男鹿半島の旅。    17,06,09

   私の故郷の宮城県には牡鹿(おじか)半島があり、隣の秋田県には男鹿(おが)半島がある。
  子供のころから対を為す半島名に興味があった。男鹿半島の付け根には巨大な八郎潟があり、
  湖の面積としては琵琶湖に次ぐ第2位だったが、大部分は干拓によって陸地化され、陸地部分
  は大潟村と呼称されていて八郎潟という懐かしい名は今はない。

   家内が男鹿半島の先端で夕陽が沈む光景を見たいというので、6月6日から2泊3日の旅に
  出掛けた。旅の予定は次のとおりである。

   初日;新幹線で盛岡着。レンタカーで乳頭温泉に行き、鶴の湯などを巡り、妙の湯泊。
   翌日;レンタカーで秋田自動車道を走り男鹿半島へ。男鹿なまはげ館、伝承館でなまはげの
   実演を体験し、入道崎灯台〜宿舎のリゾートきららか泊。日本海を180度の広さで見下ろす
   大浴場と食堂で夕陽を満喫。
   3日目;海岸線を走り秋田駅でレンタカーを返却し、千秋公園(久保田城址)など市内観光し
   秋田新幹線で東京へ。

   1、乳頭温泉の旅の感想。
   鶴の湯は人気の秘湯で宿泊の予約は取れない。辛うじて妙の湯の予約が取れたので、鶴の
  湯は立ち寄り湯として利用した。秋田藩主の湯治場だった鶴の湯は泉質の異なる白湯、黒湯
  があり、私の好きな硫黄泉の露天風呂は大いに気に入った。

   妙の湯はインテリアや照明がおしゃれで隠れ屋風の佇まい、食器やアメニティまでこだわっ
  た女性に人気の宿。泉質は単純泉で金の湯、銀の湯と2種類の源泉を楽しめた。翌朝早朝
  から付近を散歩し、大釜温泉、蟹場温泉、孫六温泉付近まで歩いて森林浴をしたが、ウグイ
  ス、新緑、清冽な朝の空気は実に爽快だった。

   前日から泊り客に是非黒湯に立ち寄ったほうが良いと勧められたので、朝食後予定を変更
  して黒湯で立ち寄り湯に入る。茅葺きや杉皮葺きの屋根の宿舎や湯小屋は、古い湯治場の
  風情があり、露天風呂は単純硫黄泉と単純温泉のふたつの源泉があり、鶴の湯に匹敵する
  満足度だった。

   乳頭温泉は現役時代に、ついに行きそびれた温泉だったので、ようやく念願がかなったと
  いうものである。妙の湯に備え付けの本で、「源泉かけ流し」の意味をようやく知ることが出来
  た。何気なく使っている言葉の意味を知らないと恥をかくこともある。

  2、なまはげ館・伝承館の感想。
   なまはげ伝説がなぜこの地に残るのか、などの貴重な資料と、それぞれ微妙に違う150も
  の各地特有の面・衣装が展示されていた。伝承館では学習講座としてなまはげの実演が行
  われていて、その迫力と秋田の方言に家内は興味津々だった。なまはげと家長のかわす秋
  田弁のやりとりの大部分を理解できたと家内は自慢していた。ただ一つ、「ごしゃくな・・」とい
  う単語の意味が判らないというので教えてあげた。それにしても子供の教育にとって、昔から
  続く伝統民芸の役割は大したものだと感心した。

    

  3、入道崎の夕陽。
   男鹿半島の西北端、北緯40度線上に位置する入道崎は男鹿の観光スポットを代表する
  景勝地だが、残念ながら夕方から小雨が降り出して、念願の日本海に沈む夕陽を鑑賞する
  ことはできなかった。宿舎のリゾートきららかの大浴場、大食堂からの夕陽は絶景だと前評
  判を聞いていたが、雨の日本海では仕方がない。我が葉山の海岸から見る夕陽と富士山の
  シルエットは見事なものだが、これと比べて見たかった。

