山元さんを偲ぶ会(於・名古屋居酒屋”みちのく”) 平成15年12月8日 Tグループ生産管理OB会の長老の山元さんを偲んで、昔からの行きつけのおちかさんの店 ”みちのく” を借り切って「故人を偲ぶ会」を行いました。およそ半数の13名が集まり、おちかさんの得意の郷土料理の ”しょっつる鍋”と”きりたんぽ鍋””いぶりがっこ” などに舌鼓を打ちながら、既に逝去された鈴木さん、大津 さん、滝島さんのかって元気だった頃の懐かしい写真も一緒に添えて、厳粛且つ和かに生前の遺徳を偲び ま した。平均年齢が66歳のオールドクラブですが、さすがに酒量こそ衰えたもの往年の舌鋒は衰えず意気 盛んな掛け合いが四方から飛び交う盛大な偲ぶ会になりました。山元さんの得意な「七高寮歌、北辰斜め 」こそ出ませんでしたが「琵琶湖哀歌」「銀座の雀」など懐かしい歌が店じゅうに響き渡 り ま した。 |
会長の丸井さんが故人を偲ぶ格調高い挨拶。 | 料理に腕を振るった秋田美人の女将”おちかさん” |
カラオケもない時代に皆で熱唱した「銀座の雀」と、山元さんの熱唱歌「北辰斜め」を紹介します。 もう一つの我々の愛唱歌「琵琶湖哀歌」は、「琵琶湖周辺の旅」のページに載せてあります。 |
「銀座の雀」の由来。 作詞は野上彰。作曲は仁木多喜男。歌うは森繁久弥。 知る人ぞ知るこの歌の誕生の伝説は・・・・。 時は昭和20年代のある夜。ところは銀座の酒場「馬上杯」。 野上が酔って興に任せ壁に一気に歌詞を書き、作曲家の 仁木が即興で曲をつけ、森繁があの独特の節回しで歌を 披露したのがこの歌の誕生。と言われています。 森繁の特徴が最も表れている歌です。 |
<せりふ> たとえどんな人間だって心の故郷があるのさ。 俺にはそれがこの街なのさ。 春になったら細い柳の葉が出る。 夏には雀がその枝で鳴く。 雀だって歌うのさ 哀しい都会の塵のなかで 調子っぱずれの歌だけど 雀の歌はおいらの歌さ。 <歌> 銀座の夜 銀座の朝 真夜中だって知っている 隅から隅まで知っている。 おいらは銀座の雀なのさ。 夏になったら鳴きながら 忘れ物でもしたように 銀座八丁飛び回る それでおいらは楽しいのさ。 <せりふ> 捨て鉢になるにはあまりにも明るすぎる。 この街の夜 この街の朝。 たとえネオンの灯りさえ 明日の望みに瞬くのさ。 昨日別れて 今日は今日なのさ。 惚れて好かれてさようなら あとには何も残らない。 <歌> 春から夏 夏から秋 木枯らしだって知っている みぞれの辛さも知っている。 おいらは銀座の雀なのさ。 赤いネオンに酔いながら 明日の望みは風任せ。 今日の命に生きるのさ それでおいらは嬉しいのさ。 |
故・山元さん、熱唱の七高寮歌・北辰斜め。・・・・・あの格調高い朗々たる節回しが懐かしく思い出される。 |
巻頭言 流星落ちて住む処 かんらんの実の熟るる郷 あくがれの南の国に つどいにし三年の夢短しと 結びも終えぬこの幸を 或ひは饗宴の庭に 或ひは星夜の窓の下に 若い高ろう感情の旋律をもて 思いのままに歌い給え 歌は悲しき時の母ともなり うれしき時の友ともなれば いざや歌わんかな北辰斜め いざや歌わんかな北辰斜め アイン・ツバイ・ドライ |
@北辰斜めにさすところ 大えいの水洋々と 春花かおる神州の 正気はこもる白鶴城 芳英永久に朽せねば 歴史もふりぬ四百年 A紫さむる黎明の 静けき波に星数え 荒涼の気に咽ぶ時 微吟消えゆく薩摩潟 不屈の色も厳かに 東火を吐く桜島 B悲歌に耳かす人もなく 沈み濁れる末の世の さんらんの夢よそにして 疾風迅雨に色さびし 古城の風に嘯ける 健児七百意気高し C南の翼この郷に 三年とどまる鵬の影 行途は万里雲湧きて 雄図もゆる天つ日や 首途の昔叫びしに 理想の空に長駆せん Dああ若き日の光栄は 今年十四の記念祭 祝うもうれし向上の 旅の衣に散りかかる 樟の下露清らけく 今日南明の秋にして |