文学と歴史の里、伊豆の旅。                        07,10,25

  Tグループ8社の仕事仲間でかつ遊び仲間の20数人でOB会を結成して毎年一泊で国内各地の名所旧跡
 を訪ねては見聞を広めています。この会もほぼ20年の歴史を数え、北は北海道の知床、南は別府、阿蘇な
 どまで探訪の足を伸ばしてきました。
 個性あふれるつわもの同士で互いに歴史観やら時事評論やらで口角泡を飛ばし、軟らかい昔の武勇伝も
 飛び出すなど、薀蓄を傾け合い爆笑し合い、地の酒、地の魚に舌鼓をうつ旅を続けてきました。既に物故さ
 れた先輩は5人を超え、時に偲ぶ会を開き故人の思い出に浸ることもあります。

 今年は10月19日から21日まで2泊3日の伊豆の旅でした。最長老82歳、平均年齢が軽く65歳を超えるまで
 になったのでかっての酒量には及ぶべくもありませんが弁舌だけは昔のままの勢いがあって昔日をお互い
 に懐かしむ会に変貌してきました。
 今年の参加者は12名。目玉は@ゴルフ。A文豪川端康成が伊豆の踊り子を執筆したといわれる湯ヶ島温
 泉の旅荘「湯本館」宿泊と宴会。B頼朝と政子の足跡。C天城連山、河津七滝、修善寺、など秋の中伊豆
 の探訪。というところでしょうか。

 第一日目は富士エースゴルフクラブでコンペ。その夜は伊豆湯ヶ島に移動して「湯本館」に宿泊。湯本館の
 露天風呂は狩野川の渓流沿いにあって岩手の大沢温泉の露天風呂に匹敵する野趣豊かな湯で、ここから
 の渓流の眺めは実にすばらしい。川端康成はこの湯に浸って踊り子の構想を練ったに違いありません。
 康成が執筆した部屋、同じく尾崎紅葉が執筆した部屋もあり、たまたま私達はこの部屋{もみじ」で一夜を過
 ごすことができました。ただ無粋な男達ゆえ詩情どころか焼酎2本を空ける怪気炎の車座になり、これでは
 康成も紅葉も草葉の陰で呆れていたに違いありません。
 2日目はバスで天城〜河津七滝の中伊豆を経て修善寺で昼食の蕎麦。酒のつまみはそばがきか「抜き」
 (つまりはそばつゆのこと)がいい。などと能書きを言いながら蕎麦の前に白酒(つまりどぶろく)に舌鼓を打
 ちました。この旅の一つの目玉にしていた頼朝が流された韮山の蛭ヶ小島(期待した割には失望。)、江戸
 時代に韮山の反射炉(銃砲鋳造の溶鉱炉)を築造し、日本で始めてパンを製造した伊豆きっての実力者、
 土豪で代官の江川太郎衛門邸などを見て三島で解散しました。

 来年は世界遺産に登録された紀州山地の「熊野古道」を訪れることに衆議一決しました。

 ・・・残念なことにデジカメを忘れてしまい伊豆の景観も仲間の勇姿も撮影することが出来ませんでした。・・・
 D社の宇野さんが写真をCDに落として送ってくれた
 ので、お陰で記念の記録に花を添えることが出来
 ました。
 
 伊豆・湯ヶ島の「湯本館」です。

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