信濃路(安曇野~松本)の旅。  20,07,06

   コロナ禍で国民の生活は苦しかろうと、政府が税金を使って国民一人当たり一律10万円の
  「特別定額給付金」を給付するというので、有難く申請して頂戴した。

   年金生活者にとっては干天の慈雨のような10万円だが、給付金を何に使うかは人それぞれ
  だろう。仕事を失って収入が減りその補填に充てる人、貯金をする人、買い物するもよし、旅
  に出て旅先で使うのも地域復興の役に立つだろう。

   緊急事態宣言が全国で解除され、県をまたぐ移動自粛も解禁され、8月には国内観光振興
  を目的とした「Go Toキャンペーン」が開始されると聞く。旅行者には再びなにがしかの恩典が
  あるらしい。

   ところが昨今、コロナの第2波の先触れのように急激に感染者が各地で増加していて、「Go
  Toキャンペーン」どころではない様相を呈している。感染防止と経済復興という二律背反には
  政府も手を焼いている。

   さて、我々老夫婦はこの「棚からぼた餅」を何に使おうか相談の上、信州安曇野に旅行する
  ことにした。予定は2泊3日の旅。私の誕生日直前の記念であり、近く入院手術するので元気
  なうちにという思いがあるし、最近私が歩かないのでせめて旅に出れば歩くだろうとの妻の配
  慮があったのは言うまでもない。

   「休暇村」という日本中に30数か所のリゾートホテルを展開している企業があり、私も会員
  になっていてしばしば利用しているが、安曇野にも最近新しくリゾートホテルをオープンした
  ので、ここを宿泊拠点にして安曇野~松本市~浅間温泉を楽しむことにした。

   広い安曇野を観光するには車がないと不便極まりない。そこで、行き帰りは電車、現地の
  穂高でレンタカーを借りて二日間走ったが、これが正解だった。レンタカーはトヨタのビッツを
  借りたが2日間で8千円だから安いもので、あらかじめ予定した観光地をほぼ回りきった。

   7月2日、新宿から特急あずさで松本へ、松本からJR大糸線で穂高駅まで行く。穂高駅近く
  のオリックスでレンタカーを借り、午後から観光を開始。


   

   安曇野には大小10か所ぐらいの美術館がある。この中からまずは家内が楽しみにしていた
  「ちひろ美術館」に行った。ここには美術館のほかに「ちひろ公園」や「トットちゃん広場」などが
  あり子供たちに人気がある。次に15万㎡もある日本有数の広大な敷地でわさびを栽培してい
  る「大王わさび農場」に行き周囲を散策した。

   「ちひろ美術館」は岩崎ちひろの作品をたくさん展示していて、「トットちゃん」こと黒柳徹子
  さんが館長を務めている。ここで孫たちに土産を買い、「大王わさび農場」で生ワサビを土産
  に買った。

   宿泊は安曇野の「リトリート安曇野ホテル」。夜と朝にホテルの従業員の案内で近くを散策
  できる。食事は時節柄バイキングではなく個別配膳。フランスで修業したコックがしゃれた料
  理を出してくれて人気があるらしいが、あまり私の好みではない。風呂は可もなし不可もなし。

   翌3日、朝食後、「北アルプス展望美術館」へ。特に期待はしていなかったが、美術館正面
  から見える北アルプス連峰と安曇野の広大な風景は素晴らしかった。


  

   安曇野の道々には随所にユニークなつがいの道祖神が並んでいて目を楽しませてくれる。
  絵本美術館、碌山美術館、穂高神社に行き、穂高駅でレンタカーを返却、松本へ。大糸線
  はローカル電車なので車中から見る田園風景に癒される。家内はとりわけ喜んでいた。

   松本駅からは市営の市内巡行バスを多用した。500円で乗り降り自由。私が行きたかった
  旧制松本高校に行く。旧制松本高校は今は亡き逗子の96翁や会社時代のH先輩の母校で、
  同校の思誠寮の寮歌をよく聞かされたものだ。

   ヒマラヤスギに包まれた校舎は大正9年に建てられたもので国の重要文化財に指定され
  ている。何よりも壁一面に落書きのある15畳の寮室と、車座になって談笑する学生たちの
  写真類が飾ってあり、在りし日に私が過ごした学生寮(蒼翠寮)を懐かしく思い出した。

   私が過ごした学生寮(蒼翠寮)も畳15畳の和室と、1段下がってやはり15畳ほどの勉強
  机をならべる板の間があり、ここで5人が生活し、和室の壁一面には先輩たちが書いた
  落書き(青春の叫び)が墨痕鮮やかに記されていた。今は焼け落ちてしまって跡形もない。

   浅間温泉泊。こじんまりとした蔵造りの温泉旅館で親子3人で切り盛りしているアットホー
  ムな宿。その昔、先祖が蚕の保管に使っていた蔵だが、養蚕業が衰退して、この蔵は味噌
  蔵になり、今は改造して「蔵造りの宿」として再生しているとのこと。この日は二組しか泊ま
  り客がいないのでゆったりと寛げた。食事も風呂も私好みの落ち着きがあり好感が持てた。

   翌4日、朝食後松本に戻り、最近国宝に指定された昔の小学校の「開智学校」を見物。
  明治時代初期に建てられた擬洋風建築で、国宝に指定されただけあって玄関廻りの彫刻
  が見事。館内には明治初期の児童教育の写真がたくさん展示されている。

   当時は教育機会に恵まれなかった貧しい家庭の小学生の女の子が、幼児をおんぶして
  勉学に励む「子守学級」の写真などが目を引いた。昔から教育県として有名な長野県が
  学童教育に力を入れた歴史の一端に触れた思いがした。


     

   松本城は以前観ているのでパスして、繁華街の大名通り、ナワテ通り、中通りを散策。
  はかり資料館等を見て昼食、15時発のあずさで帰宅。混雑を予想していたが案に相違し
  て列車内はガラガラだった。

   旅のもう一つの楽しみは信州蕎麦を食べ歩くこと。北アルプスの麓に広がる「安曇野」は、
  水の豊かな土地で知られ、澄み切った雪解け水は美味しいそばの実を育て、風味の良い
  そばを生み出す。そんな安曇野には、そばの名店が数多くある。
   
   穂高駅について早速食べたのが、駅近くの「そば処 一休庵」のざるそばと「なごり雪」。
  「なごり雪」とは風流な名前なので注文したが、ぶっかけ系で細めのそばに山菜、揚げ玉、
  大根、わさびなどが乗っていた。濃いめの汁なので少し辛かったが美味だった。
  
   翌日の帰りに穂高で食べたのが、「そば屋上条」の「鬼おろし(ちか)」。極辛の大根おろ
  しと、白身の小魚“ちか”の天ぷらがそばと相性抜群だった。

   そのほか3日間、宿の朝食や夕食の小鉢には勿論蕎麦があり、松本市内で食べた昼食
  もざる蕎麦。3日間そば尽くしですっかり堪能して少々飽き飽きしてしまった。

   それにしてもよく歩いた。普段は少し歩いただけで腰が痛くなってすぐにへばってしまう
  のだが、旅に出ると気が張っているせいか不思議によく歩ける。疲れて休み休みだった
  が、安曇野も松本もよく歩いた。家内の思惑がズバリ当たったことになる。

   帰宅しても歩く習慣を持続したいと思った。いよいよあと3日で満83歳の誕生日。正月を
  迎えれば、なんと干支でいえば7廻りを終え8廻り目の丑年に突入することになる。よくぞ
  生き延びたものである。