安土城遺跡に立つ。                    05,09,30
 新幹線米原駅で下車しJR琵琶湖線に乗り換え京都大阪に向かう各駅停車の6駅目に小さなローカル駅安土駅
 があります。この地こそ織田信長が天下統一を目指しその確固たる拠点として築いた幻の名城安土城のあった
 土地です。三方に琵琶湖、対岸に比叡山を望むこの高台に建つ安土城の天守閣で信長は天下を明日に睨んで
 いたのでしょうか。幻の名城といわれる安土城は天正7年(1579年)に築かれ、本能寺の変の半年たらず、築城
 わずか3年で焼失しました。義父光秀が秀吉に討たれたと知った明智光秀の娘婿明智秀満が安土城を退却する
 際に火を放って焼き払ったといわれています。謎に包まれた安土城は近年の研究と発掘調査によりようやくその
 全貌が明らかになってきました。日本で最初の天守閣を持つ5層7階の木造高層建築、それも5階は柱が朱塗り
 の正八角形、6階の外壁と屋根瓦は金箔で仕上げられていたようです。
 機会があって初めてこの地を訪れることができ、城址に立ち実際に石垣に手を触れ往時の信長に思いを馳せる
 ことが出来ました。

  JR琵琶湖線の「安土」駅は各駅停車しか停まらない
 ローカル駅です。秋日和のこの日、初めて降り立った
 旅人の期待が高まります。
 

 安土城石段。
 この先ほぼ40分ほど登ると天守閣跡地に到着します。
 写真の左側には羽柴秀吉の館跡、右側には前田利家
 の館跡があります。


  城の石垣には赤く焼け爛れた跡があります。
 安土城炎上の時に焼けて割れたものといわれています
 1992年「スペイン・セビリア万国博覧会」の日本館の
 メイン展示として安土城「天主」が実寸大に再現されて
 人気を博した。万博終了後これを安土町が譲り受けて
 解体修理しこの記念館「信長の館」に移設しました。


 同じく金箔が施された屋根瓦と外壁も展示されています。
 安土城を実際に見たスペインの宣教師が書き残した
 安土城の描写によれば、遠くから見ると天守閣が青く
 光って見えたそうです。しかし証拠立てる青い瓦は見
 つかっていないようでミステリーの一つだそうです
 
 宇多天皇の末裔「近江源氏佐々木氏」の系図を資料
 館で見つけました。

 源頼朝に従って勲功を上げた佐々木氏は鎌倉時代
 には北近江を中心にその勢力を伸ばし17国もの守
 護を勤めたほどの名門家系です。その後一族は大き
 く4家に分かれ、惣領家の六角氏、大原、高島、京極
 家となっていきます。特に京極家は南北朝の争乱で
 足利尊氏に従って活躍し、京極高氏が北近江を勢力
 下に収め、南近江を支配する六角氏と競い合うように
 なります。

 我が家の家系図を辿って奇跡的に近江源氏佐々木
 氏に至れば面白いがそんなことは万が一にもあり得
 ない。しかしまるで無関係だとも断言できないのがこ
 のての話の面白いところ。
 

 安土見聞後。−甲賀忍者屋敷のことー
 安土駅から再びJR琵琶湖線に乗り20分後草津駅に到着。ここでJR草津線に乗り換えてさらに20分「甲南駅」に
 到着するとここには甲賀忍者の忍者屋敷が現存展示されている。池波正太郎の長編小説「真田太平記」には真田
 一族の「草の者」(かっての武田忍者)と甲賀忍者(徳川配下の山中忍び)の息詰まる暗闘が描かれているが、最
 近ようやくこの大長編小説を読み終えたので機会あらば是非この甲賀忍者屋敷を見聞したいと願っていた。その
 機会がようやく訪れたのに残念なことに安土城の見物でかなり疲労したので予定を変更、見物を諦めて宿泊地の
 水口に向かった。江南駅のひと駅手前の貴生川(きぶかわ)駅で降りると近江鉄道と信楽高原鉄道が走っている。
 信楽(しがらき)高原鉄道はかって鉄道事故でその名を馳せた鉄道。近江鉄道に乗り2駅で無人駅の水口に着く。
 南近江というのだろうかこの辺は特に工業地帯でもなく大商業都市でもなく観光地とも言い難く人の集まる特徴的
 な魅力の感じられない町並みだ。この地のホテルで弟夫婦達と待ち合わせ宿泊し翌日コムウッドゴルフクラブでの
 親睦ゴルフに参加。ゴルフの結果は忘却の彼方・・・。

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