好敵手。 ![]() 以前はいろんな人たちと囲碁を楽しんだものだが、交友が狭くなると打つ相手が限られてくる。 囲碁の好敵手にはなかなか巡り会えないもので、好敵手が一人でもいれば碁打ちとしては幸運 なことである。 好敵手とは必ずしも棋力だけではない。強すぎてもいけなし弱すぎてもいけない。 勝っていばるのは品がなく嫌だし、負けて負け惜しみをあれこれ云うのも下品でいやだ。石をガ チャガチャさせる無礼な仕草も嫌だし、どんなに強くてもやたら嵌め手みたいな品のない打ち方 をするのもいやだし、待ったをする言語道断なふるまいは論外だ。 強い人にはへりくだって素直に教わり、少し弱い人にはその人の立場に立ってヒントを与える。 勝っても負けても対局のあとが清々しい気持ちになる囲碁を打つ。そんな相手が好敵手というも のだ。 囲碁には品格というものがあり、おのずとその人の人品が棋譜に現れる。昔はともあれ最近は 武者修行が途絶えているので、めっきり対局をする機会が無くなって、好敵手は逗子に住む90 歳の家内の叔父のKさんだけになってしまった。というより囲碁のお相手はKさんだけといった ほうが正しい。 Kさんの腕前は6段。無理のない筋のいい打ち方をされるので私の終生の目標で、なかなか勝 たせてもらえないが、熱戦が続いて没頭していると正に忘我の心境になる。 対局後はいつも充足した清々しい気持ちになり、勝っても負けても和気藹々、談論風発の和や かな感想戦になる。局後の一杯の熱燗が話に花を添えてくれる。 齢90歳のご老体なので、好敵手と呼んでは失礼かもしれないが、Kさんが私を好敵手と云って くださるので、私も師匠と呼んだり好敵手と呼ばせてもらったりしている。Kさんは実力者なので、 ほとんどの対局はいつも数子置かせていて互先などは経験がないとの事で、私との対局をいつ も首を長くして楽しみにしておられる。私もKさんとの対局だけが楽しみになっている。 数十年来私の先番で勝負は伯仲していて、昨年は7回対戦して私の4勝3敗だった。今年の正 月にKさん宅に年始に伺い、今年の初戦は大敗した。「アウェーだから」と、少し負け惜しみを言 ったら、来月は葉山に遠征するとおっしゃり、昨日我が家で今年2度目の対局が実現した。 いつもお互いじっくり考えて1局2時間はかかるので、いつも1日1局なのだが、この日は興が乗 って2局対局して4時間を超える熱戦となった。結果は運よく私の2連勝。「ホーム」の面目を保 つ事が出来た。Kさんはアウェーで連敗となり、「先月の仇をとられた。心筋梗塞になって腕を 上げたな。」と笑って褒めてくださった。 局後はすき焼きを沢山召し上がり、いつもはお銚子1本だけなのに2本も召し上がってご機嫌 で帰宅された。 「歳だな〜。」と嘆いておられたが、どうしてどうして鋭い読みと華麗なうち回しはとても90翁と は思えない見事な技の連続だった。いつものことだが参考になることの多い対局だった。なによ りも棋理にかなった筋のいい囲碁なのでその棋風にはいつもほれぼれする。いつまでも好敵手 であり永遠の師匠であるKさんの末永い健康を祈らずにいられない。 |