好敵手の逝去。 24,04,03

  囲碁の好敵手がまた1人他界した。T・Mさん享年90歳。
 私より3歳年長で、小樽商大を卒業して金融機関を経てN発条に入社、主に営業畑
 ・管理畑を歩き社長・会長を務めた。神奈川県の経済界の重鎮だった。

  温厚で情に厚く親分的な人柄なので人望があった。大局的な視点でものを見る
 優れた経営感覚の持ち主で、私は直接仕事でかかわったことはなかったが、会合
 では何度もお目にかかった。趣味は囲碁で、私とは長年お互い一歩も譲らぬ好敵
 手だった。

  棋風はお人柄通り手厚く堅実だが、鋭い着手でしばしば悩まされた。同氏との
 懐かしい熱戦の棋譜が今も手元に残っている。30年も昔の棋譜である。

  氏の先々代の社長だったSさん、先代社長のHさん、後継社長のSさんの4人は
 ともに囲碁好きの社長で、共に営業畑だったので、N発条は営業出身で囲碁好き
 でないと社長にはなれないなどと軽口を言われたこともあったらしい。(勿論冗
 談だが・・・)

  この4人の歴代社長とはよく手合わせしたが、この中で一番強かったのは私より
 1歳下の同姓のSさんで、私は2目置いても勝てなかった。亡くなったMさんは私と
 同格の互先、残りの2人は少し弱かったが、4人とも無類の囲碁キチで、3度の飯
 より囲碁が好きと豪語してはばからず、お目に掛かればすぐ囲碁の話になったも
 のだ。

  囲碁が取り持つ縁というか公の席でも宴席でもこの4人には親しくしてもらった。

  私が職を離れてから皆さんとの交流は途絶えていたが、ある機会で新横浜の
 囲碁サロンでMさんに再会した。相変わらず世話好きなMさんがまとめ役になっ
 ている囲碁仲間の会「天狗会」との出会いだった。

  この会のメンバーはいずれ劣らぬ腕自慢、負けず嫌いなので、会の名前は誰
 がつけたか「天狗会」と命名されている。

  毎月第2木曜日を定例の集まりとしていて、Mさんのたっての誘いでこの会に
 入会し、わざわざ新横浜まででかけて、旧友たちと囲碁を楽しんだ。

  勿論強豪のMさんとは互先で、雌雄を決する局面では仲間たちが注目すること
 が多かった。

  氏とはおよそ20数年ほど昔の現役のころ、お台場の日航ホテルで毎月「3社対
 抗」と名付けた対抗戦をよくやっていて、そのころ以来のMさんとの対戦だった
 ので懐かしかった。

  コロナ禍もあってしばらく参加を自粛していたが、腰椎圧迫骨折で新横浜まで
 の移動がきつくなって、ここ3年ほど「囲碁サロン白ゆり」にはご無沙汰していた
 ところ、突然新聞で氏の訃報を知った。

  もう氏との熱い戦いはできなくなってしまった。

  盤上の攻防でしのぎを削り合い、戦い終えて爽快な気分で局後の感想戦を述
 べあった好敵手が次々に鬼籍に入っていく。こんな寂しいことはない。

 Mさん、そのうちまた烏鷺(うろ)の戦いをしましょう。しばらくお待ちください。