新潟〜長野の旅。 13,11,18
めっきり肌寒くなった晩秋の11月、友人に招かれて結婚式に出席し、その帰りに新潟から
長野へと2泊3日の旅を楽しんできた。今回の旅の主目的は、新潟県上越市に住む同い年
の学生時代の友人K氏が目出度く結婚式を挙げることになり、その招待に応えた事である。
今年3月、雪深い新潟の松之山温泉で彼等ご夫婦と夜が更けるまで歓談し、その縁で家内
も招待され夫婦同伴の結婚式出席となった。彼と彼女の希望で、親しい友人数人だけ列席の
質素な式だったが、厳粛な中に心温まる雰囲気が漂った良い結婚式だった。
彼は昔からけれん味のない誰にでも愛される人柄で学生時代から信頼のおける人物だった。
誇るべき我が学生寮の寮長である。同じ釜の飯を食って青春を共にした親しい寮生時代の
友人7人が仙台、水戸、松山、相模原、横須賀、葉山から駆けつけて二人の門出をを祝った。
彼は秋山庄太郎に激賞されたほどプロ並みの写真撮影技術を持ち、音楽、絵画に造詣が
深く、今では県の水泳連盟会長を長く務めて最近文科大臣表彰を受けた幅広い知己を持つ
新潟の重鎮である。
今が紅葉のシーズンでもあり、お目当ての観光スポットもあるので、結婚式出席のついでに
越後〜信濃の旅を思い立った。その観光の目玉は次の通りである。
@勿論第1は、結婚式と夕食会、遠路集まった寮の仲間達との歓談。
A初めての上越市(旧高田市)、なかでも桜の名所の高田城見物。
B善光寺と北向き観音お参り、小布施名物の「栗おこわ」。
C別所温泉宿泊と戦没画学生慰霊美術館 「無言館」訪問。
D真田一族の居城上田城と池波正太郎記念館見物。
E信州蕎麦の賞味と新蕎麦粉の購入。 の6つである。
1、結婚式と夕食会、遠路集まった寮の仲間達との歓談。
「蒼翆寮」という200人の学生が生活した寮の仲間8人、語り明かせぬほどの昔話に花が
咲いた。苦学生であることが入寮の必須条件だったからいずれ劣らぬ豪傑ぞろいだった。
みな貧乏学生で悩み多き学生だったが、完全自治寮を誇った寮生時代の自立心と仲
間を労わる心、皆でスクラムを組んだ6,15の小雨降る国会議事堂南通用門前、国
家権力に対する抵抗と挫折、等が心の糧になって竹のようにしなやかで強靭な今の
我々があるのだという思いを新たにした。体は衰えても心は青春のままだった。
”吾は生き彼女は逝きし六月の
雨は今年も沛然と降る” 朝日歌壇より
2、旧高田市内見物。
式場として彼が選んだ「樹下美術館」からホテルに向う途中、彼の運転で市内の要所を案
内してもらった。越後高田藩はその昔上杉謙信の所領だったが、その後幾多の変遷を経て
江戸時代、家康の六男松平忠輝が75万国を安堵され高田城を築城したのが高田藩の走
りと云われている。幕末最後の藩主は榊原15万石で広い城跡は今は桜の名所として名高い。
高田藩と云えば慶応4年の戊辰戦争で奥羽越列藩同盟から脱退し、官軍(薩長軍)に組
して会津藩、長岡藩攻略の先鋒を受け持ったことが記憶に残る。戊辰戦争後、敗北した会
津藩の藩士達を手厚く葬ったことに「高田藩の苦悩と決断」の一端を偲ぶ事が出来る。
3、善光寺と北向き観音参拝。
翌日、高田から友人の車で県境を越えて長野の善光寺に移動。途中の山道は雪に見舞
われたが小布施で名物の「栗おこわ」を食べるころにはすっかり晴れてくれた。坂東33か所
めぐりをあと数か所残して今は中断しているが、すべて廻り切ると善光寺でお礼の参拝をす
ることになっている。一足先に「結願」の参拝をしてきた。
善光寺は南向きだが、別所温泉にある北向き観音は北向きで双方向き合った形になって
いる。一方だけをお参りするのは「片詣り」になるという。この日は別所温泉に宿泊し、翌朝、
