偕楽園の観梅。(その2)    15,03,07

  高湯温泉の安達屋の朝は、山々が一面雪に覆われて白雪が眼に眩しい。
 早速朝風呂に入り、この日の英気を養った。今日もほぼ400`走ることになる。

  朝飯はバイキングだったが、普通のホテルバイキングと違って、野菜も煮物
 も焼き魚も、何故か秘湯の宿の匂いがする。古い装飾の食堂で、暖炉の火が
 赤々と燃えているせいだろうか。宿泊者が老人夫婦の2組だけで、物静かな
 雰囲気が漂っているためだろうか。宿の主人に、曲がりくねった雪の山道を下
 って駐車場まで送ってもらう。ここからが今日の行軍開始である。

  まず4号線を二本松市に向かう。途中で道の駅があったので、地元産の自
 然薯や野菜などのお土産を買う。放射能汚染などの風評被害は老夫婦には
 関係がない。まもなく智恵子記念館に到着。

  @智恵子記念館;
  高村光太郎の「智恵子抄」で知られる智恵子は、旧姓長沼智恵子。二本松
 の裕福な造り酒屋の「こめや」の長女として何不自由なく育ち成長する。
 その生家「こめや」が現存していて、その裏側に「智恵子記念館」がある。

    

  「元始、女性は太陽であった。」という冒頭の文章で知られる平塚らいてうの
 雑誌「青鞜」創刊号の表紙絵を描いたほどの画才のあった智恵子だが、光太
 郎と結婚後に精神を病み、入院してから紙絵を知り、これに没頭して、再び
 豊かな才能を開花させる。その膨大な紙絵が展示されている。

  若い頃に院展に油絵の自信作を出品したが落選したことに気落ちし、2度と
 油絵の筆を持たなかったという勝気さがあったと記録されている。

  家内はこの勝気さを大変気に入っていたが、一方ではこの勝気な気性は
 孫がよく似ていると心配もしている。我々年寄り夫婦が心配しても仕方がな
 い事だと思うのだが、女性はやはりいつまでたっても心配性のようだ。

  A二本松城址;
  次に向かったのが二本松城址。いまは霞ヶ城公園となっているが戊辰戦争
 の激戦地で、城は砲撃され炎上落城し今は城跡だけになっている。二本松藩
 は戊辰戦争では会津を守る要の城として奮戦したが、隣藩の三春藩が新政
 府軍に寝返ったためたちまち挟み撃ちになり、悲劇的な敗戦落城となった。

  この城跡に「少年兵士隊の像」が建っている。二本松藩の成年男子はみな
 出陣して留守は婦女子と少年達だけだったが、12歳から17歳の少年達40名
 が志願して少年隊を作り、新政府軍と戦ってほとんどが戦死した。

  自刃した会津の白虎隊が有名だが、二本松少年隊は自刃ではなく戦死だ
 ったので世間に知られていないのだろうか。若年の少年兵士が勇敢に戦い
 玉砕した点では両者の悲劇は甲乙つけ難いのだが・・。

   
 
  この二本松の戦いは「戊辰戦争最大の激戦」ともいわれるが、城は落城、
 家老以下上級職全員が戦死している。城跡の近くに大隣寺というお寺があ
 る。二本松藩主の丹羽家一族の菩提寺だが、ここに「少年兵士隊」16名の
 墓がある。立派な墓で、後世の人達がねんごろに弔ったのであろう。

  城跡に立ち、少年兵士隊の墓に詣でたのには、もう一つの理由がある。
 真偽は定かではないが、90歳になる家内の叔母の話では、家内の曾祖母
 は、二本松藩の家老の息女で、落城後、数人のお供と一緒に新潟の長岡
 藩に徒歩で逃れるという、数奇な人生を辿った人らしい。つまり家内は二本
 松とは所縁のある末裔という事になる。今回の旅では二本松は欠かせない
 訪問地だったのである。

  訪問写真を多く撮って、家内の叔母に見聞の報告をするのが大事な目的
 の1つだった。戊辰戦争で敗れた二本松を初めて訪問し、多くの史実を知る
 ことが出来たのは自分にとっても大きな収穫だった。

  B白河南湖公園;
  二本松ICから東北自動車道に入り白河市の南湖公園に行った。
 この公園は、白河藩主松平定信が享和元年(1801年)に造成した日本最古
 の公園と云われている。広大な池を取り囲んで沢山の桜並木、松や楓が植
 えられている。庭内には日本庭園の「翆楽苑」や「共楽亭」があるが、時間
 の関係で入園出来なかった。名物の「南湖だんご」を食べて小腹を満たした。

  C白河ラーメン;
  噂の白河ラーメンを食べてきた。私も家内も今風のこってりラーメンや豚骨
 ラーメンは苦手なので、予めネットで調べておいたが、ご当地で貰ったパン
 フレットを見て驚いた。あるはあるは、なんと80軒ものラーメン屋が載ってい
 てどの店にするかまるで分らない。手打ちラーメンなら無難だろうと、人気の
 店”とら食堂”にした。2〜30分待ちは当たり前らしいが、ようやく入店できた。

  店主はいかにも職人らしく迎えてくれた。やや太めの縮れ麺は腰があって
 美味しく、スープも澄んだ醤油味で美味しい。すこし脂が多いと感じたが家内
 は気にった様子で満足していた。私には、可もなし不可もなしという店に思え
 た。

  これで3月2日から3日にかけての全ての予定が完了したので、一路白河
 ICから高速に乗って帰宅した。往復の総移動距離は784`。トラブルもなく、
 体調の急変もなく、やや疲れたが充実した旅になった。

  道の駅で買った自然薯とそばがき粉、偕楽園で買った水戸納豆を早速
 知人に土産として進呈し、大いに喜ばれた。我が家でも早速食べなきゃ・・・。