  4、秋田市、千秋公園。
   宿舎「きららか」を出発して約2時間、雨の中で海岸線を走って秋田駅に向かったが、途中
  のさびれた漁村には人1人見かけなかった。都会から遠く離れた家並みに、過疎化がこんな
  も容赦なく押し寄せているのかと実感した。若者たちは住み着く魅力を持っているのだろうか。

   秋田駅前でレンタカーのプリウスを返却。3日間の総走行距離は341`だった。
  丁度昼飯時、秋田出身の会社時代の後輩から得ていた情報をもとに、佐藤養助稲庭饂飩店
  で名物のうどんを食べ、千秋公園まで傘をさして歩いた。

   久保田藩主、秋田氏の居城だった久保田城は、今は千秋公園となり市民に親しまれてい
  る。戊辰戦争で敵味方に分かれた佐竹藩と南部藩が戦った秋田戦争は多くの爪痕を残し、
  現在でも多くの文献が残っている。この久保田城を見るのも旅の楽しみの1つだったが、生
  憎の大雨で見物を断念した。

   大雨で立ち往生した大手門前で、通りすがりの女性と何気なく挨拶したら、近くの図書館で
  歴史講座があるので、ご一緒しませんかと誘われ、渡りに船と快諾して、講座を拝聴した。

   土居輝雄さんという秋田の著名な歴史作家の 「佐竹氏入部のころ」と題する講座で、50
  人ほどの熱心な男女が配られた資料を開きながらメモをして聴講していた。510円の資料
  代を払い、1時間ほど拝聴したが、初めて聞く久保田藩と藩主佐竹氏の知られざる歴史を
  学び、大きな収穫となった。戊辰戦争を多少かじっている私の知識では、久保田藩が新政府
  軍に寝返ったとされているが、奥羽越列藩同盟の一員として会津藩と共に戦うべきだとする
  重臣も数多くいたという。貴重な資料は後日ゆっくりと熟読する。

   旅は道連れというが、親切な女性と大雨がこの幸運をもたらしてくれた。
  
  5、秋田新幹線の謎。
   秋田駅からグリーン車に乗り込んだが、座席が2人用が2列で3人用がない。車両の巾が
  狭い。出発したら座席の後ろ側に向かって電車が走り始め、暫らくして気が付いたらいつの
  間にか座席の前方に向かって走っていた。さらにあまりスピード感がなく、車窓から見える
  景色は遮音壁がなく普通の列車と変わりがなくよく見える。

  何もかも不思議な事ばかりなので、ついに意を決して車掌さんに訊いてみた。車掌さんが
  丁寧に教えてくれた。

   「この新幹線は在来線の駅のホームと干渉しないように、普通車と同じ車幅になっている。
  従って東北新幹線よりも椅子1個分幅が狭いので椅子席は4席になっている。」「スピードは
  従来の在来線よりも少し早い程度。」

   「 しかし盛岡駅で東北新幹線と接続するので、レールは新幹線のレール幅に改良されて
  いる。」 「この新幹線は大曲駅までスイッチバックし、そこから盛岡へは前向きに走る。当
  初は大曲駅には行かない予定だったが、花火客に便利になるように急遽大曲駅に停車する
  ことになったので、スイッチバック方式を採用した。」

   親切な車掌さんの説明に大納得したがすぐに新たな疑問が起きた。では車幅が狭いので、
  盛岡や仙台に停車した時にホームと電車には広い隙間ができてしまうではないか?降りる
  ときに危険ではないのか?

   そこで盛岡駅に停車した時、実際に乗降車口を見に行って納得した。停車する直前に、ス
  テッププレートが電車の降り口の下から立ちあがって、電車とホームとの隙間が無くなった
  ではないか。つまりステッププレートが折り畳みになっていたのである。知恵は働かすもので
  ある。これは技術というよりも、創意工夫の部類に属し、日本の製造業の得意分野である。

   成る程と感心して、件の車掌にこの発見をしゃべったら、親切な車掌さんはにこにこして、
  しばらく会話が弾んだ。

   乳頭温泉の泊り客といい、千秋公園の女性といい、この車掌さんといい、秋田の親切な
  方たちとの巡り合いで、秋田旅行は良い印象と知識欲を満たしてくれた気持ちの良い旅に
  なった。