囲碁対抗戦。 19,12,13 遊び好きの私でも冬の寒さは体にこたえるので、外出がままならない日々が続いている。 釣りもゴルフも冬には極力予定に入れず年内はみな断っている。血糖値も高いので、友人 達との恒例の忘年会もみな断っている。家でゴロゴロしているのが一番いい。 囲碁は体力よりも気力と脳の活性化の問題だから、もうしばらくは続けられそうである。 もっぱらPCで対戦したり、釣り仲間との指導碁を打ったり、新横浜まで出かけて昔の囲碁 仲間と対戦したりして気を紛らわせている程度だが、昔仲間の一人が年に300局も他流試 合をやっていると豪語しているのを聞くと、少々あきれると同時に羨ましくもなる。 新横浜の囲碁クラブ「白ゆり」に集まって囲碁を楽しんでいる昔仲間の「天狗会」と、強豪 チーム「横浜白ゆり会」の囲碁対抗戦が年も押し迫った12日に同クラブで開かれた。 神奈川県女流アマを代表する「横浜白ゆり会」は、昭和38年から始まった「女流アマ囲碁 都市対抗戦」で最多優勝を誇る名門チームで、今年6月には島根県の松江市で行われた 「第57回女流アマ囲碁対抗戦」でも見事に優勝している。 その優勝メンバー5人がそろってこの日の対抗戦に出場してきた。横浜の某囲碁クラブ の囲碁インストラクターをしている主将格のK七段をはじめ、六段1人、五段3人、四段3人、 三段2人という錚々たる豪華顔ぶれである。 これに対する我が天狗会は、私と幹事役のMさんが六段、他に五段2人、四段3人、三 段2人、二段1人の10名だが、皆実力よりも2段は甘い名誉段位を与えられたので勝敗は 初めから度外視したのだろう。レディ相手なので我がフェミニストのM幹事が勝手に決め たのだろう。名誉段位を与えられた老人衆は皆ニヤリとして悪い気はしていないようだ。 例えば私は実力四段だが、相手とのバランス(?)上、無理やり六段にさせられている。 手合い割は段差1目、対局はAクラス5人とBクラス5人に分かれ、対局相手はあらかじめ 席亭で審判長の西田七段が決め、4人の対局相手と4局戦う。手合い時計を使い持ち時 間は1人35分である。 ところで 明後日の12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日。14日深夜から15日払暁にか けて大石内蔵助ほか四十七士が吉良邸に討ち入り、吉良上野介の首を討ち取っている。 蛇足だが主君浅野内匠頭が切腹した場所は、わが一関藩の藩主田村右京大夫の江戸 屋敷。(現在の新橋の跡地にある和菓子屋の「切腹最中」が有名。) 今日の対戦ではどちらが敵の首級を討ち取るか、普通ならば男子が女子の首を刎ね ることなどはご法度だが、何せ全国大会で優勝した歴戦の強者ぞろいのメンバー5人だ から、全力を振り絞ってもたやすく勝てる相手ではない。我々が首を刎ねられるに決まっ ている。 私の初戦相手は副将格のM六段、握って私の白番で対局スタート。六段相手に白を持 っては勝てる相手ではないと覚悟して向かったが、信じられないことに運よく10数目の勝 利。続く2局目は本日最強の相手、インストラクターのK七段との対戦となった。 若いころ院生だったらしいK七段は、皆さんがK先生と呼ぶ60歳ほどの魅力的な女性で、 私の先番で対局開始。勝とうなどとは毛頭思わなかったし、せめて恥ずかしくないいい碁 を打とうと心掛けて打ち進めたら、幸いにも形勢有利に展開し、終盤ヨセに入りK先生が 投了して奇跡的なまぐれ勝ちを収めた。局後K先生から「いい碁でした。好局でした。」と 褒められ年甲斐もなく感激した。我ながら会心の碁が打てたし、何せ正真正銘の七段に 先番で勝ったのだから信じられない気持ちだった。 続く3局目は3将格のK五段、私の白番で開始、私に敗れたK先生がひそひそと作戦を 伝授している。やはり彼女も手慣れた碁打ちで定石にも明るい。最近はやりのAIの手法 を使ってきたが、何とか対応して結果は10目勝ち。何と3連勝して4局目に入った。 続けざまの対局でもう疲れて頭はふらふら。手洗いで顔を拭いたりしたが、ボーっとして 顔がほてっているのがよくわかる。もう楽しみの囲碁ではなく苦しみの囲碁になってきた。 逗子市の囲碁大会では昼休みをはさんで午前午後の4回戦だったが、今日は午後1時か らぶっ続けで4回戦なので、もうへとへとである。 お相手はT五段で私の白番。私の不利な形勢の中で、少々無理な着手があり、大石が 頓死して私の中押し負けとなった。結局私は3勝1敗となり、せめて1勝をと思っていたの で望外の成績となった。 優勝はBクラスで出場した我がチームの最年長91歳のH三段で、私と同じ3勝1敗だが、 老兄に優勝を譲って私は準優勝の商品を頂いた。 もとより六段の力があるとは露ほども思っていないが、それでも逗子市の囲碁大会で の2年連続優勝や今回の準優勝で、この歳にしては少しは上達しているのかもしれない。 強い四段として多少自信めいたものが感じられるので、対外試合への参加など少しは 外に出て武者修行をしてみたいと思い始めた。 幹事役のMさんと席亭の西田さんから、これから毎年年の暮れに対抗戦をやりますと 挨拶があった。それまで元気に過ごせるだろうか。 新横浜の夜はクリスマス準備で賑やかな気配が漂っていた。あと3週間で正月を迎え る。帰りに横浜駅で懐かしい崎陽軒の「シウマイ弁当」をふたつ買って帰った。酒の飲め ない昨今の私の、ささやかな勝利の美酒ならぬ夕食を家内と食べるつもりである。 |