやって来ました。予てから一度来てみたかったので今回がちょうどよい機会でした。だって、四国からここへ来るのに飛行機1回では無理です。少なくともJRかレンタカー利用が必要だから。お互いに行き来するにはちょっと不便ですね。
さて、ここへ行くにあたってどこを回るかいろいろ検討しました。地学系ブログなのでそっちを優先させたいのですが、歴史や文化、特に食生活に関心があるので悩みました。まずは、「火山」からです。深田久弥(ふかだきゅうや)の日本百名山に名を連ねる山々がここにあります。安達太良山(あだたらやま」)はどれがそれかわかりませんでした。そこで、磐梯山(ばんだいさん)をいろいろな角度から撮ることにしました。
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南に田園が広がる磐梯山

2015年09月01日(火) 記事NO.75の2
福島を訪ねて(1) その2
磐梯山は大きな山です。高さはさほどでもないけれど、すそ野が広くて山の中腹まで開墾されていました。かつての巨大噴火によって山体が大きく失われたそうです。今は静かに見えますが、昨今の活動期を考えると多少の注意は払っておいた方が良いと思います。
次に、野口英世(のぐちひでよ)に会いに行きました。お札の方です。この人の話は本でも読んだし映画も見たし、それなりの知識を持って見学しました。母親のシカさんがアメリカにいる息子に送った手紙の原本が展示されていました。「はやくかえってきてくだされ。」会いたい気持ちなど、すべてこの一言に尽きると思います。職場へのお土産として、先生せんべいを3箱も買ってしまいました。後日、よくそこまで行ったね・・・と言われました。
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幼子に囲炉裏は危ないですよ

2015年09月01日(火) 記事NO.75の3
福島を訪ねて(1) その3
田園地帯には巨大な水がめ「猪苗代湖(いなわしろこ)」があります。琵琶湖ほどではないですが、それでも対岸が見えづらいくらい遠くにあります。水上レジャーが盛んでボートやバイクが何隻も見えました。磐梯山山頂から見れば景色も格別だったでしょう。
途中で休憩をはさみながら西岸に沿って移動しました。道の駅ほどではありませんが、コンビニやトイレなどがあってドライブに不自由しません。湿地帯や砂浜もあったりして、名物のササエビが採れたりするのでしょうか。そういえばここでちょっと珍しい鉱物が産出するそうです。どこかで売っているかもしれませんが、勝手に他人の土地からとっているかもしれません。やっぱり買うのは止めましょう。
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風が強く白波が立っている



2015年08月26日(水) 記事NO.74の1
TDSの夜 その1
土産を持って一度部屋に帰りました。これだけの量をトランクに詰めるのは大変です。60cm超えの大物は別途袋に入れないと無理でしょう。アイスコーヒーを飲んで気分を落ち着かせてから、今回の旅行最大のイベントに参加です。再び水分子のバスに乗って駅からモノレールで正門に向かいました。
開演1時間前には、正面はおろか両サイドも人でいっぱいでした。地べたにビニールを敷いて陣とりする人ばかりです。ちょっとタイミングを誤ったかな・・・と思っていると、やや右寄りの位置に障害物がない場所を見つけました。ロープ際のギリギリまで身を寄せて、そこから鑑賞と撮影に取り組むことにしました。
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ピラミッドの頂点にマウスがいる

2015年08月26日(水) 記事NO.74の2
TDSの夜 その2
暗闇の中で島のように大きな物体が動いています。間もなくそれが池中央で投錨しました。そして、パ~ッと光が発せられたかと思うと楽しい音楽とともに、ファンタジーなシアターが始まりました。
きれかったです。25分間堪能しました。(コメントこれだけ?これだけ!)
終わる頃には池周辺のお客が次々離れていきました。これから都心まで電車で帰るのでしょう。両手にぎっしりお土産を下げた人や手つなぎのカップル、小さなリュックを肩にかけた小さな子を抱える親子連れなど、たくさんの群衆が出口を目指します。まるで朝のファストパス争奪戦の再来でした。
さて、私たちにはまだ間があります。何をしましょうか。
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ボール状の巨大スクリーン

2015年08月26日(水) 記事NO.74の3
TDSの夜 その3
家族は最後のお土産漁りを始めました。とは言っても、また明日はTDLに行くけれど・・・。それにしてもすごい巨額が動く空間だなって思います。一人2万円としても5万人で10億円。スタッフ人件費が1億円、燃料費や食材が2億円、設備整備費が2億円、ロイヤリティその他諸経費が1億円・・・などと適当に必要経費を割り振ってみると、純利益は4億円。宝くじでも当たらないと無理ですね~。
私は特に買う物もなく帰りにコンビニで夜食を買いました。久しぶりの100円おにぎりがおいしかったです。ホテルの部屋から首都高速とブリッジが見えました。そちらの地上の星もきれかったです。旅はまだまだ続きます。今夜はもう寝ましょう。
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ドラゴン出現!!



2015年08月25日(火) 記事NO.73の1
TDSの昼 その1
しばらく海中散歩を楽しんだ後、回転するハリセンボンの近くで昼食にしました。イタリアンな麺類をほおばって、なぜかウーロン茶をすすってやっと腹が膨れました。
次の目的は中央池で行われる水上パレード(昼の部)です。池の端に架かる橋の上で様子を伺っていると、足元の水面を島が移動していました。お供にブドウやバナナ、パインやオレンジなどフルーツ型水上バイクが並んでいます。まるで消防艇のように大砲ならぬ放水装置が、舷側にズラッと並んでいました。これから私たちお客さんを迎え撃つようです。
見やすい正面位置に移動しました。団員のジャマにならないよう設けられた通路を避けて、何とか池に近い場所を確保しました。
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関西の某テーマパークみたい

2015年08月25日(火) 記事NO.73の2
TDSの昼 その2
「水にぬれますよ~。」真っ先にそう言われました。子どもたちには関西の某テーマパークで入手した簡易合羽を着せています。私はイルカTシャツを着てカメラをいつでも隠せるようにしました。防水機能が弱いからです。合羽を着た子どものみ前方の水際まで連れて行ってくれました。さあ始まりです!
船が入れ代わり立ち代わり岸辺に近づき。そのたびに水をかけられます。問答無用で頭からびしょぬれになり、それでも放水は収まりません。また、団員たちもバケツにすくった水をつぎつぎ浴びせてきて、お客がその場で逃げまどいます。そのうち一隻の船が着岸し、陸に上がって来たキャラたちも水を振りまき始めました。・・・こうして約20分間じゅうりんされました。
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見事な放物線を描く放水風景

2015年08月25日(火) 記事NO.73の3
TDSの昼 その3
猛暑日だけあって気温35℃超えならすぐに乾きました。それでも暑いのでカナルの傍で涼んでいます。家族がどうしても買いたいヌイグルミがあるそうで、ショー付きの店に入るところです。私からすれば人形やフィギュアに興味ないのでどうでも良いのですが、彼女らにとってそれらは至高の逸品らしいです。一人ベンチに座って長時間待たされるはめになりました。
話は変わって今夕食中です。ファストフードばかりでごはんが食べたいですが、ここにはどこにもありません。・・・ウソです。探すのが面倒なだけです。別にたくさん食べられれば文句ありません。鼠と熊と家鴨が出てきました。それなりに面白かったです。
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制限時間50分で涼しかった



2015年08月24日(月) 記事NO.72の1
TDSの朝 その1
朝はコンビニから始まりました。昨夜の就寝は11時で起床は5時。学生時代の強化合宿みたいです。いつもはネボスケな子どもたちも今日は別人のように目覚めました。いよいよバトルが始まります。
ホテルの玄関で水分子の形のような窓が付いたバスに乗り、すぐそこに見える最寄りの駅まで移動しました。終日パスを改札に突っこみ、ゲートオープンとともにモノレールに乗り込みます。2駅で現地前に到着。上から正面玄関を見るとすでに長蛇の列でした。ざっと見て2千人くらいは並んでいるでしょう。開場1時間半前でこの状態では、今後の渋滞が思いやられそうです。気温も上昇中で、あと2時間で30℃突破の予想。本日も晴天なり・・・です。
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早朝はプロメ火山もまだ寝てる

2015年08月24日(月) 記事NO.72の2
TDSの朝 その2
ゲートに並んで1時間待ち、通過するまで30分。そこから人の群れは左前方へとカーブしています。目標はファストパスの取得。一番人気のアトラクションを予約するためです。
目的地付近は早くも人でごった返していました。発券所の様子はまったく見えません。張られたロープに沿って人の道ができていました。オーストラリアで見た羊の行進のようです。牛歩戦術・・・な訳ありませんが、ちょっとずつイライラするくらいの速度でゆっくり進んでいました。
パスなし入場でもすでに120分待ち表示が出ています。本当に人気があるんだね。結局パス取りに1時間で、しかもその有効時間は4時半からと夕方です。。朝から疲れてしいました。
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ちょっと眠たそうなキャラのあくび

2015年08月24日(月) 記事NO.72の3
TDSの朝 その3
アメリカナイズされた区間を横切り、ポップコーンをつまみながら土産物屋の物色です。子どもの一人が特別券を持っているので、忘れないうちに交換してきました。地図があるものの道がよくわかりません。火山の洞窟に入ったけれど、中で迷って潜水艦のところや鉱山跡などに行ってしまいました。おかげで30分ものタイムロス。ようやく最初のアトラ到着です。
日が差さない屋内にはいろいろな灯りがありました。発光石や発光クラゲの明かりで何とか見えます。空中を人魚が泳いでいました。伊勢エビらしきものが人語をしゃべっています。暗がりを利用して汗ばんだシャツを着替えました。端の席はこういうとき役得です。
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蒸気船たった4杯で夜も眠れず



2015年08月23日(日) 記事NO.71の1
TDLの夜 その1
羽田からホテルまでリムジンバスを利用しました。ネットで簡単に予約が取れました。さすがはネット社会です。便利な反面で恐ろしくも感じます。相手の顔が見えない状態で取引するのは怖いです。初対面の人を初めから信じるのもどうかと思うので・・・。だからもちろん保険をかけておきます。
湾岸道路を利用して予定よりも少し早く目的地に着きました。ここは有名なネズミたちの出没地で毎晩のろしが上がっています。今日の入場者数は5万人くらいで夕方は少し空いているみたいです。私たちが入ったときすでに17時を回っていました。まずは、・・・食事からです。ガッツリ食べて深夜までの体力を温存しておきます。太るのは無視しましょう。
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中心地のお姫様のキャッスル

2015年08月23日(日) 記事NO.71の2
TDLの夜 その2
夜のイベントまで少し時間があったので、一番人気のハニーハントの列に並びました。遅く来たためファストパスが採れなかったので、正規のルートできちんと並びました。建物周辺の鎖場(チェーンを張ってお客を並べる場所)での待ち時間は長く感じましたが、建物に入ってしまえばもうすぐです。
50分待ってやっと入れました。しかし、これでも少ない方でGWなら180分待ちもザラです。英語で何やらフニャフニャ書いてありましたが、読むのは何とかわかりました。さあ車に乗ってスタートです。毎回コースが異なるので面白いです。ハチミツのにおいがしたり、風が吹いてきたり、水が飛んだり・・・となかなかのコンピュータ制御でした。さてそろそろメインイベントのために移動です。席取りも大変なのです。
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ワンダーランドのチェシャネコ

2015年08月23日(日) 記事NO.71の3
TDLの夜 その3
暗闇の中、キャッスルに物語が浮かび上がりました。青色やピンクなど様々な幾何学模様が投影されています。レーザーが飛び交い、花火や火柱が吹き上げられています。私たちは運よくほどほど前の方で且つ他人のジャマがない、他人の邪魔をしない場所に陣取りました。お金はものすごくかかっていそうですが、25分間の映像を充分楽しみました。
さて、後はホテルで寝るだけです。コンビニで夜食をたっぷり買い込み、部屋に入って湯を沸かしました。・・・寝る前は太るって?さっき食べてからもう4時間です。腹が鳴っていました。天ぷらそばときつねうどんをすすって、ようやくホッと人心地がつきました。それでは皆さん、また明日お会いしましょう。
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火炎放射器による攻撃・な訳ない



2015年08月22日(土) 記事NO.70の1
何十回目かの飛行機の旅 その1
徳島空港が海際に移転して、「徳島阿波おどり空港」と改名してから大分経ちました。昔の場所を知っている者からすれば、ちょっと遠くなってアクセスがやや不便になった感があります。それでも東京行きが10回以上もあれば利用価値は充分です。・・・そういうことで、夏休みの終わりは毎年恒例の家族旅行の始まりです。
車を駐車場に預けるとしばらくは徳島とおさらばです。海が近いので風が強いですが、トランクを転がしているのでまったく苦はありません。汗かきなのでTシャツは必要以上、タオルもぎっしり詰め込んでいます。期間中の雨も想定されるのでカサも準備しました。3日前から少しずつそろえてきたので忘れ物はないはずです。後は病気やケガ、財布の落とし物に注意するのみです。
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和歌山県潮岬付近を飛行中

2015年08月22日(土) 記事NO.70の2
何十回目かの飛行機の旅 その2
私は乗り物酔いしやすい性質ですが、飛行機だけは意外と大丈夫です。外の景色を見て楽しんだり、気が付くと鼾をかいて寝ているからです。地上を見下ろして場所がどこか考えてみたり、飛行機の高度と速度を予測したりとヒマな時間がありません。気象にも関心があるのでもこもこの入道雲を探したり、雲に映る飛行機の影に虹色のブロッケン現象ができないか観察しています。それでもやはり疲れるものでいつしか夢の世界へ逃避しているのです。
さらに高空はやや青黒く見えています。高度はせいぜい8kmくらいなので対流圏の真っただ中です。ちょっとヒマになりました。流星かUFOでも現れないでしょうか?
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雲間から顔をのぞかせる富士山

2015年08月22日(土) 記事NO.70の3
何十回目かの飛行機の旅 その3
初めて飛行機に乗ったのは小学生の頃で、東亜国内航空時代のYS-11型プロペラ機により大阪の伊丹空港から旧の徳島空港まででした。確か所要時間は25分程度だったと思います。当時は小松島港から阪神フェリーが運航していて、大阪南港まで3時間半でした。1回でいいから飛行機に乗りたいとわがままを言って、高額のチケットを買ってもらった覚えがあります。その次、2回目が東京への修学旅行でした。自由研修では都内をいくつか回ったはずですが、ほとんど記憶に残っていません。むしろサブで立ち寄った日光の旅館のことの方がよく覚えています。屋上に雪が積もっていてとても寒かったです。その後、華厳の滝や東照宮に行くチャンスに恵まれませんでした。 イメージ

伊豆半島東岸と思われる



2015年08月14日(金) 記事NO.69の1
広島の名物を食そう その1
広島の食文化と言えばやっぱり「広島風お好み焼き」です。私は粉モンが好きなので、たこ焼きやクレープ、タコスやピザなどもよく食べますが、その中でもお好み焼きが大好きです。具の種類についてはほぼ何でもOKで、充分火が通ったちょっとごげ目が多めの状態がお好みです(だから、もんじゃ焼きは今一つ好きではありません。)。
さて、いつものホテルの近くにお好み村がありました。お好み焼き屋が集まっている地区で、市内数ヵ所にあるそうです。その中の1軒はちょっとなじみになった店で、四国からやって来た人が働いています。味が良かったのと話が合ったことから、そこによく行くようになりました。そして毎回同じものを注文しています。
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市内中心部にあるお好み村

2015年08月14日(金) 記事NO.69の2
広島の名物を食そう その2
だだっ広い鉄板の上でお好み焼きが焼けています。
私はいつも「スペシャル焼き」を2枚注文します。タンパク類は豚でも牛でもイカでもエビでもかまんです(伊予弁丸出し)。こだわりは麺として必ずそばをのせること。そばモダン焼きの形にして、そばをややパリッと焼き上げるのが美味いです。
まず小麦粉の生地を薄く伸ばし、そこにスライスしたキャベツをたっぷりのせます。その近くで肉類やそばをいため、キャベツの上に重ねます。火が通ったら卵を広げて薄く焼いて、その上にひっくり返すようにさっきのお好み焼きをかぶせるのです。最後はソースと青のり、マヨネーズなどをかければ完成!いい匂いがしてきました。
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写真だけでも美味そうだ

2015年08月14日(金) 記事NO.69の3
広島の名物を食そう その3
わずか10分で2枚とも腹に消えました。まだ余力はありますが、腹八分目ということで我慢します。名物は他にも「生牡蠣」とかありますが、夏場はあたるかもしれないので今回はなしです。
市内から車で1時間。中国山地の中までやって来ました。ここの名物は胡桃(くるみ)です。炊いた飯から作る五平餅に、くるみゴマのたれを付けると美味いです。ブルーベリー餅は余り味がしませんでした。アマゴの串焼きや田舎飯のおにぎりなど、ドライブの合間に軽い食事を楽しみました。
最後はSAでお土産を選びます。夏バージョンもみじや鯉せんべいなど、少し変わった物にしました。帰ってからが楽しみです。
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戸河内(とごうち)の道の駅



