寿会(シルバークラス) ![]() 毎年恒例の箱根CC寿会の季節がやってきた。8月末にもなると標高700Mのこのゴルフ場には 秋の気配があちこちに感じられ涼風が肌に心地よい。トンボも飛び交い始めた。寿会は70歳以上 の会員を無料招待する人気のイベントで、70歳から80歳までを寿会(シルバークラス)、80歳以上 を寿会(ゴールドクラス)と呼び、別の日に開催される。日頃は使わないゴールドティを使用するの で好スコアが生まれる。 4年前のこの大会でグロス81、11アンダーというとてつもないスコアで優勝したのは遠い昔の話 だが、昨年ですらグロス95という不本意な成績だったと去年のHPには書いてあった。まだまだ 90前後で廻る自信があったから「不本意」などという不遜なことを書いたのだろう。 しかし今年は初めからスコアは眼中になかった。やはり後半にバテてしまいグロスが102だった。 無料招待とあっていつも参加者が多く、この日も参加者は30組120名という盛況だった。幸運とい うか飛び賞75位の商品を頂いた。 パーティ席上で細川理事長が「第6回後藤新平賞」を受賞した旨の報告があった。国家100年の 事業を成し遂げた後藤新平に見習って設けられた賞で、日本の将来を見据えて画期的な活動を している人物にこの賞は贈られている。細川さんの知事時代の業績、ウルグアイラウンド成立を 成し遂げた首相時代の業績、最近の「瓦礫を生かす森の長城プロジェクト」の立ち上げに見られ る意欲的な国土再生の活動が授賞理由との事であった。この件については後日書き残すつもり。 ところで去年の寿会は8月29日だったが、去年のこの日には民主党の代表選挙が行われて野 田党首が誕生している。ゴルフ場で昼食を食べながらパートナーたちと話題もちきりだった。早い ものでもう1年もたった。国民期待の2大政党の誕生や政権交代の期待は色あせ、早くも賞味期 限切れとの評判がもっぱらだ。選挙は近い。内政・外交ともに課題山積の日本の針路について 100年の大計と道筋を示す実行力を期待したいが、どうも心もとなく悲観的になってしまう。 ロシア、中国、韓国との領土問題などは日本の政権の脆弱さにつけ込んだ彼らのしたたかな国 家戦略でまさに頂門の一針だが、ひたすら穏便にと平和外交を唱える弱腰外交に見えて仕方が ない。そもそも我が国の国民には領土を死守するという国民的合意や覚悟がない。日本国憲法 にも国家の領土を守る国民の義務などどこにも書かれていない。誰かが守ってくれるという暗黙 の合意があるだけなのだ。国土に関する基本となる国家戦略・国家理念がないから国民は身を 犠牲にして国土を守る意識がない。なにやら自衛隊がやっているらしい、の程度の意識しかない。 原発反対のデモに1万人集まっても、領土防衛のデモなど起きるはずもないのが悲しいかなこ の国の領土意識なのだろう。我々はそのように教育されてきたのだから、弱腰政府だと批判する のも間違いなのかもしれない。国土防衛の為に命を捧げた多くの若者がいた過去の事実を語る とき、命の尊さと同時に、守るべき国土の必要性の軽重にも言及すべきだろう。 帝国主義的領土侵略の萌芽が見え隠れし始めている。「戦争反対」は万人の望むことで誰も 異論のあるはずもない。だが、犠牲者の立場からの人道的な戦争反対だけでなく、何故戦争が 起きるのか、その根本原因の除去こそ平和運動の基本思想であるべきと考えるが如何であろ うか。 そろそろ国土・領土を守る国民的合意形成の議論を始めるべきだろう。この際には憲法問題も 避けては通れないとの覚悟をすべきだろう。この議論を始めるのはえてしてタカ派と呼ばれる一 部の保守派、強硬派に多いのだが、決して「またタカ派の出現か。」と切り捨ててはならない。 原発に話を変えよう。将来の原発選択の3ケースが取りざたされている。多くの大衆は原発ゼ ロを希望しこれが大勢を占めているようだ。、私には政府の3つの選択肢の提示がいささか奇異 に思えてならない。むしろ間違った提示をしているとさえ感じている。私の視点はこうだ。 もしも地震国日本に不幸な原発事故が再発したら、復旧にどれだけの犠牲と期間がかかるか? その影響を何ケースかに分けて政府は国民に明確に示すのが先だろうと思う。たとえ復旧に1億 年かかろうともである。地震国日本にその可能性は皆無だなどと大見えを切ってはいけない。 その犠牲と期間が不幸にして現実になった時、100年後1000年後の子孫が、我々の原発依存 の選択をどう評価するだろうか?「先人は賢い選択をしたか、愚かな選択をしたか?」 事故の 影響を直接受け、後処理の義務を負う後世の人たちの立場に立って原子力政策を選択する義 務が、我々現世の人間にあると考えるべきではないか。蠱惑的で魔性に満ちた「原子の火」を 手に入れてしまった人類の究極の選択が求められている。原子力を持ち続けるのも捨てるのも 勇気がいる。そう簡単なことではないが、決して当面の利益影響を判断基準にしてはならない。 経団連・日経連・日商などの老人経営者の言う当面の経済効果からの原発必要性などは、恐 れながら愚の骨頂と思える。彼らは目先の事しか念頭にない発想の貧弱な老人集団なのである。 国家は、そうした犠牲と復旧の青写真を示したうえで、はじめて原発選択の3ケースを示し、国 民は1000年後の人類が「さすが先人はよい選択をしてくれた」と喜んでくれる選択肢を選ぶ義務 がある。と考えるのが私の視点だが間違っているだろうか。 やみくもにゴロのいい数字合わせの感覚で「原発0」「原発15%」「原発20〜25%」などと区分し て、あたかも籤引きか丁半賭博のように選択させるのは私には許せない。 ゴルフの話から小難しい話になった。少し舌足らずだが過激なことをくどくど列挙した。眠れる 老人にもまだまだargumentative(議論好き)な残滓が心の中に少し残っているようである。 |