小網代の森。  15、11、01

    秋が一段と深まり、朝霜が見られる季節になると、24節気でいう霜降(そうこう)
  を迎える。朝晩の冷え込みが厳しくなり、日が短く感じられてくる。山は紅葉で彩ら
  れ、間もなく立冬になる。

   秋晴れの好日、三浦半島南端の「小網代の森」にハイキングに出かけた。
  京急三崎口駅で降りて引橋(ひきはし)まで歩き、ここから油壷までの約2時間の
  散歩道である。

   引橋〜油壷といえば、かって500年前に起きた悲劇的な戦いの舞台でもある。
  その昔、この地域一帯は三浦一族が支配していた。一族の本拠地である新井城
  (現油壷マリンパーク付近)は三方を海に囲まれていて、この城に行くにはここに
  かかる橋を渡らねばならなかった。しかしいざ敵が攻めてくるときには橋を引いて
  渡れなくしてしまうので、難攻不落の名城といわれた。「引橋」という地名はこれに
  由来する。

   時が経ち、三浦一族は小田原を本拠地とする北条早雲率いる北条一族と対立
  を深める。永正9年(1512)、北条軍との戦いで三浦一族は敗れ、網代にあった
  新井城に立てこもり最後の抵抗をするが遂に滅亡する。一族最後の首領は三浦
  道寸義同(よしあつ)とその子義意(よしおき)。道寸義同率いる三浦一族はそろ
  って切り合い、城の崖下の湾に身を投げ、入江の海水は血と油で真っ赤に染ま
  った。「油壷」の名の由来である。今はヨットや釣り船がのんびりと浮かぶ穏やか
  な湾で当時の面影を偲ぶものは何もない。すべてうたかたの夢である。


   引橋からよく整備された遊歩道を歩くと、油壷までの間に「小網代の谷」がある。
  ここは東京湾と相模湾を分ける多摩三浦丘陵の南端でもある。長さ1200mの「浦
  の川」に水を集める面積およそ70haの小網代の森は<流域>が丸ごと緑に覆わ
  れている。森・干潟・海がひとまとまりで残る関東地方唯一の場所である。

   河口干潟と小網代湾が一体となった自然が残っていて、源流から海まで自然の
  生態系が連なるこうした場所は日本全国でもほとんど残っていない貴重な場所と
  云われている。こうした自然の重要性が認められて2005年に近郊緑地保全区域
  に指定されている。

   湿原、河口干潟を歩くと、自然景観とそこに住む生き物たちのドラマを味わうこ
  とができる。潮が引いた干潟に行くと沢山のチゴガニが群れ遊んでいるし、散策
  路の岩陰には小網代のシンボルといわれるアカテガニがいて、人の気配を感じ
  るとすぐに岩陰に隠れる姿が見られる。木に登る姿を見かけることも出来るそう
  だ。


     


  、同行した友人はここに住むチゴガニやアカテガニなどの生き物に興味を示すが、
  歴史好きの私はどうしても500年前にこの地で起きた三浦一族滅亡の戦いに思
  いが移る。

   程よい疲れを感じながら川沿いに湿地帯や干潟を歩き、やがて油壷に着いた。
  「ホテル観潮荘」でマグロの美味しい海鮮丼を食べ、帰路はバスで三浦の田園風
  景を見ながらのんびりと帰宅した。朝9時自宅出発、帰宅16時、7時間の秋の散
  策だった。