頭の体操。         13,10,04

   最近の囲碁界の話題は何と言っても名人戦第3局。中盤まで優勢だった井山棋聖に終盤
  井山らしからぬ失着がでて山下名人がほぼ勝勢になったが、終局間近の土壇場に今度は
  名人に考えられない大失着が出て再逆転して、結局井山棋聖の勝利になったことだろう。
  疲労困憊の1分碁になっていたとはいえ、当代一流のプロにしても、アマでも判るポカが出る
  恐ろしさを秘めているのが囲碁であり、人間の頭脳だとつくづく感じ入ったものである。

   今年の4月で満91歳になられた逗子市在住のK翁が来宅され、5か月ぶりに囲碁の対局を
  した。K翁は家内の義理の伯父だが、40年来の私の囲碁の師匠であり好敵手でもある。
  全盛期には逗子の囲碁界で知らぬ人が無く、名誉とはいえアマ9段を認められた強豪だった。
  さすがに高齢になられて勝負には恬淡としておられるが、着手の鋭さと何よりも品格のある
  棋風は到底私の及ぶところではない。羨望と尊敬おくあたわざる大師匠なのである。

   人には脳を鍛える様々な方法があるだろうが、私とK翁に共通する頭の体操は奇しくも囲碁
  である。若い時や壮年の時には広い行動範囲と交友関係があるから、頭の体操には事欠か
  ないだろうが、老年になって隠遁生活が長くなると交友関係が限られてくる。必然囲碁だけが
  唯一無二の頭脳を駆使する頭の体操となりボケ防止の薬効という事になる。しかしなかなか
  技量が伯仲した好敵手には巡り合えないもので、その意味でもK翁と私はお互いに得難い碁
  仇といえる。

   対局時間中、集中してあれこれ構想を練り、未知の世界に足を踏み入れ、相手の着手に
  応じて自分の頭脳の引き出しから最善の着手を選び、試行錯誤と決断を繰り返す囲碁の世
  界に没入すると、心地よい脳の疲れと興奮がしばらく続き満足感に浸ることが出来る。ボケ
  の不安などは微塵も感じることがない。囲碁に勝る頭の体操は他にない。

   「囲碁には昔から沢山の別名があり、それぞれ納得のいく別名だと感心してしまう。」 と
  昨年9月の「ミミズの戯言38」に書いておいたが、再掲すると、  「黒白、烏鷺(うろ)、方円、
  手段、手談、座隠、忘憂、欄柯(らんか)、腐斧(ふふ)、橘中(きっちゅう)、清遊、聖技、
  小宇宙、」等々である。多彩な別名だが、しかし脳を鍛え刺激をもたらすという意味の別名
  が見当たらない。表現力に乏しい凡人には適した造語の発見は無理だが、「鍛脳」とか「研
  脳」などの意味を持つ適切な熟語の別名をどなたか考えてほしいものだ。

   一昨日(10月1日)、相模湾で1,4`クラスの真鯛を6枚も釣ったと紹介したが、実は2日
  後の今日お見えになるK翁に新鮮な鯛の刺身を食べて欲しくてこの釣り日を選んだのである。

   魚は釣った翌日か翌々日に食べると旨いのは、うま味成分のイノシン酸が死後に多く分泌
  されるためだが、正に今日が鯛の食べ時。昨夜から腕によりをかけて諸準備を済ませ、とっ
  ておきの「舟盛り」と「潮汁」をメインにいくつかの惣菜を添えて馳走に供した。舟盛りの舟は
  久里浜の少年院の受刑者の作品をかって買い求めておいた代物、カボスは徳島の特産品
  を手に入れたものである。

   翁はいつも私の手料理を絶賛してくれるので、ついつい張り切り過ぎて図に乗ってしまうの
  だが、それにしても魚の王様だけあって天然真鯛の刺身は新鮮で絶品だった。K翁は「旨い、
  旨い。」といって遂に1匹分ほぼまるまる刺身を1人で完食してしまった。丹精込めた潮汁も
  2杯もお代わりしてくれた。91歳にしてこの健啖ぶりと食欲。こちらがうれしくなってしまった。
   普段の晩酌は缶ビール1個と熱燗1合だそうだが、私との囲碁終了後はいつも感想戦に
  花が咲いて2合はお召しになる。今宵も上機嫌で御帰宅なさった。

   因みに午後3時から5時半までの2時間半に及ぶ熱戦は、私が白番で辛うじて辛勝し5月
  の敗退の雪辱を成し遂げた。勝っても負けても師匠との対戦はいつも清々しい気持ちにな
  る。凛として崩れない対局姿勢は3時間微動だにしない。碁の内容には品があり人柄がそ
  のまま盤面に投影されている。

   本当に得難い囲碁の師匠で好敵手なのでまだまだお元気でいて欲しいと申し上げたが、
  師匠からも「まだ負けんぞ!」と頼もしい返事を頂いた。いい秋の夜だった。