2015年08月13日(木) 記事NO.68の1
ピカドンにたたかれた街 その1
その日の夜は雨になりました。夕立程度かなと思っていると本格的な降り方で、かなり大粒の雨が勢いを付けて窓ガラスをたたいています。早めの夕食を近くの和食バイキングでとり、コンビニで夜食用のおやつとカップ麺を買い込みました。
こんな夜は憂鬱な気分になります。何やら思い出したくないことが思い出されそうで、何となく怖くなったり不安になったりします。子どもの頃に見た夢の中で、私は至近距離に落とされた爆弾を視認した記憶があります(あくまでも夢の中の話ですから、若い友人が言うような「イタイ子」ではありません。ドン引きしないでください。)。その後ふっとばされたような感じはなかったので、そこで意識が途切れてしまったようです。
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路面が濡れた100m道路交差点

2015年08月13日(木) 記事NO.68の2
ピカドンにたたかれた街 その2
広島城に行く前に平和記念公園を訪れていました。ここは何度来ても原爆の恐ろしさを知るとともに、平和の大切さが実感できます。閉館までの時間がないのでかなりスッと通り過ぎるように見ています。それでも身体を蒸発させられた人の影の写真や高熱で融けた物体など、インパクトの強い物には目が引かれます。・・・実はもっと印象が深くなる、トラウマになりそうな写真もここにあるはずです。顔が溶けてしまった方とか、背中が真っ赤になって骨が見えている方とか、しばらく夢に出てうなされるくらい恐ろしい内容でした。今はそのような写真はあえて展示していないようです。子どもが見れば本当に怖いでしょうから・・・。しかし、それを知れば原爆がいかに非人道的な殺人兵器かよくわかると思います。 イメージ

昔の海岸線が枯山水になった

2015年08月13日(木) 記事NO.68の3
ピカドンにたたかれた街 その3
がれきの街を整備し復興した新生都市「広島」。その基盤となったのが交通網の要となる道路です。幅100mもある道路はその象徴とも呼べるでしょう。青信号になってすぐ歩き始めても、対岸までなかなか行けません。すぐに変わるので2回くらいは必要です。なお、道路の北側には当時の海岸線がありました。
原爆(ピカドン)の爆風や熱線を受けてまだ残っていたのは建物ばかりではありません。何本かの樹木も生き残っていました。もちろん幹は焼き焦げ枝は折られ、葉はほとんど落ちてしまった状態からの復活です。私たちより寿命の長い樹木たちの生命力に驚きます。もし木霊(こだま)の声が聴こえたら、彼らは何と言うでしょうか。
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被ばく樹木の1つ「クロガネモチ」



2015年08月12日(水) 記事NO.67の1
広島城を訪ねて その1
日本全国で城ブームだそうです。改修された世界遺産の某城が強気の拝観料を取っているとか、艦コレみたいに城を女性に見立てたりとか、ついでに刀を男性に見立てたりとか、アニメとコラボして流行に乗っているようです。また、城どうしが連携して互いに紹介し合って知名度アップも図っています。
それはさておき、私は城にそれほど興味はありません。ただし、観光の拠点になっていることが多いので、その地に行けば訪ねてみるのが礼儀でしょう。と言うことで、やっぱり目立つから行っておかないといけないかな。とりあえず高いところから市街地が見えるし。そのような消極的理由でこの城を見てみようと思い立ちました。
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広島城の天守閣

2015年08月12日(水) 記事NO.67の2
広島城を訪ねて その2
公園には東門から入りました。車が入れるように道が広く、タクシー数台が止まっています。急にタクシーの中から声をかけられました。見れば一緒に広島に来て別行動を取っていた仲間です。・・・どうやら先を越されたようです(笑)。
天守閣は公園内の北西隅に偏って建っていました。藩主をしていた毛利氏の系統図や鎧・兜・刀などの武具、城の歴史の変遷、当時の様子などたくさんの資料が展示されていました。エアコンだけでは涼しくないので、階段横に扇風機を設置して冷風を送っていました。階段はかなり急角度で、油断すれば足を踏み外しそうです。ゆっくり見ていると、結局最上階まで30分もかかってしまいました。
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お堀に向かっている三角の銃眼

2015年08月12日(水) 記事NO.67の3
広島城を訪ねて その3
上からの眺めは格別でした。まず公園内は夏の生き生きとした緑で覆われています。当時の建物が壊された跡にも夏草が生い茂っていました。周囲はお堀で囲まれ、川から引き込まれた水で満たされています。地中の水路で繋がっており、水位には海の干満の影響もあるそうです。
北側には中国山地が見えました。山裾まで住宅地が広がっているのがわかります。土砂災害に遭ったのはあの辺りでしょうか。東や西側にはずっと市街地が続いています。しかし、都会にしてはせせこましい感じが一切なく、かなり余裕を持ってスペースが確保されていました。建物の高さは相当あるようなのですが、建物どうしの間隔が空いているのです。これなら住みやすいかもしれません。
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南側は公園の向こうにオフィス街



2015年07月18日(土) 記事NO.66の1
食い倒れではなく食い倒しです! その1
道頓堀・難波・心斎橋などは食い倒れの街だそうで、たくさんの飲食店が軒を連ねています。「食い倒れ」の本来の意味は良い物を食べ過ぎて経済的に困窮することだそうですが、私は単純に店を食べ歩く道中に食べ過ぎて腹が膨れすぎて倒れてしまうことじゃないかと思っています。そこから派生して、「食い倒し」とは店が嫌がるくらい食べても平気な状態を意味します。
昨夜はお好み焼きとたこ焼きと焼肉とごはん4杯を平らげ、コンビニで買ったアンパンとクリームパンとジャムパンとチョコパンがデザートでした。さすがに連続はきつかったので2時間ほど間が空きましたが・・・。胃が丈夫でないとこれからの行動に支障が出ます。と言うことで、大食いツアーが始まりました。
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新世界のビリケンさん

2015年07月18日(土) 記事NO.66の2
食い倒れではなく食い倒しです! その2
今宮で降りて少し北へ歩くとそこが新世界です。TVでもお馴染みの風景が現れました。ソース二度つけ禁止の串カツ屋をはじめとして、時間が早いにもかかわらず多くの店が開いていました。あいにくビールはご法度なので食べるのに専念しました。・・・結局のところ3軒回って投了しました。○十年前の現役フードファイターのときほど食べられなかったです。
腹ごなしに通天閣に上がりました。今の建物は二代目で高さは103mです。展望デッキから東西南北の大阪市街地が見渡せました。南東の位置にあべのハルカスが屹立していて、前回そちらからこっちを見ていたことを思い出しました。ハルカスの3分の1しかありませんが、新世界から見上げるとかなりの高さでした。
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日本でもっとも高い場所(4)

2015年07月18日(土) 記事NO.66の3
食い倒れではなく食い倒しです! その3
2kgのカレーライスを9分38秒でタダ(店頭に写真を貼られる)、大ボウル2杯分のお好み焼き(キャベツ丸ごと、卵8個、その他具材多量)を焼く時間も含めて55分でタダ、焼きギョウザ100個を20分でタダ(2回完食して3回目は断られた)、某スイーツ店のジャンボパフェ(ファミリーアイス2箱分、フルーツ山盛り)を20分、某カレー専門店の最高激辛を水なしで完食、30分で釜揚げうどん19人前、キンギョ鉢に入ったミルクセーキ(推定2L)をゆっくり味わいながら1分半、から揚げ5個と漬物をおかずにごはん1升半、某バイキング店に同類4人で来訪して60分で肉皿がほぼ全滅してハム・ウインナーも消滅、2kgのチャーハンを16分でタダ、ケーキ全種類を2回転して34個完食・・・。
今はもう無理ですね。特に量と速さについては難しいです。ただし、辛さについて今でもハバネロやジョロキアはOKです。
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梅田の方を見た街並み



2015年06月26日(金) 記事NO.65
北摂津の鉱山は?
仕事のようで遊びのようで、否やっぱり仕事でした。人を連れて出向することはそれなりに責任があるし、いくら手持無沙汰だからといって任地を離れるわけにはいきません。・・・と言うことで、せっかく近くまで来ているのに鉱山跡を訪ねられませんでした。
天気は相変わらず雨が降っています。短時間で集中的に降るゲリラ豪雨が観測されており、今後の土砂災害が心配です。私が行くような鉱山跡は大概地盤が弱くてすぐに崩れます。だからヤマが濡れているときは行くのを控えるのです。虫が多かったり湿度が高くてうっとおしくなったりするのも理由です。
今年の梅雨明けは遅いようです。木製の引き出しの開閉が難しくなりました。早くからっとした気候になってほしいです。
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鉱山跡の合歓(ねむ)の木



2015年06月09日(火) 記事NO.64の1
コウノトリは大空へ その1
ご当地産の名称をいろいろな施設に付けるのが流行しています。例えば、空港名に徳島阿波踊り空港とか但馬コウノトリ空港とか付けると、その地元で有名なものが何かよくわかります。
西洋では子どもの欲しい夫婦の元に赤ちゃんをくわえて運んでくると言われていたコウノトリ。国内では昭和46年に自然界において絶滅しました。豊岡市で最後のグループを捕獲して人工繁殖を行い、平成元年にひなが誕生、17年に初めて自然界に放たれました・・・と資料に書かれていました。
自然や野生動物・植物などを撮影してきた経験があり、特に野鳥が好きでした。鳥を見るためだけにわざわざ県外遠征したこともありました。そうした血が騒いだのかここに立ち寄ることにしました。
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豊岡のコウノトリの郷公園

2015年06月09日(火) 記事NO.64の2
コウノトリは大空へ その2
案内看板に従って進むとすぐに見つかりました。田んぼと雑木林に囲まれたのどかな里山にそれがありました。近隣の水田では農薬散布を止めて、コウノトリが安全に生活できるように官民一体となって取り組んでいるそうです。
施設の奥に金網に囲まれた一画があり、そこに20羽くらいの鳥がいました。天井は開いているのでその気になれば自由に飛び出すことができます。実際に施設のすぐ横の木に営巣しており、地元の方のスコープをのぞかせてもらいました。遠くて小さくてわかりにくかったですが、確かに番が仲良くしていました。ひなの誕生が待ち望まれます。金網の区画には池があり何かをついばんでいました。安心して生活して欲しいと思います。
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羽根がきれいな成鳥

2015年06月09日(火) 記事NO.64の3
コウノトリは大空へ その3
使用済みの巣がありました。大きさは一抱えくらいで、たくさんの小枝を敷き詰めて作られていました。また、館内にははく製が展示されていて、実際の大きさや骨格の様子などもよくわかりました。
外に出ると大きな鳥が空を舞っていました。コウノトリです。どこかへ出かけていた個体が戻って来たようです。警戒しているのかそれとも誇示しているのか、なかなかこちらに降りてきません。翼を広げた差し渡しは1.5mくらいでしょうか。悠々と舞うその姿にしばらく見とれていました。
さて、本県の鳴門市大麻町にコウノトリの番が現れました。直線距離で150kmもあるこの場所に海を越えてよく飛んで来れたと思います。電柱に営巣しましたが、季節外れの突風でほとんど吹き飛ばされてしまいました。それでも懲りなくまた巣作りしています。この地が第二の営巣地になって欲しいです。
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ゆったりと飛んでいる



2015年06月08日(月) 記事NO.63の1
玄武洞を訪ねて その1
城崎からの帰り道で、円山川沿いにちょっと有名な洞窟があることを思い出しました。そこで、時間的余裕もあることだし立ち寄ってみました。道幅が狭くてがたがた揺れる橋を渡り、湿田のような田畑の間をまっすぐに延びる県道を走ると、東側に神社のような杜が現れました。
そこは駅の対岸に位置して、川を渡る渡し船の発着場にもなっています。駐車場が狭いので少し待っているとスペースが空きました。なお、ミュージアムについてはコメントなしです。ただ、そこで販売していたトルマリンが10年前に比べてずっと安くなっていました。初めて産出した石を売るときは高値がつきますが、流通量が増えると値崩れを起こしてしまうのは常識です。高く買ってしまったことを後悔している人がたくさんいるでしょう。
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入場ゲートの真正面にある洞窟

2015年06月08日(月) 記事NO.63の2
玄武洞を訪ねて その2
160万年前の噴火によって流出したマグマが冷やされ、玄武岩質の分厚い岩盤を形成しました。それが長い年月のうちに風化により地表に現れ、柱状節理(割れ目)とよばれる独特の景観を示すようになりました。溶融した状態から冷えて固体になるとき体積が縮みますが、そのとき5~8角形の柱状になるそうです。また、ここから地磁気の逆転現象が見つかっています。
ここには5つの洞窟があり、玄武以外に白虎・青竜・北朱雀と南朱雀と呼ばれています。石柱はかなり太くて長く、小学生の身体に匹敵します。色合いはやや紫がかった灰色で、重量感のある緻密な岩石です。そのような柱が高さ数十mにも渡って積み重なっている様は見事な奇観でした。この日は多くの観光客がいました。
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横に連なる柱状節理の景観

2015年06月08日(月) 記事NO.63の3
玄武洞を訪ねて その3
実はこの洞窟は人工のものです。江戸時代には石切り場であり、採掘された石は漬物石や護岸工事の石材、大きなものは石碑になっていました。また、境内の通路や石段にも使われていました。
下の県道の脇にいくつか石が落ちていて、それを拾って帰る人もいました。私も探してみましたが、適当なサイズと形の良い物はありませんでした。なお、島根県の日御碕にも同じような柱状節理があります。そちらはもっと小さくて太さも長さも大人の腕くらいです。行けばすぐにわかります。
家族サービスが地学の研修のようになってしまいました。これから気を付けて徳島まで帰ります。所用時間を考えるとちょっと億劫になりますが仕方ないですね。
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石段はかなり急であった



2015年06月07日(日) 記事NO.62の1
山陰の水族館(2) その1
海獣の施設を出て海岸を歩くと、大きなプールと演技場がありました。しばらく眺めていると飼育員がイルカショーの訓練をしていました。黄緑のウエットスーツに身を包んだ若手がイルカを巧みに操っていました。
ついでなので、ここに腰を据えて開始時刻までのんびりしました。気が付くと私の手元にポテトとドリンクがありました。家族が気を使ってくれたようです。その代り私が場所取り当番になってしまって、しばらくそこで座っていました。
間もなくイルカのジャンプから演技が始まりました。テイルウォークや大回転などイルカの遊び方を模写したパフォーマンスが続きます。また、アザラシやセイウチまで登場して愛想を振りまいていました。
ところで、彼ら(彼女ら)の腹のぜい肉はすごいですね。
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一番前の席はしぶきがかかる

2015年06月07日(日) 記事NO.62の2
山陰の水族館(2) その2
プール横の施設内にも小さなプールがありました。何とこの暗い中でイルカショーをするそうです。手すりがあるとはいえ、足を滑らせれば深さウンmの水槽に落ちてしまいます。そうした縁を飼育員が恐れもなく歩いていました。大したものです。
先にビデオでイルカの生態の説明があり、その後で数頭が狭いプール内を泳いだりジャンプまでしました。プールの底からのライトは幻想的な雰囲気でした。ここへ来たのはかれこれウン十年ぶりなので、この施設は記憶になかったです。
11時を過ぎたので早めの昼食をとりました。運よく窓際に座れました。その10分後には満席になったのでちょっとラッキーでした。
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丸いプールでイルカの演技

2015年06月07日(日) 記事NO.62の3
山陰の水族館(2) その3
この辺りを日和山というそうです。地形が複雑でジオパークのようです。岩礁が多いのでアワビやトコブシが採れます。実際に数隻の船が出漁していました。箱メガネで海底をのぞき込んでモリで突いています。どれくらい採れるのでしょうか?
土産物屋で買い物をしました。私は特に欲しい物がないのですが、他はクッキーやキーホルダーなど友人知人に上げるものを選んでいました。帰りの道すがら海産物屋に立ち寄ろうとしました。ところが、大渋滞でなかなかそこに入られません。面倒くさくなったので結局そのまま帰りました。もし冬だったらカニをゲットするのため絶対に寄ったでしょう。次回に期待しましょう。
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沖の小島には竜宮城がある



2015年06月06日(土) 記事NO.61の1
山陰の水族館(1) その1
カニのシーズンが終わって、GWも終わって、宿代が少し安くなった時期に、山陰まで足をのばしてみました。前回は丹後半島の東部を回りましたが、今回は少し西の方です。徳島県から車で4時間、350kmを走破してやって来たのが城崎(きのさき)でした。
小説にもあるようにここは温泉の街です。駅から2km圏内に多数の銭湯や温泉旅館があり、浴衣姿の観光客が目につきます。が、私たちの目的地はそこではなく子どもが喜ぶ水族館の方です。温泉街からさらに北へ。会館時刻の9時半を目指していましたが、交通事情もあって30分遅くなりました。すでに駐車場は満杯でホテル奥の広場にやむなく駐車しました。そこからトンネルをくぐって徒歩7分でマリンワールドに到着しました。
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朝からお客が多かった

2015年06月06日(土) 記事NO.61の2
山陰の水族館(1) その2
小さな入り江になっている海岸線に施設が集まっていました。エントランスからくるりと回るように、大きな水槽に沿って降りて行きます。暗い水槽では大きなカニが這っていて、不謹慎ですが美味しそうです。また、大型の食用魚が回遊していて、今夜の晩飯のことを考えてしまいました(笑)。
同行した家族たちは思い思いにいろいろと見ています。私としては海に浮かぶクラゲのように、もっとゆっくりのんびりしたいのですが、魚よりも海獣の水槽に行きたいようです。しかし、人が多くてなかなか移動できません。そのおかげでいつもよりじっくりと見学できました。
お買い物に気を引かれていますが、最後まで我慢させることにしました。でも買い食いは別腹ですが・・・。
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ナポレオンフィッシュかな?

