秋の円覚寺を歩く。       15,10,27

   北鎌倉駅周辺には古都鎌倉を代表する古刹が数多くあり、四季の花と仏像を見に訪れる
  観光客は後を絶たない。鎌倉五山第1位の建長寺、第2位の円覚寺を始め、浄智寺、東慶
  寺、明月院、円応寺が北鎌倉駅から鎌倉に至る鎌倉街道沿いに並んでいる。駅から大船
  方向に数百メートル歩けば、我が家の菩提寺の光照寺がひっそりと佇んでいる。義父母の
  眠る建長寺とは徒歩20分ほどなので墓参には絶好の散歩道になっている。建長寺にはよく
  行くが、並び立つ巨刹円覚寺にはめったに行くことがない。

   行楽日和の27日に円覚寺と建長寺を訪れた。北鎌倉駅から徒歩1分の臨済宗円覚寺。
  明治22年に軍港横須賀への軍の資材輸送のために開通した横須賀線によって、境内が
  分断されてしまったが、五山第2位の格式は揺るぎもしない。境内のあちこちにシュウメイ
  ギクが綺麗に咲いていた。

   高校日本史で必ず習うことだが、文永・弘安の役(1274、1281)での蒙古襲来により戦死
  した兵士を弔うため、時の執権北条時宗が、宋の高僧無学祖元を開山に迎えて、弘安5年
  (1282)に円覚寺を創建した。舎利殿と洪鐘(おおがね)は必見の国宝である。無学祖元
  は建長寺の開山・蘭渓道隆と共に鎌倉時代の臨済宗の普及に尽くした名僧として名高い。

   「鎌倉淡青会」という会がある。云うまでもなくスクールカラーの「淡青」からとった名前で、
  鎌倉周辺に住む東京大学出身者の集まりである。

   かって在職中の仕事仲間だったK氏は、仕事だけでなく囲碁とゴルフでも好敵手だった。
  ひるむ事を知らない熱血漢で、類いまれなリーダーシップと行動力で部下を引っ張っていた。
  東大OBの彼は現在この鎌倉淡青会の事務局の世話役をしているそうだが、7月初旬に
  「鎌倉淡青会公開セミナー2015@円覚寺」 という案内状を送ってきて、興味があったら聴
  講して欲しいという。ほぼ隔月に開かれているが、ようやく今月27日に予定がとれたので、
  彼の好意に甘えて、円覚寺の大方丈で行われた公開セミナーに参加してきた。

   今回の演題は、「関東大震災と鎌倉の復興ー写真と手記で語る」 というものだった。
  講師は鎌倉市中央図書館近代史資料館に勤務する平田女子。

   震災は大正12年(1923年)9月1日に起きているが、鎌倉は各地で建屋の倒壊や津波に
  より甚大な被害を蒙っている。その数日後に各地で撮られた貴重な記録写真の解説を中
  心に、@被害の状況。A復興の状況。B積極的な再建策と復興予算(町債発行などの借
  金)などを懇切丁寧に説明してくれた。

   学生時代に鎌倉の学生寮で4年間生活したので、鎌倉の地理には多少馴染みがある。
  懐かしい施設や商店、別荘などが、震災で壊滅的な打撃を受けた様子が手に取るように
  判り感慨深かった。昨年11月に惜しまれつつ閉店した八幡宮そばの邦栄堂書店が、震災
  直後の鎌倉駅頭で仮売店を開き、文具とステッキを売っていた。90年も前の事である。

   幻のような鎌倉御用邸の被害も写っていた。鎌倉御用邸は葉山御用邸に次いで5年後
  の明治32年(1899)に建設され、主に内親王の冨美宮、泰宮の避寒地として利用されてい
  たが、震災で全半壊したのでその後使用されず、土地は鎌倉町に払い下げられ、跡地に
  は昭和8年(1933)に御成小学校が建てられた。建設当時、第3小学校と呼ばれていたそ
  うだが、御用邸の跡地に対して「第3」では恐れ多いとして、御成小学校と改称され、付近
  は御成通りとなっている。その経緯などは、今では古老以外では知る人も少ないはずだ。

   八幡宮の舞殿も無残に倒壊していた。その真ん前に応急的に作ったと思われる白木の
  鳥居が写っていた。聞けば、明治初年に廃仏毀釈令によって八幡宮寺が八幡宮に名称
  変更した時、大塔等の仏教的建造物や仏像はすべて破壊されたが、その時に廃仏毀釈
  の象徴としてこの鳥居を作ったらしい。勿論現在この鳥居は残っていないが、写真を見る
  限り、震災前のものか、震災後に急遽建てたものかは一切不明である。なにせ90年も前
  の珍しい写真である。

   帰途、建長寺で義父母の墓参をして鎌倉駅まで歩いた。小町通りでフト興が湧いて名物
  汁粉屋の「納言」に立ち寄り、家内はあんみつ、私は汁粉を食べた。なんと55年ぶりの
  「納言」の汁粉である。店の中の造りは当時の面影が色濃く残っていた。創業をきいたら
  昭和27年だという。その5年後には立ち寄って汁粉を食べている。

   左党だからめったに甘いものは食べないが、何故かこの店に入った時に、周囲は女学
  生ばかりだったので居心地の悪い思いをした記憶がある。店の女将に話したら、目を丸く
  して驚いていた。紛れもなくあの時と同じ汁粉の味だった。