津軽・下北〜五能線の旅。 ![]() 家内がしきりに北の最果ての下北半島大間の海を見たい、のんびり走る五能線に乗って みたいというので、旅行会社のツアーで2泊3日の旅に出掛けた。季節柄雨が心配だったが 幸い3日間とも初夏を思わせる絶好の好天気だった。穏やかな陸奥湾と日本海は冬の荒々 しさを微塵も見せなかった。 このツアーの概要は、津軽半島の最北端竜飛岬から太宰治の斜陽館を見て大鰐温泉に 宿泊、翌日は青森港から高速フェリーで陸奥湾を北上して下北半島の最北端大間港に行 き恐山を見て古牧温泉に宿泊、3日目は古牧温泉から日本海側の鰺ヶ沢まで大横断して 人気の五能線に乗り、世界遺産の白神山地を訪ねてから一路岩手の北上駅まで南下し 新幹線で帰宅するという、バスツアーならではの北奥羽人気スポット総なめの探訪である。 6月28日東京発8時20分。はやぶさ5号は新型車両のE5系全席指定席。新青森までなん と3時間で到着する。途中停車は大宮、仙台、盛岡だけ。通常新幹線では仙台まで2時間、 北上まで3時間だからその速さが判る。昔夜行列車で田舎の駅から上野まで12時間だった からまさに隔世の感だ。 青森からバスで竜飛岬に行く。険しい崖を切り開いた狭い道を進んでようやく津軽半島 最北の岬に到着する。この岬の先端に立つと左は日本海、正面は津軽海峡、右が陸奥 湾を望む絶景だ。北海道までは20`の距離。ガイドさんによれば私は読んでいないが 太宰治の小説「津軽」には「北への道はここで行き止まり。これ以上先には道はない。」 と書いてあるそうだ。なるほど北のはずれだ。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌碑が 建っていて歌詞2番の 「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと〜♪」 とスピーカーから大 きな歌声が繰り返し流れていた。 帰途五所川原市金木の「斜陽館」に寄る。太宰治の生家で建坪400坪、大地主で貴族 院議員だった父親が今の金で5億円もする大金を投じ、青森ヒバをふんだんに使った 入母屋造りの豪邸だ。太宰は「苦悩の年鑑」の中で、「風情も何もないただ広いだけの 家だ。」と書いている。この日の宿泊は大鰐温泉ロイヤルホテル。 2日目はバスで青森港に行く。懐かしい場所。高校2年の修学旅行の時ここの船着き 場で記念写真を撮ったのが残っていたはずだがどこへ紛失したものやら・・。 ここからフェリーで70分、まさかりの刃にたとえられる下北半島西側の奇岩が立ち並ぶ 仏が浦の景観をみながら陸奥湾を北上して大間漁港へ行く。海は穏やかで波もない。 大間は本州最北端で北海道まで17キロの距離だそうだ。テレビでも有名になった大間 のマグロの一本釣りの漁船が300隻ほど漁港に停泊していた。400`のマグロを釣り 上げた記念のモニュメントが立ち観光客はこのマグロの前で記念写真を撮っていた。 すぐそばの土産屋の主が数年前に築地の初セリで1億5千万の値がついたマグロを釣 ったのだそうだ。漁師たちはいつも一攫千金の夢を見て出漁している。足元にも寄れな いが、私だって同じ気持ちで小さなアジを釣りに行っているのだ。マグロ釣りもアジ釣りも 胸を躍らせて出漁する心意気は同じだ。ひがむことはないぞ! ガイドさんがちらりとふれていたが、ここは大間原発のあるところ。茶色のグレーンが 並び、中止していた原発施設の工事を再開し始めていた。プルトニュームとウランを混 合したMOXと呼ばれる燃料を使うプルサーマル発電は極めて危険な原発と云われるが、 どうやら原発再稼働時にはこのプルサーマル発電になるらしい。