2015年06月06日(土) 記事NO.61の3
山陰の水族館(1) その3
まず、トドがいました。体長は3m以上ありデカいです。丸太に例えたら直径1m近いのではないでしょうか。皮下脂肪の塊です。でも流線型をしており水中を高速で泳ぐのにとても適しています。・・・とにかく声が大きいので狭い館内によく響きます。間もなく時間となり、数頭が大岩に上がっていきました。そして、水槽にダイビング!バッシャーン・・・!お客がずぶ濡れでした。
次にアザラシとペンギンがいました。アザラシは泳ぎ回っていましたが、そのうち1頭が目前にやってきて水中回転を始めました。鼻の穴が開いたり閉じたりするのが面白かったです。また、ペン君たちは歩くのも泳ぐのもグループで一斉にします。そのユーモラスな行動に皆惹かれていました。
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鼻孔から空気の泡を出す



2015年05月31日(日) 記事NO.60
スイスの銀水晶 M18
本日、ブログ内のこのコンテンツを一部刷新しました。以前から加えたかった四国の鉱山跡などに関する情報をまとめたかったのです。四国には文献に載っているだけでも500ヵ所以上あり、無名のものや試掘跡まで入れると1,000ヵ所を超えるでしょう。そのうち場所が判明しているのが300ヵ所くらいで、まだまだ調査はこれからです。気力・体力・時の運が許すかぎり頑張ります。
さて、話は180度変わりますが、スイスは山国なのでトンネル工事をするとたくさんの水晶が出てきます。また、岩登りをすれば太い石英脈の中に結晶が生えているそうです。まさに水晶大国ではないでしょうか。
私も一度は行ってみたいです。
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スイス南部のベルヘン峰で採れた



2015年05月28日(木) 記事NO.59
モロッコの孔雀石 M17
銅の塩基性炭酸塩である孔雀石(マラカイト)は、銅が錆びてできる緑青(ろくしょう)と同じ成分です。鉱山の坑道内で外気に触れて生成することが多く、これらをまとめて二次鉱物とも言います。しかし、自然に形成されることもあるのです。なお、毒性があるので口には入れないでください。
緑色のビロードの様な表面はとてもきれいで、ルーペで観察すればもっと見応えがあります。丸っこい球状になったり、母岩全体を覆う鉱脈になっていたりします。他の鉱物を含んでいることも多く、この標本には白鉛鉱(セルサイト)の透明な柱状結晶が含まれます。アクセントになって少し評価アップです。
こうした海外の小さな標本がいくつかあります。少しずつ公開していきます。
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まるで灌木の生える草原のよう



2015年05月27日(水) 記事NO.58
海外のレア鉱物(2) イミテル鉱 M16
銀を含む鉱物は意外と種類が多く何れも人気が高い石です。特にルビーのように赤い濃紅銀鉱やちょっと色の薄い淡紅銀鉱は珍しく、国内では余り見かけません。銅山では銅の固溶体として金や銀が含まれるので、四国のキースラーガー鉱山でも電界製錬のとき少量だけ採取されていました。
モロッコのイミター鉱山から希少な鉱物が数多く産出されています。かつては王家直轄地だったそうで、ここから出る標本の量を規制していたとのこと。赤いのが淡紅銀鉱で灰黒色の柱状結晶がイミテル鉱です。鉱山名から付けられた鉱物名なので、世界的にも余り産出しないようです。光沢のあるきれいな結晶です。
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ヒ素や硫黄を含み冷暗所で保管中



2015年05月26日(火) 記事NO.57
カナダの自然銀 M15
金属は様々な非金属と化合して多くの種類の鉱物をつくります。その一方で、酸化物や硫化物から酸素や硫黄が外れて金属の単体になることもあるのです。
銀は元素記号Agで表され、47番目の元素です。電気伝導性が金属中最大で避雷針の先に使われていたくらい。また、比較的安定で化学反応しにくいことから金歯ならぬ銀歯としても使われました。実は私もちょっとだけ持っています。
鴻之舞や生野や多田など有名な銀山でも自然銀を産出しました。それどころか、ちょっとした小規模な銀山でも出たくらいです。古い文献からそういう場所を見つけることができれば、貴重な標本を得られるかもしれません。皆さんも銀山跡を探してみてください。
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母岩に銀脈がいくつも走る



2015年05月25日(月) 記事NO.56
持ち主不明の標本たち M14
地元を訪ねたとき、話が弾んで長居をすることがあります。そして、ある方から石や資料をいただきました。ラベルが欠損していて産地のよくわからない標本や、錆びてボロボロになった金属鉱物などでした。ご厚意に甘えてすべて持って帰りました。
画像は、満洲国産のクリソタイルです。石綿が層状に含まれています。昔は化学実験で水を加熱するとき、三脚に石綿付き金網をのせてバーナーであぶっていました。長年吸収し続けると肺の病気になるとかで今日では使用禁止になっています。
標本の裏に「益子」というお名前がありました。戦前の物だということですが、当時はすべての石に名前を書いていたのですね。何だか時代を思い起こして懐かしくなりました。
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横じまの白っぽい部分が石綿



2015年05月24日(日) 記事NO.55
生物由来の鉱物たち M13
石炭・石油などは太古の生物の死がいから生成したそうです。また、樹液からできた琥珀(こはく)も元は植物であるし、宝石つながりだったら真珠や珊瑚(サンゴ)もそうですね。しかし、きれいな物ばかりではありません。
画像は、中国の海南島産のグアノ質リン鉱石です。原料は海鳥たちのフンです。長年にわたって排泄されて積み重なって生成したのがこれなのです。糞尿には0.5%くらいのリンが含まれているようです。ナウルだったか太平洋の孤島でもリン鉱石を採掘している場所があります。
見た目は確かにあまり良くなく、軽くてスカスカで安っぽい印象を受けます。しかし、これもまた当時を語る貴重な標本であり、資料的価値から他の鉱物と何ら見劣りしません。
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持ってみるととても軽い!



2015年05月23日(土) 記事NO.54
海外のレア鉱物(1) ゲルマノコルサイト M12
この日が来るとやっと昼間が長くなった感じがします。フィールドに出ていくのが待ち遠しいです。
鉱山調査を始めた少し前に鉱物の収集が始まりました。海外の石を中心に、ロシア産やナミビアのツメブ鉱山の標本を集めていました。ツメブとは現地の言葉で「カエルの多い地域」とか言うらしいです。たくさんある銅鉱石の表面が変質してクジャク石になり、それが緑色をしているからそう呼ばれるようになったとか。今は坑道が水没してしまってこれ以上の採掘は望めないようです。これからはますますレアになってくるでしょう。
画像は、ツメブ産のゲルマノコルサイトでゲルマニウムを含むかなり珍しい鉱物だそうです。二度と現金採集をしないので私はもう入手できません。
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大きさは2cmくらい



2015年05月16日(土) 記事NO.53
蛍光鉱物観察実験 M11
紫外線を当てるとぼぉ~と光る鉱物を蛍光鉱物といいます。つてを頼りに数多くの鉱物を集め、暗室で観察会を開きました。10個の机にブラックライトと、10種類の鉱物を置きました。参加者に簡単な説明をしてから観察会スタートです。
用意したのは、平岩のホタル石、鹿塩のあられ石、金生山の石灰岩、カナダのフランクリン鉄鉱、ソーダライト、ポーランドのセレナイトなどです。ブラックライトを使うのが初めてという者がたくさんいて、ちょっとおっかなびっくりでしたが、緑や赤、白や青など様々な色の蛍光が観察できました。かなり楽しんでもらえたようです。
その後の太陽がものすごくまぶしかったですが・・・。
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勝浦町立川の紅色石灰岩



2015年05月02日(土) 記事NO.52
日本の稀産鉱物(1) M10
「カニュク石」というそうです。産地は山梨県で鉄とヒ素を含む鉱物です。細かい泥のような粒子が付着しているみたいなのがそれで、水和水も含みます。ということは、乾燥に注意ですね。今は冷暗所に保管中です。
1年ほど前に富士山周辺をまわりました。そのときに時間をつくって産地を見ておけばよかったと思いました。今は進入できなくなっていても遠目からでも見てみたかったです。
私は稀産・・・と言われる鉱物は余り持っていません。産出量がきわめて少なく、産地も限られるような鉱物を入手する機会が少ないからです。それでもときどき心ある方々から季節の贈り物が届きます。私も精一杯のお返しはするのですが、先方に本当に気にいってくれたのか気になります。喜んでいただければ幸いです。
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黄土色みたいな灰色みたいな色



2015年04月12日(日) 記事NO.51の1
古典的標本 その1 M8
鉱山跡を調べる傍らで石の採集・収集もしています。持ち主がお亡くなりになったり興味が薄れて顧みられなくなった石を見つけ出し、再び日の目を見られるようにしています。どうやって探すのかと言えば、結局のところ血と汗の結晶になるわけですが、足が棒のようになるまで行動しているのです。
昭和40年ごろまでは鉱山もまだ稼働していて石を入手しやすかったけれど、その後は急に難しくなりました。ゆえに、それ以前の物を便宜的に古典的標本とよんでいます。実際はもっと古い時代の物になるのでしょうが、さすがに江戸時代とかになるとそれだけの期間続いている旧家であり、且つ石を代々伝える意志があったような家でないと無理でしょう。だから、ほんの半世紀前であっても「古典」とよんで差支えないように思います。
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ケースも骨董品で、
石を敷く綿とラベルは交換済み

2015年04月12日(日) 記事NO.51の2
古典的標本 その2 M9
倉庫の整理をしていると、数年前に収集していた物が出てきました。
生野の斑銅鉱、清越の氷晶石、三宅の灰長石、
土呂久のダンブリ石、杉山の緑柱石、田上山のトパーズ、
定山渓の雄黄、石川の柘榴石、玄倉のアパタイト、
尾去沢の自然銅、久慈の琥珀
などです。
緑柱石は緑色というより薄い水色に近い物で、ダンブリ石は無色透明な頭付きです。また、トパーズは結晶面がはっきりしており、柘榴石は1~2cmの結晶でした。面がとてもシャープではっきりしています。
これらはもう今ではほぼ採集できないそうです。理由は資源が枯渇したから、産地が消滅したから、侵入禁止になっているから・・・など様々です。しかし、確かにそこから産出したという事実はこれらの標本からも明らかです。ゆえに、私たちはこれらを後世に残していきたいのです。

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どれがどれだかわかりますか?



2015年03月29日(日) 記事NO.50
本土に行って大人買い
徳島自動車道と神戸淡路鳴門道路が、3月14日ついに接続しました。おかげでその都度県道に降りていたのが解消され、信号に捕まることなくスムーズに移動できるようになりました。
なかなか走ってみる機会がありませんでしたが、今回お買い物ツアー第○弾・・・ということで走りました。松茂PAから眉山が良く見え、徳島ICからの切り替えも楽チンでした。大鳴門橋から淡路島に渡り、島の中央を突っ切って北淡から海峡を渡ってその先へ・・・。
明石や神戸にはショッピングモールが多数あり、そこへ行って四国では余り入手できない物を大量に買い込むのです。多いときで月に2~3回行きます。ついでにドライブしていくので気晴らしにもなります。ガソリン代と高速料金を気にしながらですが、しばらくは続くでしょう。
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朝早く大橋を渡って開店に備える



2015年03月24日(火) 記事NO.49
遊泉寺鉱山の紫水晶 M7
石川県で有名な銅山の1つが遊泉寺(ゆうせんじ)鉱山で、ここは昔から白色不透明または紫色の水晶を産出することで知られています。かなり昔にはズリを掘り返して採集していたそうですが、今はそれができるかどうかわかりません。
赤茶けた母岩にちょっと色が濃い目のアメジストがあります。先端部が欠けているものが多く、そう大きくはありません。本来は晶洞(結晶ができる空間)の内側に生えていました。それを割って分配した物なのです。プロに言わせてみれば、これは大したものではないようです。
国産の紫水晶ばかり集めている人がいます。しかし、次々産地が進入禁止となり、年を追うごとに入手が困難になっていくようです。まあ昨今の石キチたちの様子を見れば仕方ないでしょう。
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先端に穴が開いているみたい



2015年03月23日(月) 記事NO.48
尾平鉱山の透明水晶 M6
鉱物の代表格「水晶」は二酸化ケイ素からなり、組成式SiO2で表される簡単な物質です。しかし、そのバリエーションはきわめて多く、結晶の色・形状・表面の様子・含有物(インクルージョン)の有無など多岐にわたる項目で分けられます。国内の水晶の産地をすべて集めてみようと、一時期は息巻いていたこともありました。しかし、水晶のことを知れば知るほどそれが荒唐無稽な行為であると思われ、結局断念しております。
大分県の尾平(おびら)の水晶にはいくつか有名なパターンがあります。これもその1つで先端部が透明で根元付近が白く不透明、長さ数cmで幅は5ミリと細長く、クラスターに埋もれていると両頭のように見えたりします。とてもきれいな結晶です。現地では今でも採集できるそうです。ただし、その土地に入らせてくれるかどうかはわかりません。
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和紙に巻いて保存している結晶



2015年03月14日(土) 記事NO.47の1
北海道は冬ばかり(11) その1
ホテルを出るとどこにも立ち寄らずに空港まで来ました。お土産はほとんど昨日までに購入しており、あとはここで調達するのみです。ヒマつぶしもかねていろいろと店をのぞくことにしました。
屋上の展望台は冬季なので閉鎖していました。4階を歩くと学生服姿の高校生がうろうろしています。ボーカロイドの「初音ミク」のショップがありました。雪まつり期間中は「ゆきミク」というそうです。お菓子や小物、バッグなどが置いてありました。思わず子ども用にいくつか購入しました。
帰郷して子どもに話を聞くと、「もっと買ってきてくれたらよかったのに・・・。」と文句を言われてしまいました。ファンだったようです。巡音ルカもよく知っていました。学校にもファンがいるようで自慢してきたそうです。
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ターミナルのゆきミクのツリー

2015年03月14日(土) 記事NO.47の2
北海道は冬ばかり(11) その2
帰りの飛行機が飛び立ちました。行きは伊丹からでしたが、今度は関西を目指します。上昇するとすぐに雲の中に入ってしまいました。
雲の上は快晴です。上の方は濃い群青色で宇宙に近い空。雲の水平線上に飛行機雲が白くとがっています。何本も見えるので航路のようです。マップによれば東北の日本海側上空を飛んでいるらしいですが、まったくわかりません。
気が付けば能登半島を過ぎて、京都から兵庫県北部に入っていました。この辺りは天気が良くて下界がある程度見えました。しかし、正確な場所が把握できません。いつの間にか真下には海が広がっていました。瀬戸内海らしいですが、それのどこかがわかりません。
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淡路島南端の風力発電所

2015年03月14日(土) 記事NO.47の3
北海道は冬ばかり(11) その3
急に窓の景色が一変しました。海際の丘の上に、10基以上の風車が現れたのです。あれは阿那賀(あなが)の炭鉱跡地にできた風車群に違いありません。ということは、この飛行機はかなりの距離を旋回してきたことになります。
関西空港まで真っ直ぐ来れば、時間も燃料も節約できるはず。しかし、航路という決められたルートがあるため数百キロも迂回することになるのです。私が自宅から見上げている飛行機は、必ずしも南から来ているばかりでなく北から迂回してきたものもあることがわかりました。
帰りのバスはのんびりと。3時間もかけて徳島まで帰ってきました。お土産がどっさり、洗濯物もどっさりでした。それにしても、今年度はあちこちにたくさん行きました。四国四県はもとより、静岡・山梨・東京・埼玉・静岡・京都・大阪・兵庫・広島・山口、そして沖縄に北海道・・・と12都道府県を制覇しました。
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淡路島由良の砂州



