山陰〜山陽〜四国の旅。 ![]() 山陰地方、特に島根・鳥取にはなかなか行く機会がない。記憶をたどればたしか 島根だけは一度も行ったことがない筈だ。家内も山陰には縁がなかったので、思 い切って長旅をすることにした。初めの構想では出雲大社をメーンにしてせいぜい 2泊を予定していたが、次第に話が大きくなって山陽〜四国まで足を延ばすことに なった。 四国の松山には学生時代の寮生仲間のH・S氏がいて、いつでも歓迎するといっ てくれたし、家内はまだ姫路の弟夫妻宅を訪問していないし、新装なった姫路城も 見たいので、四国と姫路も最後に加えることにした。山陰〜山陽〜四国を巡る4泊 5日の大旅行となった。 旅の行程は次のとおり。 1、5月19日、 羽田〜出雲縁結び空港、出雲大社参拝、玉造温泉泊。 2、5月20日、 足立美術館見学、米子〜倉敷へ、倉敷美観地区散策、 大原美術館見学、ホテル泊。 3、5月21日、 新尾道から高速バスでしまなみ海道を通り四国に渡り、 今治〜松山へ、友人と合流、松山城他市内観光、道後温泉泊。 4、5月22日、 松山からJR予讃線で坂出から瀬戸大橋を通り岡山に。 岡山城、後楽園見物、新幹線で姫路へ。弟宅泊。 5、5月23日、 姫路城見物、新幹線で新横浜〜逗子〜葉山帰宅。 長旅なので不測の事態に備えて常備薬を忘れず、余裕を持って移動するよう心 掛けたが、それでも結構ハードな旅になった。 印象に残った場所は第一に足立美術館。 横山大観の100点を超える大作をはじめ、竹内栖鳳、橋本関雪など見ごたえのあ る美術品が並び、さらに私にとって特筆すべきは、入口の展示棚に厚さ6〜7寸と 思しき本榧柾目の碁盤と、尾形光琳が縁取りを描いた碁笥が展示されていたこと である。 加えて5万坪に及ぶ広大な庭園が、計算し尽くされた一幅の絵となって観る人を 魅了する。枯山水庭、白砂青松庭が遠くの山々を借景にして見事な遠近感を見せ ていた。さすがに米国専門誌が12年連続して日本一に選んだだけの日本庭園だ った。 評判の美術館だが、贅を尽くした隙のない人工的な庭園だから、ありのままの 自然美を好む人にとっては抵抗感があるかもしれない。 次に倉敷の美観地区と大原美術館。 飛騨の高山や能登金沢に似た古風な街並み。今テレビで評判の「天皇の料理番」 のロケ地になっている倉敷川沿いにレトロな建物が並び、混雑していなかったので、 ゆったりとした散策が楽しめた。近くの大原美術館で絵画と彫刻を鑑賞した。 足立美術館は主に日本画の展示だが、大原美術館は洋画が中心で、異色なの が棟方志功の部屋、ここには棟方志功の大作が部屋いっぱいに展示されていた。 目玉の絵画は、エル・グレコの「受胎告知」。1922年当時パリに滞在していた小島 虎次郎が、パリのとある画廊で発見して大金をはたいて日本に持ち帰り、大原美術 館に展示した。日本にあるのが奇跡とまで言われる貴重な1590年作のこの絵の前 に立つと、その神々しさと迫力に圧倒される。 次に岡山の後楽園。 水戸の偕楽園や金沢の兼六園とは趣が異なり、広い敷地全体がのどかな田園風 景にまとめられ、敷地のあちこちが田んぼや畑になっていて、領民が農作物を作り、 祭りの踊りを楽しめるように配置されている。かっては藩主の池田綱政公が東屋か らそれを眺めて楽しんだのだそうだ。「後楽園」と命名した所以というべきか。 ボランティアガイドさんが声をかけてきて無料で1時間ほど熱心に園内を案内して くれた。好みの問題だが、私は兼六園や偕楽園よりも自然な田園風景が多いこの 後楽園に好感を持つ。 本州から四国に渡るルートは3通りある。神戸から淡路島を抜けて鳴門大橋を渡り、 徳島県の鳴門市に抜けるルート。岡山から瀬戸大橋を渡って香川県の坂出・丸亀に 抜けるルート。広島県の尾道からしまなみ海道で因島など6つの島を渡り愛媛県の 今治市に抜けるルートの3通り。 8年前にTグループの仕事仲間10人強で四国の旅をした時には、レンタカーで岡山 〜坂出〜高知のルートを取り、帰りは松山〜今治〜尾道のルートをたどった。その 時のしまなみ海道の絶景が素晴らしかったので思い出の写真を載せておく。 今回はその逆を辿り、尾道からしまなみ海道を通り、因島等の大小の島々を見 ながら松山に行き、帰りはJR予讃線で松山〜坂出〜瀬戸大橋〜岡山に向かった。 学友のH・S氏が松山市内の隠れた見どころを案内してくれた。