宿のすぐそばの北向き観音をお参りして無事に両詣りを済ませた。また近くの国宝安楽寺
八角三重塔(日本に残っている唯一の八角形の塔)にもお参りをした。
4、戦没画学生慰霊美術館「無言館」訪問。
別所温泉からバスで20分、「信州の鎌倉」と呼ばれる塩田平の丘陵地の頂に、浅間山を
背景にし、中世のヨーロッパの僧院を思わせる無言館の建物がある。先の太平洋戦争で
志半ばで戦地に散った画学生30余名、300余点の遺作、遺品が展示されている。
正面に窓はなく、入り口も一人ずつしか入れない普通の木のドア。受付はない。館内も
コンクリートの壁で、そこに絵が飾られている。保存状態が悪く中には絵の具がはげ落ち
ているのもある。作品の下に簡単な作者の説明がある。出身地、出身美学校、戦死した
場所、戦死した年齢。そして遺族の思い出の一言。
館内の中央にはガラスのショーケースがあり、様々な遺品が並んでいる。使い込んだ絵
筆、古ぼけた写真、学業成績、戦地から母にあてた手紙、スケッチブック、召集令状、そし
て一片の戦死通知。「無念!」という文字が頭をよぎる。鹿児島の知覧の特攻平和会館で
見た時と同じ衝撃が走る。
信濃デッサン館の館主窪島誠一郎 (作家水上勉の息子)が、自らも出征経験があり、
また美術学校の仲間を戦争で失っている画家の野見山暁治とともに、日本各地の戦没
画学生のご遺族のもとを2年間探し訪ね歩いて遺作を蒐めたという。
芸術の才能を花開かせる前に戦場で散った画学生の作品の前に立つと、絵心のない
私にも切々と訴えるものがあり、思わず厳粛な気持ちになる。観覧中にあちこちですすり
泣く声が聞こえることもあるという。今回の旅で一番の収穫が「無言館訪問」だった。
5、真田一族の居城上田城と池波正太郎記念館見物。
膨大な著作のほとんどを読み終えている池波正太郎の代表的な作品は、「鬼平犯科
帳」「剣客商売」「藤枝梅安」の3作だが、長編小説「真田太平記」も見逃すことはできない。
信濃の上田城を居城に真田昌幸・信之・幸村親子が繰り広げた徳川と豊臣の戦いへの
参陣の物語である。真田軍が関ヶ原に向かう徳川秀忠軍を2度にわたり上田城で撃破
して秀忠の関ヶ原参戦を遅らせた逸話はあまりにも有名である。本丸跡地は今は公園
になっていて見事な紅葉を楽しむ市民が大勢いた。
さらに池波正太郎真田太平記館を訪れ、陳列されている作品集や遺品の数々を閲覧
した。彼は別所温泉が好きでしばしば訪れては執筆をしていたようだ。陳列の多彩さで
は浅草の池波正太郎記念館のほうが勝る。
6、信州蕎麦の賞味と新蕎麦粉の購入。
そろそろ今年の新蕎麦が出回っている筈なので、美味しい信州蕎麦を食べたくて知人
の推奨の上田市駅前の”○○屋”で盛りそばを食べた。昼時なので若い客で満席だっ
たがやや期待外れだった。盛りが大きくて安いのが人気なのだろうが、少し水っぽくて
腰のないいわゆる「ズル玉」を瞬間感じてしまった。人それぞれ好みが違うのだから仕
方がないことだ。上田市の市内で今年のそば粉を探し求めたがとうとう見つからなかっ
た。小布施や善光寺では買えたのに残念だった。
仕方がないので後日帰宅してからインターネットで小諸の新ソバ粉を購入した。
天気予報では3日間雨か小雪という最悪の予報だったが、予報外れの好天気で紅葉の
越後と信濃を満喫した旅だった。「いずれまた会おう」 と別れた旧友との邂逅は何物にも
代えがたい私の財産である。
”会して微笑あり、座して哄笑あり、別れて心永く楽しむ。”
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