2015年03月13日(金) 記事NO.46の1
北海道は冬ばかり(10) その1
眼下に札幌の広~い市街地が見渡せます。やや日が差し込んできてオレンジ色になったり、また吹雪いてきて灰色に閉ざされたりしました。
小学校のグラウンドが見えました。黒いごま粒のようなものが動いています。スキーをしている児童のようです。そういえば、数日前に行った手稲山でも地元の小学生が体育をしていました。冬のスポーツが余りないため仕方ないですが、私たちのような南国の者が体験できないことをしています。ちょっとうらやましく思いました。
少しずつ日が陰ってきました。日没まで2時間もありません。緯度が高いので日が暮れるのも早いのです。今夜の行動も予定しているので、そろそろと下山することにしました。
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白い帯となって流れる豊平川

2015年03月13日(金) 記事NO.46の2
北海道は冬ばかり(10) その2
夜になりました。滞在中で最後の夜です。街燈から遠いところは暗くてちょっと不気味で、ニャンパイアでも出てきそうです。・・・いや、今頃はこたつの中かもしれません♪。
雪まつりの準備が急ピッチで進められています。大通公園内に4ヵ所の大物と、他にも小物がちらほら。札幌中心部から離れると、真駒内とか層雲峡とかでもやっています。かなり前に来たとき、支笏湖の氷瀑祭りに行きました。夕闇の迫るなかで色鮮やかな電飾がきれいでした。
さて、私は海鮮丼を求めて彷徨っています。新鮮なサケ・タラバ・ホタテ・ボタンエビ・ウニ・イクラなどを探しているのです。親子丼(サケとイクラ)も好きですし、ワサビをかけたホタテの刺身もグー。サケ・ウニ・ホタテの三食丼も絶品です。
ところが、・・・閉まっていました。困ってしまいました。
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何かと思えばスターウォーズ

2015年03月13日(金) 記事NO.46の3
北海道は冬ばかり(10) その3
藻岩山からの夜景も見たかったです。でもそれは叶わないので、市内の様々な場所でのライトアップを楽しみました。
テレビ塔のライトは公園に面した片面だけ。節電でもしているのか、かなりけち臭い気がします。通りのシャンデリアはとてもきれいですが、行きかう人は見慣れた様子です。JRタワーには行くのを止めました。何だか疲れが出てきたみたいです。
道庁や時計台はいつもと同じでした。やはりひときわ目を引きます。背景に他のビルが映り込まないように注意しました。裏庭には雪がどっさり積もっていました。
明日はいよいよ帰郷します。飛行機がきちんと飛べばよいのですが・・・。
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ただいま午後5時50分



2015年03月12日(木) 記事NO.45の1
北海道は冬ばかり(9) その1
札幌市滞在も今日が最後となりました。そこで、なかなか行く機会がなくて行きたかった場所へ向かいました。札幌中心部から南へ車で20分。市街地を見下ろす「藻岩山(もいわやま)」です。
山麓すぐ近くまで住宅地が迫っていて、まるで徳島市の眉山(びざん)のようです。また、ロープウェイで登れるたり動植物が豊富なところもよく似ています。ルチルやピーモンタイトはないでしょうが、何か鉱物が採れるのでしょうか?
ケーブルカーの分までチケットを購入して乗り込みました。ここは必ず添乗員さんが同乗して説明してくれます。おかげでいろいろと面白そうなことがわかりました。天気が良ければ遠くの島まで見えるそうですが、この日はかなり吹雪いていました。
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駅にいるマスコット「モーリス」

2015年03月12日(木) 記事NO.45の2
北海道は冬ばかり(9) その2
森林地帯の上をゴンドラが進みます。西方には「手稲山」が見えました。また誰かがスキーで滑っているのでしょう。北方には札幌市街地とその向こうに石狩湾、東方には・・・わかりません。ずっと向こうは夕張でしょうね。
10分くらいで山頂近くの駅に着きました。ここでケーブルカーに乗り換えです。北海道限定のポテチとかチョコとか売っていました。しかし、それらは後回しで先に山頂へ向かいました。ケーブルカーというより・・・カタパルトで発信間近の宇宙船に乗っている気分です。雪よけの屋根の下から急に現れるとびっくりするでしょう。同乗者が面白そうに風景を連写していました。急な斜面を登ってやっと本当の山頂です。
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のんびりとゴンドラで行く

2015年03月12日(木) 記事NO.45の3
北海道は冬ばかり(9) その3
すっかり曇っていました。山麓すらまともに見えません。展望台は雪かきされていて滑りません。周囲の豪雪がうそのようです。
森林には野生動物がいます。野鳥やエゾリスなどです。しかし、この日は結局出会えませんでした。山麓から徒歩でここまで登ってくるハイカーがいました。ストックを両手に持ちゴツイ感じのブーツを履いています。雪の中を2時間くらいかかるようですが、日課としてやっている人もいます。
建物以外に電波塔や六角堂があります。いざというときシェルターになりそうです。
ランチは高級感あふれるパスタでした。青のり・・・じゃなくバジルが散らされていました。質より量の私はかなり物足らなかったです。オゴリだったので値段は聞いていません。ごちそうさまでした!
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恋人の聖地って室戸にもあったね


2015年02月26日(木) 記事NO.44
海苔はミネラルの宝庫
本県の吉野川では、毎年冬になると海苔の養殖が行われます。浅い河口に杭を打ち網を張って種を植え付けます。2か月くらいかけてそれが成長し、やや緑がかった藻がネットに貼りつくのです。わざわざ河口まで足を運んでみる価値は十分あります。
海苔はミネラルが豊富です。カルシウムやマグネシウムなど身体に必須の金属が含まれているのです。まさか石灰やドロマイトを食べるわけにはいかないので、きちんと消化されて身体に吸収される化合物でないといけません。
私は最近よく小魚や海藻を食べます。私の親の時代は、おやつと称してそういった物をよく食べていたそうです。確かにおやつ代わりに煮干しや豆などポリポリ食べ始めると病みつきになります。神岡の板状方解石を見ながらそう思ってしまいました。
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淡路島西部に広がる養殖場



2015年02月24日(火) 記事NO.43
尾太鉱山の砲弾水晶 M5
鉱物収集の初期の頃、入手した1つがこの水晶です。砲弾型と言われるずんぐりむっくりな形の結晶が集合し、裏面には黄鉄鉱などが見られます。最初は何となく紫がかった水晶かなって思いましたが、実際に見てみると白色の結晶ばかりでした。ちょっと残念でしたが、大きさは15cm以上もあるので充分満足しています。
その後、尾太(おっぷ)の水晶や鉱物をいくつか入手できたので、これも交換リストに入っています。ただし、大きさにちょっとした価値があるので安請け合いはできません。他にも菱マンガン鉱や黄鉄鉱などもあります。
現地は沈殿池などの施設を残すだけで、今は何も採れないそうです。鉱山稼働時に採掘された物を地元の人々が持っています。それの一部が売りに出されてすっかり流通してしまいました。価格が下がったのでマニアには狙いどきでしょう。
このように産地の荒廃につながらず、特に不法行為もないようでしたら石の売買に目くじら立てることもありません。
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交換できるがそれなりの物と・・・



2015年02月12日(木) 記事NO.42の1
北海道は冬ばかり(8) その1
ここへ来るのはもう何度目でしょう。しかし、そんなに熱心に散策したことはありません。そこで、あまり行ったことのない場所へ、観光客が行きそうにもない場所へ、待ち時間をすべて費やすことにしました。
定番スポットは修学旅行生や海外客に引っ張りだこでした。ベストポイントを探して同じような場所を大勢が歩いていました。赤レンガの倉庫群がある南エリアが人気です。ガラスやオルゴールなど、カップルが好きそうなアイテムショップも多く、寿司やラーメンなど飲食店も充実しています。
しかし、それらはハズレが少ない半面、他の人たちと同じような体験しかできません。時間を損する可能性があるけれど、他人とはまた違った小樽を見たいと思いました。
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夕暮れに街燈が灯される

2015年02月12日(木) 記事NO.42の2
北海道は冬ばかり(8) その2
お客どころか一般人ともほとんどすれ違いませんでした。離島への航路がある小樽港はシン・・・と静まり返っています。海洋保安庁のコーストガードや灰色の貨物船などが停泊していました。
時刻は午後5時を回ったところです。気温が下がってきて路面が凍結してきました。歩道は人ひとりがやっと通れるくらいしか除雪していません。積雪は1mくらいありそうです。
運河の北エリアもひっそりしていました。港湾へとつながる場所です。空は薄く曇っていて、運河の水も濃い鉛色をしていました。いかにも重たそうです。そういえば鳥の姿を見かけません。夜が近いのでどこかねぐらへ潜り込んでしまったのでしょう。私も宿舎が恋しくなったので移動を始めました。
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さっき船が出て行ったところ

2015年02月12日(木) 記事NO.42の3
北海道は冬ばかり(8) その3
おしゃれな店を数軒回りました。若い女の子向けのショップです。・・・違和感がメチャクチャありました。でも店員も他の客もまったく気にならず。子ども向けのお土産を選ぶなら、どこへでも神出鬼没します。
とっぷりと日が暮れてから、雪の小道の脇にあった小店に入りました。遠くには天狗山スキー場の灯りが見えます。ナイターでもしているのでしょうか。閑話休題、万華鏡を見ていました。赤・白・緑の3タイプがありました。きれかったけれどすぐに飽きてしまいました。
いろいろと物色しました。予算の都合もあったので雪だるまを2つ購入しました。ブルーとピンクのマフラーをしています。まるで、アイオライトとピンクトルマリンのようです。今はうちの玄関に飾られています。
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かまくらの様な佇まい



2015年02月11日(水) 記事NO.41の1
北海道は冬ばかり(7) その1
深海に生息する生物が浅いところで見つかっています。日光の差し込まない暗闇の中、何千気圧という水圧と数度しかない冷たい世界で暮らしています。当然その姿は浅瀬にいる生物とは異なるわけで、世にも稀なその身を見られるのは幸運なことでしょう。
深海の生物展をしていました。そこで、最近捕獲された「ダイオウイカ」を特別に見せてもらいました。ポニョにも登場した巨大なイカで、深さ1500mの深海でマッコウクジラと戦っているそうです。大きな眼は握りこぶしくらいもあり、大きいものでは全長15mもあります。
が、ここにいるのはかなり小ぶりな個体でした。それでも全長4mあり、エサ取りに使われる食腕がかなり長いです。イカとしての臭いが倉庫内に漂っていました。あまり旨そうではないです。
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マイナス40℃の冷凍庫にいた

2015年02月11日(水) 記事NO.41の2
北海道は冬ばかり(7) その2
またお目にかかりました。深海の巨大ワラジムシ君です。体色はグレーなのでしょうが、ライトの関係でオレンジ色になっています。10ヵ月前の沼津でも同じでした。長期絶食の記録を保持しています。
この個体はほとんどじっとしていましたが、表皮がつやつやしていて元気そうでした。部屋の温度は熱からず寒からずといったところで、アイソポッドとしては適温なのでしょう。水圧が低くなっても大丈夫のようです。
他にも発光器官を持つ生物や大口の魚もいました。それらはすでに標本になっていました。さすがにリュウグウノツカイみたいな大型標本はなかったです。個人的には見たかったけれど・・・。
外は雪の世界です。凍っています。深海は凍らないでしょう。
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ダイオウグソクムシ

2015年02月11日(水) 記事NO.41の3
北海道は冬ばかり(7) その3
オウムガイは頭足類の仲間で、進化の過程でアンモナイトと分化した現生種。世界にはオオベソとかヒロベソとか5種類くらいいるらしいです。某学校には液浸標本があります。私は殻だけ持っています。ビーチコーミングの世界ではレアものです。
これは生きています。殻内部の気体による浮力で浮いています。昼間は数百mの深さにいますが、夜になると数十mまで上がってくるとのことです。タコとかイカとかと同類ですが、あまりおいしくはないみたいです。青白いライトでアップされてとても幻想的でした。殻の縞模様がくっきり浮かんでいました。
それでは私も昼の世界に戻ります。
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まるで4匹いるみたい



2015年02月10日(火) 記事NO.40の1
北海道は冬ばかり(6) その1
旭山動物園は遠すぎるので、円山動物園に来ました。この積雪と時間帯、それと平日であることからほとんど来園者がいませんでした。貸し切りに近い状態です。
白い雪の上に白いアヒルが丸まって座っています。じっとしていてしかも保護色だったので、急に動いてびっくりしました。園内はある程度雪かきされていて歩きやすかったです。小型のラッセル車がありました。同行者が興味深く見ていると、その機械を稼働して試しに雪かきしてくれました。
エゾシカが数頭いました。角は切ってあり、まるで奈良公園の二ホンジカです。
エゾシカの角を売っていました。先までとがった立派な物で3500円でした。買わなかったけれど・・・。
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動物園の正門前はアイスバーン

2015年02月10日(火) 記事NO.40の2
北海道は冬ばかり(6) その2
今年の干支がいました。横たわる三日月・・・として有名なしつじ、ではなくてひつじでした。目つきなど人相(羊相?)は悪いですが、キリンとちがってつばを吐きかけてこないし、ヤギとちがって後ろからどつきに来たりしません。気温マイナス2度でしたが、自前のウールは耐寒性抜群のようです。
ビーバーがいました。小さなダムを造っています。この日は寒いのか2匹が丸くくっついて寝ていました。エゾリスがいましたが、あれは野生でしょうか。ゼニガタアザラシが円形の水槽内を泳いでいました。カメラ目線に弱いのか、こちらの前に差し掛かると急に背泳ぎになります。ぷっくりと膨れたおなかは誰かさんのようです。姿見の前では納得しました。
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おしくらまんじゅう・・・の状態

2015年02月10日(火) 記事NO.40の3
北海道は冬ばかり(6) その3
釧路や網走で見たオジロワシの代わりに、オオワシがいました。翼を広げると2m以上で北海道に棲んでいます。タンチョウという鶴もいました。頭のてっぺんの毛が薄くて血の色が透けて見えます。
熱帯ゾーンはかなり暑いうえに臭いがこもっていて閉口しました。小動物コーナーにはウサギやラットがいて、他の観光客が触っていました。サルの檻にも行きましたが、何だか入場できないようで断念しました。ニホンザルの北限は下北半島ですが、ここでは数頭飼っているそうです。その後、コンビニでお土産やおやつを物色しました。ホワイトベアーのぬいぐるみがきれいだったので、小さい甥や姪のために買いました。
結局2時間くらいここに滞在しました。
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悠然とたたずむ猛禽類



2015年02月09日(月) 記事NO.39の1
北海道は冬ばかり(5) その1
手稲山を下りて20分。他のメンバーと分かれ、雪ばかりの道を札幌方面に戻りました。天気が良くて外歩きには好都合です。普段あまり行かないところへ・・・ということで、某サッカーチームの練習場に来ました。と言っても見渡す限り雪原ですから誰もいません。電灯の支柱が陽炎のように揺らいでいました。
同じ札幌市内でも中心街を離れると融雪装置の整備はないようです。やや融けだしたアイスバーンに足を取られて転びそうでした。某ショップで北海道産アンモナイトや夕張の砂金・砂白金、水晶などを売っていました。ヒグマの出るような場所へ行って採ってくるそうです。買う必要はないので目の保養だけさせてもらいました。
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雪に埋もれた少女もこの時期だけ

2015年02月09日(月) 記事NO.39の2
北海道は冬ばかり(5) その2
南に連なる山々を見ながら、私たち別行動班はお洒落なレストランにやって来ました。本日のお昼はカレーです。これが流行り出したのは10年くらい前でしょうか。なかなか腹いっぱいになりませんが、味はピカイチです。どうせならスパイシーなものをと思い、一番の辛口をオーダーしました。
待つこと15分。ようやく赤いルーが入った器が運ばれてきました。丸ごとゆでたポテトに細く切ったキャロット、オニオンは輪切りでボイルドエッグが添えられていました。食べ方は特に決まりがなく、ライスを器に入れても良し、カレーと交互に食べるのも良し。この後も時間がたっぷりあり、焦る必要はないのでゆっくりと食しました。さすがにライス1杯では満足できないのでもう1杯頼みました。
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札幌名物スープカリーのセット

2015年02月09日(月) 記事NO.39の3
北海道は冬ばかり(5) その3
石屋へ行きました。石ではなく有名なお菓子を売っていました。個人的には特に好きでも嫌いでもないのですが、家族一同から購入伺い・・・でなく購入命令が下っていたため、思わずたっぷり買ってしまいました。
出入り口のところにクリオネが泳いでいます。最大2cmくらいの貝の仲間で流氷と一緒にやってくるそうです。何とかの妖精という2つ名を持っていますが、肉食でありなかなか獰猛な生物です。奥のガラス棚にエメラルドがありました。緑柱石ともいってベリリウムを含む鉱物です。透明度が高い物は宝石となり、ひび割れの少ない物はより希少価値があります。大きさは負けていますが、透明感や緑色の濃さでは私のとタメを張れるかもしれません。
さて、そろそろ自由時間は終わりです。みんなと合流しましょう。
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高さ3mの大きなスノーマン
ニンジンじゃないのでオラフでない


