映画鑑賞;「杉原千畝」 ![]() 云わずと知れたナチスドイツの占領下で多くのユダヤ人にビザを発行して命を救った 外交官「杉原千畝」の映画である。実は私は千畝に関してはこの程度の知識しか持た ない門外漢だった。 学生時代の友人からこの映画の評判を聞き早速見てきたが、初めて知ることが多く 大変勉強になった。しかし映画冒頭のシーンに出てくる鉄道での外国人同士の死傷 事件を始め、理解に苦しむシーンが続いた。 後に知ったことだが、ソ連と満州の間をぬってハバロフスクまで走る北満鉄道を、 日本が1935年にソ連から買収する交渉には、当時満州国外交部にいた杉原千畝が 深く関与していた。彼の持つ白系ロシア人の情報網から得たソ連の秘密情報を駆使 して、大幅な買収金額の減額交渉に成功している。 千畝と彼の持つ情報網を恐れたソ連は、後に千畝をペルソナ・ノン・グラータ(好ま しからざる人物)として、ソ連駐在日本大使館赴任に伴う入国ビザの発行を最後まで 拒否して、報復をしている。 映画冒頭の鉄道での殺傷シーンは、緊迫した買収交渉時のソ連軍人と関東軍兵士 のトラブルだったが、勿論私には知る由もなかった。 その他、1934年にドイツが日独防共協定を裏切って突然独ソ不可侵条約を締結し た事や、ドイツとソ連が相次いでポーランドに侵攻してポーランド分割に至った経緯、 また、締結して間もない独ソ不可侵条約を突然破棄して起こした独ソ戦争、ドイツと ソ連に挟まれたバルト三国、とりわけリトアニアを囲む緊迫したヨーロッパ情勢とソ連 によるバルト三国併合、さらには大勢のユダヤ人のリトアニア脱出の背景、ポーラン ド地下組織の情報部員の暗躍と杉原千畝との接触、激動する欧州の動向が読めず に右往左往する日本の対ソ戦略などなど、1937年に私が生まれた前後数年の複雑 な欧州情勢についての予備知識が不十分のままこの映画を見たので、映画の真髄 を理解できないシーンが多々あった。 しかし、映画監督のチェリン・グラックの正確な時代考証と、随所に見せる素早い テンポの展開シーンに、監督の豊かな才能と感性を感じて舌を巻いた。 時代背景の知識不足を痛感した私は、この映画のエンディングの字幕に参考文献 として、「諜報の天才・杉原千畝」(新潮選書)と出ていたのを見つけ、早速購入して 一気に読み終えた。冒頭の北満鉄道買収交渉の経緯や、1940年代の欧州情勢と、 千畝の活動の全貌が良く理解できる好著だった。 千畝は本国の政府指令に逆らって2200人のユダヤ難民にビザを発行して6000人 のユダヤ難民を救っているが、ヒューマニストであると同時に、優れたインテリジェン ス・オフィサー(情報活動家)でもあったと書かれている。インテリジェンス・オフィサー の側面、それは隠密行動ゆえにその活動の全貌は一切闇の中で、関係者ですら知 る由もないが、著者は永年の調査資料を駆使してよくその真相に迫っている。 満州勤務時代は白系ロシア人の情報網を、リトアニア勤務時代には元ポーランド 将校の地下組織の情報網を、それぞれ巧みに利用して彼独自の情報網を構築し、 そこで得た情報を精査し、未来を予測し、進むべき最善の道を模索し、本国に報告 し続けている。インテリジェンス・オフィサーの面目躍如であった。 千畝は自分の築いた情報網の痕跡を決して悟られず、ソ連やドイツから第1級の インテリジェンス・オフィサーとして恐れられたが、如何せんどんなに優れた的確な 情報も、活用する側が無能では宝の持ち腐れとなる。 いち早く「独ソ開戦近し!」という最大級の極秘情報を本国に打電しても、何らの 対ソ戦略の転換も打ち出せなかった本省と参謀本部に彼は痛く失望している。その ジレンマが最後まで千畝を苦しめ、本省に翻弄され続けた。 本省の指令に逆らって難民ユダヤ人にビザを発行した故に、千畝は外務省から 追われ、近年まで不遇をかこっていたようである。旧外務省関係者の千畝に対する 敵意と冷淡さは、2000年に河野洋平外務大臣による名誉回復がなされるまで一貫 していたようである。 千畝に命を救われ存命する多くのユダヤ人と関係者は、日本外務省の冷淡さに 抗議し続け、遂に2000年10月に河野洋平外務大臣が次のような演説をして千畝の 名誉を回復している。 演説要旨; これまでの外務省の杉原家に対する数々の非礼を心からお詫びをする。日本外交 の責任者として、故杉原氏が60年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な 局面において、人道的かつ勇気のある判断をされたことに対し、私は素晴らしい先 輩を持つことが出来たと誇りに思う次第です。 2000、10,10、外務大臣河野洋平 先日国会中継を見ていたら、衆院予算委員会で、自民党の平沢勝栄議員が安倍 首相と岸田外相に対して、杉原千畝の映画に触れ、千畝をどう思うかと質問してい た。首相も外相も、人道主義者としての杉原千畝を高く評価すると答弁していたが、 優れたインテリジェンス・オフィサーとは答えなかった。 映画の最後に、共に情報活動を続けたパートナーの元ポーランド情報将校が千畝 と別れる際に、「貴方が本国の指令に反した行為は外交官としては最低だったが、 同胞を救った行為は友人としては最高だった。」と語っているように、ヒューマニスト 杉原千畝、インテリジェンス・オフィサー杉原千畝の両面の評価は知る人ぞ知る事 なのかもしれない。 外務省の評価はヒューマニストとしての杉原千畝に限られていて、インテリジェン ス・オフィサーとしての業績は前面には出てこないようだが、その秘密性は逆に千畝 が第一級のインテリジェンス・オフィサーであった証左なのかもしれない。 千畝に関する映画と書籍を契機に、1930〜40年代の激動する複雑なヨーロッパ 情勢を深く学びたい知的好奇心を刺激されたのが、映画鑑賞で得た収穫であった。 |