遺品(碁盤と手拭い)。  16,10,12

   懐かしい珍品が竹馬の友のS君の兄嫁さん(仙台在住)から送られてきた。
  子供の頃、S君の父親から囲碁の手ほどきを受けた時の懐かしい碁盤と碁笥で
  ある。

   S君の父(オンツアン)はとうの昔に亡くなり、ご長男のKちゃんが遺品として保管
  していたが、そのKちゃんも亡くなったので、この碁盤の保管は弟子だった私以外
  にはなかろうと白羽の矢が立って、Kちゃんの奥様から送られてきたものである。

   以前、自伝的囲碁遍歴をこのHPに連載したが、私の囲碁歴は小学生の頃に
  遡る。近所に住む「ガラス屋のオンツアン」ことSさんは亡き父と親しかった方だが、
  ザッコ(雑魚)釣りと囲碁とパチンコが大好きな好々爺で、家族ぐるみで大変可愛
  がって頂いた。囲碁など何も判らないのに、学校から帰るとすぐにSさん宅を訪問
  して、SさんとSさんの好敵手の対局を覗く習慣がついた。

   対局する大人の顔を見ていると、しきりにぼやいたり、囲碁の格言をぶつぶつ
  言っては負け惜しみをいうのが面白く、そのうちに好奇心が沸いて自然に囲碁を
  覚えた。小学校5〜6年、11〜2歳のころであろうか。囲碁との出会いである。

   その頃Sさんに打ってもらった時の碁盤だから、かれこれ70年も昔の懐かしい
  碁盤との再会である。表面に傷が残り、全体が黒ずみ、罫線は薄くなって、往時
  の立派だった面影はないが、紛れもなく風雪に耐えた懐かしい碁盤と碁笥だった。
  当時の色々な思い出が稲妻のように次々に湧いてきた。誰に話してもつまらない
  であろう私だけの大事な思い出である。

   
    

   もう一つ意外な物が入っていた。送られた荷物を開梱したら、碁盤と碁笥を
  包んでいた手拭いが2枚あり、1枚は「第76回選抜高校野球大会出場記念、
  一関一高応援団」 と染められた手拭いで、もう1枚は、試合に勝った時しか
  歌わない「勝利讃歌」の歌詞が3番までと「甲子園出場後援会」と染められた
  手拭いだった。


   


   あれは平成16年、今から12年前に、21世紀枠で49年ぶりに甲子園に出場
  した時の事だった。全国津々浦々からOBが甲子園に駆けつけ1塁側スタンドは
  超満員に膨れ上がり、3塁側の千葉県代表の拓大紅陵応援団をはるかに凌駕
  する大応援団となったものである。

   何せ明治31年創立の旧制中学で、1916年豊中球場で行われた第2回大会
  に出場した伝統校だから、甲子園出場を待ちわびたOBは数知れない。

   残念ながら7対0と完敗し、「勝利讃歌」を甲子園の空に響かせることはできな
  かったが、弊衣破帽のバンカラ応援団の旗の下で、全員で肩を組んで、大声で
  応援歌を歌った素晴らしいひと時だった。青春が甦ったものである。

   その応援の時の手拭いがどうして同封されていたのか、碁盤を保管していた
  ご長男のKちゃんは、かって旧制一関中学に在籍していて、卒業前に旧制二高
  に飛び付け進学したので、卒業証書こそないが、れっきとしたOBだから、その友
  人達との関わりで手拭いを持っていたのかもしれない。その手拭いはKちゃんの
  遺品だから、一緒に送られてきたのだろう。

   思いがけなく懐かしい碁盤と手拭いを頂いて感無量。暫らくは昔を偲ぶ事が出
  来る。大事にしよう。あの頃はよかったナア。