新春囲碁初対局。  15,01,28

   巣鴨本妙寺の秀哉忌で故秀哉本因坊の墓を詣でて1週間後、逗子在住の囲碁の
  師匠92翁を自宅に迎えて今年初の囲碁対局をした。

   2〜3日前からお迎えする準備をした。日本酒は「越の寒中梅」、主食は翁の大好
  きな牛肉を使った料理を何にしようか考えていたが、たまたま朝日新聞の生活欄
  にハッシュドビーフ料理が載っていたのでこれに決めて、上等な牛肉を肉屋で買い、
  玉ねぎ、シメジ、マッシュルーム、赤ワイン、ケチャップ、バター、ローリエなどの具材
  も全て揃えた。サラダ用に芽キャベツと春菜、漬物に京菜も用意した。ムカゴライス
  が美味しかろうと思いめぼしい市場でムカゴを探したがとうとう見つからなかった。

   来宅当日朝から準備し始め、午後2時に翁を自宅に迎えた頃ようやく酒の支度と
  夕食の準備が全て完了した。味見したらなかなかのハッシュドビーフだった。家内は
  2人の従姉妹と会うため出かけたので、小生1人だけで作った苦心の料理である。

   翁とは昨年8月以来5か月ぶりの対戦だから積もる話は山ほどありしばらく歓談
  した。秀哉忌に参列して井山本因坊と会ったことを話したら、大変羨ましがられた。

   土産に「二重橋」という珍しい名前の吟醸酒を頂いた。なんでも翁の知人が正月
  の一般参賀で皇居を訪れた際に、宮内庁の生協が販売している代物を買ってきて
  翁に差し上げた酒との事だった。ネットで調べてみたら東村山の豊島屋という造り
  酒屋の酒で、東京に11ある造り酒屋のうちの1軒という事だった。

   翁曰く、「健康のために毎日日本酒を2合飲んでいる。これより多くても少なくても
  良くない。2合が自分にとっての適正な量だ。」とおっしゃるので、「恐れ入りました。
  私は昔はともあれ今は酒1合がやっとです。」と申し上げたらカラカラとお笑いになり
  しばし健康談義と囲碁談義になった。

   なにせ92歳にもなると囲碁の相手も私ぐらいのもので、あたら6段の強豪も腕の
  冴えを見せる機会がない。本因坊秀哉引退(昭和15年)の事をつい昨日の様に話
  をしてくれた。やはり私の知らない囲碁の歴史をよく御存じだ。

   さて対局だが、去年互先から常先に打ち込まれていて私の先番。中盤の難解な
  局面で私に妙手がでて有利な展開になり、結果は私の中押し勝ち。翁は「秀哉の
  墓詣での御利益が早速出たな”」と感想を述べられた。

   小休止のあと再開し2局目になった。序盤から中盤にかけて私に不本意な失着
  があり、思うような展開ができず打ちまわされて結局翁の中押し勝ち。ここぞという
  局面でビシビシと急所に打ってくる翁の指がまるで青年の様にしなってくる。若かり
  し頃を髣髴させる見事な打ちっぷりだった。

   勝っても負けても持てる脳みそを絞りあっての戦いなので、終局になるとお互い
  しばし放心状態になる。これ正に囲碁の醍醐味、陶酔の極致である。1勝1敗は
  正月に相応しい痛み分け。めでたしめでたしだった。

   夕食の晩酌は「二重橋」のぬる燗をやはり2合弱召し上がり、ハッシュドビーフは
  多めの1人前をペロリと平らげて、美味しい美味しいを連発された。酒が美味しか
  ったのかご飯が美味しかったのかは意味不明だったが・・・。

   翁も私も、いつまでお互いを好敵手として相まみえる事が出来るか判らないが、
  体と頭脳が許す限り多く対局の機会を作ろうと話は一致して盃を傾け合った。
  お酒を土産に頂いたお返しに、囲碁の歴史を詳しく解説してある岩波文庫本の
  「昭和囲碁風雲録」(中山典之著、上巻)を土産に差し上げたら大変喜ばれた。