秀哉忌。   15,01,18

   JR巣鴨駅から白山通りを10分ほど歩くと日蓮宗の古刹「本妙寺」がある。
  ここには江戸天保年間に北町奉行と南町奉行を務めた「遠山の金さん」こと
  遠山左衛門尉景元の墓があるが、明治から昭和にかけての不世出の囲碁
  の名人・第21世本因坊秀哉(しゅうさい)の墓がある事でも知られている。

   本因坊秀哉は家元本因坊家の21世で終身名人制の最後の名人だった。
  不敗の名人と謳われ囲碁界に君臨したが、1936年、日本棋院に本因坊の
  名跡を譲渡し、その後、世襲制ではなく選手権戦によって本因坊を決める
  本因坊戦が誕生し今に至っている。

   本因坊秀栄門下だった秀哉は、本因坊の跡目相続を争った雁金準一との
  対戦など多くの棋歴を残しているが、中でも有名なのが、1933年、当時新進
  気鋭、破竹の進撃を見せていた若き日の呉清源との天下分け目の戦いで、
  中国対日本、旧権威対新勢力の大勝負と喧伝され満天下の注目を浴びた
  (結果は本因坊秀哉の2目勝ち)、時に秀哉59歳、呉清源弱冠20歳だった。

   また1938年、64歳で引退する最後の引退碁を木谷実7段と打ち、観戦記を
  担当した川端康成が後日、秀哉の戦いぶりや、その死に様を小説「名人」と
  して描いているのが有名である(結果は木谷7段の5目勝ち)。

   1940年(昭和15年)1月18日に死去し、歴代本因坊が眠る本妙寺に埋葬さ
  れ、爾来毎年1月18日は「秀哉忌」として、その時々の本因坊位保持者が祭
  主となって日本棋院によって法要が営まれている。

    

   まだ肌寒さが残っているものの、陽だまりに行くとほのかに春が感じられる
  昨1月18日、カメラ片手に「秀哉忌」目当てに巣鴨まで出かけてきた。日曜日
  とあって、とげぬき地蔵のある地蔵通りは地蔵詣でをする人や買い物客で賑
  やかだった。娘によると「爺さん婆さんの原宿」の異名があるそうで、婆さん
  たちの目を引きそうな食べ物屋や衣料品店などが軒並み店を広げている活
  気あふれる地蔵通りだった。家内は名物の縁起物の赤パンツを娘のお土産
  に買っていた。

   家内の従姉の連れ合いがそば通で、蕎麦の本を出すほど全国の美味しい
  蕎麦屋に精通しているが、彼の推薦で地蔵通りにある「菊谷」という蕎麦屋
  でざるそばを食べた。腰のある10割蕎麦で、推奨通り久しぶりに満足した味
  だった。10割蕎麦はつなぎを全く使わないからグルテンがなく、そのため太く
  て切れやすい蕎麦になりがちなのだが、二八蕎麦と同じ弾力があり、強い
  腰のある香り豊かな蕎麦だった。風味の効いた鰹節の出汁も濃い目の江戸
  好みで蕎麦によく合った。蕎麦を待つ間の正味1合はいつもの通りである。

   午後1時から秀哉忌が始まり、井山裕太本因坊が祭主となって、本堂と墓
  前で法要が営まれた。井山本因坊は一昨日、棋聖戦第1局を山下敬吾9段
  と戦い、半目勝ちの激闘を制したばかりだから、さぞ疲労困憊だろうが、健
  気に祭主を務め、歴代本因坊が眠る墓前で長い時間、祈りを捧げていた。


    

   井山裕太本因坊は平成元年(1989年)生まれの弱冠25歳、現在囲碁界
  史上初の6冠を保持している第一人者である。彼がNHKの小学生囲碁大会
  に初出場した時にテレビ観戦して以来、将来性を確信して注目していたが、
  天才的なひらめきは勿論のこと、所作の優雅さ、上品さをはじめ礼儀正しい
  奥ゆかしさを兼ね備えた大器の片鱗をすでに見せていた。

   その所作は大成した今も少しも変わらず、昨日も墓前で祭主を務めてい
  る合間を見計らって、棋聖戦の激闘を讃えて激励の声をかけたが、微笑み
  ながら丁寧に応答してくれた。「秀哉忌」に来た目的は井山本因坊に会うこ
  とだったので、その目的は完全に達成された。

   囲碁は1500年前に中国から日本に伝来して以来、「琴棋書画」の4芸の
  1つとして立派な芸術だった。音楽や書道や絵画は日本でも学校教育に取
  り入れられているが、碁だけはママっ子扱いで軽視されて未だに日本の文
  化として大事にされず、授業にも取り入れられていないのが私には大いに
  不満だが、近年東京大学やあちこちの大学、高校でも取り入れられている
  のが朗報と思っている。

   囲碁は数理的な思考能力の訓練になるだけでなく、脳の戦闘力、攻め所
  と引き所の形勢判断と大局観、情緒や礼儀といった人間形成にも大いに役
  立つ日本古来の伝統文化だから、若き井山裕太名人・本因坊にあやかって、
  日本の囲碁の底辺がさらに拡大する事を白頭老人は願っているのである。

   私が孫に囲碁を教えているのも、強くなって欲しいだけでなく、礼儀正しく
  奥ゆかしい人物になって欲しいからなのだが、当人たちはそれを知る年齢
  にはまだほど遠い。

   絶品の蕎麦と井山本因坊との会話、今日は巣鴨で過ごした素晴らしい
  一日だった。