大楠山ハイキング Jassの企画に応募して三浦半島最高峰の大楠山に登ってきました。 最高峰といっても標高242mですからたいした高さではありませんが、標高0mから登るのですから ほど良く汗を かく小登山です。 登山ルートは葉山からの2ルートと衣笠からの1ルートの3ルートありますが、今回は葉山の前田川 から衣笠公園に抜ける10キロ、4,0Hのルートでした。雲ひとつない秋晴れの好天気のなか、落ち葉 を踏みしめながら20人の参加者と 一緒に 登り、頂上近くで手弁当を食べ、世話人さんの講釈を聞き ながらの山登りは日ごろの散歩と違った心地よい疲れでした。 |
今回のルート |
@前田川 | 「ヒラテテナガエビ」が生息する北限の川。また、「ハマユウ」の咲く北限地とのこと。 |
A大楠平 | 春は菜の花、秋はコスモスが咲き乱れる。着いてみるとまだイマイチでした。 |
B大楠山 | 三浦半島最高峰242m。海底からせり上がって出来た山。 |
C大善寺 | 735年 行基が開く。曹洞宗。明治29年焼失、昭和10年再建。 |
D衣笠城址 | 前九年の役、源頼義に仕えた村岡為通の功により1062年当地を賜る。のち三浦姓に 改姓。為通、為継、義継、義明と衣笠城は4代110年続く。 |
(三浦大介義明) | 1092〜1180。頼朝決起に一族挙げて加勢。衣笠決戦で畠山重忠に敗れ89歳で戦死。 死後14年後の1194年 頼朝、義明を満昌寺に祀る。 後に、「桃栗3年,柿8年、三浦の大介103年」と唄われた。とは世話人の話。 |
E衣笠公園 | 明治40年開園。全国さくら名所100選に選ばれている。 |
大楠平でお昼のお結びを食べた後。 | |
ところで、三浦半島、または三浦一族の「三浦」のいわれを ご存知ですか?時代は奈良から平安にかけて、当時は御浦 (みうら)と呼ばれていました。それはヤマトタケルノミコトが 東征したときのルートが今の走水〜千葉・房総の海路だった ので、やんごとなき貴人の通った海という意味で御浦(みうら) と呼ばれていたのです。 一方関東の海は、東京湾のことを内浦、西に行くに従って 下浦、西浦と合わせて3つの浦があったので 総称して三浦 と呼び、その中心にある御浦のみうらが次第に「三浦」と呼称 されるようになったのです。豆知識でした。 戻る |