第30番明月院
臨済宗建長寺派 福源山明月院。永暦元年(1160年)平治の乱で戦死した首藤俊道の
菩提供養としてその子山ノ内經俊によって創建。その後、北條時頼公、時宗公、によって
最明寺、禅興寺と名を改めて寺域を拡大、特に禅興寺はおのずから寺格が高く歴代住持
も蘭渓道隆はじめ第一級の名僧がつとめ、五山十刹の制度が整うと関東十刹の第1位に
格づけされた。明治初年廃寺となった時に残された塔頭が「明月庵」でその名を「明月院」
に改めていまに存続している。
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