「天皇の世紀」 完読。 ![]() 7年越しに読み続けてきた大佛次郎の未完の大作「天皇の世紀」をようやく読み終えた。 2013年春に朝日新聞社の論説主幹だったH・Iさんから勧められて読み始めたのが始ま りだが、難解な文献を駆使しているので遅々として読み進めず、一日30分も読めばすぐ 本を伏せてしまう夜が続いた。 中断した時期もあって実に7年半の日時を要したが、その為ここ数年はほかの作家の 作品はほとんど読んでいない。この本の途中経過の読書感を話し合うのを楽しみにした H・I さんは翌2014年4月に亡くなってしまい、完読を報告する機会は失われた。 7年前までは、池波正太郎、藤沢周平、山本周五郎など肩の凝らない髷物の時代小説 をしばらく読んだあとは、歴史物に興味を持ち、特に江戸末期から明治維新にかけての 激動の時期の作品を敗者の視点にたって読んできた。 戊辰戦争の真相と会津藩の悲劇、薩長の政権奪取の真相など、世に言われている 通説とは異なる裏の真実にかなり迫ったと思っている。「天皇の世紀」はそれを裏付け る資料や初めて知る資料が満載の歴史の宝庫だった。 「天皇の世紀」は、大仏次郎が朝日新聞に連載し途中で絶筆になった歴史本である。 小説ではない。近世日本の国民史とでもいうべき歴史物語である。 幕末ペリーの来航で揺れた時代、嘉永5年に孝明天皇の第3皇子として生まれた明 治天皇が15歳という若さで即位する。蛤御門の変で御所に火を放った長州が、薩摩と 結託して岩倉具視と計らい討幕を旗印に錦旗と詔勅を得て官軍になり、天皇と御所の 警備に当たった幕府と会津藩が一転して朝敵になる。その逆転の謎解きが秀逸である。 最後は北越戦争の攻防で河井継之助が重傷を負うところで連載は病気休載となって いる。文春文庫12冊としても刊行されていて私の手元にある。北越戦争については司 馬遼太郎の「峠」にも詳しく書かれている。 「天皇の世紀」という膨大な幕末の一大絵巻のすべてを紹介できないが、各分冊の主 な内容を紹介しておく。 第1分冊; 古事故実だけを守る御所の公家たちの姿を描く。外部情報から隔絶された 閉鎖社会から、後に英邁とたたえられた明治天皇が生まれている。 後段では南部一揆についても詳述している。 第2分冊; 開国派の彦根藩、井伊直弼の台頭と伝統的な攘夷派水戸斉彬との確執。 第3分冊; ヒュースケン事件、安政の大獄、近江屋での竜馬暗殺などのテロ横行。 第4分冊; 下関戦争、薩英戦争、を通じて若手志士達にようやく”藩”を超えた”日本 国家”という概念が芽生えた。 第5分冊; 天誅組、天狗党の挙兵などの義軍の内乱、禁門の変と長州藩の京都追放。 第6分冊; 高杉、伊藤、西郷、桂、等薩長の若い志士たちに芽生えた”討幕”意識。 第7分冊; 勝海舟と坂本龍馬、幕府(薩摩)による長州征伐、英仏の軍事・政治介入。 第8分冊; 薩長同盟、孝明天皇崩御と大政奉還、岩倉具視らによる討幕の密勅。 第9分冊; 鳥羽伏見の戦いと徳川慶喜の不可解な東帰、上野彰義隊、慶喜蟄居。 第10分冊; 江戸城無血開城、勝と西郷の国家ビジョン共有、五か条のご誓文、 第11分冊; 新政府による神道国教化政策と廃仏毀釈、浦上のキリシタン信徒弾圧。 幕府時代から続く迫害の歴史、死を恐れぬ信徒の抵抗と、信者のゆるぎ ない信仰の記述は秀逸。 ・奥羽越列藩同盟の成立、輪王寺宮の擁立画策、土佐藩士岩村誠一郎と、 長岡藩家老河合継之助の小千谷慈眼寺の談判。 ・福島藩士他による官軍参謀世良修蔵惨殺。 ・秋田藩の同盟離脱、秋田藩による仙台藩の特使志茂又左衛門一行の 殺戮。 第12分冊; 官軍の奥羽攻撃、高田藩が官軍の前線基地、北越戦争、河合継之助 重傷、まで。最後に 「病気休載」と書いて著者は筆をおいた。 著者がもしも書き進めたら、会津戦争、奥州列藩降伏、会津藩、仙台藩、庄内藩、 南部藩の戦後処置、五稜郭陥落、東京遷都、廃刀令、廃藩置県などの新政府の諸 政策、と続いたであろうが、惜しくも大佛次郎は他界して日の目は見なかった。 幕末史には謎が多い。歴史に自分なりの知見を持つには、勝者と敗者それぞれの 立場に立って事実を丹念に拾い集めなければ独断的な解釈に陥る危険がある。歴史 を学ぶとはそういうものであろう。 奥羽越列藩同盟については、革命的な思想を嫌う奥羽人の保守的気質、自藩の存 続に固執する思想的限界が指摘される。藩という枠から飛び出して自由な発想を抱く 西側各藩の若手志士達とは対照的。列藩同盟がもろくも瓦解した要因はそこにある。 歴史とは過去と現在との対話である。とE・H・カーは述べている。 過去は過去のゆえに問題となるのではなく、現在にとっての意味のゆえに問題になる。 すなわち、現在というものの意味は、孤立した「現在」においてではなく、過去との関係 を通じて明らかになるものだ。と清水幾太郎も述べている。 昨今は、日韓、日中、日ロの歴史認識の違いから紛争が絶えず、さらには沖縄問題 や基地問題、太平洋戦争と東京裁判の正当性、など、日米関係も燻ったままだが、歴 史に興味を持ち、知識欲が起きるのは、正に現代の日本の立ち位置に不安を感じる からに他ならない。 歴史の読み方、理解の仕方にも見識があり、この著書はなる程と頷ける視点が多々 ある。幕末史に興味のある方には一読をお勧めしたい書物だが、読み切るのは相当 の覚悟と根気が必要だと注意しておく。 |