第9回従兄弟会。        10,10,04

    今年の従兄弟会は9月25日に一関の亡母の実家で行われた。市内を流れる磐井川の堤防の嵩上げ工事のため
   実家が立ち退きの対象になり、市内の別の場所に引越しをするとのことで、懐かしいこの地を去る記念の「お別れ
   会」も兼ねている。私の祖父母がこの地に新居を定めてほぼ100年になるが、昭和22,23年のカスリン、アイオン
   台風で大被害にあい、家は改築に改築を重ね昔の面影はほとんどない。それでも所々に記憶に残る箇所がある。
   私の高校生活2年間の生活の場でもあった。写真中央に写っている本家の家督、匡三さんも参加してくれ、85歳の
   叔母をはじめ総勢20数名の盛大な従兄弟会になった。ここ2年間従兄弟会には欠席したが、年はとっても相変わら
   ず皆元気で、和気藹々、談論風発の和やかな宴会になった。アルコールは極力控えようと思っていたが、酒豪の
   面々から勧められるとついつい手が出て、結局は元の木阿弥になって少々やりすぎの感があった。

    翌日はバスを借り切って全員で須川岳に出かけた。宮城・岩手内陸大地震の爪あとがくっきりと山肌に残っている
   が、寸断された道路も全て復旧が完了し、今では快適なドライブウエイになっていた。山は寒いと事前予告されてい
   たが、この日は絶好の行楽日和で、紅葉にはまだ早いが素晴らしい眺望が開けていた。山がそっくり動いたという
   大規模な地滑り、激しかった山崩れ、無残に崩落した橋、バスから見る眼下には地滑りした地震の爪あとが生々し
   く残っていた。須川高原温泉ホテルは「日本の秘湯を守る会」に登録されている湯量も豊富な温泉で、訪れる登山
   客で賑わっていた。余談だが昔は男女混浴だったような記憶があるが、女性客のクレームで今は混浴風呂は日本
   中ほとんどなくなったという。
    一風呂浴びる組、近くの山あいを散策する組に分かれたが、私は散策組を選んだ。例の熱中症の後遺症らしき
   足が吊る症状が再発するかどうかの確認の意味もあったが、ほぼ1時間の山道散策も一時怪しくなったもののどう
   にか完歩できた。硫黄の匂いが漂う須川の岩肌、噴火口の跡、赤い小さな実をつけたナナカマドが一面に咲き、
   涼風が汗ばんだ肌に心地よく、山道の途中には掘っ立て小屋風の小さな露天風呂が点在していた。入浴、昼食を
   済ませて一関に戻り無事に散会した。


    亡母の7回忌を平成14年11月に厳美渓・矢びつ温泉「瑞泉閣」で行ったのが第1回の従兄弟会なので、今年で
   9回目の従兄弟会になる。来年の10回記念はどうも能登か姫路に行くらしい。みんな元気に参加できればと思う。

   宴会風景。
 皆さんが食べ物・飲み物を持ち寄って
 盛大な宴会になった。従兄弟だけで
 なく、叔母からひ孫まで総勢22名の
 大宴会だった。

 渓流釣りの名人Mさんが釣った岩魚・
 山女を夫人が甘露煮と唐揚げにする
 のがM夫妻の得意料理。
 加えて山菜の煮しめ、漬物などなど、
 弟の持ち込んだ「百年の孤独」のつま
 みにはうってつけの料理が並び、懐か
 しい田舎料理に舌鼓をうった。