ゴルフよもやま話、ー熱中症ー      10,09,23

    とうとう流行の熱中症に罹ってしまった。7月24日に恒例の箱根CC開場記念杯ゴルフ会があり、メンバーと
   家族は無料招待なので、家内と二人で参加してゴルフと屋台の料理を愉しんできた。午前中のハーフを45で
   回り、ハンデからみて希望があると意気揚々午後のハーフ、10番のショートホールに向かった。ティーショット
   を終わって歩き出したら、突然目の前が真っ白になり、霞がかかってよく見えなくなった。ふらついた。次に耳
   がキーンと耳鳴りがして自分の声も同伴者の声も聞き取れなくなった。まるで水泳の時に耳に水が入って聞こ
   えなくなるあれと同じ症状だった。次に突然両足が吊ってきて歩けなくなりしゃがみ込んでしまった。いわゆる
   典型的な熱中症の症状らしくとてもゴルフどころではない。同伴者からもリタイアを勧められ迎えのカートを呼
   んで遂に無念のリタイアとなった。フロントで用意してくれた氷で首筋を冷やし水分を補給し2時間ほど涼しい
   場所で安静にしてようやく小康状態になった。
    箱根CCは標高700mで小田原よりも5〜6度は気温が低く、夏は快適なゴルフ場だが、油断をすると熱中
   症に襲われると改めて再認識をさせられた。帰宅後もしばらく後遺症らしき眩暈や足のふらつきが続いたの
   でしばらく外出を控えるようにした。勿論朝の散歩も取りやめた。加えて8月17日に例の左手の入院手術をし
   たので、ほぼ2ヶ月間自宅にほとんど引きこもり、エアコンの部屋で長期静養に及んでしまった。体重は微増、
   血糖値もやや上昇、歩行するとすぐ足が吊る。外に出ればすぐに疲れる。永年散歩を欠かさず体調管理を
   怠らずに来たのに、一瞬の出来事で体力が衰え元の木阿弥に戻ってしまった。

    今年の夏は尋常の暑さではなかった。日本中、いや世界中で最高気温を更新して、遂には40度というおよ
   そ人間の住む限界を超える場所も出現する有様だった。熱中症という病気が昔からあったのかどうかは知ら
   ないが、今年は至る所で熱中症患者が救急車のお世話になったり自宅での死亡事故が発生した。特に老人
   が集中的にこれにやられた。昔は日射病とよくいわれたが多分これとは違う病なのだろう。熱中症防止のた
   め老人は積極的にクーラーを活用せよと言う。そういえばクーラー病などといった病はもう流行らない言葉な
   のだろうか。
    老人は体の熱代謝機能が低下してしまい、体内に熱があるのに熱放出をしない、汗をかかないことが熱中
   症発病の原因らしい。とにかく私は今年初めて流行の熱中症を経験する羽目になってしまった。

    つい先日の9月21日、箱根CC毎年恒例の”箱根カップ争奪戦”があった。これには毎年会社時代の元部下
   を誘って参加していて、彼らはこれを楽しみにしている。早くからエントリーをしていたのでやめるわけにはい
   かない。熱中症、それに例の左手の手術もあって、2ヶ月ぶり、まともなゴルフは3ヶ月ぶりである。左手の傷
   跡をしっかりサポートして不安だらけのスタートをした。案の定ショットは悪い、距離はますます衰えていた。
   おまけに肩や関節の痛みが激しく歩行もままならない。遂に不安は的中した。そろそろ終わりに近づいた16
   番グリーンで足が猛烈に吊り始めた。両足のこむら、大腿部、前側の弁慶の泣き所、つま先、甲、ありとあら
   ゆる箇所が吊り始めて立っていることも出来ない。キャディさんにエアーサロンパスを何度も吹き付けてもら
   い、ようやくホールアウトしたが勿論スコアは散々だった。原因はよくわからない。熱中症が再発したのか、
   それとも単なる運動不足なのだろうか。

    この日から数日の間、後遺症のように背中の痛みと足の吊りが直らない。寝違えたように、首筋から背中
   廻りを中心に全身の痛みが続き、まさに典型的な病後の老人のような歩き振りになっているようだ。これで
   はこれから予定されている仲間とのいくつかの秋のイベントのゴルフ会の参加などとてもおぼつかない。
    まして私より12歳も年上の今津大先輩とは今後到底戦えない。家内と娘に肩と背中を揉んでもらい悲鳴
   を上げながら思案投げ首の情けない近況である。(しかしまた節制して復調するつもりです。)