箱根㏄を退会。       20,11,25

   とうとうホームコースを持たないビジター専門のゲストゴルファーつまりさすらい
  のゴルファーになってしまった。ほぼ40年ぶりのことである。

   2002年に退職した時、個人正会員として箱根CC、富士御殿場GC、富士平原CC
  の3か所を持っていたが、次々に処分して、最後まで持ち続けていた箱根CCも遂に
  手放すときがやってきた。

   ゴルフを始めたのが昭和40年(1965)頃、入社4年目の事だったと記憶している。
  当時ゴルフは一部の恵まれた人しかやらないリッチなスポーツで、まだまだ大衆化
  はしていなかった。

   家内の父に連れられて箱根の千石や葉山などのゴルフ場に行ったのがきっかけ
  で、時々会社の先輩と一緒に周囲には気づかれないように川崎国際や大厚木など
  に出かけ、日焼けのない手首の白さを隠すのに苦労した懐かしい思い出がある。

   ようやくゴルフが若い人たちにも人気が出始めたころ、私はすでに100を切る
  までの腕前になっていた。会社の同僚たちと、開場して間もない千葉の岩井カン
  トリークラブ(現コスモ)のメンバーになったのが昭和54年(1979)頃だろうか。
  友人達と「岩井会」を作り、フェリーで海を渡り毎月腕を競い合った。

   その後、60歳直前に会社からいくつかのゴルフ場の法人メンバーの会員権を与
  えられ、接待し接待されるゴルフ人生が始まった。個人でも千葉と御殿場のゴルフ
  場の会員だったので、友人達とのプライベートなゴルフを加えれば1年に50~60回、
  多い時には80回程もゴルフをするハードな週末を過ごした。ゴルフバッグは2セッ
  ト持ち、北から南まで宅急便で送りまくった。

   法人メンバーになったゴルフ場は数えただけで20か所ほどになる。
  北は岩手の栗駒カントリーから南は名古屋の和合カントリーあたりまで、東京、
  山梨、神奈川、静岡、岐阜、愛知、と、主に関東地区と中部地区の法人メンバー
  になりプレーをしてきた。

   法人メンバーとしてお世話になった記憶に残るゴルフ場はやはり名門と呼ばれる
  ゴルフ場が多く、旧相模、箱根、磯子、東京よみうり、河口湖、太平洋御殿場、静
  岡の葛城、名古屋の和合、などが印象に残っている。

   これ等の法人会員の中で最も親しみが持てて我が家から近い箱根CCの会員権
  を個人正会員として取得したのが、平成14年7月(2002年)だった。

   従って箱根でプレーしたのは法人会員時代の3年間と個人正会員時代の18年、
  合わせて21年もの間せっせと通ったことになる。支配人から従業員までアットホー
  ムで礼儀正しい応対をするゴルフ場で、朝の挨拶はとてもすがすがしかった。

   外輪山に囲まれた「壺中天地」と謳われる四季折々の箱根の大パノラマはいつ
  見ても素晴らしく、私はこの景色に魅了されて心の安らぎを与えてもらった。

   箱根では2度のホールインワンも経験したし、グロス79というベストスコアも
  経験した。「箱根カップ」という箱根町主催のコンペで優勝し、細川護熙理事長
  と握手を交わし記念品を頂く栄誉に浴したこともある。かけがいのない友人に
  も恵まれた。

   最近とみに高齢で足腰が弱ったことや体調不良もあり、訪れる回数が極端に減
  ってゴルフが下手になり、スコアメークの情熱も失ったので、ここらが潮時と思い、
  やむを得ず箱根の会員権を手放すことにした。12月3日が最後のプレーとなる。
  全山黄色一色になる紅葉はおそらく終わりを迎え最後の見納めになることだろう。

   今後のゴルフはここ10年程前から付き合っている気の置けない仲間達と一緒に、
  彼らの主戦場の伊豆スカイラインGC(通称伊豆スカ)に出かけるのみになった。

   ビジター専門のほぼ月1ゴルファーだが、会話も楽しく、誘われるのを心待ちに
  している老いた遊び人である。

   もう若いころのような激しい競争心もなく、身上が傾くような握りもなく、他愛
  のない握り(オリンピック)に一喜一憂するほのぼのゴルフがこよなく楽しい。

   ゴルフ人生55年、おそらく生涯2000ラウンドは軽く超えたであろうゴルフ人生
  で心残りなのは、遂にオフィシャルハンデキャップが全盛期でも16止まりだった
  こと。

   あれほど若いころからやっているので、とうにシングルになってもおかしくな
  いのに、やはり自己流で回数だけをこなしてきた報いなのだろう。

   一時、軽井沢の手前の安中でプロに3日間みっちり基本を教わった時、見違え
  るように球筋が変わってスコアがよくなったことがあるが、それもつかの間、矯正
  したフォームがすぐに元の木阿弥に戻り、結局悪いフォームが固まってハンデは
  上達しなかった。つまりはゴルフには向いていなかったという事か。

   思い出せばゴルフ仲間は多士済々。「岩井会」「逗葉友の会」「ダルマ会」、
  「FF会」「甲斐友会」「グランディ会」「三友会」「マンボウ会」、そして現在の
  「伊豆スカの会」など、その時々の仲間が集まってはワイワイ騒いだものだ。

   箱根の友人達とももう会うこともあるまい。折々の日々、折々の人々の顔が浮
  かぶ。 ”会して微笑あり、座して哄笑あり、別れて心永く楽しむ。”   である。 

   今のスコアはいつも除夜の鐘なら大出来のヘボゴルフ。オフィシャルハンデは
  辛うじて36となっているが、110を切れば大満足のゴルフである。

   因みに今年のスコアは、現在までの回数が8回とめっきり減り、アベレージは
  恥ずかしながら107,8である。