新歌舞伎・元禄忠臣蔵             06,12,14

1702年(元禄12年)12月14日、この日は今から300余年前、赤穂浪士が本所松坂町の吉良上野介邸に討ち入って
本懐を遂げた日です。14日といっても夜中の3時ごろ、つまり昨夜からの討ち入り準備ですから13日の夜の討ち入りと
もいえます。太平の江戸に激震をもたらしたこの事件は芝居,講談にも取り上げられ、特に人形浄瑠璃と歌舞伎の「仮名
手本忠臣蔵」は江戸中の庶民に熱狂的な人気を博しました。昭和になって劇作家の真山青果が史実を精査して「元禄忠
臣蔵」を発表してから、毎年歌舞伎座を中心に名優がこれを演じて好評を博しているのはご存知の通りです。

歌舞伎を見る機会などそうそうあるものではありませんが、縁あって討ち入りのちょうどその日に当たる昨夜、国立劇場
で大石内蔵助に松本幸四郎扮する新歌舞伎「元禄忠臣蔵」を観劇する機会を得ました。我々が観劇したのは第3部、討
ち入り後の吉良邸出発から最後の切腹までのいわば「大詰め」(これは歌舞伎用語で文字どおり最後の最後のこと)の
4幕9場です。

余談になりますが、浅野内匠頭切腹の場所は芝愛宕下の奥州一関藩田村家の中屋敷。(私も無関心ではいられない。)
知る人ぞ知る話ですが、切腹の場所が大目付庄田下総守の命で田村邸の庭先になったことが後日問題になり、庄田は
大目付を解任されています。当時大名格の切腹は座敷と決まっていたのに庄田大目付が勝手に庭先で切腹をさせたの
が解任の理由といわれ、我が田村の殿様(田村右京太夫)には責めは無かったようです。

ともあれ松本幸四郎扮する大石内蔵助、坂東三津五郎扮する千石伯耆守は、流石に間の取り方といい抑揚といい立ち
振る舞いといい出色の演技で、絶妙のタイミングで”高麗屋!”と声が掛かると満場拍手喝さい、まさに臨場感溢れる名
場面が続出しました。これでは歌舞伎ファンにはたまらないことでしょう。

この歌舞伎で演出家真山美保の言いたい主題は「人はただ初一念を忘れるな」です。損得を考えずに思い立った事には
善悪の誤りは無い。深く考えすぎると損得や邪念が入って心の鏡を曇らせる、ということを大石内蔵助に繰り返し語らせ
ています。大石にとっての「初一念」は殿様の恨みを晴らす事と武士としての誠を貫く事でしたが、これを見事に成し遂げ
て従容として死出の旅立ちをします。真山はこの演出を通じて現代社会の小賢しい損得重視の利口者がはびこる風潮
に警告を発したかったのでしょう。ベストセラーになった藤原正彦氏の「国家の品格」は、「今、日本に必要なのは、論理
よりも情緒、英語よりも日本語、民主主義よりも武士道精神であり、そして何より国家の品格を取り戻す事である」と日本
人に誇りと自信を与える良書を出しました。またトム・クルーズ・渡辺謙主演の「ラストサムライ」は、新渡戸稲造の「武士
道」を原典に、合理主義万能時代に一石を投じました。日本の庶民が熱狂的に支持する忠臣蔵は生き続けられるのか、
忠臣蔵不滅伝説は滅びるのか、私には合理主義、功利主義万能の現代社会に疑問を持つ一般大衆が健全な批判精
神を持つ限り、いつまでも生き続け支持される物語のように思われます。今何故忠臣蔵なのか、これが私の答えです。

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