南伊豆の旅。    18,05,11

   5月7日は箱根CCが例年80歳以上のメンバーを無料招待する「寿会」の開催予定日である。

   家内と示し合わせて、たまにはゴルフの後は伊豆のどこかの温泉にそのまま泊りに出かけ
  ようということになり、7日のゴルフ終了後に伊豆湯ヶ島の某温泉旅館に、翌日は石廊崎の休
  暇村の温泉旅館に泊まって3日間伊豆の山と海を満喫しようということにした。

   ところが7日(月)と8日(火)があいにくの梅雨前線の接近で、大雨洪水の予報となり、ゴル
  フは中止、旅館もキャンセルした。大型連休の直後とあって、旅館は空室があるからキャン
  セル料なしで日延べをしてくれるというので、9日~10日の2日間の短縮旅行に切り替えた。
  連休直後で道路は渋滞もなく、梅雨前線も去り、まずまずの旅行日和となった。

   我が家から伊豆半島の南端の石廊崎までは主に3通りの行き方がある。
  やや遠廻りだが、東名沼津インター経由で伊豆の国~堂ヶ島、松崎を通って石廊崎に行く
  西海岸廻りの方法、次には箱根入り口から一般道135号線を走って、熱海、熱川、東伊豆、
  石廊崎までの東海岸沿いに走る方法、それと箱根から1号線を通り、修善寺~天城を経由
  して河津に抜けて石廊崎に向かう山道を走る方法の3通りである。

   今回は急ぐ旅でもないしのんびりと無料の一般道を海岸沿いに走ろうということで、東伊豆
  を走ることにした。約200㌔3時間半の距離だが、朝6時半に出発して4時間かけて11時前に
  宿泊場所の弓ヶ浜の「休暇村南伊豆」に到着した。

   宿舎に着くとすぐに予定した観光場所に出かけた。宿舎のすぐ前の弓ヶ浜海岸を散歩して、
  地元の漁師さんと雑談をした。砂浜は葉山の砂浜と違って、細かくて硬い砂質だった。葉山
  の長者が崎に似た景色で、のどかでゆったりとした海岸だった。

   昼食は下賀茂のとある小さな喫茶店で一人で切り盛りしているおばあさんの作ってくれた
  パスタを食べたが思いのほか美味しかった。常連の農家の3人のオバさんとオジさんが屈
  託なくしゃべる駿河弁の会話は半分しか判らなかったが、笑いが絶えず楽しい昼食のひと
  時となった。

   道すがら、下賀茂の通りに「外岡モータース」という看板を見つけ、そういえば学生時代の
  寮で同室だった友人が「外岡」姓で、下賀茂出身だった事を懐かしく思い出した。この地域
  にはに同じ苗字(とのおか)の家が沢山あるのだろうか。彼とは語りつくせぬ思い出がある
  が、残念ながら鬼籍に入ったらしい。

   オバさん達に教えてもらった道順をたどって「石廊崎海岸」と「あいあい岬」に行き、ここか
  ら見える伊豆半島最南端の海とそそり立つ岩山に見とれてたくさんの写真を撮った。ただ
  石廊崎の先端だけは駐車場の工事中で立ち入り禁止で入れなかった。

   石廊崎見物は家内のたっての希望だったが、海が荒れていてお目当ての遊覧船巡りは
  欠航だった。家内は灯台近くの石堂神社にお参りをして、神官とお話をしてきたようだ。
  (私は疲れたので石段を登って灯台に行く事はやめ途中休憩した。)

                                   

   石廊崎灯台は三浦半島の観音崎灯台に似た景色だった。地元の観音崎灯台や城ヶ島
  灯台を始め、房総半島の犬吠埼灯台、紀伊半島の潮岬灯台、知多半島の野間灯台、秋
  田の入道崎灯台などずいぶん灯台見物をしている。ほかに半島や岬は、秋田の男鹿半
  島、能登半島、青森の津軽半島と下北半島、北海道の知床半島、根室、松前半島など、
  随分家内と半島巡りをしたものだが、まだまだ序の口に過ぎない。

   予定通り17時に宿舎に戻った。「休暇村○○」という宿泊施設は全国に37か所あって、
  いずれも格安な料金で泊まれる便利な宿舎で、並の旅館よりもいくつかの点で優れてい
  る。「休暇村南伊豆」も部屋もきれいに整っていて細かいところに気配りが感じられ、従業
  員も親切でなかなか印象がよかった。

   食事は朝夕ともにバイキングで、肉系はほとんどなく、駿河湾で揚がった新鮮な魚料理
  がふんだんに並んでいた。獲れたての魚の刺身、鯛のカマの煮魚、焼き魚は特に美味し
  くて、楽しみにしていた1合のお酒と絶妙に溶け合って満足した。

   食堂や部屋からは真下に弓ヶ浜の海岸が見え、わが相模湾とは少し趣の違った駿河
  湾を眺め、広い露天風呂で命の洗濯をした。ただし泉質は単純泉でいまいちだった。

   翌日ゆっくりと朝飯を食べ10時に宿舎を出発。下賀茂の道の駅で地元野菜などの土産
  を買い、河津から海に別れを告げて山道に入った。浄蓮の滝でわさびを買い、浄蓮の滝
  のビューポイントで記念写真を撮り、天城から修善寺に向かった。

     

   以前、浄蓮の滝に来て天城のトンネルを潜り抜けて伊豆の踊子の雰囲気を味わった
  のは今から8年前の1月だった。前回は修善寺には寄らなかったが、意外にも家内は
  修善寺は初めてだというので、修禅寺、独鈷の湯、遊歩道などを案内した。昔と随分
  雰囲気が違って観光客用に一変した修善寺だった。

   修善寺と修禅寺は呼び名は同じだが、「善」と「禅」の文字が違う。
  修善寺は地名で、修禅寺はお寺の名前である。

   源頼朝の弟の範頼が謀反の疑いでこの寺に幽閉されその後頼朝に殺害されている。
  又頼朝の死後、息子の2代将軍頼家も、北条氏により将軍職をはく奪されて修禅寺に
  幽閉され謀殺されている。今でこそ観光地として人気が高いが、その昔の修禅寺は都
  から遠く離れた山中の寂れた寺だったのであろう。歴史上重要な寺で知られた悲劇の
  修禅寺である。

     

   ここで昼食にソバを食べ、修善寺から1号線を走り箱根から小田原に向かった。
  小田原にはいつも仲間とのゴルフの帰りに立ち寄る干物屋がある。ここでいつもの通り
  アジの干物、塩辛などの好物を買って無事に帰宅した。

   往復約450㌔の南伊豆を満喫した2日間だった。娘と孫にたくさん土産を持参して喜ば
  れた。何より事故や違反もなかった事にほっとした。80歳を過ぎると運転感覚がだいぶ
  衰えていることを実感した450㌔でもあった。