1995年(平成7年)11月

我孫子市議会議員選挙初当選(当時28歳)

 留学から帰国したのが8月末。そこから大急ぎで選挙準備。正味2か月の準備期間で本番を迎えました。

当時は珍しい、自転車にのぼり旗を立てて街なかを走り回りました。

地元の根戸では、道行くご高齢の方から、「新しい演歌歌手の営業」と間違われ、大笑いしたことも。

 駅前には、朝は始発から、夜は終電まで立って挨拶。始発で仕事に向かい、終電で帰宅するサラリーマンが驚いたように、「あなたは朝からずっとここにいたのか?」と聞いてきました。

 まさか、昼間は、別の場所であいさつ回りやビラ配りです。その方は身内以外で、選挙応援団になってくれた第1号です。

 チラシには、当時は非常に珍しかった電子メールアドレスを記載。


インターネット元年と言われた
95年。メールで応援メッセージをくれる方が続出。30~40名程度だったでしょうか、それでもありがたい支援団体となりました。

 当選後、「ネット上の支援者の存在」が独り歩きして、インターネットとかいう新しい技術で受かった珍しい議員と評されました。

ほかの候補者を支援していた地元の国会議員や県会議員からは、「見えない支援団体では、あいつら(相手候補者)も邪魔できななかったな。」と私に言ってきました。(それだけなわけ無いのですが。)

 当選後は、どの会派に所属するかという話になりますが、私は、裏も表も議会を知るには、一番大きな保守系会派と決めていたので、迷わず清風会(当時の最大保守系会派)に入りました。

 もちろん、当初は大歓迎されました。その後、私が行った「議会改革実践」のせいで会派の方々は、相当苦労することになるのですが。知る由もなしですね。