特に松山城の天 守閣から眼下に市内を見下ろし、東西南北に広がる松山市内を懇切に説明して くれた。 旧制松山中学、今の松山東高校出身の彼に、漱石の小説”坊ちゃん”では松山 中学の生徒はどうしようもない悪ガキだと書かれているが・・・と水を向けたら、 そんなことはない、我々はみな弊衣破帽・文武両道のバンカラ少年だったと少々 むきになって弁解していた。大同小異、わが母校の旧制一関中学、現一関一高も 明治31年建学の伝統校。私の在学中も弊衣破帽、高下駄で腰に手ぬぐいのバン カラ少年のいでたちだった。お互い大笑いした愉快なひと時だった。 松山は至るところ夏目漱石の”坊ちゃん”と正岡子規、司馬遼太郎の”坂の上の 雲”に描かれた秋山好古・真之兄弟の看板や資料館や土産物屋がある。俳句が 盛んな街でも知られ、街中に投稿の箱が用意されている。私も釣られて一句ひね ったが駄作なので紹介は割愛する。 8年振りに道後温泉の道後新館で入浴して道後温泉駅付近を散策し、からくり 時計などを見物してかっての昔仲間との交流を懐かしんだ。 国宝に再登録されて今話題の松江城はパスしたが、松山城、岡山城、姫路城と 3つの城巡りをした。スケールと云い美しさといい、やはり改装なった白鷺城こと姫 路城は出色だった。真っ白に塗り替えられてはいたが、天守閣に至る壁はもうクリ ーム色に変色し始めていた。天守閣に登る途中、石落としや狭間(土塀の壁面に 仕掛けられた弓や鉄砲を射かける小さな穴)など敵の侵入を防ぐ様々な城造りの 巧みさに改めて感じ入った。 それにしても観光客の多い事に驚いた。天守閣に登るにはまず「菱の門」から 入り、次に「いの門」「ろの門」「はの門」など5つの門を通って小天守、大天守まで 急な階段を50Mほど登るのだが、午前9時だというのに最初の菱の門の前には もう100人を超える観光客が並んでいた。姪夫婦たちと辛うじて天守閣まで登れた が、11時過ぎに出口に戻ったら数百人の大行列ができていた。世界遺産のお城 もお化粧直しをしたので観光客が押し寄せているのだろう。中国語か韓国語か判 らないが声高にしゃべる声があちこちで聞こえ何故か肩身の狭い思いがした。 瀬戸内海はタイやイカ、アナゴ、明石のタコ、岡山のバラ寿司など新鮮で美味しい 食べ物が多く、松山の友人は飛び切り美味しい瀬戸内の魚料理を振る舞ってくれ た。私が気に入った庶民的な地元食を3つ紹介すると、ウップルイ岩海苔、宍道湖 のシジミ、松山のジャコ天になる。 まずは十六島岩海苔、十六島を何と読むかご存知か?「ウップルイ」と読みます。 宍道湖の北にある小さな岬で、十六島湾(ウップルイ湾)の絶壁で採れた貴重な岩 海苔が地元では味噌汁や和え物などに珍重されている。アイヌ語のような読み方 なので北前船などとの関係を想像してみると面白いだろう。味はともあれ、初めて 見る地名なので強烈に印象に残った。 宍道湖のシジミは云わずと知れた全国的なブランド。朝の味噌汁に大粒のシジミ がたくさん入っていて美味しかった。 次は松山のジャコ天。松山駅で待ち合わせた学友と一緒に、立ち食いそば屋で 軽い昼食を食べたが、食べた「ぶっかけジャコ天うどん」が飛び切り美味かった。 彼の推奨のジャコ天、腰の強い讃岐うどん、かつおだしの効いた少し甘めのうど ん汁。値段も大衆的で大満足の昼食だった。やはり旅館の定番の豪華な料理より も、こちらの方が格段においしく感じるのは歳のせいだろうか。 「関東のソバ、関西のうどん」といわれるが、最近では関西流の出汁のきいた薄 味のうどんのほうが美味しくなってきた。そういえば倉敷で食べた焼き鳥屋の夕食 も地方色豊かで美味かった。 今回の旅行先の殆どは家内は初めてなので大いに旅の情緒を楽しんだようだが、 残念だったのは、初日に手違いがあって予約しておいた午前の飛行機に乗れず、 急遽、午後の次便出発となるハプニングがあったことだ。4時間遅れとなったので 結局今回の旅の目玉の出雲大社はパスして玉造温泉に直行することになってしま った。 旅にはこうしたハプニングは往々にしてつきものなので止むを得ない。またいつ か行ける機会もあろう。その他はすべて計画通りに進んだこと、健康面でトラブル がなかったこと、4日間好天に恵まれて快適な旅ができた事でよしとしよう。 これからはそんなに長旅は出来ないから何といっても無事息災が一番! |