逗子市囲碁大会。  19,11,04

   菊薫る11月3日の文化の日、逗子市の秋の文化祭の行事として毎年行われている「逗
  子市市民囲碁大会」に今年も参加した。

   申し込みの締め切りはとうに過ぎていたが、家内が文化祭のパンフレットに募集要項が
  あるのに気が付き、開催日の前日の11月2日に飛び込みで申し込んだところ、主催者の
  計らいで特別参加が認められた。昨年もこの大会で優勝しているので認められたのかも
  しれない。

   会場の文化交流センターに9時に集合し16時に終了したが、参加者は例年より少ない
  40名強だった。最盛期には100名を超える盛況だったらしいが、昨年は70名だったから
  参加者が減り続けることに主催者が嘆くのももっともだ。

   高齢化で常連の囲碁好きの不参加が目立ち、若者が囲碁に興味を持たない「囲碁離
  れ」が加速しているからだろう。囲碁好きとしては寂しい限りである。

   逗子市長が終了間際に会場に挨拶に訪れ、挨拶だけしてすぐに退席したが、ご本人
  は囲碁は打てず、囲碁の普及にも興味がなさそうだった。多分選挙目当ての顔見世が
  目的なのだろう。この手の習慣は政治家によくある唾棄すべき悪習と思えてならない。

   今日の参加者で目を引いたのは、100歳の老人と小学3年生の女の子が参加していた
  ことだった。囲碁の普及には小中学生が囲碁に親しむことが不可欠なので、平塚市のよ
  うな町を挙げての子供教育が望まれるところだ。葉山もしかり。遂に私の孫は囲碁に興
  味がなくなってしまった。

   その昔、中国では「琴棋書画」といって琴(音楽)、棋(囲碁)、書(書道)、画(絵画)は
  士大夫の身につけるべきものとされ、日本でも室町時代あたりから文人の心得るべき
  「四芸」とされて来た。時代を経て、琴と書と画は学校教育にも取り入れられたが、何故
  か「棋」だけは取り残された。

   そのことを私はかねがね残念に思っていたが、右脳も左脳も鍛えられるので、近年
  ようやく東京大学やいくつかの大学の単位取得に「囲碁」が採用され始めてきたのは
  喜ばしいことである。

   本題に戻って、今日の囲碁大会の運営方法は、3段から5段がAクラス、2段から級位
  者がBクラス、特例枠として県代表クラスの上位者数人が無差別クラスに分かれていた。

   私は4段なのでAクラスにノミネートされた。このクラスは最も参加者が多かった。
  組み合わせは事務局が決めて、勝ち進むと無敗同士が組み合わされ、星の潰し合い
  になる。4局を打ち成績の上位者が表彰される。

   幸い私は午前中の1~2回戦を勝ち進み、午後の戦いに入った。3回戦は5段の強豪
  に何とか勝ち、最後の4局目は初めて「手合い時計」が取り入れられたが、中押し勝ち
  を収めて4連勝し、幸運にも昨年に引き続いて連続優勝をすることができた。


     

   「手合い時計」は慣れないと時計のボタンをつい押し忘れるので注意が必要だし、30分
  の持ち時間切れも気にしなければならない。12月の「天狗会VS白ゆり会」でも「手合い時
  計」が使われるらしいので、格好の練習にもなった。

   表彰式で賞金3千円を頂き、大会終了後、いつも行く逗子の居酒屋で家内と待ち合わ
  せて祝杯を挙げた。たまたま大会の幹事3人が居酒屋の隣席に座ってきたので生ビー
  ル片手に懇談したが、幹事さんから、Aクラスで連続優勝をしたので来年は無差別級で
  出場してほしいと要望された。

   しかし正直言って今日も午後には疲れ果ててしまった。せいぜい2局打つのが限度で、
  最初は楽しみの囲碁だが、3局目からは苦しみの囲碁になっている。根を詰めて、続け
  て4局も打つ気力・体力に自信が持てないので、有難い話だが無差別級は遠慮しますと
  答えておいた。

   指導碁ならいざ知らず、無差別級で県代表クラス(アマ6~7段)とタイで戦うのは、恐
  れ多くて、戦う前から萎縮して腰が引けてしまうのが本音である。

   去年から2年続けて参加したので少しは顔見知りもでき、来年も楽しみである。なにせ
  7~80歳の老人が多い集まりなので、囲碁の話題や健康自慢の話など、すぐによもやま
  話が始まる。人見知りの私はニコニコしてばかりの傍観者だが、楽しいことに変わりは
  ない。