2015年02月08日(日) 記事NO.38の1
北海道は冬ばかり(4) その1
札幌から車で40分。高層道路を走っていると、眼前に真っ白な冬山が迫ってきました。標高1023mの手稲山です。規模の大きなスキー場があり、平日でもまあまあの人出でした。
バスを降りるとそこはまさに銀世界。足元はツルツルしていて油断すれば転びそうです。パウダースノーとよばれるサラサラな雪質で、四国の雪みたいに水っぽくなく重たくもありません。一方で、雪合戦には不向きです。雪玉を作るときは素手で雪を丸めて、体温で一部を融かさないと固まってくれません。スキー教室の子どもたちが、昼休みに雪玉を作って遊んでいました。
今日は久しぶりの晴天です。厳冬期には珍しいことだそうです。しばらくこの山中を徘徊してみることにしました。
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山頂にはTVやラジオの電波塔

2015年02月08日(日) 記事NO.38の2
北海道は冬ばかり(4) その2
スキー客に混じってゴンドラとリフトで山頂まで行ってみました。足元にはホテルで借りた長靴を装着しています。駅から一歩足を踏み出すと、ズボッという感じで膝近くまで雪に埋もれました。カメラはしっかりと手に持って離しません。
見上げると真っ青な空に吸い込まれそうです。そして見渡す限りは銀世界。照り返しが強く雪焼けしそうです。林の木々にびっしりと霧氷が付いています。シラカバでしょうか。モミのような木にはまだ緑色の葉が付いていて、それに積もった雪の白さでクリスマスツリーみたいです。
つい感動してしまって、気が付けば何十枚もシャッターを押していました。私の同行者は、雪の中にダイブして雪に人型を作っていました(笑)。
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青空に白い霧氷が映える

2015年02月08日(日) 記事NO.38の3
北海道は冬ばかり(4) その3
星置川で砂金が見つかり、その上流の手稲山に鉱床が見つかって手稲鉱山が稼働していました。採掘対象の主な鉱物は黄銅鉱でしたが、他にも金や銀、亜鉛なども産出していました。また、珍しい鉱物としてテルルを含む手稲石やヒ素などを含む渡辺鉱などが見つかっています。スキーヤーのメッカは、鉱物採集のメッカでもあったわけです。
今回は一面の雪のため石ころ1つ見つけられない状態でした。それにこの山のほとんどの産地が侵入禁止になってしまったそうです。心無いマニアや業者が跋扈しているのでやむを得ない処置でしょう。私たちもそうならないように行動には充分気を付けようと思いました。
昼が近づいてきたので、これから下山します。
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石狩湾が遠望できた



2015年02月07日(土) 記事NO.37の1
北海道は冬ばかり(3) その1
この季節、札幌では午後5時には暗くなります。辺りはすっかり灯りの街と化していました。歩道は融雪装置が働いてほとんど雪がありません。昔を知っている者からすれば大変歩きやすくなりました。それでも大通公園や旧北海道庁などはまだまだ雪に埋もれていました。
夕食や買い物ができる観光客向けの施設がいくつかあります。若い子向きのにぎやかな場所を避けて、少し落ち着いた空間を探しました。とりあえず今夜は・・・ラーメンです。みそ味のサッポロ、しょうゆ味のオタル、塩味のハコダテなどをベースとして、お好みの店を探しました。カニ・イクラ・ホタテなど海産物がこれでもかってくらい入っているラーメン(?)。それはパスしてコーンと牛乳とバターの入ったものを試してみました。味はまずまずでした。夕食前の軽い食事はは終了です。
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サッポロファクトリーのネオン

2015年02月07日(土) 記事NO.37の2
北海道は冬ばかり(3) その2
せっかく来たのでお土産をあさりました。板張りの通路のあちこちに店があります。目立たないような造りになっているため、まるで隠れ家を散策するようです。これが北海道旅行記念のお土産・・・と言えるような物はなかなか見つかりません。
ある店がトンボ玉を置いていました。ガラス製で孔があけられており、そこにひもを通して首飾りや腕輪にしていた筒状または球状物です。東南アジアや西アジア、南米産と書いてありました。価格帯は○千円くらい。昔はガラスの製造技術が発達していなかったので、空気の泡や筋がいくつも含まれています。一方で、これらには紛い物が多く私は本物を見抜く目を持っていません。興味はありましたが、購入を断念しました。
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サッポロビール園の屋根の積雪

2015年02月07日(土) 記事NO.37の3
北海道は冬ばかり(3) その3
1時間ほど歩き回ってまた小腹がすいてきました。本番の夕食はこれからです。今度は赤辛みそと焦げた野菜とチャーシューがのった大盛りにしました。海苔の風味が食欲を誘います。米が欲しくなったのでチャーハンも頼みました。
食後の運動はまた外です。気温は氷点下で寒いはずですが、腹の中が温まっているので服を着込むと汗が出るくらいでした。童心に帰ってわざと雪を踏むようにして歩き回りました。
最後のしめはさっきの海産物ラーメンでした。カニの足を食べるのに難儀して少しさめてしまいました。やっぱり最初にしておいた方がよかったです。それから、コンビニでご当地カップラーメンを買って部屋に戻りました。これから夜食の時間です。
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ビールの蒸留器など



2015年02月06日(金) 記事NO.36の1
北海道は冬ばかり(2) その1
翌日は晴れていました。札幌から南へ100km、白老のポロト湖へ行きました。アイヌ語でアブの多い場所という意味のシラルオィから付けられた地名だそうです。
湖というか大きな池はすっかり凍結していました。積雪がなければ天然のスケートリンクになります。また、ワカサギ釣りもできます。ちょうど対岸のハウスから除雪用の車が出てきて、積もり積もった雪をラッセルしていました。スノーモービルも何台か走っていました。
ウトゥという神様を祀る飾りが付けられていました。木の皮を薄くはぎ取ってくるくると縮れさせた飾りみたいです。同じような物を赤道直下のボルネオ島の民族博物館で見たことがあります。5000kmも離れた民族が同じ物を使っていると思えば、大変興味深いことです。
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四国ではお目にかかれない光景

2015年02月06日(金) 記事NO.36の2
北海道は冬ばかり(2) その2
私がいるのは湖東岸のポロトコタンです。アイヌ民族資料館も兼ねていて、村長の巨大な像が目を引きます。チセという家屋の軒下にサケをたくさん干しています。アキアジとも呼ばれて、当時のアイヌの人たちにとって冬を乗り切る貴重な食料でした。焼いたルイベはとてもおいしいです。
ギョウジャニンニクもなかなかグッドでした。
チセの屋根裏は炭でいぶされて真っ黒でした。そういえば、白川郷の合掌造りの屋根裏も同様でした。囲炉裏があるからでしょう。ちろちろと燃える火を囲んで、家族が集まって一緒にご飯を食べたり、そういったほのぼのとした団らんに憧れます。
おとうさん犬の子孫がいました。ちょろちょろと動いてとてもかわいいです。アイヌ犬でした。
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腹に枝を差し込み広げて乾かす

2015年02月06日(金) 記事NO.36の3
北海道は冬ばかり(2) その3
すぐ南側を鉄道が走っています。車道もありますが、町の人口がそう多くないため余り幅広くはないです。札幌に比べて太平洋側は積雪も少ないとのことでした。
施設から外に出ると4軒ほど土産物屋がありました。今までここに何度も来ていますが、そのうち何回かは大きな買い物をしています。木彫りです。特にフクロウが好みで自宅に何体も飾っています。シラカバやイチイ、埋もれ木などから作られていました。何かビビッとくる物があれば買おうとしましたが、時間がなく他を当たりました。
また、北海道産の石がありました。十勝の黒曜石は持っているので、他にないかと探しました。外国産ばかりでした。
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底が浅いので内水面用だとわかる



2015年02月05日(木) 記事NO.35の1
北海道は冬ばかり(1) その1
すっかり冬になってしまったある日の午後、私は空港にいました。徳島から札幌(千歳空港)へ行く飛行機コースは全部で5つあります。夏季限定の徳島から直行、高松から直行、バスで移動の後で神戸から、伊丹から、関西から直行便があります。また、徳島から東京羽田にワンクッションしてから向かうという方法もあります。
どれを利用しても費用と時間がかかるのは同じです。ということで、今回は伊丹から飛び立つことにしました。この空港に来るのはウン十年ぶりで、そのときは東亜国内航空という会社のYS11型プロペラ機に乗って、徳島空港まで飛びました。片道30分でしたが、きれいなアーチ状の小鳴門橋が眼下に見えました。そのとき、まだ大鳴門橋はありませんでした。
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街中にある大阪国際空港

2015年02月05日(木) 記事NO.35の2
北海道は冬ばかり(1) その2
離陸後の飛行機は順調に進み、本州中央を横断して南アルプスの北を通過しました。天候は比較的穏やかで、数日前の大荒れがウソのようでした。万一飛ばなかったらどうするか、シミュレーションを繰り返して対策を練っていましたがあっけなかったです。
途中で下北半島の西海岸線が見え、そこもウン十年前にバスで走った場所でした。確か恐山に行った帰りに下風呂温泉に宿泊して、尻屋崎で寒立馬を撮影したときでした。あの頃のカメラはフィルムばかりで、ピントも自動ではなく被写体が動くと写すのにかなり難儀しました。今はデジカメが主流で誰でも簡単に何百枚も撮影できるようになりました。隔世の感があります。
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奥羽山脈の独立峰のどれか

2015年02月05日(木) 記事NO.35の3
北海道は冬ばかり(1) その3
空港内は15℃でも空港の外はマイナス4℃だそうです。しかし、寒さはそう感じられませんでした。私は上4枚下3枚を着込んでいましたが暑いくらいです。スカート生足の学生やTシャツ姿の外国人などがいたくらいですから。おそらく風がないので体感温度がそう下がっていないからでしょう。
千歳空港からハイウェイバスで札幌を目指しました。時刻は17時を回ってすっかり暗くなっています。日が落ちると急に気温が下がって、道路は凍結し始めていました。窓を開けると車内の湿気により凍り付いて、窓がうまく閉められなくなるそうです。見栄えのしない風景を眺めながら席に座っていました。約40分で札幌市内に着きました。
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途中のSAで休憩したら凍った



2015年01月17日(土) 記事NO.34の1
丹後半島お買い物ツアー その1
ある晴れた日、雪が来る前に京都北部へドライブに出かけました。石が目的ではなくまだ行ったことがない地域を見てみようと思いました。すると案の定、家族がついてくると言い出し、しかも親類まで一緒に行きたいと言われ、車数台の大所帯での大移動となりました。
途中のSAで休憩すると、女性陣は早速買い物です。丹波の豆をつかったお菓子や生ものなど、次々かごに入れていました。初っ端からこれでは・・・、今日はいくらお使いになるのでしょうか?何となくサイフをギュッと握りしめていました。
子どもたちは手持無沙汰でぶらぶらしています。そして、目がキラッと光ったかと思いきや・・・たこ焼きの前に並んでいました。こうして、さっき触ったばかりのサイフから紙幣が数枚消えていきました(泣)。
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うまそうな枝豆をいくつか買った

2015年01月17日(土) 記事NO.34の2
丹後半島お買い物ツアー その2
高速を走ること約4時間で、目的地周辺に到着しました。見たまんま全長4kmにわたって砂州が続いています。対岸の傘松公園からながめました。さすが日本三景の1つだけあってなかなか良い眺めです。股下からの眺めも格別でした。
ケーブルカーを降りたところで昼食。名物というべきものがなかったので、無難にうどんをすすってから買い食いしました。焼きちくわ、イカの一夜干し、小魚の干物など海産物を次々口に入れていく傍らで、女性陣は次々かごに入れていました。本当にいったいいくらお使いになるの?後からの請求を考えると頭が痛くなってきました(苦笑)。
この後、舞鶴方面へ行くか城崎方面に行くかでちょっと意見が分かれました。でも時刻は予定をかなり過ぎています。そこで、半島東岸を北上することにしました。
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緑の松原が続く天橋立

2015年01月17日(土) 記事NO.34の3
丹後半島お買い物ツアー その3
伊根に行きました。ここの海岸に面した集落は「舟屋」といって、自宅1階から直接漁船を出漁させることができます。その独特の構造と景観から観光名所となっていて、朝ドラのロケ地にもなりました。今でも約230軒が軒を連ねています。
観光船に乗りました。カモメやトンビが群がってきてエサをねだります。手持ちのパンくずを放り投げると・・・ナイスキャッチ!なくなってもしばらくついてきました。波の静かな湾内に入ると、船を入れる空間がぽっかり空いた家屋が密集していました。奥の方に何そうか船が見えます。まるでどこかの時代にタイムスリップしたかのようでした。
道の駅に立ち寄りました。車がかなり混んでいましたが、しばらく待ってやっと駐車できました。子どもたちは寒いのにソフトクリーム、女性陣はまた乾物漁りです。「おやつ」と呼んでいるいろいろな小魚の干物をかじりながら、ようやく帰途につきました。
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潮のにおいと波の音だけ



2014年12月25日(木) 記事NO.33の1
H・Pの世界 その1
朝一でホテルをチェックアウトした後、再び非現実の世界へやって来ました。ほとんどのお客の目的は最新のアトラクションのようです。この区画は人気が高いので人が多くなると入場制限がかかります。門が開くと我先にと右の方の街並みへ人が押し寄せました。
そうした人混みを避けて、私たちは左の方から回ることにします。まず恐竜を見に行きました。最盛期に3時間待ちもザラだったそこは・・・、なんとガラガラでした。子どもが素直な感想を漏らすとスタッフが苦笑しています。朝のうちはお客の大部分があっちに流れるため、奥の方は閑古鳥が鳴く状態でした。ちょっと気の毒でしたが仕方ないですね。大滝への落下で濡れるらしいですが、コートも着ずに乗り込みました。ハマらないけどなかなか面白かったです。
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有名な魔法学校

2014年12月25日(木) 記事NO.33の2
H・Pの世界 その2
車のタイムマシンに乗ってちょっと気分が悪くなりました。他の場所にはまだ人が少ないので乗り放題でした。待ち時間は長くても15分って、これはよほど人気がないのでしょうか?某映画のワンシーンみたいでした。やはり新アトラの影響のようです。
予約時刻がきたのでその区画へ行きました。入場券を示すとスムーズに入れて、歩くこと5分で魔法の世界でした。うちの家族がこれらの大ファンで、まるで本当にそこへやって来たみたいです。いったいいくらかかっているんだろう・・・と場違いな疑問を思い浮かべながら、最奥を目指しました。ハネイノシシの下をくぐると初めての行列に並びました。予約券を持っていてもさすがに人気あるだけあって、30分もかかりました。もっともそれがない場合は待ち時間270分です。
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魔法の何たらは全てここでそろう

2014年12月25日(木) 記事NO.33の3
H・Pの世界 その3
空飛ぶホウキの代わりに座席がグルグル回るので、すっかり乗り物酔いしています。子どもはすっかりグロッキーになってしまい、立ち直るまでに1時間もかかりました。ここで○○クソ味のアメをなめると、今日は完全に店じまいになりそうです。
子どもを休ませている間にカエルチョコを買いました。跳んで逃げたりしない代わりに、硬くて分厚くて文字通り歯が立ちません。石にぶつけていくつかのブロックに割って口の中にいれました。バタービヤー(ビール)の行列にも並びました。甘くてプリンのような味のノンアルコール飲物です。私たちの後で売上100万杯を達成したようです。持って帰った容器はペン立てになりました。500円は高かったけれど。
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マンドラゴラの悲鳴が聞こえる

2014年12月25日(木) 記事NO.33の4
H・Pの世界 その4
イギリスの食文化を体験しました。
フィッシュ&チップス。大ブリテン島東方の漁場ドッガーバンクスからとれる豊富な魚と、本土でとれるジャガイモを素揚げした物らしいです。本来はスナック感覚で食べられ、大衆紙サンの包み紙で巻かれています。食べれば食べるほど新聞のゴシップ記事が現れてくるので、それも楽しみながら食べるのだそうです。戦争になって輸入が途絶えたとき、英国民はこの粗末な食事で打開策を見出すまで耐えます。それに対してうちの国はどうなっとるのかね?
他にも火であぶったコーンとかウインナーなど一通り完食しました。そして、滞在4時間の後に現実世界への帰途につきました。
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現実の英国にも行ってみたい



2014年12月24日(水) 記事NO.32の1
クリスマスUSJ その1
個人的には温泉にでも行きたかったのですが・・・。と、いきなり愚痴が出ています。毎年この季節はどこかへ行きたくなって、雪の見える湯船につかってのんびりくつろぎたいと考えてしまいます。そこで、旅行社でいくつかパンフを取り寄せて見たり、ネットで検索したりしていました。
ある日、家族から急に1枚の紙を見せつけられました。USJ○○ホテル宿泊?何それ?おいしいの?しばらく思考停止状態になり、その後気を取り直して尋ねると予約完了とのこと。チケットもネット予約できているとのこと。子どもの了解もあるとのこと。
こうして外堀も内堀も埋められて、大阪冬の陣が始まりました(苦笑)。戸外では北風が強く吹き始めていました。
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USJ中池の夕暮れ