私にはマグロの観光 よりもこちらのほうに関心が高い。 大間からすぐ近くには東北電力の原子力発電所のある東通村があり、又すぐそばの 六ヶ所村には日本原燃の原子燃料サイクル施設があり燃料貯蔵タンクが威容を見せ ていた。ここには放射性廃棄物が埋没されていてMOX燃料工場も建設中らしい。 まさに危険極まりない施設が集中している。 下北半島は広大な過疎地で手に入れやすい土地だから原発施設が集中し易い。過 疎地で産業のない町の経済は危険度の高い原発に依存して成り立つ悲しい土地柄な のだ。そして追い打ちをかける様に直ぐ近くの三沢には米軍基地がある。 下北半島は150年前戊辰戦争で敗れた会津藩が転封になった斗南藩3万石の場所 である。豊かな土地に恵まれた会津23万石から一転して実質2万石以下の、海から吹 き寄せるヤマセに苦しむ貧しい土地の斗南藩に移封され、歯を食いしばったであろう 会津藩士達の苦衷は想像に難くない。むつ市から尻屋崎の辺りに斗南藩の記念館が あってその名残が今でも残っているようだ。原発、米軍基地、悲劇の会津藩など、派手 な観光の裏側には北奥羽の苦悩の歴史がある。関心を買うように原発PR館の案内 標識が至る所に立ち並んでいた。 バスは次に恐山に行く。最果ての地の寒々しい鎮魂の霊場を想像していたが立派な 建物が立ち並び意外であった。特に印象に残ったことはない。この日の宿泊は三沢の 古牧温泉青森屋。ふんだんに並ぶ郷土料理のバイキングと地酒がついつい食欲をそ そる。露天風呂も青森ヒバの香りが身も心も休めてくれる。観光客に人気の旅館だが 少々騒々しく私には苦手の旅館だ。 3日目は三沢から青森を抜けて八甲田山を見ながら鰺ヶ沢に行く。太平洋から日本 海への大横断である。ガイドさんが日露戦争前夜の陸軍の八甲田山雪中行軍と遭難 の話をする。私は高倉健の映画は見ていないが新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」 を読んでいるのでガイドさんの話に頷くことが多い。 鰺ヶ沢駅で五能線に乗る。五能線は五所川原から能代までのローカル線だが、日本 海から吹きすさぶ強風でしばしば運休になり、地元の人には五能線ならぬ「無能線」と 呼ばれてあまり利用されず、もっぱら観光客目当ての2両編成のローカル観光列車に なっている。車窓の真下に広がる海岸線の景観を見るには鰺ヶ沢から深浦までの約 1時間が良い。 海岸線沿いに走るローカル線は鎌倉から藤沢までの江ノ電も同じだから親しみが持 てる。千畳敷や奇岩などスケールの大きい海辺の景色が続き嬌声があがっていた。 深浦駅で降りて世界遺産の白神山地に行く。世界遺産には世界自然遺産と、文化遺 産、複合遺産の3つがあって、最近決まった富士山は文化遺産で申請し登録されている。 日本で登録されている自然遺産はここ白神山地と屋久島の2か所だけとなっている。 ブナの原生林の中心地は資源保護のため立ち入り禁止だが、緩衝地帯では観光散 策ができる。我々は十二湖とブナの原生林を見ながら約1時間の森林浴を楽しんだ。 かくしてすべての観光を終え一路南下して秋田へ入り横手を経由して北上まで大移動 し、新幹線で帰宅した。ガイドさんにも運転手さんにもつい聞き忘れたが総移動距離は いか程だったのだろうか。優に500`を超える旅だったであろう。個人では絶対に計画 できない観光スポット満載の旅であった。 ようやく家内の念願を叶えてやれたので、永年家庭を顧みずに駆け抜けてきた過去の 罪滅ぼしの1つが片付いた。まだ一緒に行ってやりたい場所が残っているので元気なう ちに早めに達成したい。後で後悔しないように。まもなく76歳になる贖罪の旅はまだ続く。 |