第26回平塚囲碁祭り。     23,10,08

   全国的に類を見ない500面の碁盤を路上に並べ、80人余の一流プロ棋士が、全国から集まって
  くる囲碁ファンに指導対局をしてくれる恒例の平塚囲碁祭りに今年も参加した。今年で26回目に
  なるそうだが、私は第一回からすべて参加しているはずだ。

   しかし一年近く実戦から遠ざかっていて、面と向かって相手と戦うのが煩わしくなっている。
  久し振りのプロ棋士にみっともない負け方はしたくないので、ここひと月ほど古い定石集や囲碁
  雑誌でかなり訓練をしておいた。

   この大会は500面の碁盤で2回にわたって対局ができるので、通称平塚1000面打ちと称されて
  いる。平塚市は囲碁の盛んな街で囲碁にまつわるイベントで商店街の賑わいもハンパなもので
  はない。大会を運営するのは商店街の店主たちで、皆さんそろいの法被を着て一日中世話を焼
  いていた。

   昭和の初期に呉清源と木谷実が生涯好敵手としてしのぎを削ったことはつとに有名だが、その
  木谷実が木谷道場を開いて有望な若手を指導した道場がここ平塚市だった。そこで育った大竹
  英雄、石田芳夫、武宮正樹、小林覚、趙治勲など木谷一門会の面々24名、ほかに日本棋院か
  らに山下敬吾、高尾紳路、石倉昇らのトッププロ50数名がこの日参加した。私と面識がありかっ
  て指導も受けた吉原由香里6段、小松英子4段とも久し振りに挨拶を交わした。

   この日、私が指導を受けた棋士は、1回目は武宮陽光6段、2回目は鈴木伊佐男8段で私は4子
  を置いた。2局とも時間切れで勝敗不明のまま打ち掛けになったが、プロから講評を受けて大満
  足だった。

   武宮6段は父の正樹9段譲りのにこやかで温厚な指導ぶり、打ち掛けの最終譜面では黒が優勢
  ですとうれしい講評だったし、鈴木8段からは急所の的確な着手の指導に納得がいった。

   さらに鈴木8段からは特に、碁が少し上品すぎる。もっと無理を咎める強い手を打つべきだと
  指導された。私は、もう歳なので戦闘的な着手は遠慮しています、と答えたが、私の若いころは
  正に切ったはったの大乱闘が好きだったので、いつの間にか無理をしない穏やかな棋風に変
  わって上品すぎるなどといわれると、枯淡の域に入った86歳の年輪を感じざるを得ない。老境
  に入るとはこういう事なのか。

   対局後に喫茶店で同行のSさんとお茶を飲んでいて、ハタと忘れ物に気が付いた。私は杖を忘
  れSさんは帽子と折りたたみ傘を忘れたことに気が付き慌てて会場にとりに行き、私の杖は見つ
  かったが、彼の2品は遂に何処にも見つからなかった。

   お互いに物忘れが激しい86歳と84歳のボケ寸前老人である。杖無しでは街歩きのできない悲
  しい体だが、もうしばらくはこの世にお世話になるつもりである。

   話変わって、先月末に百田尚樹の小説、「幻庵」(文春文庫上・中・下巻)を読んだ。
  江戸時代末期、徳川家斉治下の文化文政時代(1800年代)は、幕府の手厚い庇護を受けた囲
  碁の家元、本因坊家、井上家、安井家、林家、の4家が家名を背負って囲碁に精進した時代で
  ある。この中から本因坊元丈、安井仙知、本因坊秀和、など多くの天才棋士が輩出している。

   この小説は、井上家を代表する11世井上幻庵因碩と、本因坊家の家元12世本因坊丈和が、
  名人碁所を巡って生涯勝敗を競い合い、盤外でも駆け引きや権謀術数が渦巻いた時代を描い
  た壮大な物語である。江戸時代の華麗な囲碁界の全貌を理解するには格好の著書である。

   奇しくも25世本因坊趙治勲が解説文を書いているのも興味深かい。囲碁を知らない人にも
  読み応えのある好著なのでお勧めしたい。