ゴルフよもやま話 「壷中天地」ほか      10,06,13

  @壷中天地

   「壷中天」という掛け軸が床の間に飾ってあるのを見たことがありませんか。早朝のNHKテレビのさる番組
  にさり気なくこの掛け軸が出ています。また茶室の掛け物で見かける趣味人もおられるでしょう。出典は李白
  の「蹉た(足へんに宅)たり人間(じんかん)の世/寥落(りょうらく)たり壷中(こちゅう)の天」 だと永井荷風の
  断腸亭日乗を読んで知りました。荷風は芸者のお歌という女性を引かせ、八幡町路地裏の菓子屋「壷屋」の
  裏の貸家を借りてここに住まわせたので、この隠れ家を「壷中庵」と名付けていたと書かれています。李白の
  「壷中の天」と菓子屋の屋号の「壷」にあやかって壷中庵と名付けたのでしょう。

   箱根カントリークラブの近藤前理事長は箱根CCを「壷中天地」と讃えました。前理事長の話では、「後漢の
  時代(西暦25〜220年)汝南という町の中に薬を売る老翁がいて、人々から壷公とよばれていました。いつ
  も店先に壷をひとつぶら下げていたからです。不思議なことに壷公は夕方店じまいをすると、壷の中にヒラリ
  と飛び込む癖を持っていました。町の役人がこの秘密に気がつき、何かと口実を設けて壷公に近づき、とう
  とう壷の中に一緒に連れて行ってもらうことに成功しました。驚いたことには、壷の中は広大な別天地で、金
  殿玉楼がそびえたち、広い庭園には珍しい草花が一杯に生えていて、奇岩泉水の配置も目を見張るばかり
  の見事なものでした。それから美酒佳肴のもてなしを受け、夜のふけるまで壷公と歓談しましたが、実は壷
  公は仙人で、しばらく人間界に身をやつしていたという事情がわかりました。帰り際に壷公は、壷の中のこと
  は決して他言するなよ、と念を押したそうです」 この話から箱根CCは「壷中天地」だとおっしゃるのです。

   ということで、私のホームコースの箱根カントリークラブは四方を麗しい山・外輪山にすっぽりと囲まれ、芦ノ
  湖よりもさらに低い壷の中の別天地で、「壷中天地」とは博識の前理事長よくぞ喩えたりの感がします。外輪
  山に囲まれた箱根CCはまさに、「壷中天地」あるいは「別に1壷の天」と称されるにふさわしく、四季の移ろ
  いを見せる箱根の景観の見事さに、訪れるゴルファーが感嘆の声を上げるゴルフ場になっているのです。春
  にはミツバツツジ、コブシ、フジ桜、レンギョウがきれいな花を咲かせ、イタリ池には時にカワセミやコジュケイ、
  コースではつがいのキジ、リス,キツネなども見かけられます。特に春のツツジと桜は箱根CCの圧巻といえ
  るでしょう。壷公は、壷の中のことは他言するなよ、と釘をさしたそうですが、箱根CCはいつでもゴルファー
  を温かく迎えてくれます。(別に宣伝するつもりではありません・・・。)
   荷風の断腸亭日乗を読みながら「壷中天」のくだりに目が留まったのでこの話を紹介したくなりました。


  A著書「日本のゴルフ100年」

   今年の5月、秩父の三峰講に参加した時、同席・同宿した元A新聞社会部記者で現在いくつかの大学講師
  を務めている同い年のKさんと知り合い二日間いろんな話に花を咲かせました。山好きのKさんが、遭難した
  パーティをヘリで発見し救助に尽力して、迫真の写真と記事で紙面を飾り、その特ダネで局長賞を貰った話
  など面白い話をたくさん聞かせてもらいました。いずれかの機会に講元のI大先輩とご一緒に葉山GCでプレー
  しましょうと軽くご挨拶をして別れた所、後日Kさんから「日本のゴルフ100年」という400ページを超えるKさん
  自身の著書が送られてきました。なんとKさんはゴルフ史研究者としての一面を持ち、ニューヨーク支局長、
  ヨーロッパ総局長の時からゴルフ史に興味を持ち、国内外のプロゴルファーやゴルフ場、ゴルフ関係者に綿
  密な取材をし膨大なゴルフ資料を収集分析をしておられたのです。

   この著書を読むと、1903年(明治36年)に日本で初めてオープンした現在の神戸ゴルフ倶楽部六甲コース
  の発祥の経緯から、戦中戦後のゴルフの受難時代、今日のゴルフ繁栄時代まで実に豊富な資料を集め、関
  係者を訪問してインタビューをしていることに驚きます。草創期のゴルフ愛好者と開拓者、戦争により閉鎖さ
  れた多くのゴルフ場と占領軍の関与、戦場に消えたプロゴルファー達、戦後復活するゴルフ場の秘話、ゴル
  フ場の設計者や、芝の苦労や、ゴルフクラブ、ボールの変遷、日本のトーナメントの歴史、活躍した有名プロ
  とのインタビューと逸話など、まさに日本ゴルフ史の決定版といえる大著でした。

   聞きそびれたがKさんは国内外のゴルフ場をいったいいくつ回ったのでしょう。なんといっても特派員の特権
  で、世界の4大競技(メジャー)をはじめ世界中のゴルフ場を巡り、関係者やプレーヤーに取材し、85年のマス
  ターズでは、終了の翌日オーガスタでプレー(ティーマークもピンの位置も最終日そのままだったそうです。)
  までしたという華々しい逸話ぞろいの持ち主だから驚くほどのゴルフ場の数になるのでしょう。そういえば大
  浅間CCで細川護熙さん(元首相、上智大学ゴルフ部キャプテン、当時ハンデが6くらい、現箱根CC理事長)
  と回ったそうだから腕のほうも生半可ではないでしょう。「いつか葉山で・・」などと気軽に声を掛けたのが恥
  ずかしい。
   Kさんの名刺には、大学関係のほかに、ゴルフコース設計者協会名誉会員、日本プロゴルフ協会学術委員、
  パブリックゴルフ場事業協会理事という肩書きも付いているので、いまなおゴルフに拘りのある生活をされて
  いるのでしょう。貴重な得がたい方と知己になれたものです。KさんのA新聞社時代の大先輩、I講元さんに
  感謝感謝です。これも三峰講参加のご利益なのでしょうか。