渥美半島・西浦温泉バス旅行。 17,03,17

  我々夫婦の旅行の仕方は、県内や関東一円の旅行にはマイカーで出掛け、
 昨年の北海道道南旅行や能登旅行などの遠くには飛行機や新幹線を使い、
 あとは旅行会社のバスツアーをもっぱら利用している。

  それぞれ一長一短があるが、バス旅行は旅行会社任せだから気楽に楽しめ
 るが、我儘は効かず少し不満が残る。マイカーの旅はその点、好きな場所を
 心行くまで自由に動けるし、温泉宿も選べるから満足度は極めて高いが、難点
 は老齢なので車の移動で疲労がたまり、安全面でやや不安が残る。帰宅する
 とがっくりして疲れを癒すのに時間がかかる。

  先日さる旅行会社のバスツアーの企画で愛知県の渥美半島と知多半島に
 挟まれた蒲郡市の西浦温泉1泊旅行に出掛けた。3月生まれの人には誕生祝
 が付くという触れ込みの旅である。何十年も仕事で通い詰めた愛知県なので
 今更という気分だったが、家内の誕生日が3月なのでついその企画に乗ったと
 いう訳である。多少「牛にひかれて善光寺参り」の気分無きにしも非ずである。

  バスは新東名高速道を走って静岡の清水港でいったん降りて、最初の目玉
 企画である駿河湾をクルージングしながらの昼食を楽しみ、再び高速を走って
 西浦温泉に向かった。西浦温泉は三河湾に面した眺望に優れた高台にある
 行楽温泉だが、観光地と云うよりも、うら寂しい漁港といった印象が強い。

  高台のホテルの露天風呂からは三河湾が見下ろせ、釣り船が数隻浮かん
 でいた。アルカリ性単純温泉だから無色透明で、温度が低いために浴用加熱
 しているらしいが、それでも入浴するとぬるくて温まるには時間がかかった。
 あまりお勧めできる温泉とは言い難い。

  温泉の泉質としては私は硫黄の匂いがして肌がすべすべする硫黄泉が好き
 で、特に硫黄濃度の高い福島県の高湯温泉、群馬の万座温泉などが好みの
 温泉として印象に残っている。三河牛、活きアワビなどホテル推奨の夕食を食
 べ若干の地酒も楽しんだ。

  翌日、陸地から400m離れた無人島の竹島を散策した。竹島はキノクニスゲ
 ・タブノキなど多種類の暖地性植物が生い茂り、島全体が国の天然記念物に
 指定されている。頂上にある竹島弁天を祭った八百富神社は、藤原俊成が
 竹生島から勧請したとされ、日本七弁天の一つになっている。島へは竹島橋
 を渡って行くことができる。

  竹島橋から陸地を見ると蒲郡クラシックホテルが見える。ホテルは渥美半島
 と知多半島に抱かれた三河湾国定公園の中心に位置し、格調高く華麗な城
 郭風建築の外観がひときわ映えている。蒲郡プリンスホテルと名乗っていた時
 代、昭和天皇がことのほか気に入られていて、箱根の富士屋ホテルを抑えて
 日本初の国際観光ホテルに認定されたとガイドさんが説明してくれた。

   

  三河湾にはTマリンというマリーナがある。1985年、今から30年前になるが、
 T自動車がマリン事業を拡充するため蒲郡にTマリンを設立した時に、私は
 少々関係したことがあって、この三河湾とはまんざら縁がないわけではない。
 思い出の残る三河湾である。

  竹島を出発して1時間ほど走り、渥美半島先端の伊良湖岬に近い田原市
 のはずれの菜の花畑を散策した。数百本の菜の花畑で見頃ではあったが、
 こんな愛知県の片田舎まで来て菜の花見物でもあるまいと内心思いつつも、
 これが団体旅行のままならない所、我慢のしどころだった。

  この田原市にも私には少なからぬ因縁がある。T自動車の田原工場があ
 り、ここには何十回も訪問した因縁浅からぬ地である。

  バブル崩壊時の低成長期、岩手県に建設中の新工場初の生産車種とし
 て、ここの工場で作っていた車種[E]に白羽の矢を立て、譲ってもらうという
 難しい折衝役をやっていたので、殊更思い出深い田原の地なのである。

  1991〜2年ごろの話である。以前から昵懇だったこの工場のJ工場長とは、
 その後も肝胆相照らす仲となり、長く親交を深めることになった。

  当時の思い出に浸りながら、思い出の地、田原に別れを告げ、バスは一
 路豊橋〜浜松を経て新東名高速道を走り、夜9時頃帰宅した。総勢31名、
 かっての紳士淑女と思われる老人夫婦ばかりのアットホームな雰囲気の
 旅だった。

  娘のたってのおねだりだった「由比の生の桜エビ」を清水PAで買うことが
 出来た。昔は仕事で甲府から車で帰る時、一般道のR52を通って清水港
 まで走り、よく由比の桜エビを買って土産にしたもので、家内も娘もその時
 の土産をいつまでも記憶していたらしい。私はとうの昔に忘れてしまってい
 るが・・・。ともあれこれといって目玉のない旅だが、家内の誕生祝の西浦
 温泉の旅だった。