2014年12月24日(水) 記事NO.32の2
クリスマスUSJ その2
三田アウトレットでお買い物ツアー(この冬の休日は、こればっかり続きます。)の後、現地へ速やかに移動。まず、ホテルにチェックインです。この日は予想通り混んでいたので、かなり時間がかかりました。幸いにも駐車場が空いていたので、そちらの心配はなくなりました。
部屋に荷物を入れて、チケットや防寒対策などの準備を確認し、いざ出陣です。スターライトによる入場なので、門は余り混んでいませんでした。クリスマスイベントまで間があるので先に夕食です。予約していたイタリアンではピザやパスタを注文し、今夜の活動に備えて腹を満たしました。その後、現地を下見して座れる場所を確認したり、空いていたアトラクション(ジョーズとか)に入ったりしました。
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夜になり点灯したビッグツリー

2014年12月24日(水) 記事NO.32の3
クリスマスUSJ その3
残りわずか数枚というところで特別席チケットを手に入れ、特設の出入り口から会場に入りました。自由席の会場はすでに満員御礼状態で、芝生の上は人であふれています。仕方なく冷たいコンクリの小道の上に座りましたが、逆にこれが功を奏して誰も占有していなかったため自分たちの場所がゆったりと取れました。しかも中央で隅々まで良く見える特等席みたいでした。
間もなく定刻を迎え、唐突にショーが始まりました。音楽とともに真正面の白壁が色づきました。少し前の時代のヨーロッパのような風景が次々映し出されます。立体的に見える特殊なライトアップで、大変キレイでした。
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大聖堂を思わせる映像

2014年12月24日(水) 記事NO.32の4
クリスマスUSJ その4
カップル登場の後で女神が現れたり天使が飛んだり、とても派手なショーでした。ストーリーはさて置き、色彩豊かで光学映像技術をふんだんに用いて、観客が飽きないようにしっかり設計されていました。
最後のしめは花火の連発でした。白い軌跡の中規模打ち上げ花火が次々空で光ります。この光は明るいからマグネシウムかな?・・・などと、場違いな考察を巡らしているうちに、最後の爆音とともに終了しました。上空から天使の羽根(に見立てた紙片)が何百枚も落ちてきました。記念に何枚か拾ってホテルに帰りました。腹がつっかえて某アトラクションに乗れなかったのはナイショです。
さて、後日とある場所で天使の羽根(のような石)を拾いました。気になる方は他のコンテンツも見てください。
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フィナーレを飾る光の帯



2014年12月23日(火) 記事NO.31の1
沖縄本島を訪ねて(4) その1
先天的に色素を失った動物を白子(アルビノ)と言いますが、実際には真っ白ではなく黄化現象といって黄色くなる場合がほとんどです。例えば、富山県で見つかったキンイワナ、金華山の白鹿などがそれです。自然界では元々発生個体数がきわめて少ない上に、白色が目立ちやすく外敵の攻撃を受けやすいこと、遺伝的に虚弱体質のものが多くて寿命が短いなどの理由で淘汰されてしまうそうです。しかし、養殖魚発育の標識にされているアルビノニジマスのように人為的に白子を固定化したケースもあります。
白蛇もまた神の御使いとして、昔話にも数多く登場します。なかには神様そのものだったりします。今回の旅でも遭遇できて実際に手で持つことができました。ややひんやりとして皮膚がすべすべでした。意外と重かったです。神様かもしれないので、丁重に両肩に載せて再び木に巻き付いていただきました。
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アルビノニシキヘビの○○君
(名前忘れた)

2014年12月23日(火) 記事NO.31の2
沖縄本島を訪ねて(4) その2
那覇市内の雰囲気はどこの町ともそう代わり映えしませんが、小さな店とか街路樹をよく見ればやはり違います。原色豊かな魚介類が普通のスーパーで販売されているし、道の駅では今朝採れたてのフルーツが並んでいました。四国では数百円もする物がここでは数十円なので、さすがに地元産だと感心します。
露地もののサトウキビは太くて品種が異なるかもしれませんが、徳島県で栽培されている和三盆糖のサトウキビとは異なります。噛んでみると白くて少し甘い汁が出てきました。繊維が多くて呑み込めず、何度か噛めばそのままプッと捨てます。ちょうどアケビの食べ方と同じでした。
ふと足元を見ると、町中になぜかサンゴの欠片が落ちていました。ここが沖縄であることを思い出されました。
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ハイビスカスのお茶は酸っぱい

2014年12月23日(火) 記事NO.31の3
沖縄本島を訪ねて(4) その3
初めて沖縄を訪れたのは○十年前ですが、そのとき初めて訪れた観光地がここです。と言っても夜の十時ごろでしたから当然閉まっていましたが・・・。ただ、外灯に照らされた門構えだけを覚えています。その後は南西諸島ばかり回っていたので本島にはほとんど寄り付きませんでした。
昼間に明るいところで見れば本当に真っ赤でした。建物の外観も内部も真っ赤っか。ベンガラ?鉛丹?それとも水銀朱?調べていないのでわかりませんが、何を使っていたのでしょう。またゆっくり見てみましょう。石の代わりにサンゴと貝殻を入手しました。
これにて今回は終了です。また後日来ることがあるかもしれません。そのときは石の旅にしたいですね。
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久しぶりの守礼門



2014年12月19日(金) 記事NO.30
安芸の宮島
8ミリや16ミリフィルムが全盛だった頃、スローモーションやその逆の映像を表現することはまだ難しかったです。例えば、ラケットにボールが当たる瞬間にUFOみたいに変形することや、夜空の星座がどのように動いていくかを視聴者にわからせるため、その撮影技術の向上が求められました。
秋の宮島の干満をネタにした科学映画がありました。昼間の12時間でどのように潮の満ち引きが起こるか、フィルムで投影されたものを見て学習しました。高校生のときです。大学時代に私も映画作りに没頭し、どのようなアングルで撮るかコマのスピードはどれくらいか研究して、たった5分の映画に3か月もかかりました。今は誰でももっと手軽に作られるようになりました。技術の発達・発展はすごいです。
でも、古い物にも見返してみれば様々な発見があります。当時の貴重なフィルムやその映写機を県立総合センターに寄贈しています。興味があればぜひ見てください。
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厳島神社の朱の鳥居



2014年12月15日(月) 記事NO.29の1
秋芳洞と秋吉台 その1
徳島から車で5時間かけてやっと着きました。前回はJRとバス利用でしたが、やはり自家用車は速いし便利ですね。着替えなど荷物を大量に運べるし、時間を気にすることなくマイペースで行動できます。
早速、鍾乳洞に入ってみました。洞窟から流れ出る川に沿って進むと、ぽっかりと大きな口を開けた暗闇が見えました。内部は以前より少し大きくなっているみたいで、3階建ての校舎なら充分収まってしまうくらいの空洞でした。鍾乳石が垂れ下がり石筍が乱立して、様々な面白い景観がつくられています。天井にはコウモリが何匹かいてこちらを伺っているようでした。
出入り口は3ヵ所ありますが、正規ルートを歩いたのち再び元のルートをたどって駐車場に戻りました。土産物屋で鍾乳石を売っていました。年輪のような模様がきれかったです。なぜか外国産の赤いルチルもありました。値札が付いていなかったけれどいくらだったのでしょうか。
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洞内の名所の1つ「黄金柱」

2014年12月15日(月) 記事NO.29の2
秋芳洞と秋吉台 その2
国内最大のカルスト地形。展望台から見渡す限り、白いまたは黒い石灰岩の露頭が続いています。主成分が炭酸カルシウムなので、CO2を含む雨水にゆっくり溶かされていきます。それがこのような地形を創り上げたのです。まさに自然のなせる業です。
高知県と愛媛県の県境に四国カルストがあり、サンゴや三葉虫などの化石を産出します。ここも同様に化石が出る場所があるそうです。しかし、特定されると大勢の人がやって来て石が割られて無残な状態になるでしょう。公園内における情報公開は控えた方がよいです。
しばらく景観を楽しんだのち、軽くうどんをすすって次の場所へ移動することにしました。
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草をはむ羊の群れのような石たち

2014年12月15日(月) 記事NO.29の3
秋芳洞と秋吉台 その3
カルストを車で8kmも移動してサファリランドに着きました。前回は周遊バスもなく従業員のジープに特別に乗らせていただきました。今回はもちろん自分の車です。肉食動物ゾーンから草食動物ゾーンへとゆっくり移動していき、40分くらいかけて動物見学を堪能しました。
ライオンとかトラとか、定番ですがやはり目が引きよせられます。キリン・サイ・カバ・シマウマなど、これらも同様です。まったく野性味がなくてのんびりしていますが、こちらもほのぼのとしている姿を見に来ているのであいこでしょう。
午後4時を回ったので湯田温泉へ向かいました。その日の夜は温泉でゆったりと身体を伸ばし、布団に入ったら夢も見ずに眠りこけていました。
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大石の上でのんびりするネコ?



2014年12月14日(日) 記事NO.28
秋深まる古都のつれづれ
太秦(うずまさ)映画村の帰りに、京都市内をいくつか散策しました。私としては、余り有名でなく人気のない場所の方にこそ旅のだいご味があると思っていますが、家族で来ればお決まりのスポットを回る方がクレバーでしょう。
金閣寺は誰でも知っている建造物で、室町時代に足利義満によって建てられました。全体を覆う金箔は何度も張り替えられています。金はきわめて安定な金属で、濃硝酸や熱濃硫酸にも溶けません。空気酸化もされないので、長期にわたってそのままの状態を維持できます。
また、展性・延性に富み1gの金を薄く広げるとテニスコート半面、細く伸ばすと長さ3kmにもなります。紙のように薄い金箔を作るのにもっとも適している金属なのです。それより、電気伝導性にも優れているので漏電が心配です。大丈夫でしょうか?
入手した金箔をラミネート加工しました。モミジを入れると見事なしおりができました。
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子どもが撮ったフォトより



2014年12月13日(土) 記事NO.27の1
沖縄本島を訪ねて(3) その1
鳥と蝶のいる植物園に来ました。どちらかと言えば果樹園みたいで、四国では見ることのできないフルーツがなっていました。
子どもたちがインコの餌付けをしています。何かの果汁か甘味料を容器に入れて手に載せているだけで、園内の鳥たちが勝手に飛び乗ってきました。ツンツンされている感触がくすぐったいそうです。
私が子どもの頃は、うちのチャボを手乗りに仕付けて遊んでいました。放し飼いだったので、ニワトリのくせにまるでハトのように空を飛んでいました。エサを持ってくると、まるでタカのように急降下して狙ってきました。
このような情景を見て昔を思い出してしまいました。まだまだ年は取っていないのですが・・・。
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2羽が同時に・・・、肩にも1羽いる

2014年12月13日(土) 記事NO.27の2
沖縄本島を訪ねて(3) その2
ココヤシ・パイナップル・パパイヤ・バナナ・マンゴー・ジャックフルーツ・スターフルーツ・ドラゴンフルーツなど、熱帯の果物がたくさんありました。ドリアンやマンゴスチンはなさそうで、果実の王と女王は不在ですが食べたことがあるので私はどうでも良いです。特にプロパンガス臭いドリアンは要注意ですから。
子どもたちが輪切りにした「☆」を食べています。生ぬるいヤシジュースはちょっと今一です。木の幹から直接実がなるジャックはまだ緑色でした。ドラゴンの果肉は赤色と灰色だけでなく黄色もあるみたいです。他にも見たことがなかったフルーツがいろいろありました。できるだけ食べておきましょう。
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蟹捨てる、いや「カニステル」の実

2014年12月13日(土) 記事NO.27の3
沖縄本島を訪ねて(3) その3
ガジュマルやアダン、サトウキビ畑など余り見られないものを見るのは楽しいです。黒塗りのアヤシイ場所がありました。赤童子のキジムナーが出てくればもっとすごいでしょう。
車で走っていても植生が違っていることに気が付きます。このような環境で暮らしていると考え方も変わってくるのでしょうか。
有名なドクターフィッシュによるリラクゼイションを試してみました。メダカより少し大きな小魚が、ヒフのはがれたものや汚れや小さな虫などを食べてくれます。踏まないようにゆっくりと水に足をつけると、すぐにたくさんの魚たちがやってきました。少しくすぐったいですが、後が気持ちよくなりました。
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足をツンツンされている



2014年12月8日(月) 記事NO.26
美保の松原
天女が羽衣をかけたという「羽衣の松」がある観光名所です。当時の松はすでに枯死してしまって今の松は3代目らしいです。それでも見渡す限り東西に緑の松林が続いており、これぞ日本の原風景といった感じがします。松が生えている場所は背の低い防波堤の上みたいで、それも砂地でできています。つまり砂浜から内陸の松林までずっと砂なのです。
砂の粒子は大きさ1ミリくらいで、白い石英とか黒または灰色の石からなります。乾燥している部分は白っぽいので、砂鉄はあまり含まれていないでしょう。サンプルを採って来なかったことが悔やまれます。
北東に富士山が見えました。また、東方に伊豆半島が鎮座しています。数多くの金鉱山が見つかった場所です。次の機会に回りたいと思います。
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神社で松をおまつりしている



2014年12月7日(日) 記事NO.25
掛川の新生代化石
静岡県掛川市周辺は新生代に形成された大日砂層が広範囲に広がり、貝やウニ、フジツボ、サメの歯、イルカの耳骨などを産出します。住宅地の工事現場でクジラの骨が見つかったこともあり、200万年当時は遠浅の温暖な海だったと言われています。四国外で採集することはほとんどありませんが、何の因果なのかここ数年にわたって訪問しています。
道端の崖や空き地には白い貝殻が散乱しています。まともな形を持つものはほとんどなく、砂層からわずかにはみ出している部分を見つけ、それを時間をかけてていねいに掘り出すのです。砂が固まってノジュールになっている物もあり、それらを慎重に割っていくと巻貝や大きな二枚貝が現れたりします。今回もまあまあの成果でした。
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名称は忘れたがサイズは大きめ



2014年11月30日(日) 記事NO.24
久能山東照宮
以前に、静岡県に化石採集で立ち寄った折に参拝しました。徳川家康が亡くなった後、最初に祀られた場所がここです。その後、家光が日光に大きい東照宮を建築したためそちらに祀られました。境内はきれいに掃除できていてツツジのような花が咲いています。建物の装飾も素晴らしいです。巫女さんがお祈りしていたので、その後ろでそっと手を合わせました。
大きなソテツが植わっていました。小学生の頃、先生からソテツは非常食になるという話を聞きました。幹を細かく粉砕して、大量の水に何度もさらして毒を抜き、沈殿してくるデンプンをゆでて食べるそうです。
東南アジアではヤシの木の幹からデンプンを取り、主食の1つにしています。私も食べてみましたが、無味無臭でおいしいとは言えませんでした。飽食の時代がいつまで続くでしょう。ソテツが役立つ日が来ないことを祈ります。
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急な石段を上って境内へ



2014年11月29日(土) 記事NO.23の1
沖縄本島を訪ねて(2) その1
周囲を海に囲まれている沖縄県へのアクセスは、空路か海路しかないわけですが、飛行機の便はたくさんあります。四国から行くときは、本州に出て関西や伊丹空港から飛ぶのが一般的です。でも、今回は高松からの直行便の座席が取れたので移動が少しラクでした。
地図で見た限り小さそうな本島ですが、移動するときはレンタカーの世話になります。到着後すぐに車を借りて自動車道に乗り、北部を目指しました。天気は今ひとつで雨がパラパラしてきました。これでは夕日が見えないでしょう。走行1時間で高速を降り、道の駅でちょっと休憩します。初めての場所ですから、現在位置や目的地の確認をして心に余裕を持たせるためです。さらに30分走ってようやく目的地付近に到着です。眼前に青い海が広がっていました。
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白いサンゴの砂浜と青い海岸線

2014年11月29日(土) 記事NO.23の2
沖縄本島を訪ねて(2) その2
美ら海水族館の前で待っています。ちょっと早く来すぎたようです。でっかいホテルや別荘みたいな家が立ち並び、本当にここはリゾート地です。玄関に一番近い駐車場には自販機などがなく、少し離れた場所に停めました。アダンか何かの実がなっていました。
間もなく行列ができ始めたのであわてて並びました。それから待つこと1時間でようやく中へ・・・。誰よりも早くモニュメント前に集まって記念撮影!そして、建物の中へと入りました。タッチプールで子どもたちが遊んでいます。多くの水族館へ行きましたが、最近どこにでもプールがあるようです。魚類だけでなく軟体動物や棘皮動物に触れる機会がめっきり減っているので、現代っ子にはちょうどよい体験でしょう。しかし、ここばっかりに時間を取られるのは困ります。いい加減時間が経ったところで、先を促して奥へと進んでいきました。
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ブーゲンビレアとクロアゲハ

