叙勲のお祝い。 15,06,25 勤め人時代に公私ともに交流を深め、お互いに切磋琢磨した仲間が、この春の褒章で 旭日中綬章を受章した。 かってオイルショックで企業の業績が急速に悪化した時、日頃懇意にしていたグループ 会社3社の財務担当責任者3人が集まって「ダルマの会」を結成した。「今は手も足も出な い。」という意味と「転んでもただでは起きぬ、七転び八起き。」という意味を込めて会の名 前にした。これに賛同した親会社の若き購買エースが、強引に仲間に入り込み、仲間が4 人になった。 時々宿で飲みながら企業行動のあり方で自由奔放な議論をし、そこで得たヒントを自分 の会社に持ち帰り、素早く社内展開を図ったものだった。議論をするときの我々のルール はただ2つ。「互いに遠慮は無用で言いたいことを率直に話す事。」と「素っ裸でパンツ一 枚で車座になる事。」だった。加えて広く世界に目を向けることにも留意した。裸の男と男 の友情が生まれた。それは今に続いている。 後にグループ唯一の老舗トラックメーカーの社長・会長を歴任したK氏がこのだるま会の メンバーで、今回の受章者である。会社主催で大々的な祝賀会は何度か開かれたようで、 少々うんざりだとこぼしていたが、「ダルマ会」の我々4人だけの個人的な祝賀会は逃げる 訳にはいかないと喜んで受けて立ち、場所はK氏が会員になっている六本木ヒルズクラブ のある六本木ヒルズ51階のVIPルームと決まった。 ところで私が在職中、会社トップの叙勲受章のお手伝いを数回したものだが、当時は 「勲3等旭日中授章」、通称「旭3」と呼んでいた。今は「勲3等」が外れて単に「旭日中授 章」と呼ぶらしい。調べてみたら2003年に栄典制度が改定され、勲1等とか勲3等とか の呼称は廃止されたとの事だった。私が退任後の事だから、私が知らないのも当たり前 のことだと納得した。 昼食はホテル自慢の中華料理。皆年寄りで小食だから、4人それぞれ自分の好きな1 品を選び、それを4人で小分けにしてシェアするという親しい仲間だからこそできる方式 にした。それを2度繰り返すと8食になり、充分に満腹感と満足感で満たされる。 お祝いには鋳物を手加工で削りだした特製の「パター」を進呈した。何を隠そう彼はゴ ルフの名手で、彼が決める独特の握りのルールで何度痛い目に遭わされた事か。この パターで我々以外の獲物(?)から沢山戦利品を巻き上げてくださいと云ったら、感触を 確かめながら大変喜んでくれた。 受章の感想を聞いたら、受章式はパレスホテルで行われ、150人ほどの受章者の代 表に指名されて文部科学省副大臣から勲章を受けとったのだそうだ。さらに皇居に参内 して天皇陛下に受章のお礼を申し上げる際にも、指名されて彼が代表として陛下の前で お礼を申し上げたとのことだった。豪放な彼もさすがに緊張したらしく、いい思い出になっ たと述懐していた。我々は彼の奥様もよく知っているが、晴れ姿なので150万もする見事 な和服を新調して列席したとの事だった。受章も名誉だがなんとも物入りな事である。 解散後、彼と一緒に赤坂のANAインターコンチネンタルホテルの37階にある会員制の 囲碁サロン「RANCA」で囲碁の対局をした。テレビでお馴染みの人気囲碁キャスター稲 葉禄子(よしこ)さんが席亭の囲碁サロンで、各界の名士たちが良く集まるサロンである。 たまたま稲葉さん(院生経験のあるアマ6段)が3人を相手に指導碁を打っていたが、我 々を見かけて挨拶に来てくれた。K氏はだいぶ懇意にしている様子だった。 因みに、この囲碁サロン「RANCA」という名前はきっと囲碁の別称である「爛柯」(らん か)に違いない。囲碁は「爛柯」(らんか)とも「腐斧」(ふふ)ともいわれる。 柯(か)は 「斧の柄」、爛(らん)は「ただれる、腐る」の意で、「爛柯」とは「斧の柄が腐り果てる」ほ どの長い時間を表現している。つまり囲碁とは斧の柄(柯)が腐(爛)っても気が付かな いほど長い時間、夢中になる事を暗喩している中国の故事である。 K氏とは5〜6年対局していないが彼が私に2子置くのが20数年続いている。ほとんど 私の完勝だが、この日も2子で対局した。彼はプロの小松英樹9段や彦坂直人9段、羽 根直樹9段、女子プロの梅沢由香里さんや青葉かおりさんら多数のプロ棋士と昵懇で 家族ぐるみの付き合いをしている。何でも年間300局は打つと豪語しているが棋力はま あまあのレベルである。 ところが今回2局対局して2局とも完敗してしまった。私の見損じが多く不出来だったこ ともあるが、なかなかどうして石が急所に来てよく読めていた。彼は初めて私に完勝した とことのほか喜び、今日は旧友との懐かしい会食、うれしいパターの贈り物、それに私 との囲碁対局の勝利、という3つの贈り物を貰ってこんなうれしい日はない、帰ったら早 速、絵日記に書いておこうと童心に帰って喜んでくれた。 娘の就職で世話になり、今回の結婚もその縁があったればこそなので、私にとっても かけがえのない恩人の一人であるK氏の叙勲は誠に喜ばしい祝い事であった。 |