古希記念同期会。 (5月26日〜30日) ![]() 田舎の中学と高校のそれぞれの幹事さんから案内状が来て、「古希記念と銘打って同期会をやるが これが最後の集りだと思うから是非出席せよ。」との添え書きがあったので、他の用事をやりくりして 久し振りに田舎に出かけてきた。たまたま中学の同期会の翌日が高校の同期会になってしまい、 2日連続の同期会になったので多少疲れたが、懐かしい顔ぶれに出会うとついつい童心に返ってし まうもので、50年前の昔話に花が咲き、2次会でも私の眠る部屋に大挙押しかけ車座になって時間 の経つのを忘れて思い出話に浸る楽しい一夜を過ごした。 中学の同期会では出席者の7〜8割は顔形に記憶がなく、恐る恐る話をしていくとなんとなくおぼろ げに記憶が蘇ってくるその程度の誠に心細い記憶力であったが、次第に思う出すと100年の知己に 出会ったように屈託なく懐かしがるのがこの手の同期会の良さというものなのでしょう。 中学でも高校でも幹事の話ではなんでも2割の人が他界しているとのことだった。長生きも生き残り 競争だとすればこの日の参加者はいわゆる勝ち組になるのだろうか。これから18年後に約束された 米寿記念の同期会には何割の同級生が生き残って顔を見せるのだろうか。 会社員生活をしていた頃は”生き残り競争”とか”勝ち組・負け組”などと言って、勝ち側に廻るため の競争原理を日常的に口に出していたものだが、1市井人となってからは既に”生き残り競争”など という殺伐とした感覚にはついていけなくなっている。それなのに時折悲しい性がひょっこりと顔を 出すのには我ながら恥ずかしく寂しい限りだ。身についてしまった「競争の呪縛」から抜け出すのは 容易な事ではないのかもしれない。 企業社会のことはさておき、余白の人生には勝ち組とか負け組みなどという相対的なことではなく、 限りある時間を自分らしく生きる生活観とか充実感とか満足感とかの絶対的なことと、人に生かさ れていることへの感謝の心に執着する事が大切だと思うようになってきている。同級生達も環境が そうさせるのか、人生の年輪がそうさせるのか、一様に態度や表情には落ち着きとゆとりが感じら れ、口角泡を飛ばす激論などは影を潜め、昔仲間同士で余裕のある趣味の話などにうち興じてい たのが印象的だった。最近では角の立つ話よりユーモアに溢れたこちらのほうが実に好ましい。 ”世の中に 人と会うこそ 楽しけれ とは言うものの お前ではなし” ・・・蜀山人 2日間の古希記念の同期会を終えて仙台から空路能登に飛び、さらに2日間を能登で過ごし、結局 3日間続けて違う温泉に浸れるという果報に恵まれて、延べ5日間の”東北〜能登の旅”を終えた。 第1日目; 中学同期会 参加者98名。 於 鳴子温泉 鳴子観光ホテル。 第2日目; 高校同期会 参加者80名。 於 厳美渓矢びつ温泉、瑞泉閣。 第3日目; 能登で旧知の0会長と会食。 於 志賀の郷温泉、いこいの村。 第4日目; 懇談&ゴルフ。 於 能登ゴルフ〜弟宅泊 第5日目; 能登空港より帰宅。 <追記> 母校の野球部が今年は強そうだとの話題があったが、帰宅後親戚の後輩からメールがあり、春の 県大会で優勝して、その余勢を駆ってなんと東北大会でも優勝した、との朗報が届いた。3年前の 春の選抜大会以来の夏の甲子園出場も夢ではない様子だ。そろそろ始まる地方予選の記事を注 目してみる事にする。またいい夢が見られると良いが・・・。 |