2014年11月29日(土) 記事NO.23の3
沖縄本島を訪ねて(2) その3
巨大水槽にお馴染み(?)のジンベイザメが泳いでいました。全長18mでプランクトンを食する大人しい性格のサメです。そういえば海遊館のサメもこの沖縄近海で捕えられたとのことです。自然界から無理やり連れてこられてかわいそうとも思いましたが、一方で身近にこうして姿をながめられるのがうれしく、ちょっと複雑な心境でした。
2時間かけて館内をゆっくりと回り、その後は浜辺へ降りて行ってジュゴンやウミガメを観察したり、イルカショーを見物したりしました。ミストを出す装置が遊歩道に設置されていて、霧の中を幼い子どもたちが大勢遊んでいました。そういう姿を見ると、自分の子でなくても何となく心が癒されます。みんな真っ直ぐに成長していって欲しいと思いました。
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巨大な影が頭上を横切る



2014年11月16日(日) 記事NO.22
南淡の石炭産地
淡路島には7カ所の炭鉱がありました。阿那賀・倭文・加集など、何れも褐炭ばかりです。新生代の物なのでよく貝や植物化石を含んでいます。
4~3年前にこのうち6か所を回り、地元の人に話を伺いながら坑口のあった場所の特定と当時の様子の確認をしています。残念ながら褐炭の採集はできませんでしたが、いろいろと話が聞けて面白かったです。得られた情報は整理して文書化し、後世に残していきたいと思います。
同時に、私たちの後に続いて鉱山史に関する研究や調査を引き継いでくれる人材を募集しています。まずは、身近にいる家族や親せき、友人や職場の同僚、そして学生たちにそれとなく話を持ち掛けているところです。心を動かしてくれる人が見つかるでしょうか。期待と不安の今日この頃です。
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炭鉱跡は風力発電所になった



2014年11月06日(木) 記事NO.21
北淡のランドマーク
夕方暗くなってから明石大橋を南へ渡ると、ひときわ目立つ構造物が現れます。SAとしては全国で唯一の観覧車で12分で1周します。私も何度か乗ってみましたが、周囲の景色がよく思い切ってよく建てたなって思います。また、本州から四国に戻ってくるとき、これを見つけるとようやく帰ってきたなって思います。
行き帰りはここでトイレ休憩をしています。ついでに明石焼きやてんぷらも賞味することもありますが、ちょっと高いかなって思います。サイフのひもがなかなか緩まないからでしょうか。今年は本州など四国の外に出る機会がぐっと多くなりました。出張・サービス・お誘いなど、本当にありがたいことです。まだまだ旅は続きます。
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緑の電飾がきれいな大観覧車



2014年11月04日(火) 記事NO.20
夕暮れの築地市場
雨天のためほとんど出歩くことができなかった東京巡りでしたが、地下鉄など交通網や屋根付きのアーケードを利用して屋内を散策しました。そして、浅草から直行で築地へ移動しました。さすがにこの時間帯は多くの商店が閉まっていました。それでも、私たちのような観光客目当てに開いているところもあり、連れと寿司屋に入りました。ネタはお任せで店主の対応も良く、気分も腹具合もまあまあ満足できました(ふところ具合は聞かないでください。)。
古そうな店で水晶やメノウを売っていました。産地はヒマラヤ・ブラジル・ペルー・四川省・・・といったところでしょう。パワーストーンブームはまだ健在ですが、一時期に比べて需要が減ってきた気がします。
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午後4時には全体の7割が閉店中



2014年11月03日(月) 記事NO.19の1
日本でもっとも高い場所(3) その1
あべのハルカス、東京タワーに続いて、第三弾はもちろんスカイツリーです。先の2つは、高さ300mでヘリポートになる屋上が300mと、高さ333mで展望台が250mですが、こちらは高さ634mで、展望デッキが350mとそれより高い展望回廊が450mです。
浅草駅から徒歩でツリーに向かいました。距離1.5kmくらいでゆっくり歩いて30分くらいです。近づくにつれて、空に向けて立つ塔が見えてきました。東京タワーでは塔を支えるため足元が広がっていますが、こちらはほとんど真っ直ぐ立っています。建築技術の進歩はすごいです。
周辺はなじみのない下町で、早い時刻にも関わらず小さな商店がいくつか開いていました。でもお客さんはいないようで静まり返っていました。
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タワー上部は雲の中だった

2014年11月03日(月) 記事NO.19の2
日本でもっとも高い場所(3) その2
下から見上げると展望デッキ辺りが雲に覆われていました。ということは、雲の高さは350m付近になります。この日はずっと雨模様で曇天で、景色をながめるには良いコンディションとは言えません。しかし、ここまで来て何もせず帰るのも味気ないので、とりあえずデッキまで登ることにしました。
・・・真っ白です。何にも見えません!他のお客もそう思ったのか、いつもより人が少ないようです。また、回廊まで登る人もほとんどいないようです。・・・でも、ダメ元で行くことにしました。人と違うことをしないと違う体験はできないからです。結果としてこの決断が功を奏することとなりました。
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らせん状に回れる展望回廊

2014年11月03日(月) 記事NO.19の3
日本でもっとも高い場所(3) その3
回廊は、高さ445~450mにかけて、ゆるやかな傾斜のある廊下でした。最高点にはソラカラちゃんのマークが付いていて、雲の上が見えていました。ほぼ視界は閉ざされていて、ちょっとだけ後悔しました。
10分ほど経ったとき、雲が割れて視界が少しずつ開けてきました。密集する住宅や縦横に延びる道、西に隅田川、北に荒川が光っています。家が積み木で、車が豆粒のよう。まるでチャーターした飛行機から見下ろしたようです。昨夜行った浅草寺も見えました。
ここでも80分くらい間をつぶしました。自販機がないためのどが渇きましたが、お客も少ないのでのんびり過ごせました。それでもだんだんと人が増えてきたので、ついに降りることにしました。下界のショップで土産を買い、再びタクシーで空港へ向かいました。
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UFO(?)から見た市街地



2014年11月02日(日) 記事NO.18の1
夜のあさくさ浅草寺 その1
浅草に宿を取り、夜の繁華街に繰り出しました。・・・と言っても別に飲んだりアヤシイ場所に行くわけでなく、カメラを持ってあちらこちらの夜景を撮りまくるだけです。東京へ来ると必ずこの浅草を訪ねます。高層ビルやおしゃれなショップも良いですが、やはり庶民的な下町が落ち着きます。食べるのもフレンチやイタリアンじゃなく「どぜう鍋」とか板前寿司とか、ちょっと贅沢な和風が好みです。
雷門を抜けて仲見世に入ったのはもう8時を回っていました。店が少しずつ終いはじめていて、客足も少しずつ減っていきました。それでも中央通りに数百人はいて、寺をお参りしたり店をのぞいたりしていました。大雨の後の湿り気がまとわりついて、汗がなかなかひかなかったです。これではまた風呂に入り直しでしょう。
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ずらっと並ぶ仲見世商店街

2014年11月02日(日) 記事NO.18の2
夜のあさくさ浅草寺 その2
浅草の名物は、草加せんべい、雷おこし、人形焼き、・・・くらいしか知りません。しかも食べ物ばかり。何度もきたわりに大して知識を持っていません。でも別にそれで良いと思います。ヒトの記憶力は有限ですから(笑)。
徳島への土産にいくつか買い込みました。毎回同じようなものを買っていますが、故郷ではたまにしか食べられないので問題ないでしょう。
境内にいくつかの石碑がありました。材質はやはり花こう岩です。緻密で風化に強く見た目もキレイなところから使われています。子どもの頃は「お墓の石」なのであまり好きではなかったです。現在は表面をじっくりと見ています。産地によっては晶洞(鉱物の結晶を含むすき間)が発達しているので、黒水晶などが見つかるからです。今回は見当たらなかったです。
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ライトアップされた五重塔



2014年11月01日(土) 記事NO.17の1
日本でもっとも高い場所(2) その1
懐かしの東京タワーへ行ってきました。ものすご~く久しぶりです。
高さ333mは当時の世界一!日本人だったら死ぬまでに一回は登ってみたい・・・と言われていましたが、まるで「ナポリを見て死ね」っていう諺と意味が同じみたいです。東京には何度も足を運んでいるので、ヒマつぶしにあちこち出向いています。
羽田に着いてすぐに浜松町までモノレール、そこからタクシーで訪れました。高さ150mの大展望台は900円で、250mの特別展望台は700円です。次の用事までしばらく間があったので、特別展望台のラウンジで時間をつぶしました。軽食とドリンク、あとはボォ~としていました。お客が少なかったのでのんびりできました。
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下から見上げたタワー

2014年11月01日(土) 記事NO.17の2
日本でもっとも高い場所(2) その2
昔はここで古い新聞のコピーサービスがありました。自分が生まれた年月日の新聞を見られて、何があったか知ることができたので、面白かったです。今日ではネットや博物館などで検索できるためとても便利になりました。しかし、子どもの頃を懐かしんだり思い返したりする機会が失われたような気がします。
2年前に、耐震工事中の高さ300m付近から軟式野球のボールが見つかりました。誰がどういう意図で放置したかわからないそうですが、建設当時にそこまで行かれた人が入れたのでしょう。面白い話ですね。おそらくその誰かが今も存命中なら、そのニュースを楽しんでいることでしょう。
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大展望台から下をのぞき込む



2014年10月11日(土) 記事NO.16
福山のバラ園と友人たちの結婚式
もう夏のことですが、福山SAでバラが満開になっていました。赤・白・紫・黄色など様々な色合いで、一輪だけだったり複数の花が咲いていたり、とても品種が多そうでした。休憩のため立ち寄りましたが、ホッと一息つきました。
この日は友人たちの結婚式でした。複数形なのは新郎新婦の両人を知っているからです。というか、私の先輩とちょっと画策して2人をくっつけたからです。そのきっかけが「鉱物採集」に誘ったことだったのです。後に進展がないようだったので少しあきらめていましたが、4か月後にはしっかりドライブに行ったそうで、2年間の交際を経てついに入籍を果たしました。先輩も私もとてもうれしかったです。これにてミッションコンプリート!
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季節は6~7月頃がベスト



2014年10月04日(土) 記事NO.15の1
高熱に焼かれてできた物 その1
広島平和記念館へ行ってきました。唯一の被爆国である「日本」の広島と長崎。そこへ行けば戦争のむごたらしさや平和の尊さを実感できます。私はもちろん戦後の生まれで、戦争の実体験はありません。しかし、身内にまだ体験者が残っており、彼らから今も当時の話を聞くことができるのです。記念館には多くの人が来ていました。県外や海外からも大勢いました。彼らがどのような感想を持ったのか関心はありますが、それはわからないことです。
画像は、爆心地から見つかった「トリニタイト」です。米国で行われた人類史上最初の核実験トリニティ実験場から見つかった物と同様で、核爆発の高熱により地面が融けて冷え固まった石です。
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薄緑色ガラス状のトリニタイト

2014年10月04日(土) 記事NO.15の2
高熱に焼かれてできた物 その2
熱線により人も物も焼かれ、助かった人たちも放射線による被ばくで苦しみました。展示品の中で特に印象に残ったのが、「人影」です。開店を待っていた人の身体が蒸発し、その影だけが石段に焼き付いているものでした。もし自分がそうした被害者だったら・・・と思うとゾッとするし、同時に怒りや悲しみがこみ上げてきます。
友人が言ってましたが、「人は想像力を失うと、他人の痛みがわからない凡庸な悪に陥ってしまう」そうです。これは今の世の中にも言えることではないでしょうか。
画像は、熱線で融けた釜や鍋などの金属です。まるで鉱滓のような外観ですが、熔鉱炉で造られたのでなく無慈悲な兵器によってもたらされた物体なのです。。
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砂などがこびりついている



2014年09月20日(土) 記事NO.14の1
日本でもっとも高い場所(1) その1
大阪のあべのハルカスへ行ってきました。途中で気が付いて高さを少しかさ上げして、日本一の超高層ビルになったというエピソードを持つそうで、上から見ればどれだけの景観か関心があります。近いからいつでも行ける・・・という安易な気持ちを振り払い、家族サービスを兼ねてのお出かけでした。
朝早くにも関わらず駐車場はもう満杯でした。しかし、列はそう混んでいなくてチケット購入を含めて20分くらいでEVに乗れました。輝くイルミネーションの中で最上階の展望デッキに到着です。ぐるっと一回りできる構造になっていて、すぐ下の階はウッドデッキの広場になっています。気温がぐんぐん上昇して暑くなってきたので、アイスとかき氷でしのぎました。
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真横から見た屹立するビル

2014年09月20日(土) 記事NO.14の2
日本でもっとも高い場所(1) その2
しばらくは高さ290mからの景色を楽しんでいました。高速道路や水路がたくさん走っており、四角いビル群がまるでジオラマのようです。大阪のシンボル「通天閣」が足元に小さく見えてわかりにくかったです。
そう言えば、学生時代に地球科学科の連中が人工の都市環境を見て、「アスファルトの露頭、コンクリートの劈開・・・」などと冗談で言っていました。上から見えるのは当にそれらばかりです。
別料金を払って高さ300mのヘリポートにも上りました。もちろんビルの外ですから外気に触れることになります。少し曇っていましたが強風ではなく穏やかな風が吹くのみで、15分ほどのんびりと過ごしました。あべのべあがきれいでした。買わなかったけれど・・・。
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外に出られる場所としては日本一



2014年08月24日(日) 記事NO.13
昔はこんなのが採れました!ってどこで? M4
高さ40cm、幅25cm、重量20kg近く・・・ってかなりデカいです。ポイントがいくつか見られ、全体としてカテドラルになっています。パワーストーンには興味ないけれどヒーリングや石の浄化ができそうな感じ。惜しむらくは・・・私の物ではないっていうこと。
職場を定年退職された方が、学生時代の昭和50年頃に苗木(なえぎ)の採石場で採らせてもらったそうです。当時はちょっと頼めば敷地に入らせてくれて、石などもある程度持って出ることができました。それが今日では、無断で侵入して石を採ったり販売したりする者が続出したため入場禁止になっているのです。とても残念に思う反面、現実をかんがみてそれも仕方ないなと思います。
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苗木の黒水晶の大型標本



2014年08月22日(金) 記事NO.12
ニワトリのトサカの石 M3
どちらかと言えば人見知りするタイプだと思っていますが、向こうもこっちも初対面なら意外と図太く誰にでも話しかけることができます。特に鉱山跡や産地を調べて地元の方に話を聞けるのが強みです。セールスポイントは「聞き上手」であること。これはコミュニケーションをとるとき、もっとも重要な能力の1つだと思います。
画像は、西牧鉱山の鶏冠石(けいかんせき)でヒ素と硫黄の化合物です。この鉱山からヒ素を含む鉱物が産出され、中でも黄色針状結晶の若林鉱が有名です。ヒ素は古来より毒物として利用され、「石見銀山鼠取り」などとして知られています。銀と反応して黒くなるので、西洋では毒殺を防ぐため銀食器が使われたりしました。子どもの手に届かないところに置いて、素手で触れないようにしています。
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昭和40年頃の鉱物標本



2014年08月11日(月) 記事NO.11の1
沖縄本島を訪ねて(1) その1
沖縄に来るのは4度目ですが、本島をじっくり観光するのは初めてです。短い時間でしたが、主要なポイントを回りました。
沖縄はサンゴの島で石灰層が広く分布しています。この画像は、ひめゆりの塔の構内にあった鍾乳洞です。戦争末期に女学生や地元の人、本土から連れてこられた兵隊たちが立てこもった場所です。内部は湿気が多くて寝ることもできず、侵攻してきた米兵から身を隠していました。米軍だけでなく飢餓や恐怖と戦いながら多くの人々が亡くなりました。
もちろん私も戦争を体験しているわけではありません。でもあらゆる歴史書や資料から大まかには知っています。戦争は人を狂気に落とし、もっとも大事な命をあっさりと奪ってしまいます。愛国心を持つことを否定しませんが、行き過ぎは他国をバカにしたり自国民に服従を強制したりすることにつながります。終戦の日を間近にして改めて思いました。
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ひめゆりの塔の石灰洞窟

2014年08月11日(月) 記事NO.11の2
沖縄本島を訪ねて(1) その2
玉泉洞のリムストーンです。青い水と褐色に光る石の台座がとても印象的でした。この日はあいにくの大雨でいつもより水量が多いそうです。洞内400mをゆっくりと見て行きました。
続いて王国園内を歩き回りました。ココヤシのジュースを飲んだり、サトウキビの布にアートしたり、ガラス作りを見学したりしました。面白かったのがヘビと昼寝です。子どもたちが、ベッドに乗っている3mもあるヘビ(もちろん生きている)に触れながら寝転がっていました。マングースとハブの水泳競争もよかったです。
美ら海水族館や首里城、嘉手納ベースや国際通り、ニライカナイの橋などいろいろ回れました。次回はマングローブ林でのカヌー体験をしたいです。
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玉泉洞のリムストーン

