中秋の名月。 ![]() 昨夜は中秋の名月。今宵は満月。 「罪無くして配所の月を見る。」 言わずと知れた吉田兼好の徒然草第5番の一節。 高校1年の時に徒然草を習った国語教師で、ひょうひょうとした風貌が喜劇役者の 「三木のり平」に似た八巻先生の名講義が懐かしく思い出される。 我が家のベランダから見る「配所の月」ならぬ「ベランダの月」は、生憎曇り空で、 中秋の名月の風情を味わうことはできなかった。 数年前までは、広い木製ベランダのテーブルに、ナシやブドウ、栗など秋の果物 と手製のお団子をお盆にのせ、ススキは手に入らないので庭に咲いているハギの 花などを飾り、熱燗を1本つけて、形ばかりの月見の宴をやったものだが、今は面 倒になってやっていない。 もっぱら居間でテレビを見ながら、時々窓から月を眺め、少しのつまみで焼酎の 水割りをさらに薄めて軽く1杯飲むだけだが、それで十分満足する。 因みに箱根CCのある箱根の仙石原には、広大な「仙石原ススキ草原」があり、 今がススキの見頃で、遊歩道を歩く見物客でにぎわう時期である。国立公園の植 物なので、ススキの穂1本でも失敬すると「御用」になるので持ち帰ることはできな い。我が家の月見の席に1本でもいいから飾りたい誘惑にかられる見事なススキ の群生である。 このところ急に冷え込み始めてきて、いよいよ秋の到来を感じられるようになって きた。遊びの虫ももぞもぞと動き出しそうな気配である。 1か月以上ご無沙汰している釣りも再開したいし、6月以来4か月も欠席している 囲碁の「天狗会」にも行きたいし、ゴルフ仲間とのゴルフや箱根の「三友会」への参 加、それに読書の秋で、読みかけの書物もいくつか書架に眠っている。紅葉シーズ ンの旅の計画もたてたいのでワクワクするイベントが目白押しである。 食欲の秋でもある。娘婿の実家は千葉の君津で広く農家を営んでいるが、先日、 栗とシイタケと自家製の野菜をどっさりと送ってきた。早速土鍋で栗ご飯、茶碗蒸し (マツタケは値段が高いから無し)も作り、秋の味覚を楽しんだが、もう一つの味覚 のサンマは今年も不漁で水揚げがないらしい。 毎年送ってくる気仙沼の海産物問屋に電話したら、水揚げは例年よりもさらに少 なく、おまけに小さすぎてとても売り物にはならないとのことだった。10月ごろまで は出荷はできないだろうとのことで、この先どうなるかは全く予想ができないと嘆い ていた。これではスーパーの冷凍物でしばらくは我慢するしかない。あの香ばしい 新鮮なサンマの塩焼きとほろ苦い内臓の味覚は当分お預けで、佐藤春夫を味わ うのも少し先の話である。 もう一つの秋の訪問客は招かざる客、台風の到来である。 先日の15号台風で我が家は無事だったが、娘婿の実家のある千葉の君津は被 害が比較的軽微だったようだが、それでも屋根瓦が飛び犬小屋が吹っ飛び、老 夫婦で屋根にブルーシートを張る応急手当をしたそうだ。 館山、鋸南町は停電・断水が長く続き住民は大変苦労いている。2週間にも及 ぶ長期間の停電、断水は高齢者夫婦には厳しい。復旧も遅々として進まず、今 更ながら老人の生活インフラ環境の危うさを痛感させられる。 修理屋が来なかったらとても私は屋根の上に登ることはできないし後片付けも 難儀するに決まっている。無理な作業で二次災害が起きては元も子もない。 大自然の季節の変化は、人間に喜びも悲しみももたらす。悲喜こもごもの秋の 到来である。 |