雪の会津、大内宿。       16,02,17

  三寒四温というが、特に今年は寒暖の差が激しい。冬の会津の風情を求めて、
 物好きにも1泊のバスツアー団体旅行に出かけた。

  軽井沢のバス事故があってからバス会社は安全対策にはかなり神経を使って
 いる。添乗員までシートベルトの着用が義務付けられていた。運転手の講習済み
 のシールやバス本体の安全対策実施済みのシールも貼られていた。運転手自身
 が乗客に、”安全運転に心掛けます” とマイクで宣言していた。30数人乗りの定
 員一杯の乗客だったが、1人もキャンセルがなかったそうだ。例によって熟年の
 ウーマンパワー全開のバス車内だった。

  初日の予定は、那須塩原で昼食~塔のへつり~大内宿~芦ノ牧温泉泊。翌日
 はローカル線で芦の牧駅から西若松駅まで15分の電車~鶴ヶ城~飯盛山~藩
 校日新館(昼食)~会津の酒蔵見物~その他の土産物屋~帰路となっている。

  8時半横浜西口出発、塔のへつり周辺では小雪がちらついていたが、風がなか
 ったので左程寒さを感じない。塔のへつりの「へつり」とは会津の方言で断崖・絶
 壁をいい、漢字では「岪」(山冠に弗)と書く。初めて知った漢字でまた一つ勉強に
 なった。

  大内宿も一面の雪化粧で700mほどの街道沿いにある家々はひっそりと店を
 閉じていたが、開いていた蕎麦屋で名物の「ネギ蕎麦」を食べてきた。


      

  宿泊した芦ノ牧温泉のホテルはサービスが行き届いていて、夕食、地酒、古代
 檜の風呂、露天風呂、部屋の造りもほぼ満足だった。

  翌日は小雪も止み青空がすっきりと晴れ渡った正に観光日和。ローカル列車
 の会津鉄道に15分ほど乗って田園風景を楽しんだ。芦ノ牧駅では、「ネコ駅長」
 が送り迎えをしてくれた。何の変哲もない猫だが、有名なネコ駅長らしい。

  鶴ヶ城の天守閣からは会津の町並みが一望に見渡せた。
 鶴ヶ城は別名、会津城または若松城ともいい、戊辰戦争で官軍の砲撃を受け
 て崩壊寸前の姿になり、その後は城址だけになっていたが、ようやく50年前に
 当時の姿を復元したのだそうだ。

  そういえば50数年前に、私が入社早々に友人達とここを訪れた時には、まだ
 再建されていなかった。ボランティアガイドさんに訊いたら礎石だけは当時の崩
 れた石垣を積み直したのだそうだ。去年、松江城、松山城、姫路城、岡山城を
 見てきたが、鶴ヶ城は小振りだが鉄壁の守りを誇る名城で、葦名氏、蒲生氏、
 松平氏と続く城主の居城として名高い。


     


  次に飯盛山入口にある茶店で白虎隊の剣舞を見た。挨拶した店主の先祖は
 薩長軍に殺されて、老若男女の死体は数千体に及び、埋葬は厳禁されて腐乱
 したまま数か月間路上に放置されたままだったという。薩長、とくに長州と会津
 は「蛤御門の変」以来、延々として現在に至るまで確執が続いているが、この史
 実は会津の長州嫌いを端的に示すものとして根深く会津人の記憶に残っている。

  この史実は私の高校の先輩作家、星亮一氏の戊辰戦争関係の多くの著書
 にも書かれている。一説によれば死体の放置を厳命したのは、会津に異常な
 恨みを持つ長州人木戸孝允(桂小五郎)だというが真偽の程は明らかではない。
 
  敗者の歴史は風雪を経て消え去ることが多い。この非人道的な事実も、い
 ずれ人々の記憶からも記録からも消え去る運命なのだろうか。

  もっとも、会津戦争の新政府軍の主力は、薩摩と土佐藩とわずかな長州軍
 勢で、奇兵隊を主力とする長州の最強軍団は、新潟の長岡藩を征伐後に会
 津に向かう手筈だったが、長岡藩河井継之助の抵抗に遭って会津到着が遅
 れ、会津戦の戦力にはなっていない。にも拘らず会津の悲劇の元凶は長州
 藩だとの若干の誤解から、今日未だに会津人と長州人の仲たがいが続いて
 いる。両市の市長や有力者による和解の努力もあるが容易ではない。
 菊池寛の”恩讐の彼方へ”は言うは易く行うは難し、という事かもしれない。

  今回の50年ぶりの会津の旅は、戊辰戦争、中でも奥羽越列藩同盟結成と
 会津戦争など「敗者の歴史」を多少なりとも勉強しているので、現地を訪れて
 実際の眼で見てみたいとの想いから実現したものである。会津ひいき、長州
 嫌いはどうも消えそうにない。

  詩吟の「白虎隊」にある「南、鶴ヶ城を望めば砲煙上がる。」という一節は、
 飯盛山から鶴ヶ城を見た景色だが、今回飯盛山の中腹から見ても確かに鶴
 ヶ城が南方に見下ろせた。ここ飯盛山には「白虎隊十九士の墓」があるが、
 時間の関係で墓参が叶わなかった。

  次に会津藩校・日新館に寄った。「什の掟」で知られる日新館は、会津藩の
 多くの偉材を輩出した全国でも屈指の学問所だった。今は建て替えられて
 場所も当時とは違う場所に移転して観光名所の1つになっているが、昔を偲
 ぶよすがもない。

  バスはお決まりの土産屋に数か所立ち寄った。会津は米と水が豊富だか
 ら造り酒屋が多い。「宮泉酒造」という造り酒屋で仕込み蔵を見学して、お目
 当ての試飲をした。数種類を試飲して気に入った吟醸酒「写楽」を買い求めた。
 お酒の大好きな親戚の94翁には、横浜の日ノ出町の蕎麦屋「司」で飲んで
 気に入った「中将」を土産にした。

  50年ぶりの会津訪問だったが、団体旅行なので行動が制限され、覚悟は
 していたもののじっくりと見て回ることが出来なかった。かなりフラストレーショ
 ンが溜まったが仕方がない。いずれ個人でゆっくりと回りたいと思ったが、
 その機会は果たして訪れるだろうか。