2014年08月11日(月) 記事NO.11の3
沖縄本島を訪ねて(1) その3
国際通りの市場です。今夜の夕食を目当てにやってきました。1階は食材コーナーで、新鮮な魚や野菜がてんこ盛りでした。すっかり皮をむかれたハリセンボン、笑っているかのような豚の顔と豚足、極彩色のエビ、イラブー(うみへび)など、ついさっきどこかで見かけたような動物たちもいました。
2階には大衆食堂がありました。ソーキそば、海ぶどう、海鮮丼、シークヮーサーのジュースなど、めいめいが好きな物を食べました。ちょっとしたショップもあり、いくつか土産を買いました。そして、夜の通りを散策しながら宿へ帰りました。明日もまた行事がめじろ押しです。雨が止んでくれると良いのですが・・・。
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家族の買い物に付き合うと疲れる



2014年08月03日(日) 記事NO.10の1
広島の奥座敷 その1
四国から瀬戸大橋を渡ると山陽道につながります。そして、西へひた走ること1時間半くらいで広島市ですが、今回は佐伯区の湯木温泉に立ち寄りました。
川原があったので車を止め、下に降りてみました。見慣れた関川や銅山川と異なり、何となくパッとしません。ざくろ石が目立たないからでしょうか?蛇紋岩や砂岩、何かの変成岩らしきものばかりで、これといって採集する石はありませんでした。
おそらく私の目がまだ肥えていないからだと思います。つまり採集すべき石の価値がわからない状態だというわけです。四国では人並みにそこそこ見つけられるようになるまで数年かかりました。この地方の石に慣れるまでどれくらいかかるかわかりません。
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湯木温泉ウラの筒賀川

2014年08月03日(日) 記事NO.10の2
広島の奥座敷 その2
着いたのが朝早かったので、集落をうっすらと靄が包んでいました。温泉の湯気のようでもありましたが、時間が経つにつれて視界がクリアーになっていきました。
せっかく遠いところまで来たので、しばらく周辺を散策しました。夏の盛りでしたがまだ気温は高くありません。早咲きのヒマワリが東から登る太陽をしっかり向いていました。
近くにベトナムとの交流を記念する石碑がありました。市中心街から車で小一時間かかるのどかな場所に、そのような出来事があったとは思いませんでした。宝石産地のタイやミャンマーに近いので、東南アジアへ行けば珍しい石が入手できるかもしれません。
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やや矮小な向日葵の花

2014年08月03日(日) 記事NO.10の3
広島の奥座敷 その3
温泉街に古い足湯がありました。今でも使用されているようですが、あいにく湯が張られてなくて残念でした。広い道に面した道の駅に新しい足湯が造られているので、そちらに客をとられたのかもしれません。
温泉の成分にも興味があります。ここの泉質は単純泉のようです。ちょっとだけ炭酸も含まれているみたい。朝風呂に入ると眠気が吹っ飛んで、とても清々しい気分になりました。派手さのない鄙びた感じがとても心地よかったです。
ここはカワラの産地です。ほとんどの民家で、赤茶色の屋根瓦が使われています。割れたカワラを畑に敷いたビニールシートの重しにしていました。同じようなカワラは山口県や島根県でも見ています。焼き物としてよほど土が良いのでしょう。思わず大谷焼や砥部焼と比べてしまいました。
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渓流沿いにひっそりと佇む足湯


2014年07月26日(土) 記事NO.9
広島市の花火大会
広島の花火大会は尾道と並び有名で、海岸沿いに43万人もの人出があります。何と徳島県全体の人口の過半数を占めるので、私からすればものすごく多い・・・としか言いようがないです。
花火の色は金属の炎色反応を利用しています。ナトリウムは黄色、カリウムは赤紫色、銅は青緑色で、それらの金属を燃やしたとき発光する光の色なのです。鉱物を特定するとき、しばしば定性分析を行います。金属を燃やしたときの炎の色を見れば、どのような成分を含むかわかってくるのです。例えば、天青石はストロンチウムを含むので、深紅色の火花が飛び散ります。また、重晶石はバリウムを含むので、黄緑色です。
石の小片とライターがあれば、誰でもすぐに分析できます。
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ホテル9階から見た大輪の花



2014年06月15日(日) 記事NO.8の1
下部温泉砂金採り その1
富士山南側横断道路(国道469号線)から峠を越えて南部町に入り、国道52号線を走って身延町に達したところで分かれて、国道300号線を少し進んだ場所が下部(しもべ)温泉です。ひなびた感じの温泉街でしたが、駅も近いしアクセスは容易です。
ここで毎年夏に砂金堀り大会が開催されます。一定量の砂の中に砂金をいくつか混ぜておいて、制限時間内ですべて探し出せるか・・・といった競技が行われるのです。プロ級の腕前を持つ人たちが参加するそうで、私の知り合いにも出場者がいました。
川原では護岸工事が行われて流路が変わっていました。この谷川は少し先で富士川と合流します。南岸に湯之奥金山博物館があります。
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下部温泉前の谷川

2014年06月15日(日) 記事NO.8の2
下部温泉砂金採り その2
この一帯は武田信玄の隠し金山があったと言われています。谷川から砂金を掘り出し、山地を駆け巡って金を含む鉱石を探していました。今でも砂金が見つかります。流れが穏やかな場所では川底の砂金が見えるくらいです。見えていれば採集しやすそうに思いますが、実際には難しいです。でも温泉街より上流または下流でも採集している人がいます。私は今回チャレンジしませんでした。以前に、鴻之舞の銀黒と交換して入手した物があるからです。
博物館に入場しました。金山についての記述や掘削道具の展示、そして本物の「金」がたくさんありました。値段をつけるといったいいくらになるか、ちょっと俗っぽい考えが頭をもたげてきました。金は展性延性に優れ、和紙に挟んで木づちでたたくと金箔になります。向こう側が透けるほど薄くすることができ、私はつてを頼りにコースターサイズを20枚入手しました。金箔が透けて背景が青く見えるのに驚きました。
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武田の金貨



2014年06月14日(土) 記事NO.7
沼津港深海水族館
沼津ICから南へ7km走った港湾沿いにあります。魚市場に隣接していて、有料駐車場から徒歩2分以内です。ここは深海に棲む生物に特化した水族館で、小さいながらも設備が整っています。
有名なダイオウグソクムシがいます。海底をはう巨大なワラジムシみたいな外観で、5年間ほとんど何も食べず生き続けた個体もいました。今も数匹が飼育されています。また、シーラカンスの液浸標本も展示されています。まるで生きているかのように口を開けて、見学者を威嚇するかのような個体は一見の価値があります。入場料がかなり高いのが不満でしたが、施設維持のために仕方ないのでしょうね。
帰りにショップで子供向けにいくつか買いました。リュウグウノツカイのカードが一番人気でした。
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シーラカンス



2014年06月10日(火) 記事NO.6
清水の化石産地
焼津と並んでマグロ漁港として知られる清水市にも化石の産地がありました。イチゴで有名な久能山がそれです。砂からなるやや褐色の地層が分布して、細い谷川に沿って化石が露出しています。ここで困ったのが駐車場所です。細い路地は駐禁であるし、車を回すのも一苦労です。結局ここでも採集しませんでした。
他にも化石が採れた場所を確認しました。この辺りも新生代のようです。遠くは高知県唐ノ浜と同じものが見つかります。何となく「つながっているぅ~」みたいな感じでした。
市場でマグロでも買って帰ろうと思いましたが、家の冷蔵庫が満杯で、自分の財布が空っぽなので止めました。ガソリン代も節約します。
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久能山の化石産地



2014年06月08日(月) 記事NO.5
掛川の化石産地
静岡県は新生代化石の宝庫です。特に掛川周辺は大日砂層など200万年前くらいの地層が広く分布し、二枚貝や巻貝を中心にフジツボ・サメの歯・クジラの耳骨などが採れます。私はこの地域を数回訪れて、発掘現場を調べたり化石を採集しています。
初めて来たのはもう10年前になります。業者に了解を得て、ユンボで砂を採掘していた場所に入らせてもらいました(今は採掘を中止しています。)。そのときに比較的珍しいオオオニフジツボが見つかりました。クジラの皮膚などに付着している生物でした。
今回はある論文に掲載されていた場所を訪ねました。しかし、草が生えているだけで当時の様子は跡形もありません。おそらく草の下の土を掘り返せば化石が出てくるようですが、結局何もしませんでした。
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掛川市を流れる川沿いの産地



2014年06月07日(土) 記事NO.4の1
春の富士山 その1
2泊3日の行程で、静岡県と山梨県を回りました。・・・ありていに言えば、富士山をぐるっと1周して来たのです。この山に登ったのがもうかなり前のこと。朝8時から登り始めて頂上に着いたのが15時、下山して新5合目の駐車場に着いたのが19時でした。途中で高山病になりかけたり、水がなくなって代わりに積雪を固めてスティックにした物をなめたり、すばやい身のこなし(?)で落石を避けたり・・・と大変でした。今の体力ではもうそんなことできません。
徳島から車で7時間もかかりました。でも新東名高速を走れたし、他にもいろいろな体験ができました。次回はもっとチャレンジしてみたいです。
画像は、上から順に本栖湖・精進湖・西湖・河口湖・山中湖周辺から見た富士山と白糸の滝です。
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本栖湖西岸から見た富士山

2014年06月07日(土) 記事NO.4の2
春の富士山 その2
富士山を反時計回りに回ってみました。新富士で降りてそこから国道139号線(富士山西側の連絡道路)を抜けると、富士五湖の1つ本栖湖があります。富士山を西側から眺められる絶好のビューポイントがあり、平日で肌寒いにも関わらずそこそこの人数がいました。さっきまで山頂付近が雲に覆われていましたが、今はすっかり晴れ渡り山容がよく見えます。
次に、精進湖へ向かいました。有名な青木ヶ原樹海を抜け、本道をそれて10kmほど走ると比較的小さな湖があります。ここにもかなりの人がいて、カヌーをしていました。富士山の手前に、側火山である大室山が鎮座しています。湖水は青く澄み渡っていました。
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精進湖北岸から見た富士山

2014年06月07日(土) 記事NO.4の3
春の富士山 その3
国道300号線を走って西湖に向かいました。20kmくらいあり、少し時間がかかりました。湖の南側が急な斜面になっていて富士山が見えづらくなりました。何とか上半分だけでも顔をのぞかせている場所を見つけました。
河口湖まで行くと夕方になってしまいました。春分の日はとっくに過ぎているので昼間がだいぶん長くなっているはずなのですが、あっさりと夕日が地平線に落ちそうです。ここから見た山の東斜面はとてもなめらかそうで緩い傾斜が御殿場の方まで続いています。途中に宝永山以外のでっぱりがなく、山頂から物を転がしたらそのままふもとまで行きそうな錯覚を覚えました。富士急ハイランドの横を通過して、国道138号線を急いで山中湖へ向かいました。
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西湖北岸から見た富士山

2014年06月07日(土) 記事NO.4の4
春の富士山 その4
どうやら山中湖にたどり着く前に日が落ちそうです。そこで、昔の富士測候所で使用していたレーダーなどを展示してある道の駅で休憩しました。私が登ったときは現役だった機械ですが、衛星による天気予報が主になったためついに閉鎖されました。ちなみに、私の住む徳島県の剣山にも同様の危機が設置されていて、当時は富士山に次ぐ高所での観測所でした。
こうして、富士山を西から北(山梨県)を通って東へと回るドライブを終了しました。新富士ICから御殿場ICまで総延長130km、休憩や撮影を含めて6時間かかりました。なお、青木ヶ原の溶岩層には磁鉄鉱が含まれ磁石がまったく役立ちません。興味本位で入ると脱出できなくなる恐れがあります。道の駅で溶岩を数個拾いました。
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河口湖北岸から見た富士山

2014年06月07日(土) 記事NO.4の5
春の富士山 その5
次の日は白糸の滝を見て帰途につきました。富士山に積もった雪が溶け、地下に浸透して何年もかけて湧き出してくる神秘の水です。お土産にミネラルウォーターを買ってしまいました(笑)。
さて、帰りの道中で思いがけない体験をしました。浜名湖SAで休憩していたときヒッチハイクされたのです。服はややボロボロで風呂に入ってないらしく垢じみていました。どうしようかと躊躇しましたが、いざというときはこちらが強いのでどうにかなる・・・と判断して、乗せることにしました。
所持金もほとんどなく2日も食べていないそうで、SAで売っていた天むすとお茶を上げました。助手席でおいしそうに食べていました。
聞けば、群馬県の建設業者に雇われていたそうで、そこから追い出されるように仕事をやめて、郷里の九州の熊本県八代まで帰りたいとのこと。
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山中湖・・・ではなく道の駅から
見た富士山

2014年06月07日(土) 記事NO.4の6
春の富士山 その6
本人の言を信じれば、親もなく地元の保護施設を出て親方のところで川内原発の下請けをしていたが、福島の影響で国内原発がすべて停止したので仕事を失いました。その後、つてを頼りにこちらへやって来たが悪質な業者に引っかかって給料ピンハネされ、ほとんどただ働きで使われたため逃げてきました。SAやPAで車に拾ってもらって2日かけて浜名湖まで来れました。そこを、私に拾われたのでした。
豊田から伊勢湾岸道路、新名神高速などを経て一気に距離を稼ぎ、中国自動車道の西宮名塩SAで彼を降ろしました。群馬から浜名湖まで2日かかったという距離とほぼ同じを、3時間で走りぬきました。しかし、まだここから八代まではかなりあります。私は旅の帰りだったので、残金のほとんどを彼に上げてしまいました。
その後、ニュースで川内原発が再稼働するらしいと話題になりました。調査結果が本当に信用できるかどうかは別として、彼がまた仕事に就けるかどうかちょっと気になりました。
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白糸の滝は溶岩だらけ



2014年03月23日(日) 記事NO.3
金銀銅とアンチモン M2
アンチモンを含む鉱物は比較的珍しいものが多いみたいです。安四面銅鉱・輝安銀鉱・輝安銅鉱・毛鉱・車骨鉱など、ほかの金属も含むものがあります。しかし、結晶がつぶれていたり微量だったりするとそれがいったい何なのかよくわからなくなります。
画像は、中瀬鉱山の輝安鉱です。細い針のような柱状結晶がたくさん交差しています。その中にやや褐色の四角い結晶が含まれています。見ようによればサクラ色っぽい感じがします。昭和30年代のちょっと古い標本です。以前の持ち主が記したのか、その結晶のまわりに朱色で丸くマークされていました。そのうち分析に回そうと思っています。「中瀬鉱」か何かのレア鉱物であればもっとうれしいです。
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中瀬鉱山の輝安鉱
2個のうちの1個



2014年03月22日(土) 記事NO.2
300mの坑道の奥から M1
以前に別のサイトを運営していたとき、実際にお会いしていなくてもとても居心地の良さそうな雰囲気の方と知り合いになりました。ちょっとした相談に乗ってくれたり励ましてくれたりしてうれしかったです。
画像は、京都府大谷鉱山で採集された灰重石で黄銅鉱を伴っています。排水管理をしていたNさんが仕事で入った坑道の奥で見つけられました。拾った3個にそれぞれQ1~Q3と番号を付けられ、縁あってそのうちの2個が私の手元にやって来ました。また、そのときNさんが調べた坑内図をいただいたので、もし内部に入る機会があれば役立つかもしれません。しかし、残念ながらその後Nさんは亡くなられました。貴重な標本や資料をいただくことができてとても感謝しています。ご冥福をお祈りいたします。
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大谷鉱山の灰重石と黄銅鉱
2個のうちの1個



2014年03月14日(金) 記事NO.1
学習会で化石を割る
私はあまり四国の外に出ないのですが、何か用事があれば奮起して長距離のマイカー旅行をします。また、以前は列車の旅が好きだったので在来線を乗り継いで遠くまで出向くこともありました。いろいろな風景をカメラに収めるのが趣味でした。それは今も変わっておりません。
画像は、栃木県那須町塩原高原産の球果の化石です。太古の湖に岸辺の木々の葉が堆積するとき、ケイソウ土が薄くおおったためとても保存状態の良い化石が生成されました。この石は県立博物館のイベントに参加したとき、たまたま割った石に含まれていました。実の内部はシリカでおおわれ透明感のある微粒子でできていました。実の種類は今のところわかりません。
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塩原高原の球果化石



○読者の方へ・・・原則として旧市町村で区分けしています。他のコンテへの移動は左記からどうぞ♪なお、欲しい鉱物があれば個人の方でも交換できます。メールにてご連絡ください。学校や博物館など、公的な機関であれば寄贈もできます。鉱山について詳しく知りたい方は、トップページの注意事項をお読みの上でメールしてください。鉱山跡地は危険な場所が多いので、未成年者は自分たちだけで